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日本の未来とアンパンマンについて語るスレ [転載禁止]©2ch.net
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0001名無し職人
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2014/11/08(土) 18:58:13.27
最近イスラム国だのなんだのと言っているが、日本は生き残れるのだろうか

食パンマン様かっけぇ
0002名無し職人
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2014/11/15(土) 14:07:53.87
>>1
よう、クソムシ
0005名無し職人
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2014/11/16(日) 10:43:02.67
>>1
よう、ク
0011名無し職人
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2015/01/01(木) 19:40:52.94
未来とアンパンマンについて語るスレ [転載禁止]©2ch.net
0014名無し職人
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2017/04/16(日) 21:52:16.19
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル   総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ  日本国憲法改正の、国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,   
   ~i_ンイノ
0015名無し職人
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2017/06/21(水) 21:38:15.04
川口まき ガイジ ゼリー乞食 レイシスト 差別主義 無能 社会のゴミ 犯罪者 キチガイ 唐澤貴洋 うんこ野郎 薬物乱用 未成年飲酒 未成年喫煙 割れ厨 違法視聴 いじめ 万引き 不登校
0017名無し職人
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2018/01/19(金) 02:00:00.80
南満鉄道会社なんまんてつどうかいしゃっていったい何をするんだいと真面目まじめに聞いたら、満鉄まんてつの総裁も少し呆あきれた顔をして、御前おまえもよっぽど馬鹿だなあと云った。
0018名無し職人
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2018/01/19(金) 02:00:16.91
是公ぜこうから馬鹿と云われたって怖こわくも何ともないから黙っていた。
0019名無し職人
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2018/01/19(金) 02:00:32.85
すると是公が笑いながら、どうだ今度こんだいっしょに連れてってやろうかと云い出した。
0020名無し職人
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2018/01/19(金) 02:00:48.69
是公の連れて行ってやろうかは久しいもので、二十四五年前ぜん、神田の小川亭おがわていの前にあった怪しげな天麩羅屋てんぷらやへ連れて行ってくれた以来時々連れてってやろうかを余に向って繰返す癖がある。
0021名無し職人
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2018/01/19(金) 02:01:04.61
そのくせいまだ大した所へ連れて行ってくれた試ためしがない。
0022名無し職人
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2018/01/19(金) 02:01:20.58
「今度こんだいっしょに連れてってやろうか」もおおかたその格かくだろうと思ってただうんと答えておいた。
0023名無し職人
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2018/01/19(金) 02:01:36.51
この気のない返事を聞いた総裁は、まあ海外における日本人がどんな事をしているか、ちっと見て来るがいい。
0024名無し職人
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2018/01/19(金) 02:01:52.48
御前みたように何にも知らないで高慢な顔をしていられては傍はたが迷惑するからとすこぶる適切めいた事を云う。
0025名無し職人
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2018/01/19(金) 02:02:08.42
何でも是公に聞いて見ると馬関ばかんや何かで我々の不必要と認めるほどの御茶代などを宿屋へ置くんだそうだから、是公といっしょに歩いて、この尨大ぼうだいな御茶代が宿屋の主人下女下男にどんな影響を生ずるかちょっと見たくなった。
0026名無し職人
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2018/01/19(金) 02:02:24.36
そこで、じゃ君の供をしてへいへい云って歩いて見たいなと注文をつけたら、そりゃどうでも構わない、いっしょが厭いやなら別でも差支さしつかえないと云う返事であった。
0027名無し職人
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2018/01/19(金) 02:02:40.32
それから御供をするのはいつだろうかと思って、面白半分に待っていると、八月半なかばに使が来ていつでも立てる用意ができてるかと念を押した。
0028名無し職人
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2018/01/19(金) 02:02:56.26
立てると云えば立てるような身上しんじょうだから立てると答えた。
0029名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:03:12.18
するとまた十日ほどしていつ何日いつかの船で馬関から乗るが、好いかと云う手紙が来た。
0031名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:03:44.12
次には用事ができたから一船ひとふね延ばすがどうだと云う便たよりがあった。
0033名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:04:16.03
しかし承知している最中に、突然急性胃カタールでどっとやられてしまった。
0034名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:04:31.96
こうなるといかに約束を重んずる余も、出発までに全快するかしないか自分で保証し悪にくくなって来た。
0035名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:04:47.90
胸へ差し込みが来ると、約束どころじゃない。
0036名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:05:04.06
馬関も御茶代も、是公も大連もめちゃめちゃになってしまう。
0037名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:05:20.03
世界がただ真黒な塊かたまりに見えた。
0038名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:05:35.93
それでも御供旅行の好奇心はどこかに潜ひそんでいたと見えて、先へ行ってくれと云う事は一口も是公に云わなかった。
0039名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:05:51.88
そのうち胃のところがガスか何かでいっぱいになった。
0040名無し職人
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2018/01/19(金) 02:06:07.79
茶碗の音などを聞くと腹が立った。
0041名無し職人
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2018/01/19(金) 02:06:23.73
人間は何の必要があって飯などを食うのか気の知れない動物だ、こうして氷さえ噛かじっていれば清浄潔白しょうじょうけっぱくで何も不足はないじゃないかと云う気になった。
0042名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:06:39.67
枕元まくらもとで人が何か云うと、話をしなくっちあ生きていられないおしゃべりほど情ない下賤げせんなものはあるまいと思った。
0043名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:06:55.63
眼を開いて本棚ほんだなを見渡すと書物がぎっしり詰っている。
0044名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:07:11.59
その書物が一々違った色をしてそうしてことごとく別々な名を持っている。
0045名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:07:27.53
煩わずらわしい事夥おびただしい。
0046名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:07:43.47
何の酔興すいきょうでこんな差別をつけたものだろう、また何の因果いんがでそれを大事そうに列ならべ立てたものだろう。
0048名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:08:15.35
早く死んじまえと云う気になった。
0049名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:08:31.32
禎二ていじさんが蒲団ふとんの横へ来て、どうですと尋ねたが、返事をするのが馬鹿気ばかげていて何とも云う了見りょうけんにならない。
0050名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:08:47.29
代診が来て、これじゃ旅行は無理ですよ、医者として是非止とめなくっちゃならないと説諭したが、御尤ごもっともだとも不尤ふもっともだとも答えるのが厭いやだった。
0051名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:09:03.22
そのうち日は容赦なく経たった。
0052名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:09:19.15
病気は依然として元のところに逗留とうりゅうしていた。
0053名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:09:35.14
とうとう出発の前日になって、電話で中村へ断った。
0054名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:09:51.10
中村は御大事になさいと云って先へ立ってしまった。
0055名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:10:07.04
小蒸気こじょうきを出て鉄嶺丸てつれいまるの舷側げんそくを上のぼるや否や、商船会社の大河平おおかわひらさんが、どうか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。
0056名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:10:22.97
船が動き出すと、事務長の佐治君さじくんが総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。
0057名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:10:38.88
船長さんにサルーンの出口で出逢であうと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。
0058名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:10:54.98
こうみんなが総裁総裁と云うと是公ぜこうと呼ぶのが急に恐ろしくなる。
0059名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:11:10.97
仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。
0060名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:11:26.90
この倹約は鉄嶺丸に始まって、大連から満洲一面に広がって、とうとう安東県あんとうけんを経へて、韓国かんこくにまで及んだのだから少からず恐縮した。
0061名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:11:42.82
総裁という言葉は、世間にはどう通用するか知らないが、余が旧友中村是公なかむらぜこうを代表する名詞としては、あまりにえら過ぎて、あまりに大袈裟おおげさで、あまりに親しみがなくって、あまりに角かどが出過ぎている。
0063名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:12:14.68
たとい世間がどう云おうと、余一人はやはり昔の通り是公是公と呼よび棄すてにしたかったんだが、衆寡敵しゅうかてきせず、やむをえず、せっかくの友達を、他人扱いにして五十日間通して来たのは遺憾いかんである。
0065名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:12:46.50
二百十日にひゃくとおかの明あくる日に神戸を立ったのだから、多少の波風は無論おいでなさるんだろうと思ってちゃんと覚悟をきめていたところが、天気が存外呑気のんきにできたもので、神戸から大連に着くまでたいていは鈍にぶり返っていた。
0066名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:13:02.47
甲板かんぱんの上に若い英吉利イギリスの男が犬を抱いて穏かに寝ていたと云ったら、海のようすもたいていは想像されるだろうと思う。
0067名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:13:18.43
ありゃ何ですかと事務長の佐治さじさんに聞くと、え、あれは英国の副領事ふくりょうじだそうですと、佐治さんが答えた。
0068名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:13:34.35
副領事かも知れないが余には美しい二十一二の青年としか思われなかった、これに反して犬はすこぶる妙な顔をしていた。
0069名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:13:50.30
もっともブルドッグだから両親からしてすでに普通の顔とは縁の遠い方に違いない。
0070名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:14:06.27
したがって特にこいつだけを責めるのは残酷だが、一方から云うと、また不思議に妙な顔をしているんだからやむをえない。
0071名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:14:22.21
この犬はその後ご大連に渡って大和やまとホテルに投宿した。
0072名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:14:38.18
そうとはちっとも知らずに、食堂に入って飯を食っていると、突然この顔に出食でっくわして一驚いっきょうを喫きっした。
0073名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:14:54.13
固もとより犬の食堂じゃないんだけれども、犬の方で間違えて這入はいって来たものと見える。
0074名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:15:10.27
もっとも彼の主人もその時食堂にいた。
0075名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:15:26.17
主人は多数の人間のいるところで、犬と高声に談判するのを非紳士的と考えたと見えて、いきなりかの妙な顔を胴ぐるみ脇わきの下に抱かかえて食堂の外に出て行った。
0076名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:15:42.06
その退却の模様はすこぶる優美であった。
0077名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:15:57.98
彼は重い犬をあたかも風呂敷包ふろしきづつみのごとく安々と小脇に抱えて、多くの人の並んでいる食卓の間を、足音も立てず大股おおまたに歩んで戸の外に身体からだを隠した。
0078名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:16:13.95
その時犬はわんとも云わなかった。
0080名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:16:46.03
あたかも弾力ある暖かい器械の、素直すなおに自然の力に従うように、おとなしく抱かれて行った。
0081名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:17:01.98
顔はたびたび云う通りはなはだ妙だが、行状ぎょうじょうに至ってはすこぶる気高いものであった。
0082名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:17:17.96
余はその後ごついにこの犬に逢う機会を得なかった。
0083名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:17:33.90
退屈だから甲板かんぱんに出て向うを見ると、晴れたとも曇ったとも方かたのつかない天気の中うちに、黒い影が煙を吐いて、静かな空を濁しながら動いて行く。
0084名無し職人
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2018/01/19(金) 02:17:49.84
しばらくその痕あとを眺めていたが、やがてまた籐椅子といすの上に腰をおろした。
0085名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:18:05.83
例の英吉利イギリスの男が、今日は犬を椅子いすの足に鎖で縛りつけて、長い脛すねをその上に延ばして書物を読んでいる。
0086名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:18:21.79
もう一人の異人はサルーンで何かしきりに認したため物ものをしている。
0087名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:18:37.78
その妻君はどこへ行ったか見えない。
0088名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:18:53.78
亜米利加アメリカの宣教師夫婦は席を船長室の傍わきへ移した。
0089名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:19:09.73
甲板の上はいつもの通り無事であった。
0090名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:19:25.71
ただ機関の音だけが足の裏へ響けるほど猛烈に鳴り渡った。
0091名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:19:41.64
その響の中でいつの間にかうとうとした。
0092名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:19:57.57
眼が覚さめてから、サルーンに入って亜米利加の絵入りの雑誌を引ひっ剥ぺがして見た。
0093名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:20:13.51
傍そばには日本の雑誌も五六冊片寄せてあった。
0094名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:20:29.50
いずれも佐治文庫さじぶんこと云う判が押してある。
0095名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:20:45.77
これは事務長の佐治さんが、自分で読むために上陸の際に買入れて、読んでしまうと船の図書館に寄附するのだと佐治さん自身から聞いた。
0096名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:21:01.69
佐治さんは文学好と見えて、余の著書なども読んでいる。
0097名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:21:17.64
友人の畔柳芥舟くろやなぎかいしゅうと同郷だと云うから、差し向いで芥舟の評判を少しやった。
0098名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:21:33.64
また室へやを出て海を眺めた。
0099名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:21:49.59
すると先刻さっき黒い影を波の上に残して、遠くの向うを動いていた船が、すぐ眼の前に見える。
0100名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:22:05.57
大きさは鉄嶺丸てつれいまるとほぼ同じぐらいに思われるが、船足ふなあしがだいぶ遅のろいと見えて、しばらくの間まにもうこれほど追おっつかれたのである。
0101名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:22:21.55
欄干らんかんに頬杖ほおづえを突いて、見ていると鉄嶺丸が刻一刻と後うしろから逼せまって行くのがよく分る。
0102名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:22:37.54
しまいには黄色い文字で書いた営口丸えいこうまるの三字さえ明あきらかに読めるようになった。
0103名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:22:53.48
やがて余の船の頭が営口丸の尻より先へ出た。
0104名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:23:09.42
そうして、尻から胴の方へじりじりと競せり上あげて行った。
0105名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:23:25.34
船は約一丁を隔ててほとんど並行へいこうの姿勢で進行している。
0106名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:23:41.29
もう七八分すると、余の船は全く営口丸を乗り切る事ができそうに思われた。
0107名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:23:57.25
時に約一丁もあろうと云う船と船の間隔が妙に逼せまって来た。
0108名無し職人
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2018/01/19(金) 02:24:13.17
向うの甲板にいる乗客じょうかくの影が確たしかに勘定かんじょうができるようになった。
0109名無し職人
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2018/01/19(金) 02:24:29.15
見るとことごとく西洋人である。
0110名無し職人
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2018/01/19(金) 02:24:45.09
中には眼鏡めがねを出してこっちを眺めているのもあった。
0111名無し職人
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2018/01/19(金) 02:25:01.05
けれども見るうちに眼鏡は不必要になった。
0112名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:25:17.03
髪の色も眼鼻立めはなだちも甲板に立っている人は御互に鮮あざやかな顔を見合せるほど船は近くなった。
0114名無し職人
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2018/01/19(金) 02:25:49.00
と思うと、船は今までよりも倍以上の速力を鼓こして刹那せつなに近寄り始めた。
0115名無し職人
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2018/01/19(金) 02:26:04.97
海の水を細い谷川のように仕切って、営口丸の船体が、六尺ほどの眼の前に黒く切っ立った時は、ああ打ぶつかるなと思った。
0116名無し職人
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2018/01/19(金) 02:26:20.92
途端とたんに向うの舳へさきは余の眼を掠かすめて過ぎ去りつつ、逼せまりつつ、とうとう中等甲板の角かどの所まで行ってどさりと当った。
0117名無し職人
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2018/01/19(金) 02:26:36.82
同時に甲板の上に釣るしてあった端艇ボートが二艘そうほどでんぐり返った。
0118名無し職人
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2018/01/19(金) 02:26:52.80
端艇を繋つないであった鉄の棒は無雑作むぞうさに曲った。
0119名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:27:08.78
営口丸の船員は手を拍うってわあと囃はやし立たてた。
0120名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:27:24.73
余と並んで立っていた異人が、妙な声を出してダム何とか云った。
0121名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:27:40.61
一時間の後のち佐治さんがやって来て、夏目さん身をかわすのかわすと云う字はどう書いたら好いでしょうと聞くから、そうですねと云って見たが、実は余も知らなかった。
0122名無し職人
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2018/01/19(金) 02:27:56.52
為替かわせの替かわせると云う字じゃいけませんかとはなはだ文学者らしからぬ事を答えると、佐治さんは承知できない顔をして、だってあれは物を取り替える時に使うんでしょうとやり込めるから、やむをえず、じゃ仮名かなが好いでしょうと忠告した。
0123名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:28:12.46
佐治さんは呆あきれて出て行った。
0124名無し職人
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2018/01/19(金) 02:28:28.39
後で聞くと、衝突の始末を書くので、その中に、本船は身をかわしと云う文句を入れたかったのだそうである。
0125名無し職人
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2018/01/19(金) 02:28:44.35
船が飯田河岸いいだがしのような石垣へ横にぴたりと着くんだから海とは思えない。
0126名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:29:00.28
河岸の上には人がたくさん並んでいる。
0127名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:29:16.23
けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚きたならしいが、二人寄るとなお見苦しい。
0128名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:29:32.15
こうたくさん塊かたまるとさらに不体裁ふていさいである。
0129名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:29:48.08
余は甲板の上に立って、遠くからこの群集を見下みおろしながら、腹の中で、へえー、こいつは妙な所へ着いたねと思った。
0130名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:30:04.01
そのうち船がだんだん河岸に近づいてくるに従って、陸おかの方で帽子を振って知人に挨拶あいさつをするものなどができて来た。
0131名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:30:20.11
宣教師のウィンという人の妻君が、中村さんが多分迎えに来ておいででしょうと、笑いながら御世辞おせじを云ったが、電報も打たず、いつ着くとも知らせなかった余の到着を、いくら権威赫々けんいかくかくたる総裁だって予知し得る道理がない。
0132名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:30:36.05
余は欄干らんかんに頬杖ほおづえを突きながら、なるほどこいつはどうしたものかな、ひとまず是公の家うちへ行って宿を聞いて、それからその宿へ移る事にでもするかなと思ってるうちに、船は鷹揚おうようにかの汚ならしいクーリー団の前に横づけになって止まった。
0133名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:30:52.31
止まるや否や、クーリー団は、怒おこった蜂はちの巣のように、急に鳴動めいどうし始めた。
0134名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:31:08.25
その鳴動の突然なのには、ちょっと胆力を奪われたが、何しろ早晩地面の上へ下りるべき運命を持った身体からだなんだから、しまいにはどうかしてくれるだろうと思って、やっぱり頬杖を突いて河岸の上の混戦を眺めていた。
0135名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:31:24.23
すると佐治さんが来て、夏目さんどこへおいでになりますと聞いてくれた。
0136名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:31:40.17
まあひとまず総裁の家うちへでも行って見ましょうと答えていると、そこへ背の高い、紺色こんいろの夏服を着た立派な紳士が出て来て、懐中から名刺を出して叮嚀ていねいに挨拶をされた。
0137名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:31:56.11
それが秘書の沼田ぬまたさんだったので、頬杖を突いて、いつまでも鳴動を眺めている余には、大変な好都合になった。
0138名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:32:12.02
沼田さんは今度郷里から呼び迎えられた老人を、自宅へ案内されるために、船まで来られたのだそうだが、同じ鉄嶺丸に余の乗っている事を聞いて、わざわざ刺しを通じられたのである。
0139名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:32:27.98
じゃホテルの馬車でと沼田さんが佐治さんに話している。
0140名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:32:43.92
河岸かしの上を見ると、なるほど馬車が並んでいた。
0141名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:32:59.90
力車りきしゃもたくさんある、ところが力車はみんな鳴動連めいどうれんが引くので、内地のに比べるとはなはだ景気が好くない。
0142名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:33:15.85
馬車の大部分もまた鳴動連によって、御ぎょせられている様子である。
0143名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:33:31.77
したがっていずれも鳴動流に汚きたないものばかりであった。
0144名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:34:03.60
二つ掘っては鳴動させ、とうとう大連を縦横たてよこ十文字に鳴動させるまでに掘り尽くしたと云う評判のある、――評判だから、本当の事は分らないが、この評判があらゆる評判のうちでもっとも巧妙なものと、誰しも認めざるを得ないほどの泥だらけの馬車である。
0145名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:34:19.55
その中に東京の真中でも容易に見る事のできないくらい、新しい奇麗きれいなのが二台あった。
0146名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:34:35.51
御者ぎょしゃが立派なリヴェリーを着て、光った長靴を穿はいて、哈爾賓ハルピン産の肥えた馬の手綱たづなを取って控えていた。
0147名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:34:51.45
佐治さんは、船から河岸へ掛けた橋を渡って、鳴動の中を突き切って、わざわざ余をその奇麗な馬車の傍そばまで連れて行った。
0148名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:35:07.27
さあ御乗んなさいと勧めながら、すぐ御者台の方へ向いて、総裁の御宅までと注意を与えた。
0149名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:35:23.25
御者はすぐ鞭むちを執とった。
0150名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:35:39.22
車は鳴動の中うちを揺ゆるぎ出だした。
0151名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:35:55.15
門を這入はいって馬車の輪が砂利の上を二三間軋きしったかと思うと、馬は大きな玄関の前へ来て静かに留まった。
0152名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:36:11.10
石段を上あがって、入口の所に立つや否や、色の白い十四五の給仕が、頑丈がんじょうな樫かしの戸を内から開いて、余の顔を見ながら挨拶あいさつをした。
0153名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:36:27.01
もう御帰りかと尋ねると、まだでございますと云う。
0155名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:36:58.87
どうしたものだろうと思って、石の上に佇たたずんで首を傾かたぶけているところへ、後うしろに足音がするようだからふり向くと、先刻さっき鉄嶺丸で知己ちかづきになった沼田さんである。
0156名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:37:14.79
さあ、どうぞと云われるので、中うちに入った。
0157名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:37:30.74
沼田さんは先へ立って、ホールの突き当りにある厚い戸を開いた。
0158名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:37:46.69
その戸の中へ首を突っ込んで、室へやの奥を見渡した時に、こりゃ滅法広いなと思った。
0159名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:38:02.61
数字の観念に乏しい性質たちだから何畳敷だかとんと要領を得ないが、何でも細長い御寺の本堂のような心持がした。
0160名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:38:18.58
その広い座敷がただ一枚の絨毯じゅうたんで敷きつめられて、四角よすみだけがわずかばかり華はなやかな織物の色と映てり合あうために、薄暗く光っている。
0161名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:38:34.46
この大きな絨毯じゅうたんの上に、応接用の椅子いすと卓テーブルがちょんぼり二所ふたところに並べてある。
0162名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:38:50.38
一方の卓と一方の卓とは、まるで隣家りんかの座敷ぐらい離れている。
0163名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:39:06.32
沼田さんは余をその一方に導いて席を与えられた。
0164名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:39:22.26
仰向あおむいて見ると天井てんじょうがむやみに高い。
0166名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:39:54.14
室へやの入口には二階がついていて、その二階の手摺てすりから、余の坐っている所が一目に見下みおろされるような構造なんだから、つまるところは、余の頭の上が、一階の天井兼けん二階の天井である。
0167名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:40:10.05
後のちに人の説明を聞いて始めて知ったのだが、このだだっ広い応接間は、実は舞踏室で、それを見下みくだしている手摺付の二階は、楽隊の楽を奏する所にできているのだそうだ。
0168名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:40:26.02
そんなら、そうと早くから教えてくれれば、安心するものを、断りなしに急に仏様のない本堂へ案内されたものだからまず一番に吃驚びっくりした。
0169名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:40:42.01
余は大連滞在中何度となくこの部屋を横切って、是公ぜこうの書斎へ通ったので、喫驚びっくりする事は、最初の一度だけですんだが、通るたんびに、おりもせぬ阿弥陀様あみださまを思い出さない事はなかった。
0170名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:40:57.94
室を這入はいって右は、往来を向いた窓で、左の中央から長い幕が次の部屋の仕切りに垂れている。
0171名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:41:13.93
正面に五尺ほどの盆栽を二鉢はち置いて、横に奇麗きれいな象の置物が据すえてある。
0173名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:41:45.78
これは狸穴まみあなの支社の客間で見たものと同じだから、一対いっついを二つに分けたものだろうと思った。
0174名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:42:01.74
そのほかには長い幕の上に、大おおきな額がかかっていた。
0175名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:42:17.67
その左りの端に、小さく南満鉄道会社総裁後藤新平と書いてある。
0176名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:42:33.60
書体から云うと、上海辺シャンハイへんで見る看板のような字で、筆画ひっかくがすこぶる整っている。
0177名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:42:49.53
後藤さんも満洲へ来ていただけに、字が旨うまくなったものだと感心したが、その実じつ感心したのは、後藤さんの揮毫きごうではなくって、清国皇帝の御筆おふでであった。
0178名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:43:05.48
右の肩に賜うと云う字があるのを見落した上に後藤さんの名前が小ちさ過すぎるのでつい失礼をしたのである。
0179名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:43:21.44
後藤さんも清国皇帝に逢あって、こう小さく呼よび棄ずてに書かれちゃたまらない。
0180名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:43:37.42
えらい人からは、滅多めったに賜わったり何なんかされない方がいいと思った。
0181名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:43:53.29
沼田さんは給仕を呼んで、処々方々しょしょほうぼうへ電話をかけさして、是公の行方ゆくえを聞き合せてくれたが全く分らない。
0182名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:44:09.24
米国の艦隊が港内に碇泊ていはくしているので、驩迎かんげいのため、今日はベースボールがあるはずだから、あるいはそれを観みに行ってるかも知れないと云う話であった。
0183名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:44:25.15
そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。
0184名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:44:41.16
じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり大和やまとホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。
0185名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:44:57.06
湯を立ててもらって、久しぶりに塩気しおけのない真水まみずの中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ叩たたくものがある。
0186名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:45:12.97
風呂場で訪問を受けた試ためしはいまだかつてないんだから、湯槽ゆぶねの中で身を浮かしながら少々逡巡しゅんじゅんしていると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。
0187名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:45:28.94
いくらこつこつやったって、まさか赤裸はだかで飛び出して、室へやの錠じょうを明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。
0188名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:45:44.92
すると摺硝子すりガラスの向側むこうがわで、ちょっと明けなさいと云う声がする。
0189名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:46:00.90
この声なら明けても差支さしつかえないと思って、身体からだ全体から雫しずくを垂らしながら、素裸すっぱだかでボールトを外はずすと、はたして是公ぜこうが杖つえを突いて戸口に立っていた。
0190名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:46:16.89
来るなら電報でもちょっとかければ好いものをと云う。
0191名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:46:32.86
どこへ行っていたんだと聞くと、ベースボールを観みて、それから舟を漕こいでいたと云う挨拶あいさつである。
0192名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:46:48.84
飯を食ったら遊びに来なさいと案内をするから、よろしいと答えてまた戸を締しめた。
0193名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:47:04.75
締めながら、おいこの宿は少し窮屈だね、浴衣ゆかたでぶらぶらする事は禁制なんだろうと聞いたら、ここが厭いやなら遼東りょうとうホテルへでも行けと云って帰って行った。
0194名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:47:20.72
例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの卓テーブルへ坐らせられた。
0195名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:47:36.63
その男が御免ごめんなさい、どうも嚏くしゃみが出てと、手帛ハンケチを鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、暗あんに嚏を奨励しょうれいしておいた。
0196名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:47:52.53
この男は自分で英人だと名乗った。
0197名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:48:08.45
そうして御前は旅順りょじゅんを見たかと余に尋ねた。
0198名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:48:24.42
旅順を見ないなら教えるが、いつの汽車で行って、どことどこを見て、それからいつの汽車で帰るが好いと、自分のやった通りを委くわしく語って聞かせた。
0199名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:48:40.36
余はなるほどなるほどと聞いていた。
0200名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:48:56.29
次に御前は門司もじを見たかと聞いた。
0201名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:49:12.20
次にあすこの石炭はもう沢山たんとは出まいと聞いた。
0203名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:49:44.04
実は沢山出るか出ないか知らなかったのである。
0204名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:49:59.99
しばらくして、君は旅順に行った事があるかとまた同じ事を尋ね出した。
0205名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:50:15.93
少々変だが面倒だから、いやまだだと、こっちも前ぜん同様な返事をしておいた。
0206名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:50:31.89
すると旅順に行くには朝八時と十一時の汽車があって……
0207名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:50:47.87
とまた先刻さっきと寸分すんぶん違わないような案内者めいた事を云って聞かせた。
0208名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:51:03.83
先が先だから余も依然としてなるほどなるほどを繰り返した。
0209名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:51:19.77
最後に突然御前は日本人かと尋ねた。
0210名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:51:35.70
余はそうだと正直なところを答えたようなものの、今までは何国人どこじんと思われていたんだろうかと考えると、多少心細かった。
0211名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:51:51.69
余は日本人なりの答を得るや否や、この男が、おれも四十年前横浜に行った事があるが、どうも日本人は叮嚀ていねいで親切で慇懃いんぎんで実に模範的国民だなどとしきりに御世辞おせじを振り廻し始めた。
0212名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:52:07.61
せっかくだとは思ったが、是公との約束もある事だから、好い加減なところで談話を切り上げて、この老人と別れた。
0213名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:52:23.58
表へ出るとアカシヤの葉が朗ほがらかな夜の空気の中にしんと落ちついて、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。
0214名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:52:39.54
暗い所から白服を着けた西洋人が馬車で現れた。
0215名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:52:55.47
ホテルへ帰って行くのだろう。
0216名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:53:11.42
馬の蹄ひづめは玄関の前で留まったらしい。
0217名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:53:27.36
是公の家の屋根から突出つきだした細長い塔が、瑠璃色るりいろの大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋はつあきが、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星を輝きらつかせていた。
0218名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:53:43.28
この間から米国の艦隊が四艘そう来ているんで、毎日いろいろな事をして遊ばせるのだが、翌日あすの晩は舞踏会をやるはずになっているから出て見ろと是公ぜこうが勧めた。
0219名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:53:59.19
出て見ろったって、燕尾服えんびふくも何も持って来やしないから駄目だめだよと断ると、是公が希知けちな奴やつだなと云った。
0220名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:54:15.09
燕尾服は其上倫敦ロンドン留学中トテナムコートロードの怪しげな洋服屋で、もっとも安い奴を拵こしらえた覚おぼえがあるが、爾来じらい箪笥たんすの底に深く蔵しているのみで、親友といえども、持ってるか持ってないか知らないくらいである。
0221名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:54:30.99
いくら大連がハイカラだって、東京を立つ時に、この古燕尾服が役に立とうとは思いがけないから、やっぱり箪笥の底にしまったなりで出て来た。
0222名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:54:46.93
じゃ、おれの袴はかま羽織はおりを貸してやるから、日本服で出ろ、出て、まあ、どんな容子ようすだか見るが好いと、是公は何でも引ひき摺ずり出そうとする。
0223名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:55:02.87
いっそ出るくらいなら踊らなくっちゃつまらないから、日本服ならまあ止よそうと云いたかったが、是公は正直だから本当にすると好くないと思って、ただ羽織袴はいけないよと断った。
0224名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:55:18.85
是公はそれでも舞踏会を見せる気と見えて、翌日あくるひの午ひる、社の二階で上田君を捕つらまえて、君の燕尾服をこいつに貸してやらないか、君のならちょうど合いそうだと云っていた。
0225名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:55:34.81
上田君もこの突然な相談には辟易へきえきしたに違ない。
0226名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:55:50.76
笑いながら、いえ私のは誰にも合いませんと謙遜けんそんされた。
0227名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:56:06.66
舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから倶楽部クラブに連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。
0228名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:56:22.62
だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうと云われるので、三人で涼しい夜の電灯の下もとに出た。
0229名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:56:38.61
広い通りを一二丁来ると日本橋にほんばしである。
0230名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:56:54.60
名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅がにも丈夫じょうぶにもできている。
0231名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:57:10.52
三人は橋の手前にある一棟ひとむねの煉瓦造れんがづくりに這入はいった。
0232名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:57:26.50
誰かいるかなと、玉突場を覗のぞいたが、ただ電灯が明るく点ついているだけで玉の鳴る音はしなかった。
0233名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:57:42.45
読書室へ這入ったが、西洋の雑誌が、秩序よく列ならべてあるばかりで、ページを繰る手の影はどこにも見えなかった。
0234名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:57:58.41
将棋歌留多かるたをやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、椅子いすも洋卓テーブルもことごとく空あいていた。
0235名無し職人
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2018/01/19(金) 02:58:14.39
今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公が云う。
0236名無し職人
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2018/01/19(金) 02:58:30.32
是公の会話の下手な事は天品てんぴんと云うくらいなものだから、不思議に思って、御前は平生ここに出入でいりして赤髯あかひげと交際するのかと聞いたら、まあ来た事はないなと澄ましている。
0237名無し職人
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2018/01/19(金) 02:58:46.25
それじゃ西洋人がいなくってつまらないどころか、いなくって仕合せなくらいなものだろうと聞いて見ると、それでもおれはこの倶楽部クラブの会長だよ、出席しないでも好いと云う条件で会長になったんだと呑気のんきな説明をした。
0238名無し職人
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2018/01/19(金) 02:59:02.18
会員の名札はなるほど外国流の綴つづりが多い。
0239名無し職人
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2018/01/19(金) 02:59:18.13
国沢君は大きな本を拡ひろげて、余の姓名を書き込ました上、是公に君ここへと催促した。
0240名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 02:59:34.12
是公はよろしいと答えて、自分の名の前に
0242名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:00:06.05
それから三人でバーへ行った。
0244名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:00:38.00
英語だか支那語だか日本語だか分らない言葉で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。
0245名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:00:53.96
酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡うちに星の光を認めた。
0246名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:01:09.92
国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。
0247名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:01:25.86
玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。
0248名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:01:41.78
国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。
0249名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:01:57.72
ホテルの玄関で、是公ぜこうが馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。
0250名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:02:13.68
いや開ひらいた奴が好いと命じている。
0251名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:02:29.63
余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。
0252名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:02:45.53
大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。
0253名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:03:01.50
日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透すき徹とおって、路みちも樹きも屋根も煉瓦れんがも、それぞれ鮮あざやかに眸ひとみの中に浮き出した。
0254名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:03:17.44
やがて蹄ひづめの音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。
0255名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:03:33.40
二人はこの麗うららかな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。
0257名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:04:05.22
それを通り越すと満鉄の本社になる。
0258名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:04:21.16
馬車は市街の中へ這入はいらずに、すぐ右へ切れた。
0259名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:04:37.12
気がついて見ると、遥向はるかむこうの岡おかの上に高いオベリスクが、白い剣つるぎのように切っ立って、青空に聳そびえている。
0260名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:04:53.09
その奥に同じく白い色の大きな棟むねが見える。
0261名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:05:09.06
屋根は鈍にぶい赤で塗ってあった。
0262名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:05:25.02
オベリスクの手前には奇麗きれいな橋がかかっていた。
0263名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:05:41.09
家も塔も橋も三つながら同じ色で、三つとも強い日を受けて輝いた。
0264名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:05:57.05
余は遠くからこの三つの建築の位地いちと関係と恰好かっこうとを眺めて、その釣合のうまく取れているのに感心した。
0265名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:06:12.99
あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。
0266名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:06:28.92
電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で拵こしらえてるんだと云う説明である。
0267名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:06:44.86
電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々危あやしくなって来た。
0268名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:07:00.82
よくよく糺明きゅうめいして見ると、実は今月末こんげつすえとかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。
0269名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:07:16.76
そのうち馬車が、電車の軌道レールを敷いている所へ出た。
0270名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:07:32.78
電車も電気公園と同じく、今月末に開業するんだとか云って、会社では今支那人の車掌運転手を雇って、訓練のために、ある局部だけの試運転をやらしている。
0271名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:07:48.71
御忘れものはありませんか、ちんちん動きますを支那の口で稽古けいこしている最中なのだから、軌道レールがここまで延長して来るのは、別段怪しい事もないが、気がついて見ると、鉄軌レールの据すえ方かたが少々違うようである。
0272名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:08:04.67
第一内地のように石を敷かない計画らしい。
0273名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:08:20.64
御影石みかげいしが払底ふっていなのかいと質問して見たら、すぐ、冗談云っちゃいけないとやられてしまった。
0274名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:08:36.62
これが最新式の敷方しきかたなんで、土台をどうとかして、どうとかして、鉄軌と鉄軌の間を混合金属で塗り固めて全線をたった一本の長い棒にしてしまって……
0275名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:08:52.54
とあたかも自分が技師であるかのごとき自慢である。
0276名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:09:08.46
内地から来たものはなるほど田舎いなかもの取扱にされても仕方がない。
0277名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:09:24.42
そいつは感心だと、全く感心すると、技師を信任して、少しも口を出さずに、どうでも自分の思った通りをやらせるから、そんな仕事もできるのさと云った。
0278名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:09:40.39
内地では何でもやかましく干渉する奴がたくさん出て来るものと見える。
0280名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:10:12.24
そこはまだ道路が完成していないので、満洲特有の黄土こうどが、見るうちに靴の先から洋袴ズボンの膝ひざの上まで細かに積もった。
0281名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:10:28.12
この辺ももう少しすると、ホテルの前のように、カンカンした路に変化する事だろうが、そんな事を口外すれば、是公がますます得意になるばかりだから、わざと黙っていた。
0282名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:10:44.09
これが豆油まめあぶらの精製しない方で、こっちが精製した方です。
0283名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:11:00.09
色が違うばかりじゃない、香においも少し変っています。
0284名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:11:16.08
嗅かいで御覧なさいと技師が注意するので嗅いで見た。
0285名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:11:32.04
用いる途みちですか、まあ料理用ですね。
0286名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:11:47.98
外国では動物性の油が高価ですから、こう云うのができたら便利でしょう。
0288名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:12:19.86
これでオリーブ油の何分の一にしか当らないんだから。
0289名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:12:35.85
そうして効用は両方共ほぼ同じです。
0290名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:12:51.78
その点から見てもはなはだ重宝ちょうほうです。
0291名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:13:07.75
それにこの油の特色は他の植物性のもののように不消化でないです。
0292名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:13:23.66
動物性と同じくらいに消化こなれますと云われたので急に豆油がありがたくなった。
0293名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:13:39.62
やはり天麩羅てんぷらなどにできますかと聞くと、無論できますと答えたので、近き将来において一つ豆油の天麩羅を食ってみようと思ってその室を出た。
0294名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:13:55.58
出がけに御邪魔でもこれをお持ちなさいと云って細長い箱をくれたから、何だろうと思って、即座に開けて見ると、石鹸シャボンが三つ並んでいた。
0295名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:14:11.54
これがやっぱり同じ材料から製造した石鹸ですと説明されたが、普通の石鹸と別に変ったところもないようだから、ただなるほどと云ったなり眺めていた。
0296名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:14:27.48
すると、この石鹸に面白いところは、塩水に溶解するから奇体ですよとの追加があったので、急に貰って行く気になって葢ふたをした。
0297名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:14:43.48
柞蚕さくさんから取った糸を並べて、これが従来の奴ですと云うのを見ると、なるほど色が黒い。
0298名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:14:59.42
こっちは精製した方でと、傍そばに出されると全く白い。
0299名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:15:15.33
かつ節ふしなしにでき上っている。
0300名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:15:31.30
これで織ったのがありますかと聞いて見ると、あいにく有りませんと云う答である。
0301名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:15:47.27
しかしもし織ったらどんなものができるでしょうと聞くと、羽二重はぶたえのようなものができるつもりですと云う。
0302名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:16:03.26
その上価段ねだんが半分だと云う。
0303名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:16:19.22
柞蚕さくさんから羽二重はぶたえが織れて、それが内地の半額で買えたらさぞ善よかろう。
0304名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:16:35.16
高粱酒こうりょうしゅを出して洋盃コップに注つぎながら、こっちが普通の方で、こっちが精製した方でと、またやりだしたから、いや御酒はたくさんですと断った。
0305名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:16:51.14
さすが酒好きの是公も高粱酒の比較飲みは、思わしくないと見えて、並製も上製も同じく謝絶した。
0306名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:17:07.10
是公の話によると、この間高峯譲吉たかみねじょうきちさんが来て、高粱からウィスキーを採とるとか採らないとかしきりに研究していたそうである。
0307名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:17:23.06
ウィスキーがこの試験場でできるようになったら是公がさぞ喜んで飲む事だろう。
0308名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:17:38.99
陶器を作っている部屋もあったようだが、これはほんの試験中で、並製も上製もないようであった。
0309名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:17:54.92
中央試験所を出て、五六町来ると、馬車を下りて草の中に迷い込んだ。
0310名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:18:10.88
路のない谷へ下りたり、足場のない岡へ上のぼったりするので、汗が出て、顔の皮がひりひりして来た。
0312名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:18:42.75
是公に聞いて見ると、射撃場へ連れて行ってやるんだと云うから、例の連れて行ってやると云う厚意に免めんじて、腹の痛いのを我慢して目的の家まで行ってすぐ椅子いすの上へ腰をかけてしまった。
0313名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:18:58.70
是公がしきりに鉄砲の話をするようであったが、とんと頭に響かない。
0314名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:19:14.69
何でもこの家だけは会社から寄附してやった。
0315名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:19:30.64
これでも二千円とか三千円とかかかったという事だけがようやく耳に這入はいった。
0316名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:19:46.58
そこへ汚きたない支那人が二三人、奇麗きれいな鳥籠とりかごを提さげてやって来た。
0317名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:20:02.49
支那人て奴やつは風雅ふうがなものだよ。
0318名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:20:18.47
着るものもない貧乏人のくせに、ああやって、鳥をぶら下げて、山の中をまごついて、鳥籠を樹きの枝に釣るして、その下に坐って、食うものも食わずにおとなしく聞いているんだよ。
0319名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:20:34.41
それがもし二人集まれば鳴なき競くらべをするからね。
0321名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:21:06.42
としきりに支那人を賞ほめている。
0322名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:21:22.41
余はポッケットからゼムを出して呑のんだ。
0323名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:21:38.33
政樹公まさきこうが大連の税関長になっていると聞いてちょっと驚いた。
0324名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:21:54.24
政樹公には十年前ぜん上海シャンハイで出逢であったきりである。
0325名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:22:10.17
その時政樹公は、サー・ロバート・ハートの子分になって、やはりそこの税関に勤務していた。
0326名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:22:26.16
政樹公の大学を卒業したのは余より二年前で、二人共同じ英文科の出身だから、職業違いであるにかかわらず、比較的縁が近いのである。
0327名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:22:42.12
政樹公の姓は立花たちばなと云って柳川藩やながわはんだから、立派な御侍おさむらいに違ない。
0328名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:22:58.05
それをなぜ立花さんと云わないで、政樹公と呼ぶかと云うに、同じ頃同じ文科に同藩から出た同姓の男がいた。
0329名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:23:14.01
しかも双方共寄宿舎に這入はいっていたものだから、立花君や立花さんでは紛まぎれやすくていけない。
0330名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:23:29.96
で一方は政樹という名だから政樹公と呼び、一方は銑三郎せんざぶろうという俗称だから銑せんさん銑さんと云った。
0331名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:23:45.91
なぜ片っ方が公こうなのに、片っ方はさんづけにされてしまったのか、ちょっと分らない。
0332名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:24:01.80
銑さんの方は、余と前後して洋行したが、不幸にして肺病に罹かかって、帰り路に香港ホンコンで死んでしまった。
0333名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:24:17.74
そこで残るは政樹公ばかりになった。
0334名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:24:33.71
したがって政樹公をやめて立花君と云ったって、少しも混雑はしないのだが、つい立花よりは政樹公の方が先へ出る。
0335名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:24:49.62
やっぱり中村とも総裁とも云わないで是公ぜこうと云いい馴なれたようなものだろう。
0336名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:25:05.56
ここだと云うので、二人馬車を下りて税関に這入って見ると、あいにく政樹公は先刻さっき具合が悪いとかで家うちへ帰った後であった。
0337名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:25:21.49
こっちの都合もあるし、所労しょろうの人に迷惑をかけるのも本意でないから、他日を期して税関を出た。
0338名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:25:37.46
すると今度は馬車が満鉄の本社へ横づけになった。
0339名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:25:53.41
広い階子段はしごだんを二階へ上がって、右へ折れて、突き当りをまた左へ行くと、取付とっつきが重役の部屋である。
0340名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:26:09.36
重役は東京に行ってるもののほかは皆出ていた。
0342名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:26:41.27
その中うちで昔見た田中君の顔を覚えていた。
0343名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:26:57.22
どうです始めて大連に御着きになった時の感想はと聞かれるから、そうです船から上がってこっちへ来る所は、まるで焼迹やけあとのようじゃありませんかと、正直な事を答えると、あすこはね、軍用地だものだから建物を拵こしらえる訳に行かないんで、
0344名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:27:13.13
誰もそう云う感じがするんですと教えられた。
0345名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:27:29.06
しばらく椅子に腰を掛けて、おとなしく執務の様子を見ていると、じき午ひるになった。
0346名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:27:45.04
さあ飯を食おうと、食堂へ案内された。
0347名無し職人
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2018/01/19(金) 03:28:01.03
ここへと云う席へ坐って、サーヴィエットを取り上げると、給仕が来て、それは国沢さんのですから、ただいま新しいのを持って参りますと云った。
0348名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:28:16.94
食堂は社の表二階にあたる大広間で、晩になれば、それが舞踏室に変化するほどの大きなものであった。
0349名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:28:32.90
これは社員全体に向って公開してあるのだそうだが、同じ食卓に着いた人の数を云うと、約三十人に過ぎなかった。
0350名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:28:48.81
この人数にんずから推して、あるいは制限でもありはせぬのかと思ったのは余の想像に過ぎなかった。
0351名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:29:04.77
料理は大和やまとホテルから持って来るのだそうで、同席の三十余人が、みな一様の皿を平らげていた。
0352名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:29:20.71
胃が痛いので肉刀ナイフと肉匙フォークは人並ひとなみに動かしたようなものの、その実じつは肉も野菜も咽喉のどの奥へ詰め込んだ姿である。
0353名無し職人
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2018/01/19(金) 03:29:36.64
一つどうですと向う側の田中君から瓢箪形ひょうたんがたの西洋梨せいようなしを勧すすめられた時は、手を出す勇気すらなかった。
0354名無し職人
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2018/01/19(金) 03:29:52.56
河村調査課長の前へ行って挨拶あいさつをすると、河村さんは、まあおかけなさいと椅子を勧めながら、何を御調べになりますかと叮嚀ていねいに聞かれる。
0355名無し職人
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2018/01/19(金) 03:30:08.49
何を調べるほどの人間でもないんだから、この問に逢あった時は実は弱った。
0356名無し職人
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2018/01/19(金) 03:30:24.45
先刻さっき重役室へ河村さんが這入はいって来たとき、是公ぜこうが余を紹介して、河村さん満鉄の事業の種類その他について、あとでこの男にすっかり説明してやって下さいと云ったのが本もとで、とうとう余は調査課へ来るような訳になったものの、
0357名無し職人
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2018/01/19(金) 03:30:40.44
その実じつ世間の知るごとき人間なんだから、こう真面目まじめに、どう云う方面の研究をやる気かと尋ねられるとはなはだ迷まごついてしまう。
0358名無し職人
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2018/01/19(金) 03:30:56.39
そうかと云って、けっして悪気があって冷かしに来た次第でない事もまた、世間の知る通りなんだから、河村さんに対して敬意を失するような冗談は云えた義理のものでない。
0359名無し職人
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2018/01/19(金) 03:31:12.33
やむをえず、しかつめらしい顔をして、満鉄のやっているいろいろな事業一般について知識を得たいと述べた。
0360名無し職人
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2018/01/19(金) 03:31:28.24
――何でも述べたつもりである。
0361名無し職人
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2018/01/19(金) 03:31:44.18
固もとより内心に確乎かっこたる覚悟があって述べる事でないんだから、顔だけはしかつめらしいが、述べる事の内容は、すこぶる赤毛布式あかげっとしきに縹緲ひょうびょうとふわついていたに違ない。
0362名無し職人
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2018/01/19(金) 03:32:00.13
ただ今から顧みても、少し得意なのは、その時余の態度挙動は非常に落ちついて、魂がさも丹田たんでんに膠着こうちゃくしているかのごとく河村さんには見えたろうという自覚である。
0363名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:32:16.09
人を欺だまし終おおせて知らん顔をしているのは善よくない事だから、ここで全く懺悔ざんげしてしまうが、実を云うと、その時は胃がしくしく痛んで、言葉に抑揚をつけようにも、声に張りを見せようにも、身体からだに活気を漲みなぎらせようにも、
0364名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:32:32.02
とうてい自己が自己以上に沈着してしまって、一寸いっすんもあがきが取れなかったのである。
0365名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:32:47.97
そこへ大きな印刷ものが五六冊出て来た。
0366名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:33:03.95
一番上には第一回営業報告とある。
0367名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:33:19.92
二冊目は第二回で、三冊目は第三回で、四冊目は第四回の営業報告に違ない。
0368名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:33:35.83
この大冊子を机の上に置いて、たいていこれで分りますがねと河村さんが云い出した時は、さあ大変だと思った。
0369名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:33:51.78
今この胃の痛い最中にこの大部の営業報告を研究しなければすまない事になっては、とうてい持ち切れる訳のものではない。
0370名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:34:07.76
余はまだ営業報告を開あけないうちに、早速一工夫ひとくふうしてこう云った。
0371名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:34:23.72
――私は専門家でないんですから、そう詳くわしい事を調査しても、とても分りますまいと思いますので、ただ諸君がいろいろな方面でどんな風に働いていられるか、ざあっとその状況を目撃さしていただけばたくさんですから、
0372名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:34:39.65
縦覧じゅうらんすべき箇所を御面倒でもちょっと書いて下さいませんか。
0373名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:34:55.57
河村さんははあそうですかと、気軽にすぐ筆を執とってくれた。
0374名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:35:11.50
ところへどこからか突然妙な小さな男があらわれて、やあと声をかけた。
0375名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:35:27.47
見ると股野義郎またのよしろうである。
0376名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:35:43.42
昔「猫」を書いた時、その中に筑後ちくごの国は久留米くるめの住人に、多々羅三平たたらさんぺいという畸人きじんがいると吹聴ふいちょうした事がある。
0377名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:35:59.39
当時股野は三池みいけの炭坑に在勤していたが、どう云う間違か、多々羅三平はすなわち股野義郎であると云う評判がぱっと立って、しまいには股野を捕つかまえて、おい多々羅君などと云うものがたくさん出て来たそうである。
0378名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:36:15.35
そこで股野は大いに憤慨して、至急親展の書面を余に寄せて、是非取り消してくれと請求に及んだ。
0379名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:36:31.28
余も気の毒に思ったが、多々羅三平の件をことごとく削除さくじょしては、全巻を改板かいはんする事になるから、簡潔明瞭めいりょうに多々羅三平は股野義郎にあらずと新聞に広告しちゃいけないかと照会したら、いけないと云って来た。
0380名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:36:47.19
それから三度も四度も猛烈な手紙を寄こしたあとで、とうとうこう云う条件を出した。
0381名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:37:03.17
自分が三平と誤られるのは、双方とも筑後ちくご久留米くるめの住人だからである。
0382名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:37:19.10
幸い、肥前ひぜん唐津からつに多々羅たたらの浜はまと云う名所があるから、せめて三平の戸籍だけでもそっちへ移してくれ。
0383名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:37:35.02
これだけは是非御願するとあったんで、余はとうとう三平の方を肥前唐津の住人に改めてしまった。
0384名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:37:50.91
今でも「猫」を御読みになれば分る。
0385名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:38:06.85
肥前の国は唐津の住人多々羅三平とちゃんと訂正してある。
0386名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:38:22.79
こう云う訳で余と因縁いんねんの浅からざる股野に、ここでひょっくり出逢であうとは全く思いがけなかった。
0387名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:38:38.76
しかも、その家へ呼ばれて御馳走ごちそうになったり、二三日間朝から晩まで懇切に連れて歩いて貰ったり、昔日せきじつの紛議ふんぎを忘れて、旧歓きゅうかんを暖める事ができたのは望外ぼうがいの仕合しあわせである。
0388名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:38:54.69
実を云うと、余は股野がまだ撫順ぶじゅんにいる事とばかり思っていた。
0389名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:39:10.57
余は大連で見物すべき満鉄の事業その他を、ここで河村さんと股野に、表ひょうのような形に拵こしらえて貰もらった。
0390名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:39:26.53
腹がしきりに痛むので、寝室へ退いて、長椅子の上に横になっていると、窓を撲うつ雨の音がしだいに繁しげくなった。
0391名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:39:42.46
これじゃ舞踏会に行く連中も、だいぶ御苦労様な事になったものだと思って、ポッケットから招待状を出して寝ながら、また眺めて見た。
0392名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:39:58.35
絵葉書ぐらいの大きさの厚紙の一面には、歌麿うたまろの美人が好い色に印刷されている。
0393名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:40:14.30
一面には中村是公同夫人連名で、夏目金之助を招待している。
0394名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:40:30.25
よくこんなものを拵える時間があったなと感心して、うとうとしかけたところへ、ボーイ頭がしらが来て、ただいま総裁からの電話で、今夜舞踏会へおいでになるか伺うかがえと云う事でございますがと云うから、行かないと返事をしてくれと頼んで、本当に寝てしまった。
0395名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:40:46.20
眼が覚さめたら雨はいつの間にか歇やんで、奇麗きれいな空が磨き上げたように一色ひといろに広く見える中に、明かな月が出ていた。
0396名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:41:02.19
余は硝子越ガラスごしにこの大きな色を覗のぞいて、思わず是公のために、舞踏会の成功を祝した。
0397名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:41:18.13
後で本人に聞いて見ると、是公はその夜舞踏の済んだ後で、多数の亜米利加士官アメリカしかんと共に倶楽部クラブのバーに繰り込んだのだそうだ。
0398名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:41:34.32
そこで、士官連が是公に向って、今夜の会は大成功であるとか、非常に盛さかんであったとか、口々に賛辞を呈ていしたものだから、是公はやむをえず、大声たいせいを振り絞しぼって
0400名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:42:06.22
すると今までがやがや云っていた連中が、総裁の演説でも始まる事と思って、一度に口を閉とじて、満場は水を打ったように静かになった。
0401名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:42:22.17
是公は固もとよりゼントルメンの後あとを何とかつけなければならない。
0402名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:42:38.12
ところがゼントルメン以外の英語があいにく一言ひとことも出て来なかった。
0403名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:42:54.07
英語と云う英語は頭の底からことごとく酒で洗い去られてしまっているので、仕方なしに、急に日本語に鞍換くらがえをして、ゼントルメンの次へもってきて、すぐ大いに飲みましょうと怒鳴どなった。
0404名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:43:10.07
ゼントルメン大いに飲みましょうは、たいていの亜米利加人アメリカじんに通じる訳のものではないが、そこがバーのバーたるところで、ゼントルメン大いに飲みましょうとやるや否や、士官連がわあっと云って主人公を胴上どうあげにしたそうである。
0405名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:43:25.99
明治二十年の頃だったと思う。
0406名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:43:41.97
同じ下宿にごろごろしていた連中が七人ほど、江の島まで日着ひづき日帰ひがえりの遠足をやった事がある。
0407名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:43:57.92
赤毛布あかげっとを背負しょって弁当をぶら下げて、懐中にはおのおの二十銭ずつ持って、そうして夜の十時頃までかかって、ようやく江の島のこっち側がわまで着いた事は着いたが、思い切って海を渡るものは誰もなかった。
0408名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:44:13.90
申し合せたように毛布けっとに包くるまって砂浜の上に寝た。
0409名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:44:29.88
夜中に眼が覚さめると、ぽつりぽつりと雨が顔へあたっていた。
0410名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:44:45.83
その上犬が来て真水英夫まみずひでおの脚絆きゃはんを啣くわえて行った。
0411名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:45:01.79
夜が白んで物の色が仄ほのかに明るくなった頃、御互の顔を見渡すと、誰も彼も奇麗きれいに砂だらけになっている。
0415名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:46:05.62
七人はそれで江の島へ渡った。
0416名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:46:21.60
その時夜明けの風が島を繞めぐって、山にはびこる樹きがさあと靡なびいた。
0417名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:46:37.58
すると余の傍そばに立っていた是公が何と思ったものか、急にどうだ、あの樹を見ろ、戦々兢々せんせんきょうきょうとしているじゃないかと云った。
0418名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:46:53.52
草木の風に靡なびく様を戦々兢々と真面目まじめに形容したのは是公が嚆矢はじめなので、それから当分の間は是公の事を、みんなが戦々兢々と号していた。
0419名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:47:09.46
当人だけは、いまだに戦々兢々で差支さしつかえないと信じているかも知れないんだから、ゼントルメン大いに飲みましょうも、この際亜米利加語として士官側に通用したと心得ているんだろう。
0420名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:47:25.39
通じた証拠しょうこには胴上にしたじゃないかくらい、酔ようと云いかねない男である。
0421名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:47:41.36
昨夕は川崎造船所の須田君すだくんからいっしょに晩食ばんめしでも食おうと云う案内があったが、例のごとく腹が痛むので、残念ながら辞退して、寝室で肉汁ソップを飲んで寝てしまった。
0422名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:47:57.28
朝起きるや否や、もう好かろうと思って、腹の近所へ神経をやって、探さぐりを入れて見ると、やッぱり変だ。
0423名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:48:13.24
何だか自分の胃が朝から自分を裏切ろうと工たくんでいるような不安がある。
0424名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:48:29.20
さてどこが不安だろうと、局所を押えにかかると、どこも応じない。
0425名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:48:45.09
ただ曇った空のように、鈍痛どんつうが薄く一面に広がっている。
0426名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:49:01.03
苦にがい顔をして食堂へ下りて飯をすましてまた室へやへ帰ってぼんやりしていると、河村さんが戸口まで来て、今夜満鉄のものが主人役になってあなたがた二三名を扇芳亭せんぼうていへ招待したいからと云う叮嚀ていねいな御挨拶ごあいさつである。
0427名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:49:16.94
どうもせっかくですが、実はこれこれでと断ると、そうですか、実は総裁も今夜は所労で出られませんと答えて帰られた。
0428名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:49:32.91
河村君が帰るや否や股野が案内もなくやって来た。
0429名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:49:48.84
今日は襟えりの開あいた着物を着て、ちゃんと白い襯衣シャツと白い襟えりをかけているから感心した。
0430名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:50:04.79
股野と少し話しているところへ、また御客があらわれた。
0431名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:50:20.69
ボイの持って来た名刺には東北大学教授橋本左五郎はしもとさごろうとあったので、おやと思った。
0432名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:50:36.64
橋本左五郎とは、明治十七年の頃、小石川の極楽水ごくらくみずの傍そばで御寺の二階を借りていっしょに自炊じすいをしていた事がある。
0433名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:50:52.61
その時は間代まだいを払って、隔日に牛肉を食って、一等米を焚たいて、それで月々二円ですんだ。
0434名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:51:08.55
もっとも牛肉は大きな鍋なべへ汁をいっぱい拵こしらえて、その中に浮かして食った。
0435名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:51:25.03
十銭の牛ぎゅうを七人で食うのだから、こうしなければ食いようがなかったのである。
0436名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:51:40.97
飯は釜かまから杓しゃくって食った。
0437名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:51:56.90
高い二階へ大きな釜を揚あげるのは難義であった。
0438名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:52:12.86
余はここで橋本といっしょに予備門へ這入はいる準備をした。
0439名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:52:28.84
橋本は余よりも英語や数字において先輩であった。
0440名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:52:44.77
入学試験のとき代数がむずかしくって途方に暮れたから、そっと隣席の橋本から教えて貰って、その御蔭おかげでやっと入学した。
0441名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:53:00.68
ところが教えた方の橋本は見事に落第した。
0442名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:53:16.64
入学をした余もすぐ盲腸炎に罹かかった。
0443名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:53:32.54
これは毎晩寺の門前へ売りに来る汁粉しるこを、規則のごとく毎晩食ったからである。
0444名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:53:48.50
汁粉屋は門前まで来た合図に、きっと団扇うちわをばたばたと鳴らした。
0445名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:54:04.42
そのばたばた云う音を聞くと、どうしても汁粉を食わずにはいられなかった。
0446名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:54:20.34
したがって、余はこの汁粉屋の爺おやじのために盲腸炎にされたと同然である。
0447名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:54:36.26
その後のち左五さごは――当時余等は橋本を呼んで、左五左五と云っていた。
0448名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:54:52.23
実際彼は岡山の農家の生れであった。
0449名無し職人
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2018/01/19(金) 03:55:08.19
――左五はその後追試験に及第したにはしたが、するかと思うとまた落第した。
0450名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:55:24.11
そうして、何だ下らないと云って北海道へ行って農学校へ這入はいってしまった。
0451名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:55:40.07
それから独逸ドイツへ行った。
0452名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:55:56.04
独逸へ行って、いつまで経たっても帰らない。
0454名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:56:27.97
つまり留学期限の倍か倍以上も向うで暮した事になる、その費用はどうして拵えたものかとんと分らない。
0455名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:56:43.86
この橋本が不思議にも余より二三月前に満鉄の依頼に応じて、蒙古もうこの畜産事状を調査に来て、その調査が済んで今大連に帰ったばかりのところへ出っ食わしたのである。
0456名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:56:59.76
顔を見ると、昔から慓悍ひょうかんの相そうがあったのだが、その慓悍が今蒙古と新しい関係がついたため、すこぶる活躍している。
0457名無し職人
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2018/01/19(金) 03:57:15.70
闥ドーアを排はいして這入って来るや否や、どうだ相変らず頑健がんけんかねと聞かざるを得なかったくらいである。
0458名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:57:31.66
ええまあ相変らずでと、橋本は案に相違した落ちつき方である。
0459名無し職人
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2018/01/19(金) 03:57:47.58
昔予備門に這入って及第だとか落第だとか騒いでいた時分にはけっしてこう穏かじゃなかった。
0460名無し職人
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2018/01/19(金) 03:58:03.49
彼の鼻の先が反返そりかえっているごとく、彼は剽軽ひょうきんでかつ苛辣からつであった。
0461名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:58:19.46
余はこの鼻のためによく凹へこまされた事を記憶している。
0462名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:58:35.42
その頃は大勢で猿楽町さるがくちょうの末富屋すえとみやという下宿に陣取っていた。
0463名無し職人
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2018/01/19(金) 03:58:51.34
この同勢は前後を通じると約十人近くあったが、みんな揃そろいも揃った馬鹿の腕白で、勉強を軽蔑けいべつするのが自己の天職であるかのごとくに心得ていた。
0464名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 03:59:07.29
下読などはほとんどやらずに、一学期から一学期へ辛かろうじて綱渡りをしていた。
0465名無し職人
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2018/01/19(金) 03:59:23.26
英語は教場であてられた時に、分らない訳やくを好い加減につけるだけであった。
0466名無し職人
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2018/01/19(金) 03:59:39.20
数学はできるまで塗板ボールドの前に立っているのを常としていた。
0467名無し職人
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2018/01/19(金) 03:59:55.19
余のごときは毎々一時間ぶっ通しに立往生をしたものだ。
0468名無し職人
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2018/01/19(金) 04:00:11.16
みんなが代数書を抱えて今日も脚気かっけになるかなど云っては出かけた。
0469名無し職人
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2018/01/19(金) 04:00:27.11
こう云う連中だから、大概は級の尻しりの方に塊かたまって、いつでも雑然と陳列ちんれつされていた。
0470名無し職人
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2018/01/19(金) 04:00:43.04
余のごときは、入学の当時こそ芳賀矢一はがやいちの隣に坐っていたが、試験のあるたんびに下落して、しまいには土俵際どひょうぎわからあまり遠くない所でやっと踏ふみ応こたえていた。
0471名無し職人
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2018/01/19(金) 04:00:59.00
それでも、みんな得意であった。
0472名無し職人
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2018/01/19(金) 04:01:15.05
級の上にいるものを見て、なんだ点取がと云って威張っていたくらいである。
0473名無し職人
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2018/01/19(金) 04:01:31.49
そうして、稍ややともすると、我々はポテンシャル・エナージーを養うんだと云って、むやみに牛肉を喰って端艇ボートを漕こいだ。
0474名無し職人
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2018/01/19(金) 04:01:47.45
試験が済むとその晩から机を重ねて縁側えんがわの隅すみへ積み上げて、誰も勉強のできないような工夫をして、比較的広くなった座敷へ集って腕押うでおしをやった。
0475名無し職人
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2018/01/19(金) 04:02:03.40
岡野という男はどこからか、玩具おもちゃの大砲を買って来て、それをポンポン座敷の壁へ向って発射した。
0476名無し職人
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2018/01/19(金) 04:02:19.29
壁には穴がたくさん開あいた。
0477名無し職人
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2018/01/19(金) 04:02:35.25
試験の成績が出ると、一人では恐こわいからみんなを駆かり催もよおして揃って見に行った。
0478名無し職人
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2018/01/19(金) 04:02:51.24
するとことごとく六十代で際きわどく引っ掛っている。
0479名無し職人
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2018/01/19(金) 04:03:07.17
橋本は威勢の好い男だから、ある時詩を作って連中一同に示した。
0480名無し職人
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2018/01/19(金) 04:03:23.12
韻いんも平仄ひょうそくもない長い詩であったが、その中に、何ぞ憂うれえん席序下算せきじょかさんの便べんと云う句が出て来たので、誰にも分らなくなった。
0481名無し職人
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2018/01/19(金) 04:03:39.07
だんだん聞いて見ると席序下算の便とは、席順を上から勘定かんじょうしないで、下から計算する方が早分りだと云う意味であった。
0482名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:03:54.98
まるで御籤おみくじみたような文句である。
0483名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:04:10.95
我々はみんなこの御籤にあたってひやひやしていた。
0484名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:04:26.90
そのうち下算かさんにも上算じょうさんにもまるで勘定に這入らないものが、ぽつぽつできて来た。
0485名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:04:42.87
一人消え、二人消えるうちに橋本がいた。
0488名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:05:30.76
大連で是公に逢あって、この落第の話が出た時、是公は、やあ、あの時貴様も落第したのかな。
0489名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:05:46.69
そいつは頼母たのもしいやと大いに嬉うれしがるから、落第だって、落第の質たちが違わあ。
0490名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:06:02.63
おれのは名誉の負傷だと答えておいた。
0491名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:06:18.60
是公だの、余だの、今の旅順の警視総長けいしそうちょうだのが落ちながら、ぶら下がっている間に、左五だけは決然として北海道へ落ち延びたのである。
0492名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:06:34.54
その落第の張本ちょうほんとも云うべき彼が、いくら年を取ったって、かほどに慇懃いんぎんになろうとは思いも寄らぬ事であった。
0493名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:06:50.47
今日は午後から満鉄の社へ行って、蒙古旅行に関する話をするんだと云っている。
0494名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:07:06.44
河村さんの書いてくれた表ひょうを見ると、娯楽機関という題目のもとに、倶楽部クラブとか会とか名のつくものが十ばかり並べてある。
0495名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:07:22.39
中にはゴルフ会だの、ヨット倶楽部だのと、名前からして洒落しゃれたのさえ、ちらほら見える。
0496名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:07:38.34
ヨット倶楽部の下に(ただし一艘そう)と括弧かっこで註がついているのは、新設だからまだ一艘しかないという意味なんだろう。
0497名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:07:54.28
参観すべき場所と云う標題みだしのもとには、山城町やまぎちょうの大連医院だの、児玉町こだまちょうの従業員養成所だの近江町おうみちょうの合宿所だの、浜町はまちょうの発電所だの、何だのかだのみんなで十五六ほどある。
0498名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:08:10.18
なるほどこれでは大連に一週間ぐらいいなければ、満鉄の事業も一通り観みる訳に行かないと云われるはずだ。
0499名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:08:26.11
しかも是公ぜこうは是非共万遍まんべんなくよく観て行かなくっちゃいけないよと命令的に注意するんだから、容易じゃない。
0500名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:08:41.99
その上よく観て、何でも気がついた事があるなら、そう云いなさいと、あたかも余を視察家扱にするんだからなおさら痛み入る。
0501名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:08:57.96
余は手に持った表に一通り眼を通しながら、傍そばにいる股野に、おい少し出て見るかなと云った。
0502名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:09:13.93
股野は固もとより余を連れて、大連中ぐるぐる引き廻す気で来ている。
0503名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:09:29.91
もっとも別段社からつけてくれたという訳じゃないんだが、本人の特志で社の用事をすっぽかす了見りょうけんらしい。
0504名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:09:45.81
そうしていつの間にか、ホテルへ馬車を云いつけている。
0505名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:10:01.79
余は股野と相乗りで立派な馬車を走らして北公園に行った。
0506名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:10:17.79
と云うと大層だが、車の輪が五六度回転すると、もう公園で、公園に這入はいったかと思うと、もう突き抜けてしまった。
0507名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:10:33.74
それから社員倶楽部と云うのに連れて行かれて、謡うたいの先生の月給が百五十円だと云う事を聞いて、また馬車へ乗って、今度は川崎造船所の須田君の所の工場を外から覗のぞき込んで、すぐ隣の事務所に這入って、須田君に昨日きのうの御礼を述べた。
0508名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:10:49.67
事務所の前がすぐ海で、船渠ドックの中が蒼あおく澄んでいる。
0509名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:11:05.59
あれで何噸なんトンぐらいの船が這入りますかと聞いたら、三千噸ぐらいまでは入れる事ができますという須田君の答であった。
0510名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:11:21.58
船渠の入口は四十二尺だとか云った。
0511名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:11:37.50
余は高い日がまともに水の中に差し込んで、動きたがる波を、じっと締めつけているように静かな船渠の中を、窓から見下みおろしながら、夏の盛りに、この大きな石で畳んだ風呂へ這入って泳ぎ回ったらさぞ結構だろうと思った。
0512名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:11:53.37
今度はどこだと股野に聞いて見ると、今度は電気の工場へ行きましょうという事である。
0513名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:12:09.29
鉄嶺丸てつれいまるが大連の港へ這入ったときまず第一に余の眼に、高く赤く真直まっすぐに映じたものはこの工場の煙突であった。
0514名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:12:25.16
船のものはあれが東洋第一の煙突だと云っていた。
0515名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:12:41.09
なるほど東洋第一の煙突を持っているだけに、中へ這入ると、凄すさまじいものである。
0516名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:12:57.01
その一部分では、天井てんじょうを突き抜いて、青空が見えるようにして、四方の壁を高く積み上げていた。
0517名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:13:12.91
屋根の高さを増す必要があっての事だろうが、青空が煉瓦れんがの上に遠く見えるばかりか、尋常の会話はとうてい聞えないくらいに、恐ろしい音が響いている中に、塵ちりを浴びて立った時は、妙な心持がした。
0518名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:13:28.85
ある所は足の下も掘り下げて、暗い所にさまざまの仕掛しかけが猛烈に活動していた。
0519名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:13:44.80
工業世界にも、文学者の頭以上に崇高なものがあるなと感心して、すぐその棟むねを飛び出したくらいである。
0520名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:14:00.75
詮せんずるに要領はただ凄すさまじい音を聞いて、同じく凄まじい運動を見たのみである。
0521名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:14:16.68
股野はその間を馳かけ回まわって、おい誰さんはいないかねと、しきりに技師を探していた。
0522名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:14:32.60
技師は股野に捕つらまるほど閑ひまでなかったと見えて、とうとう見当らなかった。
0523名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:14:48.58
今日は化物屋敷を見て来たと云うと、田中君が笑いながら、夏目さん、なぜ化物屋敷というんだか訳を知っていますかと聞いた。
0524名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:15:04.55
余は固もとより下級社員合宿所の標本として、化物屋敷の中を一覧したまでで、化物の因縁いんねんはまだ詮議せんぎしていなかった。
0525名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:15:20.46
けれども化物屋敷はこれだと云われた時には、うんそうかと云って、少しも躊躇ちゅうちょなく足を踏込ふんごんだ。
0526名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:15:36.42
なぜそんな恐ろしい名が、この建物に付纏つけまとっているのかと、立ちどまって疑って見る暇も何もなかった。
0527名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:15:52.34
いわゆる化物屋敷はそれほど陰気にでき上がっていた。
0528名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:16:08.29
でき上ったというと新規に拵こしらえた意味を含んでいるから、この建築の形容としては、むしろ不適当であるかも知れない。
0529名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:16:24.38
化物屋敷はそのくらい古い色をしている。
0530名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:16:40.31
壁は煉瓦れんがだろうが、外部は一面の灰色で、中には日の透とおりそうもない、薄暗い空気を湛たたえるごとくに思われた。
0531名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:16:56.23
余はこの屋敷の長い廊下を一階二階三階と幾返いくかえりか往来おうらいした。
0533名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:17:28.07
階段はしごだんを上あがるときはなおさらこつこつ鳴った。
0535名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:17:59.96
廊下の左右はことごとく部屋で、部屋という部屋は皆締め切ってあった。
0536名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:18:15.91
その戸の上に、室しつの所有者の標札がかかっている。
0537名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:18:31.85
烈はげしい光線に慣れた眼で、すぐその標札を読もうとすると、判然はっきり読めないくらい廊下は暗かった。
0538名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:18:47.82
余はちょっと立ちどまって室へやの中を見る訳には行かないのかなと股野に聞いて見た。
0539名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:19:03.79
股野はすぐ持っていた洋杖ステッキで右手の戸をとんと叩たたいた。
0540名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:19:19.76
しかしはいとも、這入はいれとも応こたえるものはなかった。
0541名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:19:35.72
股野はまた二番目の戸をとんとん叩いた。
0543名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:20:07.63
股野は毫ごうも辟易へきえきした気色けしきなく無遠慮にそこいら中こつこつ叩いて歩いたが、しまいまで人気ひとけのする室には打ぶつからなかった。
0544名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:20:23.54
あたかも立たち退のいた町の中を歩いているような感じがした。
0545名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:20:39.47
三階に来た時、細い廊下の曲り角で一人の女が鍋なべで御菜おさいを煮ているのに出逢であった。
0547名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:21:11.35
化物屋敷では五六軒寄って一つの台所を持っているのだそうだ。
0548名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:21:27.29
御神おかみさん水は上にありますかと尋ねたら、いえ下から汲くんで揚げますと答えた。
0549名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:21:43.21
余はこの暗い町内に、便所がどこにいくつあるか不審に思ったが、つい聞きもせず、女の前を行き過ぎて通ろうとすると、そっちは行きどまりでございますと注意された。
0550名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:21:59.14
道理で真闇まっくらであった。
0551名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:22:15.08
田中君の話によると、この建物は日露戦争の当時の病院だとか云う事である。
0552名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:22:30.99
戦争が烈はげしくなって、負傷者の数が増して来るに従って、収容した人間に充分の手当ができないばかりでなく、気の毒ながら見殺しにしなければならない兵士がたくさんにできて、それらの創口きずぐちから出る怨うらみの声が大連中に響き渡るほど凄すさまじかったので、
0553名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:22:46.96
その以後はこの一廓ひとくるわを化物屋敷と呼ぶようになった。
0554名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:23:02.89
しかし本当だか嘘うそだか実は僕も保証しないと、田中君自身が笑っていたから、余はなおさら保証しない。
0555名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:23:18.83
ただ満鉄の重役が始めて大連に渡ったとき、この化物屋敷に陣を構えた事だけは事実である。
0556名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:23:34.76
その時この建物は化物さえ住みかねるほどに荒れ果てて、残焼家屋ざんしょうかおくとして、骸骨がいこつのごとくに突っ立っていたそうである。
0557名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:23:50.70
陣取った連中は死物狂で、天候と欠乏と不便に対して戦後の戦争を開始した。
0558名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:24:06.65
汽車の中で炭を焚たいて死しに損そくなったり、貨車へ乗って、カンテラを点つけて用を足そうとすると、そのカンテラが揺ゆすぶれてすぐ消えてしまったり、サイホンを呑むと二三滴口へ這入はいるだけであとはすぐ氷の棒に変化したり、すべてが探険と同様であった。
0559名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:24:22.62
「清野せいのが毛織の襯衣シャツを半ダース重ねて着たのは彼時あのときだよ」
0560名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:24:38.58
「清野は驚いて、あれっきりやって来ない」
0561名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:24:54.56
余は田中君と是公がこんな話をするのを聞いて、つい化物屋敷の事を忘れてしまった。
0562名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:25:10.47
三階へ上あがって見ると豆ばかりである。
0563名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:25:26.40
ただ窓際まどぎわだけが人の通る幅ぐらいの床ゆかになっている。
0564名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:25:42.35
余は静かに豆と壁の間をぐるぐる廻って歩いた。
0565名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:25:58.26
気をつけないと、足の裏で豆を踏み潰つぶす恐れがある上に、人のいない天井裏を無益に響かすのが苦くになったからである。
0566名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:26:14.23
豆は砂山のごとく脚下に起伏している。
0567名無し職人
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2018/01/19(金) 04:26:30.22
こちらの端から向うの端まで眺めて見ると、随分と長い豆の山脈ができ上っていた。
0568名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:26:46.15
その真中を通して三カ所ほどに井桁いげたに似た恰好かっこうの穴が掘ってある。
0569名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:27:02.12
豆はその中から断えず下へ落ちて行って、平たく引割られるのだそうだ。
0570名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:27:18.08
時々どさっと音がして、三階の一隅ひとすみに新しい砂山ができる。
0571名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:27:34.03
これはクーリーが下から豆の袋を背負しょって来て、加減の好い場所を見計らって、袋の口から、ばらに打ぶち撒まけて行くのである。
0572名無し職人
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2018/01/19(金) 04:27:49.99
その時はぼうと咽むせるような煙けむが立って、数え切れぬほどの豆と豆の間に潜ひそんでいる塵ちりが一度に踊おどり上あがる。
0573名無し職人
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2018/01/19(金) 04:28:05.93
クーリーはおとなしくて、丈夫で、力があって、よく働いて、ただ見物するのでさえ心持が好い。
0574名無し職人
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2018/01/19(金) 04:28:21.89
彼等の背中に担かついでいる豆の袋は、米俵のように軽いものではないそうである。
0575名無し職人
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2018/01/19(金) 04:28:37.83
それを遥はるかの下から、のそのそ背負しょって来ては三階の上へ空あけて行く。
0576名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:28:53.77
空けて行ったかと思うとまた空けに来る。
0577名無し職人
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2018/01/19(金) 04:29:09.69
何人がかりで順々に運んでくるのか知れないが、その歩調から態度から時間から、間隔からことごとく一様である。
0578名無し職人
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2018/01/19(金) 04:29:25.67
通り路は長い厚板を坂に渡して、下から三階までを、普請ふしんの足場のように拵こしらえてある。
0579名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:29:41.57
彼等はこの坂の一つを登って来て、その一つをまた下りて行く。
0580名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:29:57.47
上のぼるものと下りるものが左右の坂の途中で顔を見合せてもほとんど口を利きいた事がない。
0581名無し職人
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2018/01/19(金) 04:30:13.39
彼等は舌のない人間のように黙々として、朝から晩まで、この重い豆の袋を担かつぎ続けに担いで、三階へ上っては、また三階を下くだるのである。
0582名無し職人
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2018/01/19(金) 04:30:29.38
その沈黙と、その規則ずくな運動と、その忍耐とその精力とはほとんど運命の影のごとくに見える。
0583名無し職人
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2018/01/19(金) 04:30:45.36
実際立って彼等を観察していると、しばらくするうちに妙に考えたくなるくらいである。
0584名無し職人
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2018/01/19(金) 04:31:01.31
三階から落ちた豆が下へ回るや否や、大きな麻風呂敷あさぶろしきが受取って、たちまち釜かまの中に運び込む。
0585名無し職人
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2018/01/19(金) 04:31:17.29
釜の中で豆を蒸むすのは実に早いものである。
0586名無し職人
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2018/01/19(金) 04:31:33.36
入れるかと思うと、すぐ出している。
0587名無し職人
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2018/01/19(金) 04:31:49.32
出すときには、風呂敷の四隅を攫つかんで、濛々もうもうと湯気の立つやつを床ゆかの上に放り出す。
0588名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:32:05.26
赤銅しゃくどうのような肉の色が煙の間から、汗で光々ぴかぴかするのが勇ましく見える。
0589名無し職人
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2018/01/19(金) 04:32:21.21
この素裸すはだかなクーリーの体格を眺めたとき、余はふと漢楚軍談かんそぐんだんを思い出した。
0590名無し職人
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2018/01/19(金) 04:32:37.13
昔韓信かんしんに股を潜くぐらした豪傑はきっとこんな連中に違いない。
0591名無し職人
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2018/01/19(金) 04:32:53.12
彼等は胴から上の筋肉を逞たくましく露あらわして、大きな足に牛の生皮きがわを縫合せた堅かたい靴を穿はいている。
0592名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:33:09.09
蒸した豆を藺いで囲んで、丸い枠わくを上から穿はめて、二尺ばかりの高さになった時、クーリーはたちまちこの靴のまま枠わくの中に這入はいって、ぐんぐん豆を踏み固める。
0593名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:33:25.03
そうして、それを螺旋らせんの締棒しめぼうの下に押込んで、把てをぐるぐると廻し始める。
0594名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:33:40.96
油は同時に搾しぼられて床下ゆかしたの溝みぞにどろどろに流れ込む。
0595名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:33:56.88
豆は全くの糟かすだけになってしまう。
0596名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:34:12.79
すべてが約二三分の仕事である。
0597名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:34:28.75
この油が喞筒ポンプの力で一丈四方もあろうという大きな鉄の桶おけに吸上げられて、静しずかに深そうに淀よどんでいるところを、二階へ上がって三つも四つも覗のぞき込んだときには、恐ろしくなった。
0598名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:34:44.67
この中に落ちて死ぬ事がありますかと、案内に聞いたら、案内は平気な顔をして、まあ滅多めったに落ちるような事はありませんねと答えたが、余はどうしても落ちそうな気がしてならなかった。
0599名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:35:00.67
クーリーは実にみごとに働きますね、かつ非常に静粛だ。
0600名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:35:16.64
と出がけに感心すると、案内は、とても日本人には真似まねもできません。
0601名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:35:32.57
あれで一日五六銭で食っているんですからね。
0602名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:35:48.51
どうしてああ強いのだか全く分りませんと、さも呆あきれたように云って聞かせた。
0603名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:36:04.50
股野が先生私の宅うちへ来なさらんか、八畳の間が空あいています、夜具も蒲団ふとんもあります。
0604名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:36:20.43
ホテルにいるより呑気のんきで好いでしょうと親切に云ってくれる。
0605名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:36:36.38
何でも股野の家の座敷からは、大連が一目に見渡されるのみならず、海が手に取るように眺められるのみならず、海の向うに連つらなる突兀とっこつ極まる山脈さえ、坐っていると、窓の中に向うから這入はいって来てくれるという重宝ちょうほうな家うちなんだそうである。
0606名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:36:52.31
始めのうちは股野の自慢を好加減いいかげんに聞き流して、そうかそうかと答えていたが、せっかくの好意ではあるし、もともと気の多い男だから、都合によっては少し厄介やっかいになっても好いぐらいに思って、ついでの時是公ぜこうにこの話をすると、
0607名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:37:08.28
そんな所へ行っちゃいかんとたちまち叱られてしまった。
0608名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:37:24.22
もしホテルが厭いやなら、おれの宅へ来い、あの部屋へ入れてやるからと云うんで、書斎の次の畳の敷いてある間を見せてくれるんだが、別に西洋流の宿屋に愛想あいそをつかした訳でもないんだから、じゃ厄介になろうとも云わなかった。
0609名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:37:40.11
是公は書斎の大きな椅子いすの上に胡坐あぐらをかいて、河豚ふぐの干物ひものを噛かじって酒を呑のんでいる。
0610名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:37:56.08
どうして、あんな堅いものが胃に収容できるかと思うと、実に恐ろしくなる。
0611名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:38:12.05
そうこうする内に、おいゼムを持っているなら少しくれ、何だかおれも胃が悪くなったようだと手を出した。
0612名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:38:28.01
そうして、胃が悪いときは、河豚の干物でも何でも、ぐんぐん喰って、胃病を驚かしてやらなければ駄目だ。
0613名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:38:44.01
そうすればきっと癒なおると云った。
0615名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:39:15.90
余はポッケットから注文の薬を出して相手にあてがった。
0616名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:39:31.85
これは二三日前是公といっしょに馬車に乗って、市中を乗り廻した時、是公の御者ぎょしゃから二十銭借りて大連の薬屋で買ったものである。
0617名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:39:47.80
その時は是公の御者に対する態度のすこぶる叮嚀ていねいなのに気がついて少しく驚かされた。
0618名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:40:03.75
君ちょっとそこいらの薬屋へ寄って、ゼムを買ってやって下さいと云うんだから非凡である。
0619名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:40:19.72
君は御者に対して叮嚀過ぎるよと忠告してやったら、うんあの時の二十銭をまだ払わなかったっけと思い出したように河豚の干物をまた噛っていた。
0620名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:40:35.71
是公の御者には廿銭借かりがあるだけだが、その別当べっとうに至っては全く奇抜である。
0622名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:41:07.61
辮髪べんぱつを自慢そうに垂らして、黄色の洋袴ズボンに羅紗らしゃの長靴を穿はいて、手に三尺ほどの払子ほっすをぶら下げている。
0623名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:41:23.56
そうして馬の先へ立って駆かける。
0624名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:41:39.52
よくあんな紳士的な服装なりをして汗も出さずに走かけられる事だと思うくらいに早く走ける。
0627名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:42:27.35
別当と御者はこのくらいにしてまた股野にかえるが、余は是公に叱られたため、とうとう股野の家へは移らなかった。
0629名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:42:59.26
なるほど小山の上に建てられた好い社宅である。
0630名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:43:15.22
もっとも一軒立いっけんだてではない。
0631名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:43:31.19
長い棟むねがいくつも灰色に並んでいるうちの一番はずれの棟の、一番最後の番号のその二階が彼の家族の領分であった。
0632名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:43:47.09
岡の下から見ると、まるで英国の避暑地へ行ったようだとある西洋人が評したほど、外部は厚い壁で洋式にできているが、中には日本の香においがする奇麗きれいな畳が敷いてあった。
0634名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:44:18.93
大連の市街が見える、大連の海が見える、大連の向うの山が見える。
0635名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:44:34.88
股野の家にはもったいないくらいである。
0636名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:44:50.85
余はそこで村井君に逢あって、股野の細君に逢って、手厚い御馳走ごちそうになって帰った。
0637名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:45:06.81
支那の宿屋を一つ見ましょうと云いながら、股野は路の左側にある戸を開けて中へ這入はいった。
0638名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:45:22.71
そこには日本人が三人ほど机を並べて事務を執とっていた。
0639名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:45:38.64
股野はそのうちの紺こんの洋服を着た人を捕つらまえて、話を始めた。
0640名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:45:54.54
君ここは宿屋だろうと聞いている。
0641名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:46:10.43
宿屋じゃないよと立ちながら返事をしている。
0642名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:46:26.40
何だか様子が変になって来た。
0643名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:46:42.50
やがて余はこの紺服の人に紹介された。
0644名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:46:58.49
紹介されて見ると、これは商業学校出の谷村君で、無論旅屋やどやの亭主ではなかった。
0645名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:47:14.42
谷村君はこの地で支那人と組んで豆の商売を営んでいる。
0646名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:47:30.36
したがって取引上の必要があって、奥の方から大連へ出て来る豆の荷主にぬしと接触しなければならないのだが、こっちの習慣として、こう云う荷主はけっして普通の旅籠はたごを取らない。
0647名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:47:46.27
出て来ればきっと取引先へ宿とまって、用の済むまではいつまででもそこに滞在している。
0648名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:48:02.22
しかもその数は一人や二人ではない。
0649名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:48:18.19
したがって谷村君の奥座敷は一種の宿屋みたような組織にできている。
0650名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:48:34.10
じゃその奥座敷をちょっと拝見できますかと云うと、谷村君はさあさあと自分から席を離れて、快よく案内に立たれる。
0651名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:48:50.03
余は谷村君の後うしろへ追ついて事務室の裏へ出た。
0653名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:49:21.95
裏は真四角な庭になっている。
0654名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:49:37.85
無論樹きも草も花も見当らない、ただの平たい場所である。
0655名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:49:53.77
そこを突き抜けた正面の座敷が応接間であった。
0656名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:50:09.71
応接間の入口は低い板間いたまで、突当りの高い所に蒲団ふとんが敷いてある。
0657名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:50:25.65
その上に腰をかけて談判をするのだそうだが、横着な事には大きな括枕くくりまくらさえ備えつけてある。
0658名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:50:41.62
しかし肱ひじを突くためか、頭を載のせるためかは聞き糺ただして見なかった。
0659名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:50:57.57
彼等は談判をしながら阿片あへんを飲む。
0660名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:51:13.53
でなければ煙草たばこを吸う。
0661名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:51:29.48
その煙管きせるは煙管と云うよりも一種の器械と評した方が好いくらいである。
0662名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:51:45.52
錫すずの胴どうに水を盛って雁首がんくびから洩もれる煙がこの水の中を通って吸口まで登ってくる仕掛なのだから、慣れないうちは水を吸い上げて口中へ入れる恐れがある。
0663名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:52:01.48
一服やって御覧なさいと勧められたから、やって見たが、ごぼごぼ音がしてまるで脂やにを呑むような心持がした。
0664名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:52:17.40
二階が荷主の室へやだと云うんで、二階へ上あがって見ると、なるほど室がたくさん並んでいる。
0665名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:52:33.37
その中うちの一つでは四人よつたりで博奕ばくちを打っていた。
0666名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:52:49.27
博奕の道具はすこぶる雅がなものであった。
0667名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:53:05.22
厚みも大きさも将棋しょうぎの飛車角ひしゃかくぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた。
0668名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:53:21.20
その札は磨いた竹と薄い象牙ぞうげとを背中合せに接ついだもので、その象牙の方にはいろいろの模様が彫刻してあった。
0669名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:53:37.17
この模様の揃った札を何枚か並べて出すと勝になるようにも思われたが、要するに、竹と象牙がぱちぱち触れて鳴るばかりで、どこが博奕なんだか、実はいっこう解らなかった。
0670名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:53:53.07
ただこの象牙と竹を接ぎ合わした札を二三枚貰って来たかった。
0671名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:54:09.05
一つの室では五六人寄って、そのうちの一人が笛ふえを吹くのを聞いていた。
0672名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:54:25.02
幕を開けて首を出したら、ぱたりと笛を歇やめてしまった。
0673名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:54:40.96
また吹き始めるかと思って、しばらく室の中に立っていたが、とうとう吹かなかった。
0674名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:54:56.78
室の中には妙な書が麗々と壁に貼はりつけてある。
0675名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:55:12.71
いずれも下手まずいものだのに、何々先生のために何々書すと云ったようにもったいぶったのばかりであった。
0676名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:55:28.61
股野が何か云うと、向うの支那人も何か云う。
0677名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:55:44.51
しかし両方の云う事は両方へ通じないようである。
0678名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:56:00.47
波止場はとばから上あがって真直まっすぐに行くと、大連の町へ出る。
0679名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:56:16.42
それを真直に行かずに、すぐ左へ折れて長い上屋うわやの影を向うへ、三四町通り越した所に相生あいおいさんの家がある。
0680名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:56:32.38
西洋館の二階を客間にして古い仏像やら鏡やら銅器陶器の類たぐいを奇麗きれいに飾っているから、客間を見ただけではただ一通りの風流人としか見えない。
0681名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:56:48.33
相生さんは満鉄の社員として埠頭事務所ふとうじむしょの取締である。
0682名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:57:04.26
もっと卑近な言葉で云うと、荷物の揚卸あげおろしに使われる仲仕なかしの親方をやっている。
0683名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:57:20.21
かつて門司の労働者が三井に対してストライキをやったときに、相生さんが進んでその衝に当ったため、手際てぎわよく解決が着いたとか云うので、満鉄から仲仕の親分として招聘しょうへいされたようなものである。
0684名無し職人
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2018/01/19(金) 04:57:36.16
実際相生さんは親分気質おやぶんかたぎにでき上っている。
0685名無し職人
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2018/01/19(金) 04:57:52.05
満鉄から任用の話があったとき、子供が病気で危篤きとくであったのに、相生さんはさっさと大連へ来てしまった。
0686名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 04:58:08.01
来て一週間すると子供が死んだと云う便たよりがあった。
0687名無し職人
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2018/01/19(金) 04:58:23.99
相生さんは内地を去る時、すでにこの悲報を手にする覚悟をしていたのだそうだ。
0688名無し職人
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2018/01/19(金) 04:58:39.94
相生さんは大連に来るや否や、仲仕その他すべて埠頭に関する事務を取り扱う連中を集めてここに一部落を築き上げた。
0689名無し職人
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2018/01/19(金) 04:58:55.87
相生さんの家を通り越すと、左右に並んでいる建物は皆自分の経営になったものばかりである。
0696名無し職人
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2018/01/19(金) 05:00:47.49
図書館には沙翁さおう全集があった。
0697名無し職人
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2018/01/19(金) 05:01:03.54
ポルグレーヴの経済字彙じいがあった。
0699名無し職人
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2018/01/19(金) 05:01:35.52
ここは柔道の道場に使っていますが、時によると講談をやったり演説をやったりしますと云う相生さん自身の説明について、中を覗のぞき込むと、なるほど道場にはちょうど好い建物がある。
0700名無し職人
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2018/01/19(金) 05:01:51.46
その奥に高座こうざができていて、いつでも寄席よせもしくは講演を開くような設備もある。
0701名無し職人
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2018/01/19(金) 05:02:07.44
講演てどんな講演ですかと聞き返したら、相生さんは、まあ内地から来られた人だとか何とかいうのを頼んでやりますと答えられた。
0702名無し職人
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2018/01/19(金) 05:02:23.39
ことによると、遠からぬうちに捕つかまって、ここへ引っ張り出されはしまいかと、その時すぐ気がついたが、真逆まさか私わたしはどうぞ廃よしにして下さいと、頼まれもしないうちに断るのも失礼だと思って、はあなるほどと首肯うなずいて通り過ぎた。
0703名無し職人
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2018/01/19(金) 05:02:39.31
最後にもっとも長い二階建の一棟ひとむねの前に出た。
0704名無し職人
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2018/01/19(金) 05:02:55.27
これが共同生活をやらしている所でと、相生さんが先へ這入はいる。
0705名無し職人
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2018/01/19(金) 05:03:11.21
中は勧工場かんこうばのように真中を往来にして、同おなじく勧工場の見世みせに当る所を長屋の上り口にしてある。
0706名無し職人
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2018/01/19(金) 05:03:27.17
だから長屋と長屋とは壁一重かべひとえで仕切られながら、約一丁も並んでいるばかりか、三尺の往来を越すとすぐ向うの家うちになる。
0707名無し職人
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2018/01/19(金) 05:03:43.12
上り口を枕にして寝れば、吸付莨すいつけたばこのやり取りぐらいはできるほど近い。
0708名無し職人
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2018/01/19(金) 05:03:59.05
相生さんが先へ立って、この狭い往来を通ると、裁縫しごとをしたり、子供を寝かしたりしている神かみさん達が、みんな叮嚀ていねいに挨拶あいさつをする。
0709名無し職人
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2018/01/19(金) 05:04:14.98
しかし中には気がつかずに何か話しているのも見える。
0710名無し職人
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2018/01/19(金) 05:04:30.93
この部落に住んでいる人間が総そうがかりになった上に、その何十倍か何百倍のクーリーを使っても、豆の出盛でさかりには持て余すほど荷が後から後からと出てくる。
0711名無し職人
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2018/01/19(金) 05:04:46.88
相生さんの話によると、多い時は着荷ちゃくにの量が一日ならし五千噸トンあるそうである。
0712名無し職人
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2018/01/19(金) 05:05:02.85
これがため去年雨期うきを持ち越した噸数は四万噸で、今年こんねんはそれが十五万噸に上のぼったとか聞いた。
0713名無し職人
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2018/01/19(金) 05:05:18.81
南北千五百尺東西四千二百尺の埠頭ふとうの側そばにこのくらい豆を積んだらずいぶん盛さかんなものだろう。
0714名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:05:34.69
旅順から電話がかかってこっちへはいつ来るかという問合わせである。
0715名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:05:50.67
おい誰がかけてくれるんだろうなと橋本に聞いて見ると、橋本はそうだなあと云うだけで要領を得ない。
0716名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:06:06.65
おい名前は分らないのかとやむをえずボイに尋ね返したら、ボイは依然として、ただ民政署みんせいしょだと云ってかけて参りましたと同じ事を繰返している。
0717名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:06:22.60
おおかた友熊ともくまだろうぐらいに橋本と二人で見当をつけて返事をさせた。
0718名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:06:38.58
これが白仁長官しらにちょうかんの好意から出た聞き合せであった事は旅順に着いて後のち始めて知った。
0719名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:06:54.55
旅順には佐藤友熊と云う旧友があって、警視総長と云う厳いかめしい役を勤めている。
0720名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:07:10.52
これは友熊の名前が広告する通りの薩州人さっしゅうじんで、顔も気質も看板のごとく精悍せいかんにでき上がっている。
0721名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:07:26.44
始めて彼を知ったのは駿河台するがだいの成立学舎という汚きたない学校で、その学校へは佐藤も余も予備門に這入はいる準備のために通学したのであるからよほど古い事になる。
0722名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:07:42.39
佐藤はその頃筒袖つつそでに、脛すねの出る袴はかまを穿はいてやって来た。
0723名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:07:58.39
余のごとく東京に生れたものの眼には、この姿がすこぶる異様に感ぜられた。
0724名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:08:14.36
ちょうど白虎隊びゃっこたいの一人いちにんが、腹を切り損なって、入学試験を受けに東京に出たとしか思われなかった。
0725名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:08:30.28
教場へは無論下駄げたを穿はいたまま上あがった。
0726名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:08:46.21
もっともこれは佐藤ばかりじゃない。
0727名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:09:02.14
我等もことごとく下駄のままあがった。
0728名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:09:18.12
上草履うわぞうりや素足すあしで歩くような学校じゃないのだから仕方がない。
0729名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:09:34.20
床ゆかに穴が開あいていて、気をつけないと、縁の下へ落ちる拍子ひょうしに、向脛むこうずねを摺剥すりむくだけが、普通の往来より悪いぐらいのものである。
0730名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:09:50.19
古い屋敷をそのまま学校に用いているので玄関からがすでに教場であった。
0731名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:10:06.21
ある雨の降る日余はこの玄関に上って時間の来るのを待っていると、黒い桐油とうゆを着て饅頭笠まんじゅうがさを被かぶった郵便脚夫が門から這入って来た。
0732名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:10:22.12
不思議な事にこの郵便屋が鉄瓶てつびんを提さげている。
0734名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:10:53.98
足袋たびは無論の事、草鞋わらじさえ穿はいていない。
0735名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:11:09.91
そうして、普通なら玄関の前へ来て、郵便と大きな声を出すべきところを、無言のまますたすた敷台から教場の中へ這入はいって来た。
0736名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:11:25.85
この郵便屋がすなわち佐藤であったので大いに感心した。
0737名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:11:41.78
なぜ鉄瓶を提さげていたものかその理由わけは今日こんにちまでついに聞く機会がない。
0738名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:11:57.70
その後ご佐藤は成立学舎の寄宿へ這入った。
0739名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:12:13.61
そこで賄まかない征伐をやった時、どうした機勢はずみか額に創きずをして、しばらくの間白布しろぬので頭を巻いていたが、それが、後鉢巻うしろはちまきのようにいかにも勇ましく見えた。
0740名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:12:29.57
賄に擲なぐられたなと調戯からかって苛ひどい目に逢あったので今にその颯爽さっそうたる姿を覚えている。
0741名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:12:45.54
佐藤はその頃頭に毛の乏とぼしい男であった。
0742名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:13:01.49
無論老朽した禿はげではないのだが、まあ土質どしつの悪い草原のように、一面に青々とは茂らなかったのである。
0743名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:13:17.41
漢語でいうと短髪種々たんぱつしょうしょうとでも形容したら好いのかも知れない。
0744名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:13:33.38
風が吹けば毛の方で一本一本に靡なびく傾かたむきがあった。
0745名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:13:49.35
この頭は予備門へ這入っても黒くならなかった。
0746名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:14:05.26
それで皆みんなして佐藤の事を寒雀かんすずめ寒雀と囃はやしていた。
0747名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:14:21.24
当時余は寒雀とはどんなものか知らなかった。
0748名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:14:37.20
けれども佐藤の頭のようなものが寒雀なんだろうと思って、いっしょになってやっぱり寒雀寒雀と調戯からかった。
0749名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:14:53.13
この渾名あだなを発明した男はその後技師になって今は北海道にいる。
0750名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:15:09.07
話が前後するようだが、旅順に来て十何年ぶりかに佐藤に逢って、例の頭を注意して見ると、不思議な事に、その頭には万遍まんべんなく綿密に毛が生えていた。
0751名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:15:25.03
もっとも黒いのばかりではなかった。
0752名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:15:41.07
近頃は正当防禦ぼうぎょのために、こう短く刈っているんだと云って、三分刈の濃い頭を笑いながら掻かいて見せた。
0753名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:15:57.04
旅順から二度目の電話がかかった翌日の朝、橋本と余は、この旧友に逢うため、また日露の戦跡を観みるため、大連から汽車に乗った。
0754名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:16:12.96
乗る時、是公が友熊ともくまによろしくと云った。
0755名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:16:28.90
是公は何か用事があったと見えて、国沢君と二人で停車場ステーションの構内を横切って妙な方角へ向いて歩いて行った。
0756名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:16:44.84
やがて二人の影は物に遮さえぎられて、汽車の窓から見えなくなった。
0757名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:17:00.76
そうして満洲に有名な高粱こうりょうの色が始めて眼底に映じ出した。
0758名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:17:16.74
汽車は広い野の中に出たのである。
0759名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:17:32.65
おい旅順に着いたら久しぶりに日本流の宿屋へ泊ろうかと橋本に相談を掛けるとそうだな浴衣ゆかたを着てごろごろするのも好いねという同意である。
0760名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:17:48.55
橋本は新しく蒙古から帰ったので、しきりに支那宿に降参した話を始めた。
0761名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:18:04.48
その支那宿には、名は塞北さいほくに馳はせ、味あじわいは江南を圧すなどという広告の文字がべたべた壁に貼はりつけてあるそうだ。
0762名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:18:20.43
橋本はこう云う文句をたくさん手帳に控えている。
0763名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:18:36.40
ほかに使い路のない文句だものだから、汽車の中で、それを残らず余に読んで聞かせてしまった。
0764名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:18:52.33
二人は笑いながら日本流の奇麗きれいな宿屋を想像して旅順のプラットフォームに降りた。
0766名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:19:24.21
我々の名前を聞くものがある。
0767名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:19:40.15
この馬車が民政署の馬車で、我々を尋ねてくれた人が、渡辺秘書わたなべひしょであるという事を発見した時は両人ともだいぶ恐縮した。
0768名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:19:56.07
橋本を振り返ると相変らず鼻の先を反そらして、台湾パナマだか何だかペコペコになった帽子を被かぶっている。
0769名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:20:11.98
おい宿屋はどうするんだいと小さな声で聞くと、うんそうさなと云ったが、そのうち二人とも馬車へ乗らなければならない段になった。
0770名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:20:27.92
いったい橋本といっしょにあるくときは、何でも橋本が進んで始末をつけてくれる事に昔からきまっているんだからこの際もどうかするだろうと思って放っておいた。
0771名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:20:43.86
すると予想通、日本流の宿屋へ行くつもりで来たんですがと渡辺さんに相談し始めた。
0772名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:20:59.81
ところが渡辺さんはどうも御泊りになられるような日本の宿屋は一軒もありませんから、やっぱり大和やまとホテルになさった方が好いでしょうと忠告している。
0773名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:21:15.79
やがて馬車は新市街の方へ向いて動き出した。
0774名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:21:31.74
二人は十五分の後のちホテルの二階に導かれて、行き通いのできる室へやを二つ並べて取った。
0775名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:21:47.61
そこで革鞄かばんの中から刷毛はけを出して塵ちりだらけの服を払ったあとで、しばらく休息のため安楽椅子に腰をおろして見ると、急に気がついたように四辺あたりが森閑しんかんとしている。
0776名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:22:04.02
ホテルの中には一人も客がいないように見える。
0777名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:22:20.05
ホテルの外にもいっさい人が住んでいるようには思われない。
0778名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:22:35.97
開廊ヴェランダへ出て往来を眺めると、往来はだいぶ広い。
0779名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:22:51.89
手摺てすりの真下にある人道の石の中から草が生えて、茎の長さが一尺余りになったのが二三本見える。
0780名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:23:07.89
日中だけれども虫の音ねが微かすかに聞える。
0781名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:23:23.83
隣は主ぬしのない家と見えて、締しめ切った門やら戸やらに蔦つたが一面に絡からんでいる。
0782名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:23:39.74
往来を隔てて向うを見ると、ホテルよりは広い赤煉瓦あかれんがの家が一棟ひとむねある。
0783名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:23:55.64
けれども煉瓦が積んであるだけで屋根も葺ふいてなければ窓硝子まどガラスもついてない。
0784名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:24:11.55
足場に使った材木さえ処々に残っているくらいの半建はんだてである。
0785名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:24:27.52
淋しい事には、工事を中止してから何年になるか知らないが、何年になってもこのままの姿で、とうてい変る事はあるまいと云う感じが起る。
0786名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:24:43.44
そうしてその感じが家にも往来にも、美しい空にも、一面に充みちている。
0787名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:24:59.36
余は開廊の手摺を掌てのひらで抑えながら、奥にいる橋本に、淋さびしいなあと云った。
0788名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:25:15.32
旅順の港は鏡のごとく暗緑に光った。
0789名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:25:31.28
港を囲む山はことごとく坊主であった。
0790名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:25:47.23
まるで廃墟ルインスだと思いながら、また室の中に這入はいると、寝床には雪のような敷布シートがかかっている。
0791名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:26:03.15
床ゆかには柔やわらかい絨毯じゅうたんが敷いてある。
0792名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:26:19.06
豊かな安楽椅子が据すえてある。
0793名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:26:35.00
器物はことごとく新式である。
0796名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:27:22.85
満鉄の経営にかかるこのホテルは、固もとより算盤そろばんを取っての儲もうけ仕事でないと云う事を思い出すまでは、どうしても矛盾の念が頭を離れなかった。
0797名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:27:38.78
食堂に下りて、窓の外に簇むらがる草花の香においを嗅かぎながら、橋本と二人静かに午餐ごさんの卓に着いたときは、機会があったら、ここへ来て一夏気楽に暮したいと思った。
0798名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:27:54.70
旅順に着いた時汽車の窓から首を出したら、つい鼻の先の山の上に、円柱のような高い塔が見えた。
0799名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:28:10.65
それがあまり高過ぎるので、肩から先を前の方へ突き出して、窮屈に仰向あおむかなくては頂点てっぺんまで見上げる訳に行かなかった。
0800名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:28:26.61
馬車が新市街を通り越してまたこの塔の真下に出た時に、これが白玉山はくぎょくざんで、あの上の高い塔が表忠塔だと説明してくれた。
0801名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:28:42.59
よく見ると高い灯台のような恰好かっこうである。
0802名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:28:58.51
二百何尺とかと云う話であった。
0803名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:29:14.45
この山の麓ふもとを通り越して、旧市街を抜けると、また山路にかかる。
0804名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:29:30.37
その登り口を少し右へ這入はいった所に、戦利品陳列所がある。
0805名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:29:46.33
佐藤は第一番にそれを見せるつもりで両人ふたりを引張って来た。
0806名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:30:02.30
陳列所は固もとより山の上の一軒家で、その山には樹きと名のつくほどの青いものが一本も茂っていないのだから、はなはだ淋さびしい。
0807名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:30:18.25
当時の戦争に従事したと云う中尉のA君がただ独ひとり番をしている。
0808名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:30:34.21
この尉官は陳列所に幾十種となく並べてある戦利品について、一々叮嚀ていねいに説明の労を取ってくれるのみならず、両人を鶏冠山けいかんざんの上まで連れて行って、草も木もない高い所から、遥はるかの麓を指さしながら、
0809名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:30:50.14
自分の従軍当時の実歴譚じつれきだんをことごとく語って聞かせてくれた人である。
0810名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:31:21.92
向うの山の頂いただきに、大きくなって近づくまで帰ろうとは云わなかった。
0811名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:31:37.89
もし忘れたんじゃ気の毒だと思って、こっちから注意すると、何ようございます、構いませんと断りながら、ますます講釈をしてくれる。
0812名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:31:53.79
あんまり不思議だから、全体何の御用事が御有りなのですかと、詮索せんさくがましからぬ程度に聞いて見ると、実は妻さいが病気でと云う返事である。
0813名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:32:10.11
さすが横着な両人も、この際だけは、それじゃ御迷惑でもせっかくだからついでにもう少し案内を願おうと云う気にもなれなかった。
0815名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:32:42.05
長い日が山の途中で暮れて、電気の力を借りなければ人の顔が判然はっきり分らない頃になって、我々の馬車がようやく旧市街まで戻った時、中尉はある煉瓦塀れんがべいの所で、それじゃ私はここで失礼しますと挨拶あいさつして、馬車から下りて、
0816名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:32:58.01
門の中へ急いで這入って行かれた。
0817名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:33:13.94
この煉瓦の塀を回めぐらした一構ひとかまえは病院であった。
0818名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:33:29.87
そうして中尉の妻君はこの病院の一室に寝ていたのである。
0819名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:33:45.77
これほど世話になり、面倒を掛けた人の名前を忘れるのははなはだすまん事だが、どうしても思い出せない。
0820名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:34:01.73
佐藤に、よろしくと伝言を頼んだ時は、ただ、あの中尉君と書いた。
0821名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:34:17.72
ここに某中尉ぼうちゅういなどとよそよそしく取り扱うのはあまり失礼だから、やむをえずA君としておいた。
0822名無し職人
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2018/01/19(金) 05:34:33.68
A君の親切に説明してくれた戦利品の一々を叙述したら、この陳列所だけの記載でも、二十枚や三十枚の紙数では足るまいと思うが、残念な事にたいてい忘れてしまった。
0823名無し職人
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2018/01/19(金) 05:34:49.66
しかしたった一つ覚えているものがある。
0824名無し職人
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2018/01/19(金) 05:35:05.59
それは女の穿はいた靴の片足である。
0825名無し職人
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2018/01/19(金) 05:35:21.56
地じが繻子しゅすで、色は薄鼠うすねずみであった。
0826名無し職人
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2018/01/19(金) 05:35:37.49
その他の手投弾てなげだんや、鉄条網や、魚形水雷や、偽造の大砲は、ただ単なる言葉になって、今は頭の底に判然はっきり残っていないが、この一足の靴だけは色と云い、形と云い、いつなん時どきでも意志の起り次第鮮あざやかに思い浮べる事ができる。
0827名無し職人
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2018/01/19(金) 05:35:53.45
戦争後ある露西亜ロシアの士官がこの陳列所一覧のためわざわざ旅順まで来た事がある。
0828名無し職人
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2018/01/19(金) 05:36:09.37
その時彼はこの靴を一目観みて非常に驚いたそうだ。
0829名無し職人
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2018/01/19(金) 05:36:25.34
そうしてA君に、これは自分の妻の穿はいていたものであると云って聞かしたそうだ。
0830名無し職人
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2018/01/19(金) 05:36:41.25
この小さな白い華奢きゃしゃな靴の所有者は、戦争の際に死んでしまったのか、またはいまだに生存しているものか、その点はつい聞き洩もらした。
0831名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:36:57.17
今までは白馬しろうまを着けた佐藤の馬車に澄まして乗っていたが、山へかかるや否や、例の泥だらけの掘出しものの中へ放り込まれてしまった。
0832名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:37:13.10
とうてい普通の馬車では上がれないと云うんだからやむをえない。
0833名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:37:29.08
それでも露西亜人ロシアじんだけあって、眼にあまる山のことごとくに砲台を構えて、その砲台のことごとくに、馬車を駆かって頂辺てっぺんまで登れるような広い路みちをつけたのは感心ですとA君が語られる。
0834名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:37:45.05
実際その当時は奇麗きれいな馬車を傷いためずに、心持よく砲台のある地点まで乗りつけられたものと見える。
0835名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:38:00.99
ところが戦争がすんで往復の必要がなくなったので、せっかくできた山路に手を入れる機会を失ったため、我々ごとき物数奇ものずきは、かように零落れいらくした馬車をさえ、時々復活させる始末になるのである。
0836名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:38:16.91
元来旅順ほど小山が四方よもに割拠かっきょして、禿頭を炎天に曝さらし合あっている所はない。
0837名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:38:32.86
樹きが乏しい土質どしつへ、遠慮のない強雨ごううがどっと突き通ると、傾斜の多い山路の側面が、すぐ往来へ崩くずれ出す。
0838名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:38:48.81
その崩れるものがけっして尋常の土じゃない。
0840名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:39:20.62
しかも頑固がんこに角張かどばっている。
0841名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:39:36.46
ある所などは、五寸から一尺ほどもあろうと云う火打石のために、累々るいるいと往来を塞ふさがれている。
0842名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:39:52.38
零落した馬車は容赦なく鳴動めいどうしてその上を通るのだから、凸凹でこぼこの多い川床かわどこを渡るよりも危険である。
0843名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:40:08.31
二百三高地にひゃくさんこうちへ行く途中などでは、とうとうこの火打石に降参して、馬車から下りてしまった。
0844名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:40:24.31
そうして痛い腹を抱かかえながら、膏汗あぶらあせになって歩いたくらいである。
0845名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:40:40.18
鶏冠山けいかんざんを下りるとき、馬の足掻あがきが何だか変になったので、気をつけて見ると、左の前足の爪の中に大きな石がいっぱいに詰はまっていた。
0846名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:40:56.11
よほど厚い石と見えて爪から余った先が一寸いっすんほどもある。
0847名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:41:12.07
したがって馬は一寸がた跛ちんばを引いて車体を前へ運んで行く訳になる。
0848名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:41:28.05
席から首を延ばして、この様子を見た時は、安んじて車に乗っているのが気の毒なくらい、馬に対して痛わしい心持がした。
0849名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:41:43.97
御者ぎょしゃに注意してやると、御者は支那語で何とか云いながら、鞭むちを棄すてて下へ下りたが、非常に固く詰つまっていたと見えて、叩たたいても引っ張っても石が取れないので、またのそのそ御者台へ上がった。
0850名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:41:59.92
そうして、後うしろにいる余の方をふりむいて、にやにや笑いながら、また鞭を鳴らし出した。
0851名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:42:16.08
馬も存外平気なもので、そのままとうとう大和やまとホテルまで帰って来た。
0852名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:42:32.04
橋本と余はこう云う馬車の中で、こう云う路の上に揺振ゆすぶられべく旧市街から出立した。
0853名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:42:47.98
あれがステッセル将軍の家でと云うのを遠くから見ると、なかなか立派にできている。
0854名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:43:03.90
戦争の烈はげしくならない時は、将軍がみごとな馬車を駆かってそこいらを乗り廻しているのが遥はるかの先から見えたそうである。
0855名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:43:19.84
A君の指ゆびさして教えられた中うちで、ただ一つ質素な板囲いたがこいの小さい家があった。
0856名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:43:35.81
それがまるで日本の内地で見る普通の木造なのだから珍らしかった。
0857名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:43:51.78
何とか云う有名な将軍の住宅だと説明されたが、不幸にしてその有名な将軍の名を忘れてしまった。
0858名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:44:07.79
何でも非常に人望のある人で、戦争のときも一番先に打死うちじにをしたのだそうである。
0859名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:44:23.75
ああ云う質素の家に住んでおられたのも、一つは人望のあった原因になっているのでありましょうとA君は丁寧に敬慕の意を表ひょうされる。
0860名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:44:39.65
この将軍は戦争だけには熱心で、ほかの事にはよほど無頓着むとんじゃくであった人らしい。
0861名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:44:55.59
この辺にある露国の将軍などの住宅は皆それ相応に立派なものばかりである。
0862名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:45:11.55
新市街の白仁長官しらにちょうかんの家を訪たずねた時、結構な御住居おすまいだが、もとは誰のいた所ですかと聞いたら、何でもある大佐の家だそうですと答えられた。
0863名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:45:27.52
こう云う家に住んで、こういう景色けしきを眼の下に見れば、内地を離れる賠償ばいしょうには充分なりますねと云ったら、白仁君も笑いながら、日本じゃとても這入はいれませんと云われたくらいである。
0864名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:45:43.46
そのうち馬車は無鉄砲に山路やまみちを上って、旅順の市街を遥の下にうちやるようになった。
0865名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:45:59.38
A君は坂の途中で車を留めて、私は近路を歩いて、御先へ行って御待ち申しますと云いながら、左手の急な岨路そばみちをずんずん登って行った。
0866名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:46:15.33
我々の車はまたのそのそ動き出した。
0867名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:46:31.29
下を見下みおろすと、山の側面はそれほど急でないが、樹きと名のつくような青いものはまるで眸ひとみを遮さえぎらない。
0868名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:46:47.23
一眼に麓ふもとまで透すかされるのみならず、麓からさき一里余の畠はたけが真直まっすぐに眉まゆの下に集まって来る。
0869名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:47:03.14
この辺の空気は内地よりも遥に澄んでいるから、遠くのものが、つい鼻の先にあるように鮮あざやかである。
0870名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:47:19.11
そのうちで高粱こうりょうの色が一番多く眼を染めた。
0871名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:47:35.10
あの先に、小指の頭のような小さい白いものが見えるでしょう、あすこからこっちの方へ向いて対溝たいこうを掘出したのですとA君が遠くの方を指さしながら云った。
0872名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:47:51.06
この辺に穴を掘るのは石を割ると一般なのだから一町掘るのだって容易な事ではない。
0873名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:48:07.01
現に外濠そとぼりから窖道こうどうへ通ずる路をつけるときなどは、朝から晩まで一日働いて四十五サンチ掘ったのが一番の手柄であったそうだ。
0874名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:48:22.98
余は余の立っている高い山の鼻と、遠くの先にある白いものとを見較みくらべて、その中間に横よこたわる距離を胸算用むなざんようで割り出して見て、軍人の根気の好いのにことごとく敬服した。
0875名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:48:38.94
全体どこまで掘って来たのですかと聞き返すと、ついそこですと洋剣サーベルを向けて教えてくれた。
0876名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:48:54.90
何でも九月二日から十月二十日とかまで掘っていたと云うのだから恐るべき忍耐である。
0877名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:49:10.81
その時敵も砲台の方から反対窖道はんたいこうどうと云うのを掘って来た。
0878名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:49:26.78
日本の兵卒が例のごとく工事をしているとどこかでかんかん石を割る音が聞えたので、敵も暗い中を一寸二寸と近寄って来た事が知れたのだと云う。
0879名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:49:42.74
爆発薬の御蔭おかげで外濠そとぼりを潰つぶしたのはこの時の事でありますと、中尉はその潰れた土山の上に立って我々を顧みた。
0880名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:49:58.68
我々も無論その上に立っている。
0881名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:50:14.60
この下を掘ればいくらでも死骸しがいが出て来るのだと云う。
0882名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:50:30.71
土山の一隅ひとすみが少し欠けて、下の方に暗い穴が半分見える。
0883名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:50:46.71
その天井てんじょうが厚さ六尺もあろうと云うセメントででき上っている。
0884名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:51:02.64
身を横にして、その穴に這い込みながら、だらだらと石の廻廊かいろうに降りた時に、仰向あおむいて見て始めてその堅固なのに気がついた。
0885名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:51:18.53
外濠を崩くずした上に、この厚い壁を破壊しなければ、砲台をどうする事もできないのは攻手に取って非常な困難である。
0886名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:51:34.53
しかもこの小さな裂け目から無理に割り込んで、一寸二寸とじりじりにセメントで築上げた窖道を専領せんりょうするに至っては、全く人間以上の辛抱比しんぼうくらべに違ない。
0887名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:51:50.49
その時両軍の兵士は、この暗い中で、わずかの仕切りを界さかいに、ただ一尺ほどの距離を取って戦いくさをした。
0888名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:52:06.44
仕切は土嚢どのうを積んで作ったとかA君から聞いたように覚えている。
0889名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:52:22.37
上から頭を出せばすぐ撃うたれるから身体からだを隠して乱射したそうだ。
0890名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:52:38.37
それに疲れると鉄砲をやめて、両側で話をやった事もあると云った。
0891名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:52:54.29
酒があるならくれと強請ねだったり、死体の収容をやるから少し待てと頼んだり、あんまり下らんから、もう喧嘩けんかはやめにしようと相談したり、いろいろの事を云い合ったと云う話である。
0892名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:53:10.25
三人は暗い廻廊を這い出して、また土山の上に立った。
0893名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:53:26.16
日は透すき徹とおるように明かるく坊主山ぼうずやまを照らしている。
0894名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:53:42.11
野菊に似た小さな花が処々に見える。
0895名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:53:58.01
じっと日を浴びて佇たたずんでいると、微かすかに虫の音ねがする。
0896名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:54:13.93
草の裏で鳴いているのか、崩れ掛った窖内こうないで鳴いているのか分らなかった。
0897名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:54:29.85
向うの方かたに支那人の影が二人見えたが、我々の姿を認めるや否や、草の中に隠れた。
0898名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:54:45.74
ああやって、何か掘りに来るんです。
0899名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:55:01.66
捕つらまると怖こわいものだから、すぐに逃げます、なかなか取り抑えるのが困難ですとA君が苦笑した。
0900名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:55:17.54
後側うしろがわへ回ると広い空堀からぼりの中に立派な二階建の兵舎がある。
0901名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:55:33.49
もとは橋をかけて渡ったものと思われるが、今では下りる事もできない。
0902名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:55:49.43
兵舎の背はもとより、山に囲われて、外からは見えなくなっている。
0903名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:56:05.33
三人は空濠からぼりを横に通り越してなお高く上った。
0904名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:56:21.26
とうとう四方にあるものは山の頭ばかりになった。
0905名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:56:37.19
そうしてそれが一つ残らず昔の砲台であった。
0906名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:56:53.16
中尉はそれらの名前をことごとく諳そらんじていた。
0907名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:57:09.08
余は遮さえぎるもののない高い空の真下に立って、数限りもない山の背を見渡しながら、砲台巡ほうだいめぐりも容易な事ではないと思った。
0908名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:57:25.01
大連に着いてから二三日すると、満洲日々まんしゅうにちにちの伊藤君から滞留中たいりゅうちゅうに是非一度講演をやって貰いたいという依頼であった。
0909名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:57:40.91
ええ都合ができればと受合ったようなまた断ったような軽い挨拶あいさつをして旅順に来た。
0910名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:57:56.82
するとその伊藤君が我々より一日前に同じ大和やまとホテルに泊っていたので、ただ、やあ来ているねぐらいでは事がすまなくなった。
0911名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:58:12.75
伊藤君の話によると、余の承諾を得て講演を開くと云う事を、もう自分の新聞に広告してしまったと云うんだから、たちまち弱った。
0912名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:58:28.71
どうしてもやらなければならないように伊藤君は頼むし、何だかやれそうもない気分ではあるし、かたがた安楽椅子に尻しりを埋うずめて、苦にがく渋り出した。
0913名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:58:44.66
すると橋本がにやにや笑いながら、まあやってやるさと傍はたから余計な事を云う。
0914名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:59:00.57
実を云うと、講演は馬車でホテルに着くや否や、ここの和木君わきくんからも頼まれている。
0915名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:59:16.45
もっともこの方ほうは暇がないので、頼たのまれ放ぱなしの体ていであるが、大連に帰ればそう多忙らしく見せる訳には行かない。
0916名無し職人
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2018/01/19(金) 05:59:32.35
橋本はそこをよく見破っているので、君そう云うときには快よく承諾するものだよとか君のような人はやる義務があるさとかいろいろな口を出す。
0917名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 05:59:48.32
余の大連でしゃべらせられたのは全くこの男の御蔭おかげである。
0918名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:00:04.28
しかも短い時日のうちに二遍もやらせられた。
0919名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:00:20.21
その内の一遍では、云う事が無くって仕方がなかったから、私は今晩、なぜ講演というものが、そう容易にできるものでないか、すなわち講演ができない訳を講演致しますと云って、妙な事を弁じてしまった。
0920名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:00:36.16
それを是公ぜこうが聞きに来ていて、うん貴様はなかなか旨うまい、これからどこへ出て演説しようと勝手だ、おれが許してやると評したからありがたい。
0921名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:00:52.08
けれども勧告の本人たる橋本は、平気な顔をして、どこか遊んで歩いていて聞きに来なかった。
0922名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:01:08.02
そのくせ営口でまた頼まれると早速、君やるさ、せっかく頼むんだものと例の通りやり出したので、やむをえず痛い腹の上にかけていた蒲団ふとんを跳はね退のけて、演説をしに行った。
0923名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:01:23.93
その代りおれが先へやるよと断って、橋本のは聞かずに、すぐ宿屋へ帰って来て、また腹の上に蒲団を掛けていた。
0924名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:01:39.86
橋本はこう云うところを見ると、君演説をやってる間は苦しいかなどと気楽な質問をする。
0925名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:01:55.82
もっとも招待を断ったり何かするときには、いや実際この男は胃病でといつでも証人に立ってくれた。
0926名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:02:11.72
して見ると、橋本はただ演説に対してだけ冷刻れいこくなのかも知れない。
0927名無し職人
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2018/01/19(金) 06:02:27.67
奉天でも危うく高い所へ乗せられるところを、一日日取ひどりが狂ったため、いかな橋本にも、君頼まれたときにはやってやるべきだよを繰返す余地がなかった。
0928名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:02:43.60
京城では発着が前後した上に、宿屋さえ違ったものだから、泰然と講演を謝絶する余裕があった。
0929名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:02:59.56
これは偏ひとえに橋本のいなかった御蔭である。
0930名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:03:15.49
面白い事に、この演説の勧誘家はその後ご札幌さっぽろへ帰るや否や、自身と烈はげしい胃病に罹かかって、急に苦しみ出した。
0931名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:03:31.43
それで普通ならば毎週十時間余も講義を持たせられるところを、わずか一時間に減らして貰って、その一時間が済むとすぐに薬を呑むそうだ。
0932名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:03:47.42
旅行中は君の病気である事を知りながら、無理に講演を勧めて大いに悪かった。
0933名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:04:03.39
何事も自分で経験しないうちは分らぬもので、こうして胃病に悩まされて始めて気がついたが、痛いときに演説などができる訳のものでは、けっしてない。
0934名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:04:19.35
君があの際奮ふるって演壇に立ったのは実際感心である、と大いに褒ほめたり詫あやまったりして来た。
0936名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:04:51.25
しかしはたして橋本の推察するほど胃が痛かったら、いかな余も、いくらせっかくだから君出るが好いよを繰返されたって、ついに講演を断ってしまったろう。
0937名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:05:07.23
白仁しらにさんから正餐せいさんの御馳走ごちそうになったときは、民政部内の諸君がだいぶ見えた。
0938名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:05:23.14
みんな揃そろってカーキー色の制服を着ていた。
0939名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:05:39.20
食事が済んで別室へ戻って話していると佐藤が、あしたは朝のうち二百三高地にひゃくさんこうちの方を見たら好かろう、案内を出すからと云ってくれる。
0941名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:06:11.12
すると、大した案内にも及ぶまいと笑いながら相談を掛けた。
0942名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:06:27.09
我々は一私人で、ただ遊覧に来たのだから、公おおやけの職務を帯びている人を使ってはすまないが、せっかく案内をつけてくれると云うなら、小使でも何でも構わない。
0943名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:06:43.05
非番ひばんか閑散の人を一人世話してくれと頼んだ。
0944名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:06:58.96
これは正直恐れ入った本当の謙遜けんそんである。
0945名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:07:14.93
その時佐藤は懐中から自分の名刺を出して、端の方に鉛筆で何か書いて、じゃ明日あしたの朝八時にこの人が来るから、来たらいっしょに行くが好いと云って分れた。
0946名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:07:30.86
明日の朝の八時は例いつもの通り強い日が空にも山にも港にも一面に輝いていた。
0947名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:07:46.86
馬車を棄すてて山にかかったときなどは、その強い日の光が毛孔けあなから総身そうしんに浸込しみこむように空気が澄徹ちょうてつしていた。
0948名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:08:02.83
相変らず樹きのない山で、山の上には日があるばかりだから、眼の向く所は、左右ともに、また前後ともに、どこまでも朗らかである。
0949名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:08:18.78
その明かな足元から、ばっと音がして、何物だか飛び出した。
0950名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:08:34.69
案内の市川君が鶉うずらですと云ったので始めてそうかと気がついたくらい早く、鶉は眼を掠かすめて、空濶くうかつの中うちに消えてしまった。
0951名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:08:50.67
その迹あとを見上げると、遥はるかなる大きい鏡である。
0952名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:09:06.63
その時我々はもう頂いただき近くにいた。
0953名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:09:22.59
ここいらへも砲丸たまが飛んで来たんでしょうなと聞くと、ここでやられたものは、多く味方の砲丸自身のためです。
0954名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:09:38.53
それも砲丸自身のためと云うより、砲丸が山へ当って、石の砕けたのを跳はね返かえしたためです。
0955名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:09:54.49
こう云う傾斜のはなはだしい所ですから、いざと云う時に、すぐ遠くから駆かけ寄せて敵を追おい退のける訳に行きませんので、みんなこう云うところへ平たくなって噛かじりついているのであります。
0956名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:10:10.44
そうして味方の砲丸が眼の前へ落ちて、一度に砂煙すなけむりが揚あがるとその虚きょに乗じて一間か二間ずつ這はい上がるのですから、勢い砂煙に交まじる石のために身体中創きずだらけになるのです。
0957名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:10:26.40
と市川君は詳しい説明を与えられた。
0958名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:10:42.36
味方の砲弾たまでやられなければ、勝負のつかないような烈はげしい戦いくさは苛過つらすぎると思いながら、天辺てっぺんまで上のぼった。
0959名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:10:58.28
そこには道標どうひょうに似た御影みかげの角柱かくちゅうが立っていた。
0960名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:11:14.20
その右を少しだらだらと降りたところが新あらたに土を掘返したごとく白茶しらちゃけて見える。
0961名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:11:30.14
不思議な事にはところどころが黒ずんで色が変っている。
0962名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:11:46.11
これが石油を襤褸ぼろに浸しみ込こまして、火を着けて、下から放ほうり抛なげたところですと、市川君はわざわざ崩くずれた土饅頭どまんじゅうの上まで降りて来た。
0963名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:12:02.08
その時遥はるか下の方を見渡して、山やら、谷やら、畠はたけやら、一々実地の地形について、当時の日本軍がどう云う径路けいろをとって、ここへじりじり攻め寄せたかをついでながら物語られた。
0964名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:12:18.04
不幸にして、二百三高地の上までは来たようなものの、どっちが東でどっちが西か、方角がまるで分らない。
0965名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:12:33.95
ただ広々として、山の頭がいくつとなく起伏している一角に、藍色あいいろの海が二カ処ほど平ひらたく見えるだけである。
0966名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:12:49.84
余はただ朗かな空の下に立って、市川君の指さす方かたを眺ながめていた。
0967名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:13:05.76
自分でここへ攻め寄せて来た経験をもっている市川君の話は、はなはだ詳しいものであった。
0968名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:13:21.76
市川君の云うところによると、六月から十二月まで屋根の下に寝た事は一度もなかったそうである。
0969名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:13:37.69
あるときは水の溜たまった溝みぞの中に腰から下を濡ぬらして何時間でも唇くちびるの色を変えて竦すくんでいた。
0970名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:13:53.59
食事は鉄砲を打たない時を見計みはからって、いつでも構わず口中に運んだ。
0971名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:14:09.55
その食事さえ雨が降って車の輪が泥の中に埋うまって、馬の力ではどうしても運搬うんぱんができなかった事もある。
0972名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:14:25.47
今あんな真似まねをすれば一週間経たたないうちに大病人になるにきまっていますが、医者に聞いて見ると、戦争のときは身体からだの組織そしょくがしばらくの間に変って、全く犬や猫と同様になるんだそうですと笑っていた。
0973名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:14:41.40
市川君は今旅順の巡査部長を勤めている。
0974名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:14:57.37
旅順の港は袋の口を括くくったように狭くなって外洋に続いている。
0975名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:15:13.31
袋の中はいつ見ても油を注さしたと思われるほど平らかである。
0976名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:15:29.24
始めてこの色を遠くから眺めたときは嬉しかった。
0977名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:15:45.20
しかし水の光が強く照り返して、湾内がただ一枚に堅く見えたので、あの上を舟で漕こぎ廻って見たいと云う気は少しも起らなかった。
0978名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:16:01.11
魚を捕とる料簡りょうけんは無論無かった。
0979名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:16:17.06
露西亜ロシアの軍艦がどこで沈没したろうかなどと思い浮かべる暇も出なかった。
0980名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:16:32.98
ただ頭へぴかぴかと、平たい研とぎ澄すましたものが映った。
0981名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:16:48.91
余は大和やまとホテルの二階からもこの晴やかな色を眺めた。
0982名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:17:04.85
ホテルの玄関を出たり這入はいったりするときにもこの鋭い光の断片に眼を何度となく射られた。
0983名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:17:20.78
それでも単に烈はげしい奇麗きれいな色と光だなと感ずるだけであった。
0984名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:17:36.67
佐藤から港内を見せてやるからと案内されるまでは、とうてい港内は人間の這入るところではないくらいに、頭の底で、無意識ながら分別していたらしい。
0985名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:17:52.60
さあ行くんだと催促された時は、なるほど旅順に来る以上、催促されなければならんはずの場処へ行くんだと思った。
0986名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:18:08.57
今日の同勢は朝大連から来た田中君を入れて五人である。
0987名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:18:24.55
港務部を這入はいるときに水兵がこの五人に礼をした。
0988名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:18:40.46
兵隊に礼をされたのは生れてこれが初はじめてであった。
0989名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:18:56.41
佐藤が真先に中へ這入って、やがて出て来たから、もう舟に乗れるのかと思ったら、おい這入れ這入れという。
0990名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:19:12.34
我々は石垣の上に立っていた。
0991名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:19:28.30
足元にはすぐ小蒸気こじょうきが繋つないである。
0992名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:19:44.28
我々の足は、家の方より、むしろ水の方に向いていた。
0993名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:20:00.21
十分の後のち五人はまた河野中佐こうのちゅうさといっしょに家を出てすぐ小蒸気に移った。
0994名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:20:16.18
海軍の将校が下士や水兵を使うのは実に簡潔明瞭めいりょうである。
0995名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:20:32.11
船は河野中佐の云いなり次第の速力で、思う通りの方角へ出た。
0996名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:20:48.05
港の入口ではここかしこの潜水器へ船の上から空気を送っている。
0997名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:21:03.94
船の数は十艘そう近くあった。
0998名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:21:19.88
みんな波に揺られて上あがったり下さがったりしている。
0999名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:21:35.81
我々五人のも固もとより平たいらではない。
1000名無し職人
垢版 |
2018/01/19(金) 06:21:51.78
鏡のように見えた湾の入口がこうまで動いているとは思いがけなかった。
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