【脳科学】音楽をしている人は「脳の接続レベル」が非常に高いと判明 絶対音感は関係ナシ [すらいむ★]
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音楽をしている人は「脳の接続レベル」が非常に高いと判明! 絶対音感は関係ナシ
スタンフォード大学医学部(アメリカ)の最新研究により、音楽をしている人の脳は、そうでない人に比べ、脳領域の接続レベルがはるかに高いことが判明しました。
そのレベルは、音楽を習い始めた年齢が早い人ほど高いことがわかっています。
また、絶対音感の有無は、接続レベルに関係が見られなかったとのことです。
研究は、1月25日付けで『JNeurosci』に掲載されています。
目次
音楽の訓練期間が長いほど、脳の発達レベルが高かった
■音楽の訓練期間が長いほど、脳の発達レベルが高かった
本研究では、プロのミュージシャンや日頃から音楽を嗜んでいる人、音楽をしていない人、絶対音感をもっている人などを含む、被験者153名を対象に脳の比較をしました。
その結果、演奏する楽器の種類にかかわらず、音楽家の脳は機能的・構造的な面で各領域のつながりがきわめて強いことが示されています。
さらに、音楽家の中でも、楽器を習い始めた時期が早い人ほど、脳の接続レベルがより強固でした。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
ナゾロジー 2021.01.26 Tuesday
https://nazology.net/archives/80455 何の楽器でもそうだけど演奏してる人は凄いって思うよ。 リモート講義で教授に質問するため連絡先を捜索→実は一昨年に亡くなっていて、講義は録画だったことを知った話
http://vfsyi.opinari.net/YDTE/731421963.html >>3
作曲やDTMも含まれるのか?
楽器置く場所無いから演奏はもうさっぱりだわ これ何となく判る
趣味で作曲始めてから思考が変わった
文章能力にも影響したと思う
あと、BGMみたいな音楽を
ここで言う音楽とするのか?には疑問が残る >>3
ピアノやってなかったら、
別の教室に行かされたかもよ 俺の知り合いは、東大理V→某大学医学部教授(有名な名医)。
全くの音痴だよ。
アメリカの有名大学出身の娘も、やはり絶音痴。 俺の知り合いは、東大理V→某大学医学部教授(有名な名医)。
全くの音痴だよ。
アメリカの有名大学出身の娘も、やはり絶音痴。 ナイキ履いてジョギングしてる茂木より葉加瀬太郎だろ?
そういう事 20年前から音楽教室が、楽器を弾くと子供が頭良くなると広告してるですし
、
コロナで必死なんだろ >>12
>>13
ぶっちゃけると医者とか士業なんかの高度な頭脳を使う仕事だと
音楽やって遊んでる暇ないからねw
所詮ミューシャンは底辺の自己満足でしかない
世の中にはもっと複雑で難しく責任のある仕事が五万とある
高層ビルを設計する仕事や自動車を設計する仕事なんかは
ミューシャンでは到底無理 >>12 音痴は関係ない 楽器演奏の有無だから
なぜ今さらこの研究をしたのやろか 楽器を弾くとミエリン化が発達すると
10年くらい前のテレビで言ってたけど そりゃあ所見の譜面を速攻で読み込んで演奏しちゃうような人間の脳は
ハイレベルだろうよ 広さはカプセルホテルくらいだけど、独立した個室になってる京都の新しいスタイルのホテルが良さそう「特筆すべきはこの値段」
http://socim.satelit.org/hwsU/381209818.html 音楽聞くようになると思考能力が下がる
頭の回転自体が鈍くなった気がする >>17
そもそも高知能なら何でも出来るよ
仕事だけってのは
単に発達障害で痴呆になるよ 作曲出来なければ
音楽やってるとは言えないな
頭の中がカラッポってこと 聴いて踊るだけじゃいけないのかなあ。
ともかく子供に楽器を習わせることは
脳育の面でいいということか。 音楽ってずいぶんザックリ言うねジャンルは問わずなのか?技量の程度は? 音楽をしている?
なんちゅう言い回しだぬ
主題に興味あるけどソース見る気にならないぬ 楽器演奏は確かに脳を活性化させるな。
特に、バイオリンとかトロンボーンとか
決まった鍵盤のようなモノが無いのに
正確な音階を出せる勘は凄いよなあ。 リコーダーでゲームの曲を耳コピだけで吹けるやついたな
すげーと思った 【悲報】煽り運転をしたプリウスに3000万円の損害賠償と免停を食らうWWlWWlWWlWWlWWlWWl
http://socim.satelit.org/QgJo/862149038.html 過去の遺産を演奏するだけの人と、自ら作り出している人はまた違うんだろうな
もしかしてどちらも「音楽している」扱いなのかな >>1
言葉ってある意味、音楽じゃん?
だから音楽は頭の体操にはいいと思うんだよな 広さはカプセルホテルくらいだけど、独立した個室になってる京都の新しいスタイルのホテルが良さそう「特筆すべきはこの値段」
http://socim.satelit.org/nBao/172227216.html 日本でも、楽器を弾いている人は、老けないと言われて居ます。
仲間を見ても、そんな気がします。 接続レベルが高いという事は物事をごっちゃにしやすいのかな
バッハと数字を結びつけるようなオカルティックな考えになったり
褒めるのもけなすのもしていないのに
うっかり批判に使われる言葉を言うといきなり激高したり
脳の接続が良い → パヨク
脳の接続が悪い → ネトウヨ
という理論? >>10
ソースはJ. NeuroSci. な
ナゾロジーは文章力が謎なだけで
ベースとなる研究は実際に論文になってるものだ >>31
演奏っても
楽譜のトレースと
表現を伴う演奏とでは全然違うからな
カラオケとかでもそれはある
歌上手くても、何かがある人と無い人の差ある ミュージシャンとかあんまりボケないもんな。その変わりアル中やヤク中で死ぬけど 逆だろ?
接続レベルとやらが低い人は、音楽がうまくできなくて、すぐに習うのやめちゃうだけなんじゃないか 相関は因果関係の方向性まで示してくれないから
楽器を習ったからそういう脳が出来上がったのか、
もともとそういう脳になる資質があったから楽器を続けられたのか、
分からないということか。 でも音楽で頭が一杯になって結局日々の暮らしに必要な能力は半人前みたいな
人間になるんだよな 俺は詩が書けない…歌詞じゃなくて詩な
脳の接続レベルが高くても心を忘れてしまったようだ
脳力と心は違っているのでは? >>45
天然の画伯おねえさんみたいな感じですかね
あの人は素晴らしい才能に恵まれた人だけど >>17
甘いな。
社会レベルの高い職業の人ほど実は楽器を嗜む。
職人にヴァイオリン弾ける人はそう居ないが、医者や弁護士はサラッと弾けるんだよ。
音楽は宗教からバロック時代にヘンデルによって貴族が楽しむ物となった歴史を知らんのかw 脳の接続が凄いって言うだけ?
音楽しか出来ない運動音痴のお馬鹿さんも接続が凄いってだけで
運動が出来るとか頭が良い勉強が出来るのは別の訓練が必要なんだよね? >>50
フェリックス・メンデルスゾーンの一族も少なくとも三代に渡ってそれぞれ全く違うジャンルで頭角表してるもんな…
祖父が当時一流の哲学者、父親は超やり手の銀行家、姉さんと本人はガチ美少女・美少年な肖像画が残ってて姉弟で天才作曲家…
漫画でも盛り過ぎレベル 楽器やってるけど脳の接続がいいとなんかメリットあんのか あ? じゃ、サヴァン症候群の音楽の天才はどうなの?
音楽以外は日常生活もままならないようなサヴァンの人のほうが多いでしょ?
音楽の天才なのに「脳の接続レベル」高くないじゃん? 脳の接続レベル
脳の発達レベル
ってなんなん?
音楽家の脳は機能的・構造的な面で
各領域のつながりがきわめて強い・・・?
要するに
変り者で頑固者ってことか まあ絶対音感はかなり残念なギフテッド
しかも自己申告ばっかりで本当かどうかも疑わしいのばっかり >>1
よく指を使う、とかじゃないのか。年寄り
も、麻雀すると脳や体にいいし。w ピアノやるとIQ上がることは立証されている
DTMだけは多分上がらない 研究チームは論文内で 「長期的な音楽トレーニングは、大規模な脳ネットワークの形成に強く関係し、知能や心理、感情面での発達を促す」と結論づけています
なんか新しいビジネスの為かな >59 誰でも訓練でできる。
死体蹴りになるな・・・
スタンフォード大学医学部よりADHDの子供の研究でがんばりますとのこと・・ ましな雑誌にちゃんとした奴を掲載するから待ってて。
了解は得た。こちらもまじで。 >>59
まぁ、わざわざ人前で機械とか使ってテストするようなもんでもないからな…同じに絶対音感がある人間じゃないとそうそう分からんのかもしれんけど
とはいえ、別に見栄で言ってる人も少ないのでは?
それだけで天才になれるとかいうものでも全然ないのは音楽ある程度やってたら誰でも分かるし…
絶対音感持ってる人間でそれがそこまで素晴らしい才能だと思ってる人もまずおらんやろ 音楽の才能と理系の才能って繋がってそうな気がするよなあ
どっちも欠片も無いから憧れる >>2
演奏は技能の話だからなぁ
弾けなくても音楽が好きって人も居るだろう
難易度等への理解は浅くなるだろうが 音楽は天然の感覚教材だからな
光で我々が物理現象を知覚するのと同じで、
音や歌詞が奏でる結果と心から打ち震えるような感動が影響を及ぼす効果の高さを人類は化石人類から教わってきた
音楽は国や言葉の壁を越えるって言葉が大好きだ
通じなくても通じるものがある
それは光の速ささえ越えて同じ時を共有する事が出来る
その衝動は太古から伝わる高まりと共に躍りも生み出した
音楽は万国万人共通の財産であり、生み出した天才は後世に伝わる逸材となる 音楽は形にならない継承物だよな
儚いけど、想いは伝わり続ける Youtubeに Aki て人がエレクトーン演奏をアップ
してるのだけど、両手両足全く別パートを正確に
演奏してる。
さらに原曲を耳コピーで音源拾ってレジスト
データ書き起こしてるとか、音感も超人レベル。
何でああいうことが普通にできるのか謎。
音楽人?て不思議な存在だと思う。 演奏中の女性バイオリニストの二の腕の動きとか凄く好きです。 >>70
慣れの問題だろ
音楽そのものを作る才能とはまた別になる
絶対音感は関係無しとされてるから接続レベルの要素は技能に偏るだろう >>65
シューベルトは絶対音感なかったっていうな
ベートーヴェンは簡単な足し算ができずに
コーヒー豆使って数を数えてたって伝記で読んだ >>73
楽器は繰り返しの練習だけど、プロの場合は慣れとは違う気がするな。
例えば、繰り返し書いてる自分の名前の筆跡とか、慣れているとクセが出る。
プロの演奏はそれを悉く排除(感情は表現するが)して、商用フォントの域になってる。
演奏家をお経で例えれば写経だな。何度やっても崩れない。基本に忠実。
即興でそれができる人は、口から南無阿弥陀仏が仏になって出てくる域。 >>74
時代によって基礎学習のレベルが違うから、この記事の「脳の接続レベルの高さ」とはまた違った傾向が見えてきそうだよね
脳のリソースを考えるに古代の人達さえ及ばない感覚があるはず
知能指数と相関してイメージする人が多いが、脳はそもそも可塑性があるから
未だに構造の理解度や生存依存度などに関わっていて極一的な研究だと言える知能指数も
その可塑性と特定分野との解離が説明出来ていないし
音楽に関する才能はそれに縛られない創造的なものだから尚更深さを感じる >>75
多分俺の想像している慣れとは意味が違うね
創造性のベクトルで言えばもちろん単一化とは異なるけど、俺が言ってるのは技能の話
商用に通ずるとする癖の動向かどうかはあまり重要では無い気がする
技能で演奏精度は高められるはずなので
これは脳の接続レベルとは関係あるだろうな 脳の接続レベルと付いて知能や知性の高さを直接的にイメージする人が多いだろうが、ここで異説と弁明を述べてはっきりさせておく
脳の接続レベルと、才能や知能レベルとはまた違う
接続レベルはあくまでも技能に通じるもので、それは創造性とは違って緻密さを求めるもの
持って生まれたものと高めてきたものの違いとも言えようか
考える事が多いほど時間は掛かるのは周知だと思う
そして感覚的に物理的な現象をトレースするのが上手い事や理解の幅が広い事とは異なる要素が出てくる
音楽をしている人の脳の接続レベルが高くても、絶対音感とは関係無い事の説明にもなる
その中で何が頭が良いとする傾向を取るのかは自由だ
必ず同じレベルに到達出来る可能性はある 右手と左手で違う動作を同時に行うみたいなことって
楽器でもやらないと中々ないよな >>78
楽器やってる人は知能指数高くなるデータあるからあなたのいうことは間違っている >>74
絶対音感ないって言っても、楽譜は空で読めるんだと思うぞ
楽器で音出さないとテキトーなキーになっちゃうだけで
小室哲哉も最初の音だけ楽器で出したら、歌メロの楽譜くらい
は空で読めるって言ってるし、芸大の声楽科のテストもそれで
受かるらしい もうそれで十分凄い技能だわ... 視覚と聴覚と身体感覚の3つの知覚を組み合わせた学習は脳にいいとか
身につきやすいみたいな話を何かで読んだとき
楽器の演奏って最高の脳トレじゃないの?と思ったことがある
ただ、どれかひとつの知覚だけにすごく偏ってる人間もいて
そういう人には当てはまりにくいらしい これで音楽やると頭にいいと飛びつくやつはアホかと
藤井棋士のモンテカルロ?教育だったかに飛びつくやつも
「一芸に秀でるものは多芸に通ず」だとおもうぞ
音楽に限らずこうなるものならなんでもいいんだろ 「機能的・構造的な面で各領域のつながりがきわめて強い」
それが音楽だけとはおもえない 天才・藤井四段も学んだ「モンテッソーリ教育」とは−集中力と自分らしさ、周囲に流されず「好きなことをとことん追求する子供」に
将棋界最多の公式戦29連勝を達成した最年少棋士、藤井聡太四段(15)が幼児期に受けた「モンテッソーリ教育」に注目が集まっている。
子供が成長過程で何かに興味を持ち、同じことを繰り返す「敏感期」を大切に、集中力と自分らしさを伸ばすのが特徴だ。
「仕事」を通じ自分で育てる ルールは「他の人の邪魔をしない」
登園した子供たちは自分で教具を選び、昼食の時間まで納得のいくまで繰り返す。外で自然の中で遊ぶのも自由だ。
縫い刺しや切り紙、機織りなど手先を使う作業や、試験管の中で色水を混ぜ合わせる「色実験」、千個のビーズを床に並べて数えるなど、さまざまな「仕事」が用意されている。ルールは「他の人の邪魔をしない」ことだけだ。
根底にあるのは、「子供には、自分で自分をより豊かに育てる力が備わっている」との考え。「私が一人でできるように手伝って」という言葉が象徴的だ。
子供は「仕事」を繰り返すことで、自分の手を使えばどんなこともできるという自信と集中力、自分の信念や得意なことを貫く力を身につけていく。
根岸さんによると、卒園した保護者からも「周囲に流されず、自分の好きなことをとことん追求するような子供になった」と感謝の声が寄せられているという。
モンテッソーリ教育には、(1)日常生活(2)感覚(3)数(4)言語(5)コスミック(文化)−の5つの柱がある。それぞれの発達を助ける教具は赤、青、黄の三原色をベースにした色鮮やかなもので、子供が思わず触りたくなるような魅力を持つ。
家庭でモンテッソーリ教育を取り入れるならまず、子供を一人の人間として尊重することから。普段と違う予定がある場合は、丁寧に伝える。
「秩序の敏感期」にある幼少期は特に、規則正しい生活を送る。少し大きくなったら、虫や花の名前を自分で調べられるよう、本や図鑑での調べ方を教えるとよいという。
https://www.sankei.com/west/news/170831/wst1708310001-n1.html >>80
必ず相関するとはされていない
なぜ理論物理学者に音楽家がいないのかという話になる
つまりそれはある程度のレベル帯の話であって、君が指標にしている指向性を含む知能指数とは何ら関係が無い
論理的に考えてみれば解る >>82
そうそう
つまり音楽は天然の感覚教材なんだよ
頭脳の良さとはベクトルと指向性が重なる要素もあれば違うものもある
才能って面白いよね これは物理学者の創造性とも同種のものだと思うぞ
接続レベルが高まっても、高まり方が違うので対応できないだけで
似てる分野ほど対応できるが
いまはしらないが羽生善治は、チェスで日本一か日本一より強かった記憶 >>87
より自然に近い物理法則と、それに対する人間の反応といった意味では創造性に通じるものがあるよね
ざっくり人間の生体反応とした切り口から才能を見れば、それは物理そのものを追求する才能と合致する
ただ感情を呼び起こす、訴え掛ける要素がその音楽的な才能と物理学的な美しさの違いだな
あえて予測され得る法則から旋律は流れを乱す訳だから アインシュタインは天才ではなく、>>1みたいな習熟の結果だとおもうが
常識を疑うといった発想、批判をするためには常識の熟練がいる
真の天才はそういう発想とはべつものだろうと
ダイゴのクリティカル・シンキングや、演技の狂人と賢人のちがいとも一緒かと
【超思考法】天才を超える凡人になるための思考トレーニング【前編】
https://daigoblog.jp/super-thinking/
演技の逆説
役者は役を模倣する者でありながらも感性(sensibilite)によって役に憑衣されてはならず、判断力や洞察力をもって冷静な観察者でいなればならないとする考え。
フランスの百科全書の執筆者で思想家のドゥニ・ディドロが18世紀に論じたことで演技術の基礎的理論となった。
感性に左右される役者は、特に同じ演技が繰り返しできない点で批判対象とされる。
フランスの哲学者フィリップ・ラクー=ラバルトはこの逆説を、ある特性を演じ模倣するために役者自身はまったくその特性を有しない者でなければならないことであると述べている。
ロシアの役者・演出家のコンスタンチン・スタニスラフスキーは、俳優のタイプを、役に憑衣される「狂人」と冷静で知的な「賢者」に分け、一定の型紙をつくるように役を表象する技術よりも役の精神生活を生きて経験する技術を重視した。
そうした経験する技術を通して、単に感情に流されてしまうのではなく、演技をコントロールできる存在であることを俳優に求めた。
https://artscape.jp/artword/index.php/%E6%BC%94%E6%8A%80%E3%81%AE%E9%80%86%E8%AA%AC >>1の高め方はこういう種類に通じるとおもうが、それとは別に真の天才といえる発想するのがいるとおもう
ニュートンは、その著書『プリンキピア』の中で、次のように書きました。
「太陽、惑星、彗星から成る極めて美しい天体系は、知性を有する強力な実在者の意図と統御があって、初めて存在するようになったとしか言いようがない。
・・・・至上の神は、永遠、無窮、全く完全なかたであられる」。
彼にとって科学研究とは、"神の真理"を追究することだったのです。
また、相対性理論を生み出し、二〇世紀最大の科学者と言われたアルバート・アインシュタイン博士も、「私は、神の天地創造の"足跡"を探していく人間である」と語ったと伝えられます。
聖書は、次のように述べています。「神の目に見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められる」(ロマ一・二〇)。
大自然の持つ美しさ、偉大さ、崇高さは、その奥におられる創造者の美しさ、偉大さ、崇高さの現われである、というのです。
宇宙は、きわめて美しく整った物理法則・化学法則のもとに、秩序正しく運行しています。宇宙の理を究めようとする者は、誰でもその美しさと荘厳さに、魅了されることでしょう。
アインシュタイン博士は、「宇宙の法則は、数学的美しさをもっている」と語りました。
また、イギリスの数学者で偉大な理論物理学者であるディラックは、「神は、非常に優れた数学者であられ、宇宙を造る際に、極めて高度な数学を用いた」と書いています。
一九二七年にノーベル賞を受けたアメリカの科学者アーサー・ホリー・コンプトンの言っているように、「秩序正しく広がっている宇宙は、『はじめに神が天と地とを創造した』という、最も荘厳な言葉の真実さを証明するもの」なのです。
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/kagaku02.htm
ブラームスは彼の創造のプロセスについて語っている。
ベートーベンがそう実感したように、私たちが創造主と一体であると実感することは、不思議な、畏怖の念を起こさせる体験である。
これまでその実感に至った人間はごくわずかであり、それゆえに、さまざまな分野で人間が努力してきたにもかかわらず、偉大な作曲家や創造的天才が出現することがほとんどなかったのである。
私は作曲を始める前にはいつも、これをひたすら観想した。するとすぐに、私の全存在をワクワクさせるバイブレーションを感じる。この高揚した状態では、ふだんの心的状態のときには曖昧であったものが明瞭に見えるようになってくる。
そうなったとき、私は天上からインスピレーションを受けることができるのを感じる。
そして、私の心の目に主旋律がはっきり見えるだけでなく、その主旋律にはそれにふさわしい形式、ハーモニー、編曲が与えられている。
稀にしか起こらないがそのようなインスピレーションを受ける心的状態では、一小節また一小節と、完成した作品が私の前に見せられていく。
そのようなことが起こるには、半恍惚状態になっていなければならない。つまり、顕在意識の心が一時的に停止して、潜在意識が主導権を握っているような状態である。
インスピレーションは、全能なるものの部分である潜在意識の心を通ってやってくるからだ。
真の天才は、ミルトンやベートーベンがそうであったように、英知と力の無限の源泉を利用している。
私の見解では、まさにそれが天才の天才たる所以なのだ。ゲーテ、シラー、ミルトン、テニソン、ワーズワースのような偉大な人物は、宇宙の無限のエネルギーにつながっていたので、宇宙から永遠なる真理のバイブレーションを受けていたのだ。
私の作曲の中で存続していくであろう主旋律は、すべてこのようにして私のところにやってきた。それはいつも実に素晴らしい体験であった。
その体験をするとき、私は無限なるものと調和しているのを感じている。それに匹敵するほどの感動はほかにはありようがない。
https://www.tm-meisou.org/blog/archives/6360 >>50
医者は周りの医者からバイオリンとかやらされるって聞いたことはあるな アインシュタインと同時期のこのひとは天才だとおもうが
100年かけて数学者らがラマヌジャンの定理を理解しようとしてもできない事からして普通ではない、鍛えてなれるレベルでない
天才数学者ラマヌジャン−「奇蹟がくれた数式」を観て:研究員の眼
「ラマヌジャン」という名前を聞いて、これがインドの有名な数学者であると知っている人は、数学通か相当な物知りである。
ラマヌジャンは、「インドの魔術師」と言われ、32歳の若さでこの世を去った夭折の天才数学者である。
藤原正彦氏の著書によれば、「ラマヌジャンは、『我々の百倍も頭がよい』という天才ではない。
『なぜそんな公式を思い付いたのか見当がつかない』という天才なのである。」ということである。
さらには、「数学や自然科学における発見のほとんどすべてには、ある種の論理的必然、歴史的必然がある。
だから、『十年か二十年もすれば誰かが発見する』のである。」
「アインシュタインの特殊相対性理論は、アインシュタインがいなくとも、二年以内に誰かが発見しただろうと言われる。」
「ところがラマヌジャンの公式群に限ると、その大半において必然性が見えない。
ということはとりもなおざす、ラマヌジャンがいなかったら、それらは百年近くたった今日でも発見されていない、ということである。」と記されている。
その意味で、ラマヌジャンは、アインシュタインをも超える大天才だったということになる。
https://www.huffingtonpost.jp/nissei-kisokenkyujyo/ramanujan-math_b_15673576.html
ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ - Wikipedia
ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(1877年2月7日 - 1947年12月1日)は、イギリスの数学者。
イギリスにおける純粋数学はニュートン以来大陸側に大きく遅れをとっていたが、ハーディやリトルウッドの出現によって挽回、またある部分においては一流のレベルにまで引き上げられた。
実際英語で近代的な解析学の教科書を初めて書いたのはハーディ自身であった。
数学者に点数をつけるとすれば、「自分は25点、リトルウッドは30点、ヒルベルトは80点、ラマヌジャンは100点」であるという。
また様々なことをクリケットに例える癖があったハーディは、アルキメデス、ニュートン、ガウスらを「ブラッドマン級」と呼び、ラマヌジャンはそれと並ぶ天賦の才と称している。 >>90
美しい旋律とは音階の連なりで、これは太古から生物として生きてきた人間の本能、つまり脳構造と反応の積み重ねである神経系から連想される
理論物理学者は例えとしてこの世の法則を音楽的な美しさに重ねてるけど、
音楽は人間という生き物の感覚そのものに、時に自分の身の回りで起こる前後と重なり揺さぶりを掛けてくる
言ってる事は結局同じなんだろうが、俺はスレタイ通りに音楽に寄った意見をしてみると、
やっぱ音楽は多様なのがその起こり得る物理現象の多彩さと同じで、数学的あるいは物理的な法則は追随して解説しているだけってそう思うんだ
一本筋が通ってるという事実とその考え方は本当に美しいけど、
音楽が持ってる深さと物理的な法則の深さは物理の正しさと直結はせず比喩は出来ても感覚としては結局別なものだと思う
儚く壊れるものが美しいと感じる者さえいるから、
何を見て綺麗だと感じているのかを人間はどうしても前後を分解して微分積分的に想像し共感する事しか出来ない
そしてまた理論物理学はそれ全てを受け入れるし、解説出来るだろうな 自分は成果物、結果の話でなくて、脳の鍛え方が物理と音楽で似てるだろうってことが言いたい
基礎や常識とされる音楽、物理を繰り返し練習しとくと結合が高まるだろうと
スタンフォード大学医学部(アメリカ)の最新研究により、音楽をしている人の脳は、そうでない人に比べ、脳領域の接続レベルがはるかに高いことが判明しました。
演奏する楽器の種類にかかわらず、音楽家の脳は機能的・構造的な面で各領域のつながりがきわめて強いことが示されています。
さらに、音楽家の中でも、楽器を習い始めた時期が早い人ほど、脳の接続レベルがより強固でした。
音楽家では、絶対音感のあるなしに関係なく、各領域の同期レベルや機能的な連結性がはるかに高くなっています。
また音楽家においては、聴覚領域と、高レベルの情報処理に関与するさまざまな脳領域との結合も強固でした。
研究チームは論文内で 「長期的な音楽トレーニングは、大規模な脳ネットワークの形成に強く関係し、知能や心理、感情面での発達を促す」と結論づけています。
https://nazology.net/archives/80455 閃くとき・・
論理思考から大局観へ
これは、将棋の故大山康晴名人のエピソードです。冬のある日、将棋会館で部屋の出口の近くで若手棋士たちが「詰め将棋」をやっていたそうです。
その詰め将棋は極めて難しいものであり、天才的な資質を持って修練に励んでいる若手棋士たちが集まっても、なかなか解けないものでした。
このとき、大山名人は用事を終え、コートを着ながら、その横を通り過ぎましたが、出口のところで振り返って「諸君、お先に」と挨拶をし、「ああ、その手は何手目で、何で詰むよ」と一言つけ加えました。
若手棋士の一人が、後日、大山名人に聞きました。 「先生は、あの何百通りの手を、あの入口まで歩む数秒間に、すべて読まれたのですか?」
「いや、手を読んだのではないよ。大局観だよ」と答えたそうです。
直観力や洞察力を身につけたいと考えるならば、このエピソードは深く考えさせてくれる言葉です。
れほどの大局観を持つ大山名人も、かつて、この若手棋士たちと同様、難しい詰め将棋を前に、手を読んで、読んで、読み抜くという極限的な修練を重ね、大局観という能力を身につけることを修得してきたはずです。
多くの先人たちは、「論理思考」に徹する時代を経て、大局観や直観力や洞察力を獲得してきたのです。
例えば、企業において、「あいつは理屈っぽいから、勘が鈍い」などの批判の言葉を耳にします。
論理的であるがゆえに直観力や洞察力を身につけられないのではありません。論理に徹することができないがゆえに、直観力や洞察力を身につけられないのです。要するに、中途半端なのです。
また、羽生善治棋士の含蓄のあるエピソードです。 彼が、パソコンを用いたデータ重視や分析重視の方法を持った、文字通り論理思考のスタイルの棋士であることは誰しも疑わないでしょう。
しかし、かつて七冠を獲得した直後のテレビでの対談において、対談相手の若手哲学者に「対局中、どういう心境なのですか?」と聞かれて語った次の言葉は、極めて興味深いものです。
「将棋を指していると、ときおり、ふっと魔境に入りそうになるんです」この言葉は、何を意味しているのでしょうか。
魔境とは、心理学用語で言われる「変性意識状態」のことであり、直観力や洞察力など、人間の特別な能力が閃く意識状態のことです。
すなわち、このエピソードは論理に徹する修業を積み重ねていくと、その意識が論理の世界を突き抜けて、「論理を超えた世界」へと入っていくことを示しているのです。
直観力や洞察力というものは、気がついたら自然に身についている能力なのです。
例えば、現在、経営者、芸術家、職人、スポーツ監督などに、直観力や洞察力に極めて優れた人々がいますが、これらの人々は、直観力や洞察力そのものを磨こうとしてそれを身につけたのではありません。
あくまでも、「経営における正しい判断を下す」、「自分の美感を満たす作品を創る」、「納得できる良い仕事を残す」、「スポーツの厳しい競争に勝つ」という目的のための厳しい修練に徹した結果、
ある日、気がつけば直観力や洞察力が身についていたに過ぎないのです。
少し拡大して解釈すると、こうしたことは、直観力や洞察力だけでなく、創造性などについても同じことです。 創造性とは、自己の真実とは何かを追求しながら、修行から自然に生み出されるものです。
そして、人々がその芸術家の作品の中に見る創造性とは、その芸術家自身にとっては、決して目的ではなく、単なる結果に過ぎないのです。
https://www.esofken.com/Rensai/1805.html >>1
それより絵を描いている人のほうが長寿命でボケないのは何で
音楽家は自殺も多い >>93
今一般に使われてある音階は西洋文化で生まれたもので原始的には存在しません >>98
文化の違いは関係無いよ
なぜ西洋の音階のみを音楽とするのか
その視野の狭さから君も知能指数は低いはずだ >>96
知能指数高い人はそれだけ自殺率が高くなる
楽器はボケ予防に効果あるのは事実だけど
絵描きの話はわからないや
それが本当なら楽器やるより絵画描く方がそういう面に更に効果あるんだろうね >>99
文化の違いとかそういう話じゃないんだけどな
音階について勉強するといいよ >>101
君が言い出したのになんの反論も出来てないどころか論点をズラしてしまったね
これは知能指数が俺より低い証拠になる
音階に付いてはどんな音楽でも重なる音が必ず出てくるもんだよ
君は音楽への理解もたりてないね >>98
>今一般に使われてある音階は西洋文化で生まれたもので原始的には存在しません
>>101
>文化の違いとかそういう話じゃないんだけどな
この矛盾はとても面白い >>95
昔、NHKのドキュメンタリーで、将棋の米長名人の頭に脳波測定機をつけて、
数十手の詰め将棋を解く時の脳の動きを測定したことがある
なんと結果は右脳のみが動いて、左脳はまったく使っていなかった
本人曰く「頭の中に将棋盤が浮かんで、勝手に駒が超高速で何百通りと動いていく」
とのこと
同じ番組でソロバンの名人にも何十桁の暗算をやらせたら、やはり右脳のみ。
「頭にソロバンが浮かんで、数字を読まれると勝手に玉が動いていく、
最後にソロバンの玉を読み上げるだけ」
これらは、幼い頃は左脳で「考えながら」練習するが、
長期間のとんでもない回数の地道な繰り返しによって、右脳でのパターン認識になっていく、
という説明だった
プロの音楽家も長い長い修練によって、右脳のパターン認識になってるんだろうね
例えばジャズの即興とか、左脳で考えながらじゃとても追いつかんもんね >>102
衒学的な語りで捲し立てる人は頭が悪いというエビデンスがある
今の人間が美しいと感じる旋律の音階は太古には存在しない音階であることがほとんどだろう
音階について勉強しようね >>105
音階が存在しなかったらそもそも音楽は成り立たないんだが
連続的な音の流れにも現代的な音の区切りは当てはまるはず
君は知能に固執するあたり自分が頭良いと思ってる典型だろう
しかし>>103で指摘してる通りにまず自分の意見の矛盾を見抜けない
おおかたピアノでも弾いてる身だから勘違いでもしてるんだろう
技能との関連について上で話してるのにそのレスも辿れないとか
そのエビデンスとやらを是非提示してもらいたいもんだね
君から出てくるものでは無いがね >>104
ジャズピアニストとクラシックピアニストの脳の使い方は実は結構異なるらしい >>106
>音階が存在しなかったらそもそも音楽は成り立たないんだが
やっぱり話を理解できてないね
誰もそんなこと言ってないんだよ
文化云々の君の誤解もそう
音階について学ぼうね >衒学的な語りで捲し立てる人は頭が悪いというエビデンスがある
拾ってきたエビデンスをもってお前は衒学的だとするこの矛盾よ
芸人の才能はありそうな奴だったな >>109
はい説明も出来ませんね
>>103で指摘してるがお前が言い出したんだぞ
お前の場合何が言いたいのか自分でも解ってないらしいな
そういうのを世間では馬鹿って言うんだよ
少なくともエビデンスは沢山あるねw >>95
大局観というのは、右脳のパターン認識の極致の先にある、
「一瞬で絵のように見える境地」なのかな
例えば大人になってからのモーツァルトは、
「どんなに長い曲でも、一瞬で錦絵のように完成した姿で浮かんだ、
それを決して忘れないのが神が私に与えた一番の才能だろう」
と父への手紙に書いている
だから飲みながら賭け事をしながら、修正ゼロで譜面をスラスラ書けたんだってさ
あの雑念の無い、シンプルで深く美しい名曲たちはこうして生まれた
そういう異次元の大天才たちについての研究って、新たな発見を生むのかもね 音階の説明?日本や中国には〜声、〜音という西洋音楽理論の音階に相当する言葉があるんだが
西洋音楽の流入に伴う切り分けとして「音階」という言葉が多用され区別されるようにはなったが、概念そのものは全く同じ
音階文化くんはなにかのエビデンスに影響されて音楽センスそのものが欠けているらしいね >>107
君の言う頭の使い方ってのは弾き分け方の話かい?
浅いね
理解が足りないんじゃないかな 天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ
ブラームスは保守的で、新しいことをやらない、才能のない作曲家なのに、現代に至る〈クラシック音楽〉の基礎を作った。そこが凄いのだ。
実感するのは、「どうしてオーケストラって言うのは、こんなにブラームスばっかりやるのだろう」ということ。そう呆れてしまうほど、ブラームスの演奏頻度は多い。
言ってみれば、校長先生の訓辞みたいな…内容があると言えばあるけど、おもしろみがないと言えば言える…という音楽なのだが、アマチュアでもプロでも安心して演奏できるクラシック音楽の基本の基本がそこにはある。
確かに「天才」の凄さは一目瞭然だが、ブラームスはその逆。全く一目瞭然でない地味なところから、100年間にわたってじわじわ効くボディブロウを叩き出す。
考えてみれば、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの三大Bは3人とも(生まれつきの天分に恵まれた…という意味での)「天才」とはほど遠い、後天的かつ結果論的な「巨匠」。むしろ、天分に恵まれなかったことで生涯ジタバタし通しだった印象の方が強い。
音楽をさらさら作曲する天才に「その曲はどうやって作ったんですか?」と聞いても「自然に頭に浮かんだ」とか「空から聞こえてきた」というような返事しか返ってこない。
ただし、音楽にしろおしゃべりにしろ、愉しんでいる分にはいいのだが「生業」にする場合、この「自然に頭に浮かぶ」ことほど怖いものはない。なぜなら、浮かんでこなくなったら、おしまいだからだ。
16歳デビューの直感がそのまま30歳40歳まで続くことは、まずない。今まで直感でぺらぺらしゃべっていたものが、実は「主語と述語」だの「動詞と形容詞」だの「敬語」だののシステムを持っていることに気付く時が来るからだ。
その時「自分がどうやって音楽を生んでいるか」という基本が自分で分からないことになると、これは一転して大いなる「不利」になることがある。
その証拠に、この種の天才少年は、多くの場合、ピーク時の直後に大きな壁に直面し、その際に早死にしてしまうか、その後才能を枯渇させてしまうことが実に多い。肉体的精神的な「壁」に突き当たる。
8歳で交響曲を書き作曲家として大活躍しながら35歳で夭逝したモーツァルト、そのモーツァルトの再来と騒がれ十代からオペラのヒット作を連発しながら37歳を境に引退したロッシーニ、
あるいは歌曲や交響曲やソナタなど膨大な名作を残しながら31歳で死んでしまったシューベルト、作曲に指揮に教育に秀でながら38歳で急死したメンデルスゾーン……
一方、ベートーヴェン少年やブラームス少年はそこまで「いいとこ坊ちゃん」で育ってはいない。ベートーヴェン青年がようやく「作曲家」という道の入口に辿り着いたのが30歳。ブラームス青年が「交響曲」の世界に踏み込んだのは40歳過ぎ。
天才型作曲家の系譜は、前期ロマン派を境に途絶えてしまう。そして、その後といえば、幼少の頃はさほど音楽一途でなく、20歳過ぎてもさっぱり才能の片鱗を見せなかったような怪しい経歴の「天才」が俄然多くなる。
確かにスタートは遅いが、一旦道を定めるとその吸収力が驚異的なのも共通項。ほぼ数年で最低限の音楽の基本はマスターしてしまい、基礎に縛られないぶん革命的な理想に燃え、下積みの苦労を経て20代後半か30歳近くなってようやく楽壇に登場。その後は明確な個性を持って音楽界に作品を提供し続ける。
こういう作曲家たちをモーツァルトやシューベルトのような才能と一緒に「天才」の一言で括りたくない、と言うのが本音。全く違ったベクトルの才能だからだ。
かくして、この種の「戦略家」たちが跋扈し始める時代以降、もはや無垢な「天才」たちに出る幕はなくなったとも言える。そして、ブラームスはそんな時代を象徴する「天才ではない巨匠」なのだ。
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2010/06/post-38d4.html >>115
なるほど面白いね
確かに努力型の天才はいるし、その方が多いでしょう
その人たちの方が活動期間は長く、晩成型の巨匠になっていく
無から有は生まれないから、夭逝の大天才も幼少の頃は伝統を学ぶ努力型なんだけど、
ある時から急に異次元の進化をして、独自のスタイルを生み出して、早く散ってしまう
両者の優劣の議論はあまり意味がなくて、両方存在してるし、両方必要なんでしょうね
これは音楽に限った話じゃなくて、色んな分野に言えることなのかもね 宗教が日常に根付いてる海外ではきっと神が嫉妬したんだなんて言われたりするらしいね >>115
>考えてみれば、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの三大Bは3人とも(生まれつきの天分に恵まれた…という意味での)「天才」とはほど遠い、後天的かつ結果論的な「巨匠」。むしろ、天分に恵まれなかったことで生涯ジタバタし通しだった印象の方が強い。
バッハは普通に天才だけれどね、作曲面においても >>119
>>113に関してはぐうの音も出ないと
お前の敗けだな
具体的な反論が出なければ天才とは言えないね
頭を良く見せたかったんだね、ご苦労様 >>1
>音楽家の脳は機能的・構造的な面で各領域のつながりがきわめて強いことが示されています。
うらやまし。
音符も読めない自分は音盲です。はい。
でも楽器は絶対に習う。 バッハが恵まれなかったのは天分じゃなく時代や人間性だろうね 数学だとグロタンディークは天才ではないタイプだろ
ひふみんが私は天才だが羽生、藤井は秀才と言ってるのも晩成、巨匠型ってことだろ
ジャズピアノの日本人女性で努力、根性、気合がモットーと言ってる人も天才でないたいぷかと ひふみん「藤井さんの勝負勘は素晴らしかった」 朝日杯 :朝日新聞デジタル
14歳、15歳のころの研究量では1番ではないか。2位は羽生さん。努力して強くなる秀才型。
攻めはさえて、受けは強い。ひとことでいうと欠点がない。どんな棋士にも欠点はあるもので、これはものすごいことなんです。
天才テリー伊藤対談 「加藤一二三」(3)藤井四段は今後が勝負どころとなる | アサ芸プラス
---九段から見て、藤井四段は天才ですか?
加藤 秀才型だと思います。毎日雨が降っても風が吹いても、欠かすことなく1日5時間ぐらい将棋の研究をし続ける。
こういう努力で成功を収める人が秀才だと思うんですよ。これは私、非常にほめて言っております。立派ですよ。
「ひふみん」独占インタビュー 無冠「羽生善治」と躍進「藤井聡太」の今後を読む | デイリー新潮
天才には2通りあって、私も大山名人も天才と呼ばれたけれど、必要に応じてするタイプ。
羽生さんはコンスタントに研究している。それは今の藤井聡太にも共通する。
藤井さんについては大器で大いに期待できる。羽生さんと同じように秀才型だから、ぶれません。誰がぶれないかというと、藤井聡太だと思うんですよ。
阿部隆 七段
私が「羽生さんは天才タイプだと思うけど、谷川さんはどうかな。僕にはどちらかというと秀才タイプに見える」と言ったら、
阿部はすかさず「まったく逆ですよ」と異議を唱えた。「それって羽生さんのほうが努力家タイプだという意味?」 「そうですよ。池崎さんは誤解してます」
https://shogipenclublog.com/blog/2018/06/29/abetakashi-2/ 趣味でたまに楽器弾くけど頭の中の霧が晴れるみたいな感じになる時がある
やっぱり関係あるんやな >>93
音楽の多様さとそれを数学的ないし物理的に追随して解説し得る点は全くの同意見
余韻が消える、即ち儚く壊れるのも音楽の美しい点だと感じている
私の友人・知人の医師や経営者層、理系職で音楽をしている人は多いと認識してる
少なくとも500人は超える 脳科学の発達によって運動以外の領域について老化から逃れられることが
わかりつつある。音楽以外にも両利きや同時に2つの言語を同時に聞く方法
など色々なトーレニングの効果を検証している。スマートドラックという失
敗があったらしいが脳波や思考の解析が進み脳自体を鍛えるという概念がで
きつつある。医学部の教授たちの幼少期に水泳とバイオリンを習っていた人
が多い。NIHの某有名人(尊敬している)はギターは下手だったw つか、脳の接続レベルとか脳の発達レベルとか何なの?って話だと思うんだが
なんかの指標の数値があがるんやろけど
これ高いと頭いいとかって話なんか??
何意味してんのかさっぱりわからん ルールがある簡単なゲームごときしかやっていない棋士が医師をなめる発言をした
が、AIとの勝負から逃げる連中など頭がいいとは呼べない。思考スピードが遅すぎ
る。オンラインで短時間の勝負下なら数名のプロをやっつけたことがある。何をす
るのにも考え過ぎるという発言の藤井はセンスがあると思う。将棋の棋士の脳は凡
人の脳と実際にそれほど違いがない。 鍛えると活性する領域が拡大してくって意味だろ? これは脳の図の例
機能的MRI(fMRI)とは、脳内の血流の変化を鋭敏に捉えることで脳活動を把握する方法です。
私達が物を見たり、話したりすると、神経活動の局所的な亢進に伴って同部位の血流量が増加します。この増加を捉えることで、神経活動の場所を想定する方法です。
少し前までは、脳は活動している時に合目的な部位の血流が増加すると考えられていましたが、最近の研究により、脳には何も考えていない時であっても、
活発に血流が増加している部位のあることが分かってきました。ボーッとしている時に脳血流の変化を評価する撮影方法を安静時機能的MRI(rsfMRI)と呼びます。
上の図は、安静時に血流が増加している領域を示しています。安静時脳活動の程度は、意識的脳活動の20倍にも達するとされています。
この領域はデフォルト・モード・ネットワーク(Default Mode Network;DMN)と名付けられ、黄色〜オレンジ色の領域が、一つのネットワークとして同期しながら活動しています。
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/noutokokoro/img/ippan-cohort04.jpg
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/noutokokoro/ippan/cohort.html どんな楽器でもいいから「笑点のテーマ」でも弾くことをおすすめします
因みに自分は三味線で弾き始めてから耳パクがすんなり出来るようになった 大まかにいうと、左脳と右脳との接続回路(情報のやり取り)が活発。
頭の良さとは?IQやEQなど分かり易いスコアでははっきりいって意味が
ないのかもしれない。空間認識、思考のスピード、学習速度、暗記量、思
考する体力、各種情報の応用力など総合的に見る必要があり、どれかが優
れておりそれを生かして活躍している人が天才と呼ばれる。日本のメンサ
が駄目なのはIQ信者が多すぎるからだと思う。 IQ試験は若い人程いいスコアがでるし、実際にIQ300オーバーとか測定不能レベル
の人たちの中にははっきりいって頭が悪い人がいる。ただ脳の大きさはキャパシテ
ィーという意味では有利性があることはわかったいる。ネタを盗む芸人もIQではは
かれない一種の天才だと僕は思っている。 鮮明夢は見るかな・・・
夢で音楽を奏でる経験は?
頭をよくする最大の方法は頭がいい人たちがいる場所へ行くこと。
結局は受験というくだらないクエリを突破してそういう場所へ行くしかない。 >>129
>オンラインで短時間の勝負下なら
それはまともな試合、勝負とは呼べない
お前は本気になったプロに勝てないよ >136
その通りだ。
つまらない事なので集中力が持たないだろうね。 つまらない云々というより、将棋のオンライン対戦で思考の速さを求めるような打ち方をしていたらプロに勝てないよって事
集中力の問題ではなく、初めから勝ててない そもそも最適解があるくだらない競技に意味がない。
なぜルールを変えないのか理解できない。
大局将棋で勝負したら彼らはおそらく考え過ぎて数手で倒れるだろうな。 コロナウィルスのパンデミックを解決とかのモチベーションがあれば
真面目にプロと同じ土俵で挑んでも構わないが。 >>139
なぜお前の将棋の自慢話になるのかが些か理解出来ないが、
その最適解がある中であらゆる可能性の模索が出来るなら苦にならないはずだ
君の話でしょ?数手で倒れるってのは
彼らは将棋をするのが職業なんだよ
テレビ番組等で度々見掛ける企画での彼らのあらゆるルールへの貪欲さを知らないでしょ
将棋のルールも調べてみれば判るが遊びとしては多様な方なんだがな
君はなぜか知らない様だが そりゃ、やってない人よりは脳の機能を多めに使ってるんだから、その分能力が高いだろ。
調査するなら同じぐらいやってる人が曲のジャンルで能力に差が出るか試してほしい。 論より実践かな?
そもそもプロとオンライン以外で勝負する機会へアプローチするのが面倒すぎるが。
よろしい今のテーマを解決したら。政治的、経済的圧力で勝負の機会を得て、将棋
という競技を破壊しに行く。 >>143
本当はプロと対戦したことが無いのは認めるんだな
薄々気付いてはいたが
政治的、経済的にプロ棋士と勝負なんて盤上から逃げているのと同じでは?
君が勝負から逃げるというなら相手をするだろう棋士も受けて立つ道理は無くなるね >144
だからオンライン(yahoo将棋)なら勝負したことがあるんだが・・
えーと将棋のプロと勝負するためにはアマチュアのトーナメントを突破して
からとか面倒すぎる。まぁ嘘つき呼ばわりされるのは楽しい。 ネットで勝った時もAIや将棋ソフトを使ったとか言われたしね…
まぁいいか・・・テーマが終わったら準備するから。 yahoo将棋wなるほど、プロがわんさか居るね(笑)
聴いて損した 音楽やってないけど頭の中で音楽を鳴らすことができる
それで聞きながらリズム取ってると何やってるのと聞かれ
説明したら白い目で見られた
みんなできるわけじゃないことをその時知った まぁ偽物と勝負したと思われたのかな・・・
ソーシャルの本人認証問題もあったからな。
まぁIDと時間を記録しておいたからね。 >>149
何かを勘違いしてるのかしらんが、俺はオンライン将棋はやらん
そのコテハンもうやめたほうが良いかもね 話が嚙み合わない訳だ・・・
キャップつけてないからいいじゃん。。
本当に将棋好きなの?オンライン勝負なら色々と楽しいのに。
プロ棋士もやっていて機会が公平だよ。
ただ将棋ソフトを使うアホがいて少し悲しい。 楽器演奏の特徴は、色んな操作を同時並行的に
行うことなんだよねえ。 これが脳を活性化する。
左手で指で弦をあちこち抑えながら、右で弦をはじく。
同時に歌を歌う。 さらに同時に、リズム音を出す
シンセサイザーとかを足で操作するとか。
エレクトーンなんか、さらに色んな操作を
同時にやる。 まるで超絶技の曲芸だわ。 >151
石器時代のアホとコミュニーケーションを取っている気分だ。
別にこてはんじゃなくても君の書き込み時間とIDで私は〜だと語っているのに
等しいのにね。そもそもプロの将棋棋士ほどPCを有効に活用して研究している
のにね。昨日のカンファでAMDの有名人が藤井氏の話をしっている日本人とし
て話をだしていたぐらい僕は将棋は好きだよ。まさかNHK将棋とか本とかで勉
強して将棋が趣味ですとか言っているアホなの? 日本語が変になってしまった。
笑ったオンライン上で勝負を挑むこともできないじゃんw >>156
?そうかお前には俺がプロに、天才に見えてしまったか
いつの間にかお前の語る頭の良い奴と俺は同義になってしまったんだな
こうなるのは予測していたが
釣られてしまったね?俺との将棋は既に終わっているんだよ
君がなぜか音楽の話そっちのけになって頭脳に拘るのは、何かコンプレックスがありそうだ
俺はあくまでも君が自慢していた将棋を理由付きで否定しただけなのに バンドマンにはロクでなしが多いという事実はどう説明するんだ アインシュタインは自閉症気味だった子供の頃から
ヴァイオリンやってたな
ベートーヴェンの楽曲の評論も残ってる 鍵盤系の楽器が一番頭を使うでしょうね
パイプオルガンの演奏を見てると人間業じゃないとさえ思える エレクトーンとかドラムスの演奏は、
脳がいくつもある感じだね。 >>17
ま、ソロバンでくくっても囲碁将棋でくくっても同じような結果になろんだろうな ロッカーには薬物乱用で脳が萎縮してても音楽活動が継続出来るって事は、脳の接続レベルとは無関係と言えるのだろうか
変形するほどだと接続レベルにも影響及ぼしそうなもんだが
まぁ売れる健全な人達には薬物の影なんて無いのかもしれんな そういう連中は薬物で接続レベルを強化してるんだぞ
薬物は思考とか理性を奪う代わりに想像力と身体能力を高めるから 天才型とそうでないのがいるはずだ
これだと、ハントが天才
羽生善治と谷川浩司だと、谷川が天才
大山康晴と升田剛三だと、升田が天才
アインシュタインとラマヌジャンだと、ラマヌジャンが天才
ラッシュ/プライドと友情 - Wikipedia
『ラッシュ/プライドと友情』は、2013年のアメリカ合衆国・ドイツ合作の伝記アクション映画。
1976年のF1世界選手権でのジェームス・ハントとニキ・ラウダのライバル関係を題材としている。
1970年代、毎年2人が事故で死亡するF1の世界で伝説となった2人のレーサーが存在した。
ジェームズ・ハントは野性的思考であり、毎日を人生最期の日の様に謳歌する豪放なプレイボーイで、勘を活かした走りを得意としていたイギリス人。
ニキ・ラウダは「コンピュータ」と評される論理的思考であり、レーサーのイメージとはかけ離れた勤勉な男で、工学の知識を活かして自らマシンを整備する走りを得意としていたオーストリア人。
全く正反対の性格の2人はやがてライバル関係となり、度々レースで競い合う仲になる。
そして1976年― シーズン成績1位を独走するラウダとそれを追うハント。ドイツグランプリのその日は朝から豪雨でニュルブルクリンクの状態が悪かったため、レースを決行するべきかどうか審議が行われた。
ラウダは中止を主張したが、ハントは決行を支持し、最終的に予定通り開催されることとなった。
しかし、そのレースでラウダはクラッシュし、生死の境をさまよう重症を負ってしまう。
ハントは彼のクラッシュの原因が自分にあると考えショックを受けるが、その後のラウダが参加できないレースでラウダとの差を埋めていく。
一命は取り留めたラウダは、病院でその様子を見て奮起し、事故後わずか42日後にレースに復帰する。 天才は、なぜ努力型に勝てないか(天才・升田幸三vs宿敵:努力の人・大山康晴)
宿敵として大山康晴名人を何度も泣かせた升田幸三だが、天才特有の弱点があった
升田幸三は100年に一人出るかどうかの天才棋士だ。次々と凄い新手を作り出し、時に手が付けられないほどの強さを見せる。
名人を二度も香落に指し込む破天荒な強さを発揮する升田は、文字通り天下無敵の時期があった。
しかしトータルで実績を見ると、ライバルの大山康晴に大きく水を開けられている。
大山は才能と努力が芸術的に結びついた人で、おそらく空前絶後の強さだろう。
木村義人名人が将棋界の天才について語る。
「私が棋士になって天才といわれた人は何人かいるが、ほんとうに天才だと思うのは(先輩の)土井市太郎さんだろう。
(後輩では)塚田、升田、大山らがいるが中でも升田の将棋は最も天才にふさわしい。
ただし天才には出来不出来が多く、努力型はそれが非常に少ない。だから技術が高くなるほど努力型が勝ち続ける」
大山康晴の天才論。
「プロというのはその道で優れた人の集団であり、天才といわれた人でも周りが皆そういう人の中にあってはただの人になってしまう。
だから私はプロの世界には俗に言う天才は居ないと思う。
将棋の世界で強いて天才がいるとすれば、天才とは出来不出来の多い人のことを指すのだと思う。
時折誰が逆立ちしてもかなわないほど強いというタイプだ。
私が思うに、作家でも画家でも七十、八十になっても衰えを知らず、いい仕事を続ける人こそが真の天才の名に値するのではないか」
出来不出来の多い逆立ちしてもかなわない天才とは升田像であり、七十、八十になっていい仕事を続ける真の天才とは大山像だ。だとすれば凄い話である。
http://opu-shogi.chips.jp/www/fudaiOB/essay/essay20041019_tensaihanazedoryokugatanikatenaika.htm 全体的には数学の点数が良い数学嫌いが多かった印象
>>104
左利きで下手なギターを嗜んでいた頃は左右両方で弾いていたが
アドリブなら左右で浮かぶフレーズが違うのな
自分で録音して聴けば別人だよ >>166
それ接続レベルって言うのか・・・・
脳内物質の過剰分泌とかじゃないのか?可塑性を鑑みてどちらかというと接続レベルを上げるというより破壊していくものだと思うが 脳の中に音楽丸々入ってるからなあ
何百Mに匹敵するデータだろ
脳内の許容量すげえ さて・・・
Natureの記事をノータリンを読んでくれると嬉しいな。
AIで訓練した後棋士でニュースを読んでくれるかな?
あと追跡するね。
艦これのアホ以上に追い込む。 さて・・・
Natureの記事をノータリンを読んでくれると嬉しいな。
AIで訓練した後棋士でニュースを読んでくれるかな?
あと追跡するね。
艦これのアホ以上に追い込む。 2重投稿してしまった。
必ず追いかけるよどこまでもね。 引退したとか言うからちゃんと同じ条件の人を用意しているよ。
ttps://number.bunshun.jp/articles/-/846785
あと脳内での音を読み取るAIもあるよ。
次は君がどこで何を書き込んだり、どこを移動したり、どこで働いているか、
どのような前科や違反があるのか、どのようなゲノムを持っているのか・・
解析して追いかけるよ。 医療現場のお荷物になっている高齢研修医問題で頭にきているのに
人を見る医学をなめ腐った将棋の棋士がいて頭にきているんだよw
研究者を育てるという意味では将棋の棋士のようなレベルの無意味
な競技者(古臭いごみのようなルールの)が人材育成にとっても無
駄になる。必ずね・・・ 自身が優れた演奏家なら自分が出す音を、そうでもなければ優れたライブパフォーマンスや録音芸術をよく聴くこと。そして誰でもいいから誰かと語ること。これはあらゆる人間の文化的パフォーマンスに繋がる頭の体操たり得ると思うよ。 >>179
語らいが生活の質やメリハリを上げるのはひしひしと感じる
人と接してるだけで一日が豊かになるね
いっそ万人の脳を接続して価値観を一瞬で共有し合えたらどれだけ良いか
そんな瞬間が待ち遠しい 学習に関しては前後を連結させる速度が重要だ
結論から言うと、って奴だな 大山がまだ現役だった頃に、初期の電子計算機を使って将棋の研究が日本で始まった。
そのとき、プロの将棋士に、将来計算機が人間に勝てるようになるかと尋ねたが
ただ一人を除いてみな否定的であった。そのただ一人は大山だった。
「計算機はミスをしないから、将来は強くなって人間も負ける」という
理由だった。つまり、大山はミスをしないことが最も大事と考えて居たことになる。
うんと昔の将棋は、時間制限などなくて、肝心な曲面での1手を打つのに
長考するのは当たり前であったというね。大山は対局でもしも長考が可能で
あったのならば、最強であったろうと言われている。 >>182
でも大山って人は調べてみると盤外戦を駆使するねちっこい姑息な野郎だったみたいだな
技量を誤魔化すために色々邪魔をする人物だとしか思えない
周りはたまったもんじゃないだろうな なんだ盤外戦て殆どの棋士が使うのか
不利なほうが駆使すると相場が決まってるとか
なんだそりゃ >>186
お前データを相対的に見れないやつだな
相関があるならほぼ同じ値になるだろ 何を伝えたいのかすらもよくわからないから
とりあえずこのグラフをもとに説明してみて
まさか才能の項目の音楽とIQを比較してるわけじゃないよね? >>190
勿体ぶらないでそう思ってるんだったらそれに関して否定文を書けばいいだろ
ただレス付けただけで反論した気になってる? ルービンシュタインが自著の中で、頭の中でブラームスの交響曲を演奏している
最中に電話がかかってきた、受話器を取って会話しながら第三楽章を演奏してい
たと書いている。この逸話を思いだした。
あと、バッハは生まれながらの天才型で努力家ベートーベンとは資質が違うと思うよ。 厨房からチャゲアスにはまりいろいろ邦楽聴いて36から突然洋楽聴きだした
しかし昔からハーモニカピアニカリコーダー全て演奏ダメだった俺は…? >>192
え、本当にそうなの?
音楽・楽器やっている人と音楽の才能をイコールしてるってこと?
すごいバカだねw >>195
理由が書けない時点でお前のレスなんて鼻くそと同じだよ >>193
天才じゃなきゃ・メロディが自然に湧き出る人でなければ、多忙の中毎週カンタータ書けないね
普通ならメロディ思いつかなくて詰んでしまう 音楽理論勉強せずに詰むなんてほざくバカが何か語ってる 普通のクラッシックピアノを習い始めたら、
音楽の点数が20点から95点の上がったことを覚えている。
もっと、劇的だったのは、高校時代にバンドを組んだら、
すべての楽器の音が別々に聞こえるようになったこと。
それまでに持っていたレコードを全部聞き直して感動したのを
思い出した。
脳機能はわからないけど、やらないと分からないことが
あるのは確か。 ある種の楽器演奏はマルチタクスだもんね。
脳がまるで2つ上あるみたい。 >>200
よく分かっていないけど、
今出している音と、次に何をするのか、
色々考えながらじゃないと演奏できない。
それがマルチタスクなのかな?
打ち込んでおいて、リズムだけ合わせれば
正しい音が出るような楽器だとマルチタスクじゃなさそうだね。 >>201
結構凄腕のドラマーとやってたが、そういう人って相手の音を聞きながらちゃんと自分のプレイもする
初めての時キメの所でお互い顔を見ながら俺はドラマーに合わせようとしててドラマーは俺に合わせようとした
で話した結果じゃ俺が指揮をとるよで一致
ドラマーがリーダーならドラマーが指揮者、ギターやキーボードらでも一緒
オーケストラと一緒で指揮者は必要
そういうコミュニケーションを練習前から取ってれば腕がある奏者なら一発目からピタッと合ったりする >>199
子供にやらすと学力上がるのは割と有名な話だね
ピアノ習えるほどの環境がそういう傾向を産むのではという反論もあるが
老人になってからピアノを始めてもIQがあがるということも明らかになっている >>50
悪いけど医者って殆どがガキの頃から勉強一筋が多いから楽器どころかスキップすら出来ないほどの運動音痴ばかりやで
少なくとも日本の医者はそんなのばっか、何か他に嗜みながら出来るほど医学部合格は甘くない
どの国でも医学部はどの学部よりも最高難易度に設定されてる事実をまず見よう >>203
いやそもそも脳は可逆性があるのだから何歳になろうが鍛えて向上させる事が可能なんだよw筋肉と一緒 >>185
ああやっぱ音楽と数学とスポーツは遺伝の影響が強いんだな
まっなんとなく分かるわ
当然訓練すれば人並みにはなるだろうけど、ある程度以上になるには難しいんだろうな
俺は運動/スポーツは得意だけどガキの頃から何で他人はこの程度の動きすぐ出来ないんだろうと思ってたし
逆に数学は中学以降は不得意だったな
美術つうか芸術は音楽を除いてはほぼ努力でどれだけでも能力値上げられると思う
♪ 一つ出たホイのヨサホイのホイ ♪
♪ 一人娘とやる時は〜 ♪
>>1
これ多分スポーツとかにも当てはまると思うよ
つか色々あると思う じゃあエビデンス出せって話だよ
特殊なスポーツはどうか知らんが義務教育でやるようなスポーツと比べると
ピアノは断然頭使う
むしろ楽器はスポーツというのなら同意できる >>211
競うならスポーツだけど、普通は競わないだろ楽器は 競技性を差し置いても楽器の演奏は同じ娯楽とされるゴルフよりはスポーツな要素は少ないだろう
楽器はスポーツとは言いがたい やったことないからそう言うんだよ
やればわかるけど運動神経が大いに必要だし体力も精神力も使う
練習も野球の素振りみたいに同じことひたすら繰り返したりする >>212
発表会だのコンクールだの競う場所は色々あるよ
場所がなくても意識的な面でもね
そもそもスポーツ=競うものという認識から間違ってると思うけれど >>214
やる音楽にも寄る所あるけどね。スラッシュメタルやモダンパンクみたいなのは本当に筋肉使う。結構疲れるがテクあればライブ位弾き通せる。無ければ一曲も弾けないかやっと位かなw
もっと難しいのは複雑なコード展開で早いリフ
インテクチャルアルメタルとか言われてるが、ムスティンは弾けるのに僕は弾けなかった、ショックだったよとマーティが言ってた
と同時にスローでいいソロてのも難しい。速弾きなら何音かズレてても誤魔化せる。大音量でズレないてのはフレットを完璧近く把握してる
マイケルシェンカーもそっちの方が多分難しいと言ってたし
そっち方面は知識や頭使ってる 手や足や口を使い一つ一つの音をリズムに乗せて発音する
楽器演奏は基本から運動神経が大いに求められる
スポーツの定義とは案外曖昧なものらしいがスポーツ庁が定義するには、
身体を動かすという人間の本源的な欲求に応え、精神的充足をもたらすもの、らしい
楽器演奏は定義的にも実際的にもスポーツと言える >>215
>そもそもスポーツ=競うものという認識から間違ってると思うけれど
確かにその通りだわ、スポーツは必ず競技でなければならないなんて聞いたことない
>>216
あーライブ活動みたいな楽器演奏しながら歌うみたいなのは見方によってはスポーツだってのは解る
パフォーマンスが激しいからね
一番キツイの動き周りながら歌って場合によっては演奏もするボーカリストなのかもしれんけど
要求される正確さとエネルギーにおいては、瞬発力で筋肉を最大限に利用し座標として見れば大きな移動を伴う事になるスポーツほどではない
要素で見たら持久系なんだろうな >>217
俺は言葉で音楽とスポーツを区切る事が出来る理由の1つとしてはそのエネルギー量だと思ってる
これはより神経系では無く随意筋的なエネルギー消費に基づくと思っていて、
脳がどれだけカロリーを消費する事を迫られようが
狭義の身体的なエネルギーを短時間に消費しなければスポーツとは言えないんじゃないか、と思う ダンスも良いだろうな
素質がどうのとか言わないで幼少の頃から嗜む程度でかなり変わってくるだろう
社交ダンスなら趣味としても良質 スポーツなんて言わずにただ 運動 て言えばいいんだよ 左右の脳を繋ぐ脳梁が切断された人間には、
おそらく両手でのピアノ演奏は満足にはできないだろう。
脳梁が太くて左右の脳の連携が良くできる人間だからこそ
単調なるピアノの練習にも耐えて、忍び難きを忍んで
ショパンがひける手前で落後する程にまでなれるのだ。
左右の脳が連携が悪ければ、右手でメロディを単音で、
左手でコード(和音)を押さえるのがやっとこさの
いい加減音楽演奏ができる程度にしかなれない。 >>222
脳梁欠損によるデメリットしか掛かれてないから補足のつもりでレスさせてもらうが、
サヴァン症候群の天才をテレビで見たことあるが常人には理解不能なレベルだったぞ
キム・ピークというアメリカの白人だが
異次元の記憶力を持つギフテッドだった 音楽はスポーツだってのはあくまでも喩えの話であってマジでスポーツだと思ってるのはただの馬鹿 うむ、そのとおり
ただの揚げ足取りたいだけで会話のする気のない馬鹿だ 音楽好きのサルにホモサピエンスがどう進化したのか知りたい。 幼時期から左右分離脳(脳梁がつながっていないか細い)の場合には、
左右の脳に別の人格が発達し易いなどがあるに違いないな。 >>3
算数の学習障害はかなり少ないけど居るからな。 >>12
音楽をしている人は脳の接続レベルが高いと言っているが
脳の接続レベルが高い人は音楽ができるとは言ってない 失った能力は別の手段で補って余りある場合もあるな
もう成年だろうが、生まれて間もなく両目を摘出した黒人少年の空間認知能力は健常者とほぼ一緒
自転車に乗って、バスケットボールをやって、自宅の階段を走り回る
何故か背中を向いてシューティングゲームをプレイしている
口から舌打ちして人の顔まで認知して、水族館に行けばイルカとも意思疎通が可能で、将来の夢は飼育員
左右脳の接続状況を知るには恰好のサンプルにもなるね 将来は複数のヒトの脳を接続したり、ヒトと動物の脳を接続したりができるように
なるだろう。
かならずしも物理的に直接結合させなくても、それぞれの脳にWiーFiのルーターと
トランシーバーのようなものを結合させてやれば、訓練してなれてくれば
手足を動かすのと同様に念じるだけで付近のヒトや動物などとコミュニケーション
したりできるようになるはずだ。Wi-Fi程度では帯域が足らないというのなら、
切手大の接続パッドを脳に埋め込んでそこから光ファイバー結合網などを
使って数百GBPS程度の信号のやりとりをできるようにすれば、まるで
組織がその切手サイズの領域でもって結合融合しているようなこともできるに
違いない。もちろん、脳そのものを神経・グリア細胞の幹細胞やIPS細胞の
ようなものを使って神経回路網の成長因子を与えることで、結合を促進して
お互いの神経繊維、シナプスのレベルで結合したリンクを作ることができる
はずである。そうなれば、他人は他人ではなくなり、もう一人の考えて居る
ことと自分の考えて居ることが次第に区別ができなくなり、一体の思考にな
っていく。優秀な脳を集めて能力の非常に優れた1つの頭脳に仕上げれば、
人類がまた一段新しい高みにのぼるための夜明けとなりうるのだ。 月に10GBまでは追加料金無しの脳内Wi-Fiデバイスを埋め込まれるんだね。
でも動画などを見ていたらたちまち制限を超えてしまうと。 右手を動かすときは左脳を使い
左手を動かすときは右脳を使う 接続レベルの違い?USB1.0とUSB3.0の違いみたいなもん? 音楽家を何人か集めてきて、脳梁切断施術をしてみて、
その後の音楽演奏や作曲などにどのような影響が現れるの
かを調べてみればいいわけだよな。 >>241
見たけどめっちゃ不自然で気味が悪い
これ指の不気味の谷ってやつか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています