日蓮ってver.49
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
前スレ日蓮ってver.48
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1556840468/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 >>814
信仰というのは最終的には優れて個人的なものだからね。集団催眠みたいなものは営利カルトの手口。その典型が創価。 >>715>>716 この下種仏法も、気がつくと言葉の矛盾だな…。
そもそも妙法蓮華経って、泥田の中から茎が伸びて行って、
空中にハスの花 (蓮華) が咲いたイメージを意味する言葉を、
経典のタイトルにしてるわけでしょ?
だったら妙法蓮華経は、種→熟→脱、でいえば脱益じゃん、
すでに仏の花が咲いている脱益本尊が目の前にあるのに、
なんでまた、上から目線の仏の種を自分の心田とやらに撒いて、
RPGゲームのレベル1から、檀家が修行をスタートし直さなきゃいかんのだろ?
脱益本尊から功徳光線がピカピカ出てる設定じゃないの…?(・∀・)
…そしたら五重の相対で、ひとつ前の4番目の教観相対も、
ついうっかり目に入って、解説読んでしまったら、
「教」はたしかに経典にある文章上の文字でいいけど、
「観」のほうは「観心」とか天台三大部にはない熟語に変換されてて、
それは文章の間から別の意味があらわれる、
文底秘沈 (妙法蓮華経) というヒミツの奥義らしく、
文章じゃないといいながら、また五文字が現れる二枚舌ループで…。
でも教観の「観」の字は、ふつーに天台観法の一択だろ(・∀・)。
もーなんという超低レベル、天台とは無縁のニセモノ仏教ごっこだな、
観法というのは、座禅の瞑想で自分の意識の中の
あいまいな領域を探索するトレーニング手法なんだけど、
それは文章上の教とは対立せずに、教観の二つが並立する、
二本立てのトレーニングプログラムで、どっちも必要ですよ、
日蓮教には座禅行法が欠けてるから、意味わかってなくてデタラメだな…。 >>751
もとの地名が高野(たかの)でしょ、
標高800m辺りに広く開けた平地が広がっていたらしい、
そこが堂塔・伽藍を立てるのに適当な土地なんで、
書道の弟子で、むちゃくちゃウマが合う
嵯峨天皇にお願いして高野山の土地を賜るんだけど、
嵯峨天皇はお友達の空海には近くにいて欲しいから、
それとはべつに、京都の裏鬼門の位置にあった東寺を、
高野山の京都出張所として空海にプレゼントするわけよ。
で、山頂に寺を建てるのは、中国の天台山や五台山を
モデルにしてるみたいで、高野 = 台山(台地の山)ということで、
俗世間から隔てた天空の場所のイメージで、アニメならラピュタかね。
しかも中国で人気のある寺には、僧侶が千人二千人と集まるから、
どうしても山頂に広い平地のスペースが取れる地形が必要で、
さらには京都から近からず遠からず、みたいな条件とか、
空海は東大寺の別当も兼務してるから、奈良も近くないといかんし…。
そこで、ポツンと一軒家みたく、グーグル衛星写真で探すと、
高野山が一番の候補地になるんじゃないのかしら…。
…それから4百年後に、人里離れた仏教の修行道場、
というコンセプトを福井の山奥に再現して見せたのが
道元禅師の永平寺で、師匠の餞別の言葉で「権力には近ずくな」とか…
その逆に、鎌倉の権力と俗物社会に執着し続ける坊さんもどきがいて、
でも結局最後は、身延の山奥に追放処分されて、たぶん神様が、
無駄口叩いてないで、お前もそこで少しは修行しなさいと…。 >>819 最後の、道元-日蓮の対照的な性格で思い出したけど、
道元禅師は、永平寺の土地を寄進した越前地頭であり、
北条重時の娘婿でもあった波多野義重に再三要請されて、
断り切れずに鎌倉に半年ほど下向した記録があんのよ。
その時、禅宗マニアの北条時頼と対面したはずなんだけど、
本人は何も言ってなくて、半年後永平寺の弟子の前で挨拶して、
きのう鎌倉から帰ってきましたー♪、の記録しかない、
逆に、日蓮師匠は北条時頼に安国論でキビシク意見をしたと、
なぜか八年後に突然言い出して、そのあと幕府に意見したことを、
死ぬまで連呼してしつこく言い続ける。
でも、比叡山や高野山の所属僧がもつ、菩薩戒蝶のような
公的な身分証を持ってなくて、私度僧なのは明らかなんで、
幕府に意見書を上申できる立場にはなさそうで…。
道元 → 時頼に対面したはずなのに、なにも言わない。
日蓮 → 時頼に対面できない身分なのに、意見したと連呼する。
>>727 脳乱頭破作ID:oLNmYQpVは「自営業に憧れるわけです」か…。
>>782 宇宙や世界が生まれる以前から存り、
宇宙や世界が滅びた後も絶えることのない真理…
↑これ無門関なら、「それ」はお釈迦さま以前にもあって、
五十六億年後に宇宙が消滅して、ミロク菩薩が現れた
その時以降も存在し続けるものである、それはいったい何か?
という質問で、答えはとうぜん〇bodhi概念で、●久遠実成じゃないよ…。 ほんとわからんよね
法華経は末法で功徳がないとしてるのに
そのタイトルに南無するなんて
経のタイトルに功徳あるじゃんてw 法華経の教えは末法に精神的凶暴性として表れたわけだ 法華経の教えは末法に精神的凶暴性として表れたわけだ >>814
その山道を、長く歩いた先が剣難の悪路…
崖になっていたり…
猛獣がいたら、どうするんだい? >>816
個人的体験でしか語り得ないものを集団的に理解しようとしている時点で自己矛盾だわなぁ
世界のありようや多様な心の動きを1つの原理でまとめられると決めつけてね
その点、青山常運歩として矛盾を矛盾のままにしておいた道元なんかは幾ばく
本質を突いていると言える >>824
悟りってのは、そもそも登らなくてはならない山なんか無かったってことに気づくことじゃね?
困難とか、超えなくてはいけないハードルとか、悟らなければいけないとか、それらは人間の観念。
人間の観念が消えれば、努力しなければいけないとか、到達しなければいけないとか無いんだよ。
観念がなければ、全ては意味を持たないあるがまま、つまり空なんだから。
色(物質)と見えるのは事象の表面部分のみであり、色の実質は空(クウ)性。
空は捉えることの出来ないもので、全てを内包し全てを生み出す。
人間もその空と表裏一体。
しかし人間は空を見ず色にのみ注視し、色を支配しようとして生きる。
人間は色を支配するために、色を定義するための様々な観念を作る。
そして、その観念により色を現実と見せかけて、現実と思い込んで生きている。
これらの観念が消えれば、現実と見なしてた色という物体やルールや常識や学問や相対性は全て雲散霧消する。
色という観念でできた表面事象に囚われなくなれば、あらゆる境界や定義は消え、あらゆるものを生じさせるダイナミックな空を、自分が空自身として体験するようになる。
自分が空自身とは、全ては連関によりあるがままに生じており、自分はその一部でありながらその全て。
空が生じさせるあらゆるものは、あらゆる連関の総計により必然的に生じている。
色に囚われていると、起こることに偶然や善悪を見いだす。
しかし、空自身は価値判断を行わない。
なぜなら空に意味など無いから。
よって、空自身から見ると起こることや物事に偶然や善悪はない。
しかし、色の観点からは善や悪や偶然がある。
空自身にしてみれば、それらの善悪は人間の意思が空に勝手に自己都合の価値付けをし合っているだけ。
その価値付け行為が、空から色という物象化を生じさせる。
そして、価値の違いによる色どうしの対立を作り出す。
登る山など無い。
山という事象は、人間の山という観念が空(クウ)に投射されたことにより生じた架空の概念存在。 法華経そのものが末法。
最大限評価しても、せいぜい、正しい仏の教えに入るための方便。
「お寺に行くとお饅頭を食べられますよー」と誘うように、「この経を拝んでいると、良いこと有りますよー、捨てるとバチがあたりますよー」と、何も分からない子供を誘うためのもの。 >山という事象は、人間の山という観念が空(クウ)に投射されたことにより生じた架空の概念存在。
野狐禅 >>829
あなたのとって山本は何ですか?
山を山たらしめる根拠は何ですか? >>827
>悟りってのは、そもそも登らなくてはならない山なんか無かったってことに気づくことじゃね?
それを、敢えて語れる人が存在する事自体は評価しなければならない。仏教徒なら。
人間の中での言質文言という記号性は、言語コミュニケーションの機能性を完全に
構成する事は不可能。話者と受け取りての知性と知見と視座の相違があるし
また相違の存在から感情の充填を始めるという認知の歪みを持つ人がたいそう多いからね。
僕はシーシュポスを山の麓にのこそう!
日々、自分の重荷を見出し、しかし、シーシュポスは神々を否定し、岩を持ち上げるより
高次の忠実さを人に教える。
彼もまた、「全てよし!」と判断しているのだ。
頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心を満たすに十分たりるのだ。
いまやシーシュポスは、幸福なのだと思わねばならない。
(アルベール・カミュ シーシュポスの神話)より抜粋 >>830
言語論理学的には「自己言及のパラドクス」ではあるが
仏法自体の非言語的教義自体をご存知だと思いますので話しに乗せて頂きます。
婆子焼庵を再考されてみては、如何でしょう?
これで答えになっていますでしょうか?
正当いんも時。作麼生! >>824
>>827
整備された登山道しか歩けないようでは生涯心の迷いが晴れることはない
どんな険しい道であっても自分で切り開いていける志がないとな
悟りが山ってのは比喩だよ。
道元は一般的に信じられてるように厳しい修行や困難を克服していった結果として
悟りが開けるという立場を否定し、いかようなレベルにある者でも只管打坐として
日常そのものが悟りであるとした
これを山に例えるなら、一歩一歩に取り組む姿勢こそが悟りと言えよう。 >>828
法華経そのものが末法。
最大限評価しても、せいぜい、正しい仏の教えに入るための方便。
法華経そのものが末法って意味わからん。そもそも全ての経典は方便、すなわち単なる教科書。当たり前の話。 法華経は像法だと思う。
阿耨多羅三藐三菩提・無上正等覚についての言及はあるが法華経だけでそれについて
理解を深めることは不可能だから。
日蓮教は完全に末法。
日蓮さんの能書きにはそもそも阿耨多羅三藐三菩提についての言及がない。 道元さんも末法思想は馬鹿と言ってるしな
常識的に考えたら、時代時代によって要請されるものを数千年前から
見通すことなんてできる訳ないしバケモノかよ
仏教屋はお釈迦様が雲の上を歩きだしたりしなくて良かったな 受戒していない私度僧の日蓮が末法無戒を主張するのは中卒が大学無用論を説くようなもの。 >>835
>>法華経そのものが末法って意味わからん。
非仏説の法華経は、正しい道へ導くものでないから。経典の権威にひれ伏すだけのものだから。
>>そもそも全ての経典は方便、すなわち単なる教科書。当たり前の話。
正しい道へ導くものならばね。 法華経を鳩摩羅什だけで無く他の漢語やサンスクリット語
中央アジア版、カシミール版、ガンダーラ版などを読み込めば
法華経や維摩経などの大乗経典は、原始仏教を身勝手にカスタマイズした
小乗仏教(説一切有部や分別有部)の「専従僧侶独占システム」に意を呈し
本来の釈尊の教理哲学を取り戻そうという「原始仏教リバイバル運動」の中に
生まれた経典である事が分かる。
故に、文節哲学的実存主義哲学である「原始仏教」を
教育を受けられなかった人、文化圏内で知性を得る事が出来なかった人々、衆生に向かって
方便(譬え話、レトリック、メタファー、アレゴリー)を用いて
誰にでも理解出来る様に努力して再構成された原始仏教だと、気づく筈だよ。 間違え
>故に、文節哲学的実存主義哲学である「原始仏教」を
訂正
>故に、分析哲学的実存主義哲学である「原始仏教」を 経典って喩え話のオンパレード。で、経典そのものも喩えってスタンスが大乗経典。
フィクション、小説という喩えでもってメッセージを伝えている。
法華経にイチャモンつけてるのはスターウォーズ観て、ジェダイ?そんなものいるかいと突っ込んでいるようなもの。日蓮教徒も法華経をノンフィクションだと思ってるイタイ人がいるしね
スタンスを観てどんなメッセージを受けとるかが大切なのに。 >>843
>経典って喩え話のオンパレード。で、経典そのものも喩えってスタンスが大乗経典。
ちゃんと読めてる人もいるのですね。嬉しいです。
例えば「維摩経」の維摩ジイさん。出だしからシニカルで言葉をナイフと同じ様に
釈尊の弟子達の心をぶった斬る。仏教を否定しているかに見えた維摩ジイさんが
ラストで文殊菩薩の質問に、天地がひっくり返る様な答えを呈し、大ドンデン返し。
(ネタバレはしない。興味のある方は経典に触れてみてください)
実は法華経の中に、「この法華経に書いてある事は全部ウソだったんだよ」と
語っている部分がある。
多くの人は方便品と寿量品ぐらいしか読まないから、知っている人は少ない。
読者は「何でウソなの?法華経が法華経を否定したら成り立たないじゃん?」と
驚くが、文脈を再読、三読してみると。何と初めから法華経は、その事だけ
その大切な1つの事だけを語っていたじゃないか!と気づく
恐ろしくドラマチックな作劇テクニックを使って書かれている。
(法華経の方もネタバレはしない)
ネタバレしたら、本文経典に接しないまま、自分自身の頭にしか存在しない
法華経やら維摩経の存在証明を前提に語り出すバカが多いからね。
ここは心を鬼にして、衆生の知性の化育に参画すべくネタバレはしない事にする。 >>843
法華経以外の大乗経典をあまり読んでいないんじゃないかな。内容の貧困さと比喩の不自然さが法華経の特徴だが、そこに法華経の成立の事情が問わず語りに見て取れる。
中村元博士は法華経が国家意識を持ち込んだと述べている。詳しい説明はない。これはたいへんに重要な示唆と私には思われる。そこに羅什が法華経をあのように漢訳したかを解く鍵があるのではなかろうか。 >>842 法華経は仏教の宣伝文書でパンフレット、仏様に供養する功徳を説いている。
中身は池田氏も強調したがる福徳ある人生を得ると云う事だろう、
苦しい修行は坊主に任せて功徳を積みましょうじゃないかな。
そのお供物の消費者は、遊行を止め定着した上座部の坊さんか?塔寺住まいの一見坊さん風の管理者か?今となっては不明なり。 >>844
>実は法華経の中に、「この法華経に書いてある事は全部ウソだったんだよ」と
>語っている部分がある。
どこですか? 法華経に書かれてる事が比喩でなく事実だったら熱心な信者の方々の容姿は化け物じみてくる 大袈裟な表現やファンタジックな記述は多くの大乗経典に見られる。しかし例えば般若経典では、これでもかこれでもかと現象世界を相対化することによって、
事物の空性を意識させるという企図が見て取れるのに対し、法華経の場合はそうした表現や記述が、
法華経自体の自画自賛のための自画自賛に終始する結果、読み手に馬鹿馬鹿しい印象しか与えない。
しかしこれは紛れもなく大乗経典なのである。仏教が大衆化、世俗化するに至った時期において、素人修行者によって大衆向け講談のような形で各所で流布した挿話が後に何とか経典の体裁にまとめられたものだろう。 些細なことはどうでもいいんだよ
髄自意の難信難解だから頭七分に割れた発言する輩ばかりだな 大乗仏典を読んで、間を省いてそれぞれに印象批評して比較するのも面白いけど
それだけでは現在の東洋哲学としての集合知から遠く離れて
帰れなくなってしまうかもしれない。
例えば法華経と維摩経と大般涅槃経(マハーパリニッバーナ)は
テーマ主義的には同じ所から始まっている。 >髄自意の難信難解だから頭七分に割れた発言する輩ばかりだな
頭七分(おそらく頭破作七分の事だろうが)の使い方間違ってるぞ。
スッタニパータの
釈尊とヴァーバリ(ゴータマの弟子)の件を読んでみろよ
仏教の基礎知識ぐらいは学んでからカキコミしろよ。 >>844
>実は法華経の中に、「この法華経に書いてある事は全部ウソだったんだよ」と
>語っている部分がある。
>>853-854
知ったかぶるまえに、>>844のオマエのレスの「語っている部分」がどこかという文証を出してみろ。 >>855
それを語らない理由はしっかりと書いておいた。
読めてる?
それでも「文証を出せ」と言うのなら、テクスト論に依存する認知バイアスと
アンカリングを持つ人とお見受けいたします。
人間は幾つになっても成長するもの。
親を選べないで私達は生まれてきた。教育圏や文化圏内で
認知的不協和、正常性バイアス、アフォーダンス理論、フォールス・コンセンサス理論
が自己の中に形成されるのは、実は人間全てに大なり小なり生じるものだ。
あなたが大人になれる事を心より祈る。
自分を含め、全ての人が大人としての構造分析が出来る日が来れる様
私は祈ろう。 >>856
文証は無いオマエの感想文だってことでいいんだな。ご苦労さま。
「語ってる部分」は結局ないってことだ。
一つオマエに言っておくが、文脈的に読めば日蓮が唱えた南無妙法蓮華経も間違いではないということになる。
一部分も出せない者がだ、知ったかぶっているなと言いたいだけだ、アホさん。 インドで製作された数多くの『大乗仏教経典』は、忽ち布教効果が失せ、
流行っても100年持たずに忘れ去られた。
法華経においても如是我聞と言うも釈尊の名を借りた造り物。
仏教とよく似ていると言われるジャイナ教は創建初期の形態を保ち
今なお継続する。仏教全体が各階層に信徒が居て
インドに在ったが、忘れ去られた理由を比較研究する良き存在でしょう。
他の宗教との切磋琢磨に負けた理由も当然あります。
西暦3世紀ごろからインド人の僧侶が中国に布教に来ていますが、インドで
頼るべき布施が無く、移動したのでは?とも思います。 >>857
「エディプス・コンプレックス」という言葉で表されるフロイト以降の
無意識の「直接的に知覚される物」と「すぐに思い出せるもの」と
「共分散構造分析によってしか表す事の出来ない抑圧によるもの」の3っつ
の無意識が今でも集合知として重んじられている。
このエディプスコンプレックスは、何も父や父権という社会的記号に対してのみだけでは無い。
人間の成長過程には反発・性急なる一般化・論拠を論証し得ぬラベリングという段階は必要な事だ。
重要なのは、母親が父親を愛と尊敬をもって語ることではなく、幼児が母親の語る言葉のむこう側に
父親が代弁している社会のルール、秩序があるのだと感じ、理解することにある。
この父親が代弁している他者たち、それをラカンは「大文字の他者」と呼んでいる。
(ジャック・ラカン)
年上の友達、学校の先生、職場の上司、また自分より知性の成長が早い物は
「大文字の他者」になる可能性が高い。
それらをリプリゼントする人の言質の向こうに側に、何らかの秩序がある。
その「大文字の他者」の存在に意識が向かなければ、この話は出来ない。
以降レスはしないが
それは、貴方が嫌いだとか、気にくわないだとかう言う事では無い。
逆に貴方を含めた、一切衆生の実存を考えての事だ。自ら自身に苦しみを作って欲しく無いからだ。
今は感情の充填された心情で聞く耳も持たないであろうが
大乗仏教の意味を、人生のどこかで落ち着いて見直して欲しい。 >>858
ID:DagVsibL氏のように、誰からも相手にされなくと拍車にかけてアホになる。
放って置けばよその国に行くような奴ってことなのだろうな。 >>859
以前から居座っているアホさんでしたか、やっぱり。
オマエさ、頭がおかしいよ。
自覚してみなさいと言いたいところだが、無理みたいだね。
どっか、妄想スレがあったらそのうちに教えてあげますよから移動してね。 >>859
以前オマエさんがいたところだと思うが、心と身体メンタルヘルスに戻ればいい。
そこならオマエと似たような者もいるだろうから、法華経での感想をご披露できるかと思われる。
ただね、病気が悪化する可能性が大でありますから覚悟のほどを。 上行菩薩の件は法華行者への叱咤激励と読んでいるけど正宗は厳しいよね >>862
同意。あれで本人はご満悦なんだから見ているこちらがきまり悪くなる。
電車内で大声で独り言を言ってる人を見たときみたいな。 >>859 解説、人は成長の過程で幼児から老年に至るまで情報を得る←前置き。
創価学会員が、その会に加入決意する場で<誤謬を真実と教えられ>其のまま素直に成長、
その様な当たり前の普通人である
貴方は創価学会の立派な活動家であり、会の内で信徒認定されたのか?と問うている←本題。
創価学会の人達に対し、五時八教は仮説の立て間違い、十如是は最初五如是である、
法華経を説いた人は誰か不明の知識人、梵漢誤訳と知りながら世に出す鳩摩羅什三蔵、
此の深いお話を創価学会の信者に面談し説く勇気をワタクシは持ち合わせない。
怪我をせずに帰宅できるか?全部文証付きなのが返って恐ろしいのです。 「我、日本の柱とならん」とか大真面目に宣言してる友人、知人がいたら普通はドン引きだよね。
もうこの人とは距離を置こうってなるよね。 >>838
まあ、学歴は9割、親の年収で決まるんだけどね。
(根拠:文科省データ)
それは鎌倉時代も同じでしょ。
家系・出自で、ほとんど決まるのよ。 このスレの傾向を見ると…
法華経批判する奴ほど、法華経を
まったく読んでない事がわかる。
聞きカジリで知った気になってたり、
バカが書いた幼稚な解説書を、部分的に
読んでわかった気になってたり。。
具体な経文を引用しての指摘や
批判はほとんどない。
ようは、知能が低いヤツばかりって事。 >>867
まあ、その方があなたの導きたい結論には好都合だろうが、僧侶の世界は必ずしもそうではない。 >>868
なら、アンタが具体的な経文を引用しての指摘や擁護で法華経を宣揚すればいいだけの話。
さあ、存分にどうぞ! >>859
貴方への宿題です。『老子』を読んで感想を50字以内に記しなさい。 >>870
そちらこそ、問題のある経文を
ちゃんと引用して、法華経の批判を
してみてくれ。
完璧に論破したるわ。 >>869
ん〜?
論拠が示されないと
説得力ゼロだわ〜
反論は具体的に! >>874
法然は9歳の時、父を失い寺に引き取られたが、修学に精励し、ついには知恵第一の法然房と比叡山でその英才を讃えられるに至った。
平安末期から徐々に貴族や地方豪族が領地の寄進の代わりに子弟を有名寺院に送り込むようになったが、宗教界はやはり才能と学徳が最重要な世界であった。貧しい好学の徒にとって立身の道は僧侶か軍人になるしかなかったのは洋の東西を問わない。
したがって日蓮が受戒できなかったのを当人の不徳とは無関係に出自からして当然ということはできない。 >>873
では手始めに初歩的な質問。法華経本文の中で法華経を讃える記述が頻繁に見られるが、法華経成立以前に存在した法華経とは何か? >>875
◆法然の父、【漆間 時国】
漆間氏は美作国の【【豪族】】で、稲飯命の後裔とされる。
また父、時国は、【押領使】であった。
【押領使(おうりょうし)とは、日本の律令制下の令外官の一つ。警察・軍事的官職】
※現在で言うことろの【高級官僚】
また、法然の母、【秦氏君 清刀自】
秦氏(はたうじ)は、「秦」を氏の名とする「氏族」。
東漢氏などと並び、有力な「渡来系氏族」である。
法然の少年期(幼名:勢至丸)、父・時国が敵対者による闇討ちに遭い、殺害される。
父・時国からの「出家せよ」との遺言により、法然は
【【菩提寺の院主】であった母方の【叔父の僧侶・観覚】】のもとに引き取られた。
そして【叔父の観覚】より、直々に出家のための学問をさずけられた。
また、【叔父の観覚の口利き】により、比叡山に得度、受戒をうけた。
高級官僚の家に生まれ、叔父である、有名寺院の院主の後ろ盾があって、
比叡山で受戒を受けることができた。
要はボンボン、それが、法然です。 ついでに「空海」についても付言すると、
空海は、幼名を「佐伯 眞魚(まお)」と言い、佐伯氏という讃岐国の豪族の生まれ。
豪族とは…
地方において多くの土地や財産や私兵を持ち一定の地域的支配権を持つ一族のこと。
一方、日蓮は…
房総半島の漁師の息子として生まれた。
「日蓮は日本国東夷東条安房の国の海辺の旃陀羅が子也」『佐渡御勘気抄』 >>876
日本語読めます?
>問題のある経文を
>ちゃんと引用して
と、書きましたが?
>法華経本文の中で法華経を讃える記述が
>頻繁に見られるが、
法華経の中のどの経文よ?
具体的に書いてくれよ。 ちなみに、もう一つ付言すると…
比叡山延暦寺を創建した、
最澄(伝教大師)も…
近江国の一部を統治する【豪族】の三津首百枝(みつのおびとももえ)を
父として誕生する。
また親鸞は…
【皇族】である、皇太后宮大進 日野有範の長男として誕生。
先述した彼らが生きた時代の「出家」とは、要は、今で言うところの
超超有名 私立中学、高校に入る、それ以上の超難関であったということだ。
親の権力と財力なしには、あり得ない世界。 どうだ。勉強になっただろう。
人生を、何の苦労無く、のうのうと生きてきたボウヤ達には。
何でも聞きなさい。
教えて進ぜよう。 >>873
>>876
「如来入滅の後の怖ろしい時世に、自信をもち、心に臆することなく、この経典を世に弘めようとする求法者たちは、行動と交際の範囲を守るべきである。みだりに人と交わらず、清浄であれ。王子たちや王たちと懇意になることを常に避けよ。
また、王の従臣である連中に懇意にしてはならない。チャンダーラなどの賤民たちや、半陰陽の者たちや、信仰の異なる輩などとも、すべて付き合ってはならぬ。
(中略)
婦女子や半陰陽の者たちと懇意にすることを避けよ。
(中略)
豚肉を売る者や羊肉をひさぐ者たちと懇意にすることを避けよ。云々」
(法華経 安楽行品 岩波文庫 249頁)
まー、法華経は差別主義丸出しだなー。 >>877
>>881
差別主義、家柄主義丸出し
アホすぎる >>881
では質問。
親鸞が日野有範の長男として誕生したそうですけど
史料は何ですか? >>885
資料も何も、親鸞の父親と言えば、
日野有範(藤原有範)と言うのが
ほぼ常識となってるでしょうが。
図書館の浄土真宗関係の書籍にも
多くそう書いてある。 >>882
岩波文庫の「法華経」は、なんせ、かなり昔に読んでウロ覚えだったので、
先ほど帰宅して、内容を確認した。。
法華経、安楽行品が差別ダーのくだりだが…
法華経アンチが、好んで批判に使ってくる箇所だが…
まず、引用している岩波文庫版の「法華経」は以前、読んだ時に、
凄く違和感を感じた記憶がある。
サンスクリット語の口語訳は、訳者の力量が足らないのも感じたし、
変な意訳なんかも多くて、正直、使えねえ本だなぁと。。
まだ、同書の漢訳の読み下し文の方が分かりやすかった。 「安楽行品」の概要だが…
釈尊が、前段の「勧持品」で、悪世に経を弘めることが、いかに大変なことかを
強調して説いたもんで、弟子らに恐れの心が生じてしまった。
そこで、文殊菩薩が代表して、悪世において、いかにこの経を弘むべきかを
釈尊に問う。
その答えとして釈尊は、「安楽行」を為せば、身に危険なく、心に受悩なくして、
行がなされると答えた…。
という内容だ。 ちなみに、
安楽行(四安楽行・四法)とは…
身·ロ·意·誓願の四安楽行のことを言う。
これを簡単に言うと、菩薩道の修行者としての心得みたいなものかと…
問題の、アンチが差別ダー差別ダー言ってる箇所は、サンスクリット語の口語訳が
ヘタクソなため、そのまま読んでしまうと確かに「差別」と取られかねないが、
安楽行品の漢訳経典、全編を熟読し、全体を通しての意味をちゃんと
理解できていれば、まったく差別意識を助長するような意味では無く、
逆に「一切衆生を平等に敬い、教化せよ」との慈悲の精神に貫かれている
経典だということが分かる。 特に以下の部分。
【漢訳】
当於一切衆生。起大悲想。於諸如来。起慈父想。
於諸菩薩。起大師想。於十方諸大菩薩。
常応深心恭敬禮拜。於一切衆生。平等説法。
【訓読】
当に、一切衆生に於いて、大悲の想を起し、諸の如来に於いて、慈父の想を起し、諸の菩薩に於いて、大師の想を起すべし。十方の諸の大菩薩に於いて、常に応に深心に恭敬礼拝すべし。
一切衆生に於いて平等に法を説け。
【口語訳】
菩薩は一切の衆生を見て大悲の心を起こし、諸々の如来を慈父のように思い、諸々の菩薩を師のように敬い、礼拝しなさい。
また一切衆生を差別せず、平等に法を説くのです。 不思議なのは、この「一切衆生」うんぬんの箇所が、岩波文庫版「法華経」の
サンスクリット語の口語訳では、すっぽり無くなっていることだ。
訳者が意図的に削除したのか、サンスクリット原文にないのか、
なんせ、サンスクリット原文が載ってないので、定かではないが…
意図的だとしたら、悪意を感じるね。 部分的理解でなぜ差別的な文言(意訳)かもしれませんが書く必要性があったんでしょう >>889
>「一切衆生を平等に敬い、教化せよ」との慈悲の精神に貫かれている
慈悲、ですか?
法華経を読んで、何をどうすれば、どうなるというのですか?
因みに現在の世の中に法華経故の成果物と言えるものが何か存在しますか?別に物で無くても構いませんが。
一応、私は法華経を否定も肯定もしない立場です。単にそれが存在するということだけでは、人にとっての実害とは言えないと思うので。
しかし法華経の存在意義は全く分かりません。 爾前経で蔵通別円が説かれているが
法華経で極理がひとつ加わったとみる >>889
下手な言い訳でしかない。訳者に責任転嫁か? >>890
一切衆生と言いながら、チャンダーラ等への排除の論理丸出し。 そもそも、釈尊が衆生を教育するなら、相手の理解力や資質や能力によって、小学校、中学校、高校、大学と高めて行くのが当たり前。
それらは、時間的にも同時に存在する。より深く広く理解が進むだけで、矛盾もしていない。中学校の理科から、高校物理、相対性理論や量子力学へ進むようなもの。早く理解した者は、より高い教えに速やかに進む。
然るに、法華経では、死ぬ間際になって突然、「これまでの教えは方便の低い教えであった、本当はこちらの方が正しいのだ、お前たちが愚かだったからだ」、などと言い出す。ちゃぶ台返し。
今まで信じていた人は、全く否定される。法華経を聞かなかったり、早く亡くなった弟子は、間違ったまま。
こんな人を馬鹿にした話はない。 教相判釈だから教相の内にいるって事だ
コイツまだ法華経は早いなって達観視出来る境地が法華経
いずれにせよ、法華経に縁をしてこなかった人のツケは必ず自分に返ってくる
今生の別れで頭破七分晒すのは本当に哀れな根性だと思うけどな >>897
法華経を釈尊直説、そのように教える教団が有る。
いやそうじゃなく、法華経よりもお釈迦さんが入滅される直前に
説かれた、涅槃経の方が尊いと教える教団も有る。
此の話を信じ込んだ人達に、インド仏教史の内訳、経典成立の時代過程を
説明し教団の誤謬を指摘し訂正する手間たるやご理解いただけるだろうか?
天台智大師が、述べた五時八教は彼の仮説であった。
その仮説に対し、明確に反論できる資料が明治維新以降、輸入されて破棄。
その大事な根本情報を隠しているのが坊さん達。
>>898氏はその被害者のお一人。
例え噺、欧米の食品の説明書に,Sugar Free
と表記、意味は砂糖無添加なのだそう 日本仏教もNchiren Free が根本になりますよう。
私は念願しております。 仏教なんで個人的な主観と感情論を向けられてもね
ここら辺がずれてんだよな本質的に てか教相判釈って知ってる?
法華経が御釈迦様の真理を説いて、更に教え弘めているから仏教としても尊い教えなんだが >>901
義務教育版中学校
世界史年表の見開きページ、インド仏教史をご覧ください。
この頃釈迦入滅、第一時結集、第二時結集とあってその数百年後に
初期大乗経典現る、この頃法華経成立〜経過し密教経典大日経成立と記述されています。
此の学問上の定説を義務教育では完全に認定しています。
結論を述べますが、法華経を説いた人は釈迦では在りません。
先の例え噺899で言うと釈迦Free のお経である。
この辺の見解を呑み込み了解せねば公明党の文部科学大臣はありませんな。 全ては偉い学者さんたちの
仮説だけどね。
タイムマシンでもなけりゃ
わかりませ〜ん >>903
天台智の説は通じないもの、云うなら仮説が通っていた。
『天台智の五時八教論は間違い』が学問上の定説となって現近代の仏教学は存在する。
君の所論を国立大学の印哲の教授などに問うて伺うのが疑念を説く近道。
我が一生の大事と思うなら疎かにするべからず。 >>905 君の様な化石的創価学会会員が生き残っているのは令和の奇跡です。
余程、教学試験のドリル問題を日々沢山こなしたのでしょう。
お気の毒ですが、嘘を本当と信じ込みたいのは騙されたくない男女の恋愛だけで
沢山で御座います。
再度申しますが、天台智の五時教判は、全く駄目な仮説でしかなかった。
最澄阿闍梨、日蓮さん自身も釣られた口でした。
天台智仮説、彼の理論誤謬講義は、大学講座なら初年度一学期中に終えるのですよ。
改めてNichiren Free 仏教を提唱いたします。
そんな嘘と知りつつ騙した、君の先輩は地獄へ一本道、君も嘘を付いてはいけませんよ。 >>906 因みにくどい様ですが一言。
国立大学の講座で、天台智の五時教判は彼の誤認でありその説が間違いと
学術的に認定され授業計画が行われています。
国立大学は税金が投入されている真に由々しき場で在ります。
貴君も創価のドリルばかりでなく、他の仏書とインドの歴史を学んでください。
一生過ぎ易し、機縁逢って仏にまみえる、日々に学を進め訂正されることを望みます。 仏陀の教えは、単純明快で、
どんな人にも思いやりをもって親切に接し、さとりの法を説いてあげなさい。
あらゆる欲望に溺れないように身を律し、
我欲我執から離れなさい。
それらを惹起させるあらゆる悪縁から離れなさい。
それが原始仏教の核心的おしえでもあり、その精神れ法華経においても同じである。 なんとかの一つ覚えみたいに
賛美、賛美いってるけどさあ
賛美文なんてそんなにねえだろ。
法華経は、ざっとしか読んでないけどね。 創価学会は、未来永劫に亘って、天台智所説の五時教判は正論で誤謬なしと
教え続けるのだろうなぁ。
其れは現行憲法は昭和20年八月から昭和天皇が自ら草案を練り部下に起草させたものだ。
なのだっていう位の大ウソ、駄法螺吹きの説が天台智の五時教判。
天台智は自己の誤謬に気が付かなかったのがまだしもの救い。 日蓮大聖人が開目抄(御真筆)に「智者に我義やぶられずば用いじとなり」と
明確に述べられている通り、鎌倉時代には分からなかった事が
研究の成果・発見が現在、明らかとなり、五時教判等も現代の種々の
科学的な見地から見て、矛盾がある事がわかったのであれば、それは修正し
教義自体を進化させて行くのは、宗教の責務として、むしろ当然だと思うが。。
しかし、五時教判の正当性を根底から覆すような決定的なものが、今の時点で
あるとは到底、思えない。
あるなら、示してほしいわ。 誰かが示すまで法華経以外は絶対に読まないなら
一生法華経だけ読んでればいいんじゃない。
だいぶ人生の無駄になると思うけど。 >>913
五時教判は経典群の一つの捉え方に過ぎない。
そして五時教判に決定的な正当性がないから
各々の祖師もそれを用いなかったと言える。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。