■毒を吐かず首のフリルもなかったディロフォサウルス、包括的な論文が発表される

 1993年の映画『ジュラシック・パーク』のなかに、悪役のひとりが運悪くディロフォサウルス(Dilophosaurus wetherilli)に出くわし、殺される場面がある。人間よりも小さく、好奇心旺盛なディロフォサウルスは本性をむき出しにすると、エリマキトカゲのような首のフリル(えり飾り)を広げ、鋭い鳴き声を立て、悪役の目に毒入りの唾を吐きかける。

 このシーンによって、ポップカルチャーにおけるディロフォサウルスのイメージはすっかり固定されてしまったが、実際のディロフォサウルスは、映画で描かれている外見とは大きく異なっていた。

「私は、『最も有名な“知られざる”恐竜』と呼んでいます」と話すのは、米アリゾナ州化石の森国立公園の古生物学者アダム・マーシュ氏だ。同氏は、ディロフォサウルスについて包括的にとらえなおした論文を7月7日付で学術誌「Journal of Paleontology」に発表した。

 化石が80年も前に発見されたにも関わらず、この恐竜のことはあまりよく知られていなかった。

 最新の研究では、アリゾナ州で発掘されたまま、これまで分析されたことのなかった2つの標本を加え、生きていた時のディロフォサウルスの姿について、初めて明確なイメージを描いてみせた。約2億100万〜1億7400万年前のジュラ紀前期に生きていたディロフォサウルスは、毒やフリルといった小道具に頼る小さな恐竜ではなく、当時としては北米最大級の陸生動物で、強力な捕食者だった。

「『ジュラシック・パーク』を見た人々が想像するよりは、はるかに大きな恐竜です」と、マーシュ氏は言う。
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■一部は化石で、一部は石膏

 誤解が広まった経緯はこうだ。

 ディロフォサウルスの化石は、1940年にアリゾナ州チューバシティにほど近い米国先住民ナバホ族の自治区で初めて発見された。発見者は、ジェシー・ウィリアムズさんというナバホ族の男性だった。1942年に、ウィリアムズさんは化石をカリフォルニア大学バークレー校の古生物学者に見せた。そこにいたサミュエル・ウェルズ氏が、1954年にそれを新種として記載した。

 ディロフォサウルスの復元を担当したチームは、完全な骨格を展示したかったので、足りない部分は石膏で作った骨で補完した。その際に、アロサウルスという別の肉食恐竜に似せて骨格を形作ったため、完成した恐竜は本物のディロフォサウルスとはまるで違う外見になってしまった。しかも、ウェルズ氏は1954年の論文でも、1984年に発表したもう一本の論文でも、どれが本物の化石でどれが石膏なのかを明らかにしなかった。

 この2本の論文を基にその後の研究が進められたことから、混乱が生じた。はたしてディロフォサウルスとは、三畳紀の肉食恐竜で七面鳥サイズのコエロフィシスに近いのか、それともジュラ紀後期のより大きなケラトサウルスやアロサウルスに近いのか、様々な憶測が飛び交った。

「1984年の論文以降の議論は、本物の骨格の話をしているのか、それとも石膏の骨のことを話しているのか、はっきりわかりませんでした」と、マーシュ氏は言う。その後、時間と資金を費やして詳しい研究をする者もいなかったため、ディロフォサウルスの解剖学的構造についての混乱は、数十年もそのままになっていた。

「誰もがそれぞれの研究のために何らかの形で頼っていた論文が、実はまとめられた時点で問題があったことがわかったのです」と、ミネソタ大学古生物学者のピーター・マコビッキー氏は言う。同氏は、今回の新しい研究には関わっていない。

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