京都府長岡京市の病院建設予定地で、長岡京期(784〜94年)に建てたとみられる大型掘立柱建物跡が見つかったと25日、市埋蔵文化財センターが発表した。南北約21メートル、東西約6メートルの区画で、西側に庇がある構造だった。専門家は皇族が使用した離宮の可能性が大きいとしている。

「右京六条三坊三町」に当たる位置で、建物跡は南北に細長く、柱穴の大きさは一辺1〜0.9メートル、間隔は10尺(約3メートル)だった。

 周辺からの出土品の大半は瓦で長岡京期の後半の製作。既に長岡京の離宮跡の東院や猪熊院の推定地でも確認された「※」の文字を刻印した瓦が多い▽生活に使用する土器の出土が少ない▽建物のある区域は築地状の溝で隔てられている−−などから、建物は公的な重要施設とみている。

 専門家によると、長岡京では離宮が7カ所あったとみられるが、これまで確認・推定されていたのは5カ所。国下多美樹・龍谷大教授(日本都城史)は今回の建物跡について「瓦の出土が多いことや地形的な特徴などから離宮の可能性が高い。時期から考えると皇太子妃だった藤原帯子(たらしこ)が亡くなったと記録にある木蓮子院(いたびいん)の時期と合致する。これまで知られていない長岡京の姿がうかがえて興味深い」と話す。

 一方、これまでの5カ所は中央から北側の左京区域に集中していた。センターの担当者は「今回は南西端に位置し、離宮とは考えにくい」と困惑しつつ、「長岡京を考える上で重要な発見」と説明している。

 現地説明会は27日午前10時〜正午、阪急長岡天神駅南西徒歩10分。小雨決行。


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毎日新聞
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