【邪馬台国畿内説が最有力に】〈動画あり〉卑弥呼の時代?纒向遺跡出土の桃の種 西暦135〜230年のものと判明 奈良・桜井市★3
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒(まき)向(むく)遺跡で見つかった桃の種について、放射性炭素(C14)年代測定法で調査したところ、おおむね西暦135〜230年に収まることが分かり、市纒向学研究センターが最新の研究紀要で報告した。女王・卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)が邪馬台国をおさめたとされる年代と重なり、「畿内説」を補強する研究成果といえそうだ。
同遺跡では平成22年、中心部にある大型建物跡の南側にあった穴から、2千個以上の桃の種が土器とともに出土。名古屋大の中村俊夫名誉教授がこのうち15個を放射性炭素年代測定法で調査したところ、測定できなかった3個をのぞき、西暦135〜230年のものであることが分かった。徳島県埋蔵文化財センターの近藤玲研究員による測定でも、ほぼ同様の結果が出たという。
纒向遺跡は初期ヤマト政権の首都で、魏(ぎ)志(し)倭人伝に登場する邪馬台国の有力候補地。桜井市北部にあり、広さは東西約2キロ、南北約1・5キロに及ぶ。昭和40年代からの発掘調査で、卑弥呼の宮殿跡とも考えられる3世紀前半の大型建物跡や最古級の古墳、運河跡のほか、東海地方や吉(き)備(び)(岡山県)、出雲(島根県)など全国各地の土器が確認され、当時の中心地だったことが明らかになっている。
また、遺跡内の古墳から出土した土器付着物についても、放射性炭素年代測定法による調査で西暦100〜200年との分析結果が出ているという。
同市纒向学研究センターの寺沢薫所長(考古学)は「複数の機関による調査で同様の結果が出たことは重要な成果だ。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の時代と一致しており、これまでの調査成果とも合致する」と話す。
一方、「九州説」を唱える高島忠平・佐賀女子短期大学名誉教授(考古学)は「遺跡の年代を示す複数の資料がないと確実性が高いとはいえず、桃の種だけでは参考にしかならない。もし年代が正しいと仮定しても、卑弥呼とのつながりを示す根拠にはならず、邪馬台国論争とは別の話」と反論している。
〈纒向遺跡〉奈良県桜井市の三輪山西部に広がる東西約2キロ、南北約1・5キロの巨大集落跡。弥生時代末期に出現し、古墳時代前期に姿を消した。邪馬台国の有力候補地で、大和王権発祥の地とされる。卑弥呼の墓との説がある箸(はし)墓(はか)古墳など最古級の前方後円墳6基が集中。3世紀前半の大型建物跡、物資輸送用の運河が見つかっており、インフラが整備された都市だったと考えられている。また、関東から九州で作られた土器も出土。全国から人が集まってきたことを裏付けている。
https://www.sankei.com/images/news/180514/wst1805140063-p1.jpg
■動画
https://youtu.be/ZTYsOcOxnDg
産経ニュース
https://www.sankei.com/west/news/180514/wst1805140063-n3.html
★1が立った日時2018/08/04(土) 14:33:56.88
前スレhttps://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1534984691/ そもそもなにをもって連合としたのだろう
弥生末期の時代背景として宗教的統一は二次的なものだと思うんだよな
まずは現実的取り決めがあったのだと思う
各国それぞれの産物に地域色が強く、隣国の範囲がはっきりしているので領土争いではなく通商の取り決めや国を通過する際の手形確保などがあったはず
地図も文字もない時代、移動する人々にとって同盟国を確認する手段として確認しやすい特定の神殿などの建築物や目視しやすい大きな古墳が発達したというのが自然な考え方だろう
もっと時代が進むと、文字の出現でそれを確認する手段が陳腐化するから廃れたのだろうな >>826
九州説の人が風俗や植生を言うのが不思議でしょうがない
畿内説は関東から九州までが女王国の勢力
九州説は熊本を除く九州が女王国の勢力
だから仮に九州のことだけが書かれていても、畿内説は問題ないの
逆に熊本を除く九州にないものが書かれていたら九州説は破綻
圧倒的に九州説に不利な部分
あえて言うなら「あるもの」ではなく「ないもの」でつっこむべき
例えば、牛馬がいないとあるけど、いたよねとか
手づかみで食べるとあるけど、箸使ってるよねとか(なんせ箸墓だし)
それと、風俗に関しては「ただの感想」だよね。九州っぽい!っていう
畿内がそうでなかったいう証拠はないよね。そうでなかっても畿内説的には問題ないけどね >>837
>中期中葉ですね。
恥の上塗りは止めたらどうだ?
佐々木論文の表題は「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」
弥生中期中葉は古墳出現前後じゃないってのも分からずに与太を飛ばすのは
本当にみっともないし邪魔なだけ >>837
>え,またあれを見せてくれるんですか?
後漢書から新唐書の範囲の大陸正史で川に水行が使われているのは、
ガンジス川とソンホン川だけで、後は全例海の水行
三国志には川の水行はない
三国志以前の正史、史記と漢書では、水行と陸行は地理旅程記事では使われていない
どうごまかしても、御笠川を水行するというのは、三国志の読み方としてあり得ない 磁石羅針盤は、もうすでにギリシャ文明に精巧なものがあった。
その後5世紀近く過ぎた中国に磁石羅針盤が無かったはずがない。
魏志倭人伝に邪馬台国のあった方角は南だ
フィリピンでいいのでないの。
卑弥呼の以前の時代に、ヤマトは九州征伐を終えている。
卑弥呼の時代だったら、ヤマトが三韓征伐を行っているときだ。
畿内説もあり得ない、九州説もあり得ない。
日本列島ではないよ、
邪馬台国・卑弥呼 が、歴史と認識されず、架空の謎の王国で
あり続けるわけだ まあ西洋で言ったら、空中都市バビロンの
バベルの塔のようなものね 孫権が陸遜の反対にもかかわらず、
衛温・諸葛直に1万人あげて、
夷州と亶州の捜査を行わせた。
結果疫病もらい、散々。
[沖縄?種子島?と台湾]
その後、孫権は遼東の公孫淵に
使者を送って、魏をうとうとして、失敗。
孫権は229年初代皇帝に即位した。
即位の翌年、孫権は、
遠征失敗の衛温・諸葛直を処刑した。
233年3月、公孫淵の内通をもとに、
張彌・許晏・賀達らに
九錫の礼物と兵1万を動員。
公孫淵は孫権が派遣した使者を斬り、
恩賞を奪い、魏に寝返ってしまった。
孫権は自ら公孫淵征伐を行おうとしたが、思いとどまった。
その後、公孫淵が魏に対して挙兵し、
孫権に援軍を求めると、
援軍として孫怡を派遣し、
魏の張持を破るも、
公孫淵は魏に討たれた。
九州にくるぐらい、余裕やな。
狗奴國にきたかもね。 >>852
>だから仮に九州のことだけが書かれていても、畿内説は問題ないの
逆に熊本を除く九州にないものが書かれていたら九州説は破綻
そうでなかっても畿内説的には問題ないけどね
「仮に」ではなく「北部九州」だけで魏志倭人伝の記述の風俗も植生も生産品も説明がつきます。
一方,畿内説では「九州から畿内まで」1ヶ月以上かけて旅行しているのに,北部九州で説明がつく内容であり,以前挙げられた名だたる国々があるはずなのにその記述すら全くない有様です。
当時の畿内ではほぼ手に入らなかった「絹」も「北部九州で手に入るから畿内説でOK」ですか。
それとも「文字数が足りない」から「畿内の記述は省いたんだ」ですか。
どこに説得力があるのか私には理解できません
畿内説は「まぼろしでしかないもの」を「ある」と信じているとしか思えません。 >>856
>弥生中期中葉は古墳出現前後じゃないってのも分からずに
いやここは「古墳時代前後」ではなく「倭国大乱(後)」のことですが。 植生?奈良に生姜ってあったっけ?
倭国の風土紹介で海の話がやたら出てくるが奈良までの道中に該当する場所が見られない。
漢に朝貢してた奴国が畿内の支配下にあったというなら畿内にその時代の痕跡があるはずだが?
それと畿内説信者に以下についてはすでに指摘したが言い訳もせずガン無視だったよ。
>例えば、牛馬がいないとあるけど、いたよねとか
>手づかみで食べるとあるけど、箸使ってるよねとか(なんせ箸墓だし)
箸は意味が違うとか言ってたっけ?
畿内説は古墳時代の痕跡を無理やり弥生時代の邪馬台国に関連付けようと必死なんだろうよ。 >>852
九州説の人は魏志倭人伝を邪馬台国旅行記だと思ってるらしいね
倭人一般・倭国一般の風習風土を邪馬台国固有のものと勝手に解釈してる
イメージと現実が違う例として、入れ墨の風習がある
南方っぽいとイメージする人多いけど、物証から言えるのは入れ墨が多かった地域は吉備と尾張だし、九州には確かな物証がない
倭国の範囲を九州だけにしてしまうと九州説に不利になるのが、「其山 丹有」の記述
倭国で産出するものとして翡翠・真珠とあって、次に「其山 丹有」だからベンガラでないのは明らか
九州説の人は自分たちに有利と思ってるみたいだけど、実際は不利なんだよな >>744 >>771 >>827 >>833 >>834
天武天皇は筑紫出身じゃなかったっけ?
日本書紀の言い出しっぺも天武天皇
道教に造詣が深いのも天武天皇
やっぱ奈良は筑紫勢力に乗っ取られたんじゃ? >>856
>呉が衛温・諸葛直に夷州と亶州の捜査を行わせた
私はこの呉の行動が「魏に倭国と結ぶことを考えさせた」原因の一つではないかと考えています。
敵がそうしたことを知った魏は当然手をこまねいてはいられませんから。
呉は今回は失敗したかもしれないが何度も試みてついには成功するかもしれないと思えば
呉の背後にあるはずの倭国に対し積極的に接近するでしょう。 >>758
佐原はどうやってシェア調べたんだ
文盲の考古学者が何人集まっても児戯の類だが >>759
つべこべ言ってないで教科書の該当箇所を加工しないでそのまま引用すればよろしいかと >>772
それ最初のスレ833で否定されてたぞ
「箸墓古墳の墳丘は…前方後円形として一体的に計画、築造されたもの…」
奈良県立橿原考古学研究所『奈良県文化財調査報告書第89集・箸墓古墳周辺の調査』
これ書いたの確か寺澤薫だったような >>860
地域関係なく漁師は刺青を入れる風習があった。
真珠は長崎でとれるし翡翠は溶岩に混じって出てくるものだから火山のある地域(阿蘇とか)。
長崎〜佐賀に水銀鉱床もある。
すべて九州で間に合うな。 >>759
魏志倭人伝邪馬台国のような、シャーマニズムがヤマトであるはずがない、
系統がかなり異なっている
教科書に、朝鮮臭いことをどうして記述させてるの 新作のトゥームレイダーは卑弥呼の墓をあばきにいくはなしだよ 土人くさい教科書が、人生の最初の勉学のころから
愛国心を完全に消失してしまうもとだよな >>867
言い張るだけではダメで客観的に証明しないと >>860
吉備の例はともかく入れ墨は本来,海人の多くが判別のために入れていたということです。
つまり腐乱死体やサメに大部分を食われたときもはや誰だか判別つきませんが,入れ墨のパターンが読み取れれば「それが誰だか分かるから」です。
また北部九州付近の海人「安曇」氏で有名な「安曇目」も入れ墨です。
「其山 丹有」の「其山」を「すぐそこにある山には」と思ってるようですが,
あらかじめその山の名前や記述は一切ありませんから,これは「倭国の山には」という意味ですね。
あと弥生時代に(自然に流れ出し溜まっている丹を)見つけたのと古墳時代に本格的に掘削したのを同列に扱っているようですが
九州に丹がないどころか九州北部の西は長崎側,東は大分側に水銀鉱床が確かに存在します。 フランスだったら、「フランス革命の人権宣言はすべての
フランス国民とともにある」 から始まるからな
わけのわからない、ヘビ崇拝のような 太古の野蛮人から
始まる国て、 現在発売中の文藝春秋で保立道久氏、寺沢薫氏、倉本一宏氏が邪馬台国について対談していた
冒頭、司会役の保立氏が歴史学界ではもう結論が出そうな雰囲気になってると発言している
意外に早く決着させるかもしれない >>848
【スレ注意事項】
診察してもらわなきゃいけない畿内説の奴が一匹と
病膏肓に入った奴が一匹いるからそこはアボンして すくなくとも、日本に教養があった以前の時代なら、
聖徳太子が1万円札だった
聖徳太子というのは、古墳時代の人で、
仏教の仏門に献身した人物だ >>875
ホタテはキティ共産脳でデマカセ嘘ばっかり言ってるから読むとアタマがドタマになるぞ >>875
邪馬台国の卑弥呼の時代は、ヤマトが三韓征伐を行っている時代、
したがって最初からまったく一致していない
考古学的な出土、とかの以前のことだから そもそもが謎の王国だ
異世界の低知能が、増加してるな 最近の日本て >>872
それが1800年前からあった風習なのかってことを証明しないと
安曇氏は何年前まで遡れるかってことも重要
丹については九州は状況証拠が弱い
九州の王墓で使われた水銀朱の成分は大陸産だったから九州内で採掘できなかったことを示唆している >>880
>それが1800年前からあった風習なのかってことを証明しないと
その努力はするとして,何一つ邪馬台国との関連を証明できない畿内説派には言われたくないですね。
(後に天皇やその臣となる)畿内や吉備の,要するに「他人の遺跡」を
根拠もなく勝手に「邪馬台国の遺跡」だと言い張る人々は
日本人として許しがたいものがあります。 >>881
学問を否定して、というか理解するつもりもないかもしれないが、ひたすら中傷してるだけ >>857
>当時の畿内ではほぼ手に入らなかった「絹」も
>「北部九州で手に入るから畿内説でOK」ですか
OKです
東夷伝「倭人」条です。「邪馬台国」条ではありません >>883
低知能のヤカラ、朝鮮人は帰ってくれ 迷惑だ >>882
低知能のヤカラ、朝鮮人は帰ってくれ 迷惑だ >>884
オマエ、半島の土人だろ 何やってるんだ、 迷惑だから帰れ >>883
>「北部九州で手に入るから畿内説でOK」ですか
OKです
「北部九州説」なら「OK」ですが,「畿内説」では明らかに「説明不足」と判定すべき状況ですね。 >>869
映画は観た
日本の南海上の島にある設定 畿内説は何か邪馬台国に関連しそうな発掘しろ
今のところ畿内説の論拠は無理やり時代合わせた土器と桃種と花粉
倭人伝は内容が間違っているからスタート
結論は九州から関東まで巨大邪馬台国
恥ずかしくならないのか?
【祝】台風21号 日本直撃ニダ〜!【祝】
台風21号で、日本人がいっぱい死ぬといいニダ〜!
<ヽ`∀´>〜♪ 韓国では国を挙げて
【日本の地震・豪雨・猛暑・台風をお祝います】ニダ〜!
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/aa/3cd4ff77cd2a2f91403cb2da7d7c7336.jpg
<ヽ`∀´>「日本人がいっぱい死ぬとうれしいニダ〜!」
<ヽ`∀´>「今日もお酒が美味しいニダ! ほるほる〜♪」
<ヽ`∀´>「日本人の不幸だけが生き甲斐ニダ〜!」
<ヽ`∀´>「もっともっと死ねばいいニダ〜!」
<ヽ`∀´>「日本人は永久に謝罪と賠償をするニダ〜!」
>>832
>「支」一字の説明を無理やり一般法則に拡張
台灣閩南語で「世界」はse kai、国家はkok ka、婦人はhu jin、万葉集では夫人をbu ninと読んでいる。
王力著「漢語史稿」が支那語の発音の歴史的変遷を詳しく論じている。
古代の畳韻語、双声語なども解説している。日本語訳は出版されてない模様。
部分的な翻訳はネット検索すればヒットする。
代わりと云ってはなんだが日本中国語学会編光生館「中国語学新辞典」にも中国語史の概要が
上古音、中古音、近世音などの項目で記述されているし「切韻」、「広韻」、「中原音韻」などの韻書関係で説明してる。
中国語漢字の音読みの清濁の区別は奈良朝時代の万葉仮名で意識されているが
平安時代の「倭名類聚抄」は漢語音読みを現代では散逸してしまった
8世紀前半の「唐韻」の反切に基づいて示し、それに対応する和語=訓読みを万葉仮名で示している。
和名抄の万葉仮名は支那唐代後半に濁音から清音化した影響を受けながらそれでも
一部奈良時代と共通する漢字の音読みを残している。
宋代にまとめられた三十六字母に基づいて隋唐漢字音の頭子音の清濁を決定している。
概要は日本語ウィキペディアの「三十六字母」で把握することが出来る。
これを具体的に手軽に調べることが出来るのは三省堂の「全訳漢辞海」という漢和辞典。
「全訳漢辞海」は
安本美典「卑弥呼は日本語を話したか
倭人語を万葉仮名で解読する」PHP研究所1991年2月初版第1刷
これは万葉仮名の音読みで倭人語を読み解くことに着眼したことは評価できる。
しかし「好古都国」を解読する、「倭人語」に「h音」はあったかの段で
「好古都」を「岡田」にこじつけるのは賛成しかねる。
安本が参考文献として上げている
大森志郎著「魏志倭人伝の研究」で倭人語を万葉仮名の読み方で読もうと試みている。
森博達
閩南語漢字音は早稲田大学で教鞭を執ったことのある王育徳氏の考案したローマ字綴りが
以前ネット上でも閲覧することが出来たが・・・
現在は台湾教育部のオンライン「台灣閩南語常用詞辭典」が利用可能。
http://twblg.dict.edu.tw/holodict_new/default.jsp
広東語漢字音はオンライン「粤音韻彙」で検索、発音の音声ファイルがある。
A Chinese Syllabary Pronounced according to the Dialect of Canton
https://humanum.arts.cuhk.edu.hk/Lexis/Canton/ すまねぇ
纏向にある種が邪馬台国の頃のものだと
どうして邪馬台国畿内説が有力になるか分からないな
纏向遺跡が邪馬台国の頃のものだというだけでは
卑弥呼と結びつきがあるかどうか解らんだろ? >>896
このスレ読んでる者だが、桃が決定的証拠というわけではなく、近畿説に肉付けを行う発見て感じ
@ 桃は神仙思想で重要な果物で、儀式的に用いられた→卑弥呼も宮殿に籠って儀式してたろうから、その桃が宮殿跡から出たということは、儀式宮殿→卑弥呼の宮殿確率アップ
A 近畿説ではモモソヒメが卑弥呼に比定されることがある(卑弥呼の墓に比定されている箸墓古墳も伝モモソヒメの墓)が、モモソヒメ→「モモ」→桃→キタコレ
しかも弟の吉備津彦は桃太郎のこととも云われ、桃繋がり→吉備も桃がたくさん出た→吉備の円筒埴輪→ピーン
卑弥呼にも弟がいたよね
B 正確な年代測定が可能なものが出土した意味
木材は古いものを再利用したとか言われてしまう可能性があるが、桃はなったその年の内に供えてしまうから、遺跡の年代と同一と言い張れる >>855
>その後5世紀近く過ぎた中国に磁石羅針盤が無かったはずがない。
この手の「はずがない」には意味がないんだよ
ちゃんと検証して、論証しないと
磁化した鉄片を木に付けて水に浮かべることで南北を指す指南魚は、
大陸史書にも見えるけれども、おもちゃの域を出ず揺れる船の上では
とうてい役に立つものではない
羅針盤という言葉の初見は11世紀で、それ以前にどこまで実用的な
羅針盤があったかは疑問 >>897
すごく解りやすく第三者的視点乙
ここに書かれてること以外は雑談と思って宜しい >>857
>魏志倭人伝の記述の風俗も植生も生産品も説明がつきます。
nn氏はごまかしてるけど、其山有丹で九州説は即死 >>858
>いやここは「古墳時代前後」ではなく「倭国大乱(後)」のことですが。
弥生中期は、中期(紀元前2世紀〜紀元1世紀)だ
土器形式でいえばU期からW期が弥生中期
中期中葉といえば弥生式土器V期にあたる
倭国大乱は2世紀末で、がっつり弥生後期に入ってる
ウソを認めないために嘘をついて、恥の上塗りをするのは止めろって何度言わせるんだ?
nn氏は典型的な九州説だな >>867
>翡翠は溶岩に混じって出てくるものだから
それ、大間違い
よそで話したら大恥かくよ
まあ、ここの書き込みでも恥ずかしいのは変わらないけどw
硬玉の翡翠は、日本では糸魚川周辺でしか採れない
糸魚川の産地が知られていなかった頃は、縄文時代の翡翠は
ミャンマー産ではないかということまで真剣に検討されていたくらい、
玉にできるほど大きな翡翠が採れるところは世界的にも珍しい >>872
>あらかじめその山の名前や記述は一切ありませんから,これは「倭国の山には」という意味ですね。
でも、九州限定の倭国にしてしまうと、弥生時代に存在を知られていた丹山はないんだ
>九州に丹がないどころか九州北部の西は長崎側,東は大分側に水銀鉱床が確かに存在します。
だからそれ、弥生時代には見つかってないんだってばさ
存在しても知られてなきゃ書かれるはずがないだろ しばらく畿内の根拠無き否定説が続きます。
彼の日課ですので生暖かくスルーしてください。 >>九州限定の倭国にしてしまうと、弥生時代に存在を知られていた丹山はないんだ
根拠は? なんで人格否定するの。
年代測定から歴史を類推するしかないだろう。 >>906
>水銀ときめつけている根拠は?
ベンガラ(丹土)だと、どこでも採れるから国の産物として特記される理由がない
>>860に
「倭国で産出するものとして翡翠・真珠とあって、次に「其山 丹有」だからベンガラでないのは明らか 」
と書かれているとおり
大陸では、丹・水銀朱が仙薬という思想があり、重視されており
丹といえば水銀朱、辰砂を指す
後漢書が「出白珠、青玉。其山有丹土。氣溫腝」とあるから丹土が正しいという人もいるが、
漢籍電子文献資料庫では、
漢籍按:「其山有丹土。氣溫腝」疑為「其山有丹。土氣溫腝」之誤。
という夾註がついてるよ >>909
>年代測定から歴史を類推するしかないだろう。
その年代測定を、自説に都合が悪いからといって、見ない聞かない信じない、って
している連中とは話ができないんだよ >>908
>根拠は?
自分で調べて、「弥生時代に九州では丹の鉱山が知られていなかった」を否定してみてね!
あると言っている方が、挙証責任を担うんだよ
さあ、がんばれ!
ないっていうのは教えてあげてるから、こちらはとっても親切なんだけど、
それが信じられないなら、自分で調べるしかないわな
さあ、がんばれ!ww >>909
> 年代測定から歴史を類推するしかないだろう。
>>1 > おおむね西暦135〜230年に収まる > 西暦100〜200年
100年もサバよめるじゃん
文盲の考古学者は100年単位でワープ可能とみた >>910
ありがとう!其山有丹 にしても、
丹というものを山の形容で使っているな。
色々な古文を見ていて、
丹の意味がいくつかあり、水銀と書く場合と
赤石と書くいみがあるんよね。
その判断は、文体からくるやろと
考察しているんよね。 そんな気になること?どっちでもいいじゃん
福岡なら強い地方豪族、奈良なら大和政権に繋がる勢力があったってだけなんじゃないの? >>913
言葉狩りをする気もないし、ポリコレも嫌いだけれど、
えらそうなことを書くなら、「非識字者」を使いな
かなり、学歴が低そうに見えるぞ >>912
結局根拠ない訳ね
示せないからお前が探せかw >>1 > 放射性炭素(C14)年代測定法
悪用し放題
こんな研究(詐欺)は税金の無駄遣い(泥棒) 九州説は年代を推定できるものは何も認めたくないらしい
土器編年 → 認めない
C14年代測定 → 認めない
鏡の編年 → 認めない
鏡に入った年号 → 認めない 放射性炭素(C14)年代測定法 + 桃の種で邪馬台国はここだなんて週刊実話レベル >>915
畿内説派がそれじゃ納得いかず大和政権はもともと列島を支配していたと言い出すから話がこじれてるわけ。
邪馬台国より古い出雲国とかどうなるのかとw 百歩譲って箸墓の嘘やこじつけを認めたとしても
状況証拠から平原1号のほうが相応しいんだよ >>925
卑弥呼が道教に似た信仰していたら
支那人なら「卑弥呼。道教につかえ、能く衆を惑わす」と書くはず 炭素14測定と年輪年代法は、一見科学的に見えて実に泥臭いように思える。 丹はwikiでは硫化水銀Hgsとしてる
万葉集巻7-1376
山跡之 宇陀乃真赤土 左丹著者 曽許裳香人之 吾乎言将成(詠み人知らず)
大和の 宇陀の真埴(まはに)の さ丹(に)つかば そこもか人の わをことなさむ
大和の宇陀の真埴で 顔に紅化粧をしたら
そのことで世間の人は わたしをなんと噂にするでしょうか
あの人が振り向いてくれさえすれば
別の解釈
「大和のね 宇陀が産地の赤土がね 付いたようにね顔を赤くしたらね
そんなことでもね 俺のことをね あれこれいうよ 困ったもんだ」
(上野誠[奈良大学教授]の訳)
万葉歌碑
http://www.city.uda.nara.jp/udakikimanyou/manyoukahi/kahi14.html >>923
>状況証拠から平原1号のほうが相応しいんだよ
どこが?
具体的に、項目を挙げてみて
ふさわしくないのは
1.魏鏡はおろか新しい後漢鏡すら1枚も副葬されていない
2.墳丘に土壙墓を掘られている
3.径十歩に満たない
これだけで、卑弥呼の墓も倭王の墓もないだろ? >>922
と言うことは
>>九州限定の倭国にしてしまうと、弥生時代に存在を知られていた丹山はないんだ
は証明できないって事なのね
証明できないのに無いと言いきっている方が馬鹿じゃんw >>919
鏡に入った年号を認めたくないからアクロバティックなストーリー作ってしまうもんな
100年後に大昔の年号を入れた鏡を作って配ったとか小学生でも言わない言い訳ストーリー
普通は中国から年号の入った鏡を輸入したか、日本でコピーを作ったか、鏡製作技術を学んで日本で作ったかのどれかだろう
いずれにしてもリアルタイムで行われたこと >>931
ごめんなさい。
「泥臭い」は間違った使い方だった。
「胡散臭い」が正しいかな? >>926
道教とは違う神道だから鬼道って書いたんだよ >>932
>証明できないのに無いと言いきっている方が馬鹿じゃんw
ヒント 市毛 勲 でググってみ
「ある」のは、もっと証明できないよ >>934
無理するなww
三日月湖年縞のデータを使った較正曲線が使えるようになれば、
年輪年代法に対する文句も通用しなくなる
基礎科学は泥臭く、少しずつ信頼度を高めていっているから、
九州説みたいに根拠なく文句だけ垂れ流すのとは違って、きちんと進んでるよ 1号墓
大型内行花文鏡 5面(または4面) 別称「内行花文八葉鏡」[3]、日本製、直径46.5センチメートルの超大型内行花文鏡。
内行花文鏡 2面
方格規矩鏡 32面
四螭文鏡 1面
メノウ製管玉12、ガラス製勾玉3、ガラス丸玉 約500、ガラス小玉 約500、ガラス管玉 約30、ガラス連玉 約900
耳璫 3破片
素環頭大刀 1 >>937
無理するな
もっと信頼度高まってから流してくれ
まだ詐欺レベルだぞ >>939
>まだ詐欺レベルだぞ
そう思いたいのは九州説だけ
複数の研究機関でクロスチェックができる状態だし、
民間で測定してくれるところもあるから陰謀論も通用しない
無理するなww
というか、九州説のいちゃもんは、もう無理なレベルなんだよ 畿内説信者というより九州無理教というガイキチ教団みたいだなw >>941
どんなにクロスチェックしたところで信頼度は変わらない
1世紀100年幅では話しにならないし
そもそも桃の種じゃな
あと考古学者は国漢力つけないと
文盲じゃ歴史学者にバカ土方扱いされるだけだ >>937
科学と言うからには信頼度をあげていかないとね。
九州説の人に突っ込まれないためには有無を言わせない、皆んなが受け入れざるを得ないようなデータが必要です。
あと、贔屓の引き倒し的な論調の畿内説論者の主張も逆に足を引っ張っているから困りもの。 少なくとも今回の検査で纒向が4世紀とかいうトンデモ説は否定されたわけだ
もしJCalを当てはめると、4世紀初頭となる可能性がほんのわずかだがあると出たが
今回は布留期の試料も検査されていてそっちと被ってしまうから否定できる
今まで九州説側が土器編年で纒向を4世紀としていたけど、それは畿内と九州で時空の歪みが生じてるというトンデモ編年が前提だった
トンデモ編年はやっぱりデタラメだったということがあらためて証明された >>938
すげー豪華だな。
箸墓で見つかった馬具とかの年代測定は何故やらないんだろう?
纒向も桃の種とか、そこかよって物しか年代測定しないのは何故? >>943
こういう、論理的思考のできないやつが文句をたれるから面倒くさい
14C年代の較正曲線の形を見て、確認した上で文句を言ってるのか?
過去の地球気象の影響で、較正曲線が単調減少にならず、上下に波打つから
ある領域では、推定年代幅が広がるのは原理的に仕方がない
でも、その前後の比較的綺麗に較正曲線が傾いている領域では、推定年代幅は
狭くなる
いろんな試料を使って、考古学的な順序を確認した上で、上限と下限を
押さえていけば信頼のできる年代推定ができる
>どんなにクロスチェックしたところで信頼度は変わらない
例えば、信頼度60パーセントの推定があったとして、独立した2件の推定が
一致すれば、1−(0.4×0.4)=0.84 と信頼度を高めることになるんだよ
クロスチェックとはそういう意味
文○とかいう言葉を使って、非識字者といえない人間は、知的レベルが低いと
判断してるよ >>946
>纒向も桃の種とか、そこかよって物しか年代測定しないのは何故?
他にも測定してるんだけれど、土器付着炭素だと、心材の効果がどうとか、
材木だと切り倒してからの年数がどうとか言う人がいるから、
その年に固定された炭素で成長した部分で、貯蔵することなく収穫後すぐに
祭祀に使われたことが確実な桃の種を使ってるんだよ
その桃が使われた年の炭素であることが保証されるからね
そして、これは祭祀土坑からの出土物で、同じ土坑から出た土器の年代として
直接比定ができる
土器編年は既に練り上げられているので、そこに絶対年代の定点を求められれば、
それで編年の理解がしやすくなる
そういう理由で、桃の種なんだよ >>938
1号墓の大柱と、5号墓の大柱と、吉野ヶ里北墳丘墓の立柱の関係を調べてごらん
面白いよ 畿内説を信じれば
弥生末に
九州に超有力な女性の被葬者がいて
畿内に地味な卑弥呼がいたことになる
不思議だなあw 何で奈良なんだろうという素朴な疑問。古代の奈良の発展する余地って何だったんだろう。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。