アドルフ・ヒトラーの名言
天才と呼ばれる人々は、その人間性はともかくとして、
成し遂げた業績はおおむね「善いこと」ばかりのように思う。
凄い芸術作品を作ったり、新技術を発見したり、スポーツとかで大記録を残したり。
でも「悪の天才」と呼ばれるヒトラーはそうじゃない。天才としても稀な例だけど。
で、いわゆる邪悪な叡智にしか見極められない真実があるような気もするから、。
彼の興味深い発言をまとめてみた。
関連スレ
福田恒存の名言【読売文学賞・芸術選奨・芸術院会員
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1541642094/
他板に投稿された、興味深い格言の転載スレ 16
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/rongo/1543855957/ ★
国家の存立が危うくなればなるほど、
国家の存在目的についての定義はますます不徹底な、
わざとらしい、わけのわからないものになる。
★
歴史においても、征服者が征服された民族に自己の言語を強制できはしたが、
しかし千年後にはその言語が他民族によって話され、
結局のところ勝者は敗者になっていた、ということがしばしばあったのだ。
雑種化のはじまりである
★
キリスト教以前のゲルマン民族を野蛮人と呼ぶことは
まったく不法なことである。
かれらは決してそのようなものではない。
ただ、北方の厳しい気候が、かれらの創造力の発展を妨げる事情を
かれらに強いていただけなのだ。
★
今日、われわれが享受している国家なるものは、
言葉にしがたい悲しみをまとった、
人類の最も深い迷走の産物にすぎない。
★
悪意はないが無批判で無関心な、
あるいは現状維持にだけ興味を持っている無数の大群が、
われわれに対立している。
★
困難さの中にこそ、闘争のための最良の闘士だけが
見出される可能性が高まる。
このような選抜方法こそが成功を保証するのだ。
小心者を、はじめから寄せ付けない、あるいは気後れされてしまう閧の声、
これが真の闘士の集合の合図になる。
★
自然は雑種をあまり好まない。
一人のものが人種的に劣っているものと結合したとするならば、
その結果はまず、水準自体が低下するだろうが、
さらに子孫が人種的に混血していない周囲のものと比較して虚弱化するだろう。
★
これ以上の混血化を根本的に停止させることが
なによりもまずゲルマン諸国家の第一の課題である。
★
健全なものだけが子供を生むべきであり、
病身であり欠陥があるにもかかわらず子供を作ることはただ恥辱であり、
むしろ子供を断念することが、最高の名誉である。
★
国家は、幾先年もの未来の保護者として考えられねばならない。
この未来と比べれば、個人の望みなど無価値として、
犠牲にしなければならない。 ★
国家は明らかに病気を持つ者や、悪質の遺伝がある者や、
さらには国家の負担となる者まで、生殖不能と宣告し、
去勢を実施すべきである。
★
国家のだらしない経済管理のために、子沢山が両親にとって呪いとなり、
健全なる女子の受胎が制限されるようなことがないようにせねばならない。
★
肉体的にも精神的にも不健康で無価値な者は、
その苦悩を自分の子供の身体に伝えてはならない。
民族主義国家はこの点において、巨大な啓蒙活動を行うべきである。
この啓蒙活動はいつの日か、今日のブルジョア時代の戦勝よりも、
もっと偉大な事業としてあらわれるであろう。
『わが闘争』より
★
病身であったり、虚弱であったりすることは、
恥ではなく、ただ気の毒な不幸であるに過ぎないが、
この不幸をただ自分のエゴイズムのために、
何の罪もない子孫に伝えていくのは、犯罪であり、恥辱である。
★
民族主義的世界観は、犬や馬や猫の品種改良にこれ以上熱中する代わりに、
人間自身をより高めていくような尊ぶべき時代、
すなわちある者は自覚して黙って断念し、
他の者は喜んで身を捧げて子供を作る、
という時代に到達するに違いない。
★
お前たちにはとても無理だ、
お前たちの世界はこういうためには向いていないのだ!
お前たちにはただ一つだけ心配がある。
つまりお前たち個人の生活だ。
そしてお前たちにはただ一つの神がある。
つまりお前たちの金だ!
だが、われわれはお前たちに用はない。
★
ある社会が多くの欠陥のもとに苦しんでおり、
それを自ら認めるばかりか、自ら告白し、
それにも関わらず、それに対して打つ手はないというような
もっともな言い訳で満足しているならば、
その社会は将来、没落する。 ★
学問的教養はさしてないが、肉体的には健康で、
善良で堅固な性格を持ち、毅然とした決断と意志力に満ちた人物は、
才知に恵まれた虚弱者よりも、民族共同体にとって価値がある。
物知りばかりの民族は、もしかれらが肉体的に堕落し、
意志の弱い、卑怯な平和主義者であるならば、
大空を征服することはもちろん、この地上に生存を確保することもできないだろう。 ★
青少年は午前と夕方に少なくとも一時間ずつ、
さまざまな種類のスポーツや体操で、
身体的に訓練されない日がないようにしなければならない。
★
ボクシングほど攻撃精神を養い、電光石火の決断力を要し、
肉体を鋼鉄のように鍛えるスポーツは他にない。
★
身体が丈夫だという確信があると、どんなに勇気が生まれ、
そのうえ攻撃精神が湧いてくるかは、軍隊をみれば一番よくわかる。
★
兵役を終えたのちに、かれには二種類の証書を交付すべきである。
一つは、その後の公的な活動を許す権利証書としての国家市民証書と、
もう一つは、結婚のため肉体的に健全たることを確認する健康証明書である。
★
まず第一に肉体的訓練に重点をおくべきであり、
その後はじめて精神的価値の促進に、
最後に知的価値の促進に重点をおくべきである。
★
生まれつきの犯罪者は、どこまでも犯罪者である。
だが犯罪者的な傾向を単に一部だけ持っているような多くの人々は、
正しい教育によって、なお民族共同体の価値ある一員になることができる。
★
教師は、原則的に、密告を奨励してまで
くだらない子供のいたずらを知ろうとすべきではない。
若いものは自分たちの世界を持っており、
かれらはある団結した連帯性を持って大人に対立している。
そしてこれは自明のことだ。
十歳のものが同じ年頃の仲間たちと結びつくのは、大人と結びつくよりも自然である。
★
かつて軍隊には、一つの命令は常に命令がないよりは良い、という原則があった。
これが青年の場合には、一つの答えは常に答えないよりはましである、と言いうる。
間違ったことを言ってしまわないかと恐れて答えないのは、
間違った答えを言うよりももっと恥ずべきことでなければならない。
この最も初歩的な原則から、青年は、実行への勇気を持つように
教育しなければならない。
意志力と決断力の養成は、責任感の助成と同様に最重要である。 ★
運命に向かって成功を保証せよと要求する者は
英雄的行為の意義を捨てる者である。
★
九十五パーセントまでが必要とせず、
それゆえまた忘れてしまうようなことは、
若い頭脳に詰め込まれるべきではない。
三十五歳か四十歳の人を例にとって、
その昔、学校で苦心して詰め込んだ知識を試してみればよい。
当時詰め込まれたものの中で残っているもののなんと少ないことか!
★
「国家」という概念は今日、明白な内容を持っていない。
だから軽薄な「愛国」教育しかできないのだ。
★
実際のところ、この共和国が存在を許されている理由は、
ただあらゆる方面に、自発的に貢ぎ物を捧げ、
領土割譲に調印する準備ができている、と確言しているためである。
この共和国は、すべての弱者が、かれを利用するものにとって
腕っ節の強い一人の男よりも好ましく思われるのと同様に
他国に同情されているのである。
★
自分の民族を愛するものは、
民族のために喜んで身を捧げる覚悟によってのみ、
それを実証するのである。
★
人々がもはや自分の地位を恥じる必要がなくなったときに、
はじめて自己の民族への誇りの基礎が存在することになる。
ある民族が、そのうち半数がみじめで、苦悩にやつれ、
あるいはまったく堕落しているならば、誰も誇りを感じないような状態である。
民族がその一員の全てに至るまで心身ともに健康であるときにはじめて、
その民族に属しているという喜びが、あらゆる場合に、
われわれが国民的誇りと名づけるあの高い感情にまで
正当に高まることができるのだ。
利益のみから発する国民感情は存在しない。
同様に、ある階級だけを包む国家主義というものも存在しない。 ★
教育の最後の仕上げは軍隊ですべきである。
★
最高の文化人種に属する数百万のものが、
まったくくだらない地位にとどまっていなければならないのに、
生まれつき半ばサルのようなものを長い間調教して
弁護士に仕上げたと信ずることは、犯罪的に荒唐無稽である。
★
国家は、たとえ何世紀かかろうとも、筋肉労働を軽視する非道な風潮を、
教育によって打ち破らねばならない。
民族主義国家は労働という概念に対して根本的に違った態度をとらねばならない。
★
各人が自己の領域でベストを尽くそうと努力しているときには、
観念的にはすべて同等であると確認しなければならない。
人を評価する場合はこの点にもとづき、報酬で評価してはならない。
★
能力は原則として教え込まれるものではなく生まれつきであるに違いない。
それゆえ自然が贈ったものであって人間の功績ではない。
★
物質的報酬は、社会のために為したことが
相応の利益をもたらした者に与えられるであろう。
だが精神的報酬は、自然から与えられ、民族共同体によって育まれた能力を
かれの民族のために存分に発揮したすべての者が要求しうるものでなければならない。
そうなれば、まじめな職工であることはもはや恥ではなく、
むしろ無能な官吏として愛する神からは日を、
善良な民衆からは日々のパンを盗むことのほうが恥になる。 ★
もし高級な知的な仕事をしたいとする動機が、
ただ高い報酬ということだけならば、それは時代が堕落している表れである。
もしこの観点がいままでこの世界の唯一の価値基準であったならば、
人類はその最大の科学的、文化的財宝を決して持たなかっただろう。
最も大きな発明、最も偉大な発見、最も革新的な学問上の業績、人類文化の最も素晴らしい記念物は、
世俗の金銭への衝動から与えられたのではない。
逆に、その産物は往々にしてまさしく富の現世的幸福を断念することを意味したのだ。
★
今日では金が生活の唯一の支配者になっているかもしれない。
けれどもいつか人間はもう一度より高い神々の前にひざまずくであろう。
多くの者は今日、金銭と財産への渇望にのみその存在理由を見つけているかもしれない。
だがそういう人間がいなくなったとて、
人類が貧しくなるほどのものはかれらの中にはほとんどいないのだ。 ★
まじめに働く者には誰でもどんな場合でも、
民族同胞として、人間として見苦しくない、ちゃんとした生活ができるように
うまく調節された賃金の等級づけを実現すべきである。
★
失敗のダメージを恐れてはいけない。
冤罪があるからといって法律をなくすことはできず、
薬があっても病人がいつも出るからといって
薬を拒否しえないのと同じである。
そんなことはただの理想論だ、この世界で実際に達成することは不可能だ、
事実上無理だ、などと言ってはならない。
★
道路掃除夫としてドイツ国の市民であるほうが、
他国の王であるよりも、
もっと大きな名誉であらねばならない。
国家の市民がドイツ国の主人である。
★
議会それ自体は必要である。
なぜなら、優れた頭脳の持ち主はまず最初に議会で頭角をあらわす可能性があり、
後にその人物に重大な権限を任せることができるからである。
★
民主主義的多数決という議会主義の原則は
決して昔から人類を支配していたものではなく、
逆に歴史的には全く短期間だけ見出されるものであり、
そしてその時代は常に民族や国家の没落の時代だったのだ。
★
歴史上しばしば見られるように、
新しい状態を作るよりも、そのための土台を築くことのほうがより難しい。
偏見や利権がファランクスのように手強く結合し抵抗してくるからだ。
★
キリスト教も、自分の祭壇を作るだけでは満足できず、
必然的に異教の祭壇を破壊するまでに踏み込まざるをえなかった。
こういう狂信的な不寛容さからのみ、
疑うことが許されぬ信仰を形成することができたのであり、
しかもこの不寛容さがキリスト教のための絶対的全体なのである。
世界観は不寛容たるべし
★
圧制はただ圧制によってのみ、
そしてテロはただテロによってのみ破ることができる。 ★
政党は妥協に傾くが、世界観は決してそうではない。
政党は相手を考えにいれるが、世界観は自己の無謬を表明する。
政党の意志が穏和であるということは、
政党に弱小な精神を持った人々を供給することになる。
そんなことでは十字軍を起こすことはできないのだ。
★
政党は世界観のための闘争を放棄し、
その代わりにいわゆる「積極的協力」によって、
現存制度という飼い葉桶のまわりにできるだけ長くとどまっていようとする。
これが政党の目的のすべてである。
★
単なる政党の綱領は、次の選挙がうまくいくための処方箋に過ぎないが、
世界観のプログラムは、既存の秩序、既存の状態、
要するに既存の世界観一般に対する宣戦布告を意味する。
簡潔な、スローガン的な短い形式にまとめる必要がある。
★
個々の兵士にしても、高等戦術の思考過程をすべて知らされてはいない。
むしろ兵士は厳格な秩序を守ることや、
自己の本分たる正義と力を熱狂的に確信することや、
そのために完全な態度をとることを、教育されているのだ。
大きな規模、大きな未来と最大の意図を持った運動の
個々の支持者においても同様であらねばならない。
ある軍隊の兵士たちの教養や見識が、
例外なく将軍並であったならば、役に立たないだろう。
同様に、政治運動もまた兵卒を必要とする。 ★
まったく同じ知的能力を持つ二百人の人間の団体は、
百九十人の知的に劣る者と、十人のより高い教養を持つ者からなる団体よりも、
統率がいっそう困難だろう。
★
世界を革新しようとする運動は瞬間にではなく、未来に奉仕するものである。
★
人間というものは、知性に根拠を持たず、
たいていは無意識に、ただ感情によってのみ支えられた
先入観に囚われていることが稀ではない。
こういった本能的な嫌悪、感情的な憎悪、決めつけられた拒否
というような柵を乗り越えることは、
欠点のある、あるいは誤った学説を正しく直すことよりも、千倍も困難である。
★
誤った概念やよからぬ知識というものは、
正しい知識を伝えることで除去することができる。
だが感情からする反抗は断じてそれができない。
ただ神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。
そしてそういうことは常に文筆家には不可能であり、
ほとんどただ演説家だけが為しうるのである。
★
毎年毎年、主知主義から発刊される新聞の洪水や書籍のすべては、
よく油を塗った革の表面を流れる水滴のように、
幾百万という下層階級の人々の間をすりぬけていくのだ。
心理的に調整されていない場合は、特にそうである。
★
ある一つの同じ劇を同じ配役で、
午後三時と晩の八時に観たならば、
その効果と印象の違いに驚くことになるだろう。
時間自体が一定の影響を及ぼしているのだ。
(政治集会における演説からの知見)
★
演説家は反対者を転向させようと格闘するうちに、
次第に宣伝の心理的な機微について鋭い感覚を得るが、
文章を書くだけの人々はほとんど例外なくこの点において欠けている。
★
民衆というものはつねにそうであったし、永遠にそういうものであろう。
★
我々は熟慮を重ねた末の結論として、
マルクシズム勢力を刺激し、憤激させ、われわれの集会におびき出して叩き伏せ、
それにより人民の目を開かせるためにボルシェヴィキの赤を選んだのだ。
★
かれらは何か悪事をたくらみだしたときには、秘密を守ることができない。
そしてかれらはたいてい卵も産まないくせにコケコッコとやるのが常だったのだ。
(敵対政党の首魁たちについて) ★
白は感動的な色ではない。
それは純潔な団体には合うが、革命期の革新運動には合わないのである。
★
我々は、我らの旗の中に我々の綱領を見る。
赤の中に社会的思想を、
白の中に国家主義的思想を、
ハーケンクロイツの中にアーリア人種の勝利のための闘争の使命を、
そして同時にそれ自体永遠に反ユダヤ主義であり続ける創造的な活動の
思想の勝利を見るのだ。
★
この地上の大事業は、どれも一般に幾百万の人間の中に
すでにずっと長く存在していた希望、
多くの者の中に静かに抱かれていた憧憬を実現することにあるのだ。
★
団体同士が手を結ぶことで、弱い団体が強くなることは決してない。
だがおそらく強い団体が弱くなってしまうことは少なからずありうるし、実際あるだろう。
弱小団体の連合が強大な勢力になりうるという意見は、正しくない。
★
結合によって、諸力が自由に振る舞うことが阻まれ、
最善のものを選び出す闘争が排除され、
かくしてより健全なもの、より強いものの必然的、究極の勝利が
永久に妨害されるのである。
★
すべてこの世界で真に偉大なものは、
共同戦線によって勝ち得たようなものではなく、
常にただ一人の勝利者の成果だったということを、決して忘れてはならない。
共同戦線はそもそものやり方からして、
将来の崩壊、すでに到達したものさえ喪失する萌芽を持っているのだ。
★
権威を形作る第一の基礎は、常に人気である。
けれどもこの基礎のみに基づく権威は弱々しくて、頼りなく、不安定である。
それゆえ人気だけに頼っている権威者は、
権力を形成することによって、基礎を固めるべく
努力しなければならない。
権力、すなわち強制力の中に、権威の第二の基礎がある。
★
人気と強制力が結合し、それらがともにある程度の期間継続すると、
権威はさらにもっと固い基礎の上で立ち上がることができる。
伝統の権威がそれだ。
★
最良のものが支配している場合には、
大衆はこれに従い、
最悪のものが支配している場合にも、
大衆は控えめに言っても、何の抵抗もしない。
この中間の大衆は決して自ら闘わないからである。
★
本当の卑怯者には、死よりも恐れるものがないのだ。 ★
法律は根っからの正直者のために作られたのではなく、
動揺しやすい、意志の弱い分子のために作られたのだ。
窃盗行為についての法律も必要なのである
★
志願兵のような英雄たちには、もちろん厳格な軍規などいらない。
だが民族存亡の危機においても、全体の生命よりも
自分の生命を高く評価するような卑怯な利己主義者に対しては、必要だ。
無節操な弱虫は、ただ最も厳しい罰を適用することによってのみ、
自分の卑怯さに譲歩するのを妨げることができるのだ。
前線で人々は死ぬかもしれない、だが逃亡兵は死なねばならないのだ
★
人々は、一千万人の党では、もはや革命はできないのだ。
そういう運動においては、もはや極端な行動性を持つことができず、
中間の大衆、すなわち不精さだけがあるのだ。
(社会民主党の膨張について)
★
いわゆる「自発的な訓練」によって一定の規模以上の
軍事的な価値を持つ組織を作り上げることができると信じるのは
とんでもないことである。
ここでは、命令権の最も重要な支柱、すなわち刑罰権が欠けている。
★
歴史は、王侯が感謝するのは例外的な場合だけであることを実証している。
★
我々は秘密組織であってはならなかった。
秘密組織の目的は常に違法なものだ。
それゆえに、組織の規模が制限されてしまう。
そういう企みは何度でも失敗するだろう。
三十枚の銀貨と引きかえに秘密を漏らし、
あるいは、漏らす価値がある秘密を捏造するような密告者連中と
警察が懇意にしているというのもあるが、
それ以前に、普通の支持者もそういう場合に沈黙を守ることはできないのだ。 ★
秘密の信徒集会において仕事がされるべきなのではなく、
力強い大衆集会においてなされるべきなのであり、
そして運動はその道を、短刀や毒薬、あるいはピストルによってではなく、
街頭を征服することによって開くのである。
われわれが必要としたもの、また必要としているものは、
百人や二百人の大胆な共謀者ではなく、
われわれの世界観のための何十万という熱狂的な闘士であったし、また闘士である。 ★
突撃隊は、軍隊としてよりも、党の目的に合うような観点から訓練されるべきである。
わたしは、ボクシングと柔道のほうが、中途半端な射撃訓練よりも重要だといつも思っている。
肉体的鍛錬は、各人に自分が優越しているとの確信を植え付け、
永遠にただ自己の力の意識の中にのみ存在する信念を
各人に与えるべきである。
ドイツ国民に、スポーツで非の打ちどころなくトレーニングされた身体を持ち、
すべての者が熱狂的な祖国愛に燃え、
そして最高の攻撃精神を持つよう教育された六百万人を与えてみよ。
★
この世の未来にとって重要なことは、
プロテスタントがカトリックに打ち勝つか、
それともカトリックがプロテスタントに打ち勝つかではなく、
アーリア人種が存続するか死滅してしまうかにある。 ★
ドイツ共和国が外に向かっては弱さを示し、国内では市民を圧迫しているのに、
旧ドイツ国は国内には自由を与え、対外的には力を示したのだった。
力に満ちた国家は、その市民たちの愛と忠誠心が大きいため、
対内的には法律をあまり必要としない。
国際的な奴隷国家は暴力によってのみ
臣民に強制労働をさせることができるのである。
外国の奴隷植民地としての共和国は、
市民などはなく、せいぜい臣民がいるに過ぎない。
★
現代の交通、現代の技術は、距離と空間をますます収縮させている。
かつての国家は今日ではもはや一地方であるに過ぎず、
現代の国々は以前は大陸と同じぐらいに考えられていたのだ。
純技術的に考えれば、ドイツのような国を統治する困難さは、
百二十年前のブランデンブルグのような一地方を管理する困難さより大きくはない。 ★
わたしはあまりにも急速な、あまりにも杓子定規な組織化に反対する人間である。
たいてい死んだ機構だけが完成し、
いきいきとした組織はなかなかでき上がるものではない。
なぜなら組織は、有機的生活、有機的発展により存立していくものだからだ。
一定数の支持者を得た理念というものは、
つねにある秩序を得ようと努力するものであり、
その内面的形成は非常に大きな価値がある。 ★
すぐれた頭脳の持ち主には本能的に抵抗しようとする、
個々人を迷わす人間の弱さを計算に入れなければならない。
組織が上から機械的に作られると、
一度任命された、自分でも才能がないことを認めている頭脳の持ち主が、
もっと有能な分子が台頭してくるのを、嫉妬から妨害しようとする大きな危険が生じてくる。
★
偉大な理論家が、偉大な指導者であることは稀である。
むしろ煽動者のほうが指導者に向いているだろう。
ある理念を大衆に伝達する能力を示す煽動者は、
たとえ単なるデゴマーグに過ぎない者でもも、
つねに心理研究家であらねばならない。
★
理念を形成する才能は、指導者の才能とはまったく別物である。
人類の理想と目標を設定することと、
あるいはそれを実現することと、
どちらがより重要であるかについて争うことは、まったく無用である。
人生において非常にしばしばそうであるように、
ここでも前者は、後者なしではまったく無意味であろう。
★
理論家と組織者と指導者が一人の人物の中に結実しているのは、
この世で最上に稀に見られることである。
この結実が偉人を作るのである。
★
もしも運動が、ある世界を破壊し、そのかわりに新しい世界を建設するという意図を持つならば、
さらに次のような原則について、自分たちの指導者の間で完全に明確になっていなければならない。
すなわち、
いかなる運動も、獲得した人材をまず二大グループ、
つまり支持者と党員によりわけねばならない。
宣伝の任務は支持者を募集することであり、
組織の課題は党員を獲得することである。
運動の支持者とは、運動の目標に同意を明らかにするものであり、
党員とはその目標のために闘うものである。 ★
運動に迫りうる最大の危険は、
あまりにも急速な成果によって党員層が異常に膨張することである。
というのは、
政治運動はそれが厳しい闘争にさらされている限りは、
卑怯で利己的な素質を持っているすべての人々から非常に敬遠されるが、
その発展によって党の大成功が確実らしくなってきたり、
実際に成功がおさめられたとなると、
急速に党員を獲得しうるのが常だからである。
常勝の運動が、成功を目前にして、あるいはもっとよくいえば、
その意図がいまや実現されるという一歩手前で、
不可思議な内部崩壊を起こして闘争を中止してしまうのは、そのためである。
★
わたしは党の宣伝主導者として、
今後運動が大きくなるための基盤を準備するために、
非常に努力しただけでなく、この活動におけるたいへん過激な意見によって、
組織が最良の人材のみを獲得するように活動した。
わたしの宣伝が過激であり、挑発的であればあるほど、
ますます弱虫や小心者を威嚇して後退させ、
われわれの組織の中核部にかれらが侵入することを妨げたからであった。
自分はもともとまったく全面的に同意しているが、
それにも関わらずどんなことがあっても党員にはなれないと、
わたしに言った者が幾千いたかわからない。 ★
すべてどんなことでも、後から別の何かを見つけてくるという
まぎれもない病気にとりつかれていて、
すばらしい計画、思想、企画の一種の永続的妊娠状態にある人間がいた。
さらにかれらの最も理想的な最高の目標はたいてい、
監督機関として、他人の立派な仕事をちらりと眺めて
口をはさむ委員会を作ることであった。 ★
突然書類カバンの中から新しい国家の憲法草案を公表し、
さてこれを主権者の絶対命令で上から「実施」できる、と思ってはならない。
そうやってみることはできる。
だがその結果は、確実に生存能力のない、たいていは死産児であろう。
★
国家社会主義的な労働者は、国民経済の繁栄が、
自己の物質的幸福を意味することを知らねばならない。
国家社会主義的な使用者は、自分の労働者の幸福と満足とが、
自分の経済力の存立と発展のための前提であることを知らねばならない。
★
しかし征服者は、かれが防御者を征服しようとするならば、
防御者よりもつねに独創的でなければならない。
★
この問題を判断する際われわれがつねに忘れてはならない本質的な原則、主旨は、
外交政策ももあたただ目的に対する手段に過ぎないこと、
そして目的はもっぱらわれわれ自身の民族を振興させるものであること、こ二点である。
現在あるいは将来においてわが民族に役立つものであるか、
あるいは害をもたらすものだろうか?
という観点以外のどのような見地からも、
けっして外交政策を考えてはならないのである。
政党政治的、宗教的、人道的、あるいはそれ以外のあらゆる観点は、
完全に問題外なのである。 ★
奪われた国土は激しい抗議によって国家の膝下に戻ってくるのではなく、
戦闘力のある剣によって取り戻されるのだ。
この剣を鍛造することが、一民族の国内政策上の指導の課題であり、
鍛造作業を安全にし、戦友を探すのが外交政策指導の課題である。
★
神は臆病な民族を原則として自由にして下さらぬ
★
しかし今日、抗議や宣言、組合員の行進をもって
南ティロール問題を解決できると信じる者は、
まったく特別な無頼漢かあるいはドイツの俗物的市民である。
失われた地域の回復は、神様にいかめしく請い求めても、
あるいは国際連盟に無邪気に期待を抱いてもなされるものではなく、
武力によってだけ実現されるということについて、
ともかく、十分に知っていなければならない。 ★
今日では、南ティロールの回復のためにおしゃべりするほうが、
以前それを維持するために闘ったよりも、
当然幾らか容易であるという理由から、
かれらはまさしくそのように行動しているに過ぎない。
各人はそれぞれの分を尽くしている。
当時われわれは自分たちの血を犠牲にしたが、
今日この仲間たちはそれぞれのくちばしを磨いている。 ★
フランスではますます大規模に巨大化した国内の有色人種の人民から
兵士を補充可能であるばかりか、
人種的にも、フランスの黒人化は非常に急速に進行し、
そのため実際はヨーロッパの大地にアフリカ的国家が成立した
と言っても過言ではない。
★
わが国の政治家の半数は、非常に抜け目がないが、また同様に無節操であり、
一般にわが民族に害を為す考えを持った分子から成立している。
他方、残りの半数は善良なお人好しで、喜んで人の意に従うような
ばか者どもから構成されている。
★
われわれは、地上の支配者としての自分の地位を、
ただ独創力と、この地位を勝ち取り維持しうる勇気のみに依存し、
なにものもタダで贈与されてはいない生物として、
毎日のパンのために永遠の闘争が運命づけられて
この世界に存在させられている。
その限り、流血は神の前で正当化されるものである。
次に、われわれは国民の一人の血たりとも、
その犠牲によって他の千人の命が救われるのでなければ、
決して流さなかった。
その限り、流血はドイツ国の子孫の前で正当化されるものである。 ★
ある民族によって法外な土地獲得が成功したのだとして、
それを永遠に承認しなければならぬという不可侵の義務などない。
その事実はせいぜい征服者の力と忍耐する人々の弱さを証明するだけである。
★
われわれの先祖達はわれわれが今日生活している土地を
天から贈られて保持したのではなく、生命を賭けることによって
戦い取らねばならなかったのと同じように、
将来われわれに土地、すなわち我が民族の生活を割り当ててくれるのは、
民族に対する恩寵ではなく、無敵の剣の力だけなのである。 ★
旧ドイツ国の政治が誤って王朝的観点から決定されてしまったように、
将来の政治は民族についての平凡な感傷癖から導かれてはならない。
われわれはご存知の「かわいそうな少数民族たち」の保安警察官ではなく、
われわれ自身の民族の兵士なのである。
★
ロシアはボルシェヴィズムに引き渡されたことにより、
それまでこの国家を存立させ、
またその存立を保証してきた知性がロシア民族から奪われてしまった。
ロシア帝国の構造組織はロシアにおけるスラブ民族の国政能力の結果ではなく、
むしろ低級な人種の内部に存在するゲルマン民族的要素による
国家形成活動の驚くべき一例であったにすぎない。
地上の数多くの強国はこのようにして建設されたのである。 ★
ビスマルクは、一つの政治進路を原則として
永遠に固定しようと望むことなど、一度として思いついたことがなかった。
かれはこのようなことにかけては、好機を逃さぬ非常な達人だったので、
自分を拘束するような真似はしなかったはずである。
したがって、 問題は、ビスマルクは何を当時実行したか?
ではなくて、今日だったらかれが何をするだろうか?
ということになる。
★
自国の生存のために、必要であれば血の最後の一滴までも
投入する決意を固めた強力な国家を、
腑抜けた国家の連合によって包囲攻撃することなど不可能である。
(インドやエジプトの反乱を援助してイギリスと戦おうという国内の一派の策略を批判して)
★
戦争意図を目的として含まないような同盟はナンセンスであり、また無価値である。
戦争のためにのみ同盟は結ばれるものである。
そして、たとえ同盟条約を締結する時点においては
対決がまだ非常に遠い先のことであるとしても、
いずれ戦争に巻き込まれるという見込みこそが同盟締結をもたらす本質的要因である。
★
アングロサクソンが地上の支配権を獲得しようと戦う本能と同様に
ユダヤ人もまたそうしている。
他の民族の内部に潜入し、空洞化し、
かれらの武器、つまりは虚偽と中傷、毒殺と退廃によって
敵を絶滅するまで戦うのである。 ★
旧ドイツ帝国はその同盟政策の点で散々に非難されても仕方がなかった。
つまり、
ドイツはどんな犠牲を払ってでも世界平和を守ろうとする病的な弱気から、
絶えずあれこれ迷っているうちにあらゆる国との関係を台無しにしてしまったのである。
しかし、一つだけは非難されなくてもよいことがある。
ロシアとの友好関係はもはや維持されなかったことである。 ★
わが民族の力がその基礎を植民地にではなく、
ヨーロッパの故郷の大地の上に維持するように尽力すべきである。
この世界で最も神聖な権利は、
(植民地ではなく)自分自身で耕そうとする土地の権利であり
最も神聖な犠牲はこの土地のために流される血であることを
忘れてはならない。
★
今日われわれは、ユダヤ人の術策によって
ドイツ人の無思慮が利用し尽くされた結果である、
惑乱した世論の流れに抵抗しなければならず、
おそらく何度もその波は悪意に満ちて荒々しくわれわれの周りに砕け散るであろう。
今日の我々は一つの岩礁に過ぎないが、
早くも数年後には運命が我々をダムに作り上げるかもしれない。
世の中の流れはこのダムに当たって砕け、新しい河底に流れ込むだろう。 ★
絶対にやむをえないという理由もなしにまず武器を投げ出した民族は次の時代になっても、
再び力に訴えて自分たちの運命を変更しようと企てるより、
むしろ軽蔑と強奪を耐え忍ぶものである。
これは人間的に当然なことである。
賢い勝利者は、可能な限り、自分の要求を幾度も分割して敗北者に課するだろう。
そのように運べば勝利者は、節操を失ってしまった民族が
そのような個々の圧制のどれに対しても、もう一度武器をとるに足る十分な理由を
もはや感じ取れない、ということを期待してよいのである。 ★
「政治家」の多くは自分の力量を6ヶ月も世に晒すことになれば
きわめて頼りない香具師であったことが早くもバレてしまい、
世間の誰からも冷笑と軽蔑を浴びせられ、途方にくれながら、
自分が完全に無能だったことをまぎれもなく証明している
(1918年革命以後の民主主義政権について)
★
フランスの我々に対する意図が、いつか変更されうるなどとは、
私は決して信じていない。
というのもフランスの意図が、その究極の根底においては、
フランス国民の自己保存の欲望にのみ基づいているものだからである。
★
もし仮にわたしがフランス人であり、
したがって私にとってドイツが神聖であるのと同じように
フランスの偉大さに愛情を持つとするならば、
わたしもまた結局クレマンソーのような人間が行うのと違った行動は
できないであろうし、しようとも思わないに違いない。 ★
国内政策上でも、フランスのルール工業地帯侵入は
きわめて大きな将来のための可能性をドイツに与えた。
わが民族の多くの者は、嘘に満ちた新聞の耐えざる影響によって、
フランスを相変わらず進歩と自由の闘士とみなしていたが、
急激にこの迷妄からさめたのである。
一九一四年という年は国際主義的な民族連帯の夢想を
わがドイツ労働者の頭から追放し、そしてかれらを突然、
あらゆる場所で生物が生物を食べて生きており、
弱き者の死は強き者の生を意味する永遠の格闘の世界へと連れ戻したが、
一九二三年の春もそれと同じ働きをしたのである。
★
1918年以来、時々やってくる有無を言わせぬ命令が来るのに先立って
いつも行われた談判のコメディーを見物しなければならなかったのは、
実に悲惨ではなかったか?
連中は、われわれを人々の笑いものにするかのように、
まず会議のテーブルに招き、
それからすでに仕上がっている決議や計画、
それについて確かに意見を言うことが許されはするが、
しかし最初から変更できぬものと見なさないわけにはゆかぬ代物を提案して、
全世界にわれわれの面目を失わせる芝居を提供したのだった。 ★
新しいヨーロッパは、廃虚の上にのみ建設が可能である。
私が言おうとしているのは、正気の沙汰とは思えない物質的破壊の
結果である瓦礫の山の事ではなく、私益という名の、偏狭という名の、
過去の遺物となった自国本位の国家主権という名の、
そして愛国心至上主義の偏狭な政治という名の、精神的な廃虚の上にという事である。
ヨーロッパは、全ての人の利益の為に、
そして全ての人の犠牲において建設されなければならない。
★
以前に売国奴だった者が突然ドイツの自由のための闘士になるかも知れぬ
などという希望はありうるはずのない、実にナンセンスな考えである。
ハイエナが腐肉から少しも離れることがないのと同じように、
マルクス主義者は祖国を売る仕事を見限ることはない。
★
戦時にあらゆる階層出身の、あらゆる職業を持った
わが最良のドイツ労働者数十万が戦場で被らなければならなかったように、
これら一万二千か一万五千のヘブライ人の民族破壊者連中を
一度毒ガスの中に放り込んでやったとしたら、
前線での数百万の犠牲がむなしいものにはならなかったに違いない。
第一次世界大戦において、本国で反戦運動を起こして
政府を転覆させたマルクス主義指導者たち(主にユダヤ人である、としている)について。
なおヒトラーはこの戦争に志願し前線で毒ガス攻撃を受けて負傷していた。 ★
人々は次のことを思い浮かべるべきであった。
つまり、
血に荒れ狂った内乱からはしばしば
鋼鉄のように堅く健全な国民体が生起したのに、
他方、人為的に育成された平和状態からは、前代未聞の腐敗が生まれたのも
一度や二度の例では済まない
という事実である。
民族の運命はピカピカした革手袋をはめた手で丁重に変えられるものではない。 ★
敵に対する消極的な抵抗が、結局は本当にかれらの神経を刺激してしまい、
今度はその敵が抵抗を残虐な暴力で排除する闘争を開始したならば、
どうするつもりなのか?
その場合でも、さらに抵抗を続ける決意なのか?
ということが問われる。
だが、こうなってしまえば積極的抵抗と変わりがない。
★
おそらく心の底の底ではみんな自分の民族を同じ愛情をもって愛していただろうが、
ただ一緒に歩む道を誤ったか、あるいはその道に精通していなかった人々の罪を
論じることは無益だ
★
人種堕落の時代において、自国の最善の人種的要素の保護に専心した国家は、
いつか地上の支配者となるに違いない。
大きすぎる犠牲や、予想される成果と比較して
不安な気持ちに誘われるような時には、
わが運動の信奉者は決してこのことを忘れないでほしい。
★
自己をあらゆる武器で守ろうとしない制度は、事実上自己を放棄している。
★
嘘も百回言えば真実になる
★
国民の自業自得だ。
国民が地獄を味わうのは当然の義務。
我々を選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ。
「ベルリンの戦い」直前、“ソ連軍に包囲される前に市民を脱出させるべき”との進言を一蹴して 『余の私的な遺言書』アドルフ・ヒトラー
「闘争の歳月がつづいているあいだ、余は、結婚という責任をともなった行為は
できないと信じていたが、いま余はこの地上での生涯を終わるにあたって、
あの女性、すなわち長い年月にわたる世に対する忠実な友情をまもって、
みずから選んで、この、すでに敵の包囲網がほとんど完了した街に潜入し、
彼女の運命を余の運命と分かち合おうとしている女性を妻にしようと決意した。
彼女は、彼女自身の希望によって、余の妻として余とともに死ぬ。
国民への余の奉仕の仕事のために余ら二人から奪いとっていたものを、償ってくれるであろう。
余が所有するものは――およそ価値あるものであれば――党のものとなる。
党がもはや存在しない場合には、国のものとなる。国も壊滅してしまうとすれば、余のそれ以上の決定はもはや必要ない。
長年にわたって余が買い集めた蒐集品の中にある絵画は、決して私的な
目的のためにではなくて、余の故郷の街であるドナウ湖畔のリンツ市に
完成される画廊のためにのみ集められたものである。
この遺産がそのように役立ってくれることを、世は衷心より望むものである。
この遺言書の執行人として、余は余の最も忠実な同志であるマルティン・ボアマンを
任命する。彼は、すべての決定を最終的かつ法的に有効にとりおこなう権限を有する。
彼は、個人的な思い出のために価値あるもの、あるいはささやかな市民的生活を
維持する上で必要なものを、余の兄弟たちに分けあたえることが許される。
同様に、特に余の妻の母親、およびボアマンもよく知っている秘書たち、女性秘書たち、
すなわち何年にもわたって余のために奉仕してくれたウィンター夫人や
そのほかの人たちに分けあたえることも。
余ならびに余の妻は、逃亡あるいは降服の屈辱から逃れるために、死を選ぶ。
われわれ二人の決意は、余が国民に奉仕した十二年のあいだ、毎日の仕事の
最も多くの部分を遂行してきたそのおなじ場所で遺体がただちに焼却されることである。
一九四五年四月二十九日(午前)四時 アドルフ・ヒトラー」 ……真理だな〜と思える「諺、格言」は?……
https://academy4.5ch.net/test/read.cgi/philo/1134032106/497
497 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2006/06/04(日) 14:54:31
『最も偉大な聖人たちは、悪に対する平均以上の能力を持った人間であり、
最も邪悪な人間は、
しばしば今一歩のところで
神聖に到達しそこねた者たちである』(グレアム・グリーン) 泥酔した10代少女を暴行した強姦の疑いで16日までに愛知県警に逮捕されたのは愛知県立城山病院医師 高木宏だ。
昨年4月30日〜5月1日にかけ、愛知・名古屋市内の高木容疑者が賃貸契約していたヤリ部屋で、10代後半だった少女2人に酒を飲ませ、暴行した疑い。
事件を首謀した高木容疑者は、過去に4回も準強姦容疑での逮捕歴があった。その手口はいずれも自分の部屋で合コンなどの名目で飲み会を開き、参加した女性に酒を飲ませて暴行していた。
昨年7月は泥酔状態の20代女性に性的暴行を加えたとして準強姦容疑で逮捕(処分保留)。その後、9月にも別の20代女性を強姦した疑いで再逮捕されていた。
驚くのは短期間に何度も逮捕されているのに、病院側が何の処分もしていなかったことだ。
ある現役医師は「昔からレイプが発覚して病院をクビになる医師はいるが、数年たつとみな別のところに移って何事もなかったかのように勤務していますよ」と明かす。
高木容疑者は過去の事件では不起訴処分になっているとみられるが、医師免許さえあればお構いなしとはあきれる。どうやらロクに“身体検査”をしない病院が少なくないようだ。
高木容疑者が過去に逮捕された時には、女性を乱暴する動画が収められたケータイも押収されている。千葉大のレイプ事件でも被害女性を撮影し、仲間内でLINEで共有するという鬼畜行為に及んでいた。
こんな性犯罪者を野放しにして患者を診察させていた病院の罪は重い。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2931248.htm
高木宏のご尊顔
https://i.imgur.com/1NV5bK3.jpg
愛知県立城山病院
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音楽が終わったら、明かりを消してくれ。
ヒトラー死亡直前の最後の発言。 (1945年)
★
パリは燃えているか?
"Brennt Paris? (Is Paris burning?)
"奪還までパリの司令官を務めることとなるディートリヒ・フォン・コルティッツに尋ねた言葉。
ヒトラーはパリを放棄する際には街を破壊する命令を出したが、コルティッツは命令を拒否した。
★
民族が高潔かどうかの決定を人間が下すことは難しい。それは神に任せられるべきだ。
ヴィルヘルムスハーフェンでの演説 (April 1, 1939)
★
人をよりよくするのではなくそれらの弱点を利用するために、私はこの世界に入った。
H.R. Trevor-RoperによるエッセイThe Mind of Hitler中での引用
★
この地球は『人種戦争の勝利者に贈られる持ち回りの優勝カップ』に他ならない。
首相就任後の1933年1月30日、首相官邸で語った言葉。
"Reden des Fuehrers am Parteitag der Ehre 1936"、13p、南利明訳
★
党はヒトラーであり、ヒトラーはしかしドイツである。ドイツがヒトラーであるように!
1934年ナチ党大会での総統代理ルドルフ・ヘスの演説。田野大輔訳 ★
われわれがクリスマスのときに祝う出来事が実際に起こっていた時代は、
多くの点で今日の時代とよく似た特徴を持っている。
当時も、ユダヤ人気質によって病んだ唯物主義的世界であった。
当時も、困難が乗り越えられたのは、国家権力によってではなくて、
最もあわれむべき状況下で生を享けた人物が告知した救済の教えによってであった。
そして、アーリアの血を持つ人はみな、今日でもなおこの人物の誕生を祝っている。
キリストは、アーリアの血を持っていたのだ。
われわれは今日ふたたび、毒によって生み出された時代、
国家権力による統治が不可能な時代を迎えている。
われわれと同じ血を持つ人々をこの唯物主義の世界から解放し、
この人々に再び魂の平和を与えようとする運動のためにわれわれが戦うとき、
われわれはみな根本において最も堅いキリスト教の信仰によって駆り立てられているのである。
われわれ国民社会主義者たちは、キリストのなした御業のなかに、
熱狂的な信仰を通じて最も途方もないことを達成する可能性を見ている。
キリストは腐敗した世界のなかで立ち上がり、信仰を説き、
初めは嘲りを受けたが、しかしこの信仰が大きな世界的運動となった。
われわれは同じことを、政治の領域でもたらしたいと思う。
どの国民社会主義者も、心にひとつの確信を持っておいてよかろう。
もしわれわれが鉄のような精力と粘り強さと最高の信仰を持ってわれわれの所業をなすならば、
われわれの所業はいかなる現世の権力によってもくじかれることはありえないであろうと。
貨幣と黄金の力も、くじかれるであろう。
というのも、黄金は世界における最高のものではないから。
われわれは、われわれの理念が、もしそれが正しいのならば、
普及するであろうことを確信してかまわない。
そしてそれは正しいのであり、普及するのである。
そのことは、今日のドイツにおいて明らかである。
あらゆる妨害、あらゆる迫害、あらゆる禁止、そして指導者たちを倒して
麻痺させようとするあらゆる試みにもかかわらず、この運動は中断されることなく広がっている。
四、五年前に誰がいったい、この運動が全国の小さな街々にまで広がると予感したであろうか。
われわれはとりわけ、「意志があれば道は平坦になる」ということばを肝に銘じておかねばならない。
もし誰かがわれわれのことを時勢に乗じた党であると言うならば、
われわれは悠然と、しかりと言うことができる。
今日のドイツの土壌は、われわれの運動にとって最良の土壌となっている。
われわれの理念が勝利するのに、あと二〇年または一〇〇年かかるかもしれない。
今日この理念を信仰している人々は、死んでしまっているかもしれない。
民族と人類の発展において一個人は何の意味があるというのか。
われわれの理念が認められる時代が来るであろう。
したがって、われわれは戦いを戦い抜かねばならない。
われわれは、ドイツ人としてだけではなく、キリスト者としても
戦いを正しく耐え抜いたと後世の人々に言ってもらえるように、戦いを戦い抜かねばならない。
(一九二五年十二月十二日、ディンゴルフィングにおけるナチ党集会での演説)[12] ★
迷信というものは笑うべきことであっても、
人を動かす上に考慮に入れなければならない要素だと私は思う。
私が一度、ムッソリーニが月の十三日に軍事行動を起そうとしたのを
止めさせたことがあるのも、そのためである。
同じように、ベテランの水夫たちが金曜日の出航は危険だと思っているのなら、
それを強行させるのはまちがいだと思う。
このような迷信というものは不慮の作用となり得るものである。
こういうものを信じている人たちはちょっとした危険に際してすぐに浮き足立つものであるから。 ★
私は戦争を望む。私にとって手段は全て正解となる。
私のモットーは「何も行わずに、敵を悩ませる」ではない。
私のモットーは「完全に全ての手段で相手を倒す」だ。私は戦争を行う者だ。
★
ユダヤ人問題の認識と解決なしには、ドイツ民族体再興の企ては無意味であり、不可能である
いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は
宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。
それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、
宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない。
大衆の受容能力は極めて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。
この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点を出来るだけ絞り、
それをスローガンのように継続しなければならない。
この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。
というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである。
大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で
考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。
だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。
そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、
正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、
半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。 『我が闘争』より
★
平和主義など、臆病の現れに過ぎない。
★
大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい。とりわけそれが何度も繰り返されたならば。
青少年に判断力や批判力を与える必要は無い。娯楽と競争意識だけを与えればよいのだ。
青少年から思考力を奪い、指導者の命令に対する服従心だけを植え付けるべきだ。
国家や社会や指導者を批判する者に対して動物的な憎悪を抱かせるようにせよ。
少数派や異端者は悪だ、と思い込ませよ ★
夜も昼も、寝ても、覚めても、このことで私の頭は一杯である。ドイツはどうなるのかと。
★
ドイツ民族よ。階級闘争の思想を捨て分裂の思想を捨てて一致団結すれば、ドイツ民族は強くなる。
★
自分の労働を民族全体の生存の意志と一致させるとき、
その労働には思いもよらない力がこもるものである。
★
ドイツは世界で最も強固な力をもつ国であり、温室育ちの植物ではない。
★
或る者が過失をおかしても私は特に怒らない。
しかし軍律に反した場合はこれは基本にかかわる問題である。
当事者は場合によっては階級や地位その他すべてを失うことがあり得る。[4]
★
歴史に対する感覚のない人間は視聴覚のない人間のようなものである。
生きては行けるであろうが、それが何になろうか。[5]
★
我々の任務を後代の人たちの手に引き継いでもよかったろうにと
言う人があったら、それはできないと答えよう。
我々の次の世代が巨人の世代になるとは限らない。
ドイツが立ち直るために三十年の年月を要した。ローマは二度と立ち上れなかった。
これが歴史の語るところである。[6]
★
内省的になることは、人間にとって全く素晴らしいことではある。
事実は、我々は意志のない造物であるということ、一方、創造的な力が存在するということである。
これを否定しようとするのは愚かである。
誤ったことを信じている者でも、何も信じていない者に比べればはるかにましである。
★
我々は不運にも、持つ宗教を間違った。
日本人が持っているような、祖国のために我が身を犠牲にすることを
最善とする宗教を、我々はなぜ持たなかったのだろうか。
★
ボルシェビズムは程度の低い民族のための教義である。
★
ショーペンハウエルの一冊が、一九一四年から一九一八年の戦争の間、私の伴侶であった。 https://nico.ms/sm10953011
https://nico.ms/sm8983831
↑事実上ナチスの残虐な暴政の犠牲者であり、被害者である、ヒトラーユーゲントと国民突撃隊、第二世界時のドイツの一般市民、挙句の果てには罪の無いナチスの末裔たちまで、
テロリスト扱いする奴こそが真のテロリストであり、イスラエルこそが真のテロ国家。
そもそも、イスラエルの公務員は全員テロリスト。
だいたい「ナチスのものをなくせ」というだけでなく「ナチスっぽいものもなくせ」というなら、まずイスラエルのものをなくせ。
ハイルモーゼ\(^o^) ダンケルクでそやつらに煮え湯を
飲ませてやった。
バンバンバン 次はフランスの番だ 150 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2018/04/01(日) 16:29:41.82 ID:dfT6wr78
212 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:04/12/08(水) 02:28:14
あの……落としものですよ?
.∧__,,∧
(´・ω・`)
(つ愛と)
`u―u´
あなたから溢れていましたよ?
「自由に通じる道がある。その道標は服従、努力、誠実、秩序、純潔、謹厳、真実、犠牲、
そして祖国への愛だ」 アドルフ・ヒトラー 294 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2019/06/03(月) 18:53:19.97 ID:jQxX6wbN [122/130]
ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。
英雄といふものに必要な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けてゐた。
ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。
三島由紀夫 自民党の政治家は裏金でウハウハ、投資家は異常な株高でウハウハ、しかし一般の国民はインフレと負担増で困窮、「涙そうそう」。
しかも、GDPはドイツに追い越され、一人当たりのGDPは30位台に転落、韓国にも追い越されたという。
責任者出てこい! 靖国カルトや明治の敗残兵徳川部落や小泉平蔵とか小林よしのりだの反ワクだの信奉している奴らをもはや精神薄弱者としてT4作戦で葬り残った善良なる日本市民をまるで特殊訓練された冷静無比な戦闘マシンとして鍛え上がることがもしもできたのならばベトコンやタリバン以上の国家独立的な戦士になれるということでもある。考えてもみろ、幕府のためだの国のためだの誰かの為だの集中精神の欠片もないものが強敵を相手に僅かな隙を見つけて逆転を勝ち取る戦争や戦闘のゲーム性という闘争に勝利できうると思うか?自民を妄信し徳川松平とかいう戦犯美化を妄信しパチンコポリスを妄信しひたすら特高警察の怖さにビビり続けるが如きものが手に入れたものは己の死が玉砕という会話のタネにしかならないチンケな代物にしか過ぎなかったという事実を鑑みることができていないということだ。愛国とは本質からの逃げだ。愛国が目的なのではなく強さを手に入れ領土を手に入れ生存を手に入れることが生物の本能。それもできないものが靖国だの徳川だの玉砕だの反ワクだのコーマニズムだの非合理カルトに救いを求める。そんなものはT4作戦が望ましいだろう。 >>1
ストーカー 早川.莉里子(剛)大麻中毒者のゴキブリハッカー
東京から来たTHE陰湿の厄介者
闇バイトでおっさんを盗撮させる→金払わずトンズラ
勝手な妄想で大阪の一般男性にあらぬ期待を抱いて2016年からストーキングしていた精神異常者のオカマ
【疾患】
反社会性人格障害、LGBT、統合失調症、ソシオパス、ADHD、アスペルガー症候群、
マッチングアプリに女性として登録
https://i.ibb.co/X3Z82Hv/BJBY3Er.jpg
>>1
【ストーキングの証拠画像】
https://i.ibb.co/bQCNL9K/yut.jpg
https://i.ibb.co/PrQcrgL/sat.jpg
>>1
【なんばWalk】
ストーキングしている決定的証拠を撮影されたストーカー
証拠動画(keekon)
https://firestorage.jp/download/79d6c42456ea401c464170689966020e0c1fb4b1