【邪馬台国の九州説に新説!?】古代史の真相に肉薄した一人の天才科学者 魏志倭人伝に示された距離の単位「里」を推定[12/07]
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■複雑系科学の見地から邪馬台国の謎に挑んだ“スーパー医学者“
日本古代史最大のミステリーと言えば、「邪馬台国論争」だろう。中国では魏・呉・蜀の三国が覇権を競いあった三世紀に日本列島に存在したとされる邪馬台国だが、その正確な位置はまだわかっていない。
江戸時代から続く論争の中で、候補地として挙げられた場所は100ヶ所を超えるが、現在では大半の研究者が九州か畿内のどちらかを主張している。2009年に奈良の纏向遺跡で大型の建物跡が発見されたことから畿内説がやや優位に立ったとも言われているが、決定的な考古学上の“証拠”はいまだ見つかっていないのだ。
この難攻不落の謎に、一人の天才科学者が挑戦したのが、『日本古代史を科学する』(PHP新書)だ。
著者の中田力氏はアメリカで臨床医として活躍するかたわらファンクショナルMRIの開発に携わり、さらに複雑系脳科学の研究者として脳における意識の発生の謎に挑んだ“脳の渦理論”を提唱するなど、まさに三刀流の活躍をしたスーパー医学者である(2018年7月1日逝去)。
以下、中田氏が邪馬台国の所在地を同定する論証過程をダイジェストしてご紹介しよう。
まず中田氏は、複雑系脳科学者としての立場から、「条件設定と全体像での評価」という複雑系科学における検証作業の方法論を日本古代史に応用すると宣言する。
そして日本古代史の出発点とすべきなのが「魏志倭人伝」であり、その最初の設問こそ「邪馬台国がどこにあったか」である。
複雑系科学においてまず考えなくてはならないのは「初期条件の設定」である。初期条件の明確な提示とその解析が、すべての理論展開に優先するのだ。
中田氏はここで3つの前提を設定する。
【前提1】「魏志倭人伝」に書かれている記載には故意に変更された事項がない。
【前提2】 科学・技術の時代背景をきちんと考察する。
【前提3】社会学的な意識を持ち込まず、常識的でない解釈は採用しない。
【前提1】については、これまでの論争の中で邪馬台国に関する記述の矛盾(と思われる)点を、筆者が意図的に事実を歪めて記述したと解釈する論者たちがいた。先を急ぐので理由は詳述しないが、中田氏はそういった解釈はとらないということだ。
【前提2】は、古代人とはいえ特に天文学においては現代人が驚くほどの正確な知識を持っていたと考えられる反面、理論的には理解できていたとしても、技術力の違いから正確な結果を導き出せない場合が多々あることを認識しなくてはいけないということ。
【前提3】はややわかりにくいが、権威主義に囚われず、科学的常識からも、その時代の社会学的常識からも逸脱しないこと、と説明されている。
以上を踏まえて、「魏志倭人伝」における邪馬台国に関する記述を見ていこう。
■魏志倭人伝に示された距離の単位「里」を推定
まず「魏志倭人伝」に書かれている邪馬台国への通過地点をまとめよう。
帯方郡 → 狗邪韓国 → 對海国 → 一大国 → 末盧国 → 伊都国 → 奴国 → 不弥国 → 投馬国 → 邪馬台国
上記の中で、
続きはソースで
https://amd.c.yimg.jp/amd/20181210-00010001-php_s-000-1-view.jpg
関連スレ
【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★13
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1546145230/
https://shuchi.php.co.jp/article/5756 >>288
畿内説のどこが無理筋?
九州説の方が遥かに無理筋なのはもう明白だろ >>289
畿内説だとお前みたいな害基地脳が発生するほど無理があるって事だよ。
3世紀の畿内につながる文献が皆無なのに、当時から大和政権があったなどと言い出した時点で害基地だろw ってか別勢力の存在の可能性を陰謀論言っちまう辺り本当に万世一系教ってもう………
地方勢力を侵略併呑していったのは記紀でも隠してないのにな
東征なんて七面倒なエピこさえてる辺り、ヤマト王権に繋がるにしろ繋がらないにしろ
九州に出雲みたいに系譜が同じだけじゃ済ませられない程大勢力はあったんだろうし
いや、繋がってんならその限りでもないが >>284
その紀年の年代の墓から出土していないのは事実
紀年鏡の中には国産の可能性が高い鏡があるのも事実
存在しない景初四年の鏡があるのも事実
紀年が事実ならば、墓から出土した鏡はすべて作成されて50年ほどたってからの副葬になる
鏡は動産である
洛陽市からは紀年鏡は殆んど出土しない
上記の理由でつまり、魏との関係性は否定しないが、交流の証拠にはならないと考えます >>290
相変わらず反論できずに罵るだけだな
高校レベルの知識くらい身につけてから出直して来い >>291
九州に魏と外交をやってた勢力があったとか、根拠も示さず物証も示さず、言い張るだけでは無意味
記紀を勝手に歪曲して妄想してるだけ
反論したければ、根拠を示せばいいだけだ アベノナカマロが日本へ戻らなかった理由
現在の福岡県春日市で育ったナカマロ 生まれた当時は倭国だったが 700年以降奈良政権の日本となった
其の日本の遣唐使として唐へ赴く途中 あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも と詠む あまのはらは壱岐でそこよりはかた方面を望めば故郷のかすがのみかさ山(ほうまんざん)800mの上に月が見える
あべのなかまろは日本での倭国消滅を憂い戻る気をなくした ほうまんざんはみかさやま
かすがは現在の春日市
ほうまんざんよりながれる三笠川は現存
あまのはらは壱岐島北端 >>292
ヤマト王権が後世に偽造したと反論してたはずだが、かなりトーンダウンしてるな
国産だろうと中国製だろうと、年号にある時期に製作されたものなら、畿内説としては十分なんだよ
考古学的事実
・紀年銘鏡は北部九州では1枚も出土してない(宮崎県かもしれないのが1枚あるのみ)
・3世紀に編年される中国鏡も九州からはほとんど出土しない
・従来、中国鏡の配布元だった伊都国でさえ副葬品に国産鏡で代用している
・糸島や博多で楽浪土器や硯が出ているので、伊都国や奴国が帯方郡との窓口であったことは確かだが、
魏からもたらされたものは何も出土してない
・糸島や博多以外では、帯方郡との接点となるものさえ出ていない
・博多では畿内系土器が出ているので、畿内系住人が移住していて、帯方郡からの直接入手ルートもある
したがって
・北部九州は中国鏡の取引などで、帯方郡に相手にされてなかったことが確実
・紀年銘鏡は畿内勢力が直接入手したか、それをもとにコピー鏡を作ったか、
年号の情報とともに製作技術を供与されて自分たちで作ったか、のいずれかであろう かすがなるみかさのやま と言った訳は みかさやまは春日市とシカノシマの二箇所にあるから 自己が見たい出土品のみを見て自己が結論付けたい結論を導き出す これが従来の日本考古学界
原因は奈良政権一元論という洗脳にあります
新しい日本の歴史を作る会の代表はこの呪縛から逃げ出す為あの世へいく
結局逃げ出せなかったが
奈良は歴史でならうように710年から 其れまでは太宰府が日本の首都
なんととならったでしょ 赤色光より青色光の方が目の細胞を効率的に破壊するという論文を思い出した。
光は波長が短いほどエネルギーが高いので赤色光より青色光の方が破壊力を持っているのは常識なのにね。
その論文を書いた学者は裏でブルーベリーのサプリ開発や販売をやっていた。
学者が論文をマッチポンプの道具にしている話は珍しくないだろう。
畿内説の学者も然り。 畿内説で一般向けの本なんかほとんどないだろ
何を言ってるんだ? 畿内説の学者は撤退して纒向学に転向済み。
纒向学研究センターが解説された2012年以降、
論文も本もほとんど出ていない。
畿内説でぐぐったら
畿内説はなかった、とかそういう本ばかり。 邪馬壹=倭
倭が中心になって納めた連合国が大倭=大和
邪馬壱国と言っているバカがいる。
物部は九州から倭周辺に移住してきたのは事実
天皇家も南九州から倭にきたのも事実。
しかし縄文人の中心は出雲や飛騨にあった。
寒冷化に伴い飛騨の王朝は倭に移動した。 >>309
安本の会とか九州王朝の会がイチャモンつけてるだけだな
あとはそれに便乗した個人ブログみたいなのばっかり >>312
こいつは自分の妄想を事実だと言い張ってるだけだしスルーでいいだろう >>11卑弥呼→日巫女 答え出てるじゃん
天照の別名はオオヒルメで
漢字表記が大日巫女だけどね
巫女の部分が1文字の創作漢字になってて
日巫女って表記が表面化しないよーに記紀では工夫されてるけど >>312倭が中心になって納めた連合国が大倭=大和
出雲国造神賀詞によれば
大倭(大和)と名づけたのは大国主の御霊ってことになってる
大国主の御霊をヤタの鏡に移して三輪山に据えて
その時に大国主の御霊が大和と名づけた
大国主は倭国大乱前の男王だけど
男王の死後に倭国が乱れたんで
男王の御霊をヤタの鏡に移して三輪山に据えて
三輪山のふもとに際都巻向を建設して
大国主の御霊を斎俸する巫女を女王として共立して
倭国を安定させた >>312天皇家も南九州から倭にきたのも事実。
南九州から大和に来たヒミコは巫女なんで子供はいないし
神武(崇神)が来たのは宮崎からなんで南九州じゃないし >>283その年号にプレミアム感があったんじゃない?
卑弥呼が朝貢した年号は
倭国連合にとって重要な意味があったけた
年号の入った3角縁が作られた
3角縁の範囲が倭国連合の範囲で間違いはない >>91魏の使者は南と東の違いも分からんバカなの?
偽の使者は海流の知識がなかったんで単に船の向いてる方向だけで記述して南になった
船が南にむいてても海流で流されるんで進行方向は南じゃないし
ってことで海流の影響でつくのは出雲圏で
そこが投馬国
投馬国の長官名はミミだけど
出雲の宮の長官名は八耳で接頭語の八をとれば
長官名はミミとなる >倭国は1年中野菜が取れ、入れ墨、長命で、酒をよく飲む。
ああ、これ宮崎だわww >>321
欠史八代と言われてきた天皇の存在が証明されつつある今
神武=崇神はもはや通じない 宮崎はヤマト国の初期の本拠地
そこから派生勢力が瀬戸内、畿内へと拡大し
卑弥呼が生きてる頃には畿内に最大の集落ができていた
卑弥呼の死後に奈良に本拠地を移動
つまり卑弥呼は天皇の系譜
これでまるっと解決じゃね? 国ってそれなりのデカさだよね。
今の県の1/3ぐらいの。
狗邪韓国 (韓半島)
→ 對海国(対馬)
→ 一支国(壱岐)
→ 投馬国(但馬)
→ 邪馬台国(大和)
道のり的にも 大和(奈良ですわ) 三十年ぐらい前に南西諸島を旅した時に現地の人から「ヤマトゥから来たの?」と、よく言われた。
平安時代の発音や言葉が奄美、沖縄に残っているという話を聞いたことがあるが、大和の正確な発音はヤマトゥかもしれない。場所は知らん。 いや〜普通に考えて「ヤマトゥ」は南方訛りだよ。
現代日本語の「は行」は古代では「Pプラス母音」で発音されていた。
花=パナ、母=パパ、、、
それが「ファナ」や「ファファ」から「はな」「はは」へと次第に変容して行った経緯はある。
「さ行」なんかは「SHプラス母音」、つまり「シャ、シ、シュ、シェ、ショ」だ。
だけど「た行」の変遷ついては聞いたことがないな。
確かに琉球王朝は源為朝の末裔の話は聞いてるけど本流は本州(或いは北九州)の言葉なんだし
現代の日本人が発音する「ヤマト」で良いんじゃないの。 でも福岡の山門と大和では発音が違うからな
山門のトは甲類のト
大和のトは乙類のトだから いや、伊都国も奴国も、金印とかじゃなくて、がっつり地名で残ってるんで(那ノ津とか那珂川とか、元々那だったところ)、
そこを小城あたりってのは無茶すぎる… 好んで沈没して魚を捕るのだから
奈良盆地では無理だとわかる >>333
それ倭人の風習についての記述な
邪馬台国は陸行1月だから内陸にある
その条件に合う場所を頑張って九州で探してこい 邪馬台国の北岸が朝鮮半島に面しているはずだから奈良盆地では無理だとわかる >>335
どこにそんなこと書いてあるの?www
文献改竄してでも九州だと言い張りたいんかwww >>4
邪馬「台」国と書いた文献は無い。
邪馬「壹」国又は邪馬「臺」国と書いた文献なら在る。 >>26
>イトまたはイドと読みます
それは時代錯誤的訓み方
昔南朝鮮人が「万葉集は南朝鮮語で読める」とウソを言いふらしたのと同じ
委奴は漢代の発音でoina
これは「女」を表すオミナ、媼(ヲウナ)という古語を万葉仮名風に記録したもの。 >>27
倭人伝で「好古都国」と書かれてるのが今の「菊池」
10世紀平安時代の辞書に「菊池」を「久々知=くくてぃ」と読むと書いてる。
「知」という漢字の発音は三国志執筆後の北狄胡人の中原侵入によって起こった
八王の乱、永華の乱を契機としてtiからtSiを経てzhiに変化したが
我が国10世紀の辞書には「疾風(はやて)」の読み方を万葉仮名で「八夜知payati又はfayati」と書いてる。
現代でもコーディネートを略す時コーヂじゃなくてコーデというだろ。
「立山連峰」の「立山たてやま」を万葉集原文では「多知夜麻タティヤマ」と書いてる。
タティヤマとタテヤマは割と似てるがタチヤマTa chi ya maという発音では違いすぎるからだ。
倭人伝の時代から10世紀までtiやdiという発音が日本語に有ったことが分かる。
中世日本語で「知家」と書いて「ちか」じゃなくて「しか」と読むのは宋代、元代の「知」の発音が
tSiだった証拠だ。 >>338
横からだが
「従郡到倭=郡より倭に到るには…」ときて
締めくくりが「到其北岸句邪韓国」
つまり倭国だな
邪馬臺国ではない。 天孫降臨の場所が九州だから、まあ九州だろうね
個人的には出雲国の出自が気になるところ
いずれにしても卑弥呼もスサノオも朝鮮人だ
どちらかが大和朝廷という渡来人の国家を建設した
そして土蜘蛛、蝦夷など土着の縄文人を迫害した
我々の祖は朝鮮人だし、本来の日本人を迫害し続けてきた
我々は朝鮮人の流民の血脈である
神の系譜などいっているカルト教団に支配され、自分の卑しい身分を隠して
大東亜共栄圏などたわごとを抜かしてきたキチガイ土人が我々だ
学校でなぜこのようなことを教えないのか
我々は元来卑しい身分だと真実を教えるべきだ
アジアの被差別部落こそジャップランド
そう 日本だ 大東亜戦争で大出血で瀕死の状態で仏印ベトナム、マレーシア、海峡植民地シンガポール
オランダ領東インド=インドネシア、ビルマを解放した大日本帝国
イザベラ・バード「朝鮮紀行」より
1895年1月8日、わたしは朝鮮の歴史に広く影響を及ぼしかねない、異例の式典を目撃した。
朝鮮に独立というプレゼントを贈った日本は、清への従属関係を正式かつ公に破棄せよと朝鮮国王
に迫っていた。 >>347
朝鮮人に生まれるってどんな気持ち?
ねぇどんなきもち? >>338
普通に考えれば朝鮮半島
狗邪韓国は巨済島だろう 邪馬台国は今の日本じゃなくてムー大陸のことで今では沈んでるんだよ 邪馬台国は九州説によるインチキ短里を排除し
素直に読み解き地球儀にプロットするとパプアニューギニア島に存在したことになる。
近くには邪馬=Java島もある。
日本の神社、正倉院などの高床式建築は高温多湿の熱帯雨林気候の湿気から木造建物を守るための工夫で
WIKI「トラジャ族」より
貴族階級は、上界から降臨した始祖たちの直系子孫だと信じられており[21]、
一般人が「バヌア」(banua)と呼ばれる竹製の家に住むのに対し、
貴族はトンコナン(高床式の家)を住居としている。奴隷は、主人が住むトンコナンの周りに建てられる粗末な小屋に住んだ。
トラジャ族において、奴隷は私有であった。個人の負債返済のために階級を落として奴隷となる事例もあったが、
戦争の過程で得られたり、また売買を通じて取得されたりもした。
引用終わり
邪馬臺国から魏に「生口=奴隷」を献上したという記述があるし
奈良時代の古事記、日本書紀の天孫降臨伝説とよく似ている
トンコナン
https://pds.exblog.jp/pds/1/200605/14/59/f0011059_1043726.jpg
高床式倉庫
http://www.trips.com.sg/tour-shisatsugan/images/tour6-5/02b.jpg
はしごが付いてないので倉庫と思われる。
京都祇園祭の山や鉾を思わせる構造 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています