日蓮ってver.56
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前スレ日蓮ってver.55
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「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 >>82 貴君は、自語相違的な文をものする御仁。
判ってくれる者同士が理解し合えれりゃそれで良い、ホラ難しいか?
俺の論が判らん、そんなお前らはもっと、偉い俺らの論理が判るのがよい。
貴君の論は傲慢な態度と申せましょう。
平安時代の9世紀、秘密曼荼羅十住心論中、子細に
「法華経開題」を弘法大師が記している、日本人として最も多分始めにお題として
法華経の解説、サンスクリットを駆使して充分な分析を行ったひとだろう。
1200年を隔てて現代仏教に通じる論を大師は立てる、此の論述により
法華経の位置付け判断を大師は、あっさり済ました。
日蓮は弘法大師の代表著作秘密曼荼羅十住心論を読まず終いであった様子。
この著の構成論順序がインド仏教史とほぼ重なると指摘されるのが、誠に興深し。
>>83
> 貴君は、自語相違的な文をものする御仁。
> 判ってくれる者同士が理解し合えれりゃそれで良い、ホラ難しいか?
> 俺の論が判らん、そんなお前らはもっと、偉い俺らの論理が判るのがよい。
> 貴君の論は傲慢な態度と申せましょう。
だからそれと同じ事が方便品第二に書かれていて、そのソリューションも書かれているんです。
勤行要典の方便品は恐ろしく省略されてるから、読んだことにはなりませんよ。
とにかく法華経を嘱累品まで読んでから、もう一度戻って
方便品を読んでみてください。
方便品はイントロとイニシエーションだけではなく、一周しての伏線回収でもあるんです。
ここに書くのはここまでにしましょう。
こういう話は、お互い話し合っても無理なんです。意見の対立を感情の対立にしてしまったり
自分が今まで形作った信条をリビジョンする事に恐怖したり反発したい気持ちから
感情の充填された言葉という無産の議論になるからです。
人間というのは、そういうものです。だから、それが悪いとか間違ってると言うつもりはありません。
ただ
人間というのは結局、自分自身で調べて調べて、原典にあたり、何者にも依存する事なく
自分自身で納得するしか無いんです。
他者と空疎な言葉で語り合っても、それは知の低下と教養の崩壊をもたらすだけです。
自分自身で「ああ!そうかあ!」と納得出来る所まで行かなければ理解は無理なんですよ。
法華経を読まない人や読みたく無い人、メンドくさい人が法華経を読まないのは自由です。
しかし、法華経を読まないまま、法華経を語るのは全く違うのです。そこには本当の自由はありません。
法華経を本当に熟読されてる方以外、もう私は何も語らないようにしましょう。 >>84 ソリューション なんだ此れって解決の意味ですか。
考えるに、日本人対象の文を書き記すべきですなぁ、
貴君の文を後世の人が勿体なくも拝読する可能性も少しはある。
新しい表現から早速に古臭くなる、そんな事例を見てませんか?
前にも上げましたよ、ハッスル、スリル、ステテコ、懐かしい思い出の
一時の流行語で在ります。
イントロは導入部分、ホンのとば口くらいの意味。
イニシエーションと言えば故麻原正晃尊師の得意技。
冗談抜きに誤解を避けるためにもカタカナは使用を禁ずると言いたいですね。
固有名詞は兎も角としてです。
今日十月十三日は弘安五年(1282年)の同日に日蓮大聖人が池上で御入滅された日です。
御入滅された時刻は辰の刻(午前八時頃)と言われています。
池上本門寺の隣にある本行寺が御入滅されたお部屋があった跡地に建てられたお寺です。
枕元には曼陀羅を掲げ、釈迦立像を安置したそうです。 >>84
>>87
>法華経を本当に熟読されてる方以外、もう私は何も語らないようにしましょう。
それは良いことだよ、、、オマエ自身にとってもなw
アホとアホが諸法を究盡したところで脳の病が悪化するだけだし。 >>85
ソリューションの意味さえ知らないようでは現在の世界が読めなくないですか?
ちょっと驚いきです。
ダイバーシティ。キュレーター。BT。オルトライト。バイブルベルト。ラストベルト。
アセット。インフルエンサー。OJT。クリティカル。シンギュラリティ。スキーム。
これらの言葉は現在の社会に生きている男にとってはわざわざ日本語に変えて話す人はいません。
日本語にするのが逆に違和感を感じ
1番重要ななのは、このカタカナ語の方が一般的に使われているからです。
あなたはキャタビラーの事を無限軌道といいますか?
歳をとっても時代について来る努力をして下さい。
オピニオン誌も経済誌も、あなたは読めない人なんじゃ無いかな? 日蓮大聖人様は胃腸の病気だった様で下痢の薬を服していた様です。
建治三年(1277年)末から不調だった様で四年ぐらいは病と闘っていたのです。
重病だったにもかかわらず何故今の水戸市の近くの温泉まで湯治に向かわれたのでしょうか?
もっと身延の近くにも音声があったかと思いますが。 >>80
結局、法華経は単なる方便を語るハウツーものだってことだな。「上手な人の騙し方」と言うような類いの。方便を使って何を教えるか何の内実も無い。
全く下らない。
受験参考書を丸暗記して唱えていても、何の知的進歩もない。
>>「ただ仏と仏だけが、あらゆる事物の現象や存在の、あるがままの真実の姿を求め究めてつくす事が出来るのだ」と。(方便品第二冒頭部分)
その極め尽くした「真実の姿」とかを展開してみろよと言ってるのだ。 >>90
そりゃ、病は勤行題目で治ると説いていて、自分から近くの温泉場で湯治療法やってたら、笑われるだけだろうからな。
嫌でも遠くの温泉場でひっそりと湯治するしかないだろう。 >>89
世の中では、キャタピラーと呼ぶこともあり、無限軌道と呼ぶこともある。もともと芋虫のこと。特定メーカーの商標でもある。
物事の実在を重視する人は、曖昧なキャタピラー等と言う言葉より、無限軌道と行った方が、技術的メカ的状態を想像でき、真実の姿を伝えることができる。
貴殿は無内容な言葉の羅列でしかない。 横文字を交えて無内容な言葉の羅列ですり替えるのが、日蓮系洗脳屋の特徴。 法華経を読む前に仏教の基礎である倶舎論とか唯識を勉強
した方がいいかも。
唯識三年倶舎八年と言われる様に難しいけどね。 一生に一度、出会えるかどうかというような馬鹿に
毎日出会えるのが2ちゃんねるなんです
(ひろゆき)
sleep dirt ,
and
dream on >>89
固有名詞は使っても可、形容詞や学術的な用語は
出来るだけ日本語、漢字に直すべし。
此れは昔に学校の授業で習った記憶在り。
日蓮上人の支持者は男女共に多し、フレッシュは新鮮かね?
生肉かね? >>90
日蓮最期の手紙である波木井殿御報は真蹟扱いだけど
全文日興の代筆(花押は病身のためお許しをとある)
筆も持てないほど衰弱してるのにどうやって池上に無事着いたのか
不思議だよな
馬に括り付けて運んだのかな、、、 >>90
病気の信者には布施を取って題目を押し付けるが、自分が病気だと服薬したり湯治を試みたりする。
日蓮といえば熱原の件を見ても他人に対しては酷薄な印象が強いが、自分に対しては優しさに満ちあふれていた。 >>89
日蓮は、ライフスタイルに於いて女性はスルーし、バチェラーである。
かといってホモセクシュアルであるという確証には欠ける。
スィートホームをゲットしたい欲求を彼はシャットせざるを得ないスキンヘッド。
ハズバンドとしては、サラリーが不足していたに違いない、ベガーはマネーが無いと
同義語である。
然し性にオープンな時代ゆえセックステクニックは身に着けていたかもしれない。
彼の着用するトランクス、アンダーウェアははタイトではなかったはずで一本の
ホワイトベルトと推測する。
ナイスな女性とスピーディーに一時のカップルとしてベッドイン!!の可能性もある。
本人が御書にセックスレポートを残していない為、我々がそれをチエックするのは
タイムマシーンの出現を待たねばならない、鎌倉時代のニーズは何であろうか? >>101
読んでる方が恥ずかしいなw
>89は現在のビジネスシーンで頻繁に使われている言葉なのに
101の書き込みは60年代70年代の大昔の化石のような言葉w
爺さん、時間が止まったまま?
こういう人が宗教にはまるんだろうなw でも>>101の爺さん(?)は気に入ったよ。こんな人に出会えるのも貴重な体験だ。
大ベストセラーになった「サピエンス全史」というパラダイムシフトを啓示した本も
読んで無い人だろうな。いやサピエンス全史だけでなく月刊・選択も読んで無い人だろう。
水平線の向こうは大きな滝になっていると信じて、現実を語る人を排除したり
城壁の外にはドラゴンがいるから危険だと、決して外の世界を見ない人なのだろう。
今の時代、そういう人は稀有で貴重な存在だ。どのくらい貴重かというと
フランス国立考古学博物館のクロマニヨン人の横に陳列されるぐらい貴重だよ。
このスレの人は、彼の言質文言を読んで、人間観察の、いっときの心の慰めにするべきだよ。
なかなか面白い人に出会えた。
私の心の珍獣図鑑に掲載する事を決めたよw 日蓮大聖人は常陸の国に湯治に向かわれる時、身延から甲府盆地を経由し、御坂峠、三国峠、足柄峠という険しい峠越えをして関東平野に出られました。
池上に到着したのは弘安五年の九月十九日なのですが、その前日の九月十八日には池上のすぐ近くの萬福寺というその当時は密教のお寺に急遽、宿泊されました。
かなり衰弱されていた為、池上まであと半里という所で休まないといけない状況だったのです。
大聖人様は泊めてくれたお礼に身に着けていた鬼子母神像をお寺に寄進されました。
その像が今では曹洞宗となった萬福寺に安置されています。 >>102宗教とビジネスという課題は鈴木正三が立派なお答えを
出している、それが現代に通じる日本人の日々の生活と仕事の思想基盤ともいえる。
営業で得た利得をどの様に解釈するか?正三は日々の生活活動こそ即ち佛行と云う。
>>103 面白ければそれで好し、というのは娯楽を提供する人たちの仕事。
さて、 貴君の申される様な言い方を借りて言うなら、檀家を基に寺を維持する坊さん、
仏教系新興宗教の多くの教団は、明治以降「海外から来る新資料を悪ドラゴン」と見てか?
教学から排除し無かったことにして口を噤み(つぐみ)今がある。
大きな滝壺が迫るのを知らずにか?のほほんと幸福に毎日を送るらしい。
天台智氏御推薦、日蓮が推戴する法華経の本体が如何ともし難い襤褸船。←読んでね!
あと一世代後(三十年が一世代)にも依然として江戸時代完成の蓮宗学林教学を
創価学会はドリル迄使って暗記せよと教えているのだろうか?
立正安国論が時の執権に未提示、日本国選定の教科書は何時、訂正するのだろうか?
私は思うのだが、使えないモノ、根本に虚偽が混じる教えは忘却されて消える。
「リバイバルは中島みゆき」だが、使えないモノに復権は無いのだ。
坊さんは其れが判っているから、問われて逃げ腰になり立ち去って胸をなでおろす。
知人が坊さんに問い、あんなにお経があるけんど、み〜んなお釈迦さんが説いたもんだか?
坊さん即座に激怒!、お経は坊主に任せろ!と怒鳴る無様(ぶざま)。
日蓮師の不幸は、必要な参考書を手に取れず資料不足のまま論を残す。
其れを我々が論って(あげつらって)仔細に解剖するのがこのスレなのだ。
信ずる者は道に迷って何処へ往く? >>104
見てきたように日蓮のエピソードを書くけど
初出はいつ誰の〇〇ってのもお願いできるかな
ちなみに日興「代筆」の波木井殿御報には日蓮が
どこで死んでも墓は身延にと書いてある これだと例え偽物でも行方不明の間にすり替えられた
とか何とでも言えるよね
http://www.manpukuji.or.jp/publics/index/95/
萬福寺 要鬼子母神の変現
鬼子母神の尊像と日蓮聖人墨蹟一軸は、寺宝として大切に
伝えられてきたものですが、昭和の初めに何者かによって
行方が分からなくなりました。ようやく探し当てた時は訳
あって御迎えができず、そうこうするうちにまた行方不明に
なってしましました。しかし、聖人との由緒を長く伝える
ため、昭和六十二年に「聖人御一泊の地」の石碑を建立した
ところ、まことに不思議なことですが、翌月に静岡県吉原の
岸本氏から突然「父が持っていた御尊像を戻したい」との
申し出があり、同年十一月二十五日、元の所へ無事御奉納
できました。実に有難き因縁と申せましょう。 スレの皆さん!
彼は何を言ってるんですか?
わかります? >>109 要旨は日蓮宗の教学が時代に全く即しない、江戸時代の儘である。
出元の日蓮には学が無い。
上の二行を伸ばしただけのお話し。
読みゃわかる、それに私の見聞を付加したもの。 >>105
>立正安国論が時の執権に未提示
驚きました。
はじめて聞いた話です。 >>109
「立正安国論が時の執権に未提示」って本当でしょうか? 創価学会でも日蓮正宗でも顕正会でも、法華経を完読した人っていないみたいで
彼らに法華経について質問すると(折伏しようとして来るから)
何も答えられない。
で、論題を日蓮の御書にすり替えて話をするんだけど
「ちょっと待ってください!私は法華経の話を今してるんですけど」と正すと
彼らは異口同音に
「法華経は重要じゃありません。勤行唱題と御書が1番大切なのです」と
自己言及のパラドクスを披露するんだよなあ
これって、日蓮を信じている信者自体が
日蓮を蔑ろにしてる事になるじゃない?
あの世が有るかどうか分からないけどさ、あの世で日蓮は泣いてると思うぜ
あれだけ日蓮は法華経の喧伝をしてたんだから。
末法においては法華経も、、、、の言葉は安易な要素還元主義的な免罪符じゃ無いんだよ。
っていうか宗教にハマる人って言うのは、知性の低い人だから、しょうがないけどさ >>114
>彼らに法華経について質問すると
どんな質問をしたのですか? >>112 直前のスレッドNO55.54で見られます。
日蓮が原稿を仕舞い込んで未提示には驚きました。 池上村で養生し、鎌倉へ??
これ日蓮なのか?
波木井殿御報と違うけどw
萬福寺
http://www.manpukuji.or.jp/publics/index/95/
翌朝、まだ痛みが続いてつらい中にもようやく身を起こされた聖人は、ずっと身に
つけてきた鬼子母神の尊像を侍者に持たせ、当山の住持に「私は大志をもって、名を
万夫にあげ誉れを後代に著わそうと覚悟を決めて一宗を開きました。池上村で養生し、
病気がよくなりましたならば鎌倉へ行きたいと思っておいます。これからはお互いに
助け合ってまいりましょう。」と申され、尊像を寄進して池上村へ出発されました。 >>114
日蓮がどうのこうの以前に正宗系カルト(創価、日蓮正宗、顕正会)がイカれてるなんて昔から言われてた事だろ
今更すぎだろ >>108
議論になっているだけ羨ましいよ。
他の創価スレは、ストーカー、麻薬売買、北朝鮮という妄想ネタで埋め尽くされて議論にならない。
ここも、もし議論が途絶えたら途端に統失の餌食になるぞ。 >>118
>日蓮がどうのこうの以前に正宗系カルト(創価、日蓮正宗、顕正会)がイカれてるなんて昔から言われてた事だろ
>今更すぎだろ
でも(創価、日蓮正宗、顕正会)の人達でも数は少ないだろうけど法華経を勉強というか
教義教理哲学として研究者の様に読んでいる人もいるんじゃ無いかな?
そういう人は物凄くマイノリティだから人に知られないだけで。
ある団体の方に法華経について質問をしたら(知らない事への質問では無くて、知った上での質問ね)
ある方が法華経を語り始めたんだよ。彼の話の冒頭は中々真面目な視座で法華経を理解してるのかな?
と、ちょっと嬉しくなったんだけど同席していた仲間の信者さんが目くばせをした途端
彼は法華経の話を途中で辞めてしまった。
こういう団体は信者の前で法華経の本質を語ってはいけないという同調圧力が
あるんじゃ無いだろうか?
彼とは信者さんが1人も居ない、2人きりで法華経を話せたら面白い対話になったかも知れないと残念だ。
どの3つの団体でも、法華経のメタフォリカルな視点から法華経解釈を語ると
思いっきり阻止されるし、論題を他の物に向けさそうと慌てて努力する人がいるよね?
知ってるでしょ?
某団体が法華経や御書を徹底的に勉強させるグループを作ったんだけど
そのメンバーは元々真面目な人達で法華経を学べば学ぶほど疑義を持ち脱会した事件が
あったんだけど、辞める辞めないは個人の自由だけどさ
法華経を真剣に学んだ人が脱会した事実と、団体組織として教条の間にある乖離を
団体自体が団体自治として、責任を持って全信者に対して説明責任があると思う。
また
多くの信者さん達は決して「団体幹部として責任ある回答を切に望む」なんて言う人はいないんだよな。
まあ宗教って大企業から地方の中小企業経営者、商店経営、医院経営の人達の
経済活動的に有利だから入っている人が多いわけだから、しょうがないか。
そういう人達が活動熱心な信者だから、地区ではリーダーシップとってるから
それ以外の信者は意見など言えないよな 萬福寺
http://www.manpukuji.or.jp/publics/index/95/
日蓮は池上で養生して鎌倉へ行きたいと言ってるのに
日興達は波木井殿御報にあるように常陸の湯に引きずって
行こうとしていたのだとすると
予言が外れて蒙古が撃退されてしまって邪魔になった日連を
弟子達が、、、、、、
だとすると身延で日蓮の成仏祈願をしていたというのも納得だが >>116
それって単なる推測でのお話じゃないですか? >>120 日連系統の信仰団体が続出する現象ですね。
疑問の切り口が幾らでもあり、見解の相違が止めどなく出るお経。
読む者同士の相違点を互いに指摘し合いが論争になる、似た現象が
キリスト教会にも在って聖書解釈権が基になり新旧の闘争が起きている。
いみじくも、池田大作氏曰く「法主は権威ではない」強硬な発言も相違点がある故。
尤も池田氏の意中は、「宗門は下僕で金銭で使い回すべし」であろうと私は思う。
日蓮師の真意とは「法華経の解釈権は俺に在ると断言」でしょう。 >>122 時間列による系統を立てて、
論証されてました。
お読みください >>123
>日連系統の信仰団体が続出する現象ですね。
宗教団体を作るのに日蓮を利用しようとする時点で失敗の可能性は大きいのに気づかない人が多いんだよ。
日蓮は法華経を物凄く喧伝してるけど、その法華経ってスートラの中では
哲学的にチョー難しいんだよなw
それを信者に解説出来る知的レベルの高い人なんてそうそういない。
せいぜい題目と御書だけでいいんですよって逃げるのが精一杯w >>121
日蓮は3度目があると予想していたらしい。
元ももう一度やろうという動きはあったが
結局流れてしまい、日蓮は結果を見ることなく
世を去った。
予想すること自体はいいが、
もし侵略されることを望んでいたのだとしたら
仏法者としてはまったく本末転倒なことになるね。 >>124
時系列によって、安国論が未提示であるという確証には無理がありませんか? 安国論を幕府に提出してないという証明などできるはずがないw
提出したと教科書で習ったが証拠は一切ないし現物もない
日蓮が作成した控えの真筆が国宝に指定されてるのだが
御書の記述も後出しだし嘘くさいよなあと思ってるだけ
国宝・立正安国論
http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1521000002.html >>127 彼の緻密な考証をお読みください。
率直に言って私は途中でだるくなっています。
だが然し恐るべき熱心さで資料を並べています・ >>129
そうしますと貴方自身は、その並べられた資料により>>105にて
「立正安国論が時の執権に未提示」とだらけた発言だったのでしょうか?
上での>>128の御方が言っていますように、
安国論の提出疑惑は論証できないと思いますが、どうでしょうか? >>130
なにかをしていない、というのは悪魔の証明だから論証などできない。
っていうか安国論未提出説は何度も論破されて、そんなにいうなら論文書いて発表してねで終わってる。 こんな糞スレで論証も糞もないだろうね。
真面目なやりたきゃトイレで勉強しようなんて
思わないほうがいい。 このスレには論証できる人が結局は居ないってことですか?
>>132
>そんなにいうなら論文書いて発表してねで終わってる。
こんなの論破と違うでしょう。
>>133
そのような言い草をされたら、余計に論証を述べたくなることでしょう。
私は>>129からの返信を期待してますので、静かにしてください。 >>120
>教義教理哲学として研究者の様に読んでいる人もいるんじゃ無いかな?
>そういう人は物凄くマイノリティだから人に知られないだけで。
真面目に学ぶ様な奴がカルトにそのまま居座る訳ないでしょw
前に気楽非活のブログ主に質問した事があるが
広宣部で真面目な奴で教学に励んだ人間程、精神を病むか創価を辞めていったと彼は言ってたよw
>>団体自体が団体自治として、責任を持って全信者に対して説明責任があると思う。
詐欺師に誠実な対応や態度を求めてそれが叶うと思うのか?
ましてや元儲のアンチでさえ、騙されたのは自己責任なんてホザクのが多数いる日蓮本仏カルト
騙す側には都合の良い考えよな、自己責任論はw
団体側は一切責任負わない、負わせない思想なんだから 創価学会が主体で発刊済、分冊5巻程度か?の大判仏教大辞典をご覧いただきたい。
私は仏教に関心を持って入門した箇所を適当に拾い読みし、この辞典は資源の無駄
使いというより他に無い代物と判定させられた。
>>135氏の仰る通りで、精神を病みそうな辞書を天下に刊行広布と感想を得る。
そもそも辞書は事実の記述に徹するのが使命、その記述途中で他の宗旨を誹謗するとは珍部類なるカルト教団辞書。
全巻500円程度の古書価格なので未見の方は一見の価値あり。
134氏は蔵書でお持ちか? >>136
貴殿も物好きな御趣味ですなあ。
いかに酔狂な仏教マニアでも創価発行という時点で普通買わないでしょうに。 何処の出版か?誰が書いたのか?というチェックは仏教を学ぶ上で必要ですね。
この中で岩波から出ている「法華経・岩本訳」を読まれた方いらっしゃいますか?
この本だけは賛否両論で、皆さんはどういう帰結を得ましたか? 日蓮に関して興味深いのは
「妙法蓮華経並開結」(創価学会教学部)新版と旧版両方読むとだよ。
創価学会が日蓮をどの様に解釈していたのかストレートに分かる。
これを読んでみると、それぞれの教団にそれぞれの日蓮がいる事が分かる。
日蓮は現段階で1人の人格として捉えられない難しさを感じた。
それぞれの団体の信者の教条的日蓮と、何処にも属さず個人で仏教を学ぶ人達。
それぞれが認識できる日蓮は、それぞれに違う人間として存在するんだろうな。 >>138 貴君ね、僕は当然立ち読みですよ。
あんな大荷物、担ぐわけにはいかない。
自宅に置いても場所ふさぎ、漬物石にもならんし。
お笑いの種で御座います,物種! >>141
仏教哲学大辞典、昔、実家にあった
あんな分厚い本を立ち読み出来るわけないだろww 撰時抄
「建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」
鎌倉の寺院を焼き払って念仏者、禅僧の首を刎ねよ!そうしないと日本国は亡ぶと述べているが
末法の御本仏がこの様な事を書くのだろうか? >>143
日蓮教の誤本仏はその程度だよ。
「銭一貫五百文給び候い畢んぬ、焼亡の事委く承つて候事悦び入つて候、」(王舎城事)
一貫500文の銭くれてありがとう。良観房の寺が火事で焼けたのを聞いてマンモスうれピーニダよ、と大喜びするくらいだからな。 626 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2020/10/16(金) 06:13:00.98 ID:KbPrYZmh
人間の、自分は被害者だというアピールは凄まじい。
この凄まじい理由は、自分は被害者だと訴えたい願望というのは一種の自己顕示欲だからだろうな
この自己顕示欲が被害者感情と結び付いて拡張すると、様々な被害妄想に形を変える。
創価学会は折伏や日蓮正宗攻撃で周囲に迷惑をかけていることは確か。
だが、被害を受けている側がその被害を誇張して表現しようとすると、創価学会はいつの間にか北朝鮮やヤクザやストーカーや麻薬取引や公安といった魔王の巣窟のような組織になってしまう。
実際は、魔王は創価の極一部でしかないにも関わらず。
創価の宗祖である日蓮は、仏教に自分の被害者感情を持ち込み、世間の宗教を末法の世に災難をもたらす加害者、いわゆる邪宗として表現した。
そして日蓮は、自分や民衆は邪宗が原因で生じている末法の災難から迷惑を受けている被害者だという面(つら)をした。
これは明らかに、被害者面したい自己顕示欲と、自己顕示欲が拡張した被害妄想。
日蓮はこの被害者面(つら)と被害妄想に囚われたせいで、加害者と見なした他の宗教、いわゆる邪宗を滅ぼすという自己顕示の暴走行動に自ずと駆られる。
創価の旺盛な行動力は、この日蓮の被害者感情・自己顕示欲・被害妄想の態度に淵源を発している。
それゆえに創価は、現代において、日蓮の再現として、日蓮と同じように被害者感情に駆られて邪宗(加害者)探しに熱中する。
そして、創価に反する思想や人物に対して被害妄想を肥大させ、相手を正法を妨害する魔(加害者)と決めつる。
そして創価は被害者感情を爆発させて、加害者や魔と見なした創価に反する宗教や人物に攻撃を繰り返した。
創価学会が糖質や日蓮正宗から極悪の加害者として見なされて被害妄想の餌食とされるのは、因果応報の部分ではある。 >>63 そんで、漢文読めない (読む気がない) 日蓮教学者の、
法華経=諸経の王、というしょーもない精神病の妄想は置き去りにして、
アンタたちは死ぬまで勝手にナムナムしてりゃいいじゃん、ってことで、
このスレの通行人向けに、また諸経の王につづく五文字なんだけど、
是諸經之王、聞已諦思惟。
思いを巡らすことをあきらめて、
(その状態を)すでに聞いて(知って)いる。
諦(あきらめる)を、自分勝手に辞書の意味が存在しない、
しかも正反対の意味である『明らか』と改ざんしたのが、
どこのバカのトーシロ学者もどきかは、名前を知りませんが、
この件はかなり、ケシカランことだと思いますよ。
そうしたら前すれ、もうちょっと前の方のレスにも、
諦観=観察を明らかにする??? とかいう、引用あるから、
諦には、●考えをハッキリさせる、〇考えることを止める、二つの解釈があって、
すべての根源は、お釈迦さまが菩提樹の木の下で、
断食・瞑想すること三週間くらい?それが仏教の始まりよ。
そして、瞑想から覚めたお釈迦さまは、
なんか気がついたことがあるらしく、
最初に出会った密林の修行者たちに自分の理解した中身を、
説明し始めるわけでしょ?
そのときに、断食&瞑想をしている状態の中では、
自分の頭の中の考えがハッキリと『明らかに』
認識できている状態ですか (yes/no)? という質問をしてみたいとこだな、
どっちにしろ、一つの漢字に正反対の両方の意味があるわきゃないんで…。 >>147
その答えは「三昧」でしかなく、座禅の瞑想中は周囲の状況が、
なんだかよくわからん、ぼーっとして意識が曖昧な状態にあるわけで、
「昧」の字は、くらい(暗い)、と読みがなを振る漢字で、
●明暗の暗いではなくて、〇私はその方面には暗くて、
という意味の用例にチカいのよ。
昧はよくわからない、という意味でしかないんだけど、
この話は、座禅の行法がある、禅、天台、真言の人たちには、
はっはーん♪ みたいな感じでわかってもらえるかもしらんけど、
日蓮教団は座禅の行法を排除している、
ニセモノのインチキな仏教ごっこでしかないから、
このレスはスルーして、無意味な日蓮本尊に向かって、
ナムナムし続けてくださいね、とでも言っとくか…。
でね、けっきょくね、法華経法師品の一節である、
聞已諦思惟のあたりを、もうすこし現代風の言い回しに編集すれば、
あれこれと考えることを止めた、そんな感じの時、
もしその時を、しっかりと思い出すことが出来れば、
そのときに仏の声を聞いている可能性があって(決了声聞法)、
それこそが、すべての経典の元になっているんですよ(是諸經之王)
というような意味でしかなく、日蓮教は座禅をやったことないから、
仏の抽象性が理解できなくて、自分たちの俗物アタマで考えた、
シロート臭いヘンなたとえ話を、延々と繰り返しつづけるだけで、
法華経 → 決了声聞法 → 是諸經之王、と三段階にワープして、
法華経原文を無理矢理に改ざんして、自分たちだけがサイコー!!
と、まんだらオナニーしながら人生を続けるつもりなんかね…。 立正安国論を鎌倉幕府に提出した話は、未提出とは言ってなくてw
タイムマシンで八百年過去の時代に戻ることはできないので、
ホントかどうかは検証確認ができなくて、推理するしかないんだけど、
結局は、「安国論」のワードで探すと抽出される日蓮御書があって、
その結果を時系列順に並べてみるとこうなるという話でしかなく、
1260年文応元年7月 立正安国論を幕府に提出 (と八年後から言い始める)。
1261・・・
62・・・
63・・・
64・・・文応元年を含め八年間、安国論についての記述がない
65・・・
66・・・
67・・・
…
1268年1月 (文永五年)蒙古蝶状が届き、戦は避けられず。
同年4月 安国論御勘由来、←安国論幕府提出話の初出…。
※※日本史教科書の、山川出版、吉川弘文館には、
1260文応元年に日蓮師匠が、自分の命の危険もかえりみず、
鎌倉幕府に勇気の政策提言を提出したと、もっともらしく記述があって、
脳みそがまだ真っ白な日本人の中高生を昭和27年以降、現在まで洗脳し続けています。
これ、日本史の山川と吉川の記述にある1260文応元年には、
御書には安国論の記述がなくて、その翌年1261年にもなく、翌々1262年も、翌翌々1263年もなく、
それ以降もずーっとなくて、結局八年後に始めて初出で現れる後出しの話でしかなく、
この年表って立正安国論が、1268年に成立した後出しなのを示しているだけじゃん…。
山川と吉川は、創価大学の季武教授の歴史本を出版していますから、
逆に創価から本を大量に買ってもらってる立場みたいですけど…? >>149 でね、安国論を幕府に提出した話は、日蓮御書にいっぱいあって、
その内容はいちぶの御書を除いてすべて形式が統一された言葉で、
それは三点セットの形式なんだけど、
1. 1260年文応元年に、
2. (取次の) 宿屋入道に安国論を預け、
3. 最明寺殿に安国論を上奏 (意見 )した、
というもので、まあ日蓮師匠が自分の命の危険もかえりみずに、
幕府に政策提言を行って、その結果弾圧された、という、
統失的な妄想バリバリで、お大事にしてくださいね、という感じ。
中身はシンプルで、法然上人の念仏(浄土宗)が流行ったせいで、
蒙古水軍が攻めてくるは、鎌倉執権の時宗と時輔の内乱が起こるわで、
そんな予言もどきの、国が荒れるから念仏を取り締まれと言わんばかりの、
中身が無内容というよりは、完全にテロ扇動をアジってる感じなんすけど。
でさ、この安国論のテロ推奨文章を、千葉県の市川市教育委員会が、
日蓮師匠は文献を引用しながらキビしい口調で幕府を批判した、
とサイトの説明にホメたたえていて、でもこの文献引用はじつは当時の、
護国経典の解説本の完全丸写しで、自分で調べたものではないんじゃない…?
で、安国論は無内容な念仏攻撃と、テロ扇動丸出し文書でしかなくて、
1.の文応元年は年表では八年後に成立してるみたいで、明らかに嘘で、
八年後、蒙古から届いた国書の噂を聞いて、後出しじゃんけんのタイミングの文書として、
預言が当たったとうそをついてます。
そして、2.の●宿屋入道は、〇宿谷の人名漢字の間違いなのがわかっていて、
3.の最明寺殿は、文応元年から三年後に北条時頼が死んで付けられた
戒名の名前でしかなく、戒名を宛名書きにして上奏したらしいんですが…。 >>148
三昧とは 或る禅師が曰く、静座して三つの心境を昧す(くらます)
貪瞋痴の三悪道を先ずくらましてしまうのだ。
師家の役目は、この心の使い方を指導し外さない様に見届ける。
まあそんな説明で宜しいでしょうか。 >>145、日蓮は被害者意識が強烈に残りそれが行動の基盤に在るらしい。
まことに扱い難い憤怒と激情性格の人とおもう。
私が以前に記す、最初に僧侶となった寺で、彼自身への扱われ方が
彼の心に強烈な歪みを残すという推測は捨てがたいので再び記す。
彼は阿弥陀信仰の僧を縁に辿って入山し法名を貰い、剃髪、一応の法体になる。
但し阿弥陀信仰の僧は聖であり、本格の僧とは認められず寺中では雑務、と念仏。
一歩外に出ると遺骸を扱う阿弥と呼ばれる剃髪聖の仲間と同類である、寺に記名があるだけまだまし。
此の身分は天台の奥旨である密教には指一本触れられない。
日蓮は出世を望み、それを夢見て出家したが、資格と資材に乏しく得度入壇は拒まれる。
此れは憶測であるが、先輩の僧に何度も何度も、秘奥の教えを訊いて拒まれ仕舞いには
寺の大教授、阿闍梨様から厳に叱責を蒙ったはず、「お前には教えを聴く資格が無い、今後一切
質問をしてはいかん」
仏法においてすら、学問の平等は無いのが実態と彼は切歯扼腕し泣いた事だろう。
彼の被害者意識の根本は此れが因と推測する。
彼は学が足りない、その原因は書物を見ていない。
読むべきは、弘法大師の十巻章、秘密曼荼羅十住心論、興教大師の五輪九字秘釈
は読むべきであったが借覧に応じる僧侶が居なかった。
但し、彼が天台で得度入壇していたなら、上に挙げた書を見ていたなら、
今日の日蓮宗は存在しない。
>>151
座禅については肯定的な立場だけど
座禅や題目や念仏や、地方によっては般若心経の最後の「ギャーテーギャーテー」を何十分も読経したり
色々あるけど生理学的、生化学的には呼吸を多くして脳内動脈血酸素飽和度を下げて
脳を酸欠状態にしてシナプス間にセロトニンを増やす多幸感や執着を無くす機能はあるんだよな。
題目や念仏の良い所は、仲間と一緒に唱える事によって、その瞬間だけは自我を
滅する事が出来るという事だし。
禅宗の座禅は自分自身にコミットして、より厳しい状態で自我を滅するという事だし
力量のある師家につけば適切なダイレクションを、時にメタフォリカルに
また時に厳しい拶所で指導してくれるという、そこまでで終わらない所が良い所 1つ参禅会で体験して、少し危険だなと思った所がある。
禅宗では魔境というのだが、座禅をして三昧になりきると全てが無くなる状態になる。
私の場合は体の重さが無くなって、座禅をしている姿勢や足の痛みが一瞬にして消え
下を見ると海が見えて、座禅したまま自分が海の上を飛んでいく幻影が見えた。
老師によると新参は先ず、この魔境を体験を「悟り」とか「神通力」だと誤解するが
これは座禅を真剣にやると誰でも経験する事であり、その現象さえも
ただの縁起によって知覚された実態が無い物として、執着を断ち切る修行の1つだ
と厳しく指導されたよ。
しっかりした師家、正師、老師につけたから私は良かったけど
禅の本を読んで正師に付かず自宅で座禅をした人だと、コレが仏教の悟りだ!と
誤解をしてしまう人がいるんじゃ無いかな?と、ココが危険な所だと思う。 >>151
三昧は梵語サマディの音写だから漢字の意義に引きずられてはいけない。
どうも法華経業者は上は天台大師、最澄から末端の日蓮に至るまで梵語が読めず漢字の恣意的な解釈に走る手合いが多い。 >>155もしかしたら、道教の用語の可能性も在る。
仏教経典を翻訳するときに道教の用語が多数混入しているとの
報告を何かで読んだ。
然し、三昧についての説明は見事と思い記憶している。 無知なのも生まれつき頭が悪いのも、それ自体は決して罪でも恥でもない。
しかし己の浅学菲才を省みず、いい加減な己義を立てるのは最悪の所業だろう。 三昧って臨済宗だと「五祖下の暗号密令」に埋没させる事と
大死1番絶後に蘇生して遊戯を得るという2つの意味で使うけどね。
現代において解釈する時は、どこの場所で使うか?を考えるべきだよ。
例えば
エヴァンゲリズムという言葉は
宗教の世界で使うのと、コンピューター・システム設計で使う時とでは意味が違うみたいに。
語源は公会議からだけど、現代のITや経済の世界でエヴァンゲリズムという言葉を
ニカエヤ公会議やエフェソス公会議と同じ意味で使ってる人はいないみたいに
どこの場所で使っているか?が大事
99パーセントの人が「確信犯」と言う言葉を逆の意味で使ってる以上
「本来の意味はねえ、、」と言わずに現在常用されている間違った意味で話す方が
逆にメンドくさく無いでしょ? >>148
「三昧」の君の解釈で、
妙法蓮華經方便品第二の冒頭、
「爾時世尊從三昧安詳而起。告舍利弗。」
の「 」部分を通解してみなさい。 >>148 他人の台詞を都合よく並べて,わかった様な好い気持ちになる。
そこを159氏は突くのであり、
此れでは、幾ら仏教の資料を読んだところで「他人事で自分は無傷」
彼と創価の一日三座の勤行をする信者を並べて見たら、愚かな凡夫凡婦の三座勤行の方を
助けてやろうという心境に成ろう。<助けに回る人はお釈迦様ですな>。
此れはどうしても、助けてやろうという慈悲心を神仏に起こさせるほどの熱意が人生を
変えるのですが、「己を賢いと思ってる幅と距離があるだけ、
助けが来ない」なんとも皮肉なものです。
禅の師家に問い詰めて何ゆえに座るか?と問うならば、「幸福実現の為」と申される。
南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏と日々、唱えて幸福が実現すのか?
持った疑念を晴らすのも大きな修行、日蓮が志向の実現希望の幸福は何であったか?
其れと君の幸福は相関関係にあるのか?見極めるべき課題でありましょう。 >>155
>どうも法華経業者は上は天台大師、最澄から末端の日蓮に至るまで梵語が読めず漢字の恣意的な解釈に走る手合いが多い。
天台から日蓮まで、そして現代でもサンスクリット語の理解の仕方は結構難しいよ。
ダブルミーニングだけじゃない、複雑なサンスクリット語法、サンスクリット文法という
まるで修辞学から発生した言葉なんじゃないか?と思える程読み手の再構成を強いる
エストリック的な意味で排他的でさえある。
例えば「常不軽菩薩」には実はサンスクリット語法では4っつの意味がある。
サンスクリット語を学んでいる人は、おそらく1番最初に教わる部分なんだけど
ダブルミーニング以上の修辞に、世界最小の文学という俳句を作り出した日本人の末裔は
もはや俳句を読めない様に、どうしてもテクスト論的に法華経を読んでしまう。 松岡正剛さんと話した時、松岡氏は
「法華経を読んだ人かどうか?をプロービングするのが先ず大切ですよ」
「法華経を通読すれば、法華経には過去に3っつ、現在に1つの合計4っつの法華経が
あると書いてあるから、先ずそれを相手が理解してるかどうか?を確認してみたらどうです?」
「でないと、いくらこっちがマインドセットして法華経を語っても、相手が
法華経を語り合える人では何も会話に意味が存在しませんからね」
と、松岡氏は法華経のアナロジーとコンテクストの理解の大切さを語り
「それらの理解が無い人は、元から私達とは視座が違うので、そういう方々とお話をすると失望しか無いですよ」
と強調していた事を思い出した。 >>160
>禅の師家に問い詰めて何ゆえに座るか?と問うならば、「幸福実現の為」と申される。
そんな事を言う師家なんていないよw
そんな奴がいたら、そいつは野狐禅w
禅をもう少し学んで欲しいな。
鎌倉新仏教6の中で、1番原始仏教に近い教学の方法論を取っているよ
禅と言っても臨済宗ね
誰々が教えてくれると言う仏教では無く
誰々が教えてくれたから信じますという仏教では無い
特には師家(師匠)の顔を引っ叩いても許される仏教だよ。
これは例え話でもなんでもなく、室内の境涯において現在でも
師匠を思いっきり引っ叩いたり、クワーっと耳元で大声をあげてるよ。
室内の天機を漏らすと仏罰が当たるから禅宗の人達は言わないだけ
しかも禅宗の仏罰は、ただ眉毛が落ちるだけで直ぐにまた生えてくるという優しい仏罰だよ >>163
そうかな?人の行動原則は自己の幸福実現に在る。
其れの極地を釈迦は成仏に至ると仰ったと私は理解している。
この観点を忘却し、尤もそうに指導するらしき
禅の師家は求道の志しの意が薄いおじさんでしかない。
小難しい専門用語は忘れて仕舞え、と思うのだが如何か? 幸福実現、いいじゃないの。日蓮的に言う自受用身、歓喜の中の大歓喜を実感したらいい。
もっともそうかやほけこには無縁だがね。
禅師は自身の幸福実現(自身の仏性を観る)に関心のある人。それだけだよ。 >>164
>そうかな?人の行動原則は自己の幸福実現に在る。
禅宗少なくとも妙心寺派と円覚寺派は「自他不二」というコンセプトがあって
法華系日蓮系の言うような功徳は無く「仏法に不思議無し」というコンセプトもある。
禅宗では仏を連れてこい!とか、富士山になってみろ!なんて言われるんだけど
多くの人が常用する言葉「まるで禅問答のように訳が分からない」事を言われるんだ。
これってテクスト論的に言えば、まるで何を言っているのか?分からない。
禅宗は初めからテクスト論的解釈を否定し(不立文字)
全ての物や言葉は仏法であらざるもの無し(教外別伝)
というアナロジー解釈を求めているし、わざわざ禅寺へ座禅しに行くような人は
初めからアナロジーで解釈する為に仏法を学びに禅寺へ行ってるんだよ。
この辺りは説明するのが難しいんだけど夏目漱石の「門」なんかに見られる
夏目漱石が臨済宗円覚寺へ座禅しに行った体験が反映されてて分かりやすいかも知れない。
あと曹洞宗の信者だったスティーブ・ジョブズの「マインドフルネス」にも
直接的に禅については語っていないけど、引き算の仏教としての禅宗を
上手に書いていたよ。
積み上げていく仏法では無く、1つ1つ持っているものを捨てていく仏法が禅。 ブッダ・シャーキャムニは人生の苦悩を解決するために修行を行いついにその道を見出した。
その教えは抜苦与楽(苦を抜き楽を与える)と説かれた。
シャーリプトラもアシヴァジドが唱えた次の言葉によって預流果に至ったとされる。
物事は原因があって生じる
その原因を如来は説いた
そしてその滅却をも
偉大な沙門はこのように教えた
禅を含めて仏道修行の目的を幸福実現のためと言っても少しも間違いではない。
もっともこれはあくまで仏教の話だ。日蓮教は当てはまらない。 >>164
> この観点を忘却し、尤もそうに指導するらしき
>禅の師家は求道の志しの意が薄いおじさんでしかない。
具体的に功徳という物を積極的に語らないから禅宗は謎の仏教だと思われてるんだけど
臨済宗に関しては法華経の方便品の前半の様に
仏法と言うものは人の話を聞いたり、読んだりしていては決して理解出来ないと考えてるんだ。
舎利弗が何度もお願いしても釈尊は
「おめえは人の言葉をありがたがるという、仏教から1番遠い人間だから教えてやらねーよ!」
と、釈尊が言っているのは仏法を手に入れるマインドセットがあるかどうか?
の審神なんだけど、禅と法華経は、この一点で全く同じ。
ただ
法華経は、人間は頑張れば仏になれるけど、仏になったら衆生を救うという大乗思想を
衆生に伝えられないから(後世に残せないから)
仏になる直前でストップし、菩薩のままで人をすくいなさい。それを伝えなさいという
のが法華経の仏教で、これは6道から菩薩界までの足し算の仏法。
これに対し
禅宗は大悟が2つか3っつ。少悟はその数を知らず。と言われる悟りを持って
仏になるのだが(実際に仏像になったり頭からビーム出したりする訳じゃないよ)
一旦仏になってから階級を一段階わざと下げて菩薩界に下り
そこで一切衆生を救え(法華経で言えば地涌の菩薩)という引き算の仏法。 >>164
いいこと聞いた、「幸福実現」ね。
そのフレーズいただきます。
今度政界に進出するので党の名前に… ー 大川○法 >>167
>ブッダ・シャーキャムニは人生の苦悩を解決するために修行を行いついにその道を見出した。
それが違うんだよ。大乗仏教時代には、今まで苦を滅する為に修行したという例のエピソードは
全く違うと言ってるよ。
ドキュメンタリー的仏典のマハーパリニッバーナに釈尊が死ぬ直前の事がドキュメンタリータッチで描かれている。
マハーパリニッバーナによると
釈尊がいよいよ死ぬらしいよ。と噂を聞いたバラモンやジャイナが釈尊にお見舞いに来るんだな。
その時、バラモンとジャイナが
「今までゴータマさんの話を直接聞いた事が無いので、今直接聞きたい」
「先ず初めに、ゴータマさんは苦悩を解決する為に出家したという事ですが、この出家というのは、、、」
ここまで話すと、釈尊はいきなり立ち上がり「ちょっと待った!」
「私は苦悩を解決する為に出家したのでは無い。私は楽を求めて出家したのだ!」
コレにはジャイナ、バラモン達だけでなく周りにいた釈尊の弟子達も驚いた!
ここでアーナンダが「ゴータマさん。そんな話は初めて聞きました」と説明を求めると
釈尊は「アーナンダよ!お前は言葉だけで仏法を学ぼうとしていたのか?」
「言葉以外の言葉を何故、今まで聞かなかったのか?読んでこなかったのだ?」
この下りは面白い。っていうか大乗仏典の中でスッタニパータやダンマパダに共通する
スピンオフ仏典だからマハーパリニッバーナは全て面白いよ。 幸福実現党の方がいらっしゃってるらしいけど
宏洋さんの扱いは、どうなりました?
与国さんが以前、如何にエル・カンターレの息子だとしても
反逆者には復習する!と結構血の気の多い発言されましたけど
与国さんって幸福の科学に入る前は、本物の893さんでしたよね?
違います? 禅の趙州無字の公案って、法華経の信解品と同じ事を言っているって知ってた?
馬鹿弟子・この犬も仏になれますか?
師匠・なれる!
秀才弟子・悉有仏性という言うのですから犬も仏になれますよね?
師匠・なれない! アンド 「ブァッカもーん!」
マイトレーヤ・先輩!これ何言うてるんですか?
マンジュゴーシャ・私はかつてコレと同じを物を見た!ブラブラブラブラ、、、、(永遠に続く) そうだ幅広く仏法を学んでいると自分の感覚が麻痺してくる所もあって、皆に質問したいが
隻手音声について、皆さんならどう解釈を伝えます?
両手を合わせるとピシャリと音がする
では、片手しか無い人の手の音は、どういう音なのか答えなさい
(少し分かりやすいようにアレンジした) と言うのは
法華系日蓮系の人にはどうも
不立文字・教外別伝・直指人心・見性成仏
という概念が理解出来ない人が多いし
逆に禅宗の人は
法華系日蓮系の人が言う功徳とか仏罰とか地獄という概念が分からない人が多い。
功徳も仏罰という言葉は禅宗にもあるが日蓮系とは全く違う意味なんだよな 仏罰は仏が罰を与えるのではない。
心理に背く為に起きる自身への不利益を指す >>167
>禅を含めて仏道修行の目的を幸福実現のためと言っても少しも間違いではない。
>もっともこれはあくまで仏教の話だ。日蓮教は当てはまらない。
禅が1番突出しているというか剥き身でギラギラしてるから目立つけど
巡り巡って現地到着出来る仏法は禅でも浄土真宗でも同じなんだけど
これって1番最初に信者に暗黙の統制システムをかまさない良さがあるんだよな。
一方、日蓮系は先ず最初に信者に対してヘゲモニーをかましてきて
プラウドボーイズやパトリオットプレーヤーみたなレギオン(1人だけど中身は大勢)
になってしまう危険があるんだよな。うまく伝われば立派な仏法なんだけど
これを理解するのは難しいので必然性の無い対立を生みやすい。
例えば今の創価学会婦人部は原理主義的婦人部と逆F活動婦人部と真っ二つにわかれちゃったよね? >>175
その通り。馬鹿げた罰論に毒された外道の日蓮教徒はそれを理解できない。 >>176
修善奉行 諸悪莫作 自浄其意 是諸仏教 これは志那人が記した偈。
たったのこれだけに仏教の眼目が集約されて見事。
初の二句 善い事を為し功徳を積め、悪事を為し後ろめたい口外できぬ隠し心を醸成するな。
此処迄は、多くの師家や宗祖が説いてきた「教えの部類」
三句目の「自浄其意」でほとんどの人たちが、転んで仕舞いて終生説かずに遷化。
自浄其意は、成道方法を説く箇所に該当する句。
此れを日蓮は題目、法然親鸞は念仏、空海は一般民衆に説かず、禅師は参禅,
あるいはあるいは口から出まかせ、等で対応し世間に広めて今に至り、また信徒の
顔を見りゃ、本尊様への
供養を強調し布施を集める、平和大行進は又してもその類でノーベルって何だ?
果たしてこれ等の方法が、究極の幸福「わたくしの成道」に結び付くのか?
成仏ならぬ安心を説く僧侶のご自身は大丈夫!俺は鉄板とまで云えるのか?
択法覚支とお釈迦様は仰るわけで、真贋を見極めるべし、その修行は大事と
言葉を残される。 >>180 人の死相を見て地獄行きアレコレ言う不謹慎な輩だ
私もそう思う。不謹慎というか、何というか仏教を学んでいるのに全く仏法と真逆な事を言ってるんだよ。
例えば創価学会だと、執行部は「私達はそんな事言っていません」
「末端学会員が勝手に言っている事でしょ?」との考えだが、その執行部の意見は間違ってはいない。
しかし、明らかに末端学会員は間違った仏法解釈をしているのを知っていながら
何故、執行部は末端学会員に再教育に熱心にならないのか?という疑問は残る。
創価学会の教学部長という方に数人あった。それぞれ3時間4時間お互いに
口角泡飛ばし法華経を語り合ったが、創価学会の教学部長ともありながら
全く法華経を読んでいないのに驚いた。やたら法華経の知恵やら聖教の法華経の旅を
引用しているが、それらは法華経では無く、マスキング、フィルタリング、モディファイ
された法華経についての考察でしか無いにも関わらず。
これは創価だけでなく日蓮正宗でも顕正会でも日蓮宗、立正佼成会であっても
このようなリメイク法華経を深層心理下にマクガフィンとしてインセプションする
心理学的方法論で仏法を学ぶ自由を奪っているように私は感じる。 >>180
有名な禅僧のep。
仙腰a尚がいよいよ臨終で世を去る事になった。
弟子達は寝ている仙高フ周りに集まり、後世に残す辞世の言葉を聞き出そうとした。
弟子は後世伝説になるような言葉を引き出そうと、仙高ノこう尋ねた。
「老師!死にたいですか?」
弟子の思惑は、仙高ェ死にたい!と答えて生死の境を悟りによって超越したepを作りたかった。
しかし、予想に反して仙高ヘ言った
「死にとう無い!」
弟子達は、これが後世に伝わると自分達の仏法が役に立たない事の証明になってしまう。と
あわてて再度、仙高ノ「死にたいですか?」と尋ねた。
これ以上再三尋ねられるのをわずらわしがり、仙腰a尚は叫んだ。
「わしは、本当に、本当に死にとう無い!」
弟子たちの思惟とは全く反対に、構成この仙高フ「死にとう無い!」の言葉は
直指人心・見性成仏を見事に喝破した言葉として禅宗では今でも尊ばれている。
仙腰a尚は死んだが
仙高フ言葉は生き続けた。
私は禅宗の人間では無い無宗教者だが、それぞれの宗教で意識と信仰の強制的な
統制をされてストレスを溜めている方は、禅宗を学んで見たらどうだろう?
禅宗は無門といい、何処からでも自由に入れるし、いつでも何処からでも出れる。
来る者を拒まず、去る者を追わない。これほど自由でスカスカな宗派は無いですよ。 >>182輪廻の法則上、肉体は最後の最後まで大事に使い遺棄してはダメ。
たとえ死にたくても生ある限り呼吸し、飯を食い寝る。
たった二行で仙腰a尚の遷化にまつわる説明は終わりました。
体は借り物、己の自由になると思うのが大間違い。
不自由なのが人の生、俺は自由勝手に生きると思うのが誤謬。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています