■■■■■ アンパンマン総合スレッド ■■■■■
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比喩談としてこれほどの傑作は、西洋には一つもないであらうと思ふ。 の中の一百八人の豪傑の名前を悉く諳記してゐたことがある。 その時分でも押川春浪氏の冒険小説や何かよりもこの「水滸伝」 の中にあるやうな「トルストイ、坪内士行、大町桂月」 中学を卒業してから色んな本を読んだけれども、特に愛読した本といふものはないが、概して云ふと、ワイルドとかゴーチエとかいふやうな絢爛とした小説が好きであつた。 それは僕の気質からも来てゐるであらうけれども、一つは慥かに日本の自然主義的な小説に厭きた反動であらうと思ふ。 ところが、高等学校を卒業する前後から、どういふものか趣味や物の見方に大きな曲折が起つて、前に言つたワイルドとかゴーチエとかといふ作家のものがひどくいやになつた。 その時分の僕の心持からいふと、ミケエロ・アンヂエロ風な力を持つてゐない芸術はすべて瓦礫のやうに感じられた。 さういふ心持が大学を卒業する後までも続いたが、段々燃えるやうな力の崇拝もうすらいで、一年前から静かな力のある書物に最も心を惹かれるやうになつてゐる。 但、静かなと言つてもたゞ静かだけでも力のないものには余り興味がない。 スタンダールやメリメエや日本物で西鶴などの小説はこの点で今の僕には面白くもあり、又ためにもなる本である。 序ながら附け加へておくが、此間「ジヤンクリストフ」 あの時分の本はだめなのかと思つたが、「アンナカレニナ」 を出して二三章読んで見たら、これは昔のやうに有難い気がした。 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。 彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑はなかつた。 中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。 が、学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さうは我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。 そこで彼女は創作を始める前に、まづ世間の習慣通り、縁談からきめてかかるべく余儀なくされた。 彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ずる意志があるらしかつた。 信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。 それが互に文学と云ふ共通の話題が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。 唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬意を表さなかつた。 さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。 かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時々万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。 が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来ないものを感じない訳には行かなかつた。 だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。 彼等三人は行きも返りも、気兼ねなく笑つたり話したりした。 が、妹の照子だけは、時々話の圏外へ置きざりにされる事もあつた。 それでも照子は子供らしく、飾窓の中のパラソルや絹のシヨオルを覗き歩いて、格別閑却された事を不平に思つてもゐないらしかつた。 信子はしかしそれに気がつくと、必話頭を転換して、すぐに又元の通り妹にも口をきかせようとした。 その癖まづ照子を忘れるものは、何時も信子自身であつた。 俊吉はすべてに無頓着なのか、不相変気の利いた冗談ばかり投げつけながら、目まぐるしい往来の人通りの中を、大股にゆつくり歩いて行つた。…… 信子と従兄との間がらは、勿論誰の眼に見ても、来るべき彼等の結婚を予想させるのに十分であつた。 同窓たちは彼女の未来をてんでに羨んだり妬んだりした。 殊に俊吉を知らないものは、(滑稽と云ふより外はないが、) 信子も亦一方では彼等の推測を打ち消しながら、他方ではその確な事をそれとなく故意に仄かせたりした。 従つて同窓たちの頭の中には、彼等が学校を出るまでの間に、何時か彼女と俊吉との姿が、恰も新婦新郎の写真の如く、一しよにはつきり焼きつけられてゐた。 所が学校を卒業すると、信子は彼等の予期に反して、大阪の或商事会社へ近頃勤務する事になつた、高商出身の青年と、突然結婚してしまつた。 さうして式後二三日してから、新夫と一しよに勤め先きの大阪へ向けて立つてしまつた。 その時中央停車場へ見送りに行つたものの話によると、信子は何時もと変りなく、晴れ晴れした微笑を浮べながら、ともすれば涙を落し勝ちな妹の照子をいろいろと慰めてゐたと云ふ事であつた。 其間も彼女は、溢るゝ許りの愛情の微笑をもらして、わしをぢつと見戍つてゐるのである。 その不思議がる心の中には、妙に嬉しい感情と、前とは全然違つた意味で妬ましい感情とが交つてゐた。 或者は彼女を信頼して、すべてを母親の意志に帰した。 此時わしは僧院長セラピオンの忠告もわしの服してゐる神聖な職務も悉く忘れてしまつた。 又或ものは彼女を疑つて、心がはりがしたとも云ひふらした。 わしは何の抵抗もせずに、一撃されて堕落に陥つてしまつたのである。 が、それらの解釈が結局想像に過ぎない事は、彼等自身さへ知らない訳ではなかつた。 クラリモンドの皮膚の新たな冷さはわしの皮膚に滲み入つて、わしが淫慾のをのゝきが、全身を通ふのを感ぜずにはゐられなかつた。 わしが後に見た凡ての事があるのにも拘らず、わしは今も猶彼女が悪魔だとは殆ど信じる事が出来ない。 彼等はその後暫くの間、よるとさはると重大らしく、必この疑問を話題にした。 悪女がこの様に巧に其爪と角とを隠した事は、嘗て無かつた事に相違ない。 彼女は床をあげて寝台の縁に坐りながら、しどけない媚に満ちた姿をして、時々小さな手をわしの髪の中に入れては、どうしたらわしの顔に似合ふかを見るやうに、わしの髪を撚つたり捲いたりしてゐるのである。 わしが、罪障の深い悦楽に酔つて、彼女の手にわしの体を任せると、彼女は又、其やさしい戯れと共に、楽しげに種々な物語をしてくれる。 信子はその間に大阪の郊外へ、幸福なるべき新家庭をつくつた。 しかも最も驚くべき事は、わしが此様な不思議な出来事に際会しながら何等の驚異をも感じなかつたと云ふ事である。 丁度夢の中では人がどの様な空想的な事件でも、単なる事実として受入れるやうに、わしにも、是等の事情は全く自然であるが如くに思はれたのである。 「貴方に会はないずつと前から私は貴方を愛してゐてよ。 それが何時でも夫の留守は、二階建の新しい借家の中に、活き活きした沈黙を領してゐた。 可愛いゝロミュアル、さうして方々探してあるいてゐたのだわ。 信子はさう云ふ寂しい午後、時々理由もなく気が沈むと、きつと針箱の引出しを開けては、その底に畳んでしまつてある桃色の書簡箋をひろげて見た、書簡箋の上にはこんな事が、細々とペンで書いてあつた。 もう今日かぎり御姉様と御一しよにゐる事が出来ないと思ふと、これを書いてゐる間でさへ、止め度なく涙が溢れて来ます。 照子は勿体ない御姉様の犠牲の前に、何と申し上げて好いかもわからずに居ります。 つて云つたわ、それから、私の持つてゐた愛、私の今持つてゐる、私の是から先に持つと思ふ、すべての愛を籠めた眸で見て上げたの―― 「御姉様は私の為に、今度の御縁談を御きめになりました。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています