当時CEOだったカリンスキ氏は「北米では成功しない」ということがわかっていたそうです。日本の経営陣は北米でのセガサターンの発売時期をPlayStationと同じ1995年9月に予定していたのですが、セガと任天堂の市場競争で大きな功績を残していたカリンスキ氏は、「翌年の1996年に持ち越すべき」と考えていた。

カリンスキ氏は発売日の前倒しに激しく反対したそうですが、この反対意見が聞き入れられることはなく、セガサターンはPlayStationやNINTENDO64に先駆けて、1995年5月に北米で発売となった。

突然の発売日の前倒しはセガのファンを混乱させることになりましたが、これはセガの失敗の序章に過ぎなかった。

北米で急きょ発売が始まったセガサターンですが、限定されたごく一部の小売店でしか購入することができず、在庫のある店舗を見つけるのは非常に困難だった。

ソフトラインナップも十分でなく、「ソニック」のシリーズ新作はローンチに含まれていなかった。
セガサターンはセガの歴代ゲーム機の中で唯一、「メインタイトルのないハード機」として登場してしまった。

この時点で多くのファンがセガに見切りをつけてしまうきっかけとなりました。カリンスキ氏は「成功するためには十分な分量のハードウェアとソフトウェアを用意しなければならないことは、誰でも知っていることです」「もしセガサターンと同時にソニックが登場できていれば、世界が変わって見えるほどの大きな支えになったことでしょう」と話す。

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http://gigazine.net/news/20170705-sega-saturn-failure/