【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★7
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1537259478/ 今のところ100点満点で纏向20点葛城15点
80点超えたら畿内説にも議論する資格を与えよう >>262
吉野ヶ里は邪馬台国とは言ってないが、纒向は邪馬台国だの卑弥呼だのを謳い文句にしてるな。
韓国流のアレ丸出しだなw
フェイクニュースは犯罪だぞ。 >>263
倭国大乱の痕跡や楼観の絵すら発見できない北九州派は0点w >>264
じゃあ何で楼観を捏造したんだ
吉野ケ里は歴史公園じゃなくてテーマパークだな。
ディズニーランドに例えればおとぎの国だ。 吉野ケ里遺跡の凄まじい防御力は王都というより防衛拠点っぽいな
吉野ケ里城って言ってもいいかも知れない >>267
そういう緊迫感が奈良には無い。
倭人伝には邪馬台国の防御体制は厳重と書かれているのに。 >>253
>前方後円墳の起源も機内って事になってそうだな。
これ、マジで言ってるのか?
畿内もまともに変換できてないし、日本人じゃなさそうw
>すでに捏造されてるぞ。
前方後円墳が定式化した場所が、畿内纏向遺跡の地だというのは、
九州説の人も認める定説だよ
捏造だというのが「捏造」
>箸墓なんて中を見た奴もいないのによ。
外から見るだけで前方後円墳だってのは分かるだろ?
レーザー計測した赤色立体図もつけてやろう
https://paspro.com/bousai/kazan/_arukazan/bbs/?file_id=MV8wMDAzNjg%253D&name=307019_2246840666318_1165101911_n.jpg 吉野ヶ里は弥生時代全域カバーしてるし、平塚川添も1世紀から4世紀をカバーしてるし、やはり筑後川流域から有明海沿岸が確率高そうだな。
他にもこの辺で発掘途中の遺跡があるらしいし。 >>269
>倭人伝には邪馬台国の防御体制は厳重と書かれているのに。
自爲王以來、少有見者。以婢千人自侍。
侍女千人にお世話されて引きこもりで陣頭指揮もしない様子が書かれているのに
緊迫感があるとか言われてもw
戦場になるような王宮に、侍女千人はいないだろ?
王都は平和なものだよ
前線じゃないんだから ID:b7K4cwn1は、まともな日本の教育を受けていないな 畿内説が涙目で子供のような言い訳w
効いてる効いてるw >>260
>機内説では2国だけ南を東?
そんなことはない
九州上陸直後の末盧国から伊都国の時点で、実際には北東なのに東南陸行五百里と書いてあり、
方角が狂っている
畿内説は、魏志倭人伝の方角、距離は実地に合わないあてにならないものだ、という考え方
>周旋五千餘里だけ長里?
長里なんて言葉はない
あるのは魏晋里という魏朝公定の度量衡だけ
それから周旋五千里は一周したりもとの場所に戻ったりはしない
>定義なき曲解のオンパレード。
捏造定義ばかりの九州説の方がひどいよ? 日本語が不自由で、日本の学校教育をまともに受けていないやつが
出入りしだすとスレが荒れるな
ID:b7K4cwn1
ID:7luX3aB1
ID:U3WEvHFH >>275
読み方は諸説あるが>>174に書いてある。
魏志韓伝も同様の曲筆が使われているから。 >>270
上で前方後円墳は吉備式だと言ってるじゃないか。 >>277
>読み方は諸説あるが>>174に書いてある。
>>174は「数はすべて10倍ルールに基づき表記されている。」に根拠がないから
既にトンデモだよ >>174について
数値が全て10倍ルールなら
・壱岐から見える唐津-伊都国の陸上距離が500里
・壱岐から博多湾に移動し、東南に奴国を見ながら東の不弥国に入る(海岸から100里)
はそれぞれ、50里、10里ということになるが、そんな数値は通らないだろ?
現実に合わないし
適当なことが並べてあるだけのトンデモの域を出ないよ >>277
確かに韓全体で15万戸は多すぎかも
10倍ルールで1万5000ってことだね >畿内説は、魏志倭人伝の方角、距離は実地に合わないあてにならないものだ、という考え方
方角も距離もあてにならないなら素直に別の王国とするべきではないか 倭人はどこから来たのか
日本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており 漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始め >>282
>方角も距離もあてにならないなら素直に別の王国とするべきではないか
帯方東南大海中の洲島の上の国といえば、方角も距離もあてにならないといっても
日本列島上の国を想定する以外にない
そして、魏志倭人伝の記述する3世紀半ばには、前方後円墳体制と呼ばれる広域の
祭祀連合が成立しており、その盟主の地位にあるのは奈良盆地の首長と見るのが相当
であるなら、その奈良盆地・ヤマト国が邪馬台国の謂いであるとするのに、
特に疑問はない
それだけのことなんだよ >>284
それが想像の域を越えない話なんだよバカ。 記録を無視する機内人w
もしかして桜井の人かな?w
あと当時が温暖であったかの目安として樹齢が1800年前後のクスノキが残ってるかどうかだな。 >>286
なんでIDころころかえるの?
設定でそうなってるのかな 侍女千人いる宮室が吉野ヶ里みたいに小さいわけないじゃん
首長も庶民も同じ場所にいる吉野ヶ里は典型的な地方勢力の遺跡
筑紫平野には吉野ヶ里と同じような地方勢力がいくつもあっただけのこと >>289
吉野ヶ里は邪馬台国じゃないと言ってるじゃん。
妄想し過ぎてちゃんとした情報掴んでないんだろw >>290
筑紫平野にある遺跡の代表的な例として出してるだけなんだが
九州で邪馬台国を見つけたいなら吉野ヶ里程度の遺跡を見つけても無意味だという意味だよ まず前方後円墳体制という言葉自体が卑弥呼とも邪馬台国ともかけ離れてる
アメリカ大統領の豊臣秀吉が東京タワー作ったみたいな話で
時代も内容も規模もメチャクチャ そろそろ話を戻そうか。
纒向で出土した桃の種の年代が卑弥呼の時代に一致した。
それで何が言えるの? >>293
>まず前方後円墳体制という言葉自体が卑弥呼とも邪馬台国ともかけ離れてる
単に文字列を並べても無駄
反論したいなら、具体的な論拠を挙げて、論理的に理の通った文章で説明してごらん?
無理だろうけどさ
箸中山古墳以前の纏向型前方後円墳の時期に、北部九州最大の大国、奴国の中心で
ある比恵・那珂遺跡群に付随する形で那珂八幡古墳が造営されている
北部九州のリーダー格の奴国の首長が前方後円墳体制の中で葬られている時点で、
奴国を含む北部九州も前方後円墳体制の最初期から参加していることが明確であり、
この前方後円墳体制の範囲が倭国そのものの範囲であるのも明確
伊都国も古墳時代に入っても、その首長墓は端山古墳、築山古墳と三雲遺跡群に
築かれ続ける
前方後円墳体制が邪馬台国と関係ないなら、伊都国・奴国の北部九州勢も
邪馬台国と無関係ということになるしかない
戯言にしかならないだろ? >>294
>纒向で出土した桃の種の年代が卑弥呼の時代に一致した。
>それで何が言えるの?
すでに、>>284に書いてある
纏向遺跡の地には、庄内0期の纏向石塚古墳を皮切りに、100メートル級の
全て築造当時列島最大の纏向型前方後円墳が作られ続け、最終的に墳丘長278mの
箸中山古墳で段築、墳丘葺き石、各段の円筒埴輪列を持つ定式化した前方後円墳となる
前方後円墳誕生の地は、纏向遺跡で紛れがない
そして、古墳時代=前方後円墳体制は広く日本列島の相当部分を覆う祭祀連合であることが
明白で、また最大の前方後円墳が畿内に造営され続けることから、その祭祀連合の盟主が
畿内にあることも明確
そして、その纏向遺跡の時代が桃核の年代測定で卑弥呼の時代に一致したということは、
前方後円墳体制の祭祀連合が、魏志倭人伝に記された女王国連合そのものであることを意味する
それだけのこと 邪馬台国は委奴国と大和の中間にあって海運を牛耳っていた吉備に有った。
そしてモモの種飛ばし大会初代王者が卑弥呼だという事は意外に知られていない。 >>267
>吉野ケ里城って言ってもいいかも
あんなのは砦(とりで)だろ
>>269
卑弥呼が邪馬臺国の女王だった時代は平和だったんだから
緊張感は要らないわけだが
卑弥呼が死んでまた戦国時代になって
臺与が女王になって再度平和を取り戻したと
倭人伝に書いてるじゃないか >>295
なら出雲は邪馬台国時代は四隅突出方墳だから邪馬台国に関係ないということ
つまり投馬国ではないということですね >>298
女王が襲われても九州は知らん顔ってことかい?
卑弥呼が死んだあと荒れたのも九州だけってことか?
ホント妄想の世界のファンタジーだよな。 結局
倭人伝にも載ってない前方後円墳体制だけやん
方角も距離も違うしな 大倭の件もあったな。
ヤマトを大倭と表現してるのなら、邪馬台はヤマトじゃないよな。
というより、どの字でもヤマトなんて発音しないのに誰が読めると言い出したんだろ? 畿内説を推してる人は土器と桃の種を並べて後はひたすら想像を語るのみ。
予備知識も無さそうだし話をするだけ無駄だね。 >>300
>卑弥呼が死んだあと荒れたのも九州だけってことか?
言いがかり付ける前にもう少しオレのレスを溯って読んでからにしろよ。
オレが一押しの邪馬臺国候補地は弥生時代全期をカバーする唐古鍵遺跡だよ。
大型勾玉が2個入った褐鉄鉱容器が出土してる。
褐鉄鉱とは鉄の鉱石かと思ってたらwikiによるとイマドキは赤錆まみれの鉄のことだとさ。
ということは近年琵琶湖周辺や淡路島で発見された鉄器工房跡があり
赤錆まみれの容器は滋賀県彦根市稲部遺跡或いは淡路島で作られた。 >>299
>なら出雲は邪馬台国時代は四隅突出方墳だから邪馬台国に関係ないということ
>つまり投馬国ではないということですね
時系列無視かい?
四隅突出墓時代は、卑弥呼より古いんだよ
定型前方後円墳の墳丘の葺き石は、四隅突出墓の要素を取り入れたと言われているのにw
反論もまともにできないんだなw >>303
>予備知識も無さそうだし話をするだけ無駄だね。
九州説のいう予備知識ってのは、九州説内部でしか通用しない戯言のことだろ?
「短里」とか、「水行の起点は帯方郡」とか、「島巡り仮説」とか
全部知ってるし、全部論破したことあるよ
また論破して欲しかったら、その「予備知識」とやらを開示してごらんよ
でも、具体的なことを書いた途端に、瞬殺されるからいつも思わせぶりなことを
書いては逃げるんだよなww 知ってるw
逃げてもいいよ、ご自由にどうぞw >>302
大倭がヤマトなら大倭は邪馬台だし、ヤマトは邪馬台でヤマトは大和だから
大和は邪馬台で大倭は大和だよ 魏志倭人伝のそれぞれの内容がどれぐらいの時間のズレを含んでるかわからないが、
墓は祭祀というより葬送の話じゃないのかな。
葬送に関しては喪主は嘆き悲しみ弔問客は歌ったり飲んだりするとか
喪が明けたら水浴びするとか、棺はあるけどかくがない(だっけ)とかしか
記述がない様だが。
卑弥呼の冢をもって巨大古墳の葬祭儀礼があったと言えるんだろうか。 >>308
畿内かぶれの妄想だから放置。
葬祭で船に棺乗っけて引きずってるなんてのも意味分かってないから。 吉野ヶ里は春日市のヤマイチ国を守る防衛拠点です 勿論 呉から
他にはコウゴイシの山城が多数あります これらは倭の五王時代に完成しました >>309
祭祀統一説も崩壊か。
あとは桃の種頑張りやw 先日nhkで放送していたが、弥生時代、九州から琉球の貝を手に入れるのに
黒潮に乗って行ったんだってよ。。
季節を選び風を読んだら上手い事いけるんだってさ。
沖縄では本州産の縄文時代の土器も発見されたんだよね。古代人の知恵は大したもんだわ。
スレ汚しだったらすまん。 >>312
犬HKは真に受けるなよw
捏造当たり前だから。
黒潮は南から北に流れる潮だ。 俺の推察で卑弥呼の墓は
文献から
・よく解らない遠隔な国にはない
・魏人が見て図ってる(伊都国)
考古学から
・相応しい豪華な古墳が伊都国にある
・ちょっと小さい理由は農民が土を削った
政治情勢から
・宗女の伊代(伊都皇女)が後継者と知らしめる為、自分の在地に作る(伊都国)
・難升米(伊都国王、貢ぎ物や文書を壟断)が後援者、クナ国と組んで卑弥呼を謀殺した疑いもある。
福岡平野(伊都)と筑紫平野(邪馬台国)と肥後平野(クナ国)の複雑な政治闘争
勝者は伊代を推戴した伊都国 卑弥呼の墓の製作者は
卑弥呼の死後、一時的に邪馬台国連合の王になった難升米(伊都国王 >>314
タンカーの油が日本海でこぼれて、その油の流れる方向でわかったそうだ。
続編が近々あるんじゃないかな。 黒潮は南から北へ本流が流れ 戻り潮が北から南へ流れる 是をうまく利用する >>309
>葬祭で船に棺乗っけて引きずってるなんてのも意味分かってないから
播磨国風土記によれば
景行天皇の皇后播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおほいらつめ)が亡くなった時
船に棺を載せて曳いてる時烈しいつむじ風が加古川の川下から来て
船が流されて川の中に沈んでしまい、遺骸は見つからず櫛箱と比礼(薄い肩掛け)だけが
見つかりそれを日岡の陵(みささぎ)に葬ったことからこの陵は通称「比礼墓」と呼ばれている。 >>314へ 317より
レス番号を間違えました。ごめんなさい。
>>313へ
>>318が正しいです。
黒潮は南から北へ本流が流れ 戻り潮が北から南へ流れる 是をうまく利用する 棺と船は棺の材質次第かもと思わないではない。
石棺が石くりぬいたものならソリにもなる様な船で運んでもおかしくない様な。
当時の葬式や埋葬手順がどんなもんかわからないから想像の域は出ない。
あと陸行が一月としても車輪のついた運搬道具があったのかは疑問かもしれない。
神輿よろしくかついで移動したのかも。 >>319
出雲や奈良でもそうやってたのか?
奈良発祥なんだろ?
今でも鐘楼船として名残りが残ってるんだよな? >>316
卑弥呼が、なくなり、
魏の文化を洛陽でみた倭人がいる。
彼が持ち込んできたんやないかな。
前方後円墳を。
前円後方墳ではない理由は、わからないが。
呉の太伯には、ない文化やからね。
それが、魏や後漢の銅鏡にも、でているんやないのかな。 郑玄礼学から、きていると思う。
「二至之祀合于二郊」これが、
前方後円墳のコアな部分であり、
それが、曹魏から両晋時代につくられたんやないかな。
それを見た倭人が、広めたんやないかな。
実際、曹魏は、鬼道や宗教に傾倒しておらず、
祭祀を重視しているからね。
卷三 帝纪第三
◎武帝記に、下記がある。
十一月己卯,
倭人来献方物。
并圜丘、方丘于南、北郊,
二至之祀合于二郊
11月にみているな。この祭祀を。
つまりは冬至の天使の祭祀を。武帝のを。
この武帝記をみたら、多分、「并」の
漢字を使用しているから
実は側面からみているんやないかと
思うわけ。
冬至と夏至、それぞれに
北側の北郊、南側の南郊、で、
円丘と方丘。
だから、側面からみて、夏至がきたら、南側へ
冬至は北側にて、祭祀した。 古代国家の
祭祀は、五年毎に、おこなう、“禘”があり、
また、三年おきに行う"祫"がある。
五年おきは、五帝を祀る。
三年おきは、五帝に近い先祖を祀る。
これらは、明堂で行うが、
一年四季の祭祀は、明堂では行わず、
祖先の祖廟にて、行う。
いわゆる郊祀とは、天神,地祇、人鬼などの
ひとまとめの祭祀。ただ、特に天神に対して
主要な祭祀といえる。
この天神は、神仙の神や道教の神ではなく、
星宿の神(←多分これは、28星宿などの神)
そして、ここから、五方、五色、五音、
五味、五行、五感、四季、四象と相通じる。 そうみたら、
日本の前方後円墳は、
園丘に、先祖が眠っており、そのままそこで、
四季の祭祀、特に夏至、冬至を方丘、園丘で、
できたんやわ。
そこには、鬼道もなく、あるのは
方丘に関する四神とかやないかな。
それも星宿に関するだろうけど。 倭国大乱=大国主の国譲り
じゃないのかなー
そして台与=豊の国は九州にある
今現在出雲と呼ばれる勢力が今の出雲地方にあったかはわからないけど
個人的には倭の五王=百舌古墳群が現天皇家につながる勢力に敗北して出雲大社に祀られたのかなーと >>310
>吉野ヶ里は春日市のヤマイチ国を守る防衛拠点です 勿論 呉から
ヤマイチ国は恥ずかしいから止めなよ
12世紀以前の史書は全部「邪馬臺国」になっているし、
三国志の現存版本の方が間違っているというのが定説
古田史学がなにより正しいと妄信しているのでなければ止めた方がいい >>311
>祭祀統一説も崩壊か。
また嘘をつくw
北部九州の初期古墳を全部更地にでもしないと、そういうウソは通らないよ >>314
>・ちょっと小さい理由は農民が土を削った
墳丘が小さいと言いたいつもりかな?
墳丘周りの周濠で大きさを測っているからその説は成り立つ余地はないよ
平原1号墓の墳丘サイズ
12×8 = 96平方メートル
吉野ヶ里遺跡北墳丘墓の墳丘サイズ
40×27 = 1080平方メートル
両者を比較すれば、平原1号墓は圧倒的
圧倒的に小さい >>316
>時系列もなにも出雲が方墳から前方後円墳に変わったのは4世紀に入ってからだ
>卑弥呼時代は四隅突出型方墳
>畿内に合わせようと歪めたらあかん
地方の中小古墳の編年は修正が間に合ってないだけ
出雲でも古墳出現期から前方後方墳を作り始めてるよ
最初の古墳の時期が地域によってばらつくのは、
首長が死んだ順だから卑弥呼時代の若い首長だったところは遅れる 始皇帝は秦王即位と同時に墓作り出した。若い若くないは関係ないかもしれない。 >>324
>前円後方墳ではない理由は、わからないが。
それは簡単
江戸時代にそういう名前(呼び方)に「決めたから」だよ >>334
古墳が寿墓かどうかはよく分からない
仁徳紀に仁徳天皇が自らの墓地を決めたという記事があり、
治世が長い天皇ほど陵墓が大きいから寿墓だろうという見解が強いけれど 卷三 帝纪第三
◎武帝記に、下記がある。
十一月己卯,
倭人来献方物。
并圜丘、方丘于南、北郊,
二至之祀合于二郊
この年代は、266年11月だね。
倭人来訪の
武帝記に、記述するわけだから、
武帝=司馬炎で、
均田制の前モデルの「占田・課田制」を
作り、戸調令を出した人やね。
魏略も魏志倭人伝も、280年以降に、
編纂開始されているから、
まさに、邪馬台国から
訪問した倭人が、戸長令などの
モデルをみたんやろな。
だから、魏志倭人伝に、何万戸など、
税制を基盤とする表記が、あるのかもな。 >>330
だよな〜
「壹」は中国人が発音するイチという開音節の発音ではなく
it=イッという閉音節の発音。
昔の日本語は朝鮮語のような閉音節の言葉は無かったんだから。
ヤマイッ国というのは可怪しい、有り得ない! まだ畿内説の妄想は続くんかい?
纒向も箸墓も関係無くなったんだから次のを探してこいよ。 邪馬台も邪馬壱も邪馬壹もヤマイと読む。
これは九州北部の首都。
ヤマイ以外の呼び方が出てくるのは隋書の邪靡堆 ヤミトィだね。
これが畿内の首都。
中国語だから中国で研究してもらうべきだね。 >>323
「鐘楼」船とはすごい当て字だな。
精霊船は川や海を汚すから禁止されてる町が多いだろ。
日本古来の伝統なのか仏教伝来以来の風習なのかイマイチはっきりしない。 しかし畿内説スレは可哀想
耄碌アスペ纒向ジジイwと頑迷固陋葛城ジジイ
常連迷惑ジジイ二人のせいで >>339
>纒向も箸墓も関係無くなったんだから次のを探してこいよ。
はい、これがウソ
ウソも百回言えば、を地で行く価値観の人は面倒だから困る >>340
>邪馬台も邪馬壱も邪馬壹もヤマイと読む。
万葉集に古い歌が残っているし、古事記や日本書紀にも古い歌謡が載せられていて、
上代日本語の研究はきちんと行われているんだよ
その結果、上代日本語には母音の連続する言葉はないとされている
ヤマイ、YAM「AI」のような地名はその時点でおかしい
>これは九州北部の首都。
北部九州で遺跡から見て最も栄えていた中心地域は、福岡平野の奴国であり、
その中心は比恵・那珂遺跡群であることは確実
ヤマイだったとして、九州北部の中心地である比恵・那珂遺跡群周辺に
ヤマイの地名がかけらもないのをどう考える? 卑弥呼=倭人の発音そのまま当てる、文字に特別な意味はない(蔑む意味程度)
邪馬壹=邪馬(国)+壹(政庁)の組み合わせ、邪馬も壹もそれぞれ強烈な意味があり単体で使われる文字
女王の都とか女王の北限とかほかの言い回しを
文に表すにあたって地名+都と組み合わせた文字ではなかろうか
だから倭人は邪馬とだけ発音していて壹は中国人が付け加えたと推察
例えば
「東京」と日本人が発音して伝える
それを正式文章に「東京都」と中国人が書いた >>343
奈良県立橿原考古学研究所の関川尚功は
纒向遺跡は邪馬台国の遺跡で無いとしている。
国立歴史民俗博物館考古研究系教授広瀬和雄は
魏志倭人伝にしたがうかぎり
箸墓古墳が卑弥呼の墓であることの可能性は低い
というよりは証明しがたいと言ってる
懐疑的な考古学者もいるからあながち嘘とも言い切れない >>344
こういうの向いてないんじゃないの?
古代中国の文献を日本語感覚でとらえてるなんて。。。
しかも万葉集だなんて比較できる時代じゃないからね。 >>340
邪馬壱や邪馬壹をヤマイと読むようになったのは
12世紀後半の南宋や13世紀以降の元朝時代から。
だから中国語の発音の時代考証ができてない
時代錯誤だっちゅうの。
中国で研究しなくても魏志倭人伝解読、邪馬臺國研究に
必須の藤堂明保著 学研大漢和辞典を紐解けばわかること。
>邪靡堆 ヤミトィ
ttp://xh.5156edu.com/kx/a65b93c17831.html
《左傳·成二年》師至於靡筓之下。《註》山名。《釋文》靡,如字,又音摩。
【靡】筓マケイ,山名。《括地志》【靡】筓山,一名【磨】筓山。在蔚州飛狐縣東北百五十里。
「靡筓」は「磨筓」という書き方もあって、此の場合「靡」も「磨」もマと読む。 倭女王倭女王卑弥呼與狗奴國男王卑弥弓呼素不和
卑弥呼と狗奴國男王卑弥弓呼
この名前の類似性はどうだい
更に不和とはある程度対等な時にしか使わない言葉
格下なら普通は反乱みたいに書くよな
推察
邪馬台国とは北部九州南の八女方面の邪馬国の女が推戴される
邪馬台国として北は奴国まで女王の領域だが
そもそも邪馬国と狗奴国は隣同士同格の兄弟国 >>345
「壹」に「政庁」などという意味は無い。
トムヤムクンか辛ラーメンの汁で顔を洗って来いwwwww
http://xh.5156edu.com/html3/7516.html >>349
倭人同族の卑弥族姫氏では?
春秋戦国時代の呉の辰人(周の末裔とも言われる)=天族安嘗氏と卑弥族姫氏
Y染色体遺伝子D2(D1b)の移動と稲のルートが一致 >>348
弥生人が現代の日本語を話していたとでも思ってるのかい?
そう思わなきゃ都合が悪いのかな?
船で山にでも登っておけばいい。 到其北岸狗邪韓國
これも狗邪韓國という国じゃなく狗邪が支配している「韓」という國と組み合わせた造語解釈
原則として倭人伝に出てくる国は1文字か2文字が本来の国の名前に当てられてる
だから俺の解釈では邪馬台国は邪馬の政庁という意味
いわゆる邪馬台国と俺らが読んでいる空間の広がりは女王の支配と別表記で表してる >>302
シナ(魏等)側がどう当て字してどう発音していようと
和音呼称ということでは「ヤマト」は有りでは
冨谷至『漢倭奴国王から日本国天皇へ』京大人文研東方学叢書4(2018年刊)参照 >>352
ほう、万葉集が朝鮮語で読めるから
弥生人は朝鮮語を話してたと言うのかい。
とりあえず九州説の引率者の安本美典著
「卑弥呼は日本語を話したか」でも読んでからカキコしろよwww
ttp://yamatai.cside.com/yasumoto/tyosyo56.htm >>345
>邪馬壹=邪馬(国)+壹(政庁)の組み合わせ、
臺なら因詣臺に見られるように、天子の居場所、政庁という意味も出てくるけれど、
壹では(政庁)という意味はどうやっても出てこないよ
魏志倭人伝の邪馬壹は、もともとは邪馬臺だったという主張なんだね?ww >>347
>古代中国の文献を日本語感覚でとらえてるなんて。。。
古代日本語の漢字による音訳だと考えられている以上、
古代日本語のルールから外れた地名は考えられない、という話 >>353
>これも狗邪韓國という国じゃなく狗邪が支配している「韓」という國と組み合わせた造語解釈
いろいろと妄想してるけれど、楽しそうだね
東夷伝として素直に読めば韓条弁辰12カ国に弁辰狗邪國があるから、韓の狗邪国で
狗邪韓国としたと考えればいいと思う
>原則として倭人伝に出てくる国は1文字か2文字が本来の国の名前に当てられてる
已百支國、好古都國、華奴蘇奴國なんてのもあるよ
特に、二字縛りとかはなさそう >>1
4ヶ月半前の記事じゃん
畿内説はもう病気だな
魏志倭人伝の内容を義務教育で教えるようになればこんな畿内説なんて相手にされなくなるのにな 邪馬台だの卑弥呼だの漢人が日本人を蔑んで当てた漢字を使うのやめて欲しいね
漢民族が差別主義者だと強調したいなら別だが、
漢字使いの日本人が邪だの卑だの疑問も持たずにいつまでも使ってるのは馬鹿げてる >>355
>ほう、万葉集が朝鮮語で読めるから
>弥生人は朝鮮語を話してたと言うのかい。
古代朝鮮語はほぼ分かっていない
記紀や大陸中華の史書に、人名や国名地名が残っているのが、
現在分かる古代朝鮮語の全てといってよい
○○は古代朝鮮語で読める、などというのは全てインチキと思って大丈夫だよ
>九州説の引率者の安本美典著
>「卑弥呼は日本語を話したか」でも読んでからカキコしろよwww
「邪馬台国の会」の信者なの?w >>360
>4ヶ月半前の記事じゃん
このスレ、その7、なんだが?w
九州説が諦めずに絡んでくるからだよww ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています