【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part4
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【放送予定】2022年1月9日~
【脚本】三谷幸喜
【主演】小栗旬
【音楽】エバン・コール
【語り】長澤まさみ
【3DCG地図】シブサワ・コウ
【ロゴ】佐藤亜沙美
【制作統括】清水拓哉、尾崎裕和
【演出】吉田照幸
【プロデューサー】大越大士、吉岡和彦、川口俊介
【公式HP】http://www.nhk.or.jp/kamakura13/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品に関するものは可)
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前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part3
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1658903428/
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前にも書いたけど年表ですら恣意的でないと断言できないというのが
現代の研究者の一般的な考えらしいね
そりゃそうだ
現代のニュースでさえファクトチェックしないと事実と言いきれないのに >>840
雑で厳密には違うけど容赦してもらうとして事実は無数にあってその中から記録された物が歴史になるって感じ
歴史って事実の中から記録したい人が好きなところを抜き取って書いてるだけなのよね それより御台所役の女の子の演技良くない?
ひとの話聞いてるだけのときの瞼が半分降りてるみたいな表情も宮様っぽいし
大根の葉の筋がうまく取れなくて「あらいやだw」みたいな顔もすごく良かった
歩き巫女に色々言われてコロコロ表情が変わるのもうまかったし
モデルらしいけどよく見つけてきたね 大河は歴史的事項に基づいたフィクションです、の表記をつけるべきかなw
そもそも歴史の教科書は出来事の羅列にとどめてなかったか?
制度や法令等に関しては定めた目的も書いてたような気がするけど
どうして?という解釈はそれを述べた時点で歴史学者と言えども主観が入る
なるべく実際に近いだろう論説を立てるために、
考古学的に遺物と記録との整合性が取れた事柄と、複数の文献資料から確からしいと確認された事柄とを踏まえることは前提としているだろうけど…
そもそも歴史を学ぶ意義は、過去の出来事や人間の行動から未来を予想することだろうから…
大河の時代考証は時系列の整理はともかく、その時代の人間の心情や行動描写は社会人文学者にやって貰った方が実りがありそうな気がするw 頼朝の肖像やら1192ではなく1185だったみたいな史実というか
今までこうと信じられたものがどうやら違うらしい、みたいなことなんていくらでもあるからな。
大枠さえ間違っていなければ個人的には多少の脚色は気にしない。
ちょいちょいここでも噴出する議論だけどこのネタ放り込んでくる奴はやっぱり荒らしなのかなw
>>853
ちょっと大根かなーくらいにもみえるけどそういう演技かもしれないしね。
少なくともこの役にはハマってるけど女優としてどうかというとまだ判断がムズいかな。 >>857
あの子は喋りより顔の表情がすごく細かくてうまいと思うんだよなあ
モデルだからなのかな
めるるが演技したら意外と表情が良かったのと似てる
二人とも喋るとまだまだの感じは確かにするんだけど >>853
肘が顎に付くか?と言われてすぐ試して「やらなくて良いよ」つて言われてハッとするところとか良かったw
大切にされてるけど寂しさ七、の切ない感じも凄く良いと思う
鎌倉殿に出てくる若い女優は、それぞれ上手く演じてるところが気に入ってるw >>829
文覚って史実だと1203年になくなってなかったか? 土御門通親なんてナレ死すらなかったな、千葉の爺さんは実質不死身枠に >>861
そうだね
何かを読み違えたのかな?
死んでも2度も生き返ったなんて話も伝わるくらいだから
失礼しました >>863
たぶん「平家物語」だな。文覚が隠岐に流罪となり後鳥羽院を呪う。
もちろんフィクション。 今回ドラマは合戦当日の義時が御所で双六をしているが、吾妻鏡では自宅で囲碁。しかも侍烏帽子。自宅で報を聞くと立鳥帽子に替えて服を着替えあくまでも落ち着き払った様子で御所に移る(内心めっちゃ焦ってる)。吾妻鏡じゃ義時の数少ない見せ場なんだが(物語じゃありませんよ)、ドラマではずーっと立鳥帽子冠ってるので見せ場にはならんか~ >>865
当時はプライベートは侍烏帽子で公務の時は立ち烏帽子ってこと?
一つ利口になったw
テレビドラマじゃ判り難くなるから終始、立ち烏帽子ってことなんじゃないかな 部屋着でくつろいでたら緊急の電話が来てスーツに着替えて会社に向かうみたいなもんなんだと現代的に置き換えたら理解はできるけど
烏帽子の種類は今まで特に触れられてきてないし説明が難しいね
烏帽子が歪んでいるとかっこ悪いみたいな話ですら実朝を使ってやっと最近説明したくらいだし 烏帽子が脱げるのはパンツ脱げるくらい恥ずかしいのは何度もやってるし
偉くなると立烏帽子になるんだなー的なことは見てればわかるようになってるし
そこまでで十分では?
年齢とかTPOで変えるんですよまでいくと視聴者は混乱しかしない 立烏帽子は今ほど枝打ちとかやってないだろうと考えると日常では邪魔すぎる >>866
そう読み取れるかな。さりげなく当時の武士の慣習?が描かれてるんだけど、なーんか、物語的描写なんだよねw
個人的な妄想だけど、侍烏帽子を自宅でかぶってるときは実は頭に乗っけてるだけで、まぁ、形状的にも高さがなく髻に引っかかりやすいので落ちにくいので髻と結ばずに取りやすい(帽子感覚)。んで、偉い人の公務のときとか外出用は立鳥帽子でこれは落ちやすいのでしっかりと髻に紐で結びつける必要があるので面倒。でも貴族とか大江さんあたりは自宅でも立鳥帽子なんじゃね?と(侍じゃねーしw)。 >>870
烏帽子は小結と言う内側の紐を髻に結んで固定するのが普通なので、単に被っただけは無いと思います
善児の被っていた萎烏帽子も実際は同じ(劇中衣装の物は知らないw)
蒙古襲来絵詞 と言う信頼できる当時の絵画では萎烏帽子を顎紐で被っている物があって、研究者によってはこれは小結を顎紐にして着用している例だとする人も居るんだけど ちなみにそのシーンの漢文がこれ
「改折烏帽子於立烏帽子」
これを誤訳つーか俺のようなアホがテキトーに訳すと
「折れた烏帽子を立てた烏帽子に改める」となり実朝のあの烏帽子を直すシーンを連想させるのであるwww 実朝みたいに倒れている烏帽子をパパっと立ち上げて出動すればカッコイイ!……かな 烏帽子って鏡も見ずにポイントをおさえれば元に戻る形状記憶っぽい作りになってるのかーって感心したw >>874
www
ちなみにこの時代の折烏帽子は侍烏帽子のことね
政子が「歪んだ烏帽子」と言っていた立烏帽子が折れた状態の物は後年、風折烏帽子として常用される
風折烏帽子は江戸時代の浅野内匠頭が被っていた烏帽子w 烏帽子って自分の国のものなのに(時代劇が江戸メインなのもあって)エキゾチックだよな
黒装束に立烏帽子の小四郎は全身烏帽子かよと感じたw 主役より脇役が光る駄劇
スモールワールドの陣取り合戦だから。
いつも玉を押さえたから残った残った
左利き姉弟 木曽の武者行列いいなあ
以仁王も御輿の上でよく喋って大サービスだったようだ
衣装ではない和服のカバ殿もいたらしい
ttps://twitter.com/yyy79020891/status/1584096194086998023?t=uA7E1qp6gYyqmPTbaJpwFA&s=19
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) りくが出てきて最終回前に義時を殺害してほしい
主人公(だと思われてたキャラ)が途中で死ぬというヒッチコック方式 ヒッチコックじゃなくてアガサ・クリスティーらしい
あと大河だからどラストは主人公がしんでも何も不思議じゃないのだが >>884
だから最終回前に殺害されてほしい
あと2~3回で最終回だなってタイミングで義時を急に殺害して、視聴者を驚かしてほしい 先日の特番で、政子と共に最終回はすごいって言ってたじゃん 最終回は夢オチかもな
木簡を数えてる時に眠り込んでしまった義時の壮大な夢
そこに頼朝が現れて夢を現実の世界でなぞっていくことになる 最後は吾妻鏡を読み終えた北大路欣也扮する徳川家康が本を閉じカメラ目線で「それでは来年お会いいたしましょう」(完) 長澤まさみの正体はかつてはあやめと言う名で紫式部に仕えた不老不死の女官 今更なんだが、頼朝が落馬したあとドラマではほぼ意識不明の状態で寝たきりになっていたけど、吾妻鏡では意識があった!
三善善信が年末に夢を見たと病床の頼朝に告げたら「じゃあ治ったら堂舎造営しちゃおっかなー」と仰られたが翌年に亡くなられた~と1212年10月に書かれてた。
吾妻鏡だと脳梗塞とか頭打ったとかじゃないのかもね あ~自己レスになるけど
実は頼朝は1198年末にすでに病床にあって、体調不良のまま無理して橋の落成式?稲毛の嫁の供養だっけ?に出掛けて落馬した~とも考えられるのか >>885
今日、鎌倉殿の13人がクランクアップで小栗旬と政策統括のコメントとともに
最終回の義時の場面写真が一枚公開されてたよ(黒装束で一人だけ)
最終回に義時が出ることは確定してるよ >>895
もう少し前に撮影終わったって言われてた気がしたけど今日だったのね。寂しいばかり。 連投すまない。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」最終回(第48回)は12月18日(日)20時~NHK総合にて放送予定。
※15分拡大版(「鎌倉殿の13人」紀行を含む) 後6時~(BSプレミアム・BS4K)
と最終回は15分延長確定らしいけどラス前は通常放送なのかな。
青天は2週連続15分拡大とかやってた気がした。
個人的には再来週くらいから全話15分ずつくらい拡大していただきたいくらいなんだけどw >>893
建久9年12月27日落馬
建久10年1月11日危篤出家だから
12月27〜31日には意識があって善信と会話でいいのでは。
(27日落馬の根拠が室町期の「鎌倉大日記」なのが問題は残るが) 朝時は子供の頃は弟の服の汚れを払ってやる良い子だったのに… >>899
吾妻鏡には落馬の事実と命日は書かれてあっても落馬した日はかかれていないんだっけ 青天は調整のため話数減らされたからね
だから鎌倉殿は50話するんだろうと思ってたけど 青天はオリンピックの延期開催で話数が激減したんだよね
だから日本でのインフラ整備のくだりがあらすじレベルの薄さになってた
あれは無念だったろうな 青天は幕末はまだ面白かったから話数カットが正解だよ >>902
品のない人は嫌いと言ってたのえさんだけど、歯で大根の葉をむしる実衣を見てどう思ってるんだろう >>906
どうかんがえたって維新後のほうが面白かっただろ
三野村や岩崎みたいな濃いキャラの出番をもっと増やすべきだった >>898
青天を衝けは、話数が41話しか無いから、2話連続で時間拡大したんだと思う。 >>905
放送開始が例年より遅い上に前年にやるハズだったオリンピックが来たことで更にって感じですね。 >>903
吾妻鑑の建暦2年2月28日条には
「重成法師之遂供養之日」「還路有御落馬」「不経幾程薨給畢」とあり、
善信の回想を記す同10月11日条には「翌年正月薨去」とあるがどちらも日付はない。
頼朝の出家と死亡の日時は近衛家実の日記(猪熊関白記)で確定。
(ただし落馬の言及はなく「飲水重病」を死因とする)
鎌倉大日記は1月11日出家と13日死去は猪熊記と同じなので、
12月27日落馬も正しい伝承を記しているのではないかと推定。
ただ鎌倉大日記は「日記」とは名ばかりで、
作成者不明、原本不明、後世次々と書き足したとおぼしき「年表」なので、
裏付けが不十分ということ。 当時の日記は業務備忘録みたいな物でリアルタイムに書かなきゃいけない物ではない >>912
吾妻鏡でも死亡日は「頼朝の月命日」が何度も登場するので1月13日で確定だにょ >>902
現代メタ的には性格は遺伝要素が強いのを視聴者は知ってるから、比奈とのえを両方下げた初の性格が悪いとも取れる
実際はのえが嫁に来たのは、朝時10代前半、のえ10代後半くらいでしょ?
役者の見た目はともかく、のえもお姉さんと言ってたしw
13〜15歳で成人する世界で、拗らせたのがマザコンのせいだとすると、のえが好きで甘えてる、とも取れる
個人的には比奈も時政の無礼に対して、かわい子ぶりっ子系の電波系の発言でいなしていたから(雛人形の比奈だっけ?)
上品で片付けられない、策略派のツヨイ性格してたと思うw
朝時が武闘派なのは遺伝の方が強いと思うよw >>916
「どちらも日付はない」というのは落馬の話ね。
おっしゃる通り死亡日は吾妻鑑だけでもわかる。
猪熊関白記を引き合いにしたのは、鎌倉大日記の記事の信憑性を確かめるため。
説明が下手ですまぬ。 >>917
朝時って実は頼朝の子供なんじゃない?
だって朝時は1193年生まれだから少なくとも富士の巻狩り時点では妊娠してなければならないのに義時と比奈はまだ結婚すらしてなかったよね >>919
義時より5歳年下の三浦義村がこの大河では義時より年上だったり
泰時より5歳年下の初が同年齢になってたりするので朝時の年齢も1歳繰り下げてるんじゃないの
比奈が頼朝のお手付きになって男子を孕んだなら
比企が頼朝の後継者として育てて義時には渡さないだろう 天皇でもない限りこの時代の生まれ年や結婚の年なんか憶測のテケトーだろ
何年の戦に参加してるって記録があるから逆算して何年には生まれてるはず
ぐらいの計算でしかないんだよ 武士でも貴族階級なら生まれてからの儀式の記録残っててはっきりと計算できる場合もあるぞ 場合もある、というだけ
義村の生年も義時の結婚の年もはっきりとその年が記録に残ってるものではないはず だから貴族階級の話と断ってるよ
従六位下程度の家格なら残ってなくても普通だと思う 話の流れ読めてる?
上のレスで義時の結婚した年や義村の年齢のことに拘ってる史実厨がいるから
そんなものは曖昧だと言ってるんだけど 同じく読めてる?
でも貴族階級ならちゃんと残ってる事もあるよって言ってるだけだよ >>919
吾妻鑑では富士の巻狩の前年(建久3年=1192年)すでに結婚。
ドラマでは深く考えないで改変したと思われ。 義時の種でできた子である
とか断言したわけでもないし
本当にどうでもいい拘りで難癖つけるな
会話成り立たないやつも合わせてアスペかよ 平気で他人をアスペと言う奴の方がこのスレにいらんわ >>929
オマエが天皇でもない限り〜とか言うからだろ>>921 どうでもいいけど、三浦が最初から裏切ってる今回の描写だと
和田があまりにも馬鹿にしか見えなくてとても悲しい。
上総介のように「最も頼りになる者は、最も恐ろしい」という感じが全くない。 >>933
現実にも、武蔵・横山党なんかとの申し合わせよりも早くに暴発しちゃって
その後は戦力の逐次投入状態になって敗れてるからねぇ
まぁその暴発のせいで鎌倉は大混乱になってるけれども 朝時はふて腐れてる太郎兄ちゃんに喝入れると聞いたけど 朝時と泰時は人生最大の恐怖体験をするんだから間違っちゃいないw
「最も恐ろしい」って義盛の場合は「絶対にガチンコで戦っちゃいけない相手」だと思うと、義時は義盛排除と大義名分に拘ったあまり最悪手を選んでしまったような気がしないでもないw まあドラマ上の筋書きで言うなら和田を討つのは一線超えてる感はあるな
これまで義時が自分で討つと決めた相手は
相手方にも動機というかやむなく兵を出したきっかけがあったけど
和田に関してはもう完全にやめるよって言ってるのにこのあと戦になるわけで
政子がいい加減にしろと言うのもわかる
あくまでドラマの流れの話だけど >>920
義村の年齢はわかっていません
戦に出たと初めて記された時から年齢を推測しているだけ
餅で腹を壊して初陣が遅れたのかもしれない >>920
それに義時より年上設定なんてあったか? >>939
だよね
だからそう言ってるのにどこで聞きかじって勘違いしてるのか
調べもしないで何なんだ
特徴的な言葉を使ってるからたぶん本スレの爺だろうけど 暴発して滅んだ和田と最後まで自粛して滅んだ三浦は対照的だよな >>943
和田義盛って三浦一族、三浦党だよね?
義村が初期から活躍してて力関係がわかりにくいけど、畠山が没した後の御家人トップは和田義盛だよね?
本来、義村が存在感を示すのは和田の乱以後、宿老に取り立てられてから、でいいのかな? >>940
年上設定はないけど12歳の時点ですでに義村の方が恋愛経験は豊富だった >>944
和田は頼朝時代から侍所別当なので、三浦義村よりはるかに力があり目立っていた。
慈円の「愚管抄」では和田を「三浦(一族)の長者」と称している。
義村が本格的に台頭するのは実朝暗殺後。
和田が就任できなかった国司になり、身分がランクアップする。 平六の場合恋愛ってより「俺の女に以下略」ばっかで
ほぼトウみたいな状態だったんじゃ >>940 >>941
義時13歳の第1話で当時8歳で童姿のはずの義村は
すでに元服済みでそれどころか飲酒している
純情ボーイの義時に対して「お前の好きな八重さん」と
上から目線でからかっている 幼いときからの盟友役として、同い年か少し上くらいの設定なのでは? >>946
和田義盛と三浦義村の関係はかなり複雑
本来三浦宗家は和田義盛の父親の杉本義宗が継ぐはずだったが若死して義盛が若年だった為、義宗の弟で義村の父親の義澄が三浦宗家を継いだ。
頼朝が和田義盛を侍所別当にしたのも三浦一族の関係性を見抜き分家の和田義盛を台頭させる事で三浦一族内に不和を蒔き相模最大の武士団の三浦氏の結束を乱す狙いもあっただろう。
現に三浦義澄死後、三浦一族は義村派と義盛派でずっと対立していた。 次スレありますか?一応、確認しておかないとまた重複する可能性もありますから。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。