日本書紀を盲信しては歴史は見えない
 一

 『日本書紀』が九州王朝の史書を盗用して編纂されていたことを、古田武彦氏が指摘されて久しいが、それら九州王朝系史書が「禁書」として大和朝廷に収奪されていた痕跡として、『続日本紀』の次の記事が、これもまた古田氏によって紹介されている。

 「山沢に亡命し、禁書を挟蔵して、百日首(もう)さぬは、復(また)罪(つみな)ふこと初の如くせよ。」『続日本紀』元明天皇和銅元年(七〇八)正月条

 ここに記された「禁書」が九州王朝系史書を含むものと考えられるが、とすれば「山沢」とあるのも、大宰府や筑紫平野を囲繞するように点在している、あの神籠石山城のことではあるまいか。防衛施設という性格とその必要性から、神籠石には内部に水源としての沢や池が配置されていることは著名であり、「山沢」と表現するにふさわしい。その神籠石に九州王朝残存勢力が「禁書」や王朝ゆかりの神器を持って立てこもった。それに対して、元明天皇は百日以内に投降することを命じたのが、この記事の真相(深層)ではなかったか。
 この記事の十二年後、養老四年(七二〇)に『日本書紀』は成立する。九州王朝の記事が大量に盗用された結果、『古事記』とは大きく趣の異なった史書として、『日本書紀』は大和朝廷の正史となるのだが、裏返せば、盗用部分に残された九州王朝史の復原にとっても『日本書紀』は貴重な史料といえよう。
    二