>>531
あくまでも、個人的な意見だが、
238年までの畿内の鏡は、公孫氏を
通して、後漢、魏から入手してたんでないかな。238年に公孫氏が、滅亡し、
そのルートが、整備され、魏からしたら、
公孫氏に近いのは、どの豪族かを
判断し、念のため、一大率などを
置いた。公孫氏と近い勢力は、
九州にも畿内にもいたとおもうが、
10万近い勢力で、公孫氏を滅ぼす時には、
魏を助けた豪族もいると思う。

238年以降の魏の鏡も調べて、
そのルートもみてみたい。


帯方郡設置されたあとは、呉からの
神獣魏ルートは、九州南部や、
邪馬台国に反する狗奴国などを
経由しながら、まだあったんでないかな。

神獣鏡は、会稽か鄂州ではやった
江南地域の鏡やと思うから、
九州が1番近い利点あり、拠点もあるかと。