【考古学】古代の蛮族ゲルマン軍、数倍規模か、定説覆す発見[05/24]
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■デンマークの湖に鉄器時代の大量の人骨、戦闘後に儀式? ローマ戦以前
デンマークの広い湿地帯で発見された2000年前の人骨から、
北欧における「蛮族」ゲルマン人の戦闘に関する定説を覆す事実が浮かび上がってきた。
5月21日付けの「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表されたこの論文ではまた、
ゲルマン人が自分たちの戦闘を記念するために儀式を行っていたという独自の解釈が披露されている。
■調査チームは何を発見したのか
デンマーク、ユトランド半島のモスー湖畔の広大な湿地にあるアルケン・エンゲ遺跡から、
少なくとも82人分の骨に相当する計2095個の人骨および骨の欠片が発掘された。
科学的な調査の結果は、大半が若い成人男性であり、
その全員が紀元1世紀に起こったある戦いによって命を落としたことを示唆している。
治癒しないまま残された骨の傷や発見された武器からは、彼らが戦闘中に倒れたことがわかる。
調査チームは、75万平方メートルにおよぶ湿地全体を調べたわけではない。
だが、これまでに発掘された骨の分布状況を元に、
約2000年前に、380人以上の人々が湖畔の泥水の中に埋葬されたと推測している。
■この発見はなぜ重要?
今回の発見は、鉄器時代の欧州に存在した軍の規模を大幅に拡大するものだ。
ゲルマニア地方の「荒々しく残酷な」「蛮族」については、ローマ人が多くの記述を残している。
とはいえ、ゲルマン人の戦闘能力に関して、詳しいことはほとんどわかっていない。
ドイツにある数少ない既知の古戦場(「トイトブルク森の戦い」の地の周辺が代表例)には、
保存状態のよい遺物はないに等しく、ゲルマン人軍隊が実際にはどれほどの規模で、
どのように組織されていたのかは多くの謎に包まれている。
新たな論文によると、軍隊の規模は数百人からなるという。
これは、鉄器時代における現地の村の人口をはるかに超えている。
これほど多人数の戦闘集団を維持するには、遠方から兵を補充して組織化し、
統率する技術が必要だったはずだという。
米プリンストン大学の考古学者で、『蛮族』の著者であるピーター・ボウグッスキー氏は、
鉄器時代のスカンジナビア南部におけるゲルマン人軍隊の規模は、従来は約80人とされてきたと語る。
これはヨートスプリング遺跡で発見された、儀式の供物だった武器の数が、
80人規模の軍を支えられる程度だったという事実に基いて推測されたものだ。
「もし論文の推測が正しいなら、今回見つかった軍はそれよりも数倍も大きかったことになります」とボウグッスキー氏は言う。
なお、氏は今回の研究には関与していない。
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/03-roman-barbarian-battlefi.jpg
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/01-roman-barbarian-battlefi.jpg
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/
続く) 続き)>>1
■動物に噛まれた傷跡も
さらに興味深いのはここからだ。発見された人骨の多くには動物に噛まれた傷跡がある。
この傷は、すぐに湿地に沈められたのではなく、
どこか他の場所に半年から1年ほど放置された遺体から見つかる傷とよく似ている。
また、他の地域から持ち込まれた石と一緒に、意図的な配置に並べられている骨もあった。
なかには、木の枝に串刺しにされた4人分の骨盤骨の欠片もあった。
こうした事実を基に、研究者らは、人骨はどこか他の戦場で、ある程度の時間をおいて回収され、
儀式的に泥の中に埋められたのではないかと推測している。
一方で、遺跡の南部からは、人骨を探しているだけでは容易に見落としてしまいそうなほど、
極めて小さな骨が数多く見つかっている。
この論文の共著者であり、デンマークのオーフス大学の考古学者、
またモスゴー博物館館長でもあるマッツ・ケーラー・ホルスト氏はこれについて、
調査チームが「実際の古戦場のすぐ近くまで迫っているかもしれない」証拠ではないかと述べている。
北欧では数千年前から、儀式や祭式において沼や浅い湖が重要な役割を果たしてきた。
この点を踏まえ、ボウグッスキー氏は、戦場の遺体をしばらく放置した後で引き上げて泥の中に埋葬するというのは、
勝者が自らの功績を記念するために行った行為だろうと推測している。
戦場から回収され、ほかの場所から持ち込まれた石と一緒に湿地に配置されたとみられる成人の脚の骨。
「これは戦闘が終わった後の『メモリーワーク(共有の記憶を創る行為)』と言えるものです。
彼らはあえてこのできごとに関する集合的記憶を創り出そうとしているのです」とボウグッスキー氏は言う。
■殺されたのは誰なのか
紀元1世紀、ローマ軍は欧州のほぼ全域でゲルマン人と戦っていたが、
スカンジナビア南部まで北上したことはなかった。今回の調査においても、
ローマ人の関わりを示す直接的な証拠は発見されていない。
「(骨に残された)外傷は、軍備が整ったゲルマン軍との戦闘によって負うとされる傷ともよく一致します」とホルスト氏は言う。
「これは蛮族同士の戦いでした」と、ボウグッスキー氏も同意する。
2000年前のこの地における軍事組織や、ゲルマン軍同士の戦闘の規模に、
スカンジナビアの南部にまで侵入したローマ人の影響があるとは必ずしも言えないと氏は主張する。
「これは現地で起こった戦闘であり、
この土地で先史時代から続く、地域の民族間に起こる戦闘のパターンを引き継いでいます。
単に戦闘集団が徐々に大きくなり、武器もまた破壊力を増していったということなのでしょう」
ナショナルジオグラフィック日本版サイト
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/052300225/ ローマは規模が紀元前とは思えないからな
やはりロマンがある フン族
ハンガリーのハン(フン)(ハンガリー人はハンガリーの名を嫌がる) . | |l |
| |l |
| |l | ∧_∧
| |l | ;`ハ´) 蛮族的日耳曼人アルな
| |l_|
| .|_∧
| .|`∀´>ほーん じゃPはすぐ
| .⊂ ノ 差別表現するからダメニダ
◇経済&政治のページ
http://keizai1money2.web.fc2.com/index.html
◇EU27国の大使も糾弾 世界から総スカンされる一帯一路
◇お前の物は】世界の知財を狙う中国のやり口 【俺のもの >>6
「蛮族」というのは、ようするに農耕も牧畜もやってなかった原始人だった、という意味だ
ドイツのあたりの古代は、雨量も多く うっそうとした原始林に覆われていた。
したがって、東欧からロシア方面の遊牧民にさえ利用出来ない土地だったのだ
フンというのは、中央アジアを中心に 牧草を追って活発に活動していた遊牧民のことだ。
牧畜という生産手段のある遊牧民は、独自の文字の文明を持つ。
ゲルマンは、ローマ帝国軍に不得手なこのドイツの原始林内で待ち伏せ不意打ち
によって少しずつ倒していったことによって、古代ローマの農耕文明とも無縁な、
原始人である「蛮族」であったのだ。
ドイツ・ゲルマンが文字文明を持たない原始人だったというのは、
朝鮮半島人とも同じで、相通ずる。
>>7
フン はスラブ系の、中央アジアの遊牧民だ。
スラブ系だから、いまのロシア人。
フンは、 ディズニーでもやっていたが、中国北方方面では、当時「匈奴」と呼ばれていた。
匈奴は、漢帝国が強大になり万里の長城の建設を完成させると、
東欧方面へ進出、 いまのハンガリー(フンガリー)を中心に、
アッティラの帝国を建設し、一時はスペイン方面まで占領していた。
西ローマ帝国との最終戦争を戦うことになった
>>9
フン=匈奴って聞いたことあるけど確定なんですか? ヤマトの諸君
モビルスーツの性能の差が戦力の決定的な差ではないことを教えてやる >>9
フンがスラブ系というのは始めて聞いた。 少なくとも言語的にはアルタイ系であることは
ほぼ定説となっている。 フンがロシア人と言われれば、笑うしかない
イーゴリ軍記も書き直さなくちゃじゃな、、、 ローマ軍も相当に恐ろしい軍隊だった。行軍の道路にいたと
いうだけで、殺しまくり、妻子を強姦して殺した。これは
キリストがまだ生きていた時代のことだ。
塩野 七生さんは、ローマ帝国が栄えたのは、宗教に寛容だった
からだというが、実態はどうだったのだろう。ま、軍隊とは
韓国軍がベトナムでやったような蛮行が普通だったのだ。世界の
軍隊で唯一、現地人から歓迎されたのは、日本軍だけだ。軍律が
厳しいだけでなく、欧米の過酷な植民地支配から開放したからだ。
あれこれ難癖をつけているのは、朝鮮とシナだけだよ。 >>10
まあ 中国北方の遊牧民は、 スラブ系 あるいは トルコ系、
後に東アジア人種の血の多いモンゴル系だが。
トルコ系が出て来るのは、 まだまだ唐の時代になってからのことだった。
すなわち、 漢の時代には 遊牧民はまだスラブ系しかいなかったのだ
フン は、 ハン と同一の語だ
ハン は、漢字で書くと、 漢 になる
英語では、 ハン
よくいわれているが、遊牧民の匈奴だけでなく
農耕文明の漢帝国のほうも、
支配者階級は スラブ系の白人だったはずだ。
>>13
欧米の偽善者ドモも便乗して悪乗りしている >>18
「と」学会
ちなみにこの程度の電波では満足しません >>9
匈奴がスラブのわけねーだろこのばかちんがw >>18
いや、>>16はなぜか知らんが自らの血を捏造昇華したい内蒙古、または中国東北部
から来た留学生で日本語がやっとできるようになったから2ちゃんに書き込んでみた、
らしいよ。
どうせ誇りたいなら匈奴>鮮卑>隋とか誇りゃいいのになw
現代中国人はそんな白人コンプだったっけ? >>19
そだね、ちょっとインパクト不足。
最近の拙速な「ノーベル平和賞」授賞に影響されました >>21
現在でも、 スラブ は、
東欧ポーランドから極東日本海岸のウラジオストクまで、
の広大な地域を占めている。
>>13
東南アジア人「日本の支配より欧米のほうがはるかにマシだった」 そもそもゲルマン人とはその周辺の原住民も含めているからね
本来の北欧出身のゲルマン人は一部だよ フィンランドのフィンもフン族のフンからと聞いたのですが合ってるのでしょうか? フン族は見た目の醜さも野蛮さも一番の蛮族の王だよ
モンゴロイドだから日本人の兄弟だな >>32
見た目コーカソイドのトルコもモンゴロイドだけど、一番醜いのは朝鮮族だよね。 そうだった
一番醜いのは朝鮮族で日本人は2番目だったな スラブ系はスキタイの方だろ。
フン族はもっと東からだろ。 >>24
モンゴル人に数百年支配されたロシア人は時にはモンゴル系といい、あるいはドイツから嫁を貰ってゲルマン人を気取り、先祖は北欧から来たノルマン人だというが、どう考えても自信がないんだろうな。 ローマに散々未開の蛮族扱いされたゲルマンが今や先進国だものな。
中国が先進国になる日ももう近いな。 その中国からずっと蛮族扱いされてたのが日本なんだが フンは当時の記録や絵からアジア系の我々のよく知る普通の遊牧民のははっきりしている
平たくのっぺりして大きな顔 >>21
The Huns migrated from Asia as the Chinese Han Dynasty built their Great Wall
for their protection. They attacked the Goths.
上記のGoths というのが、蛮族ゲルマンのことだ
Han Dynasty は、漢帝国
Huns は、もちろんフンだ
Attila the Hun 万里の長城建設後、東欧へ来てアッティラとなった
>>41
懐かしい祖先。♪〜ダッタン〜ダ〜タン〜イエイ〜 古代はゲルマン(ドイツ人)が先進国ローマに不法移民する側だったのよね… >>31
フィンランド は、 Finland
ハンガリー は、 Hungary
F のほうだから、フィンランドはぜんぜん違う
フィンランド人は、 金髪・青い目 の率が世界で最も高い。
光って見えたので、魚の Finひれ からとって名付けたのかもしれない
人魚伝説とかも、北欧にある
>>47
いずれにせよ、 ゲルマンは蛮族で間違いない
ゲルマンの大移動によって西ローマ帝国が滅亡した後は、
欧州から文明の光が消え去って
暗黒の中世欧州へと変わり果てたのだから
>>36
スキタイ は、鉄の製法を 世界最初に発明した民族だ
スキタイ は、バビロンに人類最初の帝国となった鉄の帝国を建設した。
帝国が滅んで後は、 門外不出の鉄の製法を携えて世界に散った。
ステップの中央アジア草原地帯は、飼料になる 草を求めて
遊牧民族が移動を続けていた
起源が、スキタイなのかもしれない
それが東アジア方面へ行ったら、匈奴
ようするに、これら全体のことを スラブ民族 という。
ゲルマン系は父系に有色人種が全くいない勝利の人種なんだよな
英国人やアメリカ白人、ドイツ人、オランダ人・・・・すげえ なんかもうメチャクチャな歴史観のがいるな
本人の中では可笑しく無いのだろうw ゲルマン人は人種じゃなくて、民族だろ
だから金髪碧眼もいれば、黒髪もいる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています