【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★11
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1542123148/ 年表
日本列島の成立の頃から 南方海上よりの黒潮海流は常に日本列島を巻き込み北上し流れてきた
日本列島に初めて漂着したのは北方から徒歩で来た人々では無く 南方より黒潮に乗り米作と共に漂着した人々だった 黒潮は休む事無く常に日本へ流れており 漂着する人も三々五々の如く常に日本へ流入し続けた 琉球 九州 四国 本州の順で
北方は21世紀の今も人の生存状況は厳しく 此処を超えて多数が来たとは思えない
南方より漂着した人々は石器時代には黒曜石を産出する地域に集まり米作で生活し1万5千年前頃には人類初の土器を製造し始めた
石器時代は徐々に銅器時代へと移行し始める この時の日本には大阪には銅鐸文明が栄える 銅から鉄へ移行する時 九州北部に鉄を持った天孫降臨族が発生し博多を拠点とし九州を支配下に治め倭国(チクシ)と称する
勿論大陸との外交は重要で周や漢や魏と交流する その間の出来事は ニニギのヨシタケタガギ(場所は福岡市西区) 金印(カンノイトコクオウ)同じくヤマイチ国のシンギワオウ(ヒミカ)場所は福岡県春日市スクオカモト(絹の出土)
倭の五王(都督府を大宰府へ) 岩井天皇の律令制度 サチヤマ白村江の戦いでの敗戦および唐軍の大宰府進駐などがあり700年まで続いた
1年頃今の糸島市で不遇を囲っていた神武兄弟は新天地を求め大阪侵略を思い立つ
勿論神武兄弟以前にも多くの侵略者が行ったがいまだ成功は見なかった
大阪の銅鐸文化圏へ天孫降臨族の不断の圧力が今の岡山県あたりで前哨線となっていた
当然銅鐸圏の東鯷国ナガスネヒコの防御は明石や淡路島で堅かった 為に神武兄弟は鳴門をとおり大阪湾へ突入したが散々に負け神武の兄は死ぬ その後熊野をとおり奈良へ侵入し殺戮の限りを尽くすがその後スジンまでは奈良に逼塞する
250年頃スジンはミマナより奈良へ侵略しジンムの末裔を殺戮する
欠史8代とは朝鮮人スジンが史実を知らなかったことが理由
北陸へ半島より渡来した継体は応神五代の末という触れ込みで奈良政権を奪う 内紛に感けて継体の侵略を許した
奈良政権を奪った簒奪者継体は次に倭国簒奪を狙う モノノベノアラカイへ九州を与え本州は自分がとるとの密約は周知の事実
此の倭国侵略で継体の嘘が露になる 分流の奈良は称号に倭(チクシ)と名乗り倭国の末裔たる事を誇りにしていた しかし継体は半島渡来であり倭国とは何等の関係も無かった
半島の高句麗との戦いの援軍を装い岩井天皇を暗殺したが 九州の肥後の軍勢に追われ倭国奪取は出来なかった
倭国由来の血統の絶えた継体以降は敵地同然の奈良の居心地は悪く 半島由来の多く住む滋賀京都を目指した
700年以後同じく半島由来の藤原一族と共に日本列島の支配者となる
この時テンムが倭国の文書(日本旧記を始めとする)を集め日本書紀に内容を剽窃した 何度も桃種のつまらん証拠で近畿説有力と言ってるのかね。
むしろこんな説に頼るようじゃ、近畿説は自らデタラメと説明してるようなものだよな。 邪馬台国と畿内では習俗がかなり違うので別文化だと思う
習俗面で言えば邪馬台国の文化は琉球と共通点がある
卑弥呼は巫女だったが琉球にはノロという巫女が残っている
また邪馬台国には刺青を入れる習慣があったが琉球では明治まで女性がハジチという刺青を入れる習慣があった
そして琉球の創世神話の女神はアマミキヨ、別名アマミクという
これは卑弥呼が日巫女という意味であったとすれば、アマミクは天巫女という意味だったのではないか?
巫女の一族の系譜を思わせる
邪馬台国は大和政権が成立したあと、交流のあった奄美を経由して琉球に落ちのびたのかもかも知れない >>1
この時代最大の遺跡で関東から九州まで人が集まっていて宮殿跡から桃の種が出て時代が一致ってもう確定だろ >>10
どうでもいいから「弥生時代の九州」を研究している研究者じゃなくて、
邪馬台国九州説の現役の研究者を一人でいいから挙げてごらんって
大学にポジションがあってもなくても、企業研究者でもいいから、ちゃんと
ピアレビューの学術論文を書いている人を挙げてね
そう言われてciniiでググっただけで、季刊邪馬台国の論文ばかり出してきた時点で
はっきり言って>>10を軽蔑してるから >>28
>邪馬台国と畿内では習俗がかなり違うので別文化だと思う
というか、魏志倭人伝に書いてある習俗ははっきり南方系で
「所有無與儋耳朱崖同」とも書いてあるし、北部九州とも異なるんだよ
日本には台湾ザルもミカドキジもいないでしょ?
倭国のところに書かれているけれど、倭国の習俗と思わない方がいい
魏志倭人伝の信憑性はその程度 考古学が立派な学問だと思ってる奴がいるのが信じられん。 陳寿の記述は邪馬壹国
いつのまにか邪馬台国に変わった、って言うのは古田説、
これが一番精緻な追跡みたいな気がする >>30
お前が認めてないだけで、挙げた先生達は普通に「邪馬台国九州説の現役の研究者」だから
因みに研究者の定義はお前のと俺のとで乖離しており、埋まらない溝がある事を確認済みだ
とはいえ、「弥生時代の九州の研究者」という言質は取ったから
この先生方が邪馬台国九州説を唱えてるのは如何お考えで?
暴れたければ>>23のスレで、「この人らは専門家と報道されてるけど、実は専門家でも研究者でもないです」って叫んでこいよ 大和朝廷の前に政権があっては困る 公文書はあっったのか ネットウヨパヨ 神代の世界、法螺は程ほどに 邪馬台国はヤマタイコクではなく、ヤマトのくにと読む。
何故にヤマタイと読む。
台与をとよと読むくせに。 まともな日本人が原文見れば、どうやっても ヤマタイとは読めない
邪馬壹國 やまとこく、だとすればすべての問題は解決 .
邪馬台国は、宮崎県 西都原(さいとばる)で決まり。 邪馬台(やまとの)国論争
やまとの国はどこにあったのか
奈良県 「えっ」 大和は元文字は大倭だろう
大倭が市を管理したとあるから
地方王権とは別の緩い列島規模の商業ネットワークがあったと考えるのが自然 >>34
はいはい、ではその先生方が九州説を唱えているソースを出してくださいね
もう、厨二病のマウント志向の人(たぶん日本人とは価値観道徳観が違う)の相手は面倒なんだけどな >>41
巻向の古名は大市と言われてるからね
交易品が取引される場所だったろうね
だから東海地方その他の物産を入れた土器が集まったのだろう 卑弥子だったら、俺の隣で寝てるよ
ツイッターのアカウントは@himicco94
登録ヨロシク 畿内説終了のお知らせ
368 名前:日本@名無史さん 2018/11/20(火) 12:16:29.54
纒向遺跡 見学拠点の建設延期
2018年11月20日(読売新聞・奈良支局)
◇桜井市、財政厳しく
◇地方交付税、台風復旧費など影響
>桜井市は、邪馬台国の有力候補地として注目される纒向まきむく遺跡で、
>2020年度中の完成を目指していた「ガイダンス施設」の建設延期を決めた。財政難が原因。
>整備を進める史跡公園の核となる施設で、遺跡見学の拠点として期待されていたが、新たな完成時期は未定だ。
>松井正剛市長は取材に、「少ない予算で中途半端なものは作りたくない。
>5年ほど延期せざるを得ない」と話している。 >>33
江戸時代のマチムラとモトオリが何とかして奈良へ持って来たいとして ヤマイチとしか読めない原文を改竄した ソース出せだせという思考停止脳死ゾンビ
仮に提示しても信じない頑迷固陋脳 要するに
・畿内説は纒向
・九州説は西都原
が比定地でいいんだね
もう他の候補はなしで 邪馬台国はヤマトだと、中国人が認めてるんだが。
隋書倭国伝より。
俀国在百済新羅東南水陸三千里於大海之中
依山島而居 魏時譯通中國三十餘國 皆自稱王
夷人不知里數但計以日
其國境東西五月行南北三月行各至於海
地勢東高西下 都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也
古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里在會稽之東與儋耳相近
東西五月、南北三月、つまり、西日本全域を治める国の都を邪靡堆と言い、
魏志倭人伝の邪馬臺のことだと言ってる。
そして、帶方郡から一萬二千里の距離であると認識している。
中国人がこのように、邪馬台国を大和国だと認識してる以上、九州説は根本的に成り立たない。 本居宣長は、隋書倭国伝読んでなかったんじゃねえの?w >>52
本居宣長は九州説じゃないぞ
例によって九州説の人が都合のいいところだけ取り上げて
九州説だーって言ってるだけ >>51
折角の原文提示も読めないでは破綻を来たす好例
帶方郡から一萬二千里の距離であると認識している だから博多に到着する というか、巻向と特定されてるなら
巻向の遺跡から魏との交流品が
もっと出てないとおかしい
使者が着てるんだからさ
それこそ、倭人伝に
載ってないようなものまでもさ
魏だけでなく、朝鮮半島の品とかも
そもそも個人間の交流なら
別に普通にあったろう
そういったもんじゃなくて
文書以上のものが無いといけない
まさか、そういうのは全部
盗掘された扱いにしてるんじゃないよね? >>53
そうだっけ?
本居宣長は、何て言ってたの? >>56
本居宣長は邪馬台国は大和、卑弥呼は神功皇后と考えていて
九州の勢力が大和を騙って魏に使いを送ったという説
天皇及び皇后が朝貢して印を貰ったとは認めないという立場
広義の九州説にはなるかもしれないけど(なるかな?)邪馬台国が九州とは言ってない >>42
ちゃんと貼らないとリンクも踏めないか?
1 名前:樽悶 ★ [sage] :2018/11/21(水) 03:31:07.43 ID:CAP_USER9
【動画】弥生時代の鉄の鏡でシンポジウム
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181120/movie/5070002480_20181120202104.html
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181120/5070002480_20181120202104_m.jpg
日田市で出土した弥生時代後期の貴重な鉄製の鏡に関するシンポジウムが市内で開かれ、専門家から邪馬台国との関係を指摘する意見などが出されました。
「古代史サミットin日田」と題したこのシンポジウムは、全国の考古学者らでつくる協議会などが日田市立博物館で開いたものです。
6人の専門家がゲストに招かれ、昭和8年に日田市内の古墳で出土した弥生時代後期の鉄製の鏡「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」について意見を交わしました。
この鏡は、日本で唯一金と銀を埋め込む「象眼」という装飾が施された貴重なもので、国の重要文化財にも指定されています。
シンポジウムでは、元産業能率大学教授の安本美典さんが「当時の中国の状況などを照らし合わせると、この鏡が邪馬台国や卑弥呼と関連のある物だと言って差し支えないと思う」と指摘しました。
また、佐賀県の吉野ヶ里遺跡の発掘に取り組んだ、佐賀城本丸歴史館の七田忠昭館長は「この豪華な鉄鏡から、当時日田に高度な文化が根付いていたことがうかがえる」と述べました。
会場には、全国の考古学の愛好家などおよそ80人が訪れ、熱心に話に聞き入っていました。
この催しは、22日まで開かれ、日田市内の遺跡を巡るツアーや講演会などが行われます。
11月20日 17時51分
https://www3.nhk.or.jp/lnews/oita/20181120/5070002480.html >>59
ああ、偽僭説か。
金印をもらったのは、九州の小国で、勝手に大和王権(自称・邪馬台国)を名乗ったという説か。
九州説の「モトネタ」とは言えるな。 >>51
7世紀に編纂した本だぞ
邪馬台国から何百年もあとなのに信憑性あんのか? 中国としては、畿内の大和王権に金印を授けたつもりが、
九州の王が勝手に着服した、ということなら、
九州から金印が出てきたとしても、評価が難しくなるな。
考古学的には、ヤマト王権は3世紀に成立していたとしても。 >>65
それなら、魏志倭人伝はもっと信用できませんが? >>65
信用できるよ。
適当に書いてるわけではなく、大和の人々と交流して
エリート中のエリートが正史として調査してから書いてるからね。 隋書には阿蘇山があるって
はっきりと書いてあるけどな
(完) >>69
そりゃ、九州は邪馬台国(奈良)に支配されてたからね。
書いてあっても不思議じゃないわ >>55
魏の鏡や中国大陸原産のベニバナ花粉など見つかってるから交流があったのは間違いない >>24
基本は当て字 というのがわかってないのかな?
邪馬→よこしまなうま
卑→いやしい
そうとうな悪意がなければこんな字はつかわない
トウとする部分は原文にも数種類あるが、イチまたはツボ、トウフのトウ
日本人的なニュアンスではトウと読める
ただ、どうやっても台=タイにはならない
現代判明している当時の読み方でイツだとしても
当時、日本人の発音する音から、中国に住む人がしっくりするものを当てただけのこと
それを現代ではこう読む〜とかまったくもってばからしい >>61は、海外留学したエリート様の書き込みなの?
>>42で訊いている「その先生方が九州説を唱えているソース」というのは、
学術論文として発表されているものなんだが?
研究者の定義にこだわっていた人が、テレビニュースをソースだって言っちゃう訳?
しかも邪馬台国と言っているのは「邪馬台国の会」主宰の「研究家」(≠研究者)の安本美典氏だけww もうひとつ面白い話を
例えばコンピューターを中国で文字に表すと…
向こうにはカナがないから音も完全に一致せずに当て字をする
日本人的な感覚で考えれば、文字も漢字も意味も音も
一致してるのが自然だが、そうではない例は多々ある >>24、>>72
邪馬「壹」の表記は、12世紀の三国志の伝本で初めて出現するもの
それより古く魏志曰で引用している史書が軒並み邪馬「臺」となっているから、
本来は邪馬臺國だったのだろうというのが定説
臺→台は、単なる置き換え
藝→芸と、同じで現代日本語では旧字(繁体字)を使わないから便法として使っているだけ >>75
うむすばらしい
漢字探すの面倒で書かなったが、このように視野を広く持つのはとても良いことだと思います
人生もっと楽しめる >>69
この非論理的な書き込みは精霊流し厨だろう
火山は中国では珍しいから特記するわな
倭国の版図の中にあるものを書いてあるだけのこと
この記述から九州説を主張するんだから論理がアクロバティックすぎる >>71
>ベニバナ花粉
随分とミクロな命綱なんだな畿内説ってw >>73
>>995
>>>980
>>常松幹雄、七田忠昭、安楽勉、中村幸史郎、北郷秦道
>この諸先生方は、弥生時代の九州の研究をしている
>>30
>>>10
>どうでもいいから「弥生時代の九州」を研究している研究者
(研究者と明言した言質)
>>61及び
『邪馬台国時代のクニの都 吉野ヶ里遺跡』 七田忠昭 著 纒向を掘れば掘るほど畿内説が不利になってしまい
現在ではマトモな研究者で畿内説を唱える者は皆無です。
「纒向学」なる新たな分野も生まれましたしね。 畿内説は巻向は離れた方がいいと思うな
北部九州の土器も僅かしか出てないし、大陸製品や鉄やはホケノ(布留0、3世紀後半)より以前は皆無
鏡文化もホケノ以前からあるわけではなく、銅鐸の欠片が出てるだけだし
共立後の卑弥呼時勢は3世紀前半なんだよなぁ >>82
そういう珍説はお仲間同士でやりあってるならいいが、
世間一般では通用しないからお引き取りください 卑弥呼⇒ひみこ⇒日皇子(日いづる国の天子)=天皇
邪馬台国⇒やまたいこく⇒大和国
卑、邪ともに中華思想による日本の蔑称にすぎない。
こんなのいつまで日本の歴史教科書に乗せてるんだって話。 そもそも邪馬台をヤマトとは読まない。
畿内説にこじつけるための説である。
双方は別物だ。 なんでこのスレだけ続いてんの?意味わからんもういいよ
新しいニュース無いの? >>68
つまり大和朝廷側の意見を反映して書いたんだろ
大和朝廷側は邪馬台国と繋がりがあることにしたい
記紀にもその意図が見える
万世一系捏造の一環だ >>90
早く現実を見つめてもらいたいよね。
九州さんは >>80
私はIQ150あるし、出身大学周りの同等に賢い人、学者も研究者も大勢見てきたけど
>「(研究者と明言した言質) 」
こんな情けない論理構成で何かを示した気になるような人はいないよ?
>『邪馬台国時代のクニの都 吉野ヶ里遺跡』 七田忠昭 著
どうしてこれが九州説になるのか教えて欲しいわ
「邪馬台国時代の『邪馬台国ではない』クニの都」だろ?吉野ヶ里は?
まあ、時代も邪馬台国時代より吉野ヶ里は古いんだが
プロファイリング的にはうだつに上がらない大学職員の人が見知った言葉を使って
一生懸命背伸びして学者のふりをしてマウントを取ろうと躍起になってるってとこだな >>95
どっちが正しい関係なく
>>90 が言うように新しいニュースがないからだろうな。
陳寿の意図は当時の最新政治動向じゃなくて東夷の風俗に向けられてるし。 >>96
そうだよな
よくいう司馬懿の功績を褒めるためにっていうのがあれば
それこそ東に12000里と書くよな
西の大月氏に対して東の邪馬台国
会稽東冶の東じゃ遠く感じない >>85
この記述から近畿説を主張するんだから論理がアクロバティックすぎるよな >火山は中国では珍しいから特記するわな
倭国の版図の中にあるものを書いてあるだけのこと
阿蘇は弥生時代に噴火した記録が無いよ >>99
文字の無い弥生時代に火山噴火の記録があったと思うのか? 大倭という言葉について考えてみると
当時の物流拠点として、九州倭国が奈良に市を設けて
そこで本州の国々が交易していたとか。 そうすると交易都市ヴェネツィアみたいな感じなのか。
天皇家は九州から派遣された市長みたいな感じだったのかも。 >>101
これは失礼、隋書だから7世紀だったな
ごっちゃになった せっかく、火山の影響で3世紀初頭に飢饉があったことまで言及されたんだから、
そこから、九州が衰退し、近畿が九州に影響力をもたらすようになったと理解するのは簡単だ。
米の生産量は近畿が圧倒的だからな。 >>93
IQ150の証明持ってこいよ
もっとも、IQ150だろうがEQは著しく低いようだが
その本の紹介に「大発見以来、卑弥呼の住んだ宮都かと話題になってきた吉野ヶ里遺跡。
一時期の喧噪が終息したいま、あらためて集落の成立から拡大、終焉までの展開をくわしく追究し、「倭人伝」記事との対照、中国城郭の影響などの検討をとおして、邪馬台国時代のクニの都であると論じる。」とある
プロファイリングは下手だからやめておけ
ただでさえ前スレで違う人物と俺を混同して大恥をかいただろうに
ちなみに大外れだからな >>97
>それこそ東に12000里と書くよな
書いてあるだろ?
「倭人在帶方東南大海之中」って
真東ではないが、南東海上はるか彼方で、
「自郡至女王國萬二千餘里」だ 西暦181年 ニュージーランドのタウポ火山の大噴火
西暦181年 「空が黄色くなり太陽が覆われた。」 「6月に雹が降った。大きさは鳥の卵ほどもあった。」 『後漢書』
西暦182年 「井戸の中が凍ってしまった。」異常気象を示す記述は2年続く。 『後漢書』
西暦184年 飢饉の影響などによって「黄巾の乱」が勃発(漢が衰退した。)
西暦184〜189年頃 卑弥呼が女王になる。
西暦238年 卑弥呼が魏から金印「親魏倭王」を授かる。『三国志』
西暦247年頃 卑弥呼が亡くなる。『三国志』 「いまあらためて発掘成果と『倭人伝』の記述を対照していくと数多くの共通点が浮かびあがってくる」。
冒頭、筆者は記す。吉野ケ里には、倭人伝が描写する「宮室・楼観・城柵」に相当する建物群がある。
甕棺墓(かめかんぼ)で見つかった戦闘の犠牲者の人骨は「倭国乱れ、相攻伐する」との記述に符合する。
奈良の纒向(まきむく)遺跡の登場で畿内説は勢いづくが、筆者は九州説を曲げない。
=2017/03/26付 西日本新聞朝刊= 普通に考えれば凄く単純
九州に邪馬台国、畿内に大和国、中国地方に出雲国、北陸に越国、四国に阿波国
弥生時代はそれぞれ別の国々 >>110
2世紀末に大和国(邪馬台国)に統一したのが畿内の卑弥呼という話しだよ。 倭国には100余の国があった
九州で100ではなく畿内迄又はそれ以上で100と言う事 >>111
最近の近畿説は九州説を上回るほどの
ファンタジー史観が強いな
九州からの搬入土器がほとんど無いし
鉄の出土も無い、そんなに早くからの統一はあり得ません >>113
九州の土器が無いのは、九州からの東遷は無いという証拠。
そして、九州は2〜4世紀と続く王墓が存在しない。
近畿で生まれた前方後円墳を受け入れている。
九州説を立証する証拠は一切無いよ。 畿内とすると記紀に前方後円墳の「形」の謂れがあってもよさそうなものじゃないのかな。
埴輪はあるよね。それともどっかに書いてあるのかな。 >>114
それはどこまでいっても単なる状況証拠だからな
地理的にも風土的にも邪馬台国の記述と一致する箇所がないとな
畿内の古墳からはそのような遺物は全く出ていない >>116
畿内説を否定したところで、九州説の立証はできませんよ。 >>116
状況証拠で言えば九州が一歩リードかな
畿内は巻向遺跡の出土品でますます遠退いた感が否めない 関西のTV番組そこまで言って委員会によると
学者の99%は畿内説だと九州説の学者が言ってた。
その人は九州説やる人いないから、教授からお前がやれと言われて九州説になったと話してた。 学問的には畿内説で
九州説は夢をおいかけるファンタジーと思っておけば間違いない。 今年発刊された中公新書「日本史の論点」によれば
・九州の邪馬台国と畿内の大和政権は同時代に並立していた
・どちらも対外的には倭人の作った「ヤマト」と名乗っていた
・邪馬台国は大陸の北朝に、大和政権は南朝に朝貢していた >>122
何を根拠に言ってるんだろうね。
さすが夢をおいかけるファンタジー 飛鳥昭雄ですら畿内説だから、オカルト的にも無理筋になってるのが現実 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています