オリコン2021-01-08
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「私は、新入社員当時マンガ誌志望でした。子どもの頃から、主に少年誌読みふけっていたのですが、配属されたのは少女漫画誌『なかよし』。当時も集英社さんの『週刊少年ジャンプ』は、大変な売上でしたので、『なかよし』を女の子版の『ジャンプ』のような存在にしたいとの想いがありました」

つまり『るんるん』は、学園コメディが主だった『なかよし』を変えたいとの目標で作られていた。 漫画家から恋愛以外の特質を引き出し、これまでの少女漫画では出来なかったことを実験。 この流れで生まれたのが、武内直子氏の『コードネームはセーラーV』である。

「これにすぐさま飛びついてくださったのが東映動画(現・東映アニメーション)さんでした、『この作品をぜひ広げてほしい』と。それも『アニメ化も、すぐにやりたい』ということでしたので、アニメ製作制作と連載が同時スタートという異例の作品になりました」(小佐野氏/以下同)

本誌である『なかよし』で、新たな主人公セーラームーンを主役とした新作『美少女戦士セーラームーン』を連載として立ち上げることになったのだが、掲載作品の9割がラブストーリーだったため、いきなりこの作品が受け入れられるのか不安視する声もあった。そこで、作品に“半分”恋愛要素を入れ、ヒロインは“実はプリンセスである”という王道路線に。そして、彼女を守る戦士を加え、主要登場人物を5人に変更した。

結果は、すぐに出た。既存の少女漫画のイメージを見事に覆した作風の同作は、スタートからトップを独走。『なかよし』読者に熱狂的に迎えられたのだ。連載当初の1991年末に80万部だった発行部数が、1993年には205万部を突破。

「大きな賭けでしたが、読者に受け入れられてよかった。キラキラとして派手な設定や展開が良かったんじゃないかと当時は思っていました。ただ今思うと…」と小佐野氏は続ける。

「90年代初頭のちょうどこの頃、社会面では男女雇用機会均等法が施行されました。職場では続々と女性が抜擢され、女性が活躍でき始めた時代です。武内先生は、当時から時代の雰囲気をうまく切り取って作品に落とし込むのが上手な作家さんでした。この作品がうまく時代の流れにのっていることも、この時代を象徴する作品となった大きな要因かもしれません」

一方、スタートから半年間、アニメ版の『美少女戦士セーラームーン』はなかなか人気が出ず苦戦していた。だが、小佐野氏含め制作陣は、これまでにないコンセプトに確信を胸に秘めていたという。劇場版『美少女戦士セーラームーンR』には『新世紀エヴァンゲリオン』を制作する前の庵野秀明監督も原画マンとして関わっていたが、その庵野監督が同アニメについて「この作品はイケる!」と語っていたことはファンの間では有名だ。

「庵野監督は作品がスタートしたごく初期に、アニメ誌でアニメ畑の人には生み出せない作品とおっしゃっていました。アニメ畑の人たちは、どうしても設定を凝ったり、色々とひねりを入れたり、複雑なことをやろうとする。ですが『美少女戦士セーラームーン』は、古典的でストレートに、恥ずかしげもなく表現した作品。そこがいいと。ちょっと恥ずかしかったけど、心の支えになるコメントでした」

当時としては珍しかった、女の子がメインとなって戦う“美少女戦士”は社会現象となり、ゲーム化、ミュージカル化などメディアミックスも行われた。その後、単行本累計発行部数は全世界3,000万部にのぼり、アニメは40か国以上の国で放送され、全世界の漫画・アニメ史にその名が刻まれることに。

また同作は読者層、アニメファン層でも既存を覆した。当時の『美少女戦士セーラームーン』の男女ファン比率は4:6。男性ファンが4割もいたのだ。「私自身も、男性として同作を面白いと感じていました。だから男性にもウケるかもしれないとは思っていましたが、さすがにこの比率には驚きました」。読者のほとんどが小学生女子だった『なかよし』をもっといろんな世代、層の人に知ってもらいたいという小佐野氏の想いも叶えられたのだ。

そして、1997年に原作の連載は終了。TVアニメシリーズの放送も終了した。再放送などはあったものの、長い眠りについていたが、2012年の20周年を機に再始動すると、再び多くのファンに熱狂的に迎えられた。あらゆる作品が毎年出てくる中で、変わらず『美少女戦士セーラームーン』が愛される理由は何なのかと尋ねると、「本質がずっと変わらないこと」と小佐野氏は語る。

「戻ってきていただけたファンの9割が女性でした」と小佐野氏。それまでのヒロインのイメージを“破壊”した同作品は、当時少女だった女性たちの胸に、勇気とともに深く刻まれていたのだ(長文の為抜粋、及び以下はリンク先で)