【古代】古代南欧で謎の「男性大量流入」、DNA調査で判明 4500年前にいったい何が?[03/19]
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■8000年におよぶイベリア半島の古代人DNA、4500年前にいったい何が?
人類の移動が始まって以来、現在のスペインとポルトガルが位置するイベリア半島は、アフリカ、欧州、地中海沿岸の文化が混じり合う場所だ。
8000年にわたるこのイベリア半島の古代人の遺伝的特徴をまとめた新たな論文が、遺伝学者と考古学者からなる111人の研究チームにより、2019年3月15日付けで学術誌「サイエンス」に発表された。論文によると、遺伝子は非常に複雑に入り混じっているという。また、約4500年前に謎の大移動が始まり、それだけで古代イベリア人男性のDNAが完全に一新されたことが示唆された。
いつ、どのように、イベリア半島へさまざまな人々がやってきたのかを探るため、研究チームはDNAに刻まれた痕跡を調べた。古代イベリア人271人のゲノム配列を決定し、これまでに公表された別の132人のデータと統合した。
結果は、予想以上に複雑だった。
■男性はすべて置き換わっていた
イベリア半島の古代人の遺伝子構成は、青銅器時代に劇的に変化し始めた。紀元前2500年頃から、黒海とカスピ海周辺のステップ地帯に暮らしていた人々に関連する遺伝子が、イベリア半島の人々から検出され始める。その後、古代イベリア人のDNAの多くが、ステップ地帯の人々のDNAで置き換えられた。
インド・ヨーロッパ語族を広めたのはステップの人々だったという仮説がある。その「ステップ仮説」では、ステップの人々はほぼ同時期に、東はアジアへ、西はヨーロッパへと広がったとされる。今回の論文は、彼らがイベリアにも到達していたことを示している。その前後で、イベリアの人々の60パーセントにはステップ由来の遺伝子が加わらなかったが、Y染色体は紀元前2000年までにほぼ置き換わった。Y染色体を持つのは男性のみであるため、ステップ地帯から男性が大量に流入したことが示唆される。
「影響は男性にとても偏っていたようです」とナショナル ジオグラフィック協会の上級プログラムオフィサーを務める遺伝人類学者ミゲル・ビラー氏は話す。なお、氏は今回の研究に関わっていない。
やって来た男性は何者だろうか? 争いはなかったのか? ビラー氏は、ステップの男性は、馬に乗り青銅器を携えてイベリア半島にやって来て、青銅器時代の到来を告げたのではないかと推測している。同氏はこの移動の影響を、1490年代に欧州人が上陸した際に、南北米大陸の先住民が直面した事態になぞらえた。
「欧州の端から端まで広がる大移動に成功し、いまだにこの西端の地に多大な影響を及ぼしているのです」とビラー氏。
その頃、青銅器が使われ始めたこと以外に、ステップ文化の明らかな痕跡はイベリアでまだ見つかっていない。一方、今回の研究により、西欧でインド・ヨーロッパ語族ではない唯一の言語を話す現代のバスク人が、ステップの人々と非常に近い遺伝子マーカーを持っていることがはっきりと示された。イベリア半島では、その後も何世紀にもわたり遺伝子が混ざり合ってきた。だが、現代のバスク人の遺伝子は、そうした現代のスペイン人のものとは異なるという。
続きはソースで
https://cdn-natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/ph_thumb.jpg
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/031800167/ 生物学的に見れば、
・まず最初に男は全部殺す。
・男児は全部殺す。
・遺児も全部殺す。
残りの女と交尾したら民族浄化は完了である https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA
↑
ケルティベリア人のwiki
イベリア半島への印欧語族の大規模侵入は2回
@4500年前の侵入
遺伝子的には大きな影響を与えたが言語的には影響せず(スレタイの話)
A2500〜2600年前のケルト人の侵入
先住民のイベリア人と融合してケルティベリア人を形成
本格的な印欧語化であり現スペイン人の基層を形成
今までの歴史書ではAは取り上げられていたが@に言及はなかった
数年前から西欧全体で男性の遺伝子的交替が注目されてはいたが
今回本格的に紹介されることになったもの
こういう理解でよろしくお願いします 時期的に肥沃な三日月地帯の遊牧民が世界中を荒らし回ってたんじゃないかな
ヨーロッパとアジアに広がって混血しながら同化していったようだが
それが数百年後にエジプトで王朝を打ち立てたヒクソスなんかもそういう流れな気がするけど
ヒッタイトの後またたくまに鉄を世界中に広めたのもこいつらな気がするが
dnaがなんなのか記事に書いてほしいな ステップの人々と非常に近い遺伝子マーカーを持っているバスク人が
西欧でインド・ヨーロッパ語族ではない唯一の言語を話すってなにがあったんですかね 2500〜2600年前のケルト人の侵入
先住民のイベリア人と融合してケルティベリア人を形成
本格的な印欧語化であり現スペイン人の基層を形成
このケルトの侵入に遭わなかったのがバスクでは? >>81
「肥沃な三日月地帯」の内側のシリア砂漠の遊牧民はアフロアジア語族セム語派で、
この記事で話題にされている黒海カスピ海北方から広がった印欧語族系の遊牧民とは別口だろう。
あと、ヒッタイト滅亡とその後の製鉄技術の拡散は、
東京国立博物館の小野塚拓造の提唱している「紀元前1200年のカタストロフ」前後でのサプライチェーンの
大きな組み換えと深く関係しているんだと思う。 >>28
なんだかんだ言って取り込まれた、と見ることもできる
それに、支配的であっても言語は現地に合わせることが絶対ないとは言えんよ
数としてはあっちの方が多いだろうし、子供は母の言葉を主に覚えるだろうしね
そういった状況では初代の連中が消えれば元に戻る >>46
> 4500年前にキリスト教は存在しない
その通り
> 欧州人の凶暴性は宗教関係なく古代から普遍
それはどうだかな、俺は人類普遍の特性、だと思ってるがね
なんというかそういう奴多いが、東洋人だって変わらんし、例を上げればそれ以上もある、
恐らく白人たちもその例をあげてそう思ってるだろうぜ、東洋人は残虐だ、とねw
俺たちは違うんだ、という傲慢さ、右翼的な選民思想的なものを感じるよw
そういうのが多民族の軽視、虐殺を生むのにな 分子生物学的な視点で天皇制を見ると面白いぞ
あるY遺伝子のDNA配列が2000年も他の分子を操っているんだぜ 古代の狩猟採集民は濃色の肌に青い目に身体的特徴があったようだ
英国・スペイン・ルクセンブルグ・ハンガリーで7,000〜10,000年前の人骨を
遺伝子調査した結果ほぼ同様の傾向が見られたらしい
その後初期農耕民や印欧語族と混血するなかで
肌の色がどんどん白くなって現在に至っているとのことだが
イベリア半島で淘汰された先住民男性たちも
侵入者である印欧語族系集団よりは色黒だったのだろう
青い目は多くの現欧州人に引き継がれているが
黒い肌は完全に歴史の彼方に葬られてしまったようだ・・・ バスクって
ケルト以前の先印欧語族の生き残りって感じだね。 >>91
言語的にはそうだけど遺伝子的には周辺の印欧語族とあまり変わりない
そこの辻褄合わせがここ数年のイベリア半島をめぐる
分子人類学の課題のひとつのようだ 古代ローマ時代は「タラコネンシス」
たらこスパゲッティ食べたくなった 民族は消えてもその時代が証拠として残ってる
怨恨は消えない https://sicambre.at.webry.info/201802/article_28.html
↑
過去1万年間のヨーロッパの遺伝子変化
約4,500年前の人類移動にも触れられている
ブリテン島(英国)では遺伝子も含めた住民の大きな入替えがあったのに
イベリア半島では入替えが限定的と書かれている
今回の論文と併せて理解すると
イベリア半島は常染色体ベースでは大きな影響はなかったが
男性に遺伝するYハプロではほとんど入れ替わったことになる
恐らく少数の男性がイベリア半島に侵入してまず一部の地域を支配
そこの男性を殺して女性との間に子孫をつくる
そして徐々にイベリア半島全体に支配を拡げていくと言うパターンと推定される
しかし文化的には従来の言語・文化をそのまま引き継いだ
こんなシナリオなのだろうか・・・ 征服支配した支配階層の言語がほとんど残らなかったのが、スラブ人地域でよく起きてる。
ロシア人だとスウェーデンバイキングとかモンゴル人とかいった征服支配者層が
貴族家系としては残ったが独自の文化とか言語はほぼ失ってる。
バルカンの南スラブ人集団なんかもそうで、ブルガリア人なんかはテュルク系の
騎馬軍事集団に服属して彼らに率いられてバルカンに入ってきたスラブ人集団が、
結局はテュルク系支配者をほぼ同化吸収してテュルク文化はヨーグルトなんかの
食文化などに一部残っているだけ。
同じ南スラブのセルビア人やクロアチア人なんかも、もともとはイラン系遊牧民に
服属してバルカンまでやってきたらしいが、ここでも支配者階層をほぼスラブに同化吸収
している。 日本の場合、縄文原住民系のY遺伝子であるD1b系統が4割程度で、弥生
系のO1b系統と同じくらい残っているし、縄文より古いC1系統なんての
も地域によってはそこそこ残っている。
つまり、侵入された側の男性も皆殺しにはなっていない。大陸ではD系統
なんて山岳部のチベット除いてO系統に駆逐され、ほぼ残っていない。 4500年前に大量流入したステップ集団のY遺伝子ハプロはR1bが大半と推定されている
現在のスペインのR1bの比率
スペイン全体 69%
アンダルシア 58.5%
アラゴン 60.5%
カスティリャ 64%
カタロニア 66.5%
ガリシア 57%
バスク 85%
バスク人が際立って高い
ピレネーから遠ざかるほど低くなっている
カルタゴの支配、ローマの支配、ゲルマン人の侵入、イスラム教徒の支配
これらがスペイン各地域における遺伝子面での多様性を生んだと言うことなのだろう >>99
やはり、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の新石器時代に起きた「Y染色体のボトルネック」の洗礼を
日本の縄文社会は受けておらず、さらに弥生時代になってからの稲作コロニー間の殺戮はあったものの、
大陸での「ボトルネック」をもたらした殺戮よりずっとましなものだった、という事なのだろうな。 ハプロDNAではなく、SNPなどの大規模ゲノム解析でないと
集団についてはなんともいえない >>101
置き換わりがあるのは虐殺の傍証たりえるが、あまり見られないからとそれがないとは言えないと思う
やった側も似ていて多様だったかもしれないし、仲間同士で殺しあった場合も分らないからだ >>103
10年ぐらい前はハプロ研究全盛だったが
ここ数年で常染色体研究に軸足が移っている
今ではハプロはほんの添え物程度 >>105
次世代シーケンサーの普及で、学問の眺めの地平が全く一変してしまったな。 イギリスでもDNAを元にだいぶ研究が進んできているんだな。このスレのイベリア半島の状況と比較すると面白い。
【人類学】激変した「イギリス人」の顔を一挙復元、4万年分 英博物館[01/30]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1548851640/l50
【考古学】5000年ほど前のストーンヘンジの石柱、採石場を特定、研究発表 英国の考古学者チーム[02/26]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1551183870/l50 【人類学】初期人類デニソワ人、首飾りなど装身具を製作か 研究[01/31]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1548930986/l50
そういえば、ネアンデルタールとデニソワのハーフの娘さん
お母さんがネアンだったそうだが、イベリア近辺のネアンという情報が
あった気がする。もしかして、当初のイベリア人が追い出したネアンじゃ・・・ 日本の縄文〜弥生の辺りはどうなんだろ?男入れ替わったのかな >>109
縄文系のY染色体ハプロイドがかなり生き残っているから、男の皆殺しは起きなかったんじゃないのかな。 4500年前なら大規模戦闘はあったろうし、交易網もそれなりにあったはず。
戦争か貿易に伴う伝染病の伝播かその両方か。 >>81
隕鉄なんて青銅器と大して変わらないんじゃないの?
鋼が登場するまではそんなに広がるとも思えないけど。 >>109
縄文系と思われる古代東北の蝦夷(エミシ)に対しても、征夷で降伏した
場合は皆殺しにせず、各地に移して兵力として使ってたくらいだからね。
縄文やそれ以前の系統と言われるY染色体D1bやC1か本土でも4〜5割
程度いるそうなので、弥生や渡来人のOと拮抗しており、結果的には共存
という形でしょう。 弥生開始の、渡来系弥生人の来始めた紀元前10世紀ってのは、大陸だと西周盛期にあったっていて、
「古代文明」の時代に完全に突入しているんだよ。
大陸で被征服者の男子皆殺しが盛んに行われていたであろう時代って、現代人のY染色体の多様性と
突然変異での多様性蓄積のシミュレーションからかなり時代が特定されていて、
それが大雑把に言って7千年前(紀元前5千年)〜5千年前(紀元前3千年)のあいだ。
つまり、この記事で紹介されているイベリア半島での4千5百年前の旧いY染色体の根絶事件は、
男子皆殺しの流行した時代の最末期に相当している。
弥生の開始はそれよりずっと後。 >>90
の狩猟民族は犬の埋葬習慣があったのかな?
【考古学】約6000年前の新石器時代の「愛犬」、人と一緒に埋葬 研究[03/01]
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1551500128/l50 農業の開始で巨大な権力が誕生した
権力者たちが女性を総獲りする
男性遺伝子のボトルネックが発生する
これは世界歴史上の常態だから
この流れに民族集団を重ね合わせればスレタイも理解出来る 学生の頃は歴史の教科書などで「紀元前3千年紀に印欧語族が欧州全域に支配を広げ」
などと書いてあったのを読んで、印欧語族という優秀な民族がいたと思い込んでいたが
結局のところは黒海北方のステップ地帯に住んでいた民族が、アジアの遊牧民の影響で
馬を使いこなす技術を覚えてその結果、軍事的に強大になっただけなんだよな。
つまりは、モンゴルもオスマントルコも印欧語族もフン族も根っこは同じ。
馬を使いこなすことによる軍事力を持っていただけ。民族が優秀だったわけではない。 >>120
紀元前3千年紀だと、騎馬軍団の時代じゃなくて、まだ戦車(チャリオット)の時代だよ。
騎馬遊牧民社会が成立してくるのが紀元前千年紀初頭の紀元前10世紀ぐらい。
あと、多分この頃にはまだアルタイ系の遊牧社会は未成熟で、アジアも天山山脈ぐらいまで、
印欧語族系の遊牧民の社会。
印欧語のトカラ語派なんてのがそれで、具体的な民族だと月氏とかクロライナ(楼蘭)なんてのがそれにあたる。
印欧語族拡大の時代だと、草原地帯は農耕地帯に対して圧倒的に軍馬供給能力に優れていて、
というのがアドバンテージだな。 馬上からの騎射の嚆矢が紀元前8世紀のスキタイ人だからね
しかしチャリオットだけでも領域拡大にはかなり効果的
西欧に侵入した印欧語族のイメージは米国西部に移動する幌馬車隊のようなものか(笑)
馬を使うだけではなく大量の牛も引き連れていたし乳糖耐性遺伝子も備えていた
4500年前にイベリア半島へ侵入した集団は
馬を利用した荒くれ男たちで牛乳をカブ飲みした背の高いヤツら
こんな感じだろうね・・・ >>122
あと、男ばかりの戦士集団、という側面から考えていくと、
共和政ローマの時代に北方から侵攻してきたゲルマン・ケルト混成の、
キンブリー族やテウトニー族の遠征とか、アナトリア半島に侵攻して
入植したケルト系のガラテア人の遠征なんかが参考になりそう。 当時の機動力からすれば
ピレネーを越えて短期間で帰るのは想像しにくい
やはり女子供を連れての移動なんだろうな 闘争や殺戮でしか歴史に色を塗るような事しかしないような危険な歴史家しかいないのか?
俺たしかO系統だけどそんな危険な遺伝子持ってませんよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています