ヤフーニュース3/7(日) 7:00
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1995〜96年に放送され、四半世紀が経過した今もファンの心を引き付けてやまない「エヴァンゲリオン」シリーズ。どうしてここまでアニメファンを虜(とりこ)にするのでしょうか。「シン・エヴァンゲリオン劇場版」の公開を前に振り返りました。

◇謎の多さ 知識欲を刺激
テレビ版は、世界の人口が激減した西暦2015年(放送当時の20年後)の第3新東京市が舞台です。14歳の少年・碇シンジが、ロボットのような人型兵器「エヴァンゲリオン」を操縦して、人類を襲う謎の生命体「使徒」と戦う……という物語です。

1990年代の世界から見ると「いかにもこうなりそう」的な未来的都市を舞台に、人々の生活が描かれており、シンジは美人のお姉さんと一緒に暮らすことになるのです。「入り口」は実に分かりやすいのですが、見るうちにあからさまな疑問が浮かぶようになっています。

上司である司令(父)は何か壮大な策を張り巡らせている様子。使徒の脅威にさらされながらも外の世界とつながりもあるようで、「エヴァ」を操縦できる少年・少女が増えます。そして使徒とは何?という話になり、さらに人類に災いをもたらしたとされる「セカンド・インパクト」の正体、そもそもエヴァは何?……となります。終わりへのカウントダウンと思わせるような演出もあり、一部ではただならぬ人間関係、組織間の複雑な関係も描かれていきます。

一つの謎が(何となく)明らかになれば、次の謎が出て来てきます。視聴者の知識欲を刺激し、考えさせる仕掛けが巧みに張り巡らされているのです。当時のアニメファンは「答え」を求めて熱狂し、そしていまだに「エヴァの虜(とりこ)」になっている……いうわけです。

謎の多さは、新劇場版も同じです。まず「ヱヴァンゲリヲン」と作品の顔であるはずの文字が変わりました。当初はテレビアニメのリメークとみられており、「序」(07年公開)は予想通りでしたが、「破」(09年公開)で新キャラクターが登場し、「Q」(12年公開)になると、急に14年後の世界になって、ファンも茫然とするような内容になっていました。

◇多様な解釈できる作品性
ただし、予想もしない展開に茫然(ぼうぜん)とするのはある意味、エヴァファン恒例の“行事”であるともいえます。ネットでのファンの考察は多くあり、どれも作品への愛とリスペクトを感じます。しかし、解釈については食い違いが散見されます。

エヴァの魅力は、謎だらけの設定と先が見えない展開、それに対して見る側が多面的な解釈できるダイバーシティ(多様性)的な点ではないでしょうか。エヴァは情報の密度が濃いようでいて、肝心の部分はぼかされていて、見た人たちは「私はこう思う」などと語らずにはいられません。ファンの議論したがる行動さえも計算し、作品の一部に組み込んでいるような感じです。

これが普通であれば「訳の分からない作品」になって、ファンが匙(さじ)を投げそうなのに、その一歩手前で止まっているような絶妙のバランスです。その根底を支えるのが、考え抜かれた世界観、物語の見せ方、演出でしょう。テレビアニメの第1話が公開されていますが、今の見ても、四半世紀前の作品とは思えない完成度、センスです。

特に秀逸なのは、「見せること」「語らないこと」の選択です。謎は理解できないのに、目の前に起きていることは「何となく」分かるわけで、見事なテクニックといえます。そして次々来る予想外の展開に目を離せません。

一方、謎だらけの設定とは違い、キャラクターの見せ方はハッキリしています。寡黙な綾波レイ、ツンデレのアスカの二人のヒロインは、キャラデザはもちろん、対極的な性格、イメージカラーも分けられています。それは他のキャラにも言えて、カブリがありません。

そして彼らのセリフ、シンジの「逃げちゃだめだ」、レイの「私が守るもの」、アスカの「あんたバカあ?」などおなじみのセリフがファンの心に突き刺さるということは、そのチョイス(選択)が正確ということになります。どのセリフもキャラの色が出ていますし、余計な文字がないことに気付かされます。「魂は細部に宿る」といいますが、細部にわたってのジャッジ(判断)が見事なのです。

◇大激論だったテレビ版の最後
作り手のジャッジという意味で触れないといけないのは、やはりテレビ版の25話と26話(最終回)でしょうか。24話までの流れが寸断されるような、延々と心理描写のような内容が展開され、放送当時は大激論になりました。

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