伊藤博文は日本を変えられたのに、なぜ李鴻章は中国を変えられなかったのか=中国メディア
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2018-09-01 05:12
中国メディア・東方網は29日、「伊藤博文は日本を変えることができたのに、どうして李鴻章は中国を変えられなかったのか」とする記事を掲載した。
記事は、19世紀末において中国の首輔大臣を務めた李鴻章と、日本初の首相を務めた伊藤博文は、生きた時代も地位もほぼ同じであり、さらに富国強兵の夢を抱いていた点でも共通すると紹介。
しかし、「似た者どうし」にリードされた両国のたどった道は全く異なるものとなり、清王朝が崩壊の道を辿る一方、日本帝国は飛躍的な発展を遂げるに至ったとしている。
そのうえで、1901年に李鴻章が死去した際、当時活躍していたジャーナリストの梁啓超が著作のなかで両者の比較分析を行っており、李鴻章は政治的な見識や客観的な視点という点において、伊藤と比べ物にならないほど劣っていたと指摘していたことを伝えた。
梁啓超によれば、李鴻章は「国民の原理を知らず、世界の大勢を知らず、政体の根本を知らない」、「洋務は知っていても、国務は知らない」、「兵事を知っていても民事は知らない」、
「外交は知っていても内治は知らず、朝廷は知っていても、国民は知らない」とのことで、「李鴻章は時代が作ったヒーローだが、時代を作ったヒーローではない」という。
一方で、伊藤については幕末期に短期間ながらも英国に留学して見識を広め、政治の根本を理解していたと説明。また、日本の政治家の中でも勉強家で読書癖があることで知られており、首相になっても書店で本を読むことは止めなかったとのエピソードを紹介している。
記事は、「伊藤は憲法を制定して日本の長期的な安定を図ったのに対し、李鴻章は足を新時代に踏み入れながら、頭が旧時代に残ったままの状態で、
西洋の学問に対する理解も終始浅薄な表面上のものに留まっていた」と伝えた。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
http://news.searchina.net/id/1666458?page=1 「頭が旧時代に残ったままの状態で、
西洋の学問に対する理解も終始浅薄な表面上のものに留まっていた」
これはネトウヨにも耳が痛いねえ 日清戦争の時、シナ人は日本兵の遺体を残虐に切り刻み、路頭に晒して見世物にした。
日本人の対シナ感情は非常に険悪化した
負けて講和に来た李鴻章に下関で暴漢から爆弾が投げ付けられ負傷した
日本は李鴻章を手厚く看護したが
国際世論は「野蛮だ!」と非難、日本は講和で大幅譲歩せざるを得なかった。 朱子学に囚われた李鴻章と、いいところは全部どん欲に欧米列強に学んだ伊藤博文の
違いでしょ。そもそもアジアの盟主がアヘン漬けでズブズブにされたのを吉田松陰は
数少ない情報網で伝え聞いて学幼き博文を啓蒙して、結果ロンドンに留学させた差異
は大きい。 非常に保守的な西太后がいたうえ
国民も「大清全民腐敗」状態だったからだろう さすが大朝鮮殿の見解は見事だ。
朝鮮行ってみな伊藤博文は悪魔扱いだ。馬鹿ミンジョク今に糸引く19世紀国。 ほんと「人」によって歴史は結構簡単に変わっちゃうなあと思う
だからこそトランプに注意せねばならない 吉田松陰がいなくても高杉晋作がいなくても、伊藤は世に出てこなかっただろうし、日本の歴史は大きく変わってた 逆で、中国が英国に占領されているのを見て参考にしたんだ。 >首相になっても書店で本を読むことは止めなかった
買えよ博文・・・ 孫文という金と女と権力欲の固まりで
陰謀が大好きな男がいたが、
シナ人の特徴を全部備えた人物だった。
李鴻章も同じシナ人だ。 伊藤の領土拡大政策がモデルになり
せっせと領土拡大
中国で泥沼に入り
戦局打開で真珠湾攻撃 無条件降伏
伊藤が造った大日本帝国は滅ぶ運命にあった 李鴻章は中国では人気ないみたいだが
欧米からは 東洋のビスマルク として称賛された 欧米は伊藤博文には何の評価もない
欧米はテロリストは嫌う 日本の明治維新成功には、国際的にラッキーな条件があった。
欧米諸国が、クリミア戦争、南北戦争、普仏戦争等で「手一杯」だったこと。
欧米の干渉・侵略を避けつつ大変革(内戦も含む)を成し遂げられた裏にこの条件があったことは忘れられない。
一方、そのころすでに清国はアヘン戦争敗北後の半植民地であり、外国の干渉を受けるのは不可避だった。
この条件の格差を見落として、単純に伊藤と李鴻章を比較しても意味がない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています