2011年9月、ベルリンの市議会選挙(ベルリンは特別市なので州扱い)で、「海賊党」というふざけた名前の新党が8.9%もの票を獲得したことがあった。

初めて選挙に臨んだベルリンの若者の半数が海賊党に投票したと言われたが、海賊党の代表や党員もまた、政治家というより、IT知識に富んだ無政府主義者の集まりといった感じの、いかにも混沌とした雰囲気の若者たちだった。

その後、この党はあっけなく雲散霧消し、もちろんベルリン市議会からも姿を消したが、当時、彼らが挙げていた公約の一つが、「ベーシック・インカム」の導入だったのだ。

ベーシック・インカムとは、国民全員に、最低限の生活を送るのに必要とされる額の現金を、無条件に支給する制度だ。

収入の額にも、資産の有無にも、年齢にもかかわらない。つまり、それは、人間が人間らしく生きるための基本的人権の一部で、たとえ働かなくても、国民全員が受け取る権利がある、という考え方だ。万人の平等を目指す左翼思想に端を発する。

当時、ドイツ国民の多くは、海賊党のおかげで、初めてベーシック・インカムという言葉を意識し、「そんな馬鹿げた話」と笑い飛ばした。ところが、昨今、それが新たに浮上し始めた。しかも、7年前よりも格段と現実味を帯びた話としてである。

フィンランドでは、2017年1月より、無作為に抽出した失業者2000人にベーシック・インカムを、実験的に支給した。その額は月に560ユーロで、潤沢とは言い難かったが、現在、その検証が行われている。

また、その前年の16年、スイスでは、国民投票でベーシック・インカムの導入が否決された。つまり今では、左翼のユートピア論ではなく、具体的な政策として、複数の国家がベーシック・インカムの導入を真剣に考え出したということである。

ドイツもその例に漏れず、ベーシック・インカムについての論議が盛んになってきた。ここで注目すべきは、ベーシック・インカムの賛同者に、左翼以外の学者や政治家が加わっていることだ。

つまり、ベーシック・インカムは、将来の財政や福祉政策の一環として捉えられ始められたのである。

以下、ドイツでのベーシック・インカムについての議論を紹介したい。


福祉システムの限界
まず、賛成が多いのは、左系の政党の支持者(左派党、緑の党、SPD)。また、失業者には賛成が多く、学生はほぼ半数が賛成。

一方、反対が多いのは、保守政党とリベラル政党の支持者(CDU/CSU、FDP、AfD)で、主に、年金生活者や、自営業者や、就労者だ。

地域別にみると、旧西ドイツ地域では反対者が多く、旧東ドイツ地域では賛成と反対がほぼ半々。旧東ドイツ地域は失業者が多いが、年金生活者の割合も高いので、賛否が拮抗したと思われる。

なぜ、今、ベーシック・インカム導入が取りざたされているかというと、このままでは、これまでの福祉政策が持ちきれなくなる可能性が高いからだ。それには、主に二つの大きな理由が考えられる。

一つ目は、人口構成の変動。

そもそも年金制度や失業保険、医療保険などの福祉は、国民が子供を産むことを前提に作り上げられている。戦後、西ドイツの社会福祉を画期的に進めたアデナウアー首相の政権下では、ドイツでも、日本と同じく団塊現象が起こっていた。

「人は、いつも子供を産むものだ」というのはアデナウアーの言葉だ。それまでの人類の歴史では、確かにそうだった。ところが、その団塊の世代が生んだ子供たちは、あまり子供を生まなかったから、バランスが崩れ始めた。

年金受給者の数が増えただけでなく、寿命の伸びに伴って受給期間も伸びている現在、すでに年金の鍋は、就労者のお金だけでは満たすことができず、税金からも資金の移転が行われている。

そのうえ、ドイツの場合はこれから長きにわたり、急激に入った難民にかかる社会福祉コストまでが加わる。難民が就労し、年金の鍋にプラス作用を及ぼしてくれるまでには、まだ何十年もかかるだろう。つまり、早急に福祉の構造自体を抜本的に改革しないことには、就労者の負担が増え過ぎ、二進も三進もいかなくなる。

二つ目の理由は、現在、ドイツ政府が必死で進めようとしているデジタル化だ。

デジタル化は、進めば進むほど人が要らなくなる。多くの工場ではロボットが働き、その指示を出すのはAIということになる。つまり、昔は、機械化で職を失ったのは単純労働者だったが、これからは、大企業のマネージャーや銀行員など、高度技能者や高給取りが職を失う。

タクシーやバスの運転手はもちろん、ひょっとするとパイロットや医者さえも、それほど要らなくなるかもしれない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55897