梶山三郎『トヨトミの野望』小学館文庫

この主役が現代トヨタ自動車「中興の祖」な
奥田碩社長一代記
中の人曰く〜
この内容の九割前後は事実・・・

トヨタ自動車は、かつて製販分離してて「自工」と「販売」がありました
自工の親分と云えば喜一郎さんの直参直系な英二さん
一方販売の親分な神谷のそれが奥田碩さん
1990年代半ばに奥田碩が代表取締社長に指名されて
真っ先に株総で提言したのが
7〜10年持ちのクラウンの部品耐久性度を
3〜5年程度に落とす事で
経常利益が跳ね上がりました
クラウンの多くが次の車検は通しません
そこそこ余裕のある中小企業の社長は
2〜3年で中古車市場に放流します
それでまた新車購入する人が多かったんです
だからこそ、部品耐久寿命を5年前後に設定相仕り候。

その軍資金を基にして本田技研のような
若者に人気が出る車種の研究開発費に注入
それが今現在のTOYOTA快進撃繋がりましたが〜
これは悪魔でも「光」部分でしかなく
その一方で深い「闇」や「陰」が寄り添うことになりました。