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一番最初のサウンドクラッシュ
0001No Name No Cry
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2023/07/16(日) 21:58:43.97ID:kpoRMokk
1950年代、

ジャマイカにはすでに、
中で家族四人が
暮らせるくらい
デカいスピーカーがあり、

大陸をまたいで
聞こえるくらい
増音能力のあるアンプが
断崖絶壁のように積み上げられていた。

サウンドシステムは
それぞれの地区の心臓の鼓動だった。

当時のキングストンの
ダウンタウンでは、
全ての若者が
どこかのサウンドのサポーターだった。

ひいきのサウンドシステムの味方につき、
盛り上げるのは
男の沽券にかかわることだった。

それが
地元のため、
友達のため、
自分の名声のため、
だったのである。

1950年代には、
そうする事が
すでに当たり前だったのである。
0002No Name No Cry
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2023/07/17(月) 10:07:10.24ID:JU3/0tei
>>1
大きなスピーカーで
アメリカのR&Bやjazzを
ガンガンに鳴らすのは
1940年代なかばには
店に客を誘い込むためにすでにやっていた。


バカでかい音は店に客を呼び込むのに凄まじい効果があった。

1940年代後半になると
酒を飲むついでの
BGMに音楽を聞くわけじゃなく、

音楽を聞くためだけに
人が集まるようになった。

これは小型のラジオが
普及してなかったからだ。
0003No Name No Cry
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2023/07/18(火) 08:07:36.06ID:h5ua6Ckv
>>2
ジャマイカの人々にとって、

プロが作った音楽を聞く
唯一の方法がサウンドシステムだった。

それが流行って
サウンドシステムそのものが
独立した社会現象となり、

オペレーターやソンマンは
地元の有名人になった。

トム・ザ・グレート・セバスチャン
V・ロケット
ブルースブラスター
サーニックザチャンプ
キングエドワーズ
ユニヴァース

などのサウンドによって
野外ダンスが華々しく行われ、

ダンスは単なる
都市部のエンターテイメントから、
キングストンの中心的存在に進化した。
0004No Name No Cry
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2023/07/18(火) 11:34:50.66ID:h5ua6Ckv
>>3
ダンスは男と女の出会いの場であり

フアッションや流行りをつかむ場であり

情報交換の場であり

政治について語る場であり

商売の場でもあった。
0005No Name No Cry
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2023/07/18(火) 17:56:12.98ID:5L76MSd2
>>4
ディージェイが喋れば、
それはゲットーの
新聞的役割も果たした。

そしてなにより、金が動いた。

地方からゲットーのダンスに来て
飯や酒が売れると結構な金になった。
0006No Name No Cry
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2023/07/18(火) 22:56:24.50ID:h5ua6Ckv
>>5
サウンドシステムには

「生きてて良かった」と

ジャマイカの人々が思える要素がたくさんあった。

星いっぱいのカリブの空の下、

野外の気持ち良い場所で繰り広げられるダンスは、

誰にとっても人生最高の瞬間だった。
0007No Name No Cry
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2023/07/19(水) 11:58:30.46ID:zjwIPk8/
>>6
ジャークチキンの美味しい匂いと

ブーゲンビリアとガンジャの香りが

グルグルと頭の中を渦巻く頃

冷たいビールの瓶を通して

熱いR&Bの

ジャンプアップのビートを感じる。

大きな瞳の娘とクールなステップをキメる。
0008No Name No Cry
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2023/07/20(木) 14:01:36.51ID:ItOGIjGI
>>7
誰だってその空気に圧倒された事だろう。

ダンスの会場を出てしまえば、

いい事なんか何もない。

でもそれは少しも気にならない。

なぜなら、サウンドシステムでの

あの瞬間さえあれば

全てが手に入ったのだから。
0009No Name No Cry
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2023/07/20(木) 23:18:17.95ID:moDSb5YU
おもしろいです
0010No Name No Cry
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2023/07/21(金) 14:45:29.72ID:jfh3dLsT
>>8
ダンスは単に楽しいだけのものでは無い。

文化的に正しく言うと

こういったサウンドシステムのダンスこそが

ジャマイカを変えてしまった。

この島とそれ以外の世界との

関わり方を永遠に変えてしまった。

ジャマイカが生み出すものの中で

最も鮮烈で、もっとも価値が高く

いまだ無尽蔵と思われる輸出品は、音楽だ。
0011No Name No Cry
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2023/07/21(金) 23:06:21.60ID:DchZktUy
>>10
その音楽はもともとは

サウンドシステムが輸入した

アメリカのR&B

それが途切れることなく

ジャマイカ中に流れていたおかげで誕生した。

1950年代半ば、

サウンドシステムの普及によって、

ジャマイカは国を挙げての音楽狂となった。

そして非常に重要な何かが、まもなく起こる。
0012No Name No Cry
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2023/07/22(土) 11:33:10.29ID:UToi9ayO
>>11
デリックハリオットは

目を輝かせながら語った

「音楽だよ。本当にあっという間に広まった。ただし、ある種の人々の間だけでね。それはいつもダウンタウンティングだった。」

「でも、ただ音楽を聴くだけじゃない。機材が恐ろしくパワフルでヴァイブがものすごかったから、俺たちは音楽を感じられたんだ。」
0013No Name No Cry
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2023/07/22(土) 19:54:42.84ID:UToi9ayO
>>12
「 ダンスをしていると、自分が本当に音楽の1部だと思えてくる。これは俺たちのものだ!ってね。」


「だから、俺たちの多くが、音楽のために何かをしたいという気持ちになった。」


「調べてみればすぐに分かるよ。最初にあの音楽を作り出したジャマイカのミュージシャンは、誰もが当時のサウンドシステムの常連客さ。」


「骨の髄までダンスに浸って、俺達ジャマイカ人がどんなに良い音楽を愛するかを、身をもって感じてきた連中だよ。」
0014No Name No Cry
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2023/07/23(日) 06:19:04.49ID:Y39HUoz3
>>13
「彼らがサウンドシステムにどれほどの影響を受けたかは、簡単にわかる。」


「サウンドシステムがとてつもなく強いインパクトを与えたその5年後には、たくさんの若者が自分の手で音楽を作りたいと思うようになっていたからね。」


「そして60年代の初めには、キングストンと言う街の大きさからすれば、はるかに多い量の音楽が作られた」

そうデリックハリオットは語った。
0015No Name No Cry
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2023/07/23(日) 12:03:02.93ID:ilCiInqg
>>14
1950年代に一般に普及し始めたラジオでは

安全な当たり障りのない音楽が流れた。


しかし、土曜の夜を楽しむために

ダンスにやってくるのは

倒れるまで踊りたいゲットーの人々だ。


心意気あるサウンドマンは

ラジオ局が流しているような

陳腐なレコードを決して使わなかった。

炎のように暑いR&B

メレンゲ

ラテンジャズ

淫らな言葉でいっぱいのメント

ディープなバラードなど

活気がある、魂がこもったナンバーだけを

ターンテーブルにのせた。
0016No Name No Cry
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2023/07/23(日) 17:57:49.55ID:ErTRFpZ9
>>15
ジャマイカのラジオ局は、さも当然の事のように、

どんなにダンスで人気のある曲でも、

サウンドシステムで流れている音楽の領域には手を出そうとしなかった。

当時のラジオ局は「品の良さ」を大切にし、

ワイルドすぎるもの、つまり「黒人っぽいもの」を野蛮だと見下す中流階級によって管理されていたからである。
0017No Name No Cry
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2023/07/24(月) 07:27:58.92ID:hx8HP2Np
>>16
当時のサウンドマンたちの悩みは


ダンスの現場でヒット曲が生まれると


どこのサウンドも同じレコードを持つようになるという点だ。


ダンスという恐ろしくプレッシャーのかかる勝負の場で


サウンドマンがライヴァルに対して


ここ1番の武器(キラーチューン)として使ったのは


タイトルさえわからない


他の誰も決して持っていないレコードだった。
0018No Name No Cry
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2023/07/24(月) 18:30:46.60ID:HKlAQmWu
>>17
ジャマイカのダンスは非常に純粋で


原始的なレアグルーヴの現場だ。


そこは、他には誰も持っていない、


世界に未だ知られていない曲かどうかが


大切な判断基準となる世界だった。


もちろんお客は素直に曲に反応した。


ダンスに行く大きな楽しみの一つは、


この狂ったような大盛り上がりの渦の中に


参加する事である。
0019No Name No Cry
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2023/07/25(火) 07:13:45.89ID:thUEi/yC
>>18
エクスクルーシヴなレコードや往年の名曲は


大歓声で迎えられ、人々は身を投げ入れて弾けたように踊り出した。


場を爆発的に盛り上げた曲が終わりかかると、


「Lick it back! (もう一回鳴らせ!)」


「Wheel and come again!(最初からもう一度!)」


といった声が、たくさんの弾丸が一度に発射されたかのように沸き起こる。
0020No Name No Cry
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2023/07/25(火) 12:08:42.28ID:thUEi/yC
>>19
同じ曲が一晩に何十回もターンテーブルにのせられた。


レコードがまずくて気に入らない時もお客は騒ぎ出した。


ブーイングでレコードの音が聞き取れないほどになる。


そうなると、オペレーターはレコードを交換しなければならない。しかも大急ぎで、だ。


レコードの交換そのものが離れ技の曲芸のようだった。


なにしろ当時のサウンドマンはターンテーブルを1台しか使っていなかったのだ。
0021No Name No Cry
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2023/07/25(火) 17:07:51.81ID:thUEi/yC
>>20
その早技はこんな具合だ。


利き手の中指と小指と手のひらで


次にかけるレコードBを挟み


もう一方の手で


お客を怒らせてしまったレコードAから針をあげ


Bを持っている方の手の親指を使って


ターンテーブルからAを払いのけるのとほぼ同時に


中指でターンテーブルの真ん中の芯にBを突き刺す。

手首をピシッ!と一振りする間に


この一連の動作を行う事ができれば


次の曲がつつがなく流れだす。
0022No Name No Cry
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2023/07/26(水) 09:25:15.34ID:w61dfw7t
>>21
サウンドシステムのディージェイとお客の間には


ディスコとかナイトクラブのそれとは違う


密接な関係があった。


素晴らしいダンスは集団体験の場だ。


ディージェイとお客はお互いを認め合い


高く評価しあっていた。


お客は、お気に入りの曲や


そのサウンドでなければ聴けない曲が流れると


声を張り上げて歌って曲に参加した。


オペレーターはお客に


心ゆくまで歌ってもらえるように


コーラスのヴォリュームを下げるのが常だった。
0023No Name No Cry
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2023/07/27(木) 07:46:58.04ID:U2UQtmYa
>>22
地域一帯に響き渡るお客の歌声はサウンドシステムの人気を示すバロメーターだった。


お客の反応はサウンドマンたちのエネルギーの源だったが、


盛り上げてもらったお返しに、彼らはその評判を裏切らないように精進し続けなければならない。


サウンドとお客の間のギブアンドテイクが、優れたサウンドマンとサウンドシステムを育てた。


お客の純粋な反応のお陰でディージェイは人々とごく近い距離に居続けた。


結果、サウンドシステムではラジオなどとは違い、常に精選された人気ナンバーが流れた。
0024No Name No Cry
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2023/07/28(金) 22:26:57.81ID:TwQuVTGG
続き
0025No Name No Cry
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2023/07/29(土) 12:22:50.27ID:uKXtK1M7
>>23
あるレコードが人気になれば、寿命が来るまでその曲をプレイし、


一方で次の「当たり」レコードを探し始める。


本質的に人気のレコードは寿命の短いものだった。


同じお客が次にどんな曲を求めるかを予測し、


繰り上げ繰り上げで同じ程度のキラーチューンを探し当てることこそ、ディージェイにとっての試練だった。
0026No Name No Cry
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2023/07/29(土) 12:24:57.48ID:uKXtK1M7
>>25
留まる事なく進み続けることがお客の興味を惹きつけ続ける唯一の方法であり、


サウンドマンとしてのキャリアを積み上げる唯一の手段だったのだ。


このような背景があったため、ダンスはレコードだけでなく、新しい音楽スタイルを試す場となった。


こうしてゲットーの人々は、物事が発展してゆく様子を1番間近で目の当たりにしてゆくことになる。


今日のジャマイカ音楽にあるものは全て、


これら初期のサウンドシステムの中にさかのぼる事ができる。
0027No Name No Cry
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2023/07/29(土) 18:36:16.13ID:DTZJ9ckQ
>>26
このころジャマイカは1957年頃までとても景気が良かった。


欧米人のオシャレなリゾート地という市場ができ、


そして他の先進国では飛行機をたくさん作る時代になったためアルミがいるようになった。


ジャマイカではアルミの主原料のボーキサイトが大量に取れたのだ。


そしてこの頃、労働者の大量国外移動(これをエクソダスと呼ぶ)があり、


ジャマイカ国民の10分の1もがそれぞれUK、カナダ、北米の三ヶ国に移住した。


植民地ということもありUKやカナダに移り住む事に受け入れ制限がなかった。


そして人が減った分、ジャマイカ国内では雇用が安定した。
0028No Name No Cry
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2023/07/30(日) 12:54:04.11ID:bZCt0zYT
>>27
しかし、これら良い状況の影には不吉なものが潜んでいた。


国全体としては経済は拡大していたが、社会の下層部は酷い状態だった、


貧富の差はどんどん激しくなり、さらにボーキサイト発掘のため立ち退きを命じられた農家の人々がキングストンに大量に流入した。


既に過密だったダウンタウンのスラムは拡大し、コンクリート制の排水溝や下水溝の周囲に不法住居者のキャンプが雨後の筍のように出没した。


トレンチタウンの名は、その下水溝からきている(英語では深くて細長い下水溝をトレンチという)。


ウェストキングストンの貧しさはまさに「絶望的な貧しさ」だった。


あぶく銭ではないお金を持っていた中流階級や地主たちがブルーマウンテンのふもとに、


高い白漆喰の壁とセキュリティに守られた豪華な大邸宅を建てて丘の上へ上へと住み始めたのはちょうどこの頃である。


ジャマイカという一つの国の中に、地理的にも社会的にも完全に上下に分かれた二つの国が存在していた。
0029No Name No Cry
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2023/07/31(月) 12:11:07.65ID:8GMkWA1M
>>28
当時を記憶している年配のジャマイカ人は、ゲットーの住民がいかに「疎外されている感じ」を味わっていたかを話してくれる。


そしてその孤独感ゆえに、ゲットーの人々は、何事についても「俺たちは俺たちにしかないものを持っている」という思いやプライドを強めていった。


その一つがサウンドシステムだった。


このように1950年代が進むにつれて、文字通りサウンドシステムは急激に発展して行く。
0030No Name No Cry
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2023/07/31(月) 12:18:49.11ID:8GMkWA1M
>>29
この音楽は、最も下層部にいて様々なプレッシャーや苦難に喘ぐ人々の気持ちを高揚させるものだった。


そして、そこでラテンやメント以上に聴かれるようになったのは、


マイアミやニューオーリンズやニューヨークの黒人社会から船で運び込まれてきた、加工されていない、


スラムで愛されていた「ファンク」だった。


偉大なブルーズ歌手だったワイノニーハリスはジャマイカ人の記憶に強く残るアーティストで、彼のアメリカでのヒット曲
「Blood Shot Eyes」
は1951年からの2年間、


サウンドマンによってターンテーブルにのせられ続けていた。


Wynonie Harris - Blood Shot Eyes
https://youtu.be/R_3OGnfiUVQ
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2023/07/31(月) 19:36:46.36ID:8GMkWA1M
>>30
セカンドクラスのサウンドマンはアメリカまでレコードを買い付けに行くのは困難だった。


そのようなサウンドは商船の船員や移住した労働者が副収入を得ようとして持ち込むレコードを仕入れてダンスでかけていた。


オフィシャルなレコード屋もあったが、そこではみんなが手にいれられるような曲ばかりでキラーチューンは手に入らなかった。


アメリカからレコードを仕入れてきたフリーランスのバイヤーは地元のひしめき合うサウンドマン達にレコードを売る。


このため船で運ばれてきたばかりのレコードは波止場で商談が行われた。


レコードの売買は、騒々しい物々交換や言い争いに終わる事も多々あった。
0032No Name No Cry
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2023/08/01(火) 10:39:55.85ID:TjHZRya2
>>31
アメリカ製のシングル盤は、
島で生産されるラム、
良質の葉巻、
コーヒー、ガンジャ、
あるいは女性(と過ごす時間)


などの魅力的な商品と交換されていた。


その都合上、キングストンで最も有名な売春宿でダンスを催す人気サウンドシステムさえあった。
0033No Name No Cry
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2023/08/01(火) 11:01:01.49ID:TjHZRya2
>>32
ホットな新曲が届くと、「船で到着したばかりのホヤホヤの新曲」である事を彼らは誇大に宣伝した。


人気ディージェイはプライドが高く、自ら船まで出向く事はない。


代わりに子分が波止場に行った。


子分は太陽の光を避けて座り、お目当ての船が到着するのをじっと待った。


次に予め決められていた商品を受け取り、親分の元まで自転車で超特急で運ぶ。


それ自体が素晴らしいパフォーマンスになっていて、多くの人がその様子を目撃して、


「あっこのサウンドは今日新曲いっぱいかかるらしい!」と期待に胸を膨らませていた。
0034No Name No Cry
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2023/08/02(水) 22:42:31.64ID:bpJnw/So
>>33
0035No Name No Cry
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2023/08/02(水) 22:53:23.94ID:bpJnw/So
>>33
ジャマイカに到着したR&Bなどのレコードはいつリリースされたとかは重要ではなく、


肝心なのはそのレコードを他のどのサウンドも持ってないという事が重要だった。


その当時サウンドマンにとって最も重要な小道具の一つが「硬貨」だった。


彼らは硬貨の縁を使ってレコードのレーベルに印刷されている情報を全て削り取った。


しかも、入手するなり素早く削り取った。


レコードのクレジットを知るために、企業スパイからサウンドシステムのスタッフの収賄まであらゆる手段が尽くされるほど、


クレジットの内容は手に入れたい情報だった。
0037No Name No Cry
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2023/08/03(木) 14:58:29.37ID:nE3dUmg8
>>35
事実、キラーチューンの本当のタイトルを知っている者の数を少なくすればするほど、


他のライバルが同じレコードを持つ確率は低くなった。


レコードの本来のレーベルは引っ掻き消され、それら「匿名」の新曲にはその曲をプレイしているサウンドマンや、


サウンドシステムを称えるような、新たな名前がつけられた。
0038No Name No Cry
垢版 |
2023/08/04(金) 22:08:21.83ID:VrtgqGNf
>>37
そのようにアメリカからレコードを輸入し続けていたが、


次第にアメリカの音楽がロックンロールに変化していった。


ジャマイカ人はロックンロールがあんまりお気に召さなかったようで、あまり流行らなかった。


サウンドマンたちは今までかけていたような曲がリリースされなくなってきてからも、


古いレコードを探し何年もファンクをプレイし続けた。


しかしそのうちに限界がきて、他にダンスでかける代替品をさがさなければいけなくなった。


そして、それは実は自分たちの島の中にあったって事が間も無く明らかになる。
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垢版 |
2023/08/06(日) 07:18:43.56ID:P/0Xup7P
>>38
1950年代の中頃


サウンドマンがレコード探しに夢中になっている頃、


ジャマイカの劇場では新人タレントコンテストのようなものが沢山ひらかれるようになってた。


植民地時代に建てられていた派手な建物が残っており、そこが劇場として使われていた。


キングストンの人たちはサウンドシステムにハマったおかげで、


音楽に貢献したいという気持ちが強くなっていたようで、


自分でも音楽をしたいという若者が沢山現れた。


日々開かれているコンテストは、それぞれ自分の色んなパフォーマンスを見せるコンテストという建前だったが、


実際は歌が歌える人間を発掘するオーディションみたいなものだった。
0040No Name No Cry
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2023/08/06(日) 15:20:20.66ID:P/0Xup7P
>>39
コンテストに出る素人たちは若者が多く、中には学校に通ってる小さい子もいた。


ゲットーの人たちは週一で開催されるそのショーが、かなり楽しみだったようで、夜8時開演なのにもかかわらず、夕方4時から行列ができていた。


客は相当に荒っぽい客ばっかりで、その様子はイライラして怒りっぽくなってるライオンの前に、聖人が1人で立っているようなものだった。


参加者の歌が気に食わないと即、大声でヤジ、罵倒がとんできた。
0041No Name No Cry
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2023/08/08(火) 14:32:31.35ID:N3IQNm4C
>>40
そこで勝ち抜くと賞金がもらえた。
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