>>658
ありがとう。
現代人は、地球の半径しってるから、
自分の身長+標高で、見渡せる距離は、
三平方の定理で、瞬時にわかる。

しかし、魏志倭人伝の頃は、
地球の半径などは、わかるわけもなし。
やはり、海島算経の教科書どおり、
二回測って、距離も推定したと思う。

重要なのは、目視できるかだから、
天気がよければ、みえるように、
標高200メートル以上で、
対馬、壱岐、釜山などは、
見えたわけで、三角測量をする条件は、
揃っているということかな。