>>195
>一世紀頃に金印を与えた奴国または委奴国(諸説あり)が九州の中心だった

ここまでは文献を見る限り正解

>二世紀にはその九州を畿内勢力が滅ぼした、又は併合した邪馬台国が存在
>やはり畿内にあったと考えるのが自然

二世紀後半に倭国大乱に相当する戦乱の時代があり、それを邪馬台国を中心とした連合政権が平定する
倭国大乱に関しては相当の時代に戦乱があった事は遺跡などからわかる
その範囲は九州から畿内に至るまでだった
しかしこれを制したのが近畿勢力であるとは考えにくい
理由は近畿地方・中国地方などで2世紀まで盛んに創られた銅鐸が3世紀になってから急速に作られなくなったこと
近畿勢力が制したのなら銅鐸製造は継続され、逆に九州にまで及んでいたはず
近畿の銅鐸文化が終焉したということ逆に卑弥呼を中心とした九州の文化が近畿に及んだということ