ダンスは単なる 都市部のエンターテイメントから、 キングストンの中心的存在に進化した。 0004No Name No Cry2023/07/18(火) 11:34:50.66ID:h5ua6Ckv>>3 ダンスは男と女の出会いの場であり
フアッションや流行りをつかむ場であり
情報交換の場であり
政治について語る場であり
商売の場でもあった。 0005No Name No Cry2023/07/18(火) 17:56:12.98ID:5L76MSd2>>4 ディージェイが喋れば、 それはゲットーの 新聞的役割も果たした。
そしてなにより、金が動いた。
地方からゲットーのダンスに来て 飯や酒が売れると結構な金になった。 0006No Name No Cry2023/07/18(火) 22:56:24.50ID:h5ua6Ckv>>5 サウンドシステムには
「生きてて良かった」と
ジャマイカの人々が思える要素がたくさんあった。
星いっぱいのカリブの空の下、
野外の気持ち良い場所で繰り広げられるダンスは、
誰にとっても人生最高の瞬間だった。 0007No Name No Cry2023/07/19(水) 11:58:30.46ID:zjwIPk8/>>6 ジャークチキンの美味しい匂いと
ブーゲンビリアとガンジャの香りが
グルグルと頭の中を渦巻く頃
冷たいビールの瓶を通して
熱いR&Bの
ジャンプアップのビートを感じる。
大きな瞳の娘とクールなステップをキメる。 0008No Name No Cry2023/07/20(木) 14:01:36.51ID:ItOGIjGI>>7 誰だってその空気に圧倒された事だろう。
ダンスの会場を出てしまえば、
いい事なんか何もない。
でもそれは少しも気にならない。
なぜなら、サウンドシステムでの
あの瞬間さえあれば
全てが手に入ったのだから。 0009No Name No Cry2023/07/20(木) 23:18:17.95ID:moDSb5YU おもしろいです 0010No Name No Cry2023/07/21(金) 14:45:29.72ID:jfh3dLsT>>8 ダンスは単に楽しいだけのものでは無い。
文化的に正しく言うと
こういったサウンドシステムのダンスこそが
ジャマイカを変えてしまった。
この島とそれ以外の世界との
関わり方を永遠に変えてしまった。
ジャマイカが生み出すものの中で
最も鮮烈で、もっとも価値が高く
いまだ無尽蔵と思われる輸出品は、音楽だ。 0011No Name No Cry2023/07/21(金) 23:06:21.60ID:DchZktUy>>10 その音楽はもともとは
サウンドシステムが輸入した
アメリカのR&B
それが途切れることなく
ジャマイカ中に流れていたおかげで誕生した。
1950年代半ば、
サウンドシステムの普及によって、
ジャマイカは国を挙げての音楽狂となった。
そして非常に重要な何かが、まもなく起こる。 0012No Name No Cry2023/07/22(土) 11:33:10.29ID:UToi9ayO>>11 デリックハリオットは
「でも、ただ音楽を聴くだけじゃない。機材が恐ろしくパワフルでヴァイブがものすごかったから、俺たちは音楽を感じられたんだ。」 0013No Name No Cry2023/07/22(土) 19:54:42.84ID:UToi9ayO>>12 「 ダンスをしていると、自分が本当に音楽の1部だと思えてくる。これは俺たちのものだ!ってね。」
そうデリックハリオットは語った。 0015No Name No Cry2023/07/23(日) 12:03:02.93ID:ilCiInqg>>14 1950年代に一般に普及し始めたラジオでは
安全な当たり障りのない音楽が流れた。
しかし、土曜の夜を楽しむために
ダンスにやってくるのは
倒れるまで踊りたいゲットーの人々だ。
心意気あるサウンドマンは
ラジオ局が流しているような
陳腐なレコードを決して使わなかった。
炎のように暑いR&B
メレンゲ
ラテンジャズ
淫らな言葉でいっぱいのメント
ディープなバラードなど
活気がある、魂がこもったナンバーだけを
ターンテーブルにのせた。 0016No Name No Cry2023/07/23(日) 17:57:49.55ID:ErTRFpZ9>>15 ジャマイカのラジオ局は、さも当然の事のように、
どんなにダンスで人気のある曲でも、
サウンドシステムで流れている音楽の領域には手を出そうとしなかった。
当時のラジオ局は「品の良さ」を大切にし、
ワイルドすぎるもの、つまり「黒人っぽいもの」を野蛮だと見下す中流階級によって管理されていたからである。 0017No Name No Cry2023/07/24(月) 07:27:58.92ID:hx8HP2Np>>16 当時のサウンドマンたちの悩みは
ダンスの現場でヒット曲が生まれると
どこのサウンドも同じレコードを持つようになるという点だ。
ダンスという恐ろしくプレッシャーのかかる勝負の場で
サウンドマンがライヴァルに対して
ここ1番の武器(キラーチューン)として使ったのは
タイトルさえわからない
他の誰も決して持っていないレコードだった。 0018No Name No Cry2023/07/24(月) 18:30:46.60ID:HKlAQmWu>>17 ジャマイカのダンスは非常に純粋で
原始的なレアグルーヴの現場だ。
そこは、他には誰も持っていない、
世界に未だ知られていない曲かどうかが
大切な判断基準となる世界だった。
もちろんお客は素直に曲に反応した。
ダンスに行く大きな楽しみの一つは、
この狂ったような大盛り上がりの渦の中に
参加する事である。 0019No Name No Cry2023/07/25(火) 07:13:45.89ID:thUEi/yC>>18 エクスクルーシヴなレコードや往年の名曲は
大歓声で迎えられ、人々は身を投げ入れて弾けたように踊り出した。
場を爆発的に盛り上げた曲が終わりかかると、
「Lick it back! (もう一回鳴らせ!)」
「Wheel and come again!(最初からもう一度!)」
といった声が、たくさんの弾丸が一度に発射されたかのように沸き起こる。 0020No Name No Cry2023/07/25(火) 12:08:42.28ID:thUEi/yC>>19 同じ曲が一晩に何十回もターンテーブルにのせられた。
レコードがまずくて気に入らない時もお客は騒ぎ出した。
ブーイングでレコードの音が聞き取れないほどになる。
そうなると、オペレーターはレコードを交換しなければならない。しかも大急ぎで、だ。
レコードの交換そのものが離れ技の曲芸のようだった。
なにしろ当時のサウンドマンはターンテーブルを1台しか使っていなかったのだ。 0021No Name No Cry2023/07/25(火) 17:07:51.81ID:thUEi/yC>>20 その早技はこんな具合だ。
利き手の中指と小指と手のひらで
次にかけるレコードBを挟み
もう一方の手で
お客を怒らせてしまったレコードAから針をあげ
Bを持っている方の手の親指を使って
ターンテーブルからAを払いのけるのとほぼ同時に
中指でターンテーブルの真ん中の芯にBを突き刺す。
手首をピシッ!と一振りする間に
この一連の動作を行う事ができれば
次の曲がつつがなく流れだす。 0022No Name No Cry2023/07/26(水) 09:25:15.34ID:w61dfw7t>>21 サウンドシステムのディージェイとお客の間には
ディスコとかナイトクラブのそれとは違う
密接な関係があった。
素晴らしいダンスは集団体験の場だ。
ディージェイとお客はお互いを認め合い
高く評価しあっていた。
お客は、お気に入りの曲や
そのサウンドでなければ聴けない曲が流れると
声を張り上げて歌って曲に参加した。
オペレーターはお客に
心ゆくまで歌ってもらえるように
コーラスのヴォリュームを下げるのが常だった。 0023No Name No Cry2023/07/27(木) 07:46:58.04ID:U2UQtmYa>>22 地域一帯に響き渡るお客の歌声はサウンドシステムの人気を示すバロメーターだった。
お客の反応はサウンドマンたちのエネルギーの源だったが、
盛り上げてもらったお返しに、彼らはその評判を裏切らないように精進し続けなければならない。
サウンドとお客の間のギブアンドテイクが、優れたサウンドマンとサウンドシステムを育てた。
お客の純粋な反応のお陰でディージェイは人々とごく近い距離に居続けた。
結果、サウンドシステムではラジオなどとは違い、常に精選された人気ナンバーが流れた。 0024No Name No Cry2023/07/28(金) 22:26:57.81ID:TwQuVTGG 続き 0025No Name No Cry2023/07/29(土) 12:22:50.27ID:uKXtK1M7>>23 あるレコードが人気になれば、寿命が来るまでその曲をプレイし、
一方で次の「当たり」レコードを探し始める。
本質的に人気のレコードは寿命の短いものだった。
同じお客が次にどんな曲を求めるかを予測し、
繰り上げ繰り上げで同じ程度のキラーチューンを探し当てることこそ、ディージェイにとっての試練だった。 0026No Name No Cry2023/07/29(土) 12:24:57.48ID:uKXtK1M7>>25 留まる事なく進み続けることがお客の興味を惹きつけ続ける唯一の方法であり、
サウンドマンとしてのキャリアを積み上げる唯一の手段だったのだ。
このような背景があったため、ダンスはレコードだけでなく、新しい音楽スタイルを試す場となった。
こうしてゲットーの人々は、物事が発展してゆく様子を1番間近で目の当たりにしてゆくことになる。
今日のジャマイカ音楽にあるものは全て、
これら初期のサウンドシステムの中にさかのぼる事ができる。 0027No Name No Cry2023/07/29(土) 18:36:16.13ID:DTZJ9ckQ>>26 このころジャマイカは1957年頃までとても景気が良かった。
欧米人のオシャレなリゾート地という市場ができ、
そして他の先進国では飛行機をたくさん作る時代になったためアルミがいるようになった。
ジャマイカではアルミの主原料のボーキサイトが大量に取れたのだ。
そしてこの頃、労働者の大量国外移動(これをエクソダスと呼ぶ)があり、
ジャマイカ国民の10分の1もがそれぞれUK、カナダ、北米の三ヶ国に移住した。
植民地ということもありUKやカナダに移り住む事に受け入れ制限がなかった。
そして人が減った分、ジャマイカ国内では雇用が安定した。 0028No Name No Cry2023/07/30(日) 12:54:04.11ID:bZCt0zYT>>27 しかし、これら良い状況の影には不吉なものが潜んでいた。
ジャマイカという一つの国の中に、地理的にも社会的にも完全に上下に分かれた二つの国が存在していた。 0029No Name No Cry2023/07/31(月) 12:11:07.65ID:8GMkWA1M>>28 当時を記憶している年配のジャマイカ人は、ゲットーの住民がいかに「疎外されている感じ」を味わっていたかを話してくれる。
レコードの売買は、騒々しい物々交換や言い争いに終わる事も多々あった。 0032No Name No Cry2023/08/01(火) 10:39:55.85ID:TjHZRya2>>31 アメリカ製のシングル盤は、 島で生産されるラム、 良質の葉巻、 コーヒー、ガンジャ、 あるいは女性(と過ごす時間)
などの魅力的な商品と交換されていた。
その都合上、キングストンで最も有名な売春宿でダンスを催す人気サウンドシステムさえあった。 0033No Name No Cry2023/08/01(火) 11:01:01.49ID:TjHZRya2>>32 ホットな新曲が届くと、「船で到着したばかりのホヤホヤの新曲」である事を彼らは誇大に宣伝した。
人気ディージェイはプライドが高く、自ら船まで出向く事はない。
代わりに子分が波止場に行った。
子分は太陽の光を避けて座り、お目当ての船が到着するのをじっと待った。
次に予め決められていた商品を受け取り、親分の元まで自転車で超特急で運ぶ。
それ自体が素晴らしいパフォーマンスになっていて、多くの人がその様子を目撃して、
「あっこのサウンドは今日新曲いっぱいかかるらしい!」と期待に胸を膨らませていた。 0034No Name No Cry2023/08/02(水) 22:42:31.64ID:bpJnw/So>>330035No Name No Cry2023/08/02(水) 22:53:23.94ID:bpJnw/So>>33 ジャマイカに到着したR&Bなどのレコードはいつリリースされたとかは重要ではなく、
クレジットの内容は手に入れたい情報だった。 0036No Name No Cry2023/08/02(水) 23:09:39.49ID:bpJnw/So>>35 https://youtu.be/AL939Nw1Zq40037No Name No Cry2023/08/03(木) 14:58:29.37ID:nE3dUmg8>>35 事実、キラーチューンの本当のタイトルを知っている者の数を少なくすればするほど、
参加者の歌が気に食わないと即、大声でヤジ、罵倒がとんできた。 0041No Name No Cry2023/08/08(火) 14:32:31.35ID:N3IQNm4C>>40 そこで勝ち抜くと賞金がもらえた。 0042No Name No Cry2023/08/08(火) 17:28:14.37ID:dSptxrLb>>41 みな仲間を連れてきたり観客に賄賂を渡したり、
バイアスだらけなショーでもあった。 0043No Name No Cry2023/08/08(火) 17:34:22.59ID:dSptxrLb>>42 バイアスがなくても誰かが優勝したら、その人の所に行き
「俺が応援したから勝てたんだ」といって賞金の分前を請求する。 0044No Name No Cry2023/08/08(火) 17:37:09.65ID:dSptxrLb>>43 デリックハリオットは2位になった際、2ポンドの賞金をもらったが
全然会ったこともない人たちに囲まれ、半分持っていかれたと語っている。 0045No Name No Cry2023/08/08(火) 18:08:35.54ID:dSptxrLb>>44 けれど競争が相当に激しかった事もあり、
そのコンテストに出る人の水準は相当高く、
さらに勝ち残って行った人はズバ抜けて上手い人ばっかりが残った。 0046No Name No Cry2023/08/08(火) 21:20:35.76ID:dSptxrLb>>45 デリックハリオット ボブアンディ デズモンドデッカー ウェイラーズ アルトンエリス ジョンホルト
みんなそのコンテスト出身者だった。 0047No Name No Cry2023/08/08(火) 22:03:15.19ID:dSptxrLb>>46 しかし、そのコンテストで優勝しても地元のクラブで
雇いの歌手として歌えるくらいで、
なれたとしても報酬は知れたものだった。 0048No Name No Cry2023/08/08(火) 22:04:36.68ID:dSptxrLb>>47 多くのゲットーの若者が貧困から抜け出そうとシンガーを夢見たが
1950年代のジャマイカには自分たちの歌を録音して売るとかいう発想がなかった。 0049No Name No Cry2023/08/08(火) 22:06:21.82ID:dSptxrLb>>48 しかし、大きな変化がまもなく起きようとしていた。 0050No Name No Cry2023/08/09(水) 12:44:28.32ID:3wgHmW0G>>49 1950年代に入るまでターンテーブルやレコードは一般家庭にあまり普及してなかった。
録音スタジオなどは多少あったが、カリプソやメントを少しだけ録音して観光土産として旅行客が買って帰るレコードを作るくらいだった。 0051No Name No Cry2023/08/09(水) 12:45:53.76ID:3wgHmW0G>>50 しかし第二次世界大戦後、アメリカのレコード会社がカリブ海に市場を広げようとジャマイカにある数少ないレコード会社と提携してジャマイカ国内でレコード売るようになった。 0052No Name No Cry2023/08/09(水) 12:49:23.80ID:3wgHmW0G>>51 ケン・クォーリーという人はアメリカのレコード会社と提携した年に、レコーディング機材を仕入れてスタジオを始めた。 0053No Name No Cry2023/08/09(水) 20:59:56.44ID:3wgHmW0G>>52 しかし何人かいたスタジオのオーナーたちは、アップタウンの人間だったため、
「ゲットーの素晴らしい音楽を録音してレコードにしてダンスでボスさせたい」などという気持ちはなく、 0054No Name No Cry2023/08/09(水) 21:01:23.79ID:3wgHmW0G>>53 音楽を作る事に対してやる気があるわけでもなく、スタジオでレコーディングして使用代を払ってくれさえすればなんでもいい。というスタンスだった。 0055No Name No Cry2023/08/09(水) 21:04:49.97ID:3wgHmW0G>>54 しかし、それが逆にゲットーのヤル気に満ち溢れたコンテスト出身のスター達には都合が良かった。 0056No Name No Cry2023/08/09(水) 21:08:46.42ID:3wgHmW0G>>55 コンテストに出ていた歌い手たちはスタジオに群がった。 0057No Name No Cry2023/08/10(木) 09:01:32.18ID:2d1BcCTH>>56 スタジオ代には レコード一枚カットする料金、 ピアノを弾いてくれる料金、 コーラスやってくれる料金が含まれてた。
ちょっとお金があれば誰でも、レコードが作れた。 0058No Name No Cry2023/08/11(金) 15:31:23.95ID:UhW/7O7D>>57 ゲットーの音楽シーンに精通しているこの若いアーティストたちは、当然サウンドシステムのダンスに出入りしていることもあり、
サウンドマン達がが常にオリジナルな音源を探しているのを良く知ってた。 0059No Name No Cry2023/08/21(月) 02:15:13.43ID:/zJdr+Cu 良スレ 0060No Name No Cry2023/08/22(火) 19:20:22.09ID:UbTDUtor>>58 若いアーティスト達はコンテストでゲットーの人達をボスさせてすでに才能は実証されている。
なので自分が歌って作ったレコードに価値がある事を知っていた。 0061No Name No Cry2023/09/05(火) 16:31:36.80ID:f64XLAqi 終わりかな? 良かったけど 0062No Name No Cry2023/09/11(月) 19:25:31.07ID:hnx6DI5w>>60 タレントコンテストで名が知られるようになったアーティストは、賞金の一部を投資して、
「これだ!」という一枚を録音し、地元の小さなサウンドシステムをまわり、1番高い値段で買ってくれる所に作品を買い上げてもらった。 0063No Name No Cry2023/09/12(火) 07:13:41.06ID:Si40FyGl>>62 ダンスの現場での直接取引もおこなわれた。
もし曲がウケない場合は、アーティストはすごすごと家へ帰り、地元の人がこの恥ずかしい出来事を忘れるまでベッドに潜り込んでいるしかない。 0064No Name No Cry2023/09/12(火) 12:52:44.62ID:XivkEkRr>>63 その代わり一度レコードが売れたら客の盛り上がり具合で次のレコードの買い取り値段が決められた。
そして売れたお金で次のレコードを作るスタジオ代にした。
この取引は小さなサウンドにとって相当重要な事になった。 0065No Name No Cry2023/09/12(火) 18:53:31.63ID:Si40FyGl>>64 今までは弱小サウンドはビックサウンドのおこぼれの残り物レコードしか手に入れられなかった。
その一枚はそのサウンドしか持ってない大きな武器になった。 0066No Name No Cry2023/09/13(水) 08:43:56.12ID:MvvAtZNO>>65 ゲットーにはゲットーの序列や階級があった。
さらに、ジャマイカ全体に、「ジャマイカで生まれ育ったものを軽視する風潮」があった。
このような状況だったため、大きなサウンドやオペレーターが純粋なキングストン産のレコードを見下したとしても仕方が無いだろう。 0067No Name No Cry2023/09/13(水) 21:22:16.14ID:MvvAtZNO>>66 ビッグになったオペレーターはあまりに偉くなりすぎたせいか、いちいち地元のシンガー志望の男の子達に構ってる暇などなく、
外国のレコードを買い付けるのに忙しかった。 0068No Name No Cry2023/09/14(木) 08:00:43.06ID:q/5coNbT>>67 そのためコンテスト出身のシンガー達はどんなに限りない可能性を秘めていても、
すでに人気あることが実証されていても、
地元の有名人以上になることはなかった。 0069No Name No Cry2023/09/14(木) 14:01:28.62ID:eK1xR0NK>>68 彼らの出来たてホヤホヤのレコードはすぐそこにあったのに、ビッグサウンドは決して自らそれを探し求めることはなかったのである。
しかし、ビッグサウンドが全然かけないにもかかわらず、次第にその純粋なキングストン産の音楽がサウンドシステム産業の中で絶対不可欠な要素となってゆく。 0070No Name No Cry2023/09/14(木) 15:29:41.24ID:n5upeT0J 1950年代、
サウンドマンの第二世代はほとんどが20代に入ったばかりの若者だった。 0073No Name No Cry2023/09/15(金) 12:27:28.63ID:LTE8a0Zv>>72 彼らは「骨の髄までシビレさせてくれるサウンドシステムがなければ、キングストンでは生きていけない」という考えと共に育ってきた世代だ。
ダンスとは何かを伝える努力をする必要も、サウンドシステムという文化を流行らせる必要もなかった。
もうすでに土台はできていた。 0074No Name No Cry2023/09/15(金) 18:39:01.99ID:TZbIkHlZ>>73 だからおかげで、社会的、商業的イベントとしてのサウンドシステムに磨きをかけ、その可能性を限りなく大きくする事に集中できた。
ニューウェイブともいえる第二世代の代表格は、
デュークリード コクソンドッド プリンスバスター
の三人である。 0075No Name No Cry2023/09/16(土) 08:51:25.39ID:oZ11reRs>>74 彼らはサウンドシステムという文化を本のページをめくるように静々と伝えたというよりは、そのシーンにマッチで火をつけて燃え上がらせたと言った方がいいだろう。 0076No Name No Cry2023/09/16(土) 19:29:11.13ID:oZ11reRs>>75 トレジャーアイルのデュークリード スタジオワンのコクソンドッド 伝説のアーティスト、プリンスバスター
三人の関係の一時にスポットをあてて書くと、
デュークリードとコクソンドッドはライバルであり、
プリンスバスターはコクソンドッドの用心棒だった。 0077No Name No Cry2023/09/17(日) 14:36:51.84ID:MMZbctZk>>76 この三人には他の誰よりもジャマイカの音楽の道筋をつけた者としての責任がある。 0078No Name No Cry2023/09/17(日) 21:12:22.20ID:HSNRtNBx>>77 コクソンドッドはちっちゃい頃からサウンドをやりたいと思っていた。
コクソンドッドのお母さんは酒屋&居酒屋さんをやっていて、コクソンは酒飲みにきた客に自分の好きなJazzのレコードを聞かせたりしていた。 0079No Name No Cry2023/09/18(月) 09:28:57.36ID:oq+7wMco>>78 コクソンは次第に「音楽をわかってる奴」 という評判を得ていった。 0080No Name No Cry2023/09/18(月) 19:43:19.36ID:oq+7wMco>>79 だがお母さんはそんな息子の事を心配して、しっかり自分で食べていけるように、大工の技術を学ばせた。
ジャマイカといえどやはり自分の子供が音楽を仕事にするというのは親にとって不安な事だったのだろう。 0081No Name No Cry2023/09/19(火) 09:54:55.48ID:bZt427VY>>80 しかし、まっとうな仕事について欲しいというお母さんの思いどおりにはいかなかった。
大工職人のコクソンは地元のダンスにいくうちにスピーカーキャビネット(サウンドシステムのスピーカーの木でできた箱の部分)の作成を依頼されるようになった。 0082No Name No Cry2023/09/20(水) 13:33:31.21ID:BolqK7F4>>81 その後、給料の良いアメリカのさとうきび刈りのバイトをしにアメリカとジャマイカを行き来するようになった。
すると地元のサウンドマンたちはコクソンの耳を信用してレコードの買い付けや機材の買い付けを頼むようになった。 0083No Name No Cry2023/11/16(木) 20:57:53.07ID:8BKt8jVE 待っとるで〜 0084No Name No Cry2023/11/20(月) 05:53:46.32ID:LJbx+nZj>>82 コクソンが「どうせやるなら自分のためにやるほうがいい」と思い始めるのにそう長くはかからなかった。
そしてサウンド、
Sir Coxson's "Down Beat" (サー コクソンズ ダウンビート)
を立ち上げた。 0085No Name No Cry2023/11/21(火) 08:57:24.29ID:4lpiuqSV おもろい センスありすぎ 0086No Name No Cry2023/11/21(火) 08:57:37.30ID:d0VfV71I おもろい センスありすぎ 0087No Name No Cry2023/11/21(火) 08:57:38.39ID:d0VfV71I おもろい センスありすぎ 0088No Name No Cry2023/11/21(火) 11:34:33.02ID:Z+DaoawF>>84 コクソンは当初JAZZをプレイしていたが、新しいレコードを紹介するセンスも抜群だった。
ダウンビートのクルーには親友のブラッキーという男がいて、元々プロのタップダンサーだった。
コクソンとブラッキーは協力して「コクソンが新曲を流すとブラッキーがニューダンスを踊る」といった具合にダンスを演出した。 0089No Name No Cry2023/11/23(木) 12:01:49.30ID:bPCdwmy+>>88 次々に他のサウンドからもお客が流れてきて、ダウンビートのお客は新しい曲を聞くだけでなく新しいダンスを楽しみにするようになった。
こうしてコクソンのダウンビート サウンドは突如としてシーンに旋風を巻き起こした。 0090No Name No Cry2023/11/29(水) 06:26:37.83ID:gJ5KwS3T>>89 もちろん人気になった理由はそれだけじゃなかった。
ダウンビートのスピーカーが放つ音がコクソンを勝ち上がらせたのは間違いない。 0091No Name No Cry2024/02/28(水) 23:36:58.66ID:HA2NeJXg 続き気になるやんけ 0092No Name No Cry2024/03/27(水) 17:28:59.70ID:wcNVyrE/ おう