>>282
末廬国4000余戸に対し、東松浦半島周辺はそれほど平野には恵まれてない。
これから、漁業で栄えてた国と推測される。
九州北岸から壱岐に渡ろうとしたとき東松浦半島の先端から行くのが最も楽だろうから、
朝鮮南部との交易の拠点としても栄えてたはずであり、
東松浦半島の先端に末廬国の中心的港町があったと考えるのは自然だと思うし、
ここから糸島半島平野部は東より若干南向きで、誤差は45度未満になる。

会稽→九州北岸は非常に難しい船旅ではあるが、
100年に数回行って帰って来た者があれば、知識として残るには十分だろう。