>>497
ヒミカは間違い
支那の春秋戦国時代の発音でペミカだよ
Himikoなら江戸時代以降の読み方
これが比較言語学の成果による日本語発音編年だ。

「筑紫」は平安時代10世紀の初めには
現代風にカナ書きすると「ティクツィ」と発音していた。
越中の「立山」は飛鳥時代から平安時代にかけて
タティヤマと発音していた。
「疾風」は「八夜知」と万葉仮名で表記され
パヤティ又はファヤティと発音していたと推定される。
播磨国風土記賀古の郡(かこのこほり)の条には
「日岡」の名前の由来として
景行天皇が狩りをしていると一頭の鹿がこの丘に走り登り、
「比々」(ピーピー)と鳴いた。だから、日岡(ピオカ)と名づけた。
と書いてある。
ウィキペディアの「上代日本語」には
>ハ行/p/の子音は奈良時代には [ɸ]、更に遡れば
>[p] であったのではないかとされる(奈良時代まで [p]、
>平安時代から [ɸ] とする説もある[4])。
>ただし,上に挙げたMiyake(2003)などでは[Φ]説が否定されている。
鹿の鳴き声はヒーでもなければフィーでもなくピーであり
卑弥呼の時代から現代まで鹿の鳴き声が変化した可能性は非常に低い。
現代支那語各方言でも「比」という漢字の発音の頭子音はすべてpである。
「卑」の発音は
春秋戦国時代にはpe
10世紀の支那ではpie、IPA示すとpjɛ/pje
趙匡胤が打ち立てた北宋中期の江南支那語の面影を残す
粤語=広東語はpeiペイー(eが短くiが長い)という発音。
14世紀蒙古帝国時代の「大都」ペルシャ語で「ダーイドゥー」( دايدو Dāydū )
=今の北京、の言葉で元曲という宝塚歌劇のような音楽劇の
唄の作詞で韻を踏む時に参考にする「中原音韻」という発音字書には
「卑」をpuiプイーと発音すると書いてある。
>>498
いずれにしても卑弥呼の「卑」のイニシャルはp系統の発音だ。