当時の製鏡は、
プロセス化されていたよね。
1人で、全部つくれたわけではない。
一般的には、型どりの粘土からつくる
型取する者と鋳造する者。
モデル、型取りするものは、鋳造には、
参加しない。型取りの表、裏をつくり、
乾かし、焼いて陶器にしたあと、
鋳造するものが、そこから参加する。

铭文带のなかの、名前は、大部分は、
鋳造する匠の名前が掘られている。
鋳造の匠は、デザインできる彫刻の能力は
あわせもたない。
理論上は、そう言われていたが、
《鄂州铜镜》の「太平三年対置式神兽鏡」
の銘文に、
太平三年,造作明鏡、
服者万年,师大朱仁李氏□□□□王孙朔,
十三日□者师朱武世造三湅明鏡
と書いている。
で、この「朔」は、モデルをいみする
「塑形」の略字だね。

大朱仁李氏が、モデルを作り、
朱武世が、鋳造したんやね。