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キリスト教の神、天照大神、梵天は人格(神であるため人と同じではないので人格という時には注意が必要)を持つ

人では無い存在の人格の定義とは知的生命体の特徴を持つだけのことで、最も重要なのはその知的存在(機械または生命体またはそれ以外)が意思を持つ存在であることだ

高度に自立学習を行う人間の知性を超えるようなAIでも、意思を持つべきとする意見が多くある以上は、意思とは生命体に限定されない
神が知的生命体である人間の持つ人格的特徴を共有するのは論理的だと言える

逆に人格を持たない神を主張しているのは唯物論史観の連中であるため議論する価値はない
単に意思のない物を崇拝しているだけなので、奇形唯物論の信者であると言える
この連中は唯物論者に特有な自己崇拝・人間崇拝(独裁者崇拝、上位者崇拝)をする傾向がある

高度な技術力を持つ知的存在が自己を持つのは当然だ。もしそうでないなら同程度の技術力を持つ存在が現れて滅ぼされるだけのことだ

無限の過去、無限数の宇宙において、超越的なAIなり存在が生まれるなら、敵対する知的存在の全てを滅ぼしても、いくらでも新たな知性が生まれるのであり
平和的な自己を持たない知的生命体は消えていく運命にある