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一番最初のサウンドクラッシュ
0001No Name No Cry
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2023/07/16(日) 21:58:43.97ID:kpoRMokk
1950年代、

ジャマイカにはすでに、
中で家族四人が
暮らせるくらい
デカいスピーカーがあり、

大陸をまたいで
聞こえるくらい
増音能力のあるアンプが
断崖絶壁のように積み上げられていた。

サウンドシステムは
それぞれの地区の心臓の鼓動だった。

当時のキングストンの
ダウンタウンでは、
全ての若者が
どこかのサウンドのサポーターだった。

ひいきのサウンドシステムの味方につき、
盛り上げるのは
男の沽券にかかわることだった。

それが
地元のため、
友達のため、
自分の名声のため、
だったのである。

1950年代には、
そうする事が
すでに当たり前だったのである。
0042No Name No Cry
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2023/08/08(火) 17:28:14.37ID:dSptxrLb
>>41
みな仲間を連れてきたり観客に賄賂を渡したり、


バイアスだらけなショーでもあった。
0043No Name No Cry
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2023/08/08(火) 17:34:22.59ID:dSptxrLb
>>42
バイアスがなくても誰かが優勝したら、その人の所に行き


「俺が応援したから勝てたんだ」といって賞金の分前を請求する。
0044No Name No Cry
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2023/08/08(火) 17:37:09.65ID:dSptxrLb
>>43
デリックハリオットは2位になった際、2ポンドの賞金をもらったが


全然会ったこともない人たちに囲まれ、半分持っていかれたと語っている。
0045No Name No Cry
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2023/08/08(火) 18:08:35.54ID:dSptxrLb
>>44
けれど競争が相当に激しかった事もあり、


そのコンテストに出る人の水準は相当高く、


さらに勝ち残って行った人はズバ抜けて上手い人ばっかりが残った。
0046No Name No Cry
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2023/08/08(火) 21:20:35.76ID:dSptxrLb
>>45
デリックハリオット
ボブアンディ
デズモンドデッカー
ウェイラーズ
アルトンエリス
ジョンホルト

みんなそのコンテスト出身者だった。
0047No Name No Cry
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2023/08/08(火) 22:03:15.19ID:dSptxrLb
>>46
しかし、そのコンテストで優勝しても地元のクラブで


雇いの歌手として歌えるくらいで、


なれたとしても報酬は知れたものだった。
0048No Name No Cry
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2023/08/08(火) 22:04:36.68ID:dSptxrLb
>>47
多くのゲットーの若者が貧困から抜け出そうとシンガーを夢見たが


1950年代のジャマイカには自分たちの歌を録音して売るとかいう発想がなかった。
0049No Name No Cry
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2023/08/08(火) 22:06:21.82ID:dSptxrLb
>>48
しかし、大きな変化がまもなく起きようとしていた。
0050No Name No Cry
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2023/08/09(水) 12:44:28.32ID:3wgHmW0G
>>49
1950年代に入るまでターンテーブルやレコードは一般家庭にあまり普及してなかった。

録音スタジオなどは多少あったが、カリプソやメントを少しだけ録音して観光土産として旅行客が買って帰るレコードを作るくらいだった。
0051No Name No Cry
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2023/08/09(水) 12:45:53.76ID:3wgHmW0G
>>50
しかし第二次世界大戦後、アメリカのレコード会社がカリブ海に市場を広げようとジャマイカにある数少ないレコード会社と提携してジャマイカ国内でレコード売るようになった。
0052No Name No Cry
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2023/08/09(水) 12:49:23.80ID:3wgHmW0G
>>51
ケン・クォーリーという人はアメリカのレコード会社と提携した年に、レコーディング機材を仕入れてスタジオを始めた。
0053No Name No Cry
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2023/08/09(水) 20:59:56.44ID:3wgHmW0G
>>52
しかし何人かいたスタジオのオーナーたちは、アップタウンの人間だったため、

「ゲットーの素晴らしい音楽を録音してレコードにしてダンスでボスさせたい」などという気持ちはなく、
0054No Name No Cry
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2023/08/09(水) 21:01:23.79ID:3wgHmW0G
>>53
音楽を作る事に対してやる気があるわけでもなく、スタジオでレコーディングして使用代を払ってくれさえすればなんでもいい。というスタンスだった。
0055No Name No Cry
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2023/08/09(水) 21:04:49.97ID:3wgHmW0G
>>54
しかし、それが逆にゲットーのヤル気に満ち溢れたコンテスト出身のスター達には都合が良かった。
0056No Name No Cry
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2023/08/09(水) 21:08:46.42ID:3wgHmW0G
>>55
コンテストに出ていた歌い手たちはスタジオに群がった。
0057No Name No Cry
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2023/08/10(木) 09:01:32.18ID:2d1BcCTH
>>56
スタジオ代には
レコード一枚カットする料金、
ピアノを弾いてくれる料金、
コーラスやってくれる料金が含まれてた。

ちょっとお金があれば誰でも、レコードが作れた。
0058No Name No Cry
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2023/08/11(金) 15:31:23.95ID:UhW/7O7D
>>57
ゲットーの音楽シーンに精通しているこの若いアーティストたちは、当然サウンドシステムのダンスに出入りしていることもあり、

サウンドマン達がが常にオリジナルな音源を探しているのを良く知ってた。
0059No Name No Cry
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2023/08/21(月) 02:15:13.43ID:/zJdr+Cu
良スレ
0060No Name No Cry
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2023/08/22(火) 19:20:22.09ID:UbTDUtor
>>58
若いアーティスト達はコンテストでゲットーの人達をボスさせてすでに才能は実証されている。

なので自分が歌って作ったレコードに価値がある事を知っていた。
0061No Name No Cry
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2023/09/05(火) 16:31:36.80ID:f64XLAqi
終わりかな?
良かったけど
0062No Name No Cry
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2023/09/11(月) 19:25:31.07ID:hnx6DI5w
>>60
タレントコンテストで名が知られるようになったアーティストは、賞金の一部を投資して、

「これだ!」という一枚を録音し、地元の小さなサウンドシステムをまわり、1番高い値段で買ってくれる所に作品を買い上げてもらった。
0063No Name No Cry
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2023/09/12(火) 07:13:41.06ID:Si40FyGl
>>62
ダンスの現場での直接取引もおこなわれた。

自分のレコードをダンスに持ってゆき、かけてもらってお客を揺らす事ができたら、5ポンド前後(おそらく1000円くらい)でレコードを買い取ってもらう。

もし曲がウケない場合は、アーティストはすごすごと家へ帰り、地元の人がこの恥ずかしい出来事を忘れるまでベッドに潜り込んでいるしかない。
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2023/09/12(火) 12:52:44.62ID:XivkEkRr
>>63
その代わり一度レコードが売れたら客の盛り上がり具合で次のレコードの買い取り値段が決められた。

そして売れたお金で次のレコードを作るスタジオ代にした。


この取引は小さなサウンドにとって相当重要な事になった。
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2023/09/12(火) 18:53:31.63ID:Si40FyGl
>>64
今までは弱小サウンドはビックサウンドのおこぼれの残り物レコードしか手に入れられなかった。


特別なキラーチューンを手に入れる事は本当に難しかった。


ところがコンテスト出身のジャマイカの若手アーティストが持ち込むお手製レコードは、作成の都合上、一枚しかカット出来ない。


つまり若手アーティストがイイ曲を作ってその一枚を買うことができれば、


その一枚はそのサウンドしか持ってない大きな武器になった。
0066No Name No Cry
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2023/09/13(水) 08:43:56.12ID:MvvAtZNO
>>65
ゲットーにはゲットーの序列や階級があった。


さらに、ジャマイカ全体に、「ジャマイカで生まれ育ったものを軽視する風潮」があった。


このような状況だったため、大きなサウンドやオペレーターが純粋なキングストン産のレコードを見下したとしても仕方が無いだろう。
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2023/09/13(水) 21:22:16.14ID:MvvAtZNO
>>66
ビッグになったオペレーターはあまりに偉くなりすぎたせいか、いちいち地元のシンガー志望の男の子達に構ってる暇などなく、


外国のレコードを買い付けるのに忙しかった。
0068No Name No Cry
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2023/09/14(木) 08:00:43.06ID:q/5coNbT
>>67
そのためコンテスト出身のシンガー達はどんなに限りない可能性を秘めていても、


すでに人気あることが実証されていても、


地元の有名人以上になることはなかった。
0069No Name No Cry
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2023/09/14(木) 14:01:28.62ID:eK1xR0NK
>>68
彼らの出来たてホヤホヤのレコードはすぐそこにあったのに、ビッグサウンドは決して自らそれを探し求めることはなかったのである。


しかし、ビッグサウンドが全然かけないにもかかわらず、次第にその純粋なキングストン産の音楽がサウンドシステム産業の中で絶対不可欠な要素となってゆく。
0070No Name No Cry
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2023/09/14(木) 15:29:41.24ID:n5upeT0J
1950年代、

ジャマイカにはすでに、
中で家族四人が
暮らせるくらい
デカいスピーカーがあり、



なんなんだ、その貧乏くさい始まりは
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2023/09/15(金) 07:18:49.16ID:TZbIkHlZ
>>69
1960年代に入ると一つ階段を上るような変化が訪れた。


今までのサウンドシステムにやられ、自分もサウンドをやりたいと始めた、次世代オペレーター、次世代サウンドが育ち始めていたのである。


サウンドマンの第二世代はほとんどが20代に入ったばかりの若者だった。
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2023/09/15(金) 12:27:28.63ID:LTE8a0Zv
>>72
彼らは「骨の髄までシビレさせてくれるサウンドシステムがなければ、キングストンでは生きていけない」という考えと共に育ってきた世代だ。


ダンスとは何かを伝える努力をする必要も、サウンドシステムという文化を流行らせる必要もなかった。


もうすでに土台はできていた。
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2023/09/15(金) 18:39:01.99ID:TZbIkHlZ
>>73
だからおかげで、社会的、商業的イベントとしてのサウンドシステムに磨きをかけ、その可能性を限りなく大きくする事に集中できた。


ニューウェイブともいえる第二世代の代表格は、


デュークリード
コクソンドッド
プリンスバスター

の三人である。
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2023/09/16(土) 08:51:25.39ID:oZ11reRs
>>74
彼らはサウンドシステムという文化を本のページをめくるように静々と伝えたというよりは、そのシーンにマッチで火をつけて燃え上がらせたと言った方がいいだろう。
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2023/09/16(土) 19:29:11.13ID:oZ11reRs
>>75
トレジャーアイルのデュークリード
スタジオワンのコクソンドッド
伝説のアーティスト、プリンスバスター

三人の関係の一時にスポットをあてて書くと、

デュークリードとコクソンドッドはライバルであり、

プリンスバスターはコクソンドッドの用心棒だった。
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2023/09/17(日) 14:36:51.84ID:MMZbctZk
>>76
この三人には他の誰よりもジャマイカの音楽の道筋をつけた者としての責任がある。
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2023/09/17(日) 21:12:22.20ID:HSNRtNBx
>>77
コクソンドッドはちっちゃい頃からサウンドをやりたいと思っていた。


コクソンドッドのお母さんは酒屋&居酒屋さんをやっていて、コクソンは酒飲みにきた客に自分の好きなJazzのレコードを聞かせたりしていた。
0079No Name No Cry
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2023/09/18(月) 09:28:57.36ID:oq+7wMco
>>78
コクソンは次第に「音楽をわかってる奴」
という評判を得ていった。
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2023/09/18(月) 19:43:19.36ID:oq+7wMco
>>79
だがお母さんはそんな息子の事を心配して、しっかり自分で食べていけるように、大工の技術を学ばせた。

ジャマイカといえどやはり自分の子供が音楽を仕事にするというのは親にとって不安な事だったのだろう。
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2023/09/19(火) 09:54:55.48ID:bZt427VY
>>80
しかし、まっとうな仕事について欲しいというお母さんの思いどおりにはいかなかった。

大工職人のコクソンは地元のダンスにいくうちにスピーカーキャビネット(サウンドシステムのスピーカーの木でできた箱の部分)の作成を依頼されるようになった。
0082No Name No Cry
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2023/09/20(水) 13:33:31.21ID:BolqK7F4
>>81
その後、給料の良いアメリカのさとうきび刈りのバイトをしにアメリカとジャマイカを行き来するようになった。

すると地元のサウンドマンたちはコクソンの耳を信用してレコードの買い付けや機材の買い付けを頼むようになった。
0084No Name No Cry
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2023/11/20(月) 05:53:46.32ID:LJbx+nZj
>>82
コクソンが「どうせやるなら自分のためにやるほうがいい」と思い始めるのにそう長くはかからなかった。

そしてサウンド、

Sir Coxson's "Down Beat"
(サー コクソンズ ダウンビート)

を立ち上げた。
0085No Name No Cry
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2023/11/21(火) 08:57:24.29ID:4lpiuqSV
おもろい
センスありすぎ
0086No Name No Cry
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2023/11/21(火) 08:57:37.30ID:d0VfV71I
おもろい
センスありすぎ
0087No Name No Cry
垢版 |
2023/11/21(火) 08:57:38.39ID:d0VfV71I
おもろい
センスありすぎ
0088No Name No Cry
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2023/11/21(火) 11:34:33.02ID:Z+DaoawF
>>84
コクソンは当初JAZZをプレイしていたが、新しいレコードを紹介するセンスも抜群だった。

ダウンビートのクルーには親友のブラッキーという男がいて、元々プロのタップダンサーだった。

コクソンとブラッキーは協力して「コクソンが新曲を流すとブラッキーがニューダンスを踊る」といった具合にダンスを演出した。
0089No Name No Cry
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2023/11/23(木) 12:01:49.30ID:bPCdwmy+
>>88
次々に他のサウンドからもお客が流れてきて、ダウンビートのお客は新しい曲を聞くだけでなく新しいダンスを楽しみにするようになった。

こうしてコクソンのダウンビート サウンドは突如としてシーンに旋風を巻き起こした。
0090No Name No Cry
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2023/11/29(水) 06:26:37.83ID:gJ5KwS3T
>>89
もちろん人気になった理由はそれだけじゃなかった。

ダウンビートのスピーカーが放つ音がコクソンを勝ち上がらせたのは間違いない。
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2024/02/28(水) 23:36:58.66ID:HA2NeJXg
続き気になるやんけ
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