>>254
>帯方郡から伊都国までの距離記述を合計すると「10500里」で残り「1500里」。
>相対的な距離比率だと畿内には届かない

「10500里」を魏晋里435mで計算すると、伊都国は九州の南方海上にあることになってしまう
「10500里」は実際の距離と大きく違っていることを意味する
間違った距離である「10500里」を基準に、残り1500里を推定することは不合理
極端な言い方をすれば、10500里と1500里を比べても実際の距離はどちらが長いか分からない

>邪馬台国より北の国は伊都国の一大率(長官)が檢察してると読めるし、伊都国の南にあるのが自然では

その記事の北の方角は、邪馬台国が南の方角と整合性を保っているだけのこと
伊都国の南に邪馬台国があると書かれているから、邪馬台国の北に伊都国があると書かれているわけ

陳寿の地理観では、邪馬台国は会稽東冶の東、つまり沖縄あたりにあったと考えられていた
倭国も南北に長い島だと考えられていたわけで、実際の地理と合わない
小学校で習ったと思うが、方角が正しいのか、日数(距離を意味する)が正しいのか分からないんだよ
仮に南の方角が誤りで本当は東であるなら、北の方角の記述は正しくは西ということになる

>九州説なら東に本州or四国がある。畿内で海渡らないと行けない所は?

伊豆諸島でいいだろう
九州説前提だと、畿内も国名不明な倭種の国になってしまう
考古学的事実として、伊都国と奴国を除く3世紀の日本列島で中国との交流痕跡が一番多いのは畿内だけど、
その畿内を国名不明の倭種とみなすのは不合理

それ以前の問題だけど、「女王国東渡海千余里復有国皆倭種」の記事は、
身長70〜90cmの小人の国、山海経から引用されてる伝説の国、太平洋を船で1年かかる国と
同列に書かれているものだから、魏志倭人伝の中で最も信憑性がないものと言っていいだろう