日本書紀スジン紀
六十五年秋七月、任那國、遣蘇那曷叱知、令朝貢也。任那者、去筑紫國二千餘里、北阻海以在鶏林之西南
任那は筑紫国を去る事2千余里北海をヘ阻てて雞林(新羅)の西南に在り

2000里は140Km 一里75m  日本書紀も書き写すときうっかり短里で書きました
テンムの部下は実際の距離を知らなかったのですね 当時は唐制の里単位でした