鏡も古墳もないから九州ではないのは考古学では分かってる。
九州北部が交易で発達してたのは事実。
それ以上でも以下でもない。太宰府みたいなのはあったかもしれない。

>この前スーパーボランティアの尾畠さんが
>この日は都内に宿泊し、その後は大分の自宅までのおよそ
>1320キロを30日かけて徒歩で帰宅する。

尾畠さんの陸行30日=1320キロ
体力が半分と見積もっても600kmくらいあって
九州から畿内まで楽に到達できる
1日20kmだと4〜5時間歩くことになり、外交集団にも妥当な距離。

北九州から奈良まで550kmなので陸行30日になってまったく問題ない
というか、ここ以外なくなる。九州に留まるには200kmを越えてはいけないので
体力ある尾畠さんでも30日で400kmしかあるけなくなり(常人の2倍として)
1300kmには3ヶ月以上かかってしまうことになる。