なんでも奈良起源説の人がおおいようです 正しくは下記
銅器時代 親呉圏のトウテイ国の支配する近畿地方 石器時代は解らない 鉄器時代に入り時代の覇者天孫族が博多より勢力を広げ岡山あたりまで支配下においた頃 
糸島で不遇を託っていた神武兄弟が新たな挑戦者として近畿へ挑んだ 大阪での敗戦後紀伊半島を迂回し熊野より奈良へ侵入し北部へ橋頭保を築く事に成功する その後呉が滅亡する250年までに盆地を支配下に置く 
呉の滅亡を好機とした崇神(直接の子孫では無い可能性は高い)が近畿への侵略を始め成功する その後継体の頃後継者争いに乗じた朝鮮人継体が正統な後継者たちライバルを殺し奈良を継ぐ 
調子に乗った継体は宗主国倭国の君磐井を暗殺するが磐井の息子カツコと倭国軍に敗れ敗走し後殺される その後天智の頃までなりを潜める 倭国が唐との戦い必至の時唐に内通し倭国敗戦を祝う 
その後倭国の別名日本を名乗り日本列島の支配者となる