・日系「サンパウロ新聞」が廃刊に 1月1日付紙面で

【サンパウロ山本太一】世界最大の日系社会があるブラジルの邦字紙「サンパウロ新聞」は20日、読者減少による経営難のため、廃刊の方針を明らかにした。22日配達の来年1月1日付紙面が最後になる。インターネットサイトでの継続を検討しているという。ブラジルの邦字紙は「ニッケイ新聞」だけになる。

 サンパウロ新聞は1946年に創刊された第二次大戦後初の現地邦字紙で、日本人移住者らの情報源になってきた。77年、優れた文化活動に贈られる菊池寛賞を受賞した。現在の社員は約70人。週5日発行してきた。だが、世代交代に伴い日本語が読める日系人が減少、発行部数も減っていた。20日の紙上で、22日に発行を終えると告知した。例年と同様、22日付新聞と一緒に新年特集号も配達する。

 1908年に日本からの移住が始まったブラジルでは戦中、連合国側のブラジル当局から外国語新聞発行を禁止され、邦字紙は廃刊された。終戦直後、日本語の情報が不足する中、日本の敗戦を受け入れた「負け組」と不敗を信じた「勝ち組」の抗争が起き、20人以上が犠牲になった。

 日本語による正確な情報発信を目指したサンパウロ新聞は、60年代後半には7万〜8万部を発行し、日本国外最大の邦字紙となった。日本人移住の実態や日系社会の変化を伝える連載記事などを掲載。大相撲や流鏑馬(やぶさめ)の公演など日本の伝統文化を紹介する事業にも力を入れてきた。

 しかし、日系1世が9割を占める読者の平均年齢が約80歳と高齢化し、発行部数は約1万部に減少した。採算割れが続き、廃刊せざるを得なくなったという。

 鈴木雅夫社長(68)は「移住者の生き様を記録に残すことが使命だと思ってきた。読者が一人になっても発行する気概でやってきたが、かなわなかった」と述べ、ライバル紙のニッケイ新聞に対し「思いを引き継ぎ、できる限り長く続けてほしい」とエールを送る。

・サンパウロ新聞
http://saopauloshimbun.com
(―移住に賭けた我らが世界―第3章 転換期J 2018年12月19日 )
http://saopauloshimbun.com/78808-2/
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毎日新聞 2018年12月20日 19時27分
https://mainichi.jp/articles/20181220/k00/00m/030/168000c