【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★10
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
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■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1541409918/ >>500
>最古で定形化www
>>485の「日本の教育を受けた人間ではなさそう」に一票
>>497に書いてあるのは「箸墓は定形化した前方後円墳で最古」
これが「最古で定形化」に脳内変換される様では、
まともに日本語の構成を認識できていないと判断せざるを得ない
修飾関係が完全に狂っている
まあ、狂っているのは、その思想なのだろうけれど >>502
>流すわけねえだろw
ID:DCTWF6cjが自分で書いたんじゃないかww
487ニュースソース検討中@自治議論スレ2018/11/16(金) 16:27:18.96「ID:DCTWF6cj」>>499
>>485
あと、やけに「鐘楼流し」にこだわっているようだが、 >>505
最古で定形化www
原型試作は無しかwww
最初が完成形かwww
久々にわろた。
箸墓の前方後円墳の後に西山の前方後方墳ができたってことだな?
畿内説考古学者によると。
祭祀統一されたんじゃなかったのか?www >>504
>俺は分類するなら理Uだ。
「分類するなら」と言っている時点で東大受けてないじゃんwwwwww
東大にコンプレックスでもあるのか?w
一定以上の知的能力のある人は、専門家の仕事には敬意を持って接するものなんだが
>考古学者は基本的に信用しない派だ。
>宗教もな。
こんなことを書いているようでは「古田氏学系のカルト信者」というのは否定できないなw >>506
知らないなら行って見てこい。
鐘楼流しってのは船を流す葬祭じゃないんだよ。
現代では陸上で燃やして終わりだ。
流してしまうのは灯籠流しだろ。
これも現代では海に出る前に回収される。
ほんま無知やな。。。 >>508
スカスカな反論でスレ消費すんな。
とりあえず涙ふけよw いやあ、ファビョるってのをじかに見るとすごいなw
で、「古田氏学系のカルト信者」には、ノーコメントで逃げ切ろうって腹かな? イトからサツマまで水行20日
もちろん五島方面経由 前方後円墳で統一されたと言い張る時代に、箸墓のすぐそばでも形式の異なる墓が次々と構築されている。
箸墓が3世紀じゃないと認めるか?
4世紀で確定済みの古墳を2世紀と改めるか?
こんなあからさまな捏造はゴッドハンドよりお粗末だよなw ヒミカの墓は直径25mの円冢なのに 前方後円墳を持ち出す倭人伝も読めない馬鹿 >>509
>鐘楼流しってのは船を流す葬祭じゃないんだよ。
>>485の「日本の教育を受けた人間ではなさそう」に一票
何を指摘されてるのかまったく理解してないなww
精霊流し(しょうろうながし)なんだよ
日本語ではなww
鐘楼っていうのは「寺院内にあって梵鐘を吊し、時を告げる施設。鐘つき堂」だぞww
だから、こんな大きくと重いものを流すのか?wwって指摘されたのに、気づきもせずに
「流さないんだよ、陸上で燃やすんだ」とか言ってるww
お寺の鐘つき堂に火をかけたら、放火罪でつかまるぞww
火病ると放火する民族がいるという噂はあるけれどww >>511
古田?
史書の読み解きは支持するが、あとの仮説はお前の言うようにカルトだな。 >>513
>前方後円墳で統一されたと言い張る時代に、箸墓のすぐそばでも形式の異なる墓が次々と構築されている。
少しは常識的な知識を入れてから書き込んだら?
前方後円墳(前方後方墳も可)は、盟主墳の墳形であり、各地の首長の盟主墓に使われる
そして、それ以外の墳形でも、段築・葺き石・円筒埴輪による各段の囲繞、という規格は共通
これらの特徴が、古墳時代を通して維持されることが「祭祀の統一」の中身だよ
「箸墓のすぐそば」の「形式の異なる墓」も含め、盟主墳の周囲には陪冢が置かれるのが普通で、
陪冢には前方後円墳の墳形は採用されないのが通常の古墳群のあり方 >>517
前方後方墳は伊勢が最古だったかな。
そして最初で完成形だという箸墓に吉備の埴輪←どう説明する? >>517
おまえは、こう言いたいのかな?
前方後円墳は、祭祀の統一によって普及した。
卑弥呼は祭祀を司る巫女だった。
だから、前方後円墳は、卑弥呼が主導し、設計した。
前方後円墳はヤマト王権のものなので、邪馬台国はヤマト王権のことである。 >>517
もう諦めろ。
ボロボロだぞ。
その脳内畿内説垂れ流すと他の畿内説が風評被害を受けるだけだからwww 前方後円墳は、鬼道を具現化した墓だそうですよ、みなさん。 九州説が短里にこだわる理由。12000里が問題だから
陳寿が12000里をどうやって出したかは不明だが行程を足してだした可能性が高い
すると、帯方郡から不弥国まで10700里、不弥国から邪馬台国まで1300里になる
この1300里が普通の里で考えると九州を突き抜けてしまう
だから苦し紛れに短里という単位を捏造せざるを得なかった
しかし、本末転倒な話で、陳寿は1300里をどうやってだしたか
水行陸行を里数に換算したとしか考えられない
他に根拠がない。あったら記載する
これは短里を否定するだけでなく、放射説も否定する
だから明らかに捏造である短里にしがみつくしかない >>523
長里で解釈すれば対馬壱岐もなくなり、当然畿内説なんて影も形もないわけだw
自己崩壊連発www >>524
>長里で解釈すれば対馬壱岐もなくなり、当然畿内説なんて影も形もないわけだw
>自己崩壊連発www
長里なんてないんだよ
あるのは、秦漢里や,魏晋里だ
ちょっと、この項あとまわし >>523
>陳寿が12000里をどうやって出したかは不明だが
不明でもないよ
魏志倭人伝の旅程記事に混乱があるのは確かだ
1.淮南子の世界の東の果てまで萬二千里という概念
2.漢委奴國王、倭国王帥升等の朝献の時の北部九州までの「里」程
3.卑弥呼の遣使の時の邪馬台国までの「日」程
これらが、陳寿の手元にあって、これを総合して旅程を書いたのだろう
また、2.の時の里程には別の目的地(倭面土国)行きが紛れている可能性が
高いし、魏志倭人伝の旅程と実際の邪馬台国までの経路は一致しない可能性が高い 黒齒國は山海經にも出てくる伝説上の国だし、裸國も淮南子に出てくる世界の端の国
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「?齒民」、玄股民、毛民、勞民;
そして、前にも挙げた淮南子:時則訓を再掲すると
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太?、句芒之所司者,萬二千里。
魏志倭人伝の世界観では、
淮南子:墬形訓の大人國、時則訓の大人之國を倭國に当てているように見える
だからこそ「倭」國なのかもしれない
墬形訓の自「東南」至東北方だから、倭國は倭人在帶方「東南」大海之中だし、
時則訓の世界の端だから「萬二千里」
そして東の端を南へ下っていくと「?齒民」がいて、
墬形訓の自西南至東南方の段落にある「裸國民」はさらに遠くの扱いになる
こうして見ると、魏使の報告書になかった部分は、
淮南子を参照して書いているのは明らかだな 地の果てまでが萬二千里というのは、>>526で淮南子の数字を出しているが、
その前の山海経の世界観では「夏王朝が治めた九州」が方三千里で、
その外側の蛮夷の住む四海を含めた世界全体が、東西二万八千里、南北二万六千里としている
漢土の外は、東西それぞれ万二千五百里(28,000-3,000/2)、
南北は万千五百里(26,000-3,000/2)となるので、
これが萬二千余里の基礎になっているように見える
また、漢土は秦・漢の統一を経て、方万里に拡大されている
ちなみに、この漢土方万里という観念が、万里の長城の「万里」の元
これを整理したのが、淮南子の時則訓
五位,
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太r、句芒之所司者,萬二千里。(中略)
南方之極,自北戶孫之外,貫顓頊之國,南至委火炎風之野,赤帝、祝融之所司者,萬二千里。(中略)
中央之極,自昆侖東絕兩恒山,日月之所道,江漢之所出,眾民之野,五穀之所宜,龍門、河、濟相貫,以息壤堙洪水之州,東至碣石,
黃帝、後土之所司者,萬二千里。(中略)
西方之極,自昆侖絕流沙、沈羽,西至三危之國,石城金室,飲氣之民,不死之野,少r、蓐收之所司者,萬二千里。(中略)
北方之極,自九澤窮夏晦之極,北至令正之穀,有凍寒積冰、雪雹霜霰、漂潤群水之野,顓頊、玄冥之所司者,萬二千里。
五行説との対応で、東西南北+中央之極が、それぞれ萬二千里とされている この、倭国は世界の果ての国だから萬二千里の彼方というのは
曹真が大月氏(洛陽から萬千六百里)を朝貢させているので、
晋の高祖・司馬懿の公孫氏討伐で東夷が朝貢するようになったというのを
それと同格以上にして司馬懿の功績を持ち上げるためでもある
そのために、最遠の朝貢国として倭国を描くために、淮南子の東方の極、萬二千里と
いう数字を持ってきているんだよ
実測値でもなんでもないし、比定地探しには使えない >>524
>長里で解釈すれば対馬壱岐もなくなり、当然畿内説なんて影も形もないわけだw
>自己崩壊連発www
で、晋の高祖・司馬懿を持ち上げるために、倭国との通交を万里の修交とするために
最初から、九州上陸までが万里と設定されていて、渡海は一律で遠い距離を表す千里
対馬、壱岐、九州本土までで、渡海3回で三千里、残りが七千里だから
韓地の殉海岸水行で南東かどまでは行かないから、南北四千里東西三千里で
七千里消費に合うように、韓地は方四千里と逆算されてる
結局は司馬懿の功績を顕彰するための、誇張して盛った数字が机上で作られただけ
だから、現実の地理と対照しようとすれば、誇張されている分だけ短く見える
それを短里と言ってるだけなんだよ、九州説は >>530
>晋じゃなくて魏じゃね
魏志倭人伝、というか三国志は、陳寿が西晋の役人をやっているときに書かれた私撰史書だよ
持ち上げるべき相手は、魏の曹氏ではなく、晋の司馬氏だ 想像が根拠の畿内説暴走は流石に見苦しいぞ。
(想像)〜だから、(妄想)は事実ニダー
これホンマに自分で認識でけへんのか?
一般社会じゃガイジだぞこんな思考回路持ちは。 邪馬台国はもともとヤマトの国という意味だから、大和国で間違いないだろう。 今日はやたらスレが伸びてると思ったら九州説が発狂してたのか >>533
>想像が根拠の畿内説暴走は流石に見苦しいぞ。
>(想像)〜だから、(妄想)は事実ニダー
>これホンマに自分で認識でけへんのか?
>一般社会じゃガイジだぞこんな思考回路持ちは。
批判したいなら、批判すればいいが、
「論点を明確にして」「どこをどう批判したい」のかを
「具体的に示す」ことができなければ無意味だっての
何度言えば分かるかな?
まあ、「俺は分類するなら理Uだ」とか言っちゃう程度の知的能力では難しいのかな?ww 12000里は総行程 詠めばわかること
実距離を里で割る事もできないのがいる >>536
ID:NaoEIw7mのレスが具体例
理Uってなんなんだよ? 奈良に目ぼしい出土品の無いのが残念 です 桃の種
錦 漢鏡 剣 ガラス 絹 全部 福岡県
シンギワオウ金印もそろそろ出るのかな 太宰府あたりかな >>528
萬ニ千里の件なら九州説も承知してるはずだが。
出雲が南というのは?
女王国の東の海を渡って倭種の国というのは? >>539
たしか大宰府の下にも遺跡があったような >>535
>今日はやたらスレが伸びてると思ったら九州説が発狂してたのか
九州説が発狂っていうか、ID:DCTWF6cj一人だけどね
古田史学系の思い込みだけで書き込みしてる人 短里がバカバカしいのは、例えば畿内説が
・証拠はないけど、当時の中国に短方角というのがあって東を南と言っていた
・でも三国志はおろか他のどの文献にも出てこず倭人伝のみに使われている
というようなもの
さらに、短方角だから東にない九州はおかしいよねという理屈
九州説の人は短方角認められる?
短里を認めるんなら短方角も認めなきゃいけないよ
畿内説が短里をバカバカしいと思うのわかるでしょ 短里があると言い張るが実際の行程で検証してみろと言うと必ず逃げるんだよな
せいぜい対馬から壱岐がぴったりだとか、狗邪韓国から末盧国を「平均する」とぴったりだと言うだけ >>543
その短里というのはある論文が発端だったはずだが。
俺は魏志韓伝と倭人伝に共通しているのだから違和感は感じないなあ。
南国で海南島に似ていると聞いたので南側に距離を盛ったと言う方が仮説としても説得力はあるやろ。
方角は当時の人が何を基準に方角を判断していたのかを調べればええやん。
指南魚を使っていたとかよ?
俺なら太陽と陰で判断するやろな。
まず間違えへんわ。 実距離が判明しているから割り算するだけだ これがわからん奈良生きる価値なし 奈良が信奉する日本書紀から
日本書紀スジン紀
六十五年秋七月、任那國、遣蘇那曷叱知、令朝貢也。任那者、去筑紫國二千餘里、北阻海以在鶏林之西南
任那は筑紫国を去る事2千余里北海をヘ阻てて雞林(新羅)の西南に在り
2000里は140Km 一里75m 日本書紀も書き写すときうっかり短里で書きました >>432
邪馬「壹」國は無かった
ヤマイッなんていう発音は倭人語に無かったからね
「壹」與や「台与/與」なんていう女性も居なかった。
「臺」與なら居た鴨 >>542
すぐファビョるやつと書かれてて実際にファビョってたのには笑った 畿内説の場合の一里は0.435kmだから太平洋のどこかにヤマトという島があったということか。フムフム >>552
短里が当てはまるか検証したことないでしょ? >>553
畿内説だと75m>0.435kmということなのか.....( ゚Д゚) 短里が有る無しじゃなく
魏志の韓伝と倭人伝だけにしか出てこないから何か意図があってのことだろ
朝鮮半島南部を4千里四方にして帯方郡から邪馬台国まで1万2千里にしてる
でも他の地理書ではきちんと朝鮮半島東西を4百里にしてる >>557
>何か意図があってのことだろ
意図は>>529、>>531に解説してあるよ
西晋の役人、陳寿が皇帝家の高祖の功績をよいしょしてるんだよ >>547
>2000里は140Km 一里75m
これだと70メートルだろ?w
>日本書紀も書き写すときうっかり短里で書きました
原本で三千里だったんだからうっかりじゃなくてただそのまま書いただけだろ
短里だっていう認識はないだろうが ID:DCTWF6cjが消えたら、 ID:sUpGixG1が出てきたな
同じ人かな? >>560
別人だと思う
交代制でやっているんじゃないかな 卑弥呼の墓で譲れないのは奴隷が埋められてる事
奴隷が埋められた弥生後期の墓なんて数少ないから絞り込めるだろ
専門家さんどうなのよ 殉葬の記述は記紀にもあるから古代日本ではやってたのかもしれない
一緒の墓に埋葬しないなら見つかるわけないけど >>563
>奴隷が埋められた弥生後期の墓なんて数少ないから絞り込めるだろ
これはまた異な事を
日本には大規模殉葬と認められている遺跡は1カ所もないんだが?
まさか祇園山古墳とか言い出さないよな? 生贄とかも発想は似たようなもんかね
中国で王権の継承の証に鼎があるけど、元々は生贄を煮る鍋みたいなもんだしな 13代天皇の頃に殉葬をやめてるから
殉葬は数例しかやってないと思うよ
日本人に合わなかったのですぐにやめたんだろうな >>400
江戸時代の途中までは大和のことって思われてたんだぜ。
それに待ったをかけたのが本居宣長
あの大天才が調べ上げて出した結論が
間違ってるとでも? >>569
間違いだったんだろうね
はい次のガイジ↓ 本居宣長が大天才だからと言われてはいそうですかと思う人も今日日いないだろうにw
古田武彦氏のことも大天才とか言い出しそうw >>570
折角のご指名なのに外字じゃなくてゴメンなw >>423
専門家かどうかを規定するのはどこぞの権威でもないし、ましてや名前素性を明かさない匿名掲示板のお前ではない
少なくとも、日本の研究情報では九州説を唱える奴がいると言うだけ
その内容の真贋は繰り返すがどうでもいい 【古代】最新科学が明らかにする古代ロマン “マッチョ”な弥生人 その正体は!? 長崎 ・
https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542397410/
ことし8月、長崎県佐世保市の離島、高島で古代史の研究者を驚かせるものが発掘されました。
それは、下半身に比べ上半身が異常に太く、驚くほど“マッチョ”な体型をしていた弥生時代の人骨です。
詳しく調べると、こうしたマッチョ体型の弥生人の人骨は、高島以外にも、長崎県の平戸や五島、そして熊本県の天草など、
九州西北部の複数の島から見つかっていたことがわかりました。
「この集団は、“貝の交易”をやっていた、つまり貝の運び屋だったんじゃないか」(海部さん)
この貝輪、弥生文化が花開いた佐賀や福岡など九州北部の各地で出土しています。
使われているのは「ゴホウラ」という巻き貝。九州近海ではなく、沖縄や奄美大島など南の海だけに生息しています。
1000km以上の距離を、誰がどうやって運んできたのか、これまで大きな謎でした。
■浮かび上がる“貝の交易ルート”
熊本大学で長年、弥生時代の貝の交易について研究してきた木下尚子教授によると、沖縄では、九州との交易のためとみられる
こうしたことを踏まえて、木下教授は、赤い線で示した貝の交易ルートが存在したのではないか、九州北部の権力者に依頼されて
島の人たちが海を渡り、こうした交易拠点をつないでいたのではないかと推測しています。
木下教授は、権力者たちが農耕社会を運営するための「権威の象徴」として貝輪を利用していたと考えています。
「九州北部の弥生人は、貝輪がどうしてもほしいので、高島の人たちに米などの農作物を渡し、一種の経済的な契約をして、
沖縄まで貝を取りに行かせていたのではないか」
この北部九州を海で繋いだ交易路は北部九州一帯に島嶼部を含めた連合国家の存在を想起させるな
邪馬台国と敵対していた狗奴国のある南部九州を避けるルートであったというのも重要
やはり邪馬台国は北部九州で決まりだな 北部九州だけはありえない
何故なら奴国2万戸があったと明確だから
むしろ、日本全国の中で一番ありえない場所 >>574
>その内容の真贋は繰り返すがどうでもいい
どうでもいいのに研究者であることにこだわるのは権威主義なのかい?w
>専門家かどうかを規定するのはどこぞの権威でもないし、
>ましてや名前素性を明かさない匿名掲示板のお前ではない
専門の研究者かどうかは、査読付き論文を定常的に発表しているかどうかで判断されるんだよ
誰かが規定するものじゃない
そんな感覚でいるから、徹頭徹尾、言ってることが的外れなんだよw
九州説はこういう思い込みだけの人が多すぎ
というか、そんなのしかいない >>576
北部九州というか筑紫平野を中心とした北西部から玄界灘を経て壱岐対馬、松浦から平戸、五島列島一帯
五島列島には旧石器時代から人が住んでいたし、島を経て大陸との交流もある
さらに南の奄美とも交流があったとすればかなりの富が集まっていたはずだな
そのそれぞれのクニの代表として邪馬台国があったんだろうな 邪馬台国論争でいつも疑問に思うのだが、当時の中国では何と読まれてたのだ?
中国の古代史学者によると、邪馬臺をはヤメツ、卑弥呼はヒメハと聞いたことがあるのだが
あと古代中国は今と少し文法が違うのか、そもそも決まった文法がないのか
その古代史学者はヤメツ国は「八女の国」、ヒメハは「姫と呼ばれてる人」とも言って九州説を取っていたのだが、
あの意見はどういう扱いなのだろう >>580
>中国の古代史学者によると、
それがどこの誰で、具体的にはなんと言っているにか示さないと意味ないよ
中国の古代史研究家(上海のサラリーマン)かどうかもわからないし 昔の交易路というのは海だったわけだし玄界灘を中心とした海洋国家として考えれば納得がいく
一大率もその為の海の玄関口として伊都国に置かれていたという
貝殻のブレスレットというのは魏志倭人伝の記述にはないが少なくとも大和の文化とは違う >>582
>貝殻のブレスレットというのは魏志倭人伝の記述にはないが少なくとも大和の文化とは違う
魏志倭人伝にないんだったら邪馬台国じゃないってことじゃね?
銅鐸についてはそう言ってるだろ?九州説は?
まあ、卑弥呼の時代には貝殻の釧は銅釧にバージョンアップされてるけどな
そして、銅釧は畿内はもちろん関東まで出てる 陳寿自身が邪馬台国を見ていないとすると
当時の日本列島の情勢とは違う可能性はあるかも。 >貝殻のブレスレットというのは魏志倭人伝の記述にはないが少なくとも大和の文化とは違う
意味がわからない。
貝殻の装飾品って海に面してる国で作らない国あるの? 情報を総合して書いてるから不正確、矛盾は含まれるだろうね当然ながら。 京あったところってそこら辺の畑さえ掘ったら何が出てくるかわからんから迂闊に掘れないんでしょ?
掘った人、場所の管理者が責任も金も負わなきゃいけないんだっけ
進むわけ無いよね発掘なんて 【大分】邪馬台国は筑後川流域?「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」謎に迫る 日田で古代史サミット
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542374845/
「古代史サミット−−光り輝く日田の古代文化」が20〜22日、日田市で開催される。
1933(昭和8)年に同市日高町の3世紀のダンワラ古墳から出土した「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう)」
(国指定重要文化財)=九州国立博物館保管=の謎を軸に、女王卑弥呼が治めた邪馬台国の九州北部説を探るとともに、
福岡県浮羽・朝倉地方から日田にかけての筑後川流域を有力視する古代のロマンを追う。
サミットは、全国邪馬台国連絡協議会や文化庁などによる実行委主催。
20日午後1時から日田市立博物館で特別シンポジウム「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡の謎に迫る!」を開催。
安本美典・元産業能率大教授▽七田忠昭・佐賀城本丸歴史館長▽井上悦文・全邪馬連九州副支部長らが、
金銀象嵌(ぞうがん)が施された国内唯一の出土品で中国の皇帝級が所有する同鉄鏡や古代文化について議論する。
コーディネーターは歴史作家で全邪馬連九州支部長の河村哲夫氏。
さらに、21日午後1時からパトリア日田で井上氏の「日田の古代文化」
▽河村氏の「古代日田のポテンシャル」▽安本氏の「邪馬台国と日田について」のリレー講演。
22日は久津媛神社、鏡坂、吹上遺跡、小迫辻原遺跡など古代の遺跡をバスで巡る。
シンポジウムと講演会参加費(資料代を含む)は1500円で高校生以下は無料。バスツアーは同7000円(昼食代込み)。
井上氏は「九州北部の真ん中の日田は物流や軍事拠点として倭国(邪馬台国)の中でも重要な位置づけだったのではないか」と話す。
毎日新聞 2018年11月15日
https://mainichi.jp/articles/20181115/ddl/k44/040/274000c 所詮、京大と東大の抗争
くだらんよ、まったく
決着をつければどちらかの教授たちの首が飛ぶ
よって永遠に決着はつかせない
いいか、つかせない、この、つかせない、ってのがカギだ この時代の福岡平野と筑紫平野は、海の底から干上がったばかりで
人が住めるような環境じゃないだろう。
糸島は肥前島の東端で筑前ではない。 肥前(佐賀・長崎)の圧倒的な数の支石墓が示すように糸島は肥前文化圏。 奈良の石上神宮に古事記、日本書紀より古い記録があるよ
神代文字だけど まあ神代文字は偽だと言われているけどね
韓国人の金文吉により神代文字の捏造説が唱えられてから 平安時代には、既に記紀は古典になってて
勉強会が開かれてたってのが面白いよな。 >>586
>貝殻の装飾品って海に面してる国で作らない国あるの?
そこらの貝ではなくて、腕輪に使えるような大型の巻貝となると、奄美沖縄くらいまで
行かないと入手できないんだよ
その辺は明らかに、本土4島(北海道を除く)とは異なる南方系の習俗だといえる >>587
>情報を総合して書いてるから不正確、矛盾は含まれるだろうね当然ながら。
その不正確や矛盾を含むという「史料の限界」を一部の九州説の人は認めないって言い張るんだよ
そのせいで、末盧国を通説とは違う呼子に持っていったり、中心国邑ではなく国境を跨いだところが
至で示される場所だとか、無理を言いまくる
魏志倭人伝原理主義に陥っているから、現実の比定地と魏志倭人伝の記述が異なるときには
「現実の方が間違っている」と言い出す本末顛倒
魏志倭人伝原理主義で行程記事は絶対に正しいと言い張る理由は、魏志倭人伝の不正確さを
認めると、「南」だから「東」じゃないと、畿内説を批判できる唯一のポイントを
失うからだってのも、また本末顛倒なんだけどね >>590
>所詮、京大と東大の抗争
>くだらんよ、まったく
>決着をつければどちらかの教授たちの首が飛ぶ
いつの時代の話をしてるんだ?
坂本太郎、井上光貞の両先生以降、東大史学研究室で九州説の研究者はいないぞ
現在は、弥生、古墳時代の研究者もいない
東大でも、畿内説だよ >>594
>592のような嘘つきで馬鹿 米作の最古地はどこだ
現在までの知見では、確認されているので最古は菜畑形跡だな
唐津(末盧国)であって、福岡平野でも筑後平野でもないな ウィキペディアの九州説の提唱者一覧から、現役の研究者がいるかどうか調べた
新井白石、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者 「故人」
白鳥庫吉、邪馬台国北九州説の提唱者 「故人」
田中卓、日本古代史(国史学)が専門だが、天皇についての研究がメインで邪馬台国論争には積極的な言及はない 現在93歳 現役の学者ではない
古田武彦、古田史学の会の元親玉、専門は中世思想史(親鸞)、古代史については研究家 「故人」
鳥越憲三郎、民俗学者 宗教関連の著作が多い 「故人」
若井敏明、59歳で存命中 日本史学者で博士号取得者 ポジションは著作家
栗山周一、昭和初期に卑弥呼=アマテラスを唱えた人 「故人」
黒板勝美、東京帝国大学教授 専門は日本古代史 「故人」
林家友次郎、大正-昭和時代の実業家,仏教学者 「故人」
飯島忠夫、東洋史学者 中国古代史、暦法研究 「故人」
和田清、大正後期から昭和前期にかけての東洋史学者 明清における中国の周辺地域、特に元滅亡後のモンゴルについての研究 「故人」
榎一雄、東洋史学者 東大教授 放射読みの提唱者(現在ではほぼ否定) 「故人」
橋本増吉、邪馬台国問題と日本建国史の研究、中国の天文学暦学の研究 「故人」
植村清二、東洋史学者 「故人」
市村其三郎、「卑弥呼は神功皇后である」 宇佐説 「故人」
坂本太郎、東京大学教授 史学会理事長 「故人」
井上光貞、東京大学教授 日本歴史民族博物館初代館長 仏教思想史、律令制以前の国家 「故人」 森浩一、専門は日本考古学 天皇陵の呼び方を中立的に変えることを提唱 「故人」
中川成夫、歴史考古学の方法と課題の著者 「故人」
谷川健一、日本の民俗学者、地名学者 「故人」
金子武雄、東大教授 国文学者 「故人」
布目順郎、繊維史 吉野ケ里遺跡から出土した繊維を基に弥生人の衣服を鑑定復元 「故人」
安本美典、邪馬台国の会の親玉 古代史研究家 83歳
奥野正男、東アジアの古代文化を考える会会 86歳
このリスト中で、ご存命なのは
田中卓、日本古代史(国史学)が専門だが、天皇についての研究がメインで邪馬台国論争には積極的な言及はない 現在93歳 現役の学者ではない
安本美典、邪馬台国の会の親玉 古代史研究家 83歳
奥野正男、東アジアの古代文化を考える会会 86歳
若井敏明、59歳で存命中 日本史学者で博士号取得者 ポジションは著作家
の4名 田中先生は邪馬台国についての論者ではないし、すでにリタイアされている
安本美典氏については4532で既に書いてあるが、九州だったらいいな説の人と違って面倒くさがらずに何度でも書くよ
「安本美典
日本の心理学者・日本史研究家(古代史)
学者ではなく日本史研究家という肩書
平たくいうと日本史好きの一般人ということ」
奥野正男氏も、ほぼ同じポジション 旧石器捏造事件に関して、犯人以外の考古学会も批判した著書を書いてヒーローになった人
安本、奥野両氏も既に80歳を超えている
まあ現役と言い張りたいなら構わないが、どちらも専門性の高い論文は書いていない「研究家」
結局、いろいろな名前を挙げたけれど、「若井敏明 59歳」のみがこれからも九州説で著書を書いてくれそうな人
ただこの人は、一応博士号は持っているけれど、ポジションは非常勤講師のみで研究者を職業としているというよりは、安本氏と同様に「九州説で一般向けの本を書く人」と思えばいい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています