【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★9
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邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1539843173/ >>699
>グラフの枚数を表2がソースだなんて誰が言ってるのかね?
>お前一人が信じなくても何の問題も無いよ
いずれにしてもID:SK7ptiM/の上げた邪馬台国の会のグラフ・データには、
十分な根拠がないものだということ
平原1号墓の方格規矩鏡32枚が仿世鏡認定された報告書を参照しながら、
平原1号墓の鏡を舶載鏡として福岡出土の漢鏡を水増ししてる >>705
どこに反論されてるのか分からんが、
首長が強い力を待ってるんなら
畿内に政権があるからといって
九州に新しい鏡がなかったことの
説明にはならないよね。
勝手に九州で交易すれば良い話なんだから >>706
邪馬台国は江戸時代までは大和のことと信じられてた
それに一石を投じてヤマトではなくヤマタイコクと主張したのは
かの本居宣長だぞ。
俺は、彼みたいな天才に反論する気にはならんわ >出雲⇒投馬国
大和⇒邪馬台国
九州に違いないって決め付けて呼んでるから、訳の分からない結論になるんだよ
返信
またお前かよ、めんどくさい奴だな
方向が違うだろ
論外 >>695
オーケーだね
その前に九州が東征してるがな 九州には3〜4世紀と連続する首長墓が無いのだから、
どう考えても邪馬台国を想定できないだろ。
て、書くと、「九州の王は、大きな墓を作る慣習が無かった」と言い出すんだよなあ。 >>611
特定できるかどうかで事実は決まらないし。
そもそも、その発想はあまり科学的じゃないな。
別に勝ち負けの話じゃないんだから。
まあ、考えようによっちゃ、その特定されたもので
証明できなかった時は、畿内説そのものが
全滅って発想でもあるんだろうけどさ。
(……まさか別の遺跡で、やりなおすとかは考えてないよね?) そもそも邪馬台国に限らず奈良に至る根拠がない。
戦国を乗り切った形跡も見られないし、東海地方以外との交流はほぼ無い。
同じ時代の遺跡ならどこにでもあるはず。
文献からすると九州か山陰か四国が該当する。
結局、卑弥呼の時代に奈良に何らかの施設がありましたという事が分かっただけ。
箸墓は最古の前方後円墳と確定したわけではない。
よってまだ畿内説自体が存在しないも同然です。 倭人伝に
卑弥呼小さな墓を作る
とあったら九州でもいいんだけどな
出すのは畿内邪馬台国の同時代の九州の有力者の墓ばかり
九州は衰退して連続性も無い もう高校生ですら学校の授業で邪馬台国は畿内で決まりそうだと習っているというのに
九州爺さんたちの偏屈さには呆れるわ
証拠はないけど幽霊は実在するって言ってるやつと同類 >>725
畿内は無いよ
ま、今後定説になってくるだろ 畿内説の場合、桃の種もそうだけど最新情報が入るたびに邪馬台国から遠ざかっていく気がするね。
纏向を見ると魏志倭人伝とは雰囲気がまるで違うし、何の工事をしていたんだろうね?
天照はじめ、太陽を崇拝する独自文化があったんじゃないの?
それってアイヌなど北方系の文化だと思うけどね。 卑弥呼祭祀で国を纏めた
ここに説得力ある材料が欲しいんだよな
畿内は唐古鍵と巻向で鏡太陽祭祀全盛期
国内鏡の生産も行われた
その前身として九州各地にには女王がいて豪華な副葬品があったが3世紀初頭を境に急激に衰退
でも畿内に九州の土器はほとんどなく移住の痕跡はなし
この入れ替わりに等しい様な変遷に対する矛盾無い推測が知りたい 卑弥呼の時代に大和の纒向に相当大きな国があった。
大和王権のボス天皇家の祖先は九州出身なのは確か。
つまりのところ九州のどこかの国が東征で大和王権成立、
それが全国に支配権を広げて卑弥呼の後に九州の邪馬台国も征服されたってこと? 日本史のテストでキュウシュウキュウシュウ書いたら0点 >>729
九州征服するも何も大和政権が立ち上がった頃に邪馬台国は既に存在しない感じだよ。 神武を崇神だと仮定してみると
崇神以前の天皇は北部九州にいたことになる。
そうすると卑弥呼は北部九州にいたことになる。 魏志倭人伝の時点では南にあって後漢書の時点では東に
あったということが正しいとすると邪馬台国は
その間に東遷しているんじゃないか。 神武東征は紀元前660年と記紀が設定してるのに、
それを無視したうえ、神武は崇神とか、ずいぶん勝手な妄想だな。 ヤマト国ではなくて狗奴国の記述が魏志倭人伝と後漢書で
異なっているということは、後漢書の時点で狗奴国は
東にあったということなのか。
ということは狗奴国が畿内をあらわしている可能性もある。 狗奴国が南部九州と本州の全域をあらわす縄文系の国だったの
かもしれない。 ということは崇神天皇は狗奴国の王の可能性がある。
仲哀天皇は熊襲を討伐しに行ったのではなくて北部九州を
討伐しにいって、討たれてしまい、狗奴国は北部九州に併合された。
この時点で畿内がヤマト国となったということはないだろうか。 狗奴国というのも倭国の一員であったことは確かだよね。
倭国30国だから狗奴国もカウントしなければ足りないし。
卑弥呼を女王として認めてはいなかったというだけで。 箸墓のヤマトトトヒモモソヒメは、崇神より前の孝霊天皇の娘です。
崇神が東征したなどと、物証を無視しないでください。 邪馬台国は狗奴国一匹すら退治できずに、盛んに魏に使者送って支援・調停要請してるくらいなんだから、畿内説が言うような立派で大きな覇権国のイメージとはかけ離れてるな。
倭国大乱、卑弥呼死後の狗奴国との争いを経て邪馬台は衰退し、時を同じくして畿内で拡大しつつあったヤマトが遂に覇権を握ったということでいいんじゃないかい? >>742
周旋5千里程度と言われてたぐらいだからね。
小国だったんでしょうね。 欠史八代の天皇[編集]
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
4.懿徳天皇 - 大倭彦耜友天皇(おおちくしひこすきとものすめらみこと)
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
6.孝安天皇 - 倭足彦国押人天皇(ちくしたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
7.孝霊天皇 - 大倭根子彦太瓊天皇(おおちくしねこひこふとにのすめらみこと)
8.孝元天皇 - 大倭根子彦国牽天皇(おおちくしねこひこくにくるのすめらみこと)
9.開化天皇 - 稚倭根子彦大日日天皇(わかちくしねこひこおおびびのすめらみこと)
非実在説[編集] 「倭」を「ちくし」と読むような用例はありません。
バカが真に受けるといけないので、一応書いておきます。
やまとととひももそひめ
日本書紀→倭迹迹日百襲姫命
古事記→夜麻登登母母曽毘売
「倭」=「夜麻登」=「やまと」 稲荷山鉄剣には、大王に仕える刀杖人の祖として、「オオヒコ」が記述されています。
オオヒコは、崇神に仕え、父は孝元天皇です。
そして、ヤマトトトヒモモソヒメは孝霊天皇の娘なので、
孝霊天皇まで、ヤマトで実在していなくてはいけません。 「欠史八代」なる考え方は、稲荷山鉄剣が発見される前の議論ですが、
オオヒコと、オオヒコが仕えた大王がいたことが確実となったために、
「欠史八代」なる議論は無意味となりました。 稲荷山鉄剣によってオオヒコの存在が明らかになったのは1978年です。
東遷説は、この時点で破綻したわけです。
東遷説は、オオヒコの実在について、何も説明することが出来ません。 >>743
確かに小さいね
2000キロぐらいだから中部地方までしか入らない >>750
都合によって短里と長里を使い分けるのが畿内説?(笑)
よく笑いの種になってるから知ってるけどね。 動力機関としての水車は紀元前2世紀ごろ、小アジアで発明されたといわれる 記紀ベースで考察すると注目点はニニギの存在だね
神武が来る前から葛城物部の祖で巻向に勢力を持っていた
九州の土器や
産物が少ないのは、鉄と鏡を売れば十分に富を得られた証ではないか?
ニニギは九州からの通商を引き受けていたのではないだろうか
九州が衰退したのは畿内からの富が流れ込んだからであり軍事的な衝突は少なかったのではないかと思っている
その後、神武が東遷したとき神武を天孫(天照大神の子孫)という理由で大王に推戴した
巻向で三輪山祭祀を行うのはここから
太陽祭祀を行うのは神武が来てからと考えたとき、それ以前に既にアマテラス信仰が確立していたということになる
卑弥呼を天照大神と比定した場合、神武の故郷九州が太陽祭祀の原点だと考えることができる
九州で生まれ畿内で発展を遂げた太陽祭祀の元祖卑弥呼は先端地域だった九州を纏めたカリスマであり、後の三輪山での祭祀を畿内で広める原動力であったと推察してみる 記紀ベースで考察するとか、聞いてあきれる。
本当に記紀で考察したいなら、天火明命の考察から始めたら?
古事記ではニニギの兄で、尾張氏の祖なわけだが。
海部氏系図では、丹後に降臨したことになってる。
記紀ベースで考察すればするほど、九州説は破綻するんだよ。 >>751
何?その「短里」って?
もしかして、安本屋とか古本屋が言ってた
倭人伝と韓伝にしか存在しないという伝説の「短里」というやつですか >九州北部製土器が奈良に 弥生時代すでに広域交流
神話は庶民の認識に基づいて作られた記録ではないんだよ >>737
南部九州って7000年前に壊滅してるよね?
その後大陸の方から流入がなかったのだろうか? >>757
>弥生時代すでに広域交流
弥生時代どころか、縄文時代から
黒曜石やらヒスイやら干し貝やらを広域流通してますし >>744
これだけ非実在ってのも奇妙な話だよね
記紀の時代には朝廷の権威は確立してて
盛る必要はもう無かったと思うんだけど 邪馬台国のことを調べてたら
大和朝廷、つまり天皇家サイドのバイアスが入ってるとはいえ記紀神話の内容を無視できないよね。
記紀は史実を反映していて決してウソじゃないと感じる。 九州説は短里とか言い出してますます学問から遠ざかっている
月刊ムーの世界 >>755
あきれられるのは仕方ないが、楽しい思考実験の落書きなので勘弁
本気すぎてビビるわ 古代の日本人は神代文字使ってたの?
どうして使うの止めちゃったの? >>760
国内に対して天皇家の正当性を主張するというよりも、
中国に対して我が日本もそれと並ぶ長い歴史のある帝国だとアピールするために盛ったらしい。 >>765
なるほど!
納得したけど、それは誰かの推論?
それともなんか証拠があったりするのか… >>744
これらが実在したという立場の人の本にはヤマト(倭)という地名が名に入ってるのは
まだ規模が小さく、ヤマト地方の地方政権の君主にすぎなかったためとしていたな。 ニニギを案内したのが国つ神サルダヒコでクナト大神の子
クナト大神が縄文系の最高神じゃないかな。
だから北部九州の一派を南部九州に招き入れたのがサルダヒコ。
モモソ姫は天皇家のひとで話に大物主が出てくるのは、旧勢力がくすぶっているから。 >>766
記紀が書かれた天武天皇時代に日本と名乗って、中国式の法整備をしたりしたけど
あの頃の改革は日本国も中国と対等な立場の大帝国だと認めてもらうための努力してるよな。
よくいう天皇中心の国づくりというのもそれまでの有力豪族の連合政権から
中国は皇帝をトップに高級官僚である貴族と制度化されているように日本もそうしたわけで。 福岡市早良区西新に猿田彦(字は当て字)神社があります 此処が墓とおもっています
年一回のお祭りは大賑わいです
縄文文明の人で最初は住民を纏めてニニギへ対抗したのではないかと考えます
いきなり降参では其の後2000年も地元民の尊崇は得られないでしょう 倭国イワイが律令制をつくり700年以降奈良が模倣した >>737
狗奴は字の通りで先祖が犬と自称してた民族
中国南方にも似たようなのがいる
奴は人の蔑称
というかいまだに縄文人とかいう創作を追ってる人がいるのか >>767
奈良盆地で周囲は敵ばかり 神武の末裔は九州倭国の後ろ盾を必要として 大倭 若倭の称号を拝受した >>766
戦後の学者が、戦中の皇国史観を払拭しようと、記紀は創作だという前提で言い出したもの。
実在の証拠が無ければ、全て架空というわけだ。
一見、科学的姿勢のように見えるが、
神武=崇神とかのたまう学者はただのバカ東遷説。 記紀は700年以降テンムが倭国の日本旧記を基にして倭国の歴史を奈良の歴史として盗用し書かれた >>765
いや、国内向けだろうなぁ
そうでなければ天孫降臨が
179万年前とか言う数字は恥ずかしくて書けない
(もちろん、信じてる人には申し訳ないが)
そもそも、そんなに歴史が古いのに
「なんで、あんたら独自の文字も無いの?」って
突っ込みいれられてしまう
ぶっちゃけ、記紀って
突っ込みいれないような
あまり頭のよくない国内層に向けて
作られたもんだよ
というか、皇紀2000年の歴史を信じてる人は
ちゃんと179万年前の天孫降臨も信じてあげて欲しい
(「途方もない数字でありえない」って点では同じなんだから。
むしろ179万年前の数字は、はっきり宗教だと
わかりやすいんで、かえって害がない) >>764
http://www.book-seishindo.jp/kana/onjun_2.html
↑のいくつかでも、変体仮名を見てみればわかるけど
いろんな漢字から、仮名を作り出してる訳だ
ひとつの単語に、
何個も別の漢字からの仮名がある
黄表紙本なんてのは、(漢字は簡単なモノしかなく)
ほとんどの文が仮名で書かれてるけど
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01961/he13_01961_0032/he13_01961_0032_p0014.jpg
ひらがな・カタカナ・変体仮名(複数)の表記が
混ざり合ってて、本当に読みにくい!
これだけ不便でも、個々の仮名は漢字由来な訳だ
もし、神代文字なんてものがあったら
仮名にひとつも採用されてないのは不自然だし
そもそも、神代文字があるとしたら
それは(おそらく表音文字で)、最初から仮名に当たるものだろう
こんな面倒くさい漢字由来の仮名を
使わないといけなかった必然性が無くなる
(どんだけ仮名を覚えないといけないのかと、
崩し字にすると紛らわしい仮名がいっぱいある)
ようは、日本に漢字が入ってくる以前は
「まったく文字が無かった」と考えるのが一番、妥当だ まだやってるのかw、宇佐八幡宮神託事件があるので九州に確定は揺るがないのにな もちろん、漢字が入ってくる前に
文字が無かったって事は……
ある時代以前からは、
まったく記録が無かったと言っていい
記紀の古い時代の資料は
完全な創作物だよ
(記紀にあるこの人物が、倭人伝の
この人物だろう……とか推定するのは
滑稽な話だよ。司馬遼太郎の坂本龍馬や
吉川英治の宮本武蔵を参考に
歴史の史実像を推測すようなもんだ)
皇紀2000年ってのも、天孫降臨179万年と
同じように、鼻で笑うようなもんなのさ
宗教家の国士さまだけが信じてれば良いような設定だよ 狗奴国のなかで正式な男王は熊襲の王で
その王から男王を奪ったのがヤマトタケルなんじゃないだろうか。
だからタケルというのが狗奴国の王の名前で
ヤマトタケルの子の仲哀天皇が北部九州を攻めてっていう流れじゃないかな。 実はおれはギリシャのひとたちは地球は丸いってことを知ってた
と思ってる。なぜかというと、ローマの政治家のキケロが地球と
表現してたみたいだから。
じゃあガリレオガリレイとは一体なんだったのかっていう話で。 >>780
文字がないから、記録がない、完全な創作は、論理飛躍。
稗田阿礼につらなる口伝での記録集団は、どのような論理で否定しているの? 漢との交際があれば漢字はあります
それ以前の記録はお話として残っていました
因幡の白兎など出雲神話や他の部族の神話
57年の倭国の金印も漢字をしっているからこそ有難く貰いました >>780
日韓併合まで文字のなかった朝鮮を馬鹿にしているのですか
ヘイトスピーチですよ >>783
つらなるも何も、古事記では稗田阿礼と言う舎人が
特殊能力を持っていたと紹介されてるのであって
別に何代にも渡って同じ能力を持つ技能集団が
伝えて来たとは書かれてないんだが?
そもそも帝記や旧辞と言う書が
諸家に既にあったとあるんだから
稗田阿礼が覚えさせられたのも
そういった文字資料や
あるいは、発音についてなどだろう
>目に度れば、口に誦み
とも在る。
そもそも、そういう口伝集団が
正確に伝えられてきたのなら
古事記なんて必要ないんだが
むしろ、諸家の文字資料ですら
記述が変わってきてしまってると
嘆いているわけだ
正直、SFの話がしたいなら他所でやってください
>>786
デタラメすぎて、なにを
どう勘違いしてるのかわからない >>787
そういう集団がいるいないは別にして、口伝での伝承は民族学的には山ほどあるけど。
文字がない=それより前は完全な創作
これは論理飛躍やないかな。
記録がないから創作やないことを証明できないだけ。
証明できない=全て創作
って。
そういいながら、皇紀とか、荒唐無稽なことまで事実といっているわけではなく、
※ここまで事実といってる人は確かにおかしい う〜ん、まあ、そこらは見解の違いってところで……
ちょっと上で自分も書き方が悪かったかなぁっと反省してたところ
ギスギスはしたくない >>789
こちらこそ、ごめんなさい。
よろしくお願いします。 >>756
でもそれ言い出すと狗邪韓から対馬、対馬から壱岐は短里じゃないと説明できんやろ? >>782
地球が丸いって知ってた民族は多いらしいぞ
特に船乗りとかは認識してたとか
中国はじめ東アジアは違うけどさ >>697
前も書いているが、考古学的には出土した遺跡の時期でしか事実は測れない
実質、その時代に出土しなければその地域には無かった、としか言えないのだよ
入手した鏡全てが伝世した、というのはさらにあり得ないからね
鏡は移動可能な品物だから、別の地域から古い鏡を手に入れた可能性もある
"手ずれ"に関しても最近は否定されているし
その第7期とやらの鏡はどの時代の遺跡から出土しているのか?が問題なのだよ
そして、平原遺跡の鏡が日本製だとしたら、その後の遺跡の出土であれば、日本製を疑わなくてはならない。
しかし、その明確な判断がつかないまま論じてしまっている
そして一つ、その中国鏡の編年は魏の地域で出土した鏡で作成されていない
魏との交流を示すのなら、魏の地域の鏡の編年史で表すべきなんだがね 皇紀がどうとか言ってるけど、
皇紀って本居宣長が言い出したんじゃ無かったっけ
古事記を正として文章を読むと
干支とかから、そう算出されるってだけやろ?
信じる信じないとかじゃなくて、どっちかと言うと
記紀を正として科学的に解明した年だと思ってたんだけど
(結論としては記紀に誤り、又は虚偽が含まれる) >>793
全くの初心者で申し訳無いが
九州に新しい鏡が見つからない理由が
ぱっと思いつかない。
交易くらいしてただろうに。
どんな解釈があり得るのだろう? >>795
鏡にはあまり興味無かったんじゃないの? >>796
そんな理由で議論が白熱してたら
ちょっと脱力( ̄◇ ̄;) >>794
天地明察の渋川さんやなかったっけ。
渋川さんやったとしても、貴方の本旨にはなんの関係もないが >>795
個人的には、新しい鏡がない、というより、地域で入手する鏡の種類に偏りがみられる、と思うね
三角や画文は入手ルートが違うかも?と感じる
三角は入手というより独自進化だろうがね
いまだに国産と中国産、楽浪産等がはっきりしないのがネック
中国産でもどこの地域から入手したかも重要だが、整理がまだついてない様に感じるね >>703
与太話はお前だよw
反論にもなっていない苦し言い訳ばかりが並んでいるw
>・九州を含めて日本の歴史年表は3世紀以降すべて100年後ろにずれる
ずれるのは位至三公鏡より新しい鏡が出土したのに3世紀以前を主張している場所だけ
つまり三角縁神獣鏡や画文帯神獣鏡が出たのに邪馬台国だと捏造する畿内だけw
>・3世紀後半から4世紀までの「空白の150年間」に日本と中国は活発に交易をした
空白の150年間なんてものはお前の妄想の中にしか存在しない
晋書に「其女王遣使至帯方朝見其後貢聘不絶」と書かれており、倭国からの使者は絶えなかったってさw
>・位至三公鏡より後に編年されている「10種の魏晋鏡」とやらももちろん100年後ろにずれる
具体的にどの鏡のことかね?w
>・帯方郡や楽浪郡から来た人は飯を食わなかった
倭国で飯を食うのに倭国の土器じゃ駄目な理由を述べよw >>708
>伝世鏡だという「ことにしても」、該当時期の鏡が直接畿内に届いていたことは確実
>この時期の鏡の入手経路は畿内直結なんだよ
ほらほらまた嘘をつくw
伝世鏡というのはいつ誰が何処で手に入れたか不明な物だぞ
九州との交易で手に入れた可能性がある以上、直接届いたとする証拠はゼロだ
むしろ該当時期の鏡が北部九州を中心に分布している以上、入手経路は北部九州経由と考えるのが妥当
実際、国産の三角縁神獣鏡やらが数十枚も出土した中で、該当時期の鏡は少ない
九州の卑弥呼が魏に言われた通りに配った鏡だと言われても否定できる証拠は存在しない >>795
新しい鏡、というのが4世紀以降の鏡という意味なら、東遷をその理由として考えることができる
それより前の邪馬台国時代の鏡は北部九州が分布の中心なので、交易していたのは北部九州だと分かる
魏鏡の形式が後漢から大して進歩していない理由なら中国側の研究者が下記のように述べている
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku365.htm
> 魏や晋の時代、中国の北方では、銅材が不足していた。
> このことについて、中国の考古学者、徐苹芳氏は、「三国・両晋・南北朝の銅鏡」(王仲殊他著『三角縁神獣鏡の謎』角川書店、1985年刊所収)
> という文章のなかで、つぎのようにのべている。
> 「漢代以降、中国の主な銅鉱はすべて南方の長江流域にありました。三国時代、中国は南北に分裂していたので、魏の領域内では
> 銅材が不足し、銅鏡の鋳造はその影響を受けざるを得ませんでした。魏の銅鏡鋳造があまり振るわなかったことによって、
> 新たに鉄鏡の鋳造がうながされたのです。数多くの出土例から見ますと、鉄鏡は、後漢の後期に初めて出現し、後漢末から魏の時代にかけて
> さらに流行しました。ただしそれは、地域的には北方に限られておりました。これらの鉄鏡はすべて夔鳳鏡(きほうきょう)に属し、
> 金や銀で文様を象嵌(ぞうがん)しているものもあり、極めて華麗なものでした。『太平御覧』〔巻七一七〕所引の
> 『魏武帝の雑物を上(のぼす)すの疏(そ)』(安本註。ここは『上(たてまつ)る疏(そ)』と訳すべきか)によると、曹操が後漢の献帝に贈った品物の中に
> ”金銀を象嵌した鉄鏡”が見えています。西晋時代にも鉄鏡は引き続き流行しました。洛陽の西晋墓出土の鉄鏡のその出土数は、
> 位至三公鏡と内行花文鏡に次いで、三番目に位置しております。北京市順義、遼寧省の瀋陽、甘粛省の嘉峪関などの魏晋墓にも、
> すべて鉄鏡が副葬されていました。
> 銅材の欠乏によって、鉄鏡が西晋時代の一時期に北方に極めて流行したということは、きわめて注目に値する事実です。」
つまり魏には苦肉の策で鉄を材料にしなければならなかったほどに銅が不足していたから銅鏡の作成も停滞していた訳だね
模様に多少変化があったくらいで、後漢と魏の鏡に大して違いが見られないのはこのため 九州で出土する鏡が割られているのが多いのも気になる点
伝世を恐れたのか、外の勢力に否定されたのか
太陽祭祀の考え方に直結するんだと思うけど 鏡に関しては突飛な妄想書いておけば、権力者の肖像画の代わりをしたのかも。
日本の葬祭儀礼は天岩戸神話を雛型にしてるのかもね。 葬祭については精霊流しなどの風習が書かれているじゃまいか。
何を根拠に太陽祭祀だのと想像してるんだ? 常識のように「太陽祭祀」という言葉が踊ってるけど、
太陽祭祀があった証拠などどこにもない。 >>775
>記紀は700年以降テンムが倭国の日本旧記を基にして倭国の歴史を奈良の歴史として盗用し書かれた
倭国なのに日本旧記なの?
「倭旧記」でなければおかしくないか? 倭国なんだろ?ww >>791
>でもそれ言い出すと狗邪韓から対馬、対馬から壱岐は短里じゃないと説明できんやろ?
その部分(渡海)は簡単
海上距離は測りようがないから、1日で漕ぎ渡れる距離を一律で「遠い距離」を
示す符丁の「千里」としてあるだけ
壱岐ー九州本土間は、明らかに対馬ー壱岐間より狭い(約半分しかない)のを、
同じ距離としていることからも、実測値ではないことは明らかだし、実測値ではないものを
短里の根拠とするのは無意味
何の根拠にもならない >>801
>九州との交易で手に入れた可能性がある以上、直接届いたとする証拠はゼロだ
その「可能性」を前提とした場合、桜井茶臼山の鏡群に相当するものが「九州にはない」ことが
説明できないんだよ
移動の可能性はあるが、本拠地が九州なのに「根こそぎ全量畿内に移動」する理由がない
結局、畿内の鏡は畿内が直接入手していたと考えるのが妥当ということにしかならない
九州説は証明不能な「可能性」で反論した気になるが、論理性がないからすぐに破綻する >>802
>東遷をその理由として考えることができる
東遷を妥当とする考古学的な根拠が一切ない
また、東遷後の九州の跡地には、何があるというのか?
結局、東遷説は成立の余地がないということで決着している >>809
明快ですね。
昨日初めてココ見ましたが
未だに東遷説いうひとがいてびっくり ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています