日蓮ってver.56
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前スレ日蓮ってver.55 https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1596799068/ 「日蓮って」過去ログ http://hyakkimaru.nukenin.jp/ 創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。 創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。 コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。 スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。 スレ違いの話題はほどほどにして下さい。 初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 >>181 随分昔から日蓮本仏カルトを仏教にカテゴライズするのは失礼とか おかしいと言われてますけどw >>184 そうですね。 もし日蓮自身が本仏だと、本当に自覚していたとする。 これには2つの解釈が出来ると思うんだ。 1・日蓮こそ釈尊以降の仏であるというヘゲモニー 2・私、日蓮も仏になれたのだから皆んなも仏になれるよ。というレトリック それから御書を読み込むと日蓮は仏になるより菩薩になりたがっている 希求が強く出ているよね 法華経のレトリックやアレゴリーのように 日蓮が残した遺文も、日蓮のコンセプショナルなレトリックとアレゴリーで 書かれた事は否定出来ないと思うんだよね。 あれだけ法華経が好きだった日蓮なんだからオマージュや借用は使いたがるよ。 映画監督のクエンティン・タランティーノみたいに >>183 そういう事ですね。これは深い問題で、ポスト構造主義哲学的で、かつ新実存主義的な哲学になりますね。 体と自我を捨てて自由無無礙に生きる事が大切なのですが 多くの人は公共性や共同性次元においての条件付きの自由と勘違いしがちですよね? 例えば大麻は麻薬だから悪い物だと考える人は多いですが 実は大麻は緑内障の治療において役に立つ物でもあるんです。 体と自我を捨てるって事は、人間の本質はesだと言うのも違うのです。 >>187 言い訳だらけの指導部ですな、信解は不要で信心を強調する。 指導部は正味のところな〜んにも信じて居ないでしょう。 なんしんなんげのほけきょう 難信難解だからそうなんです!って恥ずかしくないのだろうか?厚顔の極み 火事場の阿保面、野次馬と大差なし、「大きな火がついてますなぁ、屋根から煙が見える。サイレンが聴こえるのでむこうから消防車も来たので直に収まるか」 そんなもんじゃないですか。 君や私の人生、創価の大好物「生命」とも全く抵触せず。 此の類のおっさんが野次馬から場所代を集めて食ってるのが、多くの宗教団体かもな。 0907 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2020/10/16 22:54:48 進学率100%は専門学校や短大に進む者、卒業後に即就職する者はおらず、 とりあえず全員が進学を目指して受験する県内一の進学校の意味で使ったんであって、 統計値の話ではないよ。そんな立場ではないし。 俺の代では卒業後、直ぐに留学したのは居ないんじゃないかな。 大学後海外に渡った、留学・進学したってのは何人か居ただろうけど。 多いのは他学部を出た後に医学部に入り直したり学士入学したりするの。 理系の学部を出ながら弁護士になったのも居る。 ID:AbclMYnu(1/2) 0908 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2020/10/16 22:58:06 俺らの世代の後に医学部ブームが来たって事だろうな。 本来は法学部へ進むべき学生で適性が怪しいのに成績が良いってだけで 医学部を選ぶ生徒が増えたと、母校の教師になったのが言ってた。 ↑しかし、過去に「自分の代ではみんな4年制大学に進学して短大や専門学校に進学した人は卒業名簿でも見当たらなかった」 と断言しておいて今更そんな嘘の塗り固めが通用する訳が無いだろうw まあ、統合失調症特有の嘘や妄想、更には過去の自分の(作り話の)書き込みさえ忘却する位の老人性痴呆症が更に明るみになっただけたがw もはや脳の障害が薬物などで末期症状にまで達している。 >>184 日蓮教工作員は板につかない言辞を弄してドサクサ紛れに何とか仏教の仲間入りをしたいようだ が、どだい無理な話だ。 問 禅をやる功徳は? 答 無し。 問 何ゆえ禅をやるのか? 答 ただ座るのみ。 証上の修 禅では功徳を求める者には功徳は無く 功徳を求めない者に功徳がある 徳雲という弟子がたくさんいる偉い坊さんがいた。 ドカンと雪が降った翌日、徳雲は寺の痴聖人という (知的障害の為、寺の雑用をさせて面倒を見ている聖痴愚や佯狂者と言われる人) その痴聖人と徳雲は2人で汗をかきながら、雪を集めて井戸に捨てている。 弟子達は聞く「なぜ井戸に雪を捨てるのですか?」 徳雲「雪で井戸を埋めようとしているんだよ」 弟子「雪で井戸を埋めれる訳がないでしょ?」 徳雲「そんな事は初めから知っておる!」 禅の妙の伝達は、この様にして繰り返し繰り返し行われてきた。 教養のある人なら東方正教会やシャイアン族・スー族・ナバホ族の佯狂者信仰や キルケゴールやウォーシャウスキーやクリストファー・ノーランやWHオーデン 大江健三郎やクリストファー・ノーランの leap of faith を思い出すだろう。 禅の最終目標は、禅という宗教を捨てて、世俗に混じって 元いた場所で、元いた自分以外の自分として生きる事だ。 これは意外に知られていない。 仏教を否定する唯一の仏教だ。 ここでいう仏教はシステマチックな構造の永遠性を信じる仏教という事。 言い換えれば、スタティックで停滞したパラダイムに人を止まらせるようなら それは仏教じゃ無いよ。と禅は言う。 空を切り裂く刀のように爽やかだ。 >>191 ちょっと何かを思い出しそうで思い出せなかったんだけど >>191 の言葉はアップル社のスティーブ・ジョブズが スタンフォード大学か?イェール大学?かで この言葉を引用してたな。 現在、若者の間でZENブームだけど、キッカケはスティーブ・ジョブズなんだろうね。 アップル・コンピューターやiPhoneを作った事よりも、最後にZENを伝えた人として 後世に名を残すかもしれないね >>194 曹洞宗の坊さんが檀家へ月参りし、正月には祈祷済のお札を貼って下さいと 置いていく。 この宗派の葬式を検分(些か失礼で御座いますが使わせていただく)すると天台密教の儀式を密かに取り入れて導師と坊さんが五人掛かりでの修法。 内容は金剛法楼閣に関する様式の供養で中々厳重な法要と見る。 葬式専門と見るのは勝手だが、僧侶は檀家に法を施し檀家は財施を専らにする。 禅定を極め、檀家の為に祈るのが僧侶、檀越の交流が途絶えると了。 194氏は少しこの辺りを学んでは如何か?座禅に使い道が在りや否や? 私が記した文を坊さんに読ませて御覧なさい。 >>196 あなたの言葉は私の土手っ腹に響きませんね。 何故、自分が存在する為には、他人の存在が必要なのでしょう? 曹洞宗が言われる現成考案の意味さえ考えずに >>196 そうだ曹洞宗のしんじゃであったスティーブ・ジョブスさんの 「マインドフルネス」を一度読んでみたら如何でしょう? この本によって、今まで仏教に全く馴染みのない外国の若者達が 現在のZENブームを作ったのですから。 今はアプリで自動で英語フランス語を翻訳しているので 仏教に興味を持つ特にアメリカ人とフランス人が集まる SNSをのぞいてみては如何でしょう? 皆、かなり熱心に語り合っていて、日本人の私から観て 日本人よりも仏教のアナロジー分析できてる所が素晴らしいし また日本人の統制的原理主義からしか見えない日本人仏教感が少し恥ずかしくなりますよ ヒヨコが鶏へ移行する中間。発育中の少女の胸の膨らみは、大人の胸なのか?子供の胸なのか? パキンスタンに行った。現地のパキスタン人僧侶に「ここでしか食べられない物が食べたいのですが」 パキスタン人僧侶は行った「それなら、オケアノカラカラですよ」(私の聞き取った発音) 私は尋ねた。「一体、どういう食べ物ですか?」 パキスタン人「ソルティでクリスピー」とだけ教えてくれた。 私は、そのソルティとクリスピーという情報だけでアレコレ想像しながら屋台を目指した。 その想像はパキスタンの風景や町並み、人々の言葉や表情も手伝って とてもエキゾチックでビザールな食べ物を想像するに至った。 屋台に着いて、そのオケアノカラカラを注文した。 出てきたのは日本人に馴染みのある食べ物だった。 私の想像した食べ物は存在しなかった。 パキスタン人が言うソルティでクリスピーという情報空間と 屋台でオケアノカラカラを初めて観たという物理空間 その間、移行の中に私は臨場空間を作った こんな話を某お寺さんの法話講話会で語った。 聴いていた人たちが「それで、そのオカアノカラカラと言うのは何だったのですか?」 と聞いてきた。するとすかさず院主さんが立ち上がり 「この方の言っている事は、そういう話じゃ無いんです!」 芽を出すかどうか分からない種を蒔こうと無邪気に話した私であったが 院主さんのお陰で、見事に華が咲いた。 >>197 空っぽじゃ生きていけない、現実に役立たたないのは ごみ箱逝き。 還元せねば貰いっぱなし、ただの乞食になりますな >>200 > 空っぽじゃ生きていけない、現実に役立たたないのは ごみ箱逝き。 無一物中、無尽蔵 >>199 いいからオカアノカラカラが何なのか言えクソ坊主! と言ってブン殴ります。 そういう話じゃ無いんです! 果たしてそうだろうか。 オカアノカラカラという食べ物について想像したこと 想像したような食べ物は存在しなかったこと と、 オカアノカラカラがどういう食べ物か疑問を持ったこと その疑問が解消され存在しなくなったのを確認すること それらに違いを認めて二番目の方を下に置く院主さんは果たして大したお坊さんなんでしょうかね デキるお坊さんだったらふたつのことを絡めて面白い話をしてくれそうなもんだが 本日も題目あげて功徳をいただきます 池田先生は偉大だと思うわ >>201 虚空蔵菩薩様と名前の付く、仏さま在り。 虚空、果ても無く空しいらしいが、タラクの種字は宝の意味を持つ。 虚空蔵菩薩様は空っぽゆえに無限の働きを成す。 日蓮師は若い時分にお祈りをした記録があるそうだ。 「俺の祈願は叶わなかったよ」、それが本当だろう。 日蓮の願望を又、此処でも並べてみよう 1寺院と年貢付き領地2弟子数口分3自宗の公認4他宗破却 此れは空を説く坊さんではないですな。 123を生前に実現し遷化されたのは空海のみ。 現在では判り難いだろうが、例えば国立大学を国に造らせ即ち己が学長になり、 経費は永遠に国家が面倒を見よ。 此の様な請求を執権に要望するのが日蓮。 駄目元というが、彼は全く身分も資格が備わらないのが実体(じってい と読む) 私度僧、筋目正しき師匠の推薦無し、住所不定の聖僧、家門なし 預貯金と賞罰無し? 聖僧は三昧聖とも呼ばれる剃髪僧、自度、河原者、遊民の類で葬儀を行う人たちを差す。 「日蓮は常識を欠いた人なり、数のうちに入らず」との結論が自ずと得られる。 0973 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2020/06/15 00:10:13 全国中学模試って書いた記憶はないけど、たぶん旺文社がやってた全国各地の中学が参加してた奴だよ。 俺の名前が載った成績一覧表が残ってるかは知らん。 0974 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2020/06/15 00:14:01 ポイントはだね、当時俺の地元では偏差値を使わなかったけど、それで初めて偏差値を知ったし、中学時代に算出された偏差値は、たぶんそれだけ。 ところで最低偏差値大学夜間部中退を世界の知性と崇めるキンマンコカルト創価は、偏差値の算出の仕方くらいは知ってるの? ID:QNVOGLMc(2/2) 0975 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/06/15 00:14:11 日本の中学校さえ通ってなかったのが明るみになったギャグ野郎はもはや薄汚いだけのぼろ切れ。 嘘つき統合失調症野郎の行き先は地獄の世界、それだけ。 どうせいびられた幽霊会員だろうけどw 0976 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/06/15 00:21:41 >>974 止めとけ止めとけw 妄想じいちゃんの嘘八百はばれた後だからさw 知能が低いからもう何書いても嘘を塗り固めてるのがバレバレw 後は大作の悪口や相手を学会員扱いして逃げ回るしか手段ないだろうけどw 0977 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/06/15 00:28:49 >0973 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2020/06/15 00:10:13 全国中学模試って書いた記憶はないけど、たぶん旺文社がやってた全国各地の中学が参加してた奴だよ。 俺の名前が載った成績一覧表が残ってるかは知らん。 これw 何が旺文社だよw 自分が真っ赤な嘘をを吐いてる事もわからないの? 旺文社の模試とやらを全国各地の中学校は参加しないからw 悲しい嘘吐くなよww 皆んな仏教に興味があるならもっと上位概念で話ができないかね? 対立二元論は、どこまで行っても止揚に向かう意志を無にする。停滞してしまう。 仏教とは真逆のガバレッジの中でしか話は出来ないじゃ無いか? 対立二元論は決して仏教では無い。 こんな事を続けていたら海塔新田になってしまう。 もう一丁、念の為 カバレッジの中でクリティカルな人達ばかりが何を言っても そこにはシナジー効果しか生まれない。 簡単に言うと、そういう事。 >>208 氏へ 小生206を記し、日蓮師の本音を露見。 日蓮仏教徒は二者対立を好む傾向が著しいので世間は辟易。 融和を口に唱えるもマウントを取りたがる人が多い、 その因は、日蓮の願望挫折に在ると小生は見込むのだ。 日蓮の願を我が身に置き換え実現したがって、 わたしは悲劇のヒーロー?みたいな好い気分に成るなら そりゃ実に滑稽なもんじゃなぁ、と指摘するのデス。 鎌倉時代の出来事を現代に引っ張る不思議、違和感を平然と呑む人たちがいる。 戦前の国粋主義者よりも古い時代なわけで、兎も角 同じ資料を並べ、それぞれが違う結論に達するのは学問と表現の自由。 >>210 >そりゃ実に滑稽なもんじゃなぁ、と指摘するのデス。 滑稽は滑稽だよ。それは肯うけど。だ そういう滑稽でメタ的知性を持たない人と同じ土俵に上がらなくてもいいじゃ無いか? 滑稽で知性が低い人達は、このまま人生を送るのかも知れないし また、何処かで気づきがあって地勢的になるかもしれない。 でも、それは個人の生活史の問題であって、第三者が 「お前は知性的じゃ無いね」と教育とデリカシーの無いオバちゃんみたいな事を 言うのは、間違ってるよ。それは差別だよ。相手が知性的では無いという事実は 差別の免罪符にはならない。 男が愛の告白を女の子にする。そして女の子が「私は男性を愛せないの」とカミングアウトしても その女の子について「あいつはレズだぜw」と差別するのは、こちら側の人格に問題がある。 LGBTを許容するダイバーシティを持って、別の女の子を探せば良いだけ。 だいたい仏教を学んで来た人なら この人とは仏教の話が出来るか?できないか?は分かるはずだ。 話ができる相手とだけ話せば良いだけ。 話が出来ない奴にレスする筆用は無い。 それと、この日蓮スレを見ていて、いいかげん気づいただろうけど まあ、真剣に仏教を幅広く学んでいる人は少ない。 方便品で退場した5000人の弟子は、後半のワイドオープンなスペースを確保するメタファー。 法華経は安楽行品が終わってから相転移をする作劇で書かれている。 一旦いい加減な仏法しか学んでいない人達を退場・スルーする事も大切だよ。 >>211 そういうお考え、尤もと理解します。 然し、こちらの景色もご覧下さいと案内するのは慈悲と思いますね。 お気の毒で見ちゃ居れんというのが私の心境で、それってお節介とは知ってます。 一か所に居付いて幸福な人がいかに多いか貴君もご存じの通り。 偶には風通しの良い場所に出て見ちゃ如何?というわけです。 >>212 >お気の毒で見ちゃ居れんというのが私の心境で、それってお節介とは知ってます。 それもよく分かるよ。でもね 人間というのは独善的な審美的価値観をそれぞれが持っていてそれはスティグマ、カインの末裔の様に心に刻印されているんだ。 他者が話して、そのまま肯う人や、私とあなたの考えは違うが、何処が違うのだと考えられる知性を持つ人は少ないんだ。 結局、他人の存在や言葉で理解させる事は大変難しく 結局、本人が集合知を1人で観察し、他者を拒絶した上で 自分自身が「ああ!そうか!」と思うところまで行かなきゃ 実存と自主独立性は得られないんだよ。何も理解は出来ないんだよ。 他人から自分のスティグマを否定されたと思う人は多い。そうすると 他人の言葉を絶対受け入れないし、他人への人格攻撃をしたくなるものなんだよ。 結局、リテラシーの対立が湧き上がり、それが下に脱し 意見の対立を感情の対立へと持っていく知の低下と教養の崩壊に拍車をかける。 言語論理学的、社会言語学的、認知心理学的、行動心理学的な視座をもって 帰結まで述べても、耳に栓をして何も聞きたく無いというマインドセットを彼らは持つ。 広義での広宣流布とは、ただフラグメント的エレメント的クラスター的な 恣意的なメタファーとレトリックとアレゴリーを与えるだけで良いのでは無いだろうか? 少なくとも私は、法華経はその方法論をとっっている、とても心優しいスートラだと 思っている。 仏教は輪廻転生、来世がるとか、功徳がある、仏罰があると単純に信じる人がいるが 分析哲学的な視座を持って認識する事を拒みたいって事だよね? 裁判官・今から死刑になるのに死ぬ事を恐れないのか? ソクラテス・まだ一度も経験した事が無いという理由で死を恐れるのは不合理ですよ。 (ソクラテスの弁明・プラトン) >>212 お気持ちはよくわかりますが、ご本人がせっかく、 「だいたい仏教を学んで来た人なら この人とは仏教の話が出来るか?できないか?は分かるはずだ。 話ができる相手とだけ話せば良いだけ。」 と仰せなのでスルーが吉かと。 >>214 日常は当然、扱い対象から外れてますよ。 口に出して説くのが鬱陶しいので文章化して何度か スルー対象さんが読み返すかも?という淡い期待を込めて書いて居ります。 話は変わり、故吾妻ひでおの漫画作品一場面で自転車の籠の中からカルト教関係の 雑誌を手にして「俺、この人の話を信じてるんだ」という少年の件が描写されている。 人は自己が受け入れられる対象のみを信ずる、其れは彼が前以て受け皿としての 教養、素地が本人に有る場合に限り信じる。 創価学会の教義はまだ未だ、ゆる〜く甘い、オウムの場合は奇妙奇天烈、遂には 殺人すら容認なのだが其れをすんなりと受け入れられる人たちが現れた。 そんな危ない素地、性格をお持ちの方が数%も人口構成の中に居たという実例。 奇妙な教義で有ればあるほど信徒が熱烈な傾向に嵌るとは困ったもの。 仏教の眼目にいう、悪しき性格の固着を解き、習気を空っぽにするため、それは あくまでも自発性による修行というのは正しいのだろう。 法華経を真剣に勉強している人の意見が聞きたいのだが(サンスクリット語が多少でも読める人に聞きたい) 私のスマホだとサンスクリット文字が出せないので、アフファベットで記すが 譬喩品の火宅の下りで、サンスクリット語だと sa ca purusas tasman nivesanad behir nirgath syat (サンスクリット・ケルン本のK72.8) と書かれているんだけど、この部分鳩摩羅什も竺法護もバッサリカットしてますよね? コンテクスト上 sa ca はメタファーだと思わせるような書き方ですが これサンスクリット語を学んだ人なら、え?アレ????ですよね? しかも鳩摩羅什だけが訳が違っているとか 竺法護だけが訳が違ってるとか、なら それぞれの役者の主観的再構成として独自性なのかな?とも考えられるのですが 妙法蓮華経も正法華経も同じ所でサンスクリット語の語義を削除しています。 これに気づいた方いらっしゃいましたら、私見を与えていただければ幸いです。 様々な法華経研究者の書籍に当たりましたが、ディフィニティブなソリューションは 1つも無いんですよ。現時点において。 もう1つサンスクリットのK本で気になるところがある。 それは 方便品のbuddha-yana (K.43.6-8)と 譬喩品のmaha-yana (K.76.1-2.77.2)の2つの語を 同格に扱っているのだろうか?という疑問です。 色々な解釈はあるが法華経研究者は今でもこれで頭を悩ませている。 皆さんの解釈を聞かせて欲しいです。 私の共分散構造分析から出た結論は 二乗方便説と三乗方便説をつなぐカドヘリンとかプロテオグリカンのような接着としての プライマー効果を狙った文章構成に新たなマトリックスの力を持たす編纂者の戦術では無いか? と今は考えています。 そしてコレはスリップストリームの為のマクガフィンとして存在する「けど」 その存在も次なるスリップストリームをブーストする為に存在するのでは?と考えています。 法華経を読み「進める」という事は、「無限後退に後ろ向きに進む」という ネクサス構造と思考実験をチラつかせて、法華経は読者を試しているのでは無いでしょうか? 皆さんのご意見をお聞かせください (サンスクリット原典を元にして話しますのでサンスクリットに馴染みがある人だけにお願いします) 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春小林◯春 小林◯春小林◯春 前にもここに書いたかな? 岩波から出ている「岩本訳・法華経」を読んだ人います? >>215 なるほど。しかし、縁無き衆生は度し難しとは良く言ったものと思います。 後段については、馬鹿げた教義でも社会に影響を持ちうるのは社会のあり方に問題があるように思います。仏教のなかには「慈悲による殺人」という考えもありますが、これを逆手に取って「自己都合による殺人」を正当化したのがオウムでした。しかし戦争においては、このような正当化が国家レベルで組織的に普通に行われます。共同幻想のしからしむるところは宗教に限った事ではありません。 傍目には、創価学会とは会員に目標を提示し走らせる宗教に見える。 其れで今の目標は何だろう? 最近気づいた事で、物凄く重要な問題だと思っているのだが 法華経研究者で意見が分かれる様に見えて、実は何も見えてないから私見が一致しない のでは無いかと思う部分があって。信解品の窮子譬喩の以下のくだりだが。 yavad yatra hi namossya mahato hiranyasuvarhadhanadhana dhanya-kusakosthagarasyo paribhoktopalabdhah この部分の解釈が法華経研究者によってバラバラというか、なぜ法華経の学究が この点に関して無頓着なのだろう?と不思議でしょうがない。 専門家の名前を出しても馴染みが無い人が多いので、皆が知っている 中村元氏と岩本裕氏とでは、明らかに解釈が違う というか、この点を重要視していない。 ここが法華経を学ぶ私達には理解出来ない。 この部分に違和感を持っていた方はいらしゃいませんか? 法華経の要諦は法の具現化としての釈尊が常住不滅であるという主張に尽きる。 それ以外に実質的な内容は皆無である。 これではあまりにも空疎なので羅什の漢訳をテキストに漢字の恣意的な解釈に依拠して天台の教義を立てた。 しかし原典に根拠を持たない天台の創作であることは現在では明らかである。 またサンスクリット原典自体がプラクリットすなわち当時の俗語の翻訳であると考証されている。 屁理屈と膏薬は何にでも着くと言われるが、庶民的な信仰の書である法華経を基本に体系的な教義を構築することは無駄なのである。 >>223 >またサンスクリット原典自体がプラクリットすなわち当時の俗語の翻訳であると考証されている。 それって kern版 kashgar版 wagihara版 のうち、どれの事ですか? ちょっとファクトを追いたいので御教示下さい。 それと、その説を表した学究の名前もお願いします。 >>223 >またサンスクリット原典自体がプラクリットすなわち当時の俗語の翻訳であると考証されている。 もしかしてギルギット=ネパール写本の問題の事でしょうか? それともケルン・南條批判校訂問題の事でしょうか? もしそれなら解決されてる問題なので、何か他のテクストが存在するのでしょうか? 非常に興味深いのでソース・情報をお願いします。 >>224-225 Wikiの英語版に以下の記述がある。 The Lotus Sūtra was originally translated from Sanskrit into Chinese by Dharmarakṣa´s team in 286 CE in Chang'an during the Western Jin Period (265-317 CE).[19][20][note 5] However, the view that there is a high degree of probability that the base text for that translation was actually written in a Prakrit language has gained widespread acceptance.[note 6] It may have originally been composed in a Prakrit dialect and then later translated into Sanskrit to lend it greater respectability.[22] 法華経は元々サンスクリットから漢語にダルマラクシャ(竺法護)のチームのよって紀元286年晋朝(紀元265年-317年)の長安において翻訳された。 しかしながら、その訳業の基礎になったテキストはプラクリット語で実際は書かれた可能性が高いという見解が広く受け入れられることとなった。 つまり元々はプラクリット方言で編集されたものが、後に見栄えをよくするためにサンスクリットに翻訳されたのかもしれない。 ※研究者の人名や文献などは原文にあるノートや脚注を参照されたい。 >>226 ありがとうございます。 プラクリットで疑問を持ったのですが 「翻訳時」の基本テクストのサンスクリット写本のオリジンが 「プラクリットだった可能性」があると言う仮説ですね それは習いましたが、先ず1・集合知には至ってないと習いました(東方学院) 2・法華経として、それらプラクリット・リファレンスだとしても 現在認識される法華経という作品の独立存在性は何も変わらない という考えなのですが、また色々調べるキッカケにはなりました。 法華経は完成されるまで250年もかかり、一類から三類に分類され 何処のヴィジョンで捉え、それを流動する文脈と関連づけるかが難しいし また、そこが面白いですね。 ところで、もし読まれていたら岩本訳の法華経をどう思われました? 何れにしても、日蓮大聖人亡き後 私達が法華経を学び、日蓮大聖人の代わりに広宣流布してまいりましょう。 そうだもう少し書いとこう 原始仏典は釈尊がアーナンダに、文字に 起こすならパーリ語・マガダ語(口語)で書け 絶対サンスクリット語(文語)で書くな。と勧告されて仏典は出来ました。 プリクラット原初説とするならば、プリクラットは口語で、サンスクリット語は口語 と簡単に言えないんですよね。 パーリ語プラクリット語という口語には言語論理演算子として同値率があります。 1つの言葉に1つの意味が対応するという意味です。 しかし口語であるサンスクリット語は多義性・多様性を存在させる語法、文法を持っています。 「常不軽菩薩」という1つのワードには、サンスクリット語だと4っつの意味を持たせる事が出来る不思議な言語です。 250年の編纂を必要とした法華経には、長きに渡り多くの人達によって その文章レトリックの再構成はされたでしょう。 そして、私達はそれを「法華経」と呼んでいるのです。 聖書の「文語訳聖書」という日本聖書協会から出ている聖書は大変人気があります。 意外にキリスト教徒には人気が無く、無宗教のインテリ・文化人にファンが多いです。 現代語訳聖書と比べて、この文語訳聖書聖書は、スピンオフ版、リメイク版と 言われるカテゴリーに入れても良い聖書なのですが それでも日本聖書協会の文語訳聖書は今でも人気があります。(宮崎哲弥、宮台真司などが熱狂的マニア) 何故、文語訳聖書が(つまり原典から離れている聖書なのに)人気があるかと言うと 江藤淳氏、小林秀雄氏によると 「メタファーとレトリックの力が強いから」 だそうです。 聖書に興味がある人は一度図書館ででも日本聖書協会の文語訳聖書を読んで観て下さい。 ハマる人はハマりますよ 間違い しかし『口語』であるサンスクリット語は多義性・多様性を存在させる語法、文法を持っています。 訂正 しかし『文語』であるサンスクリット語は多義性・多様性を存在させる語法、文法を持っています。 誤字だらけですみません。横着して音声入力に頼った私が悪うございました。 サンスクリット語=文語 という意味で捉えてください。 >>230 机上および俎上に何種類もの原語文を、校合させる法華経信徒の 氏の研究で法華経の学問的分析は,一旦終了するのかもしれないですね。 仏教の各祖師方の教説内容には「仏陀釈尊の直説または真意を私は説いている」 と必ず述べます。 信解円通の姿勢を通される氏には、論書として出版されることを望みます。 所で、法師と呼ばれる人達は、カーストではどのような階層でしょうか? 僧ではなくても僧衣を身に着け、塔寺を世襲で管理運営する人たちと聞いています。 其れで宜しいのでしょうか。 そうであったらまるで現代日本の僧侶と酷似していますね。 >>231 仏教以前に人並みの羞恥心を学んではどうだろうか? >>231 232ではなく、227-230宛てでした。 訂正してお詫びします。 普通の人が法華経を読んで感じることを 坊主や学者は読み取れない拗らせ過ぎてるねw 実質大学進学率100の高校は存在しないし、ましてや四年制の大学に全員進学なんて灘高でも無理。 だからギャグ係は実際に進学校に行ってないし、高校にすら通ってないのがとっくの昔にばれているんだわw 嘘だと思うなら灘高行って調べてみろよw ギャグ係が誇大妄想で嘘を吐いたのがわかるからw だから統合失調症は恐ろしい病気なんだってw 0860 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/05/21 23:09:34 もう治療不可能なほど統合失調症、痴呆症が進行してるんだなあw 創価に人生を破壊されたのも実際は自業自得なのにw ま、精神科で診察したら? 脳にも間違いなく異常あるはずだからレントゲンで調べて来な。 余りにも哀れ過ぎて同情もできないけどなあ 0862 ギャグ係 ◆dQO3LlCLQE 2020/05/22 00:32:47 実質大学進学率100の高校は存在しないし、 さ。 ど底辺低能変態気違いバカストーカー集団キンマンコカルト創価は進学校とは無縁の地獄の団体との証拠が積み重なってます。 道理で聞いたことがないと思った。 0863 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/05/22 09:46:40 黙って精神病院行けばわかることなのに何故行かないの? まるで痴呆症の老人じゃないか? 普通に考えて卒業生全員大学合格する学校は皆無だとわからないの? いずれにしてもギャグ係は高校にも進学校にも行ってないし、それどころか知能がかなり低そうだな。 統合失調症は本当に恐ろしい病気だね。 そもそも論点はギャグ係が本当に県内一とやらの高校に入学したかの問題なのになあw 無理矢理、無意味なマウント取るために何年間も嘘を貫いてるなんて可哀想。 ひょっとしたら自分が嘘をついてる事すらわかってないんじゃない? 法華経は再構成されて存在する以上、古くて新しい問題を残し続けます。 松下真一氏の「法華経と原子物理学」を読まれた方はいるでしょうか? TAOと位相解析学的に法華経を語っていて面白いですよ。 最近出版された石原慎太郎氏の「新解釈 現代語訳・法華経」も お!そう来たか!と思うような本でした。 今まで聞いた事が無い法華経と言うより 今まで誰も読者として素直に語れなかった事が書かれています。 こういう人達によって法華経は生き続けます。 それぞれが、それぞれの形で法華経を伝えるという事は、釈尊の言う地涌の菩薩で 嘱累品で仏も菩薩も弟子達も一斉に散会させる様な 自主独立性を持って法華経を語りつげ!という法華経の重大なテーマでは無いでしょうか? 法華経は法華系日蓮系の多くの団体により 独学する事。学んだ事を語る事を我見と門前払いし、無視・敵視される事が多くて 悲しくなりすが、それでも私達は自由意志の元に法華経を学び語っていきましょう 日蓮大聖人の意思を継ぐ為にも、個人個人で学んだ事を語りましょう。 宗教団体の教学や機関紙を無視して仏法対話をしていきましょう。 どの宗教団体にも属さず法華経を語り合う事が真の広宣流布だと思います。 >>236 そのような各人が勝手に好きなように法華経を読みかじり聞きかじるに任せるのが創価流の広宣流布なのだろう。誠に日蓮教らしい。 一方、仏教としての法華経の修行ならば、空海が述べたように、法華経の儀軌に沿って厳密に修しなければならない。さもないと重罪を得るだろうと警告している。 修行なんて今の時代大半が義務教育で終わっている その証に法華経を読んで理解できるではないか 足りないのは八正道の正しく見て正しく考えて正しく語るなど 風評や嘘の教育を見破る見識や良識ぐらいでしょう 237で言及した法華経の儀軌というのは、 「成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌」。 日蓮本人も含め、日蓮業者や日蓮教徒はこじつけや見当外れの引用までして法華経を声高に賛美するわりに、肝心なことは何も知らない。外道たる所以と言わざるを得ない。 化義の時代が終わる 化義とは正法に導く為の方便と定義して余儀を排除しましょうかね 末法には本化の菩薩が正法流布を託される 言い換えれば教育が進み誰もが正しい道を捜し求める時代 法華経の道理がそのまま理解されていく 宗門などさっさと解散して転職されたらよろしい いったい日蓮という男は何をやらせても中途半端でいい加減である。 持ち歌一曲の商売道具の法華経にしても然り。梵語を知らずして陀羅尼品を含む法華経やほかの典籍について、今流行りの言い草を借りれば、総合的俯瞰的な理解などできるはずがない。 さりとて真剣に梵語を学ぼうとした気配もない。そのくせ無知な信者相手に誤字混じりの曼陀羅モドキを作製して文底秘沈などと出鱈目な教義を立てる。いやはやテキトーぶりに恐れいる。 この板で禅問答など付き合うものはおらんだろう 何回、同じことを書くつもりだい >>239 諸儀軌稟承録 真常録 八、九巻七十七丁にこの儀軌のあらましが記載されます。 高野山八葉学会蔵判 小生の書庫に在り、 大師他何人もの留学生が将来していますな、 つまり法要も習ったという意味。 この儀軌の素性は中国製かも知れませんね、現今は殆ど修されないと思います。 宮中にて行われる重い意義の法要らしいですからね。 此れを挙げた貴君のコケ脅しと感じますな。 法華経に関しては真言の態度は、大師の秘密曼荼羅十住心論で尽き、後は敷衍するのみ。 243の続きとでも云うか、暇な人は読むでしょう。 弘法大師は、秘密曼荼羅十住心論で法華経の位置付けを為した、その後の 門弟は法華経の評価は大師がされたので、「私らは口にしない、他所の批判、反論はしない」 という態度を取る様子がある。 態々憎まれる言辞を吐くことも無い。 空海は熟知しながら、文に記さない情報が多々あっただろうと推測できるのは 在唐時に交際の深い、般若三蔵などインド人僧侶からの受法を思い起こせば済む。 天台宗では表看板に禅、法華、密教を並べて山門を開く。 禅と法華では正味寺院経営に不足が生じるので 加持祈祷をして歳費を賄う必要が生じたのが本音。 日蓮は純粋好みの私度僧で、真言密教を大導入した初期の座主を徹底的に非難三昧の 文を残す。 彼は法華一本の宗旨を建てたく念願し、一生を賭けたが結果はご存じの通り。 例えると 私度僧が何をやったところで国家は動かない、それこそ 操縦資格が無いのにセスナ機を機上操作する故横山やすし氏の生写真を思い出させる。 >>243 >法華経に関しては真言の態度は、大師の秘密曼荼羅十住心論で尽き、後は敷衍するのみ。 私はまさにその秘密曼荼羅十住心論を典拠として237及び239を書いたのだ。 それにコケ脅しとはどういう意味か? >>227 >「翻訳時」の基本テクストのサンスクリット写本のオリジンが >「プラクリットだった可能性」があると言う仮説ですね >それは習いましたが、先ず1・集合知には至ってないと習いました(東方学院) 法華経のオリジナルテキストがプラクリットであったとの見解が広く受け入れらるに至ったというのだから、 仮説というより通説というべきだろう。すなわちそれは集合知に至っていると言える。 >法華経として、それらプラクリット・リファレンスだとしても >現在認識される法華経という作品の独立存在性は何も変わらない そもそもが別物なんだから同一とみなされないのは当然だろう。 >>228 >原始仏典は釈尊がアーナンダに、文字に 起こすならパーリ語・マガダ語(口語)で書け 絶対サンスクリット語(文語)で書くな。と勧告されて仏典は出来ました。 面白い。そんな話は聞いたことがない。ソースを示されたい。 >>245 真言宗ばかりが欠陥が無いように考えたくなる人も多い。 よくも此処迄考えたものよな、と感嘆する箇所が多々あるという理解は 私も持つ。 然し法華経をもとに作った儀軌経を元に「どうだこれを見ろ」という 態度は傲慢に見える。 お前らは知らんだろうが、と見えるだが。 >>248 それはあまりに浅薄かつ屈折した受け取りかたというほかない。 空海は精神の発展段階を仏教思想の歴史的発展と重ね合わせて開示して見せた。 しかるに日蓮は法華経が真言や華厳に劣後しているのはけしからんと空海を誹謗した。 しかし空海は法華経を最上と、少なくとも表面上では 主張する日蓮よりも、 はるかに徹底して法華経を重要な仏教経典として扱っている。私はそれを明示的に示そうとしたに過ぎない。 戒律と只管打坐と托鉢の曹洞宗は、最も原始仏教の趣を保持している宗派だと言われる。それは認める。 しかし、初七日法要だと思うが、偽経にして非仏説の下らん法華経を読誦するのは、どうしたものだ? 道元禅師ほどの人が非仏説だと見抜けなかったのか? 道元禅師も比叡山で学んだ以上仕方ないのか? 修証義 第四章 菩提心(ぼだいしん)を発(おこ)すというは、己れ未だ度(わた)らざる前(さき)に一切衆生を度さんと発願(ほつがん)し営むなり、設(たと)い在家にもあれ、設い出家にもあれ、或いは天上にもあれ、或いは人間にもあれ、苦にありというとも楽にありというとも、早く自未得度先度佗(じみとくどせんどた)の心を発すべし。 其(その)形 陋(いや)しというも、此(この)心を発(おこ)せば、已(すで)に一切衆生の導師なり、設(たと)い七歳の女流なりとも即ち四衆(ししゅ)の導師なり、衆生の慈父(じふ)なり、男女(なんにょ)を論ずること勿(なか)れ、此れ仏道極妙の法則なり。 こういう正しい教えを語ったと思ったら、その後に大風呂敷の法華経を読誦するとは、興ざめだなー。 開目抄 『心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云』 貴方が今何をしているかで貴方の将来が決まるのです。 一念三千なのですから、一瞬一瞬、三千の世界の中から何を選択するかにかかっているのです。 >>249 248です、御説は了解ほゞ理解しました。 空海御自身が「五時八教は誤謬論と認識」していなければ 秘密曼荼羅十住心論中で法華経の位置をそこには置くまいと 私は考える者。 印度に於ける大乗経典で、五万と量産されて積み重なり底に沈み、 忘れ去られたお経を大事に持て囃す人たちを空海は分析したと感じています。 詰まり、仏教入門編で踏みとどまる者たちへの示唆でもありましょう。 >>159 妙法蓮華經方便品第二 爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。 この引用こぴぺは従容禄の第一則と状況が似てんな、 従容禄はこれだけで仏教終わってもいい、シンプルで的確な解説で、 ※お釈迦様が座禅してると、文殊菩薩は拍槌を叩いて、 これ(その姿)が最上の法だから、よく観察しなさいと大衆に告げ…。。 でも、方便品は長いだけの無内容な文章だからスルーが正解だよな、 もし漢文に興味あって法華経だったら、価値があるのは、 三昧(座禅)といえばとーぜん、↓こっちだろw (妙法蓮華經安楽行品第十四) 常好坐禪。在於閑處。修攝其心。 つねに座禅を好み、静かな場所にいることを心がけ、 じぶんの(仏の)こころに触れる方法を身に着けます。 ※※安楽行品の、この十二文字だけが必要箇所で、他は無内容で、 無駄に長いだけの法華経は全文がイラない駄文のたぐいかな…。 >>254 まあ、そんであんまり興味もなくて、 よく見たことがないんで、 方便品、あらためて眺めてみると…。 妙法蓮華經方便品第二 爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。 諸佛智慧甚深無量。其智慧門難解難入。 一切聲聞辟支佛所不能知。所以者何。 佛曾親近百千萬億無數諸佛。盡行諸佛無量道法。 ※※ふーん、法華経のオレオレお釈迦さま詐欺師は、 ゆったりとした三昧から目覚めて、 即座に、シャーリプトラになにやら言うのか。 三昧から覚醒への切り替えが、えれー早いおっさんみたいねw 諸仏ってなんだよ? 瞑想中に諸仏さん達があらわれて、 なんか知恵みたいなものを伝授してくれんのかね? その智慧とやらも、めちゃめちゃ深くて測れないわけで、 でも測れないのに、深いってわかるのは少しムジュンかしら? 当てずっぽで、てきとーに言ってるだけ、という感じがしなくも…。 さらにその智慧の門は、入口がちょーぜつ分かりづらくて、 ウルトラちょー入りづらいのか? へーそりゃ大変な難関ですな。 一切の聲聞と辟支佛 (辞書には縁覚とあるけど?) がどんな人たちかは知らんけど、 彼らにはその仏の智慧? を知ることが出来ないという主張は、 その諸仏の智慧とやらは、このオレオレお釈迦さまだけが知っている、 仏とオレオレだけの、独占代理権を持つヒミツってことだよね…w 七佛通戒偈を耳にしたことが在るはず 1修善奉行 2諸悪莫作 3自浄其意 4是諸佛教 3番目の自浄其意、その実現方法が成仏方法と言って間違いはない。 過去現在未来の仏は此れ1234を保って菩提を得る。 それを正確に説いて伝える説法が出来る人を仏というべきだろう。 つまり自浄の方法を提示出来ますか?そこが肝心要なのを皆さん曖昧にして逃げる。 今まで先師の何方も説かず、 ゆえに己も考察しなくて大丈夫ってのは油断し過ぎで在りましょう。 >>254 氏にしても「他人の噂話し」を載せて嬉しい!なのです。 さて如何した者でしょう?他人の考えを学ぶのは結構ですが、自分の人生を 他人任せで大丈夫ですかね?盲信じゃ在りませんか? >>255 所以者何。 佛曾親近百千萬億無數諸佛。盡行諸佛無量道法。 所以者何は、その智慧がわかるわからないの違いはどこか? みたいなニュアンスで、たぶんオレオレの自慢話が始まる前フリで、 わたくしオレオレは、百千万憶の無数の諸仏とはみんなダチの付き合いで、 その諸仏の果てしないテクニックとはたらきには、ことごとく 精通している(仏プロ?の中のプロ)なんだぜ…。 ※※ さすがに無内容な自己アピール文章の連続でしかなく、脱力感がハンパないけど、 たとえば原宿の竹下通りで、中高生の女の子に声をかけて、 君もうちの所属モデル(檀家)になれば、山P(仏)に会わせてあげるよ、 みたいな、いんちきスカウトの手口を連想させる文章ですなw 結局、この方便品を使って勤行させる目的は、 「難解難入」の四文字を毎日自分のあたまに 刷り込ませるための、セルフ・マインドコントロールでしょ。 さすがに日蓮師匠は目の付け所がよくて、サギ師としてはなかなか才人で、 どーせ勤行なんつっても、最初の二行ぐらいしか読まんだろうけど、 その二行目にある「難解難入」を毎日々々自分で自分の頭に刷り込ませたら、 それで目的達成の、よくできたセルフ洗脳ツールになってくる。 そんでこの「難解難入」を刷り込まれると「お前らには簡単じゃないぞ…」と 毎日、耳元でくり返し囁かれている状況ですから、 五年十年とやって何も効き目がないけど、ダレも不思議には思わなくて、 その一方で、気付かれずに五年十年と現金をダマし取り続けることができる、 クレーム対策がひじょーに上手くできてる、よいビジネスモデルだと思いますよ…。 >>257 末尾 クレーム対策がひじょーにうまくできてる、ビジネスモデルと思いますよ そりゃそうですね、倉庫には不良在庫が山と積まれ、滞貨一掃も叶わない 死んでも後悔が消えず、残念賞は等外。 諸佛智慧甚深無量のカギは座禅 良い姿勢で呼吸に意識を置くなどして雑念を排し静かに座る 座禅で養った静謐を離れず日常生活を送る その積み重ねを欠いて諸佛智慧甚深無量は有り得ない 広宣流布だの師弟不二だの 世界平和だのマイ聖教だの永遠の指導者だのといったくだらないことは 尻を蹴り付けて心から追い出すべき雑念 元来清浄なる心を穢す汚物である 其智慧門について、したり顔で難解難入と言う者は無解無入である 方便品は無解無入の似非仏教者によって書かれたと言って何ら問題ない 実際は易解難入と言うべきである 易解のカギは自浄其意 周囲がどうあろうとも自分自身において清々しい気分でいられる術の追求 創価学会で七佛通戒偈は説かれない 全く説かれない 説かれた試しが無い、皆無 歴史上に七佛通戒偈なるものが存在したことは全く無きが如し 外に出れば師が満ち満ちている 秋の空、風、空気、景色として >>259 ->>261 貴方の様な仏教理解を表してくれる人もいるんですね。 本当に真剣に仏教を学ばれ実践された方でしょうね。嬉しいです。 仏に逢うては仏を殺し 祖に逢うては祖を殺し 羅漢に逢うては羅漢を殺し 父母に逢うては父母を殺し 親眷に逢うては親眷を殺し 初めて解脱を得ん 「目の中に入れても痛く無い娘です」 「はあ?目の中に子供入れらる訳無いじゃんwww」 こういう人達は、一体どこから来るのでしょうか? >>262 無意味なレスをする暇があったら>>247 に答えろよ。 仏教の難しさは、仏教自体に無く、仏教を認識する主体に難しさがある。 よく「宗教は幸せを求める物なのに、何故戦争ばかりしているの?」と言われる。 これは二重の意味での倒見である。 こういう人がいる限り、仏教を語るには 仏教を語れる相手か?どうか?を見極め 方便品の釈尊の様に黙る事も必要だ。 畢竟、それが広宣流布の種となる。 >>263 >無意味なレスをする暇があったら>>247 に答えろよ。 こんな基本的な事をあえて質問していますが Yahoo、Google、DuckDuckGoで検索すれば一発で出てくるじゃ無いですか その努力さえせずに他人に頼りたがるようでは、仏教を学べませんよ。 >>266 だったらソースをさっさと示せよ。見苦しい能書きはいらない。 大学系の論文は新たな解釈の上塗りだから 嘘の積み重ねだよw 2000年後に新発見とかもうないね >>267 >だったらソースをさっさと示せよ。見苦しい能書きはいらない。 こんな基本的な事を 自分でネット上で探そうともせず簡単に検索出来るのに、噛み付いてくるのは 本当に貴方の検索能力がないのか?貴方の感情の充填なのか?は分からないが まあ私が言い出しっぺなのだから、ソースを出しとくよ。 もう、これ以上、無産の時間に付き合う気は無いからな。 Boucher :Buddhist Translation Procedures in Third Century China Bongard-Levin : Indian Texrts from Central Asia それからさ、マッジマニカーヤとサンユッタニカーヤにも思いっきり書いてあるんだけど まあ、もう何も言う気は無いけどさ 宗教団体が教えている仏教を疑う事も必要だぜ 宗教団体が教えている仏教「以外の」仏教を、たった1人で自主的に探し学ぶ事も必要だぜ。 >>269 いい加減なことを言うな。 サンユッタ・ニカーヤには岩波文庫に中村元の邦訳がある。 その該当箇所を示せよ。 >>269 思いっきり書いてあるんだろ?どこに書いてある? 釈尊がアーナンダに、「文字に 起こすならパーリ語・マガダ語(口語)で書け 絶対サンスクリット語(文語)で書くな。と勧告」したと? >>270 >いい加減なことを言うな。 >サンユッタ・ニカーヤには岩波文庫に中村元の邦訳がある。 >その該当箇所を示せよ。 君ねえ、中村元のサンユッタニカーヤは全文訳じゃないんだよ。 こんな、仏教学習者が誰でも知っている事を無視して 1人で幻想の中で踊るのはやめなさい。 何故、英語の文献に当たろうとしないの? 君も仏教に興味を持っているようだから善い人なんだとは思うよ だけどファクトを追う姿勢は大事だよ もうこれでお終い。 >>259 ->>261 さんのレスを味わって再読三読してみなよ 彼は物凄く大切な事を語っている 禅定と観察が無ければ仏教は何も意味が無くなるよ。 >>272 出鱈目ばかり言いやがって。この腐れ創価野郎が。 お前の馬鹿げた投稿にみんな辟易してるんだよ。 >>272 君の物言いでは証拠にならないので却下。 元に戻ってみよう、日蓮が法華経を奉持してこの経で日本制覇を 目論んだ動機だ。 <日蓮はこの経の全てを釈迦の金言と信じた故は>ではなかったかな? 五時八教が仮説で無理があり、インド本国で250年もかかって増広されたお経なりとの歴史的な資料が発掘でもされたように現れるのが現代だ。 君の言い分は、裁判官の前で証言する人が「彼は善人で云々」みたいなもので薄い。 サンスクリット版では十如是の大事な個所が五如是しかない、此れを如何思うか? 其れは誰が足したのか?実行者は鳩摩羅什三蔵とほぼ確定がされて居る。 >>254 まあそれで方便品の一行目、 爾時世尊從三昧安詳而起の「三昧」ですけど、 法華経の原文には三昧が、62箇所もあって、 妙音菩薩品第二十四あたりで連発してるとこを見てみると、 得妙幢相三昧。法華三昧。淨徳三昧。 宿王戯三昧。無縁三昧。智印三昧。 解一切衆生語言三昧。集一切功徳三昧。清淨三昧。 神通遊戯三昧。慧炬三昧。莊嚴王三昧。 淨光明三昧。淨藏三昧。不共三昧。日旋三昧。 得如是等百千萬億恆河沙等諸大三昧。 これらはぶっちゃけ「※※のイメージにどっぷり浸っている」 という一般辞書と同じ意味になってて、 贅沢三昧、読書三昧のようなそんな用例でしょ。 んじゃ座禅の三昧はどうか? といえば、法華経の序品第一にあって、 結跏趺坐。入於無量義處三昧。身心不動。 足を座禅に組んで、無限の果てしない場所にどっぷりと浸り、 体もこころも全く動かず。 相変わらず、どっぷり浸る意味は同じだけど、 この無量義處の意味が、解説されてないんで、 結局は、なんのことだかさっぱりわからんわな…。 >>275 法華経は、法華経出版社の編集ライターさんたちが、 インド各地の坊さんや、穴倉瞑想家に取材して回った、 いろんな玉石混交話を集めた、仏教業界のダイジェスト本と思うけど、 俗物なライターが、覚者さまからホンモノの話を聞いてきても、 ほとけの世界に含まれる抽象性が理解できなくて、 どうしてもピントのはずれた俗物な言葉の羅列になってしまう。 そんなら、座禅の三昧とはどんな状況か? になるんだけど、結論はちょー簡単で、 無量義處 = 非イメージ、でしかなく、 頭になにも浮かばない状態を、トレーニングしてるに過ぎないのよ。 ここはどこ? わたしはダレ? ↑座禅の目的はこれだけのことでしかなく、とりあえずは、 この仏世界の入口にあたる、非イメージとはなにか? を体験しないと、法華経の俗物レベルから抜けられんでしょ。 それがこないだ見つけた、法師品十にある諸経の王を説明する五文字、 聞已諦思惟(考えることを止める)、の意味でもあるんだけど、 学者先生たちは、意味がわからなくて、大事なとこ飛ばしてるよね。 ということなら、また最初に戻って、安楽行品の十二文字。 常好坐禪。在於閑處。修攝其心。 せっかく法華経に具体的な行法が書いてあるのに、 法華経に帰依すると口では言いながら、この常好坐禪はガン無視してて、 逆に法華経のどこにも、やれとは根拠が書いてない題目ナムナムを、 勝手な思い込みでやってる日蓮教のムジュンですよね…。 >>276 それでまあ、安楽行品は日蓮仏法の天敵ですがw 菩薩のやってはいけない(非親近)、ダメダメ集というのは、 ザックリ言えば俗世間と付き合わないこと、でしかなく、 でもここんとこが広宣流布や、在家宗教とケンカしてしまうから、 なかったことにして、スルーしかないのが日蓮教の痛いとこか…。 それに続く菩薩のやるべきおすすめの第一が(初親近処/處)、 常好坐禪のとこで、ここで初めて具体的な行法が解説される。 ところがさ、さらにおすすめ集その二が (第二親近處) 続いてて、 だれもこれには言及してなくて (関わりたくないw)、無視されてんだけど、 この部分は、中国禅宗や般若心経とまったく同じ内容でしかなく、 いちおう貼っとくかね、つづきはまた今度…。 復次菩薩摩訶薩観一切法空。如實相。 不顛倒不動不退不轉。如虚空無所有性。 一切語言道斷。不生不出不起。 無名無相實無所有。無量無邊無礙無障。 但以因縁有。從顛倒生故。説常楽観如是法相。 是名菩薩摩訶薩第二親近處。爾時世尊。 >>256 従容禄の第一則さまを、他人の噂話とののしるわけか、 なかなかいい度胸ですなw 七佛通戒偈は、善と悪や、浄化と穢れのような対立概念を示してて、 禅宗が否定する、二元相対が現れてしまうんだけどね…。 >>277 自浄其意を教法として説かない宗教は、実技が空虚な為にな自然と 手っ取り早い有り無し、互いの立場を論い正義又は不正義の争いに落ち込むでしょう。 これ仏教僧団のみに限らずなのです。 南無妙法蓮華経と唱えて何事かを実体化を願い望む雰囲気を、 法華経の信徒が唱題する姿から、私は感じ取ります。 自性の体が空を会得するのではない何か?と言えば判り易いでしょう。 >>250-251 道元を尊敬し、法華経を評価しない貴君の見解は私も同じなので、その疑問はわかる。 しかし私はそういうふうに考えたことはなかった。 法華経の読誦は道元が決めた作法なのだろうか?それとも後に勤行に取り入れられたのだろうか? 道元そのひとは徹底して只管打坐を強調して、他宗や経典の評価いわゆる教相判釈は修行の妨げと考えていたようだ。 >>277 安楽行品は法華経の中でも唯一仏教経典らしい、恥ずかしくない章なのだが、 外道日蓮にとっては陀羅尼品と同じく目の上のタンコブだったのだろう。 >>254 アンタは何を答えているのか解らないね。 >>147 でのアンタのレスではこのように述べているのだぞ。 >「昧」の字は、くらい(暗い)、と読みがなを振る漢字で、 >●明暗の暗いではなくて、〇私はその方面には暗くて、 >という意味の用例にチカいのよ。 と、このような見解にそって「爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。」を訳してみろと質問したのだ。 的はずれのレスばかりを繰り返している、オマエさんの苦労も察しがつくものだが、 安国論三昧、宿屋三昧と5年も繰り返し拘っているその姿こそ“三昧”の意味を表しているのではないのかね。 序品を読んでみなさい。 「仏此の経(大乗経)を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って身心動したまわず」 この瑞相と同じように、法華経をこれから説くという釈迦の姿だと、普通は想像できるだろうに。 オマエの言う“私はその方面には暗くて、という意味の用例にチカいのよ”とはオマエ自身のことであって、 いい加減で無駄なレスは止めとけ、醜いから。 三昧とは、故山本玄峰老師が、僧堂で言われるように 貪瞋痴の三悪道を昧す(くらます)と受け取るべきです。 座禅は此の三悪道を制御しつつ座り、悟道に近ずくべし>とまでは 露骨に仰らぬが心を自在に扱える境地、それも禅の一つの過程と思われます。 無門関提唱参照 >>282 禅宗の視点からの解釈であるならば、それは禅三昧のことであろう。 君は法華経をお読みでおられるか? ならば君が訳してみなされ。 「爾時世尊從三昧安詳而起告舍利弗」 “三悪道を昧す” に沿った通解にならんと思うぞ。 ご丁寧にも ID:BVdqINNV 氏は妙音菩薩品での三昧の連発の該当箇所も提示しておられる。 法華経での解釈では山本玄峰氏とやらの“三悪道を昧す”では通じないことを確認してみたまえ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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