【歴史】国宝「金印」は本物? 偽造論争再燃、つまみの改変説も
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志賀島(しかのしま、福岡市)から見つかった国宝「金印」。はるか2千年ほど前、弥生時代の日本と中国の国際交流を裏付ける物証として有名だ。
ところがこの金印、後世のニセモノでは、との声が後を絶たず、今も真贋(しんがん)論争が続行中なのだ。
まばゆく光る金印は印面2センチ余り四方で、手のひらにすっぽり収まる小ささ。
ヘビを模した鈕(ちゅう、つまみ)を持ち、「漢委奴国王」の5文字が刻まれる。
江戸時代に志賀島で水田の溝の修理中に出土したとされ、福岡藩の碩学(せきがく)、亀井南冥(なんめい)が中国の古印だと断じて以来、
これこそ『後漢書』が、建武中元2(紀元57)年にやって来た「倭奴国」の使いに皇帝が与えたと記録する金印だ、との見方が定着。
中国出土の「広陵王璽(こうりょうおうじ)」印との類似が説かれ、
国宝金印と同じヘビのつまみの「滇王之印(てんおうのいん)」が中国で見つかるに及んで、
当時倭(わ)と呼ばれた日本の、福岡平野あたりにあったとされる奴国の王が入手した実物に違いない、との見解が定説となった。
世界の中心を自負した古代中国は、周辺諸勢力に主従関係を結ぶ証しとして印章を与えた。
ラクダやヘビなど動物をかたどったつまみの形は、各勢力や民族が住む風土を表すともいう。
金印のヘビも温暖湿潤な日本列島にふさわしいというわけだ。
■はっきりしない出土状況
ところがこの金印、謎が多い。通説の「漢の委(倭)の奴国」との読み方さえ、
「奴国」でなく「委奴国」と続けるべきで別のクニだとの異論がある。
続きはソースで
朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASK9Q55KYK9QTLZU001.html >>153
なるほど、新しい筋書きが分かったよ。
wikiによるとこの時亀井南冥は自身の所属する甘棠館と修猷館の竹田定良と対立があったみたいだから南冥の弟子が作らせたんではないかな?
金印の由来や分析結果も予め用意したうえで文字を彫り込む
弟子が行ったので少し手抜かりがあったけれど南冥はただ弟子の分析結果をそのまま発表したたけ
当然なんの用意もしていなかった定良側は分析結果もお粗末なものになり評判を貶す結果となった 古銭を無人島に埋めて 領土宣言する手法と同じパターンだと 言われてる 1700年以上たって見つかるとか、しかも畑の中とか、きっとなにか裏があるはず。 >>12
わたしもそう思ってたんだけど、現在確認できる印には他にそのような例がない
(わたしが知らないだけかもしれないけど) こないだ、京都国立博物館の国宝展で見たけど
めちゃめちゃ小さかった 中国は昔から死者の墓を暴く国民性だから、高貴な人の墓から盗掘された
金印などが普通に骨董屋に流れていた可能性はあるだろう。 >>157
あのね 考古学の発掘調査は 発掘て言うんだから須らくフィールドワークなんだよ
畑や野原や山をほじくり返して遺跡遺物取り出すんだよ
ま その調査始めるきっかけは 畑やっとったら ぽろぽろなんか出てきたてのが多い。
そりゃそうだろ 2000年前はそこに建物があったんだろうが そんなもん残るわけない。
すぐ野原や畑になってしまうんだから。
ハンコなんて小物は畑やったらぽろと出るけど、大物見つけるのはやっぱり何mか掘らんと
いかん。 兵馬俑とか大量の青銅器がある古墓とかは畑に井戸掘って見つけた。 当時のハンコって今と違って粘土に押し付けて使ってたものだぞ 亀井さんが鑑定書を書いてからすぐ京都などに経緯や写印が配られたから、入手経路はともかく二つの藩校のその後の評判、藩校の末路を見ればなんとなく解るんじゃないの? 中国の発掘考古学で一番出てほしい物は文字資料、甲骨文 青銅器の銘文 印章 墓誌 木竹簡など。
この金印は日本に関する最古の文字資料で最高に貴重な宝物と言える。
文字資料には何故こう書いたのか分からないことが時々あるが、この印が日本に持ち帰られた後に
書かれた漢書地理誌に印の委でなく倭と書かれたのは何故か、それ以後の三国志、後漢書など史書
は全て漢書に倣って倭であり、委は全くない。ま それでこの金印は後漢書を参照して作った贋作
ではなく光武帝の時の本物となるのだが、何故委なのかを考察するのは考古学上必要だ。
まず漢書の筆者は、金印が授けられた事は知っていただろうが、その印文は定かには知らなかった
のかも知れない。 次に文意は、委の奴国か委奴国なのか、これは昔の中国の史家にも分からない
らしい。 金印より50年後に書かれた説文解字では委は随うの意がある、では漢に随う奴国なのか?
最も簡単な言い方、単に人偏を省略しただけで殊更の意味はない。漢代の印だからそうかもしれない。 >>75
そうじゃなくて発音自体が変わってしまったのでは、
と言っているんだと思うよ?
そういう事例なら実際あるよ、秋葉原が良い例だね >>124
え?印鑑自体は中国から伝わったものだよ?
権利や権限を示すための重要な道具だよ 贋作を作る奴は、自分だけの目印として区別をする為に、
本物からちょっとだけどこかを変えるというよね。 >>166
各地の古い神社には古代文字で書かれた文書がたくさん残されてるらしいが、
今の定説ではそれらの文献はすべて後世の捏造で、日本で文字は生まれなかったことになってる。
これがもしも日本には漢字が入ってくる以前に独自の文字があって、
それで失われた4世紀や紀元前の記録が正しいということになったら、
日本の歴史はどのように変わるのだろうか。
古事記に「日本には文字はなかった」と書いている稗田阿礼自身が、
古事記を書くために各地から集めてきた古い神話を、古代文字で記録していたわけだし。
(古事記は、すべて稗田阿礼の暗記を元に書かれてるって説明されてるが、そりゃ無理だろ)
こういう古代文字を否定するのも、もしかしたら日本の自虐史観なのかな? 独自の文字が有ったのなら
むしろ、万葉仮名なんて不便なものが
使われてるはずないのだが…… 万葉仮名はその頃のシナ語を勉強して、日語に翻訳、漢文にルビをふる為に作った。
漢字もその頃は草書(章草と言う)があったから、簡単化して 以呂波をいろは とかに
した。 で歌を書きとるのに漢字なんかやっとれんからこの仮名で書いた。
簡単なことで何も不便なことないだろ だから、そんな古代文字とか言うのがあったとしたなら
漢文にルビをふるのに、それ使えばいいじゃん?
当時、日本語そのままを記述する手段すら無かったから
漢字で代用する万葉仮名を
使わざるをえなかたったんだろう…って話。
古代文字なんてのがあったなら
それこそ古墳の遺物に書かれて出てきそうな物だ。
http://udoyoshi.com/blog/wp-content/uploads/94a96fc22ce929726121e7f486fa6491.jpg
てか、シナ語ってなんだ? 中国語って言えばいいじゃん。
下の漫画の説明と違って、中国ってのは
王朝を超えて昔から使われてた呼び名だ。
http://i.imgur.com/dCm7L08.jpg
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm
>自古以來 其使詣中國
>その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
>以朱丹塗其身體 如中國用粉也
>赤い顔料をその体に塗るが、
>それは中国で粉おしろいを使うようなものである。
>其行來渡海詣中國
>その行来、渡海し中国に詣るに、
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/zuisyo/zuisyo_wa.htm
>魏時譯通中國三十餘國
>魏の時、通訳を介して中国と交流したのは三十余国で
>自魏至于齊梁代與中国相通
>魏から斉、梁代に至るまで中国と交流していた。
>有軍尼一百二十人猶中国牧宰
>軍尼(クニ)一百二十人があり、中国の牧宰(官名)のようである。 >>173
支那語は支那語だろ
むしろ中国なんて言葉は近代になって中華民国の略として使われ始めた言葉で
新聞がやたら国の方を中国とするおかげで中国地方が可哀想だわw >>173
中国には多くの少数民族語がある。中国は多民族国家である。
他民族国家では「スイス語」というのが存在し得ないように、「中国語」も存在し得ない。
だから、言語学者たちは正確を期するため日本では「支那語」、中国では「漢語」と呼んでいる。 >>174
真贋問題は野次馬にはお笑いだが、取り扱う当事者には深刻なこともある。
中国では贋作掴まされた上海博物館長がさんざんけなされて自殺した。
東京国立博物館でも収集家から寄贈された古銅印を展示したが、これも半分は贋作
と言われるもんだ。ま タダで寄贈だからとくに責任問題は無いけど、展示はその旨
注意書きをつけとかないかんな。博物館展示物は表示してレプリカでもいいから。
問題は骨董屋とかの売買だ。本物なら100万円、レプリカや贋作は千円てなことやから >>175
>むしろ中国なんて言葉は近代になって中華民国の略として使われ始めた言葉で
文字が読めないのかも知れんが
せめて、>>175で引用されてる古典部分も読めと。
古くからある用語だ。
そもそも、その理屈だと
中國=中華民国って意味で使ってるのか?
余計に妥当性が無い。
ちなみに、九州ってのも中国の呼名だし
京や東京の呼び名も、古く中国にあったものだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)
>>176
もう平成も終わるってのに
いつまで昭和初期のつもりだ?
>日本では昭和前半ごろまで主に支那語と呼ばれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E#言語名 そういえばねつ造くせえよなあ もっと調べてから発表しとけよ・・・ その金印は細石神社から流出した物だったりして
となると邪馬台国の正体は糸島市三雲になるな 邪馬台国の決着はやっぱり親魏倭王の金印を掘り出すことだ
この中国の金印みたいに
https://www.youtube.com/watch?v=P6MpA-L44Fs
江陵王璽は漢委の金印と全く同年代
後半の偏将軍は三国魏晋で邪馬台国の頃
しかし親魏倭王は出ない可能性が高い
奈良にある古墓は石舞台みたいにほとんど盗掘されとるように
親魏倭王も昔に拾われて金だから溶かされた可能性が高い 推測と想像がブッカリあってるな
証拠が出るまでは決着つかない 偽物とうかレプリカなんだろう?
ってかあの金印ってそんなに歴史的にも価値はないと思うけどね。 >>167
物滅→仏滅
共引→友引
どこかで聞き間違いがあり・・・ 当時、日本が支配していた中国と朝鮮の奴隷どもに与えるために作られたものだな。その証拠に送り主の名前が記されている。 江戸時代の農民の知的レベルは低くはなかった。
発見した農民も何か重要な物と判断して、届けたのだろう。 親魏倭王金印の行方
卑弥呼が死んで壱与が女王となった。その後中国では魏に替り晋となった。
晋書には壱与が晋に遣使したとあるから、その時慣例に倣って親魏倭王は返却し、
新たに親晋倭王を受けたと思われる。晋書にそんなことは書かれていないが。
返却した金印はどうなったか、晋も周辺民族に金印を乱発していたから、溶かされて
新しい印の材料になっただろう。
ということで、もし発掘されるならば親晋倭王になっているだろう。 「やまたい」とは、おそらく、
「やまもと」(意味:山のふもと)
の意味だったと思う。ではその「山」とは何か。
その地域で一番目立つ山だったはずだ。 俺は邪馬台国は当時の中国の漢字の読みから「ヤメ壱国」か「ヤメツ国」とする説を押したい
ヤマトではなくヤメ=八女、ようするに北九州説だな ここは奴国の金印の話なのに なんでヤマタイ話になるんだ 先史時代 神話の時代は歴史研究の話題が乏しい 邪馬台国はどこにあったか これ一つしかないから
ほかの話をしてもそこへ行ってしまうんだ。
中国でもそうで 甲骨文や青銅器玉器がぞろぞろ出る殷からは歴史が始まるが それ以前は 夏の都は
どこにあったか 遺跡が幾つかあるから移動しておったのか、 青銅器が最初に作られたのは何時どこで
あったか 話題はこの二点だけ。
>>1
>弥生時代の日本と中国の国際交流
その時代に「日本」も「中国」もないけど 30年以上前に読んだ小学校の黴臭い歴史漫画では
卑弥呼と弟がこの金印もらたー!ってキャッキャウフフしてる描写があったけど
これってデタラメだよな? 今NHKでこのことをやってたけど、
江戸時代に複製されたとしたら何の目的で?
あの漢倭奴国王ってのが当時から知られてたら偽造された事もあり得るけど
インテリが中国の古代の書物に載ってるのを知ってる程度だったら偽造する必要ないやん。 >>195
マジレスおつ
わかりやすいように現代の国号で書いてるだけでしょ これってチョンやパヨクが憎悪してる
「歴史修正主義」ってやつじゃないんですか?w >>109
それ何十年も前の話
今は東大生が入社を避けて通るくらい知識層から離れてる >>201
日本は蘇我入鹿が朝廷図書館を焼き討ちし日本古来の文字で書かれた書物をなかったことにした時から
ずっと歴史修正主義の自虐史観なんだよね >>201
いやる
「邪馬台国 千葉説」
てググれば分る。
邪馬台国を千葉にしたい奴らw。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています