磐井の乱で
九州と畿内に有力勢力があったのは
明白じゃん、少なくとも5世紀までは
九州主導の王朝が続いて大和は分家勢力
6世紀の磐井の乱で分裂、そして白村江の九州の大敗で大和勢力が力関係を逆転した