日蓮ってver.59
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前スレ日蓮ってver.58
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1615545278/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会擁護の論客もふるってご参加下さい。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、暴言や挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題はほどほどにして下さい。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。 そもそも日蓮自身、他宗派へのねじ曲げと暴言を最も激しく行った人ですよね。 前スレへの回答または反論です。
910
>経典に帰依することには以前は違和感を覚えたが、なんで仏さん自体に帰依しないの?
916
>考えるなら一旦はなんでお経に帰依するん?仏さんに帰依じゃないのか?って、一旦は考える。
日蓮大聖人は本尊問答抄で、「仏」と「経」のいずれを本尊にすべきか?との尋ねに対し、
「本尊とは勝れたるを用うべし」とした上で、
法華経こそが釈迦や大日如来などを生み出した諸仏の眼目であり、出生の種であるといっています。
つまり根源の法(能生)である南無妙法蓮華経(妙法)を本尊とすべきなのです。
これは天台智も同様のことをいっています。
釈尊が残した言葉にも「自灯明、法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)とあり、
本来は「法」をもって本尊とし帰依すべきであって仏像等ではないのです。
しかるに南無妙法蓮華経とは、一切衆生の心の根底にある仏界の生命であり、阿摩羅識ともいい
九識心王真如の都ともいいます。 913
>まあ経典自体を否定する人ならどのみち否定にはなるけどね。
経典は文、義、意(文字としての経文、法理、奥底にある仏意)を見ていくことが大切です。
法華経ほど大慈悲にあふれ、優れた論理を備え、過去の宿縁及び経緯を説明し、
一切衆生に成仏の道を開く、時空を超えたダイナミックな経典はありません。
否定するよりも、妙法を信受されてみてはいかがしょう。 914
>そう唱える自分が宇宙の中心とか思っている我執の塊
自我にも小我と、潜在化された大我があります。
意識、無意識という心層の中の、自我(末那識)や業(阿頼耶識)の奥底に阿摩羅識という
仏の生命があります。
これが己心の御本尊であり、南無妙法蓮華経の生命です。
したがって妙法の本尊に帰命し、お題目を唱えることで仏界の生命が涌現します。
この善の力で八識(阿頼耶識)にある宿業が浄化され、転換されていくのです。
釈尊は「自灯明、法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)といってます。
これは自身の生命の中に法があるということです。
貴方の中にも妙法の生命があり、お題目を唱えることで仏界の生命を顕していけます。 917
>我執の塊になるのはよろしくないが、さりとて凡夫の身で我執から完全に離れる事も殆ど無理だろう。
>ギロチン、自死
欲は人間が持つ本然的な属性、性分でありますし、多くの戒律によりこれを消滅させなければ
涅槃を現じることができない(解脱できない)というのは大乗以前の教えであります。
灰身滅智のように焼身自殺する僧侶もいますが、生命の尊厳に反する誤った理解によるものです。
法華経では十界互具、一念三千、煩悩即菩提と説きます。
煩悩を滅するのではなく、祈りによって成就し、もしくは冥伏させていくのです。
ぜひお題目をあげてみられることをお勧めします。 918
>法華経は、釈迦滅後数百年経ってから作られたニセ経典。
全ての仏典は数百年経って作られたもので、原始仏典も例外ではありません。
法華経こそ仏意をあらわした真実の経典です。
920
>日蓮は法華経とは、「釈迦が真実を説き残すお経」と信じた人物。
>だが然し、此れが「間違いなのだ」と認めたくない人たちが居るのです
間違いという根拠は何もありません。
法華経こそが仏の真意をあらわした普遍的な経典です。
素直に認めて、お題目を唱えてみてはいかがでしょう。 938
>法華経を信受しているのであれば、安楽行品の下記経文を実践してはいかがでしょうか?
>人や経典の過ちを説いてはいけない。
>他の法師を軽蔑してはいけない。
まずこのスレにおいて法華経、日蓮、創価を誹謗してる人々を咎めるべきでしょう。
そうでなければ彼らに加担してるも同然です
八正道「正語」
離間語(陰口,仲違いさせる言葉)を離れ、粗悪語(誹謗中傷,粗暴な言葉)を離れること
貴方の中にも偉大な妙法の生命があります。
ぜひお題目をあげてみられることをお勧めします。 944
>釈迦はキチンと八正道、四諦、四法印の従い、正しく修行するように教えたはずだ。
>末法など敗北主義だ。下らん。愚か者が
>ニセ経典
>超傲慢日蓮の本尊にひれ伏す者こそ、末法の外道
>権力者に摺り寄り、議席と金と権力を得ようと、主義主張をコロコロと変え、
>一貫して戦争に加担する腐り切った外道性
八正道「正語」
離間語(陰口,仲違いさせる言葉)を離れ、粗悪語(誹謗中傷,粗暴な言葉)を離れること
まずご自身が粗悪な言葉遣いを慎み、八正道を実践されたほうがよろしいです。 945
>創価に至っては、戒律も無用
妙法を受持することがそのまま受戒となります。無用なのではありません。
これを金剛宝器戒といいます。
「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、
此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持つて後
行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し」(教行証御書)
これに対して天台智は、
小乗の戎を瓦器戒(在家の五戒、八斎戒、沙弥の十戒、比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒)
権大乗の戎を金銀戎と呼んでいます。
>在家が極端な戒律に縛られる必要などどこにもない
貴方は五戒をすべて守っているのでしょうか?
ハエ、蚊、ダニとも共生し、嘘を一切つかず、性行為もせず、酒も飲まない
>ジャータカは、民間に古くからある言い伝えや迷信やお伽噺の類い
パーリ語の仏典であり仏教思想の一環であるわけです。
ダンマパダにも以下のようにあり、三世の因果が示されているのは明白です。
「悪いことをなす者は、この世で悔いに悩み、来世でも悔いに悩み、ふたつのところで悔いに悩む」
「善いことをなす者は、この世と来世で歓喜する」 945
>創価カルト
>創価は果てしなく嘘と腐敗
>権力者の手先として、議席と金と権力を得ようと、コロコロと主張を変えて、
>戦争と軍拡へ突き進む共犯者
>創価に至っては、戒律も無用、言ってることはアホばかり
ダンマパダ
「荒々しい言葉を使うな」
八正道「正語」
離間語(陰口,仲違いさせる言葉)を離れ、粗悪語(誹謗中傷,粗暴な言葉)を離れること
まずご自身が原始仏教の教えに従い、粗悪な言葉遣いを慎むべきでしょう。
「言葉とは心の思いを響かせて、声に表したものをいう」と仰せです。
945さんの心の中にも妙法の生命があります。
まずは試みに、お題目をあげてみてはいかがでしょう。 948
>直筆でなくてもいいのよ、ただコピペしただけってのじゃないなら。
>ちゃんとした法要みたいなのしてりゃいい。
大石寺がいう開眼供養は、御書においては草木成仏のことであって、
本尊になるための条件ではないのです。
「妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらずそ法なり」
妙法は一切衆生の一人一人の心の中にあります。
ぜひお題目あげてみられることをお勧めします。 もう一度確認しますが、大日如来は宇宙に存在する全ての根源が大日如来です。
大日如来の真言を唱えればあらゆる願い事を叶えることができるのです。
真言を唱える事により変性意識状態になり、私達の潜在意識、または超意識にアクセスする事が出来るのです。 なんかさ、自粛警察ならぬ折伏警察いや折伏憲兵みたい
謗法レーダーで見つけ次第、公式教義的な模範解答の羅列を自動応答で並べてるだけ
まるで対話になってないのが凄い、相手しても得るものが何も無さそう
こんなの普通の人は皆逃げるけど、頭の悪い人や心の弱った人なら、これでも稀に引っかかるのかも こんなリアルに洗脳されてんの初めて見たわ、怖すぎ
ガチで関わっちゃいけない宗教 矢張り、信じる事が無ければ一本道も歩めないわけで、
法華経こそが、お釈迦さんの真説と聴かされて、素直に受けとる「好い人」
も世間には多く居ますよね。
然し乍ら <信ずるために、何度も疑る> のも人としての在りですよ、
教えの為に生きるのではなく、正しく生きるための教えの有無を聴くのが賢者の姿勢と
思います。
某氏の仰る教義に疑念を差し挟むと「激怒する布教師」が人前に出て来るなら
その教えは聴くに値しません。
安い詐欺師の彼らは正当な反論に対し激高し易いものです。
言うならばすぐに底が割れるというシロモノなのです。
前のスレでさり気無く、虚偽をさらっと一行挟む文が在りました。
日蓮さんが伝法灌頂を受けた道場の故地云々〜〜文章の格調は高いのですが、
日蓮師は伝法を受けて居りませんね、そりゃ断言したいですね
授ける師匠の阿闍梨様の名が無いのは後世の作り事です。
いかにも偉いと嘘を盛るのは 詐欺行為 ですね。
民事に訴える事例じゃないですが、君は死後どえらい苦痛を受ける覚悟在りや?
創価のお得意の台詞,(魔が出る)どころじゃない、自ら選んで不運の種を蒔く人なのです。 >>16
>こんなリアルに洗脳されてんの初めて見たわ、怖すぎ
>ガチで関わっちゃいけない宗教
宗教団体に入って(宗教そのものでなく)幸せに生きている人もいるんだから
そういう言い方は良く無いよ。
むしろ、貴方の言う洗脳された話が出来ない人だと、貴方は思われるよ。
創価学会、日蓮正宗、日蓮宗、顕正会、立正佼成会などなど
日蓮系だけでも、それ以外の多くの団体が存在していて
その団体に帰属する事で心が幸せになってる人もいるんだよ。
問題はね、信者さんの心が幸せになる方法論と
貴方の心が幸せになる方法論を同じに考えてはいけない。
「僕は、こっちの方が幸せになれるとおもうけどなあ、、、」
という言葉は
「僕」という「主体」にとって、そう思う。という個人的見解なんだよ。
そこで「いや間違ってるよ!俺の考えの方が正しい!」なんて言っちゃうと
批判する側が批判される事になる。という共同性次元への再帰性はそこで亡くなるんだよ。
未熟な記号主義的発話は、発話者の指向性と現実界を論理的に整合性を持たせなくなってしまう。
(仏教に論理的整合性は必要なのか?は別の問題。二人の発話者が存在してる前提で書いている)
これは「記号の接地の失敗」でしか無い。
分からない人はスルーしてくれ。 あ、はい別に洗脳されてまで幸せになりたくないです
なんか絡まないでいただけます?
あくまで個人的な感想なんで >>19
>あ、はい別に洗脳されてまで幸せになりたくないです
>なんか絡まないでいただけます?
>あくまで個人的な感想なんで
そうそうそうw
それが大正解です!
あくまで個人的な心情と信条を大切にしていきましょうね!
素のままで、スリムな体型、魅力的な女の子に
「一緒にダイエットしようよ」
という事のおかしさw
ダイエットが必要だと思うなら、それは「そう言うあなたが必要としているのはダイエットなんでしょ?」
って事でしか、ありませんからね。
無宗教のひとでも、特定の宗教団体の信者さんでも
その人自身が選んだものですからね。 では、所属したから幸せになりますって何処に行けば一番幸せになれるんですかね? >>21
>では、所属したから幸せになりますって何処に行けば一番幸せになれるんですかね?
そういうのは、他人に聞くものじゃ無いよ。
自分で確かめなきゃ。冷徹な眼差しで内部に入りじっくり観察と分析をするんだよ。
信者さんって、それも優しさの一つなんだろうけど
自分の教団の善い所ばかりアピールするから、ほとんど無視して
実際に、教会やら大聖堂や会合やら会館という所に行って社会心理学的に破綻が有るか?無いか?
を、先ず見届ける、そういう審神者としての観察眼と戦略を持って
見てみるといいよ。
自分の好きな教義教条団体に出会えるかもしれないし
無宗教のまま生きるのが、自分を輝かせる生き方だ!
と思えるかも知れない。
ただ、既成事実として信者さんやスーパーナチュラル全否定の人もいるのだから
特定の人達を批判する事は無しな。
キリスト教徒とユダヤ教徒の、お互いの顔を引っ叩いて
「今の音は俺の手から出たのか?お前のハゲ頭から出てるのか?」
みたいな(禅宗の公案としては成り立つ話だけどね)愚鈍な人を見つけたら
「私は、空飛ぶスパゲティ・モンスター教会の信徒です!」と言えばいい。
相手が検索してスパモン教をwikipediaで調べても尚
放してもらえなさそうな人なら、即・撤収!
宗教だけでなくユーモアと修辞が伝わらない人とは、職場でも学校でも
深く付き合ってはいけない人だよ。 実際にスパモン教ですなんて熱心なキリスト教徒に話したらユーモアとして受け取らないよ
ID理論批判文脈で起きた運動なんだから
日蓮教団、特に日興上人門下がユーモアわかるはずがないw
特定の人達を批判するなというのは綺麗ごとでしかない >>24
>実際にスパモン教ですなんて熱心なキリスト教徒に話したらユーモアとして受け取らないよ
ユーモアとして受け取れる人は、それだけの知性がある人ですよ。笑いは知性のバロメーター。
>特定の人達を批判するなというのは綺麗ごとでしかない
「クリスマスには何が欲しい?」
「アンパンマンのグッキングセットとお絵描きセット!」
「良い子にしてたら、サンタさんがきっとくれるよ!」
「うん!いい子にしてる!!」
そう喜んでる子供達に「サンタクロースなんて本当はいないんだよ」と
教えるのが適切な道義だと思いますか?
サンタクロースがいない事も、赤ちゃんの生まれ方も、生きているうちに
自然と自分で認識していくものです。
人間は誰しも、成長の途中でもあり、夢の途中でもあるんです。
蝶になった夢を見た、もしかしたら自分は人間では無く
人間になった夢を見ている蝶なのかも知れない。 すまん、関わっちゃいけない人だったわ
ここもやべぇな 無宗教だと言ったけど、一つだけ信仰を持ってたよ。
その教義はね
「信じるも、信じないも、私次第!」 >>27
>すまん、関わっちゃいけない人だったわ
>ここもやべぇな
すまん。
これは荘子の「胡蝶の夢」という話なんだ。
皆んなが知ってるはずと、思い込んだ私の過ちだな。謝罪するよ。 >>26
例えにスパモン教出してる時点で君こそID論批判の文脈に立ってプロテスタント批判してることに気づかないの?
それでなんでそんな表面的な中立を装うんだろう
自分で会得した信心はそんな子供のような物じゃないんだよ、相手を見下すなよ 大日如来の智慧の光は、全ての人々に平等に及んでいます。
これは「除闇遍明(じょあんへんみょう)」と言われています。
自分の心の中にある無明という暗をこの光で取り除いてくれるのです。 >>30
>例えにスパモン教出してる時点で君こそID論批判の文脈に立ってプロテスタント批判してることに気づかないの?
スパモン教はネット上でのミームでしかない。
それは誰でも理解してるし
もし、理解してるらしくは無い人を見つけたら「この人は、そういう人なんだ!」とタギング出来るだろ?
それぐらいの意味しかないよ。
もともとスパモン教を作った大学生達は州政府や連邦政府に対するカウンターカルチャーだけど
結構インテリ学生なんだよ。だから問題はそこに無い。
ネタバレすると、あれはウィトゲンシュタインの論理哲学論考で語られた
独我論者である私が、独我論が語り得ない空間では、実は
「私」という語は「ウィトゲンシュタイン」という人間を意味はしていない。
でも他人はその様に理解するしか無いから「私」の言う事は出来てはならない。これが独我論の本質である。
これへのオマージュを、『ID説へでは無く』
公教育において進化論と同時にID説も教育するべきで在る!
と『州政府への』パロディにしてるんだよ。
真面目に語る宗教じゃ無いよ。
免許書の写真に宗教上の理由として湯ギリザルを被っているのも
パロディだし、「無宗教の人権も考えてくれよ」ぐらいのポップカルチャー・サブカルなんだよ。
宗教を持たない人が批判される中、じゃあスパモン教信者という事で許してくださいという
無宗教者の人達が納得して入れる宗教。パロディやミーム、社会批判としても良く出来ている。 >>10
>>まずご自身が粗悪な言葉遣いを慎み、八正道を実践されたほうがよろしいです。
日蓮こそ他宗派へのねじ曲げと暴言を最も激しく行った人。
創価公明が、共産党や(立憲)民主党を仏敵と罵り、激しく攻撃しているのも日常茶飯事。
見え透いた偽善はやめるべきだ。 >>33
日蓮こそ他宗教へのは自分も感じました
たまたまかなぐらいに留めていましたけど >>31 偉そうに語られる御託はもう結構でございます
、先ずそれを己が身に実現し その後に世間に示すのが貴方の
尊き御使命と思います。 なんかさ
このスレは、仏教を勉強してる人がいっぱい集まってるけどさ
仏教でいう
修羅界みたいだねw
仏教を勉強すればするほど、敵が欲しくなるの? ここは日中、暇でやる事が無いおじいちゃん達が5ちゃんという落書き掲示板に乗り込んで来て、自分のウンチクを垂れてるだけのスレです。
なので喜んで書いているんじゃないかな? まぁ、マトモに仏教を学んでいる人ならば、5ちゃんなんか見ないで文献を読んだり、学術的なサイトを見ているでしょうね。 それな
早朝に風俗通ってるおじいちゃんみたいでほっこりする >>37 日蓮の事績を述べる御仁が,さりげなく粉飾を塗り立てる
本人さんが耳にしたら顔面赫怒ですよ、赫怒。
伊豆方面に旅では観光名所案内人が「これは頼朝公八歳の(しゃれこうべ)と
説明すると亡母が笑って語った」是はニヤニヤ笑いの種で宜しいが、
前スレでここのお寺は、日蓮上人修行の場で、密教の灌頂を受けた縁故の地。
と説明を述べる、言わせてもらうが事相を学んだ人があんな簡単な梵字を誤る筈がない。
日蓮氏へ法を授けた阿闍梨様の名前も不伝。
彼はちっとも習っていないのだ。
勝手に盛っては善いか悪いか、どんな餓鬼でも判る理屈。
嘘付いちゃ遺憾、宗教団体の教学部が其れやる? >>38
>日蓮教団に少しでも触れるとそうなる
宗教上の理由で輸血を両親が拒否してお子さんが死んじゃったり
鳥居がくぐれないと修学旅行に行けなかったり、クリスマス会に出れなかったり
イジメ、不登校、リストカット、自殺未遂する子供、戒めの鞭で児童虐待したり
神の精神を吹き込む為に小学生の娘を信者間で輪姦したり
こういう子供達への害悪が1番問題なんだよな
信教の自由は否定しないけど
自分と子供は別人格。という事が分からない知性の低い人だと
子供に害悪した与えないし、教団を批判する人達は、そういう被害にあった二世・三世ばかりだよな。
ここだけだよ
宗教団体の問題は。
宗教団体も信者も自由の権利は認めてあげるべきだ。
でも、児童虐待に対しては社会全体が声をあげて糾弾し子供を守ってあげるべきだ。
日蓮御書がどうのこうの、言ってる場合じゃ無い! >>42
>日蓮氏へ法を授けた阿闍梨様の名前も不伝。
釈尊は法華経如来神力品第二十一の虚空会の儀式において、
一切法を地涌の菩薩の上首である上行菩薩に付嘱しました。
その上行菩薩の再誕こそ日蓮大聖人であり、託された一切法を御本尊として顕したのです。
神力品に云く
「要を以て之を言えば如来の一切の所有の法、乃至・皆此の経に於て宣示顕説す」
已上此等の現文は釈迦如来の内証は皆此の経に尽くし給う
「法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり、一切の功徳法門・釈尊の因行果徳の二法
三世十方の諸仏の修因感果・法華経の文文句句の功徳を取り聚めて
此の南無妙法蓮華経と成し給えり」
このように御本尊は釈尊の因行果徳が収められた功徳聚です。
ぜひお題目をあげてみてください。
妙法を信受されることを祈念します。 >>44 もう少し冷静に考えましょうね、
貴方の仰る中身は、文句の意義を知らない人には
戯言(たわごと)妄想を吐く人としか受け取られません。
教学部の知性は浅略趣で留まるか、そもそも私が指摘する実例は
>>42に指摘する、どこかのどこかの誰かが記す日蓮師の生涯への虚飾や粉飾なのです。
全く見当識に欠けたアドバイスらしき44氏の書き物ですね。
袈裟衣、着る物の丈を増してしつらえ、数珠を持たせ香華を手向け日蓮さんに着せたがっても
「だぶだぶで裾を踏んずけて転びそう」
そういうことは止めるのが後世への親切じゃないですか? >>45
法華経こそ最もすぐれた法であり、釈尊の真意なのです。
諸経の王たる法華経の正当な伝承を汲むのが日蓮並びに創価学会です。
そして今現実に時を超えた大法として全世界へと広宣流布されています。
国、地域、人種を越えて多くの人々がこの日本の仏法を受持し、宿命転換しています。
ぜひ虚心坦懐に学ばれてみることをおすすめします。 >>46
>この日本の仏法を受持し、宿命転換しています
よく創価学会員の方が勧誘に来られて(私は宗教を必要としないのです、と断ってますけど)
この「宿命転換」という言葉を良く使われますよね?
もう少し詳しく教えてもらえませんか?
学会員の方に伺うと話が長くなりそうなので、あえて質問もしてませんし
SOKA NETの用語検索も一応見ています。
そこで、貴方なりの「宿命転換」思想を聞かせていただきたいのです。
ただ、聞きたいだけで、批判も評論も決してしませんので
よろしくお願いしたいと存じます。 >>47
ご質問ありがとうございます。
では理論的なこと(輪廻、業報、生命の因果、宿命転換の論理)は省略しましょう。
YOUTUBE、STB(これは内部のビデオです)、新聞、書籍など多くの体験談がありますので
ぜひ読んでみてください。
私はその星の数ほどの一つ一つこそが宿命転換の記録であり、学会の宝だと思っています。
個人が抱える苦悩には色々なケースがありますが、いかなる苦境にあっても
この信心で境涯を切り開いていくのがこの宿命転換の法です。 >>48
いえ。そうじゃなくて
あなたの「宿命転換」の認識を知りたいだけなのです。
他者の言葉でも無く
他者の体験談という下位概念でも無く
「私なら、こう要約して説明できますよ」という
あなた自身の認識が知りたいだけです。
教団や集合メンバーの共通認識では無く
貴方の「宿命転換」とは何か聞きたいのです。
個人的な事を聞いているので
それが理由として
批判も評論もしませよ。と断っているのです。 ああ、ゴメンなさい
貴方は信仰熱心な方とお見受けしますが
その信仰の為に存在する必然性がある事は分かったのですが。
「宿命転換」についての認識そのもの(あなたの)について尋ねたいのです。
これは私の書き方が悪かったのだと思います。
「クミンシードって、どんな物?」
「カレーを作る時に入れると美味しくなるんだよ」
「ああそうなの、、、それはそれとしてクミンシードって何なの?」
みたいな会話になってしまいましたね。
謝罪させて、いただきます。 >>49
個人的なことはこういう場所では書かないことにしています。
なぜそんなことを聞くんです? >>51
>>個人的なことはこういう場所では書かないことにしています。
>>なぜそんなことを聞くんです?
これも私の書き方が下手でした。
貴方の個人的な体験談や個人的な活動を聞いているのではありません。
あなた自身が「宿命転換を、どのように定義しているか?」
という、事を聞きたかったのです。
個人的な話には興味は無いので、個人的見解、個人的定義をただ、聞きたいだけです。
ここまで書いたから、何故そんな事を聞きたがっているか?というと
今迄、近所の学会員さんが聖教新聞や法華経の知恵とか無料でプレゼントしくれます。
いただいたものですから私もしっかり読まさせてもらいます。
ところが、学会員さん一人一人が「宿命転換」の認識が違う事が多く
質問させていただいたのです。
どうか悪く取らないでください。 もうちょっと簡潔に書きます
「宿命転換」という語の学会員さんの解釈は
恒真命題なのか?
それとも
媒概念不周延の思い込みなのか?
という部分で気になっただけです。
決して、悪い意味で言ってる訳ではありません。
それぞれの人の信教の自由は尊重します。
むしろ、この部分を探る事により、創価学会員さんの活動に役立てていただけるのでは?
と、思っただけです。
無宗教の人の所へ、宗教の勧誘に来た人に対して、ひどい言葉で追い返す人って
いるじゃ無いですか?そういう人達にとって「信心すればわかりますよ!」と言っては
余計、話を聞いてもらえませんよね?
そこでエキュメニズム的に合目的的整合性を持った信心を構成する概念を
説明出来たら、創価学会だけでなく、全ての宗教の人達の話を
聞いてくれる人は(知性的な人に限定すれば)増えると思うのですが?どうでしょうか? >>52
>あなた自身が「宿命転換を、どのように定義しているか?」
いえ全然気を悪くしてなどいません。
定義といえるかはわかりませんが、実証的な意義は、>>48に述べたとおりで
宿命というのは人によって様々ですし、生来のものもあれば後天的なものもあります。
それらは今世で変えられる場合と、今世では変えられない場合があるでしょう。
根本的には三世を見据えて、自身の生命の軌道を妙法のリズムに合わせていくことです。
そうして生命を磨き、輝かせていくことが成仏の道筋と思います。
(ここは原始仏教的な静寂な境地や解脱観とは異なる点でしょう。)
仏法における財(たから)とは3つあり、1つは経済的なものを含む豊かさ。
2つには、身体の健康。そして3つめに心の財です。
心の財とは、心の豊かさであり、福運、功徳、善業に満ちた生命です。
また妙法を心肝に染めた生命(いのち)ともいえるでしょう。
財産や健康は、人生を豊かにし、生きる上でとても大切なものですが、
老いと死によってその消滅を避けることはできません。
あの世(彼岸)に持っていくことはできません。
しかし妙法によって培った心の財、福運は三世に消えることがありません。
(この点も信仰上の死生観、生命観としてご理解ください。)
この死に対する準備を行うのが仏法でもあります。
したがって妙法により生命の財(福運)を積むことが成仏と宿命転換の本質と考えます。 >>52
続きです。
信心をすると、自身の生命(いのち)が変わる感覚を多くの人が経験します。
真剣にお題目を唱えていくと一念(心の様相、ベクトル)が変わるのを実感します。
気持ちが沈んでいたり、空転している時には気持ちが晴れていきます。
前向きになり智慧も湧いてきます。
不思議と色々な機会に巡り合えたり、物事がうまくいくことが少なからずあります。
現実において苦悩というのは絶えることがないのですが、
それを一つ一つ祈り、解決しながら、境涯を開いていくのが宿命転換と考えます。
以上は私なりの私見ですが、各人の経験によって表現、定義は様々かと思います。
>今迄、近所の学会員さんが聖教新聞や法華経の知恵とか無料でプレゼントしくれます。
>いただいたものですから私もしっかり読まさせてもらいます。
ご丁寧にありがとうございます。
大変熱心なご友人がいらっしゃるのですね。
私としても、目を通してくださってとても嬉しいです。
私に答えられることであれば、できるだけお答えしますのでお気軽にお尋ねください。
ただお時間や日数をいただく場合もありますのでご了承ください。 >>53
はい、悪気があるなんて思っていません。
哲学的好奇心の強い方のようでこちらも勉強させていただいてます。
宿命転換はトートロジーや詭弁ではありません。
SGIは国際的な宗教間対話や会議によく参加しているようです。
>無宗教の人の所へ、宗教の勧誘に来た人に対して、ひどい言葉で追い返す人っているじゃ無いですか?
学生時代にエホバの方がよく来られてたので、
上がっていただいて小一時間仏法の話をさせていただいたことがあります。
創価学会は飛び込みみたいな勧誘は一切しないですが。 >>54
回答ありがとうございます。
>(ここは原始仏教的な静寂な境地や解脱観とは異なる点でしょう。)
ここが私の見えにくい所だったのかもしれませんね。 >>55
>現実において苦悩というのは絶えることがないのですが、
>それを一つ一つ祈り、解決しながら、境涯を開いていくのが宿命転換と考えます。
>以上は私なりの私見ですが、各人の経験によって表現、定義は様々かと思います。
回答ありがとうございます。
妙法によって自分を高めていらっしゃる方なんですね
(無宗教の癖に『妙法』と軽々しく言ってすみません)
自分が輝く場所は誰にでもあるし
自分が輝く場所を探すのも、その人の力ですね。
これは、どの宗派、宗教団体でも、そういう方がいらっしゃるのでしょう。
もともと私はこの「宿命転換」という
「語の多義性」と「概念の多様性」を感じていて何か一発スパーン!と
要素還元できる記号は、別に存在するのでは無いか?
と思っていました。
御回答ありがとうございます
創価学会員さんも、その他の宗教・宗派の方々も
心のするわざ、が自分を高めていけるのなら、宗教も良い物ですよね。 宿命転換の上り、つまり双六に例えると終点の京の都が何か?という
質問になるでしょう、
それは成仏でしょう、全ての人としての幸不幸、福運の過多に悩むことが終わる人。
有余依涅槃は身体が息をしている間のことで、
其れが済み、無余依涅槃に至れば双六の上り下がりに一喜一憂する人生から解脱。
これ法華経で説いてますか?説けないのでは? >>56
>学生時代にエホバの方がよく来られてたので、
これはエホバに限らないと思うのですが、エホバ二世の女の子が書いた
「よく宗教の勧誘にくる家に生まれた子のはなし」という本がありまして
お母さんが熱心なエホバの信心を持ってらしゃるかたなんですけど。
よくある様に自分の娘にも信仰を強要するんですよ。ここまでは、そういう家庭って多いし
批難すべきじゃ無いと思うんですが、子供の学校生活や友人関係を次々にぶっ壊す母親で
娘が批判出来る時になってもエホバ秘伝の戒めの鞭で娘を虐待するんですね。
最後は無宗教の彼氏と結婚して新しい人生を歩むハッピーエンド(実話)なんですけどね
この本から学べた事は2つあります。
1・「あなたは宗教と結婚するんじゃ無いでしょ?」と結婚に二の足を踏む無宗教者へのアドバイスには全く説得力が無い。
2・自分の友達を否定し(エホバでは世の子という蔑称を使うらしいです)ちょっとでも悪い事をすると鞭でうたれ、勧誘に行った先の家が同級生の家で同級生が親の後ろからジロジロ見てバカにしている、という屈辱。
これ程の苦痛を母から受けられても、娘が思っていた事は
信仰の母は嫌いだけど、自分を生んで育ててくれた母は見捨てる事が出来ない。
彼女(著者)は「世の子」と結婚してから実家から絶縁状態が続いているそうですが
いずれは母の介護をしたいと望んでいる様です。
これはエホバだけの話じゃ無いんだと思います。
また、宗教だけの話でも無いんだと思います。
機能不全家庭とはDVとかアル中とかネグレクトとか、そういう目に見える物だけが
機能不全家庭では無いんじゃないかな? 目に見えない機能不全が1番怖いような、、 >>57
>>(ここは原始仏教的な静寂な境地や解脱観とは異なる点でしょう。)
>ここが私の見えにくい所だったのかもしれませんね。
レスありがとうございます。
法華経のロジックは、いわゆる出家して、煩悩を滅し、静寂の境地に至り、輪廻の環から外れる
思想とは違うので、この解脱観に立っている人は、法華経、創価などのあり方をみて、
従来の仏教観とは違ったものを感じられるのだと思います。
法華経は、広く現実の社会に生きる在家に向けられた経典でもあることが特徴です。
人々に妙法を伝えようとする菩薩行の中で己心の仏性を顕していこう(仏知見を開く)とするもので、
この力強い仏界の生命で、自らを精進し、人にも伝えることで功徳、福運を積んでいけます。
しかし娑婆世界、五濁悪世でそれを行うのは厳しく、難を伴うので他土から来た菩薩は躊躇いますが、
厳しい娑婆世界で妙法を弘める功徳は、それまでの歴劫修行に比べて莫大です。
「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、
日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ、
此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、
極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」
この妙法の功徳、善の力で阿頼耶識にあるという宿業(悪業)が浄化し、善に転換されていくので
宿命転換の法、または罪障消滅とも呼ばれます。
法華経にお詳しい方なので釈迦に説法と思いますが、いざ話してみて認識の違いがわかることもありますね。 >>58
>無宗教の癖に『妙法』と軽々しく言ってすみません
いえいえ、どうぞお気軽に妙法とお呼びください。
私も法華経といったり妙法といったりします。
その独創的な論理を語る上でお気に障る点があるかもしれませんが、どうぞご容赦ください。
>妙法によって自分を高めていらっしゃる方なんですね
どうでしょうか、私はまだまだでしょう。
私も信仰心を抱くようになったのは、実はわりと最近なのです。
またこのような時代ですから文字によるやりとりは、学ぶことが多く意味を感じてはいます。
>もともと私はこの「宿命転換」という
>「語の多義性」と「概念の多様性」を感じていて何か一発スパーン!と
>心のするわざ、が自分を高めていけるのなら、宗教も良い物ですよね。
宿命転換もそうですが、私は心という言葉にも多義性を感じます。
深層心理のある層をさす場合もあり、七識(自我)や八識(業)および九識(阿摩羅識)という
仏界の次元まで含めて語られることもあります。
唯物論は、肉体の消滅によって何も残らないのですが、妙法では生死を超えた永遠性を説きます。
この三世の生命観から心、生命を捉えなおしていくことが、私の信仰心の萌芽ともなっています。 >>59
>有余依涅槃は身体が息をしている間のことで、
>其れが済み、無余依涅槃に至れば双六の上り下がりに一喜一憂する人生から解脱。
>これ法華経で説いてますか?説けないのでは?
ありがとうございます。以下、引用です。
有余依涅槃
小乗仏教では、煩悩を断ちつくしても、まだ肉体がよりどころとして残っていることをさし、
死によって無余涅槃に至るとし、これを灰身滅智という。
無余依涅槃
まだ肉体が存する阿羅漢の境地は肉体的苦痛が存するので不完全とみなし,
有余依涅槃と呼び,阿羅漢の死後を完全な涅槃とみて,無余依涅槃と称した。
これは法華経以前の解脱観です。
煩悩を絶つことはできませんし、十界互具、煩悩即菩提の妙法においては絶つ必要もありません。
僧侶が焼身自殺を図ったりするのは、このような誤った解脱観に由来するものです。
>宿命転換の上り、つまり双六に例えると終点の京の都が何か?
終点というより、三世を遊楽する絶対的幸福境涯と表現されます。
九界の生命、煩悩を絶つのではなく、仏界の傾向性を限りなく強くし、
ありのままの無作三身の生命、成仏の軌道を遊楽していくのが妙法の衆生所遊楽の成仏観です。 >>60
60さんが見てる世界と、私が感じてる世界があるのでしょう。
エホバはわかりませんが、法華経は万人の中に尊厳ある仏性をみとめ、ともに凡夫であるけれども
互いに切磋琢磨して磨いていこうという世界です。
僧侶や学者だけが法や教えを説くのではなく、妙法を学び弘める人はだれであれ尊い存在です。
また不軽菩薩がそうであったように、人を軽んじず、その人の仏性を信じ尊んでいくことが大切です。
これはとても難しいことです。
また誰もが同じ次元で信仰に取り組めるかというと、必ずしもそうではありませんし、
信心の厚薄や濃淡によって捉え方や活動の動機、レベルも様々です。 >>64 然しそれを実現した人いましたか?
教えて貰いたいですね、聴きに行きますよ。
説明のみで「お薬増やしておきますね」と言うセリフ無し。
これで誠実なんでしょうか? >>4
>釈尊が残した言葉にも「自灯明、法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)とあり、
本来は「法」をもって本尊とし帰依すべきであって仏像等ではないのです。
ここでいう法とは「真理、教え」の意味であり「存在」の意味ではありません。
このスローガンは釈尊個人に依存するな、私の発見した真理(縁起、空)や教えを拠り所にしなさいという意味です。それが結果的に自分を拠り所にすること、すなわち自立することになるわけです。
日蓮の頭の中にだけしかない妙法蓮華経というなの形而上的根本原質のことではありません。
>しかるに南無妙法蓮華経とは、一切衆生の心の根底にある仏界の生命であり、阿摩羅識ともいい
九識心王真如の都ともいいます。
唯識思想は中期大乗仏教期の弥勒・無著・世親が大成させた瑜伽行唯識学派の思想であり、法華経制作者たちの思想ではありません。法華経には一言も唯識の言及はありません。 >>5
>法華経ほど大慈悲にあふれ、優れた論理を備え、過去の宿縁及び経緯を説明し、
一切衆生に成仏の道を開く、時空を超えたダイナミックな経典はありません。
ちゃんといろんな経典読みました?中期大乗経典、すなわち如来蔵思想経典や、純密経典でも書かれていることです。 >>6
自我にも小我と、潜在化された大我があります。
意識、無意識という心層の中の、自我(末那識)や業(阿頼耶識)の奥底に阿摩羅識という
仏の生命があります。
阿摩羅識は識なだけであって生命という概念ではありません。
>これが己心の御本尊であり、南無妙法蓮華経の生命です。
したがって妙法の本尊に帰命し、お題目を唱えることで仏界の生命が涌現します。
この善の力で八識(阿頼耶識)にある宿業が浄化され、転換されていくのです。
は「自灯明、法灯明」(自らを依り所とし、法を依り所とせよ)といってます。
これは自身の生命の中に法があるということです。
貴方の中にも妙法の生命があり、お題目を唱えることで仏界の生命を顕していけます
あなたの言ってることは梵我一如、ウパニシャッドではないですか?仏教はウパニシャッドを説くものではありませんよ。釈尊以前からウパニシャッドは流布されていた思想で、ウパニシャッドを説く沙門は多数いました。
しかし、釈尊は梵も我も実体、自性がないと見極めるました。何故ならば全てが縁起していると深く知覚したからです。そのような形而上的概念から離れ、現実、ものの起こり論理的科学的に明らかに見極める、つまり諦めることが重要であると説きました。それが四聖諦です。そして諦めるためには修行をしなさいと。
なので釈尊がウパニシャッドを説くことはありません。 てか縁起をどうにか思うようにコントロールできたら、最強だよな。世俗的な憂いはほぼ無くなる。 >>8
>918
>法華経は、釈迦滅後数百年経ってから作られたニセ経典。
全ての仏典は数百年経って作られたもので、原始仏典も例外ではありません。
法華経こそ仏意をあらわした真実の経典です。
920
>日蓮は法華経とは、「釈迦が真実を説き残すお経」と信じた人物。
>だが然し、此れが「間違いなのだ」と認めたくない人たちが居るのです
間違いという根拠は何もありません。
法華経こそが仏の真意をあらわした普遍的な経典です。
素直に認めて、お題目を唱えてみてはいかがでしょう。
釈尊自身が書いたものは一つもありません。全ての経典は「如是我問」の言葉から始まってえいます。
すなわち釈尊自身が書いたものではなく、あくまで弟子たちが「こんなこと言ってたよなー」って思い出しながら書いたものです。
であるならばどの経典も本当に本当のところは釈尊が実際に語っていたかどうかは分からないわけです。
あなたもそれを認めている。にもかかわらずなぜ「法華経こそ仏意をあらわした真実の経典です」と言いきるのでしょうか?矛盾してますよ。どこに根拠があるのですか?
根拠をしめさないものを誰も認めはしませんよ。
あなたは「自灯明、法灯明」「依法不二人」の言葉は知ってても意味も分からず、実践もしておられない。
釈尊という人を拠り所にしていてて、教えそのものを拠り所にしていない。釈尊が法華経を語っていなければ価値がないと思い込んでいる。それは人を見て、法華経の教えそのものを見ていないからです。
法華経を釈尊が語ってなかろうが、法華経書いた人たちのメッセージをあなたがどう思い、どう価値を感じ、修行、成仏のために役にたつかが重要なのです。それが依法不依人です。 やかましいわい、それなら池田ガァー、勲章もらったー、通りの名前がぁー、とか新聞に載せるなw >>65
>これはとても難しいことです。
>また誰もが同じ次元で信仰に取り組めるかというと、必ずしもそうではありませんし、
>信心の厚薄や濃淡によって捉え方や活動の動機、レベルも様々です。
ありがとうございます。
ここは、全く同じ感じ方をしております。
他の方と較べて(仏教的には較べるという分別はご法度ですけど)
正直な意見を聞かせていただきました。 >>66
>>>64 然しそれを実現した人いましたか?
私は>>64さんではありませんが
大乗仏教と言うのは
何をしたか?
では無く
何の為にしたか?
の方が大切なのでは? >>70
>てか縁起をどうにか思うようにコントロールできたら、最強だよな。世俗的な憂いはほぼ無くなる。
凄く難しい問題になってしまうんですよね。人間にとって。
認知心理や行動心理的に分析する人も、いますし
また哲学ではカント・ウィトゲンシュタイン・ハイデッカー・サルトル辺りの
実存主義から現在には論理演算としてのグレゴリー・チャイティンや
シオランや
新実在論(世界は何故、存在しないのか?の著者)マルクス・ガブリエルまで
今でも続いていますね。その探求は。 >>70
>てか縁起をどうにか思うようにコントロールできたら、最強だよな。世俗的な憂いはほぼ無くなる。
今、考えたんだけど縁起の前に実存が先立つのか?
それとも実存の前に縁起が先立つのか?
を考えようとすると、その考えること自体が言語化を要求する。
その言語化された部品を例えば様々な野菜と考えると
「カレーは野菜である」という様な不純物的展開が沸き起こり
そこに飢えた魚の様に食いついて来る、人間が出現するという問題も大きいと思う。 仏同士しか認知できない問題
あなたと私、もしかしたら三者は必要ではないのかも また日蓮を立ち上げたのか(笑)
よくもまあ、無明の人間達が偉そうに日蓮を誹謗してるもんだわ
>>72 さんの仰る通り!
釈迦は文字を残さなかっただけで、「法」を残した。
文字を残しても後世で捏造されて来た現実を理解出来ていない。
釈迦は道理を思想として説いた訳だから、根源の法は変わらなくとも時代に合わせてアップデートは必要だね。
>>72 さんアホに関わらん方がええかもよ >>45
折伏機械の人はもう単なるレス乞食(荒らし)になってる、スレ住人の完スルーが試されてる
>>47 >>49
聞いても時間の無駄
折伏の人はそもそも語る自分を持ってない組織信仰の人
マニュアル通りの答えしか返ってこないのと、自分が無いのは、相補的な構造(裏表一体)になってる
つまり組織と自分が同一化してるわけね、だから自分を語るのと組織を語ることの区別が最初から無い
結果、聞けば聞くほどどんどんロボット的答えしか返ってこない 折伏(布教)機械みたいな人は、典型的な組織信仰の人
組織信仰の人は誰にも強制されずに自分で考えてる(と思ってる)、だから組織信仰はなかなか解けない
組織信仰の人はまず自分が正しい組織に属してると確信するところから出発する
(この確信が「学会正義」、この時点で既に自分と組織の一体化に向かってる)
そしてその正しさを理によっても担保しようと考え、或いは奨励され教学を学ぶ
そこには組織の教義の正しさが書いてあり組織の正しさを理によっても実感する
(理自体の正しさとかでは無く、あくまで組織の正しさを学んでることに注意)
実感はますます自分と組織の一体感を高め、それが自分の実存の理由にまでなる
要するに、組織の正しさがこそが自分の実存(信仰)理由の全てになってるわけ
だからそういう人に「自分」を聞いても、組織の正しさしか答えは返ってこない
そこには組織の正しさの証明(プロパガンダ)以外の内容は最初から存在しない
これが「学会正義」の正体で、何が正しいのかという本質的な定義は存在しない
学会は学会だから無条件に正義、その学会正義を皆で共有するのが「学会家族」 >>53
宿命転換を一般的な言葉を使って一言で言えば現世利益
目指す利益の具体的内容なんて聞いても、各人異なってて当たり前
あと、相手の人の教学のレベルは学会内の教学試験なら見事に満点
しかし何を聞かれても模範解答以外に返せないので、組織信仰の人だと分かる
組織公式以外の答えを期待できない時点で、俺は全く興味を失った >>59
横だけど
法華経の真髄とかいう九界即仏界・仏界即九界が理解していないのでは?
法華経では九界以外に仏界は無い、だから九界輪廻がそのまま仏界になる
人間は九界輪廻するしかなく、それを悟って生きるのが成仏(即身成仏)
双六の上り下がりに一喜一憂する人生がそのまま仏界で涅槃も解脱も無い
つまりゴールとしての仏界というものは存在しない、これが法華経の結論 >>60
エホバはガチの終末論カルト
聖書解釈で異論が出て宗派乱立するのは個々人が自分で解釈するせい
そう考えて、聖書の解釈そのものを最初から否定した実に面白い宗教
完成されたFAQマニュアルを使って思考停止の訓練に励む(要は洗脳)
今まで終末の時を何度も設定して毎回外れてるが
思考(解釈)は絶対悪だから疑問に思わない人達
思考しないので外れは無かったことになるわけね >>75 大乗仏教の眼目は貴方の論に従うと
評論家止まりですね、後付けの論を垂れ流すなら誰でも語れる。
仏教はなあなあの他人事で済ませ、生涯安楽で居られるでしょう
然しこれは、囲い込まれた羊の安息じゃないですか?
話は飛びます、思い出した事ですが、
相撲取りに応援を直接する方々、谷町とかで熱狂的になる人も居ます。
この人たちの心理のうち、相撲取りの人格、見識に触れて感動し応援しているか?
そうじゃないですね、まだ若い力自慢二十代の若者です。
では何が応援者を駆り立てて贔屓にさせるか?
つまり「昇進する勢いに憧れて金銭迄をも出して応援する」
出世する関取の勢いが人を引き付けるのです。
此れは一つの例ですが、創価学会が著しく伸張した当時、物凄い勢いで信者が増加
したものです。
其の入信者が何に魅かれたか?言うならば、その教義と寺ではなくて
創価学会と池田大作氏の「勢い」なのです。
此の文を読んだ方の、実直なる感想お聞かせください。
そうかぁ〜ありゃ「勢い任せ」かよ 程度で結構でございます >>84
>エホバはガチの終末論カルト
私はエホバそのものを批判はしません。
信教の自由です。
ただエホバ二世の方が書いた本やロフトプラスワンでの著者のトークライブを聞いて
本人、母親は信心で幸せかもしれないけど、子供に対する実質虐待行為も
信心を試す行だと考えて、児童虐待を正当化する家庭に疑義を持っているだけです。
なので
これがエホバ「だけ」を指すものでもなく
宗教にのめり込む家庭や
親の信条を子供に刷り込もうとする(たとえば、人間は苦しめば苦しむほど良い。それは一面正しいかもしれないが、不必要な苦しみは要らないのに、その必然性の無い苦労を賞賛するバカ親とか)
どの宗教でも、入信した本人の信教は誰も否定はしないけど
自分の宗教的心情を周りに、特に家族に強制する、社会病理の存在について語ったのですよ。
自分一人で、家族に迷惑をかけず、隣近所に迷惑をかけず
一人で信仰生活をしているエホバの方もいるはずなので
そういう方の信心は否定出来る物ではありません。
これは創価学会でも日蓮正宗でも日蓮宗でも全てがその様な接し方をしないと
起動するのは言葉の自動機械(ネトウヨの発言の様な)でしか無いという事です。 一人で信仰は矛盾してるかもね
まず、どのように入信したか?
どういう信仰の指導があるのか?
いくら一人で信仰してるって言っても、必ず身分証明と手続きしなきゃいけないから、もし入信してますって言っても、この人誰?ってなるよ
とある学校でも、すり替え入学で身元がばれたでしょ
人付き合いが苦手で孤独がいい人ならインターネット講座で月額数万くらいのやつ
少なくとも社会に出てある程度稼げる人じゃないと社交性は皆無なわけで、そんなのが入信するわけない
ましてや金もない
本当に孤独なのがネットサーフィンで仕入れた知識を5ちゃんねるで知識を自慢するはよくある話 >>72
>法華経を釈尊が語ってなかろうが、法華経書いた人たちのメッセージをあなたがどう思い、どう価値を感じ、修行、成仏のために役にたつかが重要なのです。それが依法不依人です。
そこなんですよね。毎回感じるのは、この法華経プロジェクトって
どういうメンバーで作劇したのだろう?と驚きます。
少なくとも成立までの250年の文化的・社会的な修辞や表現(ナラティブ)もあるだろうし
構成の加筆部分や、鳩摩羅什のクライアントは姚興で、どの様な理由で
竺法護と鳩摩羅什で解釈が違うのか?など
様々な問題を抱えた文学ですが、マーベルの様に一人の作家が作った物でなく
共同プロジェクトとしての作品(法華経)にしては
全く、ブレを感じないし、叙述トリックやドンデン返しなど
上手に使って、書かれていますよね。
何故、そういう人達ばかりが集まって法華経を作りあげたんだろう?
多くのクリエイターが自分のリエイティビティを表す媒体として法華経を作ったのかな? 生老病死
喜怒哀楽
を乗り越えて皆等しく幸せに
釈尊の教えの基本だよ
人の心の作用で出来ているから法華経
言葉に仏様としての感情がこもってるから、言葉に反応出来るんだよね
色々な人と対面してコミュニケーションするって事を日頃からやってたら分かるし、法華経もすぐ分かると思うんだけど...
研究でも笑顔=smileという言葉の反応を見て、笑顔で反応する人もいれば、剣幕立ててムスっとする人もいる
心から努力してきたか、してこなかったの違い
楽しくやってきた人と、嫌々ながらしてきたか人の違い
だから法華経に出会えて心から歓喜出来たから法華経が正しく伝わった
逆に敵対心を持つ人が正しく伝えるとは思えない
疑い深い人とか無理でしょ、歓喜を理解してないんだから
いっちゃ悪いけど何処か心が欠けてる
もちろん喜怒哀楽は必要だけどね >>89 貴君の文章は、少女趣味風ですなぁ。
三島由紀夫先生の文章読本を読まれて参考にすべきでしょう。
谷崎潤一郎も尚宜しいのですが、伊藤整氏も湿度が低くて宜しいですぞ、
多分ですが大の男が、雰囲気だけで法華経を愛してますと告白風に
述べる、誠に嫌らしい不潔感が漂います。
人間が居ますとか、そんな創価学会コマーシャルを何となくを記憶していた事までも
思いださせる 89氏は暑苦しくないのですか? ネオ方便品第1Q84
A・これこれの理由で俺が不遇なのは社会が悪い
B・ちげーよ!だから俺が言いたいのは、お前が社会のせいにして自分で努力しないのがダメだって言ってんだよ!
A・じゃあ社会は悪く無いんですか?なら「これこれの理由」の部分に反論して下さい!
B・ちげーよ!だから俺はお前がここで社会批判しいるだけなのが気に入らないって言ってんだよ!
『言語分析』
Aが思い描いている論題は「俺が不遇なのは社会が悪いからか?否か?」
Bが思い描いているのは「この議論にメリットが有るか?無いか?」
対話無き、会話。 ネオ方便品 ready player 1
「素直じゃないな」 「もっと素直になれよ」と語る人は
まさに「何が素直か?」を議論しない事を目論んでいる。
なぜなら、それについてあれこれ議論する事。そのこと自体が
素直じゃ無いからです。 なんか上面しか知らない連中がさも自分が知ってる様な投稿してること自体が哀れだな
日蓮を批判するなら日蓮と同じ法難に遭い乗り越えてから言ってくれ
それから話を聞くわ
ただの便所の落書きは軽犯罪にしかならんぞ >>66
>然しそれを実現した人いましたか?
>教えて貰いたいですね、聴きに行きますよ。
ありがとうございます。たくさんいます。
48にも書きましたが、YOUTUBE、STB(学会内部のビデオ)、新聞、書籍など
多くの体験談がありますのでぜひ視聴されてください。
お知り合いに学会員がいらっしゃれば、近くの学会の文化会館へ行き同時中継に
参加されてください。一応入場券(無料)が必要になっていますので。
最近はコロナの関係で開催されていませんでしたが、海外のメンバーの
素晴らしい体験を聴く機会がとても多いです。
私もそれを聞くたびに勇気づけられますし感動してます。
その一つ一つが宿命転換、衆生所遊楽の姿であり学会の宝です。
興味本位で一度だけ見たい、または気が向いた時だけ見たい、でも全然構いません。
きっと喜んで連れて行って下さるでしょう。
もしかしたら52さんのように出版物や新聞をプレゼントされるかもしれません。 >>67
ありがとうございます。
>ここでいう法とは「真理、教え」の意味であり「存在」の意味ではありません。
>このスローガンは釈尊個人に依存するな、私の発見した真理(縁起、空)や教えを拠り所にしなさい
まず、前スレの方の“「仏」と「経」のいずれを本尊にすべきか?”
とのお尋ねに対しての返答したものであり、本尊とすべきは、如来像や仏菩薩像(仏)ではなく
妙法蓮華経(法)を本尊とすべきと日蓮大聖人が仰せであると書きました。
また依法不依人ともありますが、法とは目に見える現象世界としての存在ではない
というのはその通りですし、縁起や空の思想もそれを本尊にするのは誤りです。
法華経にも因縁、空は度々でてきますが初転法輪で説かれた最初期の教えです。
法華経に至って「諸法実相」つまり森羅万象(諸法、存在、現象世界)は、
妙法蓮華経という実相の姿であり、一切衆生の生命に存する仏界の生命であることが明かされました。
これら諸法実相および久遠実成は、法華経以前には説かれなかった教えであるため、
開三顕一(三乗を開いて一仏乗を顕す)、開近顕遠(近きを開いて遠きを顕す)ともいいます。
また「自灯明、法灯明」は涅槃経の言葉ですが、同経には「一切衆生悉有仏性」ともあります。
したがってこの言葉は自身に具わる仏性、根源の法である妙法蓮華経の生命をさしているのです。
仏法は決して空しさや空虚さを伝える教えではなく、人々の生命の歓喜を湧躍させる法なのです。 >>67
>日蓮の頭の中にだけしかない妙法蓮華経というなの形而上的根本原質のことではありません。
法華経は諸経の王であり、仏教を学びながらそのように法華経を否定してることがおかしいのです。
南無妙法蓮華経は万人の生命に具わる尊極の仏性であり、本尊とすべき法です。
妙法蓮華経は一切衆生の中にあります、67さんの中にもある尊極の生命です。
>>唯識思想は中期大乗仏教期の弥勒・無著・世親が大成させた瑜伽行唯識学派の思想であり、
>法華経制作者たちの思想ではありません。法華経には一言も唯識の言及はありません。
阿摩羅識、九識を立てたのは天台ですが、生命に具わる仏性(如来蔵思想)を前提に
論を展開したものです。人々を仏の境涯にしようという仏法の本来の目的に立ったものです。
これに対して唯識論は空思想を前提にしており八識までしか説いておらず、
根本の妙法(九識、仏界、阿摩羅識)をあらわしてないのですよ。
肝心要の仏法の真髄が開顕されてないのです。
我々の生命に仏性などないというのは、仏性、如来蔵の否定であり、生命の可能性の否定です。 >>69
>阿摩羅識は識なだけであって生命という概念ではありません。
識というのは、すべて生命をあらわしてるのですよ。
眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識、阿頼耶識、阿摩羅識
阿摩羅識が仏性や実相と呼ばれる根本法であり、南無妙法蓮華経の生命なのです。
>あなたの言ってることは梵我一如、ウパニシャッドではないですか?
梵我一如、ウパニシャッド哲学では輪廻の環から外れる解脱観ですね。
完全な涅槃の境地に入り二度と苦悩することはないというものだと思います。
これに対して妙法では、煩悩をもつ凡夫の身のまま、三世を遊楽する生命観、成仏観です。
生死生死とめぐりながら、生あるものとして苦悩や困難がつきまとうのですが、
妙法の生命力と智慧によってそれらを乗り越え、自らを輝かせようとする生き方です。
>釈尊は梵も我も実体、自性がないと見極めるました。
>何故ならば全てが縁起していると深く知覚したからです。
>そのような形而上的概念から離れ、現実、ものの起こり論理的科学的に明らかに見極める、
>つまり諦めることが重要であると説きました。それが四聖諦です。
仏法は形而下だけの思想ではありません。
少なくとも生まれ変わり、輪廻、業をみとめておりこれらは形而上の問題です。
法華経では三世に法を説き、功徳を積みながら寿命を延ばす仏の姿がえがかれています。
全てが縁起しているのですが、それら森羅万象を生じさせる根源の法があるのであり、
それを妙法と呼んでいるのです。 >>72
>どの経典も本当に本当のところは釈尊が実際に語っていたかどうかは分からないわけです。
>あなたもそれを認めている。にもかかわらずなぜ「法華経こそ仏意をあらわした真実の経典です」
>と言いきるのでしょうか?矛盾してますよ。どこに根拠があるのですか?
ありがとうございます。
「法華経こそ仏意をあらわした真実の経典です」というのは私の信念をあらわした言葉です。
>根拠をしめさないものを誰も認めはしませんよ。
厳密な意味での根拠というと、原始仏典でさえも正確にあらわしているとはいえません。
釈尊が正確に何を語ったかを歴史的事実として証明することはできません。
したがって原始仏典のみが釈尊によって語られた真実の教えであり、
遅れて経典化した大乗や法華経は仏説ではないと言い切ることはできません。
私も最初期の段階では原始仏教的な教えが説かれたのだろうと思ってますが、
その中にも教えの相違や矛盾があり、例えば会釈という言葉もこの経典内の矛盾を解決
しようとしたことに由来するものです。
また最初期に教えを説いたのちに大乗、法華経の萌芽となるような教えが説かれなかった
ともいえないと思ってます。
さらに仏とは、歴史上の釈尊一人をさすのではなく、万人が仏となる可能性があるのであり、
後代の弟子が伝え聞いた教えを、仏の境涯で書き表したものともとらえられるわけです。
そもそも仏法とは何を説き表そうとした教えなのか、
対立する経典間で、人類益に資する普遍的な教えとはいかなる法であるのか、
このような観点から真実の仏法というものが洞察され、教相判釈、実証されていくべきと考えます。
こう考えた時に、まず原始仏教の中心的な思想である、欲や煩悩を滅するという思想や
無数の戒律を守り、何も欲しない境地に至ろうという思想は、普遍性を全く感じないのです。
文明の進んだあらゆる国や地域において、広く民衆に受容される思想とは到底言えません。 >>72
続きです。
原始仏典も大乗も法華経も長らく口伝で伝えられてきたのですが、
そこには何らかの主観や解釈あるいは誤解や曲解などが介在してるはずです。
結集にはじまり、暗唱のみで数百年伝えた教えが本当に仏典に正確にあらわされているかは、
伝承に携わった人々が釈尊の真意を正確に読み取っていたかという問題とも大きく関わります。
また釈尊が最初から完全な覚りに達していたのか、それとも段階的により高次な覚りを得て
変遷したのか、それぞれの教えを誰がどの段階で聞いたのか、などとも関係します。
十大弟子においても少なからず理解の差があり、第一結集の際に最も長年釈尊に侍従して
教えを聞いたアーナンダ(阿難、多聞第一)は、座長であるマハーカッサパ(迦葉)により、
「お前はまだ阿羅漢の覚りを得ていない」といわれたそうです。
結果的に結集の朝にさとりを得て参加したというのですが、
“多聞第一の阿難をさしおいて、他の五百人の阿羅漢がすでに阿難以上にさとりを得ていた”
などということがあり得るでしょうか?
迦葉は、元々はバラモンの名家出身だったのですが、出家してからは頭陀第一といわれ、
乞食行に腐心していました。
すなわち衣食等の所有は、最低限にすべきという強い清貧思想の持ち主で、
例えば、落ちてるものをよく拾って食べたりしてたそうです。
また阿難がいくつかの戒律を釈尊に尋ね忘れたことを迦葉は強く咎めていることから
厳格な戒律主義の人物でもあったと思われます。
私は優れた法というのは、多くの戒律で人間の自然な感情や欲求を縛るような
他律的なものではないと思ってます。
このような在家に広く開かれているとはいえない出家主義、戒律主義、禁欲主義的解釈が
結集時の合意形成や、のちの経典化、部派仏教に与えた影響は少なくないだろうと思うのです。 >>72
>根拠をしめさないものを誰も認めはしませんよ。
SGIは世界192か国地域に広がりを見せております。
>あなたは「自灯明、法灯明」「依法不二人」の言葉は知ってても意味も分からず、
>実践もしておられない。
その解釈については前述したとおりです。
私はそれを妙法と捉え実践しています。
>釈尊という人を拠り所にしていてて、教えそのものを拠り所にしていない。
私の本尊は南無妙法蓮華経であり、日蓮大聖人の御書や法華経を学び、こうして語ってもいますよ。 >>75
>大乗仏教と言うのは何をしたか?
>では無く
>何の為にしたか?
>の方が大切なのでは?
「何のために」という目的観が大事ですよね。
池田SGI会長もよくこのことを強調されます。
法華経方便品には、
釈尊がこの世に出生した目的は“衆生の仏知見を開くため”(一大事因縁)、
ということが明確に示されます。
いかなる人にとっても実践可能であり、一切衆生に成仏の道が開かれた精神、教えこそ
真に優れた法であり、時代や国を超えて広く受容されていくものと考えます。 >>80
>折伏機械の人はもう単なるレス乞食(荒らし)
>そもそも語る自分を持ってない組織信仰の人
もはや討論ではなくただの全否定、人格否定ですね。
ここは日蓮スレであって自分語りをするところではないと思いますが。
>>82
>宿命転換を一般的な言葉を使って一言で言えば現世利益
現世利益=功徳、福運
そうです、妙法を実践する功徳はとても大きいのです。
>>89
貴方はどんな仕打ちや局面に遭っても笑顔で対応できる素晴らしい方なんでしょうね。
どうぞ正しく歓喜の法華経を伝えていかれますよう心から願います! 身延山 久遠寺の紹介
https://youtu.be/cstYcahf8zY
今年の春に身延山久遠寺に行って参りました。
身延山久遠寺の本堂の御本尊は十界曼荼羅に描かれた諸仏、諸菩薩、諸天善神を
仏像に置き換えて表現しております。
その世界観に圧倒されました。
皆様も機会があれば久遠寺にお出かけになってはいかがでしょうか。 今年は日蓮大聖人降誕800年の年です。
日蓮聖人降誕800年慶讃大法要の模様の動画のURLを紹介しておきます。
https://youtu.be/9uUWM8TiUX0
コロナ禍の為、ZOOMを使っての法要となった様です。 >>103
補足です。
動画のup主と自分は無関係です。
身延山を判りやすく解説しているなと思い、紹介させていただきました。 >>104
この法要の際、御仏前に現代画が置かれていますが、これは天野喜孝氏が
描いた法華経画です。
以前にも紹介したかと思いますが、再度下記のURLを紹介させていただきます。
「ファイナルファンタジー」の天野喜孝が描く法華経画
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFG1677S0W1A210C2000000/
この世界観は私は好きですね。 >>95
>まず、前スレの方の“「仏」と「経」のいずれを本尊にすべきか?”
とのお尋ねに対しての返答したものであり、本尊とすべきは、如来像や仏菩薩像(仏)ではなく
妙法蓮華経(法)を本尊とすべきと日蓮大聖人が仰せであると書きました。
まず元々、仏教には固有の対象物に優先的に意識を向けるという教えはありません。
しかしながら純密経典ではこのような固有の対象物に一心に意識を向ける修行があります。バクティヨーガです。これを漢訳すると本尊瑜伽と呼びます。一心に意識を向ける対象を本尊と言う訳です。
純密では「方便を究竟とす」という考えのもとから、それまでの仏教の伝統にはなかった修行法を取り入れていきました。
ここでまず大事なことは、「方便」とは「仮の教え」という意味で創価学会では訳されますが、仮の教えとは狭義の意味でしかなく、正確に訳すなら「目的のために利用する便利の手段。手立て、便利な方法」の意味です。
方便は原語サンスクリット語ではupāyaで、英語で言えばconvenient method や convenient way、useful method,useful way といったところの意味になります。
密教では、バクティヨーガ、マントラヨーガ、ホーマ、すなわち護摩行、曼陀羅などの修行法を取り入れていきました。これらは全て方便であって、六波羅密をしっかり修行し、そしてオプションとして提示されている修行法です。
本尊とはその便利な方法の一つとしての役割であって、バクティヨーガを実践する時に仮に立てるものであって、本尊はあろうがなかろうが個人の自由です。バクティヨーガをやる修行者だけが持つものです。
しかし、その本尊を絶対のものとして想定してしまえば、もはや仏教ではありません。密教もそれ以前の大乗経典と同じく「空」を説いています。「空」をしっかりと理解し押さえた上で本尊瑜伽をしなければ、あなたのように勘違いした本尊観、偶像崇拝の対象としての本尊を定義してしまいます。 >>83
いいとこまで行ってるけど、ちょっと違うかなぁ。
まぁ分かれば、なんで経典に南無する唱題をするのかの意味がわかるよ。
教えないよーん。いろんな面で精一杯精進すると多分気がつく。
一回仏教とか宗教団体とかから頭離してから、いろいろ頑張ってみろ、たぶん気がつくよ。 >>85
勢いちゃ勢いだけど、ペテンの風が吹き荒れてそうかに罹患する人多発って感じやなw >>95
また依法不依人ともありますが、法とは目に見える現象世界としての存在ではない
というのはその通りですし、
何度も言いますがここの「法」は真理に基づく教えであって「存在」の意味ではありません。目に見ようが見えなかろうがという意味ではありません。酸素は目に見えませんが、酸素は存在ですよね。重力や電磁気は目に見えませんが存在ですよね。
目には見えないけど存在するものが「法」ではないのです。
縁起や空の思想もそれを本尊にするのは誤りです。
意味がわかりません。縁起や空を本尊にするってなんぞや?縁起は空はあるがままのこの世界の実相を端的に表した言葉であって根本尊敬しようがしなかろうが、理解し明らかに見極めることが大切なのです。
>法華経にも因縁、空は度々でてきますが初転法輪で説かれた最初期の教えです。
法華経にも度々出てくるのはなぜでしょう。それは仏教の根本の教えだからです。
大乗の涅槃経も空が論じられています。初転法輪から死の間際まで一貫しています。
>法華経に至って「諸法実相」つまり森羅万象(諸法、存在、現象世界)は、
妙法蓮華経という実相の姿であり、一切衆生の生命に存する仏界の生命であることが明かされました。
違います。「諸法実相」は「諸々の存在の本当のありかた」のことで、以下、十如是で表される状態である、と説明している訳です。
この十如是はサンスクリット原本ではない部分であり、鳩摩羅什の意訳、もしくは補足で付け足した部分と考ええられますう。
これは龍樹の「大智渡論」に十如是とほぼ同じ記述があり、鳩摩羅什が補足するために転用したと考えられます。「大智度論」は般若経典の論書であり、空について論じているのです。
鳩摩羅什は龍樹の中観派の僧で、中国で格義仏教として誤って広まった空解釈を是正するために、積極的に経典に龍樹の言葉を入れていったのかもしれません。(大智度論は実際は龍樹が書いたものではなく
鳩摩羅什が書いたのではないかとする説が最近では優勢 )
この十如是は本来、空で諸々ある存在が、我々人間が仮に自性を持った存在かのように認知するカラクリを説明しているものです。 >>90
>>89はたぶんたまに女の子のフリして工作するそうかネカマもやる工作員だと思うぜ。
ついついネカマ時の雰囲気が少し出て心情で書いてしまってるのさ。 盛り上がってるネ!
なんでもいいけどさ、世間一般の人、特に今のIT時代に生きる人達にわかる話をしないとさ
中国仏教を語っても誰も聞く耳持たんと思うよ
科学的にもなるほど!と思う話をしてやらんと単なる仏教好きのオヤジの自慢話で終わる
だから、大変なんだ >>93
それは極論過ぎるな。
お前の言う論に当てはまれば、サツ人犯の裁判はサツ人経験者でないとできなくなるってことだぞ。 >>112
いやでスゥー、わかりやすく若造に親切に教える気なんかありませんー。
ちったあ苦労して自分で知識拾ってこいよ、って感じですー。
金くれるならレクチャーしますーw 日蓮氏は、少年時に漁村を回る勧進聖の目に留まり房総の天台寺院に入る
其の寺で沙弥として雑務を行い、朝課勤行、一般教養を身に着け朝課
此処迄は、同期生と同じであったが、ある時期から(多分15歳くらいか)
同室、同年代の者たちが、四度加行過程を行じ始めるのだが、日蓮は入壇加行に
加えて貰えない。
理由は普段の素行ではなく、加行の経費負担をしてくれる実家が無いからだ。
日蓮の目前で同室の僧は次々に過程を習得し、阿闍梨様の地位を得て正式得度を経る。
こうなると、日蓮と同期生の差は現代で言うなら中卒と国立大学院生ほどの差が生じる。
この期に及んで日蓮は、この寺での開運と出世を断念し出奔をした。 >>115続き
天台宗の威儀と言うものは、厳重な様式を維持するもので耳学問ながら紹介する
重要な法会で高僧が身に纏う袈裟衣の下の衣装は、公家装束である。
此れが文化と言うもので、動かしがたい目方を産む。
天台の阿闍梨ともなれば公家の位に匹敵する権を得る故、世間往来の通行手形を持つと等しい身分に
昇格すると思えば宜しい。
中世人の日蓮が指を銜えて、羨んだ同僚の出世と昇格は全て彼らの実家の援助と思ったか?
物凄い悔しさは、こうやって説明を聴けば凡そ理解できるだろう。 >>116
釈迦の説い平等思想とは真逆な考えだなw
釈迦は「人の貴賤は生まれや身分では無く、何をしたかで決まる」と説いている
ただ、単に他人を見ては自分より劣ってると喜んでいる卑しい畜生界にしか思えんわ 日蓮大聖人は本仏であられる御方だから平等思想と相容れないなぁ
釈迦より偉いんだー >>118
オマエは創価だろw
創価狂学だとそうなる
神や仏なんぞおらんのよw
世間様に言ったらアホだと思われるぞ 石原慎太郎・訳の法華経を読まれた方はいますか?
かなりアップデートした解釈の様でもあり
実証性がある言語論理なのか分からない感じでもあるのですが
石原慎太郎は法華経を、こう解釈してるんだ。という部分で興味深いですよ。
石原慎太郎の法華経は、漫画好きの人なら分かると思うけどworld is mine や AKIRA の様な
サイバー・パンク感を私は感じました。
極端に言うとSFスペース・オペラ感があるんですよね。
前から思っていたのですが映画マトリックス三部作って内容的には法華経ですよね。 映画「マトリックス」でのポイントは”選択”だ。
我々は一瞬一瞬のうちに何かを選択し、そしてその結果、現在の自分がある。 「大日如来(梵:マハーヴァイローチャナ)」は大乗仏教(密教)の尊格。
真言宗の本尊。
大乗仏教が発展していく中で古代インド神話やヴェーダ、漢字圏の陰陽思想を巻き込みつつ成立していった密教(秘密仏教)の最高位の仏である。
我が国には弘法大師により齎されたが、他ならぬ弘法大師自身が結縁灌頂を結んだ仏でもある。
古代の太陽神信仰を源流とするとされる尊格であり、仏法の示す“宇宙”その物であるとされる事から法身仏と呼ばれる。
このため、SF的に云えば太陽神どころか宇宙神と呼べる存在であり、思想的にはそれをも越えた概念であると云える。
華厳経の主であり、根源仏(※智慧の光により釈迦を生み出した仏)として考え出された(毘)盧遮那仏(奈良の大仏として有名)の概念を更に発展させた存在と考えられているが、
大日如来へと繋がる系譜は仏教の黎明期より存在しているとの説もある。 このスレは、真面目に個人的見解を語ってくれて、勉強になる事も在るのですが
それに対する様に論題がズレて、または意図的にずれてしまって、または元々言語論理に弱い人が
「物事は喩え(方便)でしか伝わらないというのも事実である。」
それを理解して親切に語っているいる善き人に対して
まるで喧嘩をしているように、共感できる知識も能力もないことで
病的になる事は、ただの匿名掲示板の上だから「別によいんだけど」
なんで「愉悦を感じたいのだろう?」 ただの匿名掲示板の上なのに
こういうのはネット上だけだよ。こういう人達「他者攻撃行動原理」と「共感の過食症」が
見れるのはネット上だけだよ。と良く言われるが
こちらもバカじゃ無い。しっかり社会人として働き納税をし、指導されたり叱責を受けたり
やがて指導する側に回り、部下の今後の為にもビジネスの常識を叱責しながら叩き込む。
そして多くの若い社員を指導、教育、自治を任される様になっても、それでもまだ
自分が所属する会社・法人そのものから雇われる立場であり、評価される側の立場である。
そんな厳しいビジネスの世界で育てられ、現在つらつら思いかえさば
このような形の「愉悦」を「感じる事」を望む人達が
どれほど多かったか。
あらためて、驚くにも驚き足りない。 宇宙の神羅万象一切は大日如来の働きであり、顕われであり、
大日如来から発し、大日如来に還るという事を
仮に諸仏諸菩薩・様々な仏で表わしたのが曼荼羅 >>117 私は、当時の社会情勢や生活水準、金融などを参考にして平易に説いて居ります。
鎌倉幕府が国民から支持を受けて、政権運営をするその基礎である人別、戸籍制度などは現代人の水準から見ても立派なものです。
第一次産業が国家の基礎で、当時のアジア諸国の中でこれ程整備している国は日本のみ
であろうと思われます。
さて貴方は何に対して非難されるか? >>118 遠いインドの釈尊よりも、我が朝の日蓮の方が身近に感じます。
そりゃその人のお気持ちである、其れだけの御話し。
因みに「日蓮大聖人は本佛なのである」という日寛さんの論を創価は引っ込めました。 >>127
私は聞きました。5年ほど前。創価学会の人達から創価学会の仏・本尊は学会員ひとりひとりなのだから、創価学会自体が仏である。
これからの信仰対象は日蓮でも無く法華経でも無く創価学会仏だと。教えられました。
また信濃町を全ての聖地とする事で池田大作氏を原田会長が創価学会自治として
池田大作氏の言質・言明を厳しくコントロールできる様にしそこから、古くからの池田大作氏へのコミットメントの強い学会員が
「悪いのは池田先生では無く、最高執行部だ!」と内部では分裂し始めたと教えていただきました。
私が個人的に公明党議員や創価大学教授だけから聞いた話なので真実は分からない。
というか、元々組織の構成もよく分かりませんが(せいぜい第一庶務局とか組織総局ぐらいの知識しかありません)
無宗教の私には明瞭なヴィジョンって見えませんけど教義変更とか会則変更で、新しい構造・ゲシュタルト・アルゴリズムを作り出せる宗教という部分で共感する物がありました。
一円相のように、筆を置いた点が始点であり、書き終わる点、元の始点で終わるところで
常に、今・ここ・主体を離れては仏法はあり得ないという解釈でよろしいでしょうか?
間違って欲しくは無いのですが
創価学会だけが共感出来るという話をしてる訳ではありません。
他の日蓮系、法華系の宗教団体でも、同じ様なアーキテクチャーが在るのかもしれませんね。
とりあえず、創価学会の攻撃レスが起こらないように、「たとえば」の例として他教団を示します。
日蓮宗・法華宗・国柱会・日蓮聖人門下連合・在家日蓮宗浄風会・立正佼成会・法華宗。
法本法華宗・日蓮宗不受不施派・日蓮本宗・日蓮正宗・顕正会・本門佛立宗。
霊友会・妙智会教団・仏所護念会・日本山妙法寺大僧伽・孝道教団。
などなど
これらの教団の信者さんで、(あくまで自身の団体以外の団体を批判する事無く)
大乗仏教についての、認識・コンセプションを教えていただきたいと切望します。
(また「貴方が未来完了形の推論で宗教に価値を見出しても僕には欺瞞にしか思えないね!」という無宗教者への批判もする事なく、私見・レジュメをお願いします) ん?外に出て自分の足で学びに行けばそれが最適解なんだが 摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)
サンスクリット語ではマハーヴァイローチャナ、すなわち「偉大な光照者」。空海の開いた真言宗において、最も重要なブッダです。
弘法大師(空海)によると、あらゆる宗教における神や悪魔は、すべて大日如来の現れであり、大日如来の身体は宇宙そのものだといいます。
同時に、1粒の微塵の中にも大日如来は存在すると考えられており、大日如来は、白蓮華に坐して瞑想を行っている姿で、マンダラの中心に描かれます。
大日如来は、真言密教において一切諸仏諸尊の根本仏として帰依し観想されている本尊です。
大日如来の名前は、大日の智恵の光が、昼と夜とで状態が変化する太陽の光とは比較にならないほど大きく、この世の全てのものに智恵の光をおよぼして、あまねく一切を照らし出し、
また慈悲の活動が活発で不滅永遠であるところから、特に太陽である「日」に「大」を加えて「大日」と名づけられています。 >>95
>これら諸法実相および久遠実成は、法華経以前には説かれなかった教えであるため、
諸法実相(諸々の存在の本当のあり方)は縁起(縁に依って起こっている)、空(無自性、無実体)と初期仏教から涅槃経まで何十年間説かれています。
久遠実成の釈尊は法身のメタファーであって、縁起されるこの世界、宇宙は無始無終であると初期仏教から説かれていることです。
何らかの始まりを想定してしまえば、その始まりは縁起に依らないで起こったことになります。仏教は因果を説きます。始まりがある、ということは始まりの原因がある訳で、その原因は始まりよりも過去にある訳です。その原因を作った原因も、その原因よりも過去にある訳です。
となるといつまでも始まりを求めることはできず、だから無始なのです。
そのようなこの世界のあり方、法を仏として譬喩的に表現したものが仏身です。
縁起、空そのもののメタファーなんですよ。
また「自灯明、法灯明」は涅槃経の言葉ですが、同経には「一切衆生悉有仏性」ともあります。
したがってこの言葉は自身に具わる仏性、根源の法である妙法蓮華経の生命をさしているのです。
なぜ涅槃経を持ち出して法華経に「仏性、根源の法である妙法蓮華経の生命をさしているのです」
と説明するのでしょうか。そんなに大事なことなら法華経自身に書けばいいじゃないですか?
>仏法は決して空しさや空虚さを伝える教えではなく、人々の生命の歓喜を湧躍させる法なのです。
あなたは「空」の意味をさっぱり分かっておられないようです。空という漢字のイメージに引っ張られて、誤訳してますよ。 なんでもええけど
そんな飲み屋での会話を今のIT時代の人に話して理解されるのか?
科学的に語らなければ単なる便所の落書きだわ
そこんとこ、宜しく! 阿頼耶識『あらやしき』
仏教の唯識説にいう第8番目の識。識とは純粋の精神作用をいう。
すべての存在は元来実体のないもので,「空」であるが,万有は「識」の顕現
したものにほかならないとする唯識説では,思量の働きをする末那識 (まなし
き) が,万有を生じる可能力から成る阿頼耶識を対象として我執を起すとする
。
阿頼耶識は万有を成立せしめる可能力をそなえているので,種子識 (しゅうじしき) ともいう。 引用先ぐらい書いた方がよくね?
どっから拾ってきたかで話が違うんだよなぁ >>132
>そんな飲み屋での会話を今のIT時代の人に話して理解されるのか?
>科学的に語らなければ単なる便所の落書きだわ
私も概ね、そういう意味で無宗教なのですが、それこそ論題の非共有を貴方は語っていますよ。
宗教というのは元々、論証出来得ぬ論拠を持ってコミットするものなので
言語論理学的に破綻しない話し方で語れるものでは無いのです。
で、問題なのは
ここを指して「宗教は意味が無い」という人が存在する事が問題なのです。
私もなぜ彼らが宗教に救いを求めるのか?価値を求めるのか?に興味をもっていました。
ここを探求しようとすると、それぞれの宗教の教義教条を語ってきたり
冊子を渡されたり、集会に誘われたりする事が多いのですが。
私は、それを望んでいません。
私が知りたいのは、それぞれ個人個人が自身の人生の文脈において
どういう価値として宗教を指示対象にしているか?
という行動原理です。
これなら、お判りですよね?
無宗教で在る事は、宗教を否定する事では無いのです。
宗教を否定するか?肯定するか?という共同性次元に全ての人を引きずり降ろさないで下さい。
宗教・信仰という現象をテクスト原理主義だけと安易に結論を出すのは早計です。
宗教を必要とする人は少なくとも一般的に言う精神の自立を持っていない人です。
でも、その状態になるまでの信者さんの人生の文脈は見えません。また教義を説明されても余計見えなくなってしまうのです。
だから、信者さんの言葉を聞きたいのです。宗教団体や教学を聞きたい訳ではありません。 >>132
例えば踏切でスマホを持ったまま列車に轢かれてお亡くなりになった女性がありますよね?
報道や一般の人は、歩きスマホなんかしてるから遮断機が降りても気づかなかったんだよ、と短絡的に答えを出す人って多いですよね?
でもその女性の文脈は今の所だれもわからないのです。
LINEで彼氏から急に別れ話を持ち出されたのか?女性はショックで意識の機能不全を起こしたのか?このままココに立ってたら自分の人生を終わらせられるのでは無いか?
と、考えていたのかも知れません。それも今のところ彼女の文脈も意識の変遷も健康状態については一切分からないのです。
「歩きスマホするから事故にあったんだよw」とか「宗教にハマる奴は知性の低い奴だよw」と結論を急ぎ過ぎてはいけません。
信仰を持つ人達を、自分とは価値観と論理性が違う、という理由だけで信者さんを否定してはいけません。
まずは、信者さんと話をする事が先立ちます。 信者の言葉が欲しい→アンチへの餌、アンチ活動の原動力wwwww >>135
残念!
私は無宗教ではないよ
そもそも、量子力学が発見されて神や仏などいなかったことが証明された
宗教も科学的にきちんと説明されるものでなければならないと言っているわけ
釈迦が説いた色即是空・空即是色もきちんと量子力学で証明されてるからね
だから、アインシュタインも「科学を追及しようとすれば仏教を学ばねばならない」とまで言っている
九識論が書かれているが、仏教では「一即一切、一切一即」とされ、我々人間も全体としての大宇宙と同じ存在であるとと説いている
ちゃんと科学的に検証した話をしないと単なる飲み屋でオヤジがシッタカやってるに過ぎないわけさ \
 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`'ー '´
○
O
,. -ー冖'⌒'ー-、
,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃 >>138 所縁無ければ、神仏は一生不要ですが、
君の如く死後の存在を知らぬ存ぜぬ人であっても、
人として悪事は為さない様にすべきです。
これはシッタカブッタ見解じゃ在りませんのでご注意!
話は変わります、貴方は自己を発見した時の記憶が在りますか?
詰まり、生きてる俺自身、俺は死にたくないというような心の働きですね。
ゆっくりと。 坊さんも参加されてる様だから、あえて書くが坊さん達も今のままの職業坊主で良しとするのか、本当に仏教を極めたいのかそろそろ腹を括らないと釈迦が説く、人の振る舞いとは人の貴賤は生まれや身分ではなく、なにをやったかが因果応報で決まると言ってるんだから、今は代々坊主で生活出来てもいつどうなるかわからんし、来世はウジ虫の卵の中かも知れんしね、
まぁ、坊さんたちも仏教を飯のタネにしている以上は気の毒な人生になるよな 日蓮の殺戮扇動
「不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此れを害するは第一の功徳と説き給う也。
況や供養を展ぶ可けんや、故に仙予国王は五百人の法師を殺し、覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し、阿育大王は十万八千の外道を殺したまいき、此等の国王比丘等は閻浮第一の賢王、持戒第一の智者なり。」
(秋元御書)
何を信じようと本人の自由だが、こんな人物を大聖人と言って喜んでいるのは、自分が何の知性も無いアホだと晒しているようなもの。 >>140
ダメ!ダメ!
飲み屋でのオヤジの負け惜しみ会話はw
死後の世界と脅したつもりだろうが、ちゃんと科学で死後の世界は証明されてんだわ!
あんなそれにね、「君」という言い方は自分の方が偉いだぞという上から目線言葉だとも知らん程度の人間ということ!
ダメ!ダメ!w
所詮は飲み屋で若いの相手にシッタカ話してる程度じゃ誰にも相手にされないよ
仏教は万民に説かれた平等思想なんだから、ちゃんと誰にでもわかる話せんとアカンわw
もうそろそろ退出した方が恥晒さんですむのでは? >>143
正しく!
でもね、なんか自分が追い詰められると「創価だって」とか「あんただって」とか言葉は辛いわw
子供の頃に負けた子供が「オマエの母さん赤デベソ」と言い返してるのと同じw
創価も坊主も宗教ビジネスやってる以上同じ穴のムジナでソーカw 匿名でどうやって相手の存在を知り、供養が出来るのだろうか
引きこもりが人と接するって精々考えた時、匿名掲示板くらいしか残されてないのかもしれない
こういう制約のある生き様って自分で制約を設けちゃったのかね
だから5ちゃんねる仏教会ってまともな世界とズレてるんだよね
自分では一生絶対に気付かない事を教えてくれるのが本当の慈悲だと思うんだが?仏教ってそういう教えだから
知ってる事を知ってるのは当たり前であって、知らない事を学び、身につけていくが一般世間でいう修行
よくネット仏教学自慢は知ってる範疇で一般世間を見下す傾向でしかなく、それすら劣る教えが5ちゃんねる仏教会であり、どの宗派関係なくそういう人たちの集まりなんだ
残念ながら、いくら熱心にネット記事漁っても、いくら熱心に信仰しても、いくら熱心に信心してると自分が思い込んでいても、一生変わらないってそういう事かもしれない >>146
匿名だろうが実名だろうが一切衆生であることには変わりない
そこを理解出来ない間はまだまだ畜生界の域を脱しておらんのでは? スッタニパータ 842
『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣っている』とか考える人、
ー かれはその思いによって論争するであろう。
しかしそれらの三種に関して動揺しない人、
ー かれには『等しい』とか、『すぐれている』とか、(あるいは『劣っている』とか)いう思いは存在しない。
//
このスレには
『等しい』とか『すぐれている』とか、あるいは『劣っている』とか考える人
だらけですね。// 日蓮大聖人の仏法が一番優れてるんだぞー
邪教は滅べー >>148
激しく同感!
つまり、本当の仏教を知らない証拠でしょうね。
だから、バラモンや小乗的な考えから脱することが出来ない
その中で自分の方が上だとか知ってるとか飲み屋でオヤジがシッタカを上機嫌で語ってるのと同じなんでしょうね。
または、便所の落書きw >>148
今から、スッタニパータって、なんのことだ?(゚Д゚)!!と読んで悩んでるかもよw ここは相待妙、絶待妙の妙一に無縁だからこそ言ってるんだろ
色相荘厳己義構え故の劣応学仏法成の我慢って本当にあるんだな、ぎょええ
劣あらば勝あり、浅あらば深あり
開あらば閉あり、進あらば退あり
時の止まった一切衆生なんぞ一切衆生とは言わん
平等即差別な 戸田先生は弘安2年の大御本尊とあれだけ言ってたのにまああれは日蓮宗への攻撃だから良いんだー
宗論なんて時代で変わっていくんだ
日蓮大聖人も仏敵を探していた、次はどいつだ >>116の後編 房総の寺を逃げ出す日蓮は、鎌倉近辺で穏坊や念仏聖の
群れとは別に葬儀を法華経読誦で受け持つ,葬祭稼業に身を窶し(やつし)
口を糊するが、原因は不明であるが同業の商売敵である阿弥陀念仏聖から
住まいを破壊される攻撃を受ける。これを松葉ヶ谷の法難と言うが、谷(やつ)は当時の
三昧場で、つまり埋葬所なのだ。
墓の設置はお金持ちや身分の高い階層が行い、庶民は埋めて貰うだけでも有難い時代。
日蓮は死体の埋葬業者と言える。 戸田城聖はそもそも信心を分かってなかったんだろうな…
あくまでも宗教ビジネスだったから酒でヘベレケでも指導した訳だ。
新興宗教団体のほとんどが日蓮系だと言うことを考えると功徳があるので、上手く利用したんだろうな
念仏なんかの新興宗教なんてあんのか? >>155
なんでもええけど、そんなことばっか書いて楽しいんか?w
脳乱してるのかも知れんぞ
気を付けろ >>157
相当に楽しいですね、日蓮若年時の実際を
想像出来る己の筆力と知識を感じます。
人の運命と言う展開が存在する、その厭らしさ可哀そうな
日蓮の不幸や、貧により学べない彼が抱いた恨みつらみ、同室の僧を
嫉妬するのは人として程度が低いからなんて屁理屈が日蓮の青春時代には
通じない事を、スレを読まれる方々に知って貰いたいのです。
少し己の身に引き換えて、思うのが宜しい。
貴方だけが教室の授業から除かれる不平等さ、質問しても答えて呉れない友人と思って居た
学友の変貌。
日蓮その梵字の読み書きは?どうなるの?
友人僧、此れは絶対に教えないよ お師匠様から怒られるからね。
此れが師匠の命令で堅く守られるのが密教の世界なのです。 相手にするだけ無駄。
あと科学的ニィーの奴もウザいw
自分で調べて科学的に理解しろよ、クレクレ乞食がw スッタニパータでもダンマパダでも
初期の聖典・仏典って全く宗教じゃ無い
あれは実存主義哲学であり新実在論と同じだよね。
お釈迦さん、ゴータマさんが書き残した物では無い事は常識なんだけど
アーナンダを始め、当時哲学書として書いたんじゃ無いかな?
初期仏典に書かれている様な事をゴータマさんが本当に言ったのかどうか?は分からないけど
伝わる物はある。最初はグズグズだったけど時間と共に体をなす様になったのかも知れない。
「悟ったらゴータマさんは、こう言われました」という仏典は
子供に対しては、下手な寓意で解説してあげても良いのだろうけど
大人は自ら、「何を伝えようとして、こんな変な表現方法をとったのだろう?」
という目で読んで、文章の奥にある、表に出て来ないもう一つの文章を
理解すれば、ゴータマさんという未確認の人物が、どうも語っていたらしい
分析哲学を読み取らないと分からないし、それを読み取れると面白いよね。 これは法華経もそう。
「なんでこんなバカみたいなエピソードをつなげてんだ?」
と読み進めながら、完読すれば(実際の法華経は嘱累品で文学・哲学として完成してるけど)
もう一つの法華経が読めて来る。
法華経の独特なコンセプトは
法華経という経典の中から外へ向けて
「実は、法華経と言うのは3っつ在るんだよ」と暗に示唆している所が作品としての価値がある。
この作劇方法論はシュメールのギルガメッシュやギリシャ悲劇にも有ったし
今でも謎の人物シェークスピアやサミュエル・ベケットやカサーレス、ソフィーの世界
1Q84、マトリックス、桐島部活やめるってよ!ダークナイトやJOKERなど
宮沢賢治以外でも続いていたんだよね。
ニーチェと仏教の思想的繋がりは以前から指摘されてたが
下山をする超人(悟った人)ツァラトゥストラが市井の人に向けてアフォリズム・箴言を
語る所も法華経の方便にちかい作劇だし、特にニーチェの馬エピソードは
千と千尋の神隠しの様なアプリオリな実存に目を向けさせる
ゴータマさんの思想と一致する。
まあゴータマさんが、本当に現在伝えられる様な事を本当に言ったのかどうか?は分からないい、調べようも無いけどさ。 仏典も「お釈迦さんはこう言われた」とか聖書も「ナザレのイエスはこう言った」
という伝聞形式で書かれていて、それゆえ神話性が強く出て来る戦略なんだと思う。
だからニーチェは「ツァラトゥストラは、こう言った!」
という作中の第三者にニーチェ的実存主義を語らせて、神話性との親和性を
狙ってたんじゃ無いか? 二人の会話よりも、そこに加わる3人目がいて
ようやく伝わる物があるんだよ。
「桃太郎の子孫って今どこにいるの?」と考えてるようじゃ
仏典は読めないよね。
「そんなの、言われなくても、常識だろ?」という人の方が多数だろうけど
「そうじゃ無い人」も想像以上に多いし、そのミラージュを論証しようとする人も出て来る始末。
「もし像が卵から生まれるなら、その殻の厚さは何センチなんだろう?」
「それを考える必要ってありますか?」
(トルストイ)または 文豪(トルストイ)
さあ、あなたはどちらを選びます?
言葉ってやはり言霊というか力を持つ
作家名に「文豪」という言葉を付加・付帯させる事によって認知バイアスを操作されちまうんだな。 >>1 乙
日曜の夜にスレ立てしてあげようかな、と思ったんだけど、
一日中雑用が多くて、夜は酒飲んで録画のピーターラビット見て、
そのまま寝てしまって、あと忘れてました。
スレ立ては、これでカンペキですから、
これ以降も、いつでもご自由にスレをお立てください…。 >>15
折伏警察はなかなかナイスだな、創価警察といってもいいけど、
折伏憲兵は最近の人なら、憲兵って何? となりそうかなw
で創価警察こぴぺは、正宗系の武田くんのレスと比べると、
共通点が法華宗の熟語の文字面だけで、中身はもうまるっきり別の団体なんだね。
でもまあどちらも、いい大人がアタマの悪い、
ニセ物の仏教ごっこをやってるだけで、
全員がバカ丸出しの組織なのは、創価正宗の共通点ってことだよね。。 \
 ̄ヽ、 _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
`'ー '´
○
O
,. -ー冖'⌒'ー-、
,ノ \
/ ,r‐へへく⌒'¬、 ヽ
{ノ へ.._、 ,,/~` 〉 } ,r=-、
/プ ̄`y'¨Y´ ̄ヽ―}j=く /,ミ=/
ノ /レ'>-〈_ュ`ー‐' リ,イ} 〃 /
/ _勺 イ;;∵r;==、、∴'∵; シ 〃 /
,/ └' ノ \ こ¨` ノ{ー--、〃__/
人__/ー┬ 个-、__,,.. ‐'´ 〃`ァーァー\
. / |/ |::::::|、 〃 /:::::/ ヽ
/ | |::::::|\、_________/' /:::::/〃 >>前スレで貼った何番目のどこか。
この質問も日蓮仏法のムジュンの一つで、
でも創価警察も答えずに、泣きながら裸足で逃げるしかないのか…。、
(法華経) 於末法中欲説是經。応住安楽行。
末法に法華経が必要なら、安楽行品やるといいですよ!
※※
マッポウがああ! とかぎゃーぎゃー大騒ぎしてる割には、
なんで安楽行品の行法をやらんのかね…?
その一方では、法華経のどこにもやれとは書いてない題目を、
末法唯一の行法とか嘘ついて、バカみたく連呼して
信者さんダマしてるし。
挙句の果てには、法華経の受持読誦が題目行だとかほざいてますが…。 創価学会は科学の宗教とか言ってっけど、
法華経の架空キャラ、上行菩薩が鎌倉時代に生まれ変わって、
それが日蓮師匠だった、という輪廻転生の話はどんな科学なんかね?
まあ、あれこれギモンは尽きないけど、この後は、
庭の草取りしないとアカンわ…。 誰かこのトンでもない恥ずかしいド珍論と暴論の数々を5ちゃんねるまとめとかで紹介して欲しい >>162
だからね…
仏教とは釈迦が道理を説いた思想なんだってば!
宗教じゃないぞw
宗教と言う言葉は後世の人間が呪術的商売の一環で作り出した言葉だ
初期仏典も維摩経、法華経なんか読んでも呪術的なことなんか書いてない
初期仏典読んでるヤツでもこれなんだから無明の人間達に仏教広めるのって、マジ大変なんだとわかるわw 宗教って「教えを宗とする」って意味だぞ。
宗とはその教説の中心となる教義、宗要、宗旨などの意。中心となる考え。
のこと。
仏教で言えばガウタマ・シッダールタから始まった覚醒者たちの教えを自身の生き方の中心に据えること。
呪術的商売の一環で作り出した言葉だ、とはただの思い込み。 >>172
漢字をそのまま理解すると大変なことになるよw
例えば「手紙」は中国ではトイレットペーパーの意味だからねw
仏教も同じだ。
中国仏教つまり当時の中国思想で都合良く作り替えられたものが日本に入って来た。
仏教の「平等」と言う言葉も当時の中国には無かったから後から作ったんだ。
同じ様に「魔」と言う言葉も大乗思想にバラモンや小乗の呪術的思想を組み込んでオドロオドロしくするために作られた言葉だ。
この様に日本人は中国から輸入された漢字の音読みのまま意味も分からず経を読むと言う不幸な状況が続いている。
だから、坊さんも商売出来たと言うのはあるけどね。 >>174
>同じ様に「魔」と言う言葉も大乗思想にバラモンや小乗の呪術的思想を組み込んでオドロオドロしくするために作られた言葉だ。
「魔」はサンスクリット語のマーラの音写語の「魔羅」のことだぞ。で「魔」ってのは羅を取った略語
マーラ(Māra)は、釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために現れたとされる悪魔、魔神のこと。
作られた言葉も何も経典に出てくるんだけど。オドロオドロしいってそりゃそういう風に描かれてるんだけど。
で、魔羅は釈尊の煩悩の譬喩表現で、呪術とか一切関係ないからw >この様に日本人は中国から輸入された漢字の音読みのまま意味も分からず経を読むと言う不幸な状況が続いている。
素晴らしいブーメランw >>175
コイツは読解力が無いのか?
アタマ悪いんだろ? >>176
コイツもチャチャいれるだけで単なるアホだろ
読解力以前のレベルだ インドネシアが
アジア感染拡大国の筆頭になってしまった
人口は日本の2倍強
1日の感染者数が5万人を超えていて
亡くなった方も千人に近いのです恐るべしウイルスですね
そんな状況の中で
来週には日本人が帰国しますが
もちろん2週間の隔離らしいけどその実態も知ることとなるでしょう
ちゃんと隔離をしていないならブログでキッチリ告発します!
少し前の
コメントの中でも書きましたが
お隣中国は
市で5人程度の感染者が出たら
間髪入れずにロックダウンしいます
市と言っても日本の県レベルの話・・どんだけ警戒しているのか
その恐ろしさを知っているでしょうし
経済活動を止める事態になる前に
手をうつことが
基本的な正論かも知れないです
日本もこれから
色々とイベントがあるし
選挙になれば
また押し出しもするのでしょう
とにかく
お正月ぐらいは
みんなが安心して集まれるように
みんなで頑張りたいですね >>174
どうもその辺の本屋の立ち読み知識なんだよな…
釈迦の教えも何故滅後すぐからおかしくなって来たのか?
呪術信仰がどうして起こったのか?
滅後100年頃にはすっかり仏教の形がなくなりつつあったのは何故か?
仏教がどうして >>174
どうもその辺の本屋の立ち読み知識なんだよな…
釈迦の教えも何故滅後すぐからおかしくなって来たのか?
呪術信仰がどうして起こったのか?
滅後100年頃にはすっかり仏教の形がなくなりつつあったのは何故か?
仏教がどうして >>174
どうもその辺の本屋の立ち読み知識なんだよな…
釈迦の教えも何故滅後すぐからおかしくなって来たのか?
呪術信仰がどうして起こったのか?
滅後100年頃にはすっかり仏教の形がなくなりつつあったのは何故か?
仏教がどうして >>181
呪術信仰って具体的に何のこと?
>滅後100年頃にはすっかり仏教の形がなくなりつつあったのは何故か?
釈尊在世時と滅後100年のどこがどう全然別物になったのですか? >>182
まず
1・ 分析哲学・実存主義哲学として理解出来る人がいなかった。
2・また言語化という行為が認知バイアスや集団極性化を引き起こした
3・人々は独善的な救済をその言語化に求めるという利己主義的な解釈をしだした。
4・仏教から外れた対立二元論的な心の救済装置として仏教は新しいビジネスモデルを作り上げた。
オリンピックまじかの報道番組。オリンピック開催について、「それではSNS上の声です」
TVの画面にSNS上の文字・意見・文言が映る
「こんな時期にオリンピックなんて、おかしいんじゃ無いの?」
そのSNS上の文字と共に声優が声の演技で、オリンピック開催に強く批判的な人物の
声の演技をする。この方法は人々の認知を赤子の手を捻る様に簡単な印象操作戦術である。
「こんな時期にオリンピックなんて、おかしいんじゃ無いの?」
この言葉は、ソファーにだらし無くすまってビール飲みながら鼻くそをほじくって
TVをみていた特に何も考えない社畜だったかもしれないのに。常にテキトーな事しか言わないバカだったかも知れないのに。
声優の声の演技により、イデオロギーで語る人の意見としてマッシュアップされている。
法華経を訳した鳩摩羅什。実は姚興が軟禁する為に10人の美女を横につかせて
鳩摩羅什は毎日、美女達とセックすしながら法華経を訳した事は話題にならない。
国立国会図書館にて鳩摩羅什に関する学究の論文を誰も見ないまま、鳩摩羅什を語る。
これが人間の知性の限界を表している閾値なんだと思う。 たまには自分で調べたらどうか
釈迦が文字を残さなかったのも自分で悟れと言うことからだ
文字を残すと後で読めばいいやとなるからあえて文字にしてない
なんでも他人に聞いているとガセでもなんでも信じ込むクセが付く
声聞の境涯で終わるのではないのか それらを理解した上で漢語約、サンスクリット語訳、西夏語訳を
さらに様々な訳者と研究家の論文を読まなければ
法華経の本当の凄さは、完全には理解は出来ない。
悲しいけど、時代はそこまで来た。
もう、おとぎ話に毒される子供時代に、別れを告げよう! >>183
法華経も後半の22章〜26章までの6章は後年に付け加えられたものだと言われているよね
内容が全く別モノでそれこそ呪術的色合いが強い内容になっている
その理由は法華経と言う釈迦が説いた思想はこう言うことだったんだよねと言うドラマ仕立ての小説を書いたんだけど、当時の時代はもはや呪術的信仰が流行ってたからやはり流れには勝てずに大衆受けする内容を付け加えなきゃ読んでもらえなかったと言う苦肉の策なんだろうね
だから、ただ鵜呑みにするのではなく各章ではここでは何を言いたかったのかを深掘りしながら思索しないとそれこそ新たな呪術的思想を生んでしまう
中国に渡ってからは都合が悪い部分は書き換えたりしたようだからね 呪 術 的 思 想 w
アンチ活動家もあの手この手で大変だな
だから5ちゃんねるは辞めとけって言われてんのよ >>171
>初期仏典も維摩経、法華経なんか読んでも呪術的なことなんか書いてない
>>187
>法華経も後半の22章〜26章までの6章は後年に付け加えられたものだと言われているよね
内容が全く別モノでそれこそ呪術的色合いが強い内容になっている
その理由は法華経と言う釈迦が説いた思想はこう言うことだったんだよねと言う
ドラマ仕立ての小説を書いたんだけど、当時の時代はもはや呪術的信仰が流行ってたから
やはり流れには勝てずに大衆受けする内容を付け加えなきゃ読んでもらえなかったと言う苦肉の策なんだろうね
たった二時間で真逆のこと言い出してるw >>188
日顕撲滅唱題会は呪術そのものだろ
5ちゃんを馬鹿にするなら来なければいいものを下らない煽りをやるだけで対話も議論もできないとは無様なものだ
創価学会員は小樽問答で罵詈雑言で言論封殺をして一方的に勝利宣言をしてたが>>188が創価学会員なら小樽問答から何も学んでないし成長もしていない >>187
>法華経も後半の22章〜26章までの6章は後年に付け加えられたものだと言われているよね
それは、古い集合知だよ。
いい国作ろう鎌倉幕府。1192年
が、現在
いい箱作ろう鎌倉幕府。1185年
と変わったみたいに(学者のそれぞれの意見では無く文科省が認定した公教育の教科書はコレってことね)
今は
嘱累品第二十二が実質的な初期ドラマツルギーの最終章となってる。
ただ、法華経は言わば、最初から最後まで後世の加筆がとびっ子の様に含まれている。
それらを全て完読しても、感動的な文学と哲学になっている事実は変わらない。
奇跡の文学が、法華経。 気の毒だよなw
上面しか理解出来ないのか…
こんなのばっかがいる
だからこの板にしか喜び見出せんのだろな >>192
相手にしないことですよ
真剣に関わるだけ無駄です
そもそも理解する気がない連中ですからね(笑) >>192
>気の毒だよなw
>上面しか理解出来ないのか…
>こんなのばっかがいる
私も無宗教だから、貴方の言いたい事は分かる。
でも信仰心を持ってる人達を、「知性が低い。分析が出来ていない。集合知を探そうともしない」
という理由だけで
信仰を持ってる人達を、バカにするのは間違っています。
彼らは、私達と違う価値観から、信教の自由を持っているのです。
それを尊重してあげて下さい。
宗教宗派の間にも、宗教の人と無宗教の間にも
対立を起こしてはいけません。
論題の非共有が生じ、その非共有が継続すれば
ボール・バニヤンの斧の重さは何キログラムだったのだろうか?
という、意味の無い喧嘩になってしまいます。 また、横から訳分からんのが出て来ましたよw
ちゃんと様子見してるところが…ワラ 無宗教の人の間違い。正常バイアス。
宗教・信仰心を持っている人達を「あいつらは自分を持ってないから、逃げた先にたまたま宗教があっただけwばっかデェーw」
宗教活動をしている人の間違い。共感の過食症
他の宗教・宗派にたいして
「お前の所は、教義自体が間違っている。俺たちの団体の方が本物の仏教だぜwバカ野郎ww」
こういう知性なき大人が、釈迦の中に少数存在する事を忘れないでおこう。
もし、実生活でこんな人に出会ったら、程の良い相槌でも打って
彼らから距離を置こう。それしか無いよ。 釈迦は間違いです
>こういう知性なき大人が、釈迦の中に少数存在する事を忘れないでおこう。
訂正
>こういう知性なき大人が、『社会』の中に少数存在する事を忘れないでおこう。 法華経をアンダーライナーとして宮沢賢治は銀河鉄道の夜を書いたけど
すげえぇなあ!と思ったところ。驚いた所は、しっかり法華経の底を見抜いていた所。
ジョバンニとカムパネルラは何故か銀河鉄道に乗っている、目的地は分からない。
駅に着くと様々ん乗客が乗り、また降りていく。全ての人を乗せる汽車。
特に船が沈没して亡くなった幼い二人の子供とその家庭教師の件は
法華経のコンセプチャルな部分をシッカリ表している。
そしてラストは全く嘱累品と同じように全てが無くなる。
銀河鉄道も無くなり、話のアーキテクトであるブルカニロ博士も消えてしまう。
もう、何処にも何も無い。
ジョバンニは母の元へ帰り、ははがジョバンニの無事を喜ぶ。
日常との連続を想定していたジョバンニは、連続性が断続性に変わった事を知る。
宮沢賢治って物凄く深く法華経を読み込んでたんだな。
深く読みすぎた為、法華系日蓮系の宗派から敬遠されてたんだってな。 >>6
ここで確認しておきますが、南無妙法蓮華経の御本尊は創価学会会長が認定した御本尊を拝しなければいけません。
日蓮宗、日蓮正宗などの創価学会が認定していない御本尊は例え日蓮大聖人御真筆の御本尊であっても、帰命すれば無間地獄に堕ちるのです。
何故ならば、信心の血脈は創価学会にのみ流れているからです。 >>200
オマエほんとそう思ってんのか?
もしそうなら病気だから病院へいけや
そうしないと大変なことになるぞ
そもそも創価には最初から血脈なんぞないわ
バカじゃねぇの? >>201
もし、そうならば創価学会会長以下、地域の活動家まで全員、病院に行かなければなりません。 >>202 脱税で検察庁の方面に御縁が生じるか?
某氏の〇去隠匿で、公安から強いご注意か?
なんぼでも、得手勝手な法難の種はあるわな。
己の信じる対象のみが正しいと確信する人、狂信の信徒は要らんでしょ。
そんな隣人は、私も嫌いですな。 ほら
また修羅の世界が始まった
この人達は本当に法華経を読んだ事があるのだろうか?
日蓮さんは法華経を読め!法華経を否定するな!と言ってた人だったんじゃ無かったっけ?
日蓮系の信者さんが
1番、日蓮さんを裏切ってる 読んでも各団体の解釈の読み方しかできないでしょ
解釈権の担い手を他人に放棄させ、誰が言ってたから真実という事にしかならない
仏と仏のマンツーマンで語れないそんな人ばかり ソーカは法華経読んだことないからなw
得意の日蓮遺文の切文しか読まんから法華経は勤行で音読みするだけで意味わからんのよ >>200
バカかおまえ。
そしておまえそうかでもないだろ。
かき回して遊んでる荒らしやろ。 超ド素人の俺が初の集会に行っても御書講義と方便品寿量品素読ぐらいしかなかった
あとは問題集みたいな教え方
法華経なんてある種壮大なストーリーをあんなんでわかるかいな >>208
大丈夫!
教えてる方もわかってないからw だから5ちゃんねるは辞めとけって言われてんの
悩乱積み上げて導師の資格を失うだけ きのうの夜はYou Tubeでこんなの見てたけど、
まとめ系でオモシロイから、みんなも見ろ…。
非株式会社いつかやる
文永の役
https://www.youtube.com/watch?v=zWxTCVDX0Zg
弘安の役
https://www.youtube.com/watch?v=roNxXutMmD4
最新の歴史研究はすさまじく進化してて、無能な日蓮さまが、
身延で営業用に嘘八百のデタラメ手紙しか書いてなかったころ。
博多では、鬼神のような御家人軍団が、
世界最強の蒙古軍団を蹴散らしていたわけかwww
歴史の真実にあらためて戦慄するわ。 >>168
なんで日蓮教団は安楽行品の行法やらないのか、
誰も理由を教えてくれんのかw
(法華経) 於末法中欲説是經。応住安楽行。
末法に法華経を説くなら、安楽行品の一択ですYO!
でも口先では毎日、法華経さまに全面的に従います(南無ww)、
ってゲキョゲキョわめいてんでしょ?
そういうのってさあ、4文字熟語で言えば、
面従腹背(めんじゅうふくはい)って呼ばれている、
ある種の二枚舌なんじゃないのかなあ? と思うんだけど…。 >>212
で法華経と言えばもう一つ、法師品のところで、
(法華経法師品)
若聞是深經 決了聲聞法 是諸經之王
この深い経を聞き、声聞のはたらきをマスターすれば、
それが諸経の王というものです。
だろ?
諸経の王の主語は、声聞マスターのことなんですけどお?
なんで池田せんせは、スピーチで諸経の王が法華経だと、
法師品の原文を改ざんして、嘘をついてんだろうか?
というか元原稿は御書のつもりみたいですけど、
日蓮御書にはハッキリと法華経が諸経の王と
書いてるぶぶんは、ありませんよ。
これもやっぱり面従腹背(めんじゅうふくはい)の二枚舌で、
こんどは日蓮御書さまに逆らってるわけか、
ということは阿鼻地獄に直行ってこと …? 日蓮様は、衆生済度の為には自分が世に出るべしと発奮され
公に働きかけ、己の宗派を認知させようと努力されました。
然し当時の執権は全く無視し、日蓮様の行動を世を乱す者の所行と受けとり
島流しなどに処します。
上の文章は何となく日蓮ってこういう人だったよね と知る人の知識範囲。
まあこれ位で好いわけですが次 日蓮世界宗創価学会以外の宗教、宗派は全て邪教、邪宗、小乗です。
法華経を宣揚しても、それが創価学会教学部の解釈と異なれば、それは邪義なのです。
法華経を学ぶ際は聖教新聞社が発行した書籍を購入してそれを使用して下さい。 215の継続
日蓮の思惑を推量してみた
房総の寺を降り、鎌倉街頭で辻立ち説法、穏坊の様な三昧僧をして
口を糊する男が描いた願望の絵図。
「公儀に俺を認めさせて、寺、領地、弟子口分を認めさせる。
其れは当然、全て公費で賄わせるのだ俺にはそれだけの坊主としての価値が在る。」
此のカッコ内の意図を実現させるためには、世の擾乱が望ましいと思うところに
格好の事件「蒙古襲来予想が国民に流れる」
売名者の日蓮は此処に己の宣伝行為を集中させる。
予言者日蓮を捏造、立正安国論著作(実際は未提出なのが嗚呼残念)
蒙古調伏祈祷を俺にさせろと運動。当然辻説法では危ない事ばかり申したであろう。
そういえば、かの御書なるモノにはキャッチコピーが多量に含まれるのは
そういう理由で在ったのだと、わたくしは、たった今気が付いた。
日蓮の念頭には、平安時代の空海の事績が消えない。
空海は帰朝後、一宗派を立て一代にして東寺、高野山を賜り弟子口分を得。
陛下からは死後に大師号を頂いている。
日蓮は思う「俺が同様な、待遇を得ても何の不思議が在るか?」と思い込んでの行動は見ての通りだ。
詰まるところ彼は誇大妄想なのかと思わせる。 217の継続
日蓮が憎悪に近き嫉妬感情を抱くらしき
弘法大師空海の著作を日蓮は未読らしい。
十巻章などを手に取って居ないにも関わらず批判を繰り返す。
此れでは、望む寺は出来はしないのだ。 法華系日蓮系の人達って、なぜ法華経を読むのを拒絶しまくるのかね?
「御書の方が大切なのです!」
って信者さんが言ってても、その御書に日蓮さんは
「法華経を読め!」って書いてあるw
これって自己言及のパラドクスじゃんw
たとえば各教団の人が無宗教の人に勧誘しに行ったら
「日蓮系ですか?私も法華経読んだ事あるけど、安楽行品第十四と嘱累品第二十二は面白いですね」
と、言われて、日蓮系信者なのに返答のしようが無ければ、所属する宗教団体の看板に
泥を塗ってる事になるのになあ
L.バーコウィッツとK.B.アンダーソン であり、彼らは認知心理学・社会心理学的に
『攻撃行動の心的モデル (観念・情動・制御困難性との相関を持つ攻撃行動の心的モデル)』を表してるけど
内的な情動・観念のネットワークを介した各種観念の活性化の心的プロセスは、『低次の無意識的な認知プロセス』 であるため、攻撃行動が起こりやすい心理状態になっていても本人は気づくことが極めて難しい。自分自身でも怒りっ ぽく攻撃しやすい心理状態になっていることが分からないから、攻撃性の自己制御(セルフコントロール)が効かず に、突発的で衝動的な攻撃行動が起こりやすくなってしまうのである。
日蓮系の信者さんに、法華経を読ます事が出来る人がいれば
その人こそ、日蓮の生まれ変わりだ。 そうだ! このスレにおいて理由を知りたい。
決して、その理由について批判はしないので教えてください。
日蓮系の信者さんに質問です
「質問」
貴方が法華経を読みたく無い主な理由とはなんでしょう? >貴方が法華経を読みたく無い主な理由
サンスクリット語、漢文が読めないから >>220
法華経を読む依りお題目を唱えるのが重要だからです。 法華経を読む宗教って、法華系日蓮系と曹洞宗と臨済宗ですよね。
曹洞宗や臨済宗という禅宗の人達の方が法華経を読んでるし
法華経を語ってくれますよね? どちらも禅宗だから真意は言葉にしてはいけないルールはあるけど
何をキャラクタライズしているのか?どの様なメタフォリカルな文章構成なのか?ぐらいまでは
曹洞宗や臨済宗の方々は語ってくれるじゃ無いですか?
何故、日蓮系の人達だけは法華経を語ってくれないのかな?
法華経が好きな人達は(宮沢賢治や夏目漱石やスティーブ・ジョブズとか)知性的な人が多い。
これ、逆に考えると、法華経は文学的にも哲学的にも驚嘆すべき作品である故
「法華経は難しい!」と挫折をしたり、文章の上部だけ見て、文章の底にある壮大な作劇を
読めない人が「内容の無いたとえ話じゃんw」という認知心理が働くのかな?
でも、法華経には意味が無い! と思う日蓮系信者さんが、もし居るとするなら
その人は、日蓮を心の底ではバカにしてる事にならないだろうか? >>223 昔と言えば昭和時代に。親族のおっさんが。あんなにお経ってあるけど
全部お釈迦さんが説いたのか?と素朴に尋ね。
お経の事は坊主に任せておけ!と怒鳴られたと言って居りましたな。
何で俺は怒鳴られるのか判らんとぼやいて居りましたがね。
日蓮宗の坊さんに法華経の事を尋ねてはいけないのだ。
まあそんなものですってさ >>216 この人の本音を明かすなら、「創価学会の教学部は宗教権威である」
と言う意味になる。
その権威って何だ?その質問にお応えする
例えば、地震が来て我が家の家族五人は非難必至の状況である。
運転手が家長の父親かも知れぬが
其の時に、あの道を通るべしと決める家族の誰かが権威なのだ。
創価学会の教学部に、此れを拝め!そっちは大間違いと決めつける権威在りや?
信仰の自由は憲法が保障する、創価学会は増長し然も抵触して居ないか?
この様な発言を躊躇いなくする狂人を創価の教学部は輩出するなら、大問題であろう 法華経をなぜ読まないのか?とか法華経をシッタカで書き込むおバカもいる
その辺の本屋で買い漁った法華経解説本を読んでわかったと勘違いしているアホ
日蓮批判は所詮、創価批判になってる
創価批判は正しいがそれと日蓮を混同する輩か…
このご時世そのものだよな…
要するに楽しけりゃなんでもいいんだわ
気の毒なヤツらが増えている現代
これが末法なのか… 現代語訳も漢文もネットに転がってるしなぁ大智度論ですら転がってる >>226 217の投稿者で在りますが、一言
法華経信仰と日蓮信仰をMIXする人が余りに多いので、日蓮上人の体験する人生の苦悩について言上げして見たのです
日蓮の実家が裕福で、学行資金が潤沢に在り、支援が途切れなかったならば
彼ほどの頭脳は必ず、大阿闍梨の地位に到達したでしょう。
然し乍ら、現実は貧により学業は成りませんでした。
若しそれが実現していたならば、日蓮宗と言われる宗派は在りません。
其れにしたところで、全くの無資格者が時の公権に己の望む一宗を寄進せよとは
よくも大口を叩く者です、正直言って彼は誇大妄想じゃないのかな?と思います。
例えれば、学習塾の経営者が、いきなり俺の塾を国立大学に格上げせよと文科省に
ねじ込む様な行動ですからね。 生田勇人(39)
高知市朝倉中学校卒業
恐喝と暴行、偽証、傷害により逮捕、起訴。
pbs.twimg.com/media/DbUOGw1VQAAqJcx.jpg:large
i.imgur.com/tuUldwv.jpg
www.youtube.com/watch?v=UyNXI8usCrM
取り調べで「事実無根」と容疑を否認。
卓球所に松岡学(39)と出入りし賭け試合を被害者に強要、一回ミスったら1000円払えというルールを強要。
2万円を取ろうとした。親にチクったらただじゃ済まんぞと被害者の胸倉をつかみ2000円を脅し取り、後日腹を殴った疑い。
生田勇人の両親も被害者の親にたかっており親子でたかっていた疑惑がある。 ところでよ!
なんか原田稔の行くとこ行くとこで自然災害起きてないか?
昔は日顕がそうだと言いふらしてたが、原田稔は間違いなく自然災害起こす神通力持ってるな 結局、日蓮大聖人と揚げめている人ほど法華経を読む気が無く
無宗教で知性的な人だけが法華経を読んでいる
この、状況は未来永劫変わらないのかもしれませんね。 誰か日蓮の代わりなってくれる人はいませんでしょうか?
貴方が、法華経を広めれば
貴方こそが、第二の日蓮であります。
だれか手を挙げてくれる人はいませんでしょうか?
法華経の広布を命懸けで行う人が、真実の菩薩です。 >>232
それって、単なるおすがり信仰そのものだな
自分でやりゃええのとちゃう?
誰かが法華経唱えて広めてくれればそれに従うのか? >>231
その通り!!
ソーカは法華経知らないw
イケダ教だから、南無イケダ宗教ビジネス三昧経 と唱えている >>232
https://www.nichirenshoshu.or.jp/jpn/index.html
もうね、君自身の分別で計ろうがなかろうが、三世常恒が決定されてますのよ
完全に仏法舐めてるというか、見下してますね 法華講の御信徒さんはね、勤行と唱題を通しまして、本門戒壇の大御本尊様を信じて、法華経の出世の本懐をそのままに、正しい妙法蓮華経(法華経の真意)を弘められておりますよ
従って我こそは日蓮大聖人の生まれ変わりだ!なんて荒唐無稽な盲義は一切ない事を御理解していただきたい、以上でございます >>237 それで好いのだ!迷いが在ったら導師は出来ない。
私が坊さん?導師?
そしたらハッキリと言うと思いますよ
決していい加減な人ではありませんし
私の末信徒一人の独断ですね
他の御信徒さんの迷惑にもなります
これだけは言わなければなりません、名字日蓮を不法をもって玩ぶように用いるのはダメですよ >>103
本尊問答抄
問うて云く日本国に十宗あり所謂・倶舎・成実・律・法相・三論・華厳・真言・浄土・禅・法華宗なり、
此の宗は皆本尊まちまちなり所謂・倶舎・成実・律の三宗は劣応身の小釈迦なり、
法相三論の二宗は大釈迦仏を本尊とす華厳宗は台上のるさな報身の釈迦如来、
真言宗は大日如来、浄土宗は阿弥陀仏、禅宗にも釈迦を用いたり、
何ぞ天台宗に独り法華経を本尊とするや、
答う彼等は仏を本尊とするに是は経を本尊とす其の義あるべし、
問う其の義如何仏と経といづれか勝れたるや、
答えて云く本尊とは勝れたるを用うべし、
例せば儒家には三皇五帝を用いて本尊とするが如く仏家にも又釈迦を以て本尊とすべし
問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、
答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり、
末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母・
諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり
故に今能生を以て本尊とするなり >>107
>「空」をしっかりと理解し押さえた上で本尊瑜伽をしなければ、あなたのように
>勘違いした本尊観、偶像崇拝の対象としての本尊を定義してしまいます。
レスありがとうございます。
空は法華経が説かれる以前の教え、二乗の覚りです。
また本尊(根本尊敬)とは偶像崇拝のことではありません。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる
胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」
このように、一切衆生の生命の根底にある尊極の仏の生命です。
九識心王真如の都(阿摩羅識)ともいいます。
これがあなたの中にもあり、お題目を唱えれば涌現します。
空を前提にした唯識論では八識しか説いていません。
>オプションとして提示されている修行法です。
>本尊とはその便利な方法の一つとしての役割
>その本尊を絶対のものとして想定してしまえば、もはや仏教ではありません
本尊は、根本尊敬という意味です。
オプションのような追加選択的なものではありません。
仏法の悟りの極致であり、諸仏の出生の種であり、森羅万象の根源の法です。
これが「南無妙法蓮華経」であり、一切衆生の己心に具わる本尊として明かされています。 >>110
>何度も言いますがここの「法」は真理に基づく教えであって「存在」の意味ではありません。
レスありがとうございます。
現象世界としての存在ではない、と私はいってます。
>目に見ようが見えなかろうがという意味ではありません。
現象世界とは、それら酸素や重力、電磁気も含む森羅万象の全てです。
視覚的に認識可能かどうかをいってるのではありません。
それらが全て南無妙法蓮華経の姿ということです。
下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり
(諸法実相抄)
>このスローガンは釈尊個人に依存するな、私の発見した真理(縁起、空)や教えを
>拠り所にしなさいという意味です。
>意味がわかりません。縁起や空を本尊にするってなんぞや?
>縁起は空はあるがままのこの世界の実相を端的に表した言葉であって
>根本尊敬しようがしなかろうが、理解し明らかに見極めることが大切なのです。
要は、自灯明・法灯明や依法不依人において、
110さんはその拠り所を、真理の教えとされてきた「縁起、空」ととらえるのに対し、
私は一切衆生の根底にある「仏」の生命、「南無妙法蓮華経」ととらえることの違いです。
妙法においては、縁起や空の覚りを超えて、その極地を、言葉では到底表しえない智慧、
功徳聚として本尊と定めるのです。
認識や思考では到底及ばない、信じ、尊敬するという関係です。
森羅万象の根源の姿であり、諸仏の成仏の本因であり、一切衆生の根底にある生命です。
それゆえ畏敬の念をもって本尊とするのです。 >>110
>法華経にも度々出てくるのはなぜでしょう。それは仏教の根本の教えだからです。
>大乗の涅槃経も空が論じられています。初転法輪から死の間際まで一貫しています。
いわば対比のためでしょう。
縁起や空は、法華経において妙法が示される前の二乗の教えとしてえがかれています。
例えば、以下の迦葉らの独白において、
“世尊が説法されている間、私どもは全ての者は本体がなく「空」、形状もなく「無相」、
作為がなく存在するという「無願」を明らかに知りましたが、私どもは仏の教えを
聴きたいとか、仏国土の素晴らしい光景を見たいとか、さとりを達成された如来が
遊戯として奇跡を示されることとかを熱望しませんでした。それは何故かと言いますと
私どもは三界から逃れ出てさとりの境地に達したと思っていましたが、私どもは
老齢のために耄碌しておりました。ですから、私どもは僭越にも他の弘法者たちに
『この上なく完全なさとりを達成するように努力せよ』と教え戒めました。
しかしその場合、私どもにそれを熱望する心は全く生じませんでした。このような
私どもですが、いま世尊から親しく『声聞でもこの上なく完全なさとりが得られる』
という予言を承って驚嘆し、不思議に思いながらも、偉大な所得を得ました。
世尊よ、私どもは今日、突然このように未だかつて聴いたことのない如来の音声を聴き、
偉大な宝玉を得ました。”(信解品、サンスクリット語坂本・岩本訳)
このように“未だかつて聴いたことのない如来の法”以前の教えと位置づけられます。 >>110
>違います。
>…「大智度論」は般若経典の論書であり、空について論じているのです。
鳩摩羅什が大智度論の表現を援用したであろうことは、私も以前のスレで言及しましたが
大智度論が空について論じているからといって、法華経方便品の諸法実相の本質を
それ以前に説かれた空と同義と解するのは、経典の性質、文脈からいって誤りです。
それでは法華経は、それ以前の教えと全く変わらないことになります。
方便品の諸仏の智慧は甚深無量であるとか、舎利弗の慇懃の三請が全く意味をなしません。
方便品は、仏の出生の目的(一大事因縁)を示し、衆生に仏の生命(仏知見)があり、
それを開きうること、誰もが仏になりうることを明かした法門です。
また三乗を開いて一仏乗を顕すというのは、三乗の教えを否定してるのではなく、
すべて一仏乗(ただ一つの乗り物)を顕わすための譬喩や方便だったということです。
縁起、空はその三乗の教えの一つということです。
繰り返しますが、法華経の諸法実相は、森羅万象が悉く妙法蓮華経の姿という意味です。
天台も日蓮もそのようにいってます。
「十如是と云は妙法蓮華経にて有けり」(一念三千法門)
「諸法と十界を挙げて実相とは説かれて候へ、実相と云うは妙法蓮華経の異名なり・
諸法は妙法蓮華経と云う事なり、地獄は地獄のすがたを見せたるが実の相なり、
餓鬼と変ぜば地獄の実のすがたには非ず、仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、
万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと云ふ事を諸法実相とは申すなり、
天台云く『実相の深理本有の妙法蓮華経』と云云」(諸法実相抄) >>110
>この十如是は本来、空で諸々ある存在が、我々人間が仮に自性を持った存在かのように
>認知するカラクリを説明しているものです。
十如是は「空」ではなく「妙法の当体」をあらわしているのです。
では、いったん十如是から離れて、
自性がない、というのは例えば、人間の生まれ変わりをどう説明するのでしょう。
唯物論では、肉体の消滅とともに心も魂も消滅し何も残りません。
しかし仏教では、輪廻を説くのですからその主体があるわけですよね。
これは自性がないという空では、どのように説明されると理解されていますか?
以下に述べる久遠常住の法とは矛盾するでしょうか、それとも無矛盾でしょうか? >>131
>諸法実相(諸々の存在の本当のあり方)は縁起(縁に依って起こっている)、
>空(無自性、無実体)と初期仏教から涅槃経まで何十年間説かれています。
>久遠実成の釈尊は法身のメタファーであって、縁起されるこの世界、宇宙は
>無始無終であると初期仏教から説かれていることです。
法華経および涅槃経では、永遠の法である「久遠常住の仏」を説いており、
法華経では法身としての妙法、応身としての久遠実成の釈尊をあらわしています。
初期仏教では、縁起、空を説いていても、このような三世常住の仏はあらわしていません。
つまり法華経の諸法実相は、それまでの縁起や空を示すものではないのです。
>あなたは「空」の意味をさっぱり分かっておられないようです。
では、空の意味を誰にでもわかるように文証を示しつつ説明してください。
なぜそれが覚りの極致なのか、それでどのように衆生が成仏するのか。
>空という漢字のイメージに引っ張られて、誤訳してますよ。
「空」は、梵語の原義がそもそも欠乏や虚ろをあらわす言葉です。
シューニャ(sunya)は「欠いている」「膨れ上がった」「うつろな」という意味です。
私は、法華経以前の「空」は間違いとまではいいませんが、部分的真理にすぎず、
妙法のようにはあらわしていないと思います。
二乗の覚りである空は、妙法に包摂される概念ではあっても、決して同義ではありません。 所謂、本尊と言う礼拝対象物件とは?
仏様の模型ですよ、その模型に仏界から法身佛を勧請する。
本尊瑜伽とお書きになった人が居ます>>243仏様のお座りになる
椅子と思えばまあ間違いはない、然し粗末、粗雑に扱ってはいけません。
人の世界でも、役職者の椅子は位が高いという約束事が存在します。
では、法華経を釈迦は説かない、にも拘らず南無妙法蓮華経を本尊として
礼拝する、はて?其処に座すべき佛は誰か。
私は居ないのではないだろうか?と疑りが生じたままで其の存念は消えない。
他人が有難く拝もうが、そこに
一分の疑念が在するなら、礼拝する仏さまとして帰命しない、それが私の性分です。
因みに梵字が誤字なのは、許容範囲を超えて阿保臭く思えます、此れと瑜伽行?
出来ないですよ、この件は腑に落ちる迄、落ち着いてお調べください。 >>243
243です。
レスを下さった様で嬉しいのですが、何か?
身延山でも祭壇の中央にはお題目が書かれたお厨子がありまして、お題目を中心
諸仏、菩薩、諸天善神が奉られています。
法華経のお題目が御本尊としていますので、引用された御遺文に従っていると思います。 横入り申し訳ない。
>>249
つーか、文証ってなによ?というか、そんなものに依存する理由が良く分からん。
言葉ってのはそもそも人間が作り上げた概念で、概念なんて根拠にならんのよ。
つーか、空って理屈じゃないというか、そんなもんはあらゆるものを生じさせるポテンシャル。
実態にしても空間にしても、それが生じたり認識するためには、実態にしても空間にしてもそれが結実する場が必要なの。
西田幾多郎は、そのあらゆるものが結実して実態として存在して見える現象のことを場の理論として説明しようとした。
元々あらゆるものはエネルギー的なものだ。
分子にしてもそれを構成する原子や電子にしても動き。
それら動きが存在するには動きをなさしめる場が必要なの。
それは言い換えれば、あらゆる大元が光だとすれば、光だけでは存在を認識されない。
光は何かを照らす照らされるという関係が成り立つことによって存在が認識される。
その照らす照らされるという関係は、その動作と動作が生じる場が必ずセット。
それは、光を投射される映画のスクリーンのようなものだ。
映像は、照らすなにか、照されるもの、照らされたものを見るなにか、この3つで成り立っている。
この成り立ちそのものが場であり空。
そしてこの空は、つまりこの関係性が生じる場や映画のスクリーンは、特徴として差別や区別をしない。
赤い光が嫌だからといって、スクリーンは赤色をカットはしない。
核融合が嫌いだからといって、場は核を排除したりはしない。 言い換えれば、場やスクリーンはあらゆるものを許容し、あらゆる可能性の出現を可能にする。
これが、最初に定義した「空とはあらゆるものを生じさせるポテンシャル」の意味。
龍樹は、場に生じるあらゆるものに実態性はなく、関係性で成り立っている観点から空の概念を導き出した。
そりゃそうだ。
あらゆるものは動きで変化で実態はなく、実態として錯覚されるものの正体とは、エネルギーの戯れから生じる一時的な関係性でしかないんだから。
ただ人間は、このエネルギーの戯れでしかない実態というもの、つまりありやしない実態という錯覚性を受け入れたくないのよ。
なぜならば、それを受け入れたら自分という実態も錯覚ということになるから。
だから人間は空に抵抗する。
空なんてものは虚ろや欠いているものだと解釈して、空から逃亡しようとする。
空という物事の無実態性から逃げて自分の実態の根拠を作るために、南無妙法蓮華経だ、神だ、アラーだ、と自分の大元を想定しようとする。
ただね、空って虚ろや欠いているものじゃないのよ。
それは説明したように、あらゆるものが生じる可能性。
その可能性がもし、光のように光りはじめると、あるいは原子のように動きを生じさせると、そこに場という現象が連動して生じる。
それはビックバン、あるいは映画のスクリーンに映像が投射されはじめる現象に似ている。 じゃあ、空を悟るとどうなるかというと、龍樹が洞察したようにあらゆる実態と見えるものは一時的な関係性でしかないことが分かる。
当然自分と思い込んでいる肉体現象も関係性でしかない。
その関係性を見抜くことによってあるシフトが生じる。
それは、映画のスクリーンに写っている登場人物が、自分は人間ではなくて光の一時的な投射でしかないことに気づくのに似ている。
じゃあ、自分の正体は?
それは光であり、あるいは光を生じせしめるあらゆる可能性を含んだビックバンエネルギーのようなもの。
そしてシフトとは、関係性によって生じた一時的な結合でしかない自分に気付き、その関係性を生み出している現象そのものに移行すること。
それは言い換えれば、自己を解体して空そのものになること。
そうなれば、あらゆるものは自分から生じており、全てに分け隔てや差異はなく、全てはあるがままに生じており、あるがままは関係性というダンスを演じてることにより1つの生命が複数の人間や動物植物鉱物を発生させ、それでいてそれらは実は全て自分であり、全ては生じて維持され最終的には滅ぶというリズムが永遠に繰り返され、その永遠の繰り返しは実は一瞬の間に完結されており、その完結の中に、究極の可能性は自分を人間動物植物鉱物という分割の錯覚を生じさせることにより、完結していながら無限の様々なバリエーションの世界を作りだし、永遠の至福を味わっている。
この状態を過去の賢聖達は、悟りや涅槃と表現してきた。 この状態は、純粋なる光に様々なバリエーションを加えることにより、スクリーンの映像に多様性と動きが生じることに似ている。
この仕組みが分からずに、空になりきる悟りを理解できていないと何が生じるかというと、繰り返しになるが空を虚ろとか欠けているという誤解釈を行う。
この誤解釈は、スクリーンに光によって生じている登場人物が、自分は個別の実態だと勘違いし続けているようなものだ。
自分が消えることを恐れて、自分は光じゃない、光の動きじゃない、光なんてものは虚ろで欠いていて、それが自分自身ではあり得ないと語る。
そして自分自身の実態を確実視したいがするために、自分は他の人とは違うという差異を作りだし、優劣を作りだし、正邪を作りだし、それらを根拠付けるために南無妙法蓮華経だとか神だとか虚ろな城郭を築いて、そこに自分は南無妙法蓮華経を信じる独立した正しい菩薩という偶像を描いて立て籠っている。
人間はあらゆることを否定することによって、初めて、個別性という幻想を消し去り全一に帰ることが出来る。
それは決して空しいものではない。
空っぽだからこそ、あらゆるものを差異なく、優劣なく、正邪なく、リミットのない包容性、無限性として自分自身を創造することが出来る。 >>1
協力者求む
俺らで逆に集団ストーカーしようぜ?範囲は絞った、顔と声は数人わかるわ@葛飾区南水元4-4-14で攻撃されてるF
許さんよ絶対、わーくには東側陣営じゃないぜ?
お前らってやっぱストーカー行為も学校で習うの?研究費無駄じゃないの?もっといいことに使えよ
こんな奴らよ、奴隷達、いいのかい?今こそ反撃のとき@葛飾区
少なくとも以下の法律に違反します
1. 不正アクセス禁止法
2.個人情報保護法
3.建造物侵入
4.傷害致傷(本人の意図しない物質の投与は傷害罪)
5.ストーカー規制法
6.特殊開錠用具の所持の禁止等に関する法律
7.電波法
何度でも繰り返すけど、下のやつ気をつけろよ
人売り自体してますからね
青年会議所も危険
黒マスクは結構多いよね
1.手口はアンドロイドならネットハンター
2.もし読み上げが続くならせいぜい数十メートル以内にそいつはいる
3.GOタxxxは危険
4.NTTの着るカメラで検索検索〜
5.PC・ルーター乗っ取りなんのその
6.家宅侵入も得意
7. 持ち物・身体、全てに疑わしい形跡あり
8.誘導好きですよね
9.共産党のせいにしたがります 色即是空・空即是色
量子力学が発見されたことで、初めてこの般若心経の言葉に科学者たちは驚いたと言う >>225
在る意味、真理ではあるな。
在る意味といったのは
言語化されたものに頼る事は事実が見えなくなる。
真理をeyes wide oppen としての眼差しを持とうとすれば
自らが読み解かなければならない。
誰であろうと言語化されたものに頼りがちだ。
仏教信仰・法華系日蓮系の信者は、教学的虚無を支配者としてサタンの僕と化してしまう。
それでは生の意味も虚無として、後ろ向きにしか受け取れなくなる。
だが、虚無を前提とするだけならば、仏法に近ずく道は更に狭い物になる。
ここを把握した上で本質の概論・総論を述べる中に
瑣末な各論を例に出しているのなら、決して間違った事ではない。
むしろ、そういう意味では真実ですね。 >>257
>量子力学が発見されたことで、初めてこの般若心経の言葉に科学者たちは驚いたと言う
ゲーデルやハイゼンベルグ、グレゴリーチャイティンの論理演算式や
シュレディンガーの思考実験。
また政治・社会倫理思想においてのマイケル ・サンデル教授など、更に深い事を言うと
シオラン・デヴィッドベネター 、マルクスガブリエルなどの哲学者思想家物理学者
が語っている事が、いちいち法華経に符合していますね。
で、問題なのは、法華系日蓮系の信者さん達に
これらの現在の抽象化された上位概念・公理と現時点での集合的知を
信者さんの信仰的信条の間に乖離させる川に
どの様に橋をかけてあげるか?
これが本物の仏法の広宣流布なのでは無いでしょうか? 引きこもりや生涯単身向けに開発された仏法かな?
自分の法で語ると還って自分の鑑になるって日蓮系信者は一番よく知ってるよ
乖離という言葉も自分が乖離した立場の観点から出た思想って気づけるかな?
人徳に恵まれた人の思想ではないね >>259
日蓮系でも正宗と創価みたいところは現世利益で洗脳されてるから無理だと思うよ
正宗は楠板本尊を創価は日寛本尊を拝めば功徳あると信じ込んでるからね
要は他力本願なんだけと彼らはそう思ってないわけ
あくまでも唱題のための曼陀羅であると言う考えを知らないからね…
本尊とは外にある何かだと教え込まれ宗教ビジネスに洗脳され思考停止のままだから難しいよね >>260
>乖離という言葉も自分が乖離した立場の観点から出た思想って気づけるかな?
>人徳に恵まれた人の思想ではないね
全てのマトリックスをメタ的に見た乖離という意味でかいたんだけどね。
二つの意味で誤解されそうな言葉だな。例えると
イースト・リバーってマンハッタンとブルックリン、ロングアイランド、クィーンズ地区を
分ける様に流れてるよねえ?でもイースト・リバーってその分かれ目は必ず分水嶺・ふたまた道なんだ。
これに対してベネチアの水路(canal)とか日本だと「橋のない川」とか
「竹田の子守唄」とか、あしたのジョーの泪橋とかさ、そういう
リージョンを完全に分断する溝という意味、つまり不可視的な不可侵文化圏の(外部の人は誰も近づこうとはしないという意味で)
国境見たいな意味で言ったんだけどね >>260
>乖離という言葉も自分が乖離した立場の観点から出た思想って気づけるかな?
>人徳に恵まれた人の思想ではないね
気付けるかな?
一度、特に宗教や自己啓発的団体の構成員になると
その団体の中で「仏教用語や仏教思想の誤用」が繰り返されるから
社会心理学的にエコーチェンバー効果と言って
周りの仲間が言うことの方が真実である!というバイアスがますます強くなってく
ものなんだよな。人間って。 >>244
>空は法華経が説かれる以前の教え、二乗の覚りです。
「如来は是れ一相一味の法なりと知れり。所謂解脱相・離相・滅相・究竟涅槃・常寂滅相にして終に空に帰す。」「聞諸法空 心大歓喜」薬草喩品
「薬王、若し善男子・善女人あって、如来の滅後に四衆の為に是の法華経を説かんと欲せば、云何してか説くべき。是の善男子・善女人は、如来の室に入り如来の衣を著如来の座に坐して、爾して乃し四衆の為に広く斯の経を説くべし。如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是れなり。如来の衣とは柔和忍辱の心是れなり。如来の座とは一切法空是れなり。是の中に安住して、然して後に不懈怠の心を以て、諸の菩薩及び四衆の為に、広く是の法華経を説くべし。」
法師品
「復次に菩薩摩訶薩、一切の法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動せず、退せず、転せず、虚空の如くにして所有の性なし。一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず。名なく相なく、実に所有なし。無量・無辺・無碍・無障なり。」安楽行品
法華経を説くものは空の中に座りなさあいと書いてありますよ。 「如来は如実に三界の相を知見す。生死の若しは退、若しは出あることなく、亦在世及び滅度の者なし。実に非ず、虚に非ず、如に非ず、異に非ず、三界の三界を見るが如くならず。斯の如きの事、如来明かに見て錯謬あることなし。」
如来寿量品
相対的な立場いずれをも否定して、有無の見ない。無相、無自性、すなわち空を見ているという意味。 >>244
>また本尊(根本尊敬)とは偶像崇拝のことではありません。
じゃあなんですか?
じゃあ本本尊とか偽本尊とかどうでもよくないですか。別に日蓮の書いた曼陀羅なんてなくてもいいじゃないですか。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる
胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」
このように、一切衆生の生命の根底にある尊極の仏の生命です。
他と分別させ固有化させた形而上的な概念を、、他よりも崇拝してるじゃないですか。
如来は分別を見ないんです。第一義諦では尊敬するものも、尊敬しないものもありません。
涅槃、悟り、は体験であって、涅槃は崇拝対象ではないし、根本尊敬する対象ではない。 >>244
オプションのような追加選択的なものではありません。
仏法の悟りの極致であり、諸仏の出生の種であり、森羅万象の根源の法です。
あなたは日蓮の描いた曼陀羅を見て、仏を観想し、向かって南無妙法蓮華経とマントラを唱え、胸の前で合掌印を組んでますよね。
これは純密経典で大日如来が教える三密加持の修行です。ヨーガですよ。
大日経を読んでごらんなさい。
法華経には一言も三密加持をしなさいなどと釈尊は述べてない。涅槃経にもない。
なんでオプションじゃないそんな重要なものなら釈尊はなぜ法華経で三密加持を語らなかったですか? 少し、専門家の要領を解きます。
絵や木で造作した像に行う御霊入れの理(ことわり)であります
儀軌に従い、試作する本尊となる像を修法壇、または結解を修した場に安置する。
次いで導師は、入堂護身結解などの法を次第に従い行いつつ入魂の段に至る。
導師は観念に於いて、1目前の絵木の仏、2心中の観想に於いて描ける仏の姿形、
3その場に仏界から勧請する本尊の仏が互い互いに平等であると観じ、三身が即一致する法を修し、観念では令法久住を祈る。
大まかですがこれ以上は説きません、印、真言,観想に立ち入る故です。
三平等観は密教に於いては極めて大事な観想なのですが、日蓮宗では素朴な入魂儀式を行う様子です。 なんでええけど
今の時代の世間一般のまともな人にそんな説明で理解されるのか?
ましてや海外の人にはちんぷんかんだろw >>269
理論上で満足し完結する教えだから肝心な修行がないんだよ、実に及ばないというか
体験こそが最上の教え、つまり現証
机上能書き垂れってのは実際は心がひょろガリで風上にも置けない無能が多い
机上で威張ってたがいいが、いざ体験したら全然教えが伴わない
だから学仏法成は去っていく人が多いよ
あと、ちゃんと海外の人でもbuddhismとしてmaster and pupilの関係があるし、日本と根本は変わらない
こればかりは海外で活動されてる正師様と翻訳した有志者に感謝しなきゃいけない どうもみんか他人事なんだよな…
趣味の世界なのか?(笑)
正師様って、誰やん?(笑)
誰かに布教任せてんのか?
自分らは何もせんのか?
ただ、ここで便所の落書き書いては張り合ってるのか?
アホだろ(笑)
その辺の街歩いてる人、コロナ禍で途方に暮れてる人に仏法対話して来いっちゅのが(笑)
誰も出来ませんで良くもまあここで偉そうな便所の落書きで毎日議論めいてるわな オマエらアホだろ!? >>254
>じゃあ、空を悟るとどうなるかというと、龍樹が洞察したようにあらゆる実態と見えるものは一時的な関係性でしかないことが分かる。
という事は空は諸法無我と同じやな。 >>271
コロナの状況で対話に行くほうがアホ。
しかもおまえらそうかは対話ですらない、洗脳のための波状攻撃。または相手がしびれを切らして従うのを狙うだけのクズが多い。
本当の化他行やってるガッカーはもう殆どいない。 ここは頭イカレばっかなのか?
都合悪くなるとソーカとのるのか?
ソーカvs非ソーカなのか?w
もともな人は去ってしまったかw 事の発端として私も悪かった
因果応報として反省する
仏法対話として、ここは経文に習って決して破和なく教えに従っていきましょう
ここは元より創価の立てた日蓮スレで
気付けば不法の集いとなり、謗法の領域となれば、返って日蓮大聖人と違えた教えに転じてしまう事
謗法の酔い
謗法与同を一番に恐れるべし
お互い信心ある人なのだから、以後ここを離れ一切書き込まない事
折伏優先の振る舞い、すべき布教を他人まかせにしない、自覚と実践
少しでも出来る事を見つける >>250
>法華経を釈迦は説かない、にも拘らず南無妙法蓮華経を本尊として
>礼拝する、はて?其処に座すべき佛は誰か。
レスありがとうございます。
釈尊が法華経を説かなかったという根拠はありません。
また仏とは歴史上の釈尊一人ではありません。
以上は>>98-99にも書いてますのでご参照ください。 >>251
こちらこそレスいただきありがとうございます。
大聖人が顕された御本尊とはだいぶ相貌が変わっておりますね。
日女御前御返事に、
「序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い」
とありますが、仏菩薩以外は列座してないのでしょうか? >>252
>横入り申し訳ない。
>つーか、文証ってなによ?というか、そんなものに依存する理由が良く分からん。
レスありがとうございます。
文証とは仏教徒や仏教を学ぶ人が、仏典の解釈をめぐり論じるにあたって、
各々の主張の由来や根拠とする経文のことです。
経文や御書の言葉は、仏の意であり、後世に語り伝えていくべき精神です。
「仏教とはいかなる法をあらわし、何を語り伝えてきたのか」
ということの論拠になるものですから、仏教として論じる場合は、
どの経文や論についての解釈であるかなどを示していくことが必要となります。
例えば以下は、経文や釈に書いてあるのか、仏教界で広く認められた空解釈といえるのか。
出典が何もないので、一般的理解とは異なる解釈を述べてるようにも見えます。
>つーか、空って理屈じゃないというか、そんなもんはあらゆるものを生じさせるポテンシャル。
>ただね、空って虚ろや欠いているものじゃないのよ。
>それは説明したように、あらゆるものが生じる可能性。
例えば、
「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体・悉く一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなり」
諸法実相抄
無量義経「無量義とは一法より生ず」
このように文献的根拠を示すことで、各々の意見が単なる自義ではないと理解されるのです。 >>264
レスありがとうございます。
法華経二十八品で一乗妙法が説かれるのですが、この時点では潜在的に示されただけで
本来の妙法は明確になっておらず、三乗の解脱観、寂滅の思想が混在して語られてるのです。
例えば、一切衆生に仏性があることや、十界の生命、煩悩即菩提、諸法実相、十界互具、因果倶時、
一念三千、開く・蘇生・具足円満という妙の三義…などの妙法の本来の意義は、
二十八品でではなく日蓮大聖人の顕わした南無妙法蓮華経により明らかになっていきます。
>法華経を説くものは空の中に座りなさあいと書いてありますよ。
法蓮華、獅子座などといいますが、
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」
妙法を説く人の場所はそれが山野であれどこであれ、寂光土であり、当詣道場となります。
曹洞宗の開祖・道元は入滅の日に、これに相当する如来神力品の一節および妙法蓮華経庵と
柱に書きつけたそうです。
自性がない空という概念のみでは、仏性をみとめるのか?輪廻の主体をどう考えるのか?
常住の法はあるのかないのか?
これらの問いに、矛盾なく答えられないのではないでしょうか。
天台はおそらくそれを補うような形で、空仮中の三諦を“円融相即”と表したのだと思います。
この三諦義については、日蓮大聖人もしばしば引用しているところです。 >>266
>じゃあ本本尊とか偽本尊とかどうでもよくないですか。
本尊とは、一切衆生の心の奥底に秘められた仏の生命を引き出していくための仏の智慧であり、
法華経の会座における悟りの境地をあらわしたものです。
一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し、五字の内に此の珠をつつみ、
末代幼稚の頚にかけさしめたもう(観心本尊抄)
ゆえに妙法を唱え、学び、人に語るとき、自らが妙法の当体となり本尊ともなっていくのです。
本尊とは法華経の行者の一身の当体なり(御義口伝)
>別に日蓮の書いた曼陀羅なんてなくてもいいじゃないですか。
十界漫荼羅は日蓮大聖人の悟りの境地をあらわしたものですが、ただ己心を観じるよりは
目に見える対象として顕わし、それに向かって声を出して唱えたほうがいいです。
最初は御本尊が何を顕わしているのかわからなくても、仏の大慈悲と智慧によって
自然と己心に秘められた仏界の生命を涌現させていけるのです。
この御本尊は仏の大慈悲によってあらわされた衆生救済の智慧であり、功徳聚ともいいます。
釈尊に譲られた一切の法、一切の功徳が込められているのです。
日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、
仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし
(経王殿御返事)
法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり、一切の功徳法門・釈尊の因行果徳の二法・
三世十方の諸仏の修因感果・法華経の文文句句の功徳を取り聚めて
此の南無妙法蓮華経と成し給えり(御講聞書) >>267
>これは純密経典で大日如来が教える三密加持の修行です。ヨーガですよ。
>法華経には一言も三密加持をしなさいなどと釈尊は述べてない。涅槃経にもない。
>なんでオプションじゃないそんな重要なものなら
>釈尊はなぜ法華経で三密加持を語らなかったですか?
大日経は七世紀頃につくられた経典で、華厳経、法華経の影響を受けていると思われます。
法華経の中にも、陀羅尼や南無仏などと唱える姿があり、むしろこちらの成立が先です。
ただし唱題行を確立するうえで、諸宗の様式にインスパイアされた点もあるでしょう。
先述したように、二十八品の法華経が説かれた時点では、妙法の優れた論理や修行法は、
潜在的にはあらわされていたものの、それほど明確ではなかったのです。
付嘱された法をどうあらわすか、いかにして一切衆生に開かれた教えにしていくのか
それらの一切を含めて、釈尊は未来の弘法を地涌の菩薩の代表に託したのでしょう。 おい!
ID:txsleiaG(6/6)
オマエのアタマ大丈夫か?基地外か?
長々と自演してバカなのか?
病院へ行け >>280
再びレスをいただき有難うございます。
引用された御遺文より察すると身延山の本堂の御本尊には二階八番の雑衆が揃っていないのではないか?というご指摘かと思います。
須弥壇の立体曼陀羅ではお題目を中心として日蓮大聖人坐像、釈迦牟尼如来、多宝如来、四菩薩、四天王、不動明王、愛染明王が文字曼陀羅と同じ様に並んでおりますが、全ての諸天を勧請してはいない様です。
これについて破折されるのでしょうか?
文字曼陀羅も書写した時代により勧請する尊体が変わっているのですが、その点を気になさっているのでしょうか? >>279 如是我聞の四文字に騙された古人は余りにも多い。
貴君もその範囲の御仁である。
法華経を釈尊が説いたという確りした物的な証拠を以って説いている。
国立大学の教授クラスの仏教学者を紹介してください
法華経を釈尊直説の経典と自分の受け持つゼミナールで発言する
国立大学の教授は居ない、ウッカリ寝言でも云わない。
此れは絶対に居ませんな、例えば富士の樹海にヒグマは居ないし、ライオンも居ないと
琵琶湖にマッコウクジラは泳がない。それらと全く
等しい程の断言をします。 290の続編 これ等の発言集はその場に、絶対居ない人の発言とされる。
当然、法華経を代表とする大乗経典群の話題である。
このお経では、阿弥陀さんが信者の死の間際に救いを表す。
法華経の中で人生末期の救いは在るか?探す手間が大変らしいので諦めるべきだろう。
阿含教典群では自己の修行により、救済を得ろと釈尊は言う。
一度でも「なんまいだぶつ」と唱えると救済がある弥陀の本願とはかけ離れる。
全く矛盾する法話を釈迦が生涯のある時期に別個に説き遊行するとは、大変な詐欺師
と見做したのは、戦国時代に日本にやって来た宣教師達。
阿弥陀経も法華経も説く肉身の釈迦は居ないという証明は中々、困難だが其れは明治時代にとっくに証明済。
如是我聞の四文字の素性は、100年以上前に解明されている事を宗教団体の教学部は秘匿する、
其れは宗教詐欺で御座いますよ。 291三行目訂正
例えば、仏説阿弥陀経では、阿弥陀仏が信者本人への死の間際に救済在りと記す。 290から292までに記す、
「大乗諸経典釈迦不説法学会認定」を認めたくない各宗派は
その学問的成果を明治末期に隠匿し現代に至る。
多分だが、「私の指摘する実態、この 日蓮って と言うスレッド内でも無視する
投稿者が100%近いと思われる」
江戸期の宗派学林で成立する宗学は、一行目の歴史認識に欠ける欠陥ゆえに
学問の世界から置き去りにされる遺物になっている。
その宗学をドリル形式で予習、復習させ信者に刷り込ませる某教団には反省のかけらも無い。
あんたらって、まあそんなもんですわ。 >>294 教学部のイカレ塩梅を矯正しようか、と思いまして投稿しとります。 日蓮正宗、顕正会、創価学会、正信会 は同じ富士門流法主が書写した本尊を拝んでいるのに
なぜお互いに醜い争いを行っているんでしょうね。 >>296
昔のカソリック教会で果てしもなく継続した争いと全く以って同様なこと、
教典の解釈権の争奪戦。
古くは、プロテスタントとカソリックの争い、つまり聖書を一般人が読む時代
印刷技術が聖書普及を促しと共に解釈が広がるわけだ。
一人一人が聖書を読む時代へ入り、オランダ英国は新教徒、フランスイタリヤは旧教と別れたりする。
お前は嘘を言ってる、止めろ!とかなる訳で御座いますな。
日蓮は日本国の棟梁である、日蓮を殺すは日本国の柱を倒すのである。
見ているが良い、今すぐにも自界叛逆の難といい北条一門の同士討ちが始まり、他国侵逼の難といってこの国の人々が他国の敵に打ち殺されるだけでなく、多く生け捕りにされるであろう。
それゆえに早く建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏殿・長楽寺などの一切の念仏者や禅僧たちの寺院を焼き払って、彼らの首を由比が浜で斬り、謗法の根源を断たなかったならば、日本は必ず滅びるであろう。 原始仏典も、釈迦滅後数十年経ってから口伝で伝えられてきたものが編纂されたもので、必ずしも直説とは言えないからと言って、数百年経ってから創作された法華経を、同じレベルで釈迦の教えと言い張るのは、全くの詐欺師の論法。 法華経は全て方便だよ、だから価値があるといってもいいぐらい
如来神力品の中に法華経を語る場面がある
面白くない?物語の中に法華経があるなんて 曹洞宗は原始仏教の教えに最も近いから尊敬を受けてきた。曹洞宗が法華経を読誦しているのは、いわゆる方便であろう。 法華経は童話でもないし、文学でもないし、思想書でもない。宗教の教えでもない。もちろん自然科学とは無縁。
居酒屋の与太話のような低劣な俗論の寄せ集め。
せいぜい久遠の昔から説いてきたと言う大我妄執の戯論。久遠の昔から説いてきたなら当然全ての人類が帰依しているはずだが、今は末法だとか、支離滅裂。
まあ、酔っぱらいの大ホラ話しだからね。
宗教の教えでも、人生の教えでも無いから、経典名を唱えることが功徳などと変な解釈をする人が出てきた(日蓮)。
法華経や日蓮は、宗教社会学の研究対象である。
何を信じるかはその、人の勝手だけれどね。洗脳されている人は愚かだ。 共同幻想を目指した何かだと解釈している
人権の無い時代に天賊人権論は法螺話だというのも酷なこと 諸法実相、一念三千は天台宗の教義ですよね。
日蓮は真言宗は一念三千の教義を盗んだと非難しているけど日蓮系の宗派も天台亜流を認めないと一念三千の法門盗んだ事になるのでは?
そもそも一念三千は摩訶止観には1度しか述べられていない様で本当に智の説なのか疑義があるようだ >>286
こちらこそ、レスいただきましてありがとうございます。
大聖人は「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候」とありますように文字曼荼羅を顕わされ、
首題の五字、日蓮を中央に、仏菩薩、諸天のほか、人非人の十界の衆生が列座しています。
日女御前御返事(御本尊相貌抄)においては御本尊の相貌の意義について、
宝塔品の文を引かれ、虚空会に連なった仏菩薩および十界の衆生が悉く、
妙法の力で成仏する姿を本尊にしたとあります。
また「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり」とありますように、
大聖人による種々の御本尊は、いずれも十界互具の生命が表わされていると思います。
以上のようなことから、私も本尊について考える機会が多く、
御書に照らしてどのような見識でいられるかお尋ねした次第です。 >>288
レスありがとうございます。
もはや神仏以上に学者を信仰されてるご様子。
私はいかに学者であろうと、一方の側だけを仏説または非仏説と断定できないことを述べました。
それに対して貴方はそのようなあらゆる可能性を言下に否定し、固執しておられます。
したがって際限なくループしている状況です。 >>300 此の文の様に教典の解釈権を持つのは
私であってお前ではないという一章が論理の始まり、出発点である。
キリスト教では先ずバイブルの出自ギリシャ語聖典と古代ローマ語からの
訳出問題指摘という争論が在り、欧州の教会人はどちらの訳文が正か誤かで争った。
その観点からすると法華経の訳は滅茶苦茶と言えよう、鳩摩羅什三蔵の法華経訳は
付け足しだらけ、正法と訳す箇所を妙法としている、此れは指摘するのは川口慧可師。
近年のサンスクリットからの訳文で優れる者は植木氏と定評があるらしいが小生は未読な故、発言不可能。
日蓮は、鳩摩羅什三蔵の訳文を釈尊金口の説法と固く信心する僧侶、彼が在る故に近代仏教学と
乖離するのは当然、然るに現代においても日蓮氏の遺文を日蓮信者は、(仏様の金口扱い)する為に
「物凄い捻じれ現象」が生じる段階を目前にする。 >>309 学者の論、仏教教典をも取捨選択するのは思想の自由である
あらゆる、全てのお経は参考意見として見做して構わないのが一般人の生き方。
話は法華経に移そう、提婆達多品成立は佛滅後数百年に文章化され
法華経に於いて宣伝されるわけだが、何故だろう?と事情を考えたことが在りますか?
提婆達多教団は法華経成立時代にも、布教や信者、檀家の実態があって
此の教団はカシミア地方に男のみの小さな出家教団として存続していた。
多くの人が受け売りで女人成仏を否定すると非難したがるが、インドでは出家は基本的に男がする。
詰まり、本家を名乗る側からすると、大変に邪魔な存在が分家の提婆達多教団であったのです。
あの龍樹菩薩、唯識の世親と無著の兄弟もカシミールの子の教団出身という強い説がある。
次の仏教研究の大いなる御題は此れだろうと予測が立つのです。
「仏の大敵と提婆達多は認定」は何処の誰とも判らない他人の意見なのです。
執拗に書き残す必要性が在った理由を探るべしと考えるべきでしょう。
read.cgi ver 07.2.8 2021/03 Walang Kapalit ★
Cipher Simian ★ 仏教学的には、一念三千は智が宣揚展開した教理とは考えられていない。
一念三千が仏法の極理、とまでされるになったのは、智から数えて六祖(龍樹から数えると九祖)である妙楽大師・湛然が、「止観輔行伝弘決5」で一念三千が智の「終窮・究竟の極説」と配釈し、これを指南とするように説いたことがその始とされる。 >>290.
>法華経を釈尊直説の経典と自分の受け持つゼミナールで発言する
>国立大学の教授は居ない、ウッカリ寝言でも云わない。
結局、悲しいけど、全ての物事の解釈は、その人の知性によって違うんだろうな。
「法華経は釈尊の直説か?」なんて本質から離れた話をする人を、説得するのは無理だとおもうよ。
空飛ぶマグロはいないけど、
方便としてなら
夕暮れのセーヌ川に突然現れた空飛ぶマグロの大群、は存在する。
ここで
「セーヌ川の上にマグロが飛ぶかよ!わら」とか言っちゃう奴にはもう仏縁は遠いだけ。
存在しない「空飛ぶマグロ」という物語は、何の為の例えだったのか?を
一発で見抜く奴もいる。何遍せつめいしてあげても全く理解出来ない人もいる。
法華経自体が空飛ぶマグロなのにね。 別にマグロじゃなくてもトゥースフェアリーでもユニコーンでもいいけどさ。 実は>>255さんのレスの、以下の文言に感心して返したレスでした。今頃アンカミスに気がつきました。ごめんなさい。
>人間はあらゆることを否定することによって、初めて、個別性という幻想を消し去り全一に帰ることが出来る。
>それは決して空しいものではない。
>空っぽだからこそ、あらゆるものを差異なく、優劣なく、正邪なく、リミットのない包容性、無限性として自分自身を創造することが出来る。
こんなに真理を分かって頂ける方なのに、私のアンカミスで
「全ての信教の自由を尊重する」という私の立場が、矛盾してしまいました。
謝罪いたします。
くどいようですが、どの宗教も、どの自己啓発セミナーも、どのマルチ商法も
私は一切、否定はしません。
ただ、「言ってることと、やってる事が全然違う」という点が見受けられれば
自己開発セミナーの創立者に質問状を送りつける「だけの人」なんです。私は。 >>314
宗教ビジネスの極悪創価にもぜひ送り届け願います。
今日の我が国の衰亡の元凶は正しく創価が会員を洗脳し思考停止にして繰り返されている訳ですからね >>307 河口慧海師がチベットの経蔵で見出し、後に完全に翻訳する法華経の体裁について
チベット版では五如是のみと述べる。
慧海師はチベットに蔵される経文はサンスクリット原典からの直訳とご存じ、
原典の梵文法華経に重きを置くならば、正解はチベット訳に在る。
<<然し乍ら鳩摩羅什三蔵漢訳の法華経には
十如是になって居、此れから一念三千の教理が編纂される。>>
河口慧海師は
詰まり在り得ない、成り立たない論を何処かの志那人は編み出したと述べているのです。
<参照、講談社学術文庫、第二回チベット旅行記より> >>316の内容の真偽は諸氏のお手間に任せる、
にしても鳩摩羅什三蔵の法華経への付け足し、削除は相当に意図的と
言えるらしき振る舞いである。
いや、あれはそれで良いのです、グッと仏さまの懐が深くなって居ますから
と言いたがる浅猿間敷き御仁が必ず出現するけど、「一念三千は仏説の範囲なり」
が通用したのは明治維新前の学林仏教時代までなので御座います。 >>279 んでもって如是我聞は阿難尊者なんですけど。
貴方の論なら阿難尊者も替え玉が居た理屈に成りゃしませんか? >>317
>にしても鳩摩羅什三蔵の法華経への付け足し、削除は相当に意図的と
>言えるらしき振る舞いである。
>いや、あれはそれで良いのです、グッと仏さまの懐が深くなって居ますから
物凄く法華経を読み込んでますね。
十如是加筆や意図的削除の理由の集合知を無視したまま、本物偽物という人達は
おそらく法華経を完読していないし、訳を比較したり、学究の文献学まで
知ろうとしない人で、その知るという行為をしない人の「知る努力の欠如」の
弁解を探す事に熱心な人って多いですよね。それだけ熱心に言い訳を探すなら法華経を読めばいいのに。
意図的な加筆や、意図的削除は
白純、符堅、呂光、捕虜として涼州17年間停住、姚興により解放・国師認定
勢力を見せつける法華経訳という国家事業、プロパガンダ国策事業の為に
実質、鳩摩羅什は軟禁状態で、10人のセックス・フレンドを姚興から与えられ
鳩摩羅什も美女の誘惑には負けてしまって、一度セックスをしたが最後
姚興「お前は出家の身でセックスしたな?よし!還俗して法華経国策事業に参画しろ!」
という
こういう文脈を把握した上で、鳩摩羅什訳の法華経を読むと、羅什法華経の文章の
裏側が読めてきて、鳩摩羅什が右にも転ばず、左にも転ばず、綱渡りを渡り切り
法華経の本質を姚興に従うフリをしながらも、絶対に外さなかった、離れ業に惚れ惚れする。 >>319 早速、貴方が率先してお得意の切り文みやってますねぇ。
グッと仏様の懐が深くなって居ますから、←次の文を意図して外すテクニック!下手!
と言いたがる浅猿間敷御仁が現れってそりゃ貴方そのものなのです〜〜〜〜〜〜〜
嗚呼、やれやれ >>320
私は鳩摩羅什訳の法華経に関してのみ語ったんだよ?
鳩摩羅什と竺法護の比較とか、ギルギット版や宗版の比較とか
各宗派や各宗教団体に関してソシオメタリックに語ってるんじゃ無いよ。
バンデューラの代理強化理論とは、全く別のはなし。正反対の話をしたんだよ。 >>321 貴君がまあ仰る、ままなのでしょう。
普段使用しない社会理論用語が引っ掛かりますがね。
私は、法華経なる教典を当時の印度社会に流布する一般仏教常識を拾い込んだ
オムニバス教典と捉えています、言うならば旅行案内、ご当地の観光案内みたいなお経
だからして,初心者向け、仏教理解書としてお薦めする段です。
小生は以前から密教に興味を抱き云々しとった経緯があり、法華経の陀羅尼品を観るなら、当時の印度の一般人に向けて説いて受け入れられる範疇の密乗の常識と捉えます。
私はどの方面分野の学問、娯楽趣味などでも形成発展の歴史を知ると興味が深くなると思います。
そこで、仏弟子で御座います、仏教徒で御座いますと言う人たちに、初期から密教に至る歴史を掻い摘んで説明していますが、全く俺は日常信仰してないよホントにさ、
と仰る方々の方には多くの賛同を得られます。
仏教徒はせめて、仏教界にも明治維新が在った事、その不消化を知るべきじゃないですかね?
思想と信仰の自由その恩沢を遮断する人たちが、このスレを読むのですよ。 >>323 消化不良や便秘状態から救済してやろうかと思いましてね。
便秘ってのは自家中毒症状が起きるので苦しいのですってさ >>322
>普段使用しない社会理論用語が引っ掛かりますがね。
これは今の時代しょうがないですよ。私も知らない言葉に出会ったらスマホに語りかけて
検索してもらってます。へい siri ってね。
職場でよく使う言葉、例えばシナジーやアジェンダとか、違う職場では
全く使わない訳ですしね。今はスマホを持ってれば知らない言葉や外国語の本でも
カメラを向けるだけで日本語にリアルタイムに訳してくれますしね。まあ時代ですかね。
確かに仏教初心者向けとして素晴らしい法華経だと思うのですが
いままで出会った人で、素直に法華経を読んでくれた人って特徴が二つありまして
1・知性的または読書好きの人。映画、演劇が好きな人。
2・仏教に関して偏ったバイアスが無い人。
なのですが、これって逆に考えると
既に仏教の様々な知識がある人は、どうしても知性的で無い場合に限り
帰属のエラー(バイアス)を発動させてしまうという事では無いか?と考えています。
つまり多少の仏教知識が内的属性として、法華経を読み間違えた場合
1・1度立ち止まり、読み違えているのでは?と考えられるタイプと
2・外的なものに原因を見出そうとする人(訳者や何写本か?寓意の取り扱いなど)
こういうタイプに分かれる人達を私は観察してきました。
ニーチェの「ツァラトゥストラは、こう言った」の最初のページに書いてある
「誰にも読めるが、誰にも読めない本」を法華経の最初に持ってきた方が良いかもしれませんね。
方便品第二も、同じ事が書かれている訳ですが、この修辞が理解出来ない人が多いですから
私なら 「誰にも聞くな!一人で読め!」と書きたいですねw 相手が子供でも、「この薬はこういう効果が有るから飲むべきだよ」とキチンと教えて飲ませるのが、本当の親であり指導者と言うもの。
騙して引き回して飲ませて、結果良ければそれでOKなんてのは、子供にとっても何の成長もない。
そもそも人間をバカにしている。
火宅の教えもその通り。子供が遊び呆けている時に火事になったら、「火事だからすぐ避難しないと焼け死ぬよ」と教えて避難させるのが当たり前。
それを、「外にもっと面白い遊びが有るよ」とか、「綺麗な馬車が有るよ」とか騙して連れ出そうとしても、子供が何も理解していなければ、「やっぱりこちらの方が面白い」などと言って、逃げないこともある。
子供でもそうだから、大の大人が、そんな態度で騙して引き回されては、たまったものでない。
そもそもそんな下らない喩え話しなら、誰にでも解る話だから、釈迦が死亡する寸前まで隠しておく必要など何も無い。「最後に説いた最高の教え」とか喧伝しているがどこがだよ?w全く下らん話ではないか。もちろん初転法輪の時から話していても、話し自体は誰にでも解るレベルだ。
情報非公開と引き回し主義、人間蔑視そのもの。
方便だ方便だと言って、年がら年中嘘ばかり吐いて、コロコロと態度を変えている創価公明のような下劣な連中だけが、そんなものを美化している。 釈迦の例え話を聞いて、それに返礼する意味合いもあって弟子が理解しと言う証拠に自分達で別の例え話をしたと言う教えだよ >>330 阿難さんが伝える如是我聞の信憑性が薄くなる、君の御意見を聴く人は法華経に
対し信頼度が薄くなる。お釈迦さんへの信が薄くなる。
そうなると秋の衆院選挙は信頼度が厚い党に投票が集まる。
風が吹くと桶屋が儲かる、落語の現代版。
そのうち、詐欺師どもは、「法華経も方便なんだよ。お前らがバカだったから、そう言って引き回して鍛えてやったんだよ」なんて言い出すんではないか? >>330
法華経は弟子が創ったと言いたいのですか? どうせ軍国主義復活した日本は、台湾問題へ口出しして再侵略・反革命戦争を引き起こし、中国から核を含む全面的な反撃を受けて、破滅するのが必至。
もはや第三次世界大戦前夜。
ひょっとしたら、バイデンアメリカは日和って中国と融和を図るかも知れないが、自公と極右ファシズムの猛牛日本は、「暴支膺懲」を唱えて突撃していくしか出来ない。
戦前もそうだったし、総破綻のオリンピックもその様な有り様。
自公のゴロツキどもに騙されず、先行き短い生を、せいぜい悔いの無いように生きていきたいものだ。 >>333
質問の意味がわからん
法華経は釈迦滅後500年程経った頃に出来上がり、その後も追加品などを経て今日至っているわけでないのかい?
弟子達が創り上げた壮大なSF超大河ドラマでしょう! 小林賢太郎のホロコースト発言も酷いが、「ナチスの手口を真似たらどうだ」の麻生も、最低だ。
議席のためなら、ナチス野郎とも平然と手を握っているのが、天魔の創価公明。 >>335
つまり釈迦が説いたのでないと認めたわけですな。 何を信じ、どのような地獄へ行こうと、創価の自業自得。 >>337
釈迦は文字を残してないので、釈迦が説いた教えが様々な解釈で伝承されたんで、多数の部派に別れ好き勝手な教義を創り上げた訳でしょ!
その中で上座部の連中の中からこれはおかしいと原点回帰を始める大衆部の連中が現れ出して大乗仏教を創り出した。
まず、小乗教と大乗が揶揄し批判するのに般若心経を説いた攻撃したとされる。
それから小乗と大乗の紛争が続き法華経をまとめたとされる。
違うか? 原始仏典も、釈迦滅後数十年経ってから口伝で伝えられてきたものが編纂されたもので、必ずしも直説とは言えないからと言って、数百年経ってから創作された法華経を、同じレベルで釈迦の教えと言い張るのは、全くの詐欺師の論法。 >>339
法華経は、原点回帰でも何でもない。只の仏教の換骨奪胎。
「法華経をまとめた」とか、あたかも釈尊がやったようにねじ曲げないことだ。 何を信じ、どのような地獄へ行こうと、創価の自業自得。 >>333 弟子じゃなくて、一般から法師と呼ばれる
半僧半俗体の宗教関係者達が居たのです。
彼らは塔寺と称され仏舎利をお祀りする仏教寺院を世襲家族で住みかとする
管理人でした。(カースト階層でありましょう)
仕事は掃除を始め、多岐にわたります。
当然に寺院の案内人や説明者の役目もしますがその際に
僧衣を身に着け「仏様を供養する信者の功徳を語る」のです。
この人たちの製作する宣伝文章がお経に化けて世間に流布し、其の一端で作品の
大分28巻が法華経と成ったりします。
殆どの大乗経に、必ず仏様への供養と功徳の有難さを述べる件(くだり)
が欠かせない理由が判るでしょう。
大乗経典の作者って誰よ?と長年の疑問氷解を説くためのための参考資料 講談社「バウッダ」より
上座部の人達が筆を執った可能性は薄いのですが、彼らは提婆達多教団を邪魔者扱いにし、その際に
半宣伝文の作成支援はしたと思われます。 344末尾訂正
誤 半宣伝文の作成は支援したと思われます
正 上座部の幹部は悪宣伝文の作成を支援したと思われます。 344と345の補遺
印度や東南アジア諸国に仏教寺院の仏舎利を祀る寺院の遺跡が多く残されて居ます。
この建物が利用されていた時代、誰が管理、運営していたのか?
修行をする僧侶は、戒律により俗人と関わらない立場の出家生活が在ります。
塔寺の管理運営には費用が掛かりますので、供養として資材を受け取る必要性が生じる。
その為に法師と呼ばれる金銭管理の事務方や一切管理人の人達が、塔寺に住み付きます。
その人たちは、普段から僧衣を着し、参詣者に説法をします。
彼らは職業的案内人であり、案内書作成にも携わり、それが発展しお経に化けるという次第。 >>344
>>弟子じゃなくて、一般から法師と呼ばれる
半僧半俗体の宗教関係者達が居たのです。
330は、弟子が喩え話しをしたと書いている。
弟子にしろ、法師しろ、他の人にしろ、法華経は釈迦の説いたものでなく、五時八経は間違いと認めることが肝要。 五時八経は間違いだともう定説だろ
一部の教団で認めてないだけだろ
それと法師ではなく在家信徒が資金管理を任されていた >>347 其のたとえ話は、法師の制作によるお話しかもね。
五時八教は、苦し紛れの並べ替えでしたねぇ、然し乍ら
上手く辻褄が合ったので、明治維新までは対立する論の無き程の権威を持ちます。
然し乍ら、かの空海が評を下した草稿文を未だ見て居りません、
彼は何か知っていたのじゃないかな、唐では
印度の僧侶を師匠と尊敬し使えていましたからね。
日蓮が空海に対する感情は、嫉妬を超え怨嫉の域にまで達していました、
空海一代でさっさと、日蓮が熱望する事業規模を全て成し遂げています。
東寺、高野山を朝廷から賜り、弟子口分を許され、寺領を許され、真言陀羅尼宗を
創立までも為す。
超人の域とは空海の事でしょうか、大師空海というフィルターを通し、日蓮の姿を
透かし見ると皆さんは首肯せざるを得ない点を必ず発見されるでしょう。 空海はダメだろw
ありゃ間違って密教持ち帰ったのがそもそもの元凶だ
そろそろ密教のマチガイに気付けや >>335
>弟子達が創り上げた壮大なSF超大河ドラマでしょう!
そこなんだよ。特に法華経っていうのは壮大なSFスペース・オペラという文学で
ウォウシャンスキー監督(映画マトリックス)も
カート・ボネガット(スローターハウス5)も
二人とも作品作りに影響されたものとして法華経(Lotus Sutras)をあげている。
本物の仏教か?とか
本当のお釈迦さんの言葉なのか?とか
そこにこだわる人には絶対読めないと思うし、これはね、たとえソコを指摘してあげて
「ああ!そうなんだ!そういうふうに読めば理解出来たよ!私の読み方は間違ってたねw」
とは、ならない。悲しいかな絶対に無理。
法華経を読む前から勝負は決まっている。法華経の方便・作劇の真を理解出来るのは、もともと知性的な人だけなんだ。 >>350 空海批判内容を誰かが説いた、其れを受け入れる素直さは判ります。
ありゃ云々と言う言葉から貴君が少しも触れたことも無いことが伝わるからです。
日蓮さんが空海の著作を、多分ですが一つも通してお読みになって居ないと
私は想像しています。
当時は写本の時代で、何方も日蓮氏の借覧の要望にお応えしなかったかも。
空海の著作集十巻章が纏まったのが何時の時代なのかは知りませんが、
後世の我らは一度目を通されるべきでしょう、図書館にナンボでも有りますしね。
私は以前に日蓮宗の坊さん個人に、供養作法の一分を語る経験をしています。
入堂に於いて、歩む壇前作法ですから高座に着座する直前作法と心構えです。
彼は目を剥いて驚いていました、返って驚いたのはこちらも同様で「何だ、何等の作法が無いのか!」と記憶しています。
日本伝統仏教の理解には真言と天台密教の知識が無ければ、極めて底が浅い理解に終始します。
日蓮教徒には其れで好いのかもしれません、日蓮師は密乗を全く知らない人ですから余計な見解は日蓮師の意図に反します。
かの日蓮氏は空海を深く憎悪しているらしいので、其の意思も継続されるのが宜しいのかも。
>>351
ウォウシャンスキー監督(映画マトリックス)も
カート・ボネガット(スローターハウス5)も
二人とも作品作りに影響されたものとして法華経(Lotus Sutras)をあげている。
ソースは何ですか?攻殻機動隊の影響なのは有名だし、キリスト教との関連で解釈されるのはよくあるけど。 >>353
>ソースは何ですか?攻殻機動隊の影響なのは有名だし、キリスト教との関連で解釈されるのはよくあるけど。
映画好きだからいろんなインタビューを見ていて答えらなかっったってけど、だいたい
プレミア、ショウビズ トゥデイ、カイエデュシネマ、映画秘宝、キネ旬、QJ辺りだよ
マトリックスはキリスト教的メタファーを指摘されるけど、実はどの宗教の人にも
半端されない様に上手にセリフをつくってるよ。ユダヤ教もイスラム教も仏教も
ゲール語族の土着信仰や拝火教や、とにかくたくさんの事をぶち込んで
どの国の人も、どの宗教の人も不快にならない映画を作った事が業界人に評価されてるんだよ。
攻殻機動隊って1番分かりやすい部分だけどね。文字が流れる所とかさw
それから一時期論争になってた千と千尋の売春宿説ってあったけど
プレミア日本版にて、監督の宮崎駿自身が「売春の話」と答えてたよw
宮崎駿が言うには「最近のアニメ声優の声は、ただの売春婦の声だ!」だそうです。
ここまで書いたから言うけど、千と千尋の神隠しも法華経が被ってるね。でも法華経はマスターピースだからな。
参道のメタファーであるトンネルに入って不思議な世界に行くけど、あれ千尋一人だったら
千尋が生まれる前の実存って何?って話になるけど、あの映画は両親と一緒に3人で生まれる前に行っちゃうよね?
禅宗の「あなたの両親が未だ生まれる前に、あなたは何処にいましたか?」という公案を絶対意識してるよなw なんも質問の答えにもなってないのに長文
恥ずかしい奴 >>354 明らかな根拠を示すべきですね、私は構わないですが、然し乍ら
弘法大師は即身成仏されたお方「仏さま」になっていたが自らは沈黙を守る、
ウッカリ謗っては、不味いと思います。
君の様に学ぶべき時期に拾わずに落とす、ホントに不運ですよ、掴むべき
チャンスの神さまの髪の毛は後ろに生えていない。
こうも言うことやアドバイスって殆どが無駄なんです。 まだ密教バカがいるんだよなw
結局、釈迦が道理を思想として説いたものを理解出来ないから、上座部の連中がバラモン呪術を取り入れて出来上がった密教に走るしかないんだ
要するに我々には計り知れない何か特別なものが存在するという一神教的考えだよな
これこそ非科学宗教であって、人心を惑わす何者でもないわな >>358 お釈迦さんには神通奇特が在った、
理論だけではインド大陸を一世風靡する宗教には成れない。
科学思想には容認されないのが宗教で無神論者なる
学者の顔色を窺いつつ祈る導師が居る筈もない。
宗教とは何か?救済です、
救済を示現出来ない者は終には消えます。
今日の日本にも結構な人数の宗教霊能者が居ます。
但し祈祷料金が高いのが癪の種。
※日蓮さんが俺には上の宗教が備わると運動したじゃないですか、
大分残念な結果に終わりましたね。 >宗教とは何か?救済です、
だから、呪術的カルトになるんだよ
そもそも宗教とは後から出来た言葉だ
そこまでイカレてたら心配だな…
大丈夫か? >>360 長年にわたり、調べて得た答え<宗教とは救済を言う>これの有無が
道徳と宗教の違いである。
面白いことに、開祖の強烈な霊験談を伝える宗教団体の現幹部に今の教団に
霊験在りや?と尋ねると「時代が移り変わり、今は必要が無い」とか言われる
ので、こりゃあきませんわ、とあっさり退散し帰宅するという友人の実例が在る。
つまり、その門をくぐる人たちにとり、救済が其処に来る目的なのだ。
嘘と思ったら、創価の幹部に訊ねなさい「病気が題目で治りますか」必ず
信心が在れば良くなります と答えが在る筈。
日本は、神からのささやきが絶えたことのない神国也、と調査すりゃ実感しますよ。
著名人の名前上げてほら吹きふくお前より知性的なんじゃね 過去ログ読むハッタリ君はめちゃくちゃだな
動画上げること楽しみにしてるよw>>362 スレでの議論を読んで、「空」と法華経との関係について考えてみた
四句分別(有である/無である/有でも無でもない/有でも無でもある、以上の四つ)で考えると
「有でも無でもない」が空(最初の空)、「有でも無でもある」が空の否定つまり非空
「有でも無でもなく有でも無でもある」が非非空(空と非空の同時否定、空を空じた究極の空、完成された空)
法華経に関して天台の云う「空仮中の三諦」に当てはめると
空=有でも無でもない(最初の空)
仮=有でも無でもある(非空)
中=有でも無でもなく有でも無でもある(完成された空)
つまり法華経でいう空とは完成された空(天台の云う真俗不二の中道)
だから最初の空を否定してるという意味では、確かに空を否定している
空の論理は、対立物を表裏一体と見て同時に説明する論理、西洋哲学で云う弁証法、仏教では空の他にも即や妙や中が該当表現としてよく使われる
天台の法華経解釈では、最初の空から完成された空を導き出す際に、空仮中三諦という形で空の論理が使われてる (続き)
「有でも無でもなく有でも無でもある」の具体例
最先端の医学で万能細胞みたいな話がある、既知のどの細胞とも違うけど、外からの刺激に応じて既知のどの細胞にも変化するとかいうヤツ
既知のどの細胞とも違うから万能細胞はそれ自体として「有る」
しかしどの細胞にも変化してしまうからそれ自体として「無い」
有るとも無いとも言えず、有るとも無いとも言える状態がこれ
(四句分別で云うと非有非無亦有亦無、天台で云うと不有不空)
※四句分別以外の説明は下記を参考にした
https://k-dic.sokanet.jp/%E4%B8%89%E8%AB%A6%EF%BC%88%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%9F%E3%81%84%EF%BC%89/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%AB%A6#%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E3%83%BB%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97 >>355
プレミア、ショウビズ トゥデイ、カイエデュシネマ、映画秘宝、キネ旬、QJ辺りだよ
それだけ語ってる割には「マトリックス 法華経」「ウォシャウスキー 法華経」でググっても全然ヒットしないんだけど。
かと思ったらこんな記事
https://jasonrodman.tokyo/how-is-the-matrix-a-transgender-allegory/
変成男子のところに影響受けたってこと?本当は女だけどあえて男に生まれてきたってこと?
マトリックスは一般に唯識思想との関連で語られることはあるが、法華経との関連は聞いたことがない。 >空の論理は、対立物を表裏一体と見て同時に説明する論理、西洋哲学で云う弁証法、仏教では空の他にも即や妙や中が該当表現としてよく使われる
論理演算的に言うと仏教の「空」
仏教的な、有る、無し
というのは「対偶」なんだよな。
ここで対偶と聞いて中学高校の数学の授業を思い出せる人いる?
絶対少ないよな。この困難さと仏教理解の困難さは基本的に同じ物。
「明日映画を観に行こう!」この時の「明日」は演繹法的にに導かれた概念でも無く
純粋な帰納法的から絞り出した概念でも無い。
私達は実在を証明出来ないまま、ただ今まで「明日」という概念が
「偶然的に未来完了形」として帰結を体験してきた。という理由だけで
「明日」という概念を定義づけしているだけだ。つまり無意識的に書き換えられた帰納法。
ここまで理解出来る人が、本当に仏教を理解してる人じゃ無いか?
脊髄反射レスは、お断りします。 ヒンズー教の思想を釈迦が全否定したかと言うとそうではなく、例えば
牛の引く荷車からエンジン付き自動車のように、地面から離れず発展させた思想と言えよう。
文化的に同じ土壌の人達に判り易く説いたゆえに、発心出家する者が輩出する。
今の日本人は尋ねるだろう、ではヒンズーとどこが違うのか?となる。
此処が違うから釈尊の方が性能が向上しましたと仰るわけだ。 >>370
もうね、釈迦とヒンズー教を同時代で理解してること自体トンチンカンだろ
釈迦の時代にはバラモンしかおらへんよw >>371 ヒンズー教とは別名印度教ではないですか。
基本的な概念は同じ事を継承しています。
バラモンは家伝の宗教の側面強し、インドでヨガや秘伝は家伝と同じ事なのである・ 日蓮主義者に、世界が認める立派な人は一人もいない。もちろんノーベル賞受賞者もいない。
カルト的妄想に染まって、争いを引き起こすような連中ばかり。日蓮からしてそのような有り様。
池田による日顕氏に対する罵詈雑言からもわかるように、日蓮主義者同士の争いほど醜いものはない。まあ、信者=金と票と権力の世界だからね。熱くもなろうと言うものだ。
日蓮主義者同士で修羅の世界。畜生のような知性崩壊。餓鬼のような票の獲得欲。地獄へ落ちたような生活。題目叫んでアドレナリン出っぱなし。
仏性とは真逆。 仏教は中道だとか言うなら、中道勢力と連携すれば良いだろ。靖国や旭日旗を美化し、「ナチスの手口を真似たらどうだ」の麻生副総理のような連中と連携して、改憲軍拡への道を掃き清め、中道勢力を仏敵とか罵って極右路線まっしぐらの創価公明が中道とは、天下の大嘘。 >>375 創価の大作氏は、秘匿すべき何事かを保守陣営に握られてる。
その様に考えると自民の言いなりになっちゃってる状況が理解が行くのだ、
宗教は昭和時代にとっくに抜けている。
今の創価の正式名称ってのは随分と大袈裟な地球的規模を目指す。
此れが、人を騙す手口に使われる大風呂敷なのだろう。
ああそうですか立派です、って状態になり批判が適わず信者は思考停止。
幹部連はこれ以上の発展ではなく、創価が消滅する予想を立てて振舞うと私は見た。
原田の次代会長には、誰も知らん操り人形が襲名する予想。
原田氏は体調不良到来なら降板する可能性大。 >>376
創価学会に限らず新興宗教って信者さん達に幹部の役職や所属、組織図を
教えない新興宗教団体が多いですね。
聖書の教団も科学の教団も、信者さんと話をすると
「組織の事は関係ありません!ただ信仰心だけあれば良いのです!」
と、1番大切な所を語らない方が多いですよね。創価学会以外の法華系日蓮系にも
そういう団体あるじゃ無いですか?
ここで疑問なのは勧誘・折伏しにきた信者さんが熱心に語る事だけは聞いてあげますけど
こちらの質問に答えてくれないところで、新興宗教の胡散臭さを感じますね。
まず何故あれだけ熱心な信者さんなのに、自分達の組織の構造を知らないままで良いと言うのか?
答えるとしても「では信仰という物は組織の為にあるのでしょうか?」みたいに
質問に対して、質問で返すという大人としては絶対やってはいけないコミュニケーションになります。
実際、聖書さんも科学さんも日蓮系さんも、真相を知ってる訳では無いので
憶測だけで批判するのも間違ってるかな?と私は考えています。 376の続き 創価学会のスレですので述べますが、
あのような大きな命名、世界日蓮ナントカ宗と自称すると
一個の宗教団体としてみると手掛かりが失せます。
「ツルツルな宗教」になります、以前は鶴が一羽でしたが
二羽になって賑やかで嬉しいな、と云うような冗談では在りません。
是で世界に羽ばたけるのでしょうか? 創価教育学会第5回総会報告『大善生活実証録』から。 (昭和17年11月22日、神田・教育会館にて開催)
宮城遥拝で幕を開ける。最初に登壇した本間直四郎理事は、「大東亜戦争も一周年の垂んとして、陛下の御稜威の下、 我が陸海軍将兵が緒戦以来、赫々たる戦果を挙げている事は、吾等の衷心より感激に堪(た)えない次第である。
……我国としても、もう寸毫の妥協も許されず、勝つか負けるかの一事のみ、否、断じて勝つの一手あるのみである。
この渦中にある日本の大国難に際し、殉国の大精神にして世界の指導理念は何であろう。法華経である。法華経精神である。
否、法華経の実践、即ち我が学会の提唱する大善生活のみである」と述べる。 池田大作著「人間革命第一巻」冒頭にこんな記述があるので掻い摘んで紹介する
主人公の伸一(15歳くらいだろうか)は焼け跡の闇市などを歩き廻り感慨を
述べる「焼け跡だが露天商が品物を販売し大変な活気だ、爆弾は降らない、夜間の
照明は自由になり、殺される心配なく日を過ごせる、平和って本当に素晴らしい
これが人の生活だ」てな事が記される。
そりゃね、爆弾は降らない方が良いのは当然だけど、その平和はアメリカが齎す
占領下の安全でしかない、如何にも平和を謳歌したがる伸一君がその平和到来に寄与
した可能性はゼロ%だ。
この人間革命の底に流れる思想、借り物でも好い、アメリカに逆らわず反抗せず
アメリカと二度と闘うなんてことは放棄するのが善いという革命思想なので御座い。
其れは某国の手先役の池田氏の意図を反映させるベストセラーの始まりでもある。
読書家向けの書籍ではなく、精々講談や臭いお涙頂戴の様な読み物程度の読者向けの体裁をなす代物。
其れに感動できる人が居る、と知った高校生時代の驚きを私は忘れないだろう。 植木雅俊さんは立正安国論を通して、著書の中で以下の様に主張し今の政治にも警鐘をならしている。
何か与党にしがみ付く、どこかの政党に苦言を呈している様にさえ思えます。
↓ ↓
日蓮が主張した「立正安国」とは、「正法」を国主だけでなく、人ひとりの「人」の生き方と
して立てること、すなわち仏教本来の慈悲や、平等、生命の尊厳といった思想を一人ひとりの
生き方に反映させ、その一人ひとりの 現実における具体的な振る舞いの総和として「安国」が
あるということであろう。
「災害や飢饉、疫病を目の前にして、坐して瞑想にふけったり、個人の覚りに安住したり、
人間が考え出した架空の如来にすがったり、釈尊が嫌悪していた祈橋をやっても、現実に苦し
む人民は救えない。
続く 続き
国主は、人民の安穏、平和を第一とする正義を現実社会に貫け、具体的な政策を実行して、
困窮している人に手を差し伸べよと主張したのが『立正安国論』の思想的意義であろう。
「国に衰微無く、土に破壊無んば、身は是れ安全にして、心は是れ禅定ならん。」という一節
がそれを示している。
国土という客観的条件が破壊されれば、そこを生活環境とする人民の心の禅定(安穏)もありえない。
日蓮は、佐渡流罪が赦免となり、鎌倉に戻るとすぐに侍所所司の平左衛門尉頼綱に対面を遂げた。
頼綱に「大蒙古国はいつ攻めてくるか?」と問われて、日蓮は「今年は一定なり」と断言した。
その時、頼綱は西御門の東郷人道の館跡に寺を造り執権・時宗の帰依を申し入れたという。
それは、蘭渓道隆や極楽寺良観忍性と同様に 幕府権力に優遇されることを意味した。
いわば懐柔策であった。
日蓮は、政治の世界であれ、仏教の世界であれ、正義を貫くことを訴えていたのであり、
当然のごとく、それを蹴った。
そして、身延に入山した。
寺を寄進する話があったということは、言い伝えであって史実かどうか確認できないが、
”アメ”と”ムチ"に屈することのなかった日蓮の人格からすると、当然の話と言えよう。
これは、体制内にあっての"立正安国"ではないということである。
体制外にあって、矜持を持って、国主に対して正義を主張する立場をとり続けるということだ。 >>382
>>「災害や飢饉、疫病を目の前にして、坐して瞑想にふけったり、個人の覚りに安住したり、
愚かな題目を唱え続けることも同様に愚劣。
>>釈尊が嫌悪していた祈橋をやっても、現実に苦しむ人民は救えない。
題目こそ祈祷。百万辺唱えても何の効果もない。
何を信じるのも自由だが、カルトは軽蔑されて無視されるだけ。 >>382 >>383
クソつまんねー
なんかその辺の意識高い系中学生が書いた作文みたい >>382>>383 時宗に帰依の件の意味が明瞭じゃないので書き直すのが宜しい。
まあ是はと云うか、日蓮の大願は法華一乗宗を時の執権から許されて
寺領、弟子口分、一切合切を国費で賄わせたいのだ!ですからねぇ。
想像と感触だが彼の脳裏には一代で成し遂げた空海への嫉妬、怨嫉が濃く感じられる。
人の欲求推測ってのは其れほど難しいモノじゃない、個性から湧いてくる願望もあるし
生活苦、肉体的欲求を解決しようとする欲望成就の欲求への行為も読者はよく見る。
その欲成就の結果が己一個の飢えを満たすか、所縁衆生の苦を抜く為のものかで天地の相違を招く、
日蓮氏は己の頭脳の優秀さに並々ならぬ自負を抱く、その為「俺程の者が此処で惨めに
泥水を呑むような苦労を重ねている、なぜ自ら望む寺を持てぬのか?」と怒り心頭に近い
憤懣なる日々を送った様子を私は感じるのだが、読者の皆さんは賛同されるだろうか? 日蓮がイルミナティの所業許すだろうか?アドレナクロムに人身売買許容する? >>388
日蓮が容認する、しないは兎も角、今の世に
若しも生存しているとしても、何が出来るか?何の権力も預からない坊さん。
精々のところグレタってスェーデンのウッカリお姉ちゃん見た様なものですよ。
坊さんが、何を出来ましょうか?抗議の口が利けます程度じゃないですか。
買い被りはやめましょ、日蓮が若しもこうであったなら,これを繰り返すのは妄想で、
狂う人生の基じゃないかな?自己啓発を怠る君よ、
己が寂しさを日蓮で埋める図が君の日常でしょう。 >>381
>其れに感動できる人が居る、と知った高校生時代の驚きを私は忘れないだろう。
それと似た経験。広義の意味において宗教にコミットするが存在する事が
十代の頃は驚いてたよ。
そして、時代が変わっても、そういう人がいるんだよね。
自分自身の存在を確信する為に、宗教などの自分以外の物を信じるという行為が必要な人がね。
寛容性を持って解釈すれば、自分が無く、他者の意思を自身の意思決定にしか出来ない
そういう、育ちや親や家族・親族の元に生まれた、ある意味かわいそうな人達なんだろうけど。
だから、彼らを一方的に批判してはいけないと思うんだけどさ。
仏教って、興味は14歳の頃から持ち続けてるけど
いわゆる「仏法対話」という物が存在すると、するならば
それは宗教信や宗派を持たない
全くの無宗教者で哲学的また社会学的または心理学的または地政学的に
興味を持っている人としか「仏法対話」って出来ないよな。
それが良いとか言う意味じゃ無くて、宗教宗派のバイアスを抜かない事には仏教って語れないじゃん。
最後に、信仰心を持っている人を一方的にバカにするのは絶対だめだよ。
彼らは確かにバカかも知れない。でも、人間は配られたカードで勝負をするしか無いんだ。 カードなら配られるだけだが、人間は自ら道を選ぶことが出来る。
妄想ジョーカーを捨てることも、アホなゲームに縛られることを止めることもできる。 >>389
グレタはピエロだよ。裏にいる奴まで考えないと。
まぁ今回は裏にいる奴らに賛同だから俺らいいけどな。
てか裏にいる奴らがもっと早く警告に耳かしとけば、もっと早く温暖化に手を打ててたのによ。
まぁそんなところだ。
ちな、坊さんが政治力無くても、政治に間接的に影響力を持つ事は出来る。
その坊さんの意見が国民に広く受け入れられればな。選挙あるくにならな。 一応転載しとく。
その人工現世利益もある程度ソウか内で上に行かないともらえませんわ。
だから無理して新聞とりまくったり選挙活動するのよ。
普通の信心してる常識人には利益なし、負担ばかり強いられながらだんだんバカ瘴気にやられてバカになるだけ。
一番悲惨なのは単細胞で本当に信心から新聞多数取りと選挙活動しまくりタイプ、利用されるだけで上にも行けない。まぁバカで周りの迷惑考えず突っ走ったから同情はせんけどね。
あとやはり洋の東西問わず、清めや魂入れなどと言われたりする僧侶の儀式をしていない仏像やイコン、曼荼羅などはやばそうだぜ。
だからソウかマンダラ拝むと危険ってのもやはりそうだと思うぜ。
実際それで酷い目経験済みだしな。
魔物が神聖な存在を騙るにはとっておきだもんな。
心のガードを解くというか、魂というか識というかそこへの門を
開いて神仏と感応しようと祈る瞬間に、魔物としてはガードガラ空きだから魂ハックする為に入るにはもってこいのチャンス。
だから魔が入らんよう魔除けしてない仏像や曼荼羅とかに入り込んでチャンスを伺うんやろな。
だからそれ拝むと不幸になっていくんや。
ここまでは突き詰めたど。 「仏法対話」は学会用語(創価学会の造語)
折伏大行進と呼ばれた強引な布教が生んだ反社イメージを避けるため、折伏を言い換えただけのもの
最初から結論は決まっており、実際には全く対話にならない
いかに自分達の教義が唯一絶対正しいかを一方的に語るだけ
語ることで自らの確信を深める、一種の自己洗脳に過ぎない
(数をこなしてる内に、中には釣られて入る人も出てくる) 日蓮と創価を一緒にしないでくれ
オレは日蓮信奉者で研鑽者だが、どこの宗派や教団に属しもしてない
創価は日蓮を巧みに利用した極悪組織だ
なんとしても創価は潰さんとならん
日蓮と創価を一緒にしないでくれ >>359
>語ることで自らの確信を深める、一種の自己洗脳に過ぎない
そうであったとしても、そういう彼らを揶揄するのは良くない。道義に反する。
何らかの実害を自分に与えられた時だけ、主張すればいいんだよ。
その一種の自己洗脳や自己欺瞞が必要な人も、この世界には多いという事を理解しなきゃね。
これは宗教だけでなく誰でも、失敗したけどココから多くの事を学べてよかった。
というポリアンナ症候群(不幸な毎日の中で小さな幸せ探し)的な総括と自己批判は宗教と別の形で人間は皆持っている。
皆、自己の実存の論拠を求めて自分が救われたいんだよ。
その救済的記号の一つが宗教団体でも良いんじゃないか?
結婚した女性が数年後、夫への不満を語り始め、こんな人と結婚するべきじゃなかった
と、思う人がいる。でもその夫は「自分が選んだ人だから」という理由で
(当時の状況、特に第三者のアドバイスや勧告、縁談を設定してくれた人がいてもだ)
この問題は、自分の思惟と意思決定に基づく責任を自分に向けるものだ。
それでも不満を言い続ける人がいるなら
例えば、宗教団体に入り利己的な功徳を貰えなかったという理由で脱会し
さらに脱会しても、「自分の選択の意味と責任」を棚に上げて
いつまでも、終生、元の宗教団体を批判する。こんな人達がいる。
これは究極の甘えとしか認識出来ない。
それは宗教内でも宗教外でも、何らかの自分以外の対立概念が無ければ自分が存在出来ない人だからだ。
仏教を語り合うには、宗教団体に一切関わって無い人と語り合うべきだ。
論語読みの論語知らず。という言葉があるが
日蓮系の法華経知らずという人と話をしても、大乗仏教については語れはしない。
本尊があ、、葬式仏教ガァ、、、題目だけで良いんですよーだ、、
と正常性バイアスを持っている人達とは仏教を語り合えない。
彼らは枝葉末節をメタフォリカルに見ようとしない知性しか無いかもしれないが
彼らも、彼らの知性の限界の中で救いを求めている人達なのだ。
私達は、そういう形での救済を求める人を山の麓に残そう。
私達は彼らとは違う、私達の仏教理解を深める視座があるのだから。 いやだから実害出てるから反発されたんだろ。
もういいと言ってもしつこく勧誘続けて、人の貴重な時間を潰したり、相手の心の準備も考慮せずに強引に段取りを進めたりとかしたから反発くらってんだろ。 399>>
もう懲りたと,宗教勧誘のお話を聴かされた人は,逃走せざるを得ない。
私が閉口させらるのは、鎌倉時代に生き死んだ、当時のおっさんたちの何処が我々に
関係が在るか?ごろうそ〜って何ですか?麻雀の聴牌ですか?つまり宗教上の隠語を
使う秘密めいた「嫌らしい組織が創価学会」と理解が進む。
布教に出歩く熱心な人たちは、学会員を増やし選挙に勝って日本を支配する其れが
池田センセイの御恩に報いると信じ込むらしい。
口では貴方の為ですと言いながら、その裏では得点稼ぎに使う算段が折伏だ。
せめて、聖教新聞購読をお願いします〜これも乗ってはいけない悪だくみ。
あの一見したところの新聞紙は、宗教機関紙であるから貴方は購読しますと首肯した時点で、準会員に昇格させられるのだ。
不幸を招くから駄目ですよ、絶対にダメ。 400の続編、山口はしばしば、中国共産党の御機嫌伺いに伺候。
其の時の手土産には学会員の名簿と子細な個人情報が在る。
聖教新聞購読者名簿も当然、お土産の範囲だ。
五輪修了後の政局は創価にとり塩辛い味になるだろう。 >>396
>日蓮と創価を一緒にしないでくれ
>オレは日蓮信奉者で研鑽者だが、どこの宗派や教団に属しもしてない
>なんとしても創価は潰さんとならん 日蓮と創価を一緒にしないでくれ
法華経と日蓮と各団体つまり、日蓮宗、日蓮正宗、創価学会、立正佼成会、顕正会
などなど、この3つをリレーショナルに紐付ける事と特定宗教団体を潰すという短絡さを自覚して欲しい。
一人で仏法を勉強しているとの事。立派な事だと思う。私もその立場だ。
しかし、私は勧誘や選挙のお願いなどがあったとしても彼らの信仰を真っ向から否定はしない。
それは私の考え方の真逆というか実存を失っているところで絶対に受け入れられない事ではあるが
私達がどの宗教団体にも属さず、仏法を学んで分析哲学的であれ新実在論的であれ
仏法を学ぶのを楽しんでいるように
彼らも全体主義体制の教団の同調の中で生きる事を楽しんでいる人達なのだ。
私達の解釈、観察、分析、問題点の抽出、仮定と論理演算が、彼らの信条は違っていても
(当然違っているのは大多数の日本人は知っている)
彼らは彼らの宗教団体という構成単位社会の中に生きている。それは
彼ら自身が望むからこそ、日蓮宗でも日蓮正宗でも顕正会でもコンフォート・ゾーンになっている。
人間は誰しも生きていれば辛い事を体験する。目を背けたくなるし、認めたくない衝動に突き動かされる。
私達は、その解決法として、どの宗派に属する事なく幅広く仏法を学んでいる。
そして彼らは、すでに敷かれたレールの上を走る車両の中で同調と共感に包摂され
生きる事の厳しさから少しでも楽になろうとしている人たちだ。
そういう人を否定してはいけない。彼らを否定すれば言語論理学的に私達も否定されても良いという事になる。
法華経なら法華経で、シッカリと修辞や暗喩とコンテクストを読めていないな!と思われる信者さんもいる。
聖書なら聖書で、ルカによる福音書の理解が全く出来ていない信者さんもいる。
だからと言って法華系日蓮系や福音派南部エヴァンゲリズム教会の信者さんを攻撃するのは
全く知性的な人間のやる事では無い。 >>396 への続き
>日蓮と創価を一緒にしないでくれ
>オレは日蓮信奉者で研鑽者だが、どこの宗派や教団に属しもしてない
>なんとしても創価は潰さんとならん 日蓮と創価を一緒にしないでくれ
私達が他人を認識するのは大きな誤謬が付帯する。
それは、「他者の流動する当体の恣意的分断」を持って、その他者の全てを認識したような間違いを持つ。という事だ。
それぞれの信者さん達を山の麓に残し、私達は誰の手も借りず仏法という山を
自分自身で道を見つけながら登ろうでは無いか。
自分が山を登る前に、「そのスタートラインは違うよ!そのコースは違うよ!」と
批難する者は、そう言っている自分も批難されるべき人なのだ。 戒定慧は仏教徒必修の三学である、題目の南無妙法蓮華経には其れが全て備わる。
是が日蓮教の眼目な、さて如何しますか? ハザールユダヤ国際金融資本マフィアの手下の創価は随分光側勢力にフルぼっこ状態と聞いた、幹部は拘束に資産は凍結、後は悪事が緊急放送で開示されるだけです。 >>404
>題目の南無妙法蓮華経には其れが全て備わる。
仏教には公理(証明責任無き概念)は存在しない。
仏教について語り合うなら、証明責任のある定理として、仏教用語を使わなければならないが
ここが哲学徒と「大きく違うのは、仏教とは需要予測である前提条件から公理として使う」
という論理学的不全がまかり通っている。
それは、仏教徒の周りには「そうだよね?そうだよね?」とか「だってそう言うように聴いてるもん!」
とか、「火のついた家にまだ残っている子供達を救うには、、、ブラブラブラ、、」
という、既に用意されているオブジェクト・プリセット・パターン・マニュアルがあって
それをそのまま語る信者さんが多いが(信心は無いがビジネス信者になってる個人授業主もいるけど)
彼らと、同じ土俵に立つ事自体が、こちら側の誤ちだと気付こう。
日蓮がそう言った、とか、教祖様がそう言った、というセグメントを頼りに語る人がいるけど
よーく、考えて見てほしい。創始者やカリスマ教祖の言った言葉は良い事なのかも知れないけど
信者さん達は文脈を全く無視して、たまたま取り上げた1センテンスが宗教的信条に
変わってしまって無いか?自分は実は誤解してないか?を再考、熟考して見てほしい。
その上で、全ての文脈と修辞を理解した上での信心であるならば
そういう人は、批難されるべきでは無い。むしろ多くの信者さんより一皮向けた
知性的な信者さんとして尊敬されるべきだ。
米国人や英国人と仕事をした人は絶対経験してるハズだけど
彼らは何かと言うとシェークスピアのマクベスのセリフを引用したがる。
でも、その引用はシェークスピアの作品の文脈を無視し
むしろシェークスピアが言いたかったキャラクタライズされた言葉の逆の意味で使われている。宗教の信者さんにも同じ構造が見える。 なんでここは我見のヤツばかり集まってんだ?
依法不依人なんだから、我見駄弁っても便所の落書きにしかならんぞ 独裁的な宗教団体の信者が依法不依人と言っても何の説得力もない >>408
>独裁的な宗教団体の信者が依法不依人と言っても何の説得力もない
そこが第一のハードルだね。このハードルって奴はちょっとやそっとじゃ取り除けないんだよ。
だから、そんな第一のハードルを持っている人よりも
もう一段階、高い知性を持っている人を見つけて仏教を語り合う方が良いんだよ。
つまり、話の通じない相手と、わざわざ話す必要は無い。
質問された時だけ、答えれば良いだけ。
知性の低い盲信さんも、いつまでもこのまま生きていくんだと確証は持てないんだから
「何処かで気づいてね」という気持ちで、遠くから見守るだけで良いんだよ。
ただ、話が通じる知性の高い人を見つけたら、それこそ人生のみっけもんで
そういう人とは徹底的に話あった方がいい。
それぞれの哲学的な視座と知見を高めあえる。
それが、畢竟、自分の人生を豊かにする。
いつか、死の直前に「人生に悔いなし!色々あったけど俺なりに頑張ったからなー」
と、笑顔で死んでいけるご褒美が待っているかもよ 404の補遺
日蓮がお約束して未だ一部の信徒に通用しているらしい空論とは
「南無妙法蓮華経との経題名を唱えるなら、戒定慧の三学は自ずと体得し
成仏する。
だから,禅や密教などで行う修観の修行は一切捨てよ!念仏は絵空事」なのだそうだ。
日蓮説法の趣旨は上のカッコ内に尽きると思うが如何だろうか?
是は辻説法時に説いたらしきご利益であろう、それで成仏した人が居るとは
未だに耳に届かない。
ある人と論じ合った時に、彼曰くの趣きは上の如しである。 >>410
もう日蓮を許してやれよ。
確認のしようが無い問題に、あれこれ考える無産の時間に、どれだけ価値があるのか?
それに
「ある人と論じた時に」にと貴方は書いたが、その「ある人」の実存、パーソナリティ
性格、リレーションシップは、あくまで「伝聞」でしか、こちらは聞いてないので
その「ある人」が「どの人」であるか不可知である。たとえここで詳細を描いてもらっても
私達は「ある人」の実在は不毛であり意味がない。当然あなたも分かっていて書いているのだと思うけど。
成仏というのは、今までお経から寺の坊主や新興宗教団体が喧伝するシステマチックな解釈が
広まってしまったが、自分が考える成仏というのは
カントの純粋理性批判から、定言命法から偶然的帰納法としての未来完了形としての
概念を引き算した、数字から始まり
(方便品で5千人の増上慢が退場するが法華経を最後まで読むと嘱累品へ進む為の新しい仏法を詰めれるスペースを確保する為の引き算だったというオチのように)
あえてポストモダンを通り過ぎるだけで、ポスト・ヒューマニズムとの親和性を
高める、マルクス・ガブリエルの新実在論(著書・なぜ世界は存在しないのか?)
に限りなく近ずく運動としての複素数論や複素行列論として
意識のハードプロブレムとして誰もがバイアスやアンカリングや洗脳から離れれば
その思惟に近づける事。それが成仏なんじゃないか?
(自主独立性を欠いた仏教理解は、あくまで意識のソフト・プロブレムの域から出れないのでは無いだろうか?)
それ故、意識のハードプロブレムという上位概念に立ち返らないと中々仏教というのは理解しにくい。
私の書き込みにレスをしてくれる事は拒否しないが、ただ
「仏教は哲学じゃないよー」 「そんな難しそうな言葉を使ってマウント取りたいんですか?」とか
「誰にでも分かりやすいように語られる人が、本当に頭の良い人なんですよ!」
という、レスは無視させて頂きます。それに答える事は無産の時間でしか無いからです。
そんな無駄な事を考えるよりも国立国会図書館のデジタルアーカイブで多くの書物を読む方が価値があると思ってますので。 >>411 貴君の記される内容を掻い摘んでみますと、あくまでも私感ですが
唐時代の李白❓でしたかその辺の人が申されま👅仏教って何だ?四偈にて返答
(勝手に絵が出てるので消さない)
1修善奉行2諸悪莫作 此れは道徳や教育でも同じことを指導しますね、善い事をせよ
悪事は為すな、三番目にこう在ります。
3自浄己意これが、真の眼目で在りまして、この方法論、実修法に悪戦苦闘を繰り広げたのが祖師と呼ばれて今なお、尊崇される方々、次いで
4是諸仏教とこうなって居る訳です。
1と2を説いて3に及ばず瞑目する師匠がほゞ○○%なわけですよ。
少しでも当たった!御方が数人居られますね、盤珪禅師、明恵上人、弘法大師、探せば他にも居られますが、こちらの目の付け所が足りないと判らないモノばかり。
宝さがしと思えば宜しい、欧州の哲学者にも居ますでしょうが、私は用語が苦手です。 >>410
>「南無妙法蓮華経との経題名」
わかってないなw
妙法蓮華経は経題名じゃないんだわ
鳩摩羅什が漢訳する際に経題名としただけで、サンスクリット原典には題名が無いのを知らん様だなw >>412
盤珪でも白隠でも臨在でも具人でも慧能に対しても
「あなたは悟られた方ですね?」
と聞けば
「バカもーん! 喝!」
と怒られるでしょうね。
仏教理解の難しさは、ココなんですよね。論理的にスナップショットは撮れない。
でも人間は、それでもなんとか、言葉や書物に頼りたがる。
でも、その媒体mediumに頼る事自体が仏教では無いという
「私が今語った仏法は、もう既に役に立たなくなった!」
上州でも白隠でも道元でも異口同音に同じ意味の事を言っています。
この言葉を「なーんだ!上州和尚の仏法って末法では役に立たないんだ!」
と、誤解する人には、仏教は学べません。
仏教を幅広く勉強してる人にはお分かりでしょうが「末法」というのは
決して時間軸上の概念でなく、立ち止まるな!というアナロジーなのです。
執着を持って、欲にまみれて生きるのも末法。
悟りを目指そうという執着を持って修行するのも末法。
一度悟りを得て、自分は既に完成されたと思う対立二元論という執着を持つのも末法。
大乗仏教で言われる「末法」と言うのは
「釈尊、遷化後の何百年が、、、、ブラブラブラ、、、」
ではなく、いつでも、どこでも、執着を持って立ち止まったら
そこで試合は終了ですよ!
という意味。
図書館で仏教を勉強している人には常識なんですが、これへの誤解が凄く多いんですよね。 >>413
>鳩摩羅什が漢訳する際に経題名としただけで、サンスクリット原典には題名が無いのを知らん様だなw
姚興が涼州から鳩摩羅什を国士として解放、軟禁し
10人のセックス要因を無理やり押し付けて、鳩摩羅什がセックス依存症になるようにした。
この弱みに付け込んで姚興の法華経翻訳という国策国家事業に利用した
という姚興の策略があった事を、知らない様だなw
時々は図書館へ行って、仏教を勉強しなさいw
鳩摩羅什の訳は姚興の権威を尊重する意図に従わざるを得なかった。
ここで一つ面白い事を教えてあげる。
竺法護訳と鳩摩羅什訳を読み比べてみ。
何と鳩摩羅什はわざと訳さなかった部分があるんだよw
鳩摩羅什は従順なフリして、姚興へのカウンターパンチを法華経訳に忍ばせているw
とにかく、図書館へ出来るだけ通って仏法を自分一人で調べて、学んで見て下さい。 どうでもいいけど、なんで俺には10人の要因があてがわれないんだよ。ひとりだけでもいいぞwなゆとかしてくれwww >>415 はアホだろな
漢訳シッタカのアホだろ
漢訳が全てだと思ってんだろ
アホ!アホ!アホ金か? 今更「日蓮上人の法華経解釈に誤りが在ると困る」と貴方は思ってませんか?
増してや、仏教素人のお前らが云々するとは何事か!とも思ってませんか?
幕藩時代の学林制作のニッカン教学が最も真っ当であると教え込まれませんでしたか?
上の三つのお考えを有して居るなら、貴方の思考は固着してます。
言うならば貴方の足の裏は、強力接着剤がべったり。 日有思想と日寛教学がそもそもの元凶だよな
大石寺も創価も知っていてそれを利用したんだろ
だから、遺文を切文して教えてごまかした >>413 妙法蓮華経は経の題名ではない、そして君らは判って無いと仰る貴君の意見
では、其れは何を意味するか?
「俺のみ、正しく理解する」これで
貴方の頭脳には狂気が宿ったと世間と周囲の人達はあっさりと判断します。
庶民の知恵を舐めてはイケナイと言う見本なんですが、判るかな?判んねぇだろなぁ〜
ホントにお気の毒様ですよ。 >>417
>どうでもいいけど、なんで俺には10人の要因があてがわれないんだよ。ひとりだけでもいいぞwなゆとかしてくれwww
鳩摩羅什のセックス・フレンド?というかハニー・トラップ大作戦なw
鳩摩羅什は出家で女性と交わる事は絶対に避けてたんだろうけど
10人もの美少女をあてがえば、あの鳩摩羅什でも転ぶぜwそれがこっちの目論見だw
と姚興の戦略にまんまとハマった。
この時の姚興の判断は凄いよな。どれだけ人格が立派な男でも
下半身の人格は美少女を前にして崩壊する事を確信してたんだよなw
君がIT企業の青年実業家になれば、何処かの誰かがセックス要員を強引に連れて来てくれるよw
深夜の麻布十番や西麻布で高級車が集まる店を張ってると
有名なアイドルグループの子達が、変なおっさんと看板の無い店から腕に抱きつきながら出てくるぞw
姚興が行なった鳩摩羅什への肉弾接待と毒饅頭と同じ構造だよw つい先日、ヤフオクの和書、古書、の部を見るに大工職の由縁と由緒を
真言系統の山伏がまとめたらしき巻物のオークション出品があった。
時代は室町時代か江戸初期にまで遡る古さが感じられる。
その中身と文字、文章を読もうとするとこれが読めないのだ。
特に梵字には杜撰極まる誤字が羅列されている。
文字に書き様を知らずに写すと正確な形にならないと知る。
お前は何を云うかと尋ねたいだろう。
日蓮が自作し信者に配布した、南無妙法蓮華経に記される梵字のことだ。
明らかに誤字だが、その誤字を仏の種字と教えたのが里山伏であろう、
その題目曼陀羅と酷似するような参考事例と思われる。 >>284
題目には文証がありません、と自分でカミングアウトするわけかw
日蓮仏法の根本教義である題目には、文証がないんだよなあ。
まあ、陀羅尼はインド原音じゃないと呪力がないそうで、
インド音にナンミョーゲキョの発音あるんかね?
池田せんせの、ナンニョー、ネンゲニョ…、は
インド音的にはちょっと無理で、功徳がないのでわ?
で、ご高齢なんで前立腺が詰まって難尿かしら? とかチラッと、
南無仏はもちろんあるけど、南無阿弥陀仏のことだろw
>諸宗の様式にインスパイアされた点もあるでしょう。
www、題目は念仏のパクリで、まんだらは密教のパクリ、
どちらもニセ坊主が、モラルゼロのドロボー行為をやってるだけよ。
○パクリのドロボー → ●インスパイアww
結局、題目は仏教とはなんの関係もない、
日蓮さんのただの思い付きでしかないんだよな…。 >>382
祈橋ってなんだろ? 誤字脱字は日蓮仏法の花、ですか…。
>>383
この寺の寄進話は、佐渡帰りの鎌倉御所で、
平左衛門頼綱の諮問を受けているところと思われるけど、
平左衛門との問答の記述がある種種御書と撰時抄には、
寄進も時宗の帰依も、そんな与太話は書いてなくて、
またこの植木せんせーという人の精神病の妄想なんかね?
※
この寺の寄進話は、正宗オタクの武田くんが、
大石寺四世が初出だと教えてくれて、
でもその日道の書いた最古の日蓮伝記はネットで読めるけど、
それは撰時抄の該当箇所をそのまま書き写しただけで、
やっぱり寄進話はでてこなくて、さらに後世に成立したんでしょうかね?
それと時宗がバカ丸出しブタ坊主に帰依を申し出るなんて、
百非ぐらいありえないわ、無い無い無い無い無い…。
だいたい時宗は、師匠の無学祖元を開基にして円覚寺を建てて、
禅を広めようとしてるのに、アホの法華経に宗派替えするわけか?
こういう作り話のデタラメは、毎日書いてる円覚寺幼稚園が、
自分の守備範囲なんだから、キッチリ突っ込んで注意しないとダメですよ。 >>426
>で。なに?
ワロタw
オウム真理教に地検特捜部が入り、信者全員身柄確保。
この時、多くのオウム信者の洗脳解除を行った苫米地英人はコレにより有名になった。
苫米地氏が語っていた。
多くの信者の洗脳解除はさほど難しくは無かった。
それは信仰のきっかけ、オウムの戦略が教義を論理的に説明していたから。
オウムの折伏が論理的言質である以上、それに騙されるのは知性的な学生が多かった。
なので言語論理の矛盾と論拠の不確定性を示せば知性的な信者は簡単に信仰を捨てた。
頭が良い人が騙されても、頭が良い人向けの言明を与える事によって、頭の良い信者は自分達の認知の歪みを理解してくれたと。
ただ、少数あたまの悪い信者がいて、彼らの洗脳解除は困窮を極めた。と
少数の「文証が、、、ご本尊が、、、題目が、、、末法が、、」と言ってる連中に
つまり、その少数派の領域に生きる人には何を言ってもムダだよなw 時宗と日蓮宗の関係って元からでなく、長い歴史の中で社会的機能としての関係性があってさ
それを元に後世オーバライティングされてる物が多いんだよ。
この辺は人権団体やプロ市民、野党傘下の民族結社・政治結社がうるさいから
誰も教えてくれなかったから、おかしな所で、それらは大学や国立国会図書館まで調べに行かないと分からない。
大衆のバイアスって怖いものだな。
今でも天安門広場で民主化の大学生達が虐殺された!と間違って信じてる人がいるもんなw
人間って本当にバカだよ。
なんで自分で調べないで、他人の言葉を信じちゃうんだろう?
宗教団体に入る信者さんって、そういう人なんだろうけどさ
信仰を持って幸せになれる人は良いんだよ。
ただ、自ら探求して自ら考えないが為に、不幸になる信者さんというのも居ると思うんだよね。
とにかく、皆さん! 自分を大切にして下さい。
貴方にとって最高の師匠は貴方自身なのです。 題目に関する文証なんてあげられないから馬鹿信者はひたすら御書引用してくるよ
馬鹿だから法華経読まないから日蓮解釈でしか読めない笑 馬鹿信者は法華経に関する簡単な部分をつまみ食いして後のやるべきところは無視
行はしない書写もしない
馬鹿みたいにタイトル連呼w法華の行者とは程遠い 人間辞めますか、それとも薬止めますかの世界だろう。
題目覚醒剤。
キタキタキター
俺様は法華経の行者だー、
俺様にひれ伏さない奴は仏敵だー、
日蓮大聖人をけなす奴は地獄行きだー
あー怖い 安楽行品は本当に具体的なことが書いてあって驚くね
守ってる奴見たことないが ここに住み着く密教の連中は相当ヤバいぞ
密教がヤバいからな
関わらなよ >>433 親鸞、道元、最澄 空海 栄西 この方々は全員が密教を学びました。
何処がヤバいのでしょうか?
日蓮は学んでいませんので問題にしません、其れで宜しいでしょうか? >>422
アイドルの肉弾接待イラネ、ペッペッ。
フツーの女こそ至高。いやゲキシコ!
なーんてな。ま、アイドルはイラネ。 人格がいよいよ立派になってくれば、女を退けられると思うよ。、年もその頃にはいってるしな。
まぁ相当に少ないだろうけどね。
殆どはそこそこエリートで下半身不祥事晒す連中レベルやけどな。 >>435
おいら的には密教の教学は、この世のことというか仏教のことでわからん事について考える上では、かなりの知識も得られた部分はある。
だが、上で述べられている坊さんたちが何でそれでは密教の坊さんと最終的にならなかったのかという部分も引っかかるもんがある。
個人的には密教もありだが他もまたアリなんだと思われる。
衆生の気根は様々であるし、仏の命から諸仏、諸菩薩が現れたように、法門も救済の為に幾重にも用意されているのではないだろうか?
問題はその上で時代やこの世界でいま一番効率良いのはどれかってことかも知れん。
もしかしたらパラレルワールドではそれが異なってくる可能性もあるかもな。
まぁそんなんどうでもいいか。
とにかくやれる精進しっかりやって利他行もやって、変なカルトには獅子吼するのがひとまずどの経や宗旨を尊ぶか以前に大事だろうな。
その上でやはりカルトそうかのおかしさには獅子吼する必要はあると思う。 オウムは密教だからな
密教とは要はバラモンだ
呪術信仰であって、釈迦が否定したもので仏教では無い 題目に文証は無いけど理証らしきもの(?)ならある
仏法三千年みたいな独特の理論で正直面白いとは思う
実際よくできてるというか、よく考えたなあこんなの 一称南無仏 皆已成仏道
坐禅についても書いてあるのになぜかしない日蓮系 >>432
安楽行品第十四も、あれはあれで大切な事を伝えてるけど、あくまで法華経を構成する要素で
とにかく法華経を通読してみ。(訳者は好みの人でいいから。ただ要約、簡約、レジュメ本は読むな)
そうすると安楽行品以降の法華経は、いきなり作劇の相転移を起こしているのが分かる。
そこを理解して安楽行品を読んで見てほしい。
法華経を完読すれば、法華経自体が「法華経の話は信じるな!」と言ってる
修辞と文章構成が見えてくるよ。
物凄く大雑把に言うと「仏法とは、ただ立ち止まるな!という事を理解する事」
この仏教のコンセプションの理解の大切さを法華経は語ってるんだよ。
元から仏教は、無常、無我、空、縁起。意外に無いし
それらは言葉で説明出来るものでは無い。
だから方便品で釈尊は「お前達には教えてやんねーよ!」と言っているのだ。
この「お前達」と言うのは、文字や言葉やお経という媒体自体に真実を見出そうとしている私達の事だ。
悟った人が仏界に入った。でも多くのバカ達の為に仏法を教えてあげたい。
そんな仏が菩薩界に降りて我々人間に語りかけてくれる菩薩行の大切さを根本に据えている。
「高徳の僧ほど、地獄に堕ちている」という意味はこれ。悟った人は地獄界へ自由に飛び回り菩薩行として仏法を広布する。 座禅は結跏趺坐にしなきゃいけない訳では無い。組んだ右足に左足を乗っけるだけでもよい。
スティーブ・ジョブズは痛い思いをしながら結跏趺坐をして曹洞宗の師家に怒られた。
坐禅というのは体を痛めつける修行じゃ無いんですよ!と
イスでもベッドでも楽な体勢でリラックス出来れば良い。ただ眠ってはいけない。ここだけは守るように
それから初めて座禅をやる人は身心脱落とか魔境と言って体の重みが消え肩こりや腰痛が消え
何時間でも座っていられる状態になる。これは脳内麻薬が出ている状態で、ここで執着を滅し煩悩を破壊するわけだが
達磨禅師の様に麻薬中毒のように気持ちよくなって抜け出せなくなって手足を切断する修行者って実はインド、中国に多い。
自宅で一人で座禅をする時は、アラームやスマホのバイブ設定を利用した方が良いよ。
気持ち良くなっても、その気持ち良さに対して「気持ちいいなあ、、でも、コレって嘘の気持ちよさじゃね?」
と気づくのが禅宗の悟りの一つなんだよ。それ以上の禅は正師につかないとダメだよ。理由は自分で調べてね >>449 其れが中々なものでして、座禅を修して10年程の禅僧が密教の観法を
立ちどころに会得した話を聴いています。
座禅は仏教の基礎なのでしょう。 オウムは瞑想なんかやってたから頭が腐った。
座禅をしなかったからダメになったのだ。
なまじ、絶対者と一体になったとか、アートマンと一体になったとか、菩薩になったとか言ってるから、狐が憑いてくる。大我妄執の行きつく先。
創価の題目行も同じこと。狐憑きそのもの。
日顕氏との罵り合戦と言ったら、端から見ていても呆れるレベル。 日顕を相承を盗んだと攻撃した創価池田大作だが、その池田本人が会長職を盗んだんだからワラ
日顕は普通のどこにでもいる坊さんだったと思うよ。
少々威張ってたのは周りが創価が祭り上げたからだ。
縁を切るなり総攻撃をかけた創価池田大作は暴力団そのものだ 日顕さんとか、池田さんとか、浅井さん達から離れて
自分一人で法華経を読む方がいいんじゃないか?
他者の丁寧なアドバイスは、逆に丁寧に仏法理解を阻害する凶器にもなり得る。 日蓮は自分を教祖でも開祖でも宗祖でも無いと言っている
つまり、組織を作れなどと言って無い訳だ
でも、それを利用したんだよな 釈尊自身も臨終を予期し
最後まで弟子達と呼ばず、仲間達と呼んだ。
宗教団体を決して作るな、と言った。
チュンダを責めるな。チュンダの布施は人生最高のもてなしだった。
自分は苦を滅する為に出家したのでは無く、ただ楽を求めて出家した。と告白した。
誰にも頼らず、一人で法を継げ。とお願いした。
自分の遺体は川に流せと、お願いした。
マハーパリニッバーナ経によると
ゴータマさんが亡くなった直後から、仲間達はゴータマさんへの約束を破った。
日蓮も弟子達が間違った仏教的視座を持ち、さらに知識だけで間違った事を周りに吹聴しているのに困り
いくら説明しても弟子達にはわかってもらえない。そこで日蓮は手紙にこう書いた。
「この様な奴らに対しては、末法にも法華経は役に立たない。言うしか無いのです!」
この言葉を文脈を捉えない怠け者仏教徒が、つまみ食いをして
「今は末法だから、法華経なんて読まなくても良いんですよ!」と間違った信者が続出。
読めない信者が続出。今にいたる。 >>447
>「仏法とは、ただ立ち止まるな!という事を理解する事」
なんかずいぶん某学会(コロコロ教義が変わる)に都合のいい話
>「高徳の僧ほど、地獄に堕ちている」という意味はこれ
面白い解釈だけどホントかな? 宿坊が盛り上がってるね…
冷静沈着職員も必死にコンペー氏に粘着してやりあってる
どうなの?
関西学園で自殺事件があった直後にダンス部が一位になったと一面、二面を飾ることは?
更に関西学園のでサマーセミナーまでだ
宗教団体創価とはこう言うところなんだろうな… >「仏法とは、ただ立ち止まるな!という事を理解する事」
なんかずいぶん某学会(コロコロ教義が変わる)に都合のいい話
学会の自治は2つの面、1・宗教的な意味以外での組織の再オーガナイズ。という意味と
2・見方によっては、仏教的な要素も包括していると言える。この2つの面を持っている。
現在の学会を見て、昭和人が言うような学会批判が通用しなくなって来ている現状だけは客観的に認識しよう。
現在の創価学会は世界宗教宣言と信濃町聖地宣言をした。これの意味。
第一義的な問題は、末端学会員から最高幹部、執行部までの伝達の不全さから生じる
伝聞の独善的解釈により、自分と同じ考えの人がブントを作って、学会内で敵対してしまった。
現在の創価学会は政治と経済の団体としての機能を1番大切にする団体。
なので、必要性が無く無産の時間しか生み出さない、話しても考えても意味が無い
論題に固執する人達は、現在社会が求める創価学会・公明党の社会的道義の邪魔になる。
信濃町聖地構想は現・原田会長の団体としての公権力を一本化する事によって
カリスマ池田氏の存在も構造的に原田会長の下に置けるようになった。
これにより、昭和時代の学会員に、時代は変わった、そして今後も変わる事を暗に示している。
もう池田先生があ、、とか、日蓮大聖人があ、、というバイアスとスティグマを持つ
中高年の学会員を、学会自体が牽制する方法論が考案された
創価学会の1番の敵は、実は外部の団体では無く、長い事信者であった高齢学会員なんだよ。
今はその過渡期で、それを私達はこれから見守る訳だが
偶然なのか?資本主義経済バトルレース原理主義なのか?
結果として、現在の信濃町・執行部は真の仏法を表しているようにも見えるね。
そして、末端学会員は執行部を批判し続ける。
中高年の末端学会員は「立ち止まる事」を望んでいる人が多いからね。
あの人があの時こう言った。とか、あの時代の、あの本にこんな事が書いてあった!
と、時間を止めて立ち止まる事が仏法だと思ってる人が多いからね。
これは創価学会だけでなく、どの宗教団体でも同じ問題を抱えているんだよ。
これから数年かけて創価学会は宗教的コミットメントを求める人の団体では無くなる。 >「仏法とは、ただ立ち止まるな!という事を理解する事」
なんかずいぶん某学会(コロコロ教義が変わる)に都合のいい話
宗教法人として政治と経済を上手に回す団体にシフトしていくと思う。
純粋な仏教徒は離れてい行くだろうし、信濃町もそれを望んでいるのだろう。
しかし、大企業から中小企業まで経営者同士の一つのブロックチェーンとして
創価学会は経済団体として力を得て(現在でも三菱・日立製作所・大成建設などのリレーションシップは確立している)
日本国の国体を維持してくれる事を期待する。
私は宗教団体としての創価学会については魅力を一つも感じないが
社会的経済的政治的に新たなプラットフォームを作りブロックチェーンを作りつつある
創価学会は高く評価する。
しかし、ここで「よく私の書き込みを良く、読んで見てくれ!」
私は仏教的な視座から見た、創価学会には何の良さも見出せない。ここだけは理解してくれ。忘れないでくれ。 >「仏法とは、ただ立ち止まるな!という事を理解する事」
創価はこれを巧みに利用したんだよな
常に「前進」だとか「勝利」だとか「勝つ」を洗脳し覚醒させないためにも立ち止まって冷静に考えることをさせないんだ。
山登りだって、途中休憩をしながら登坂しなきゃならない。
人生も同じでそれをさせないから、創価には鬱病など精神疾患が多い所以なんだ。 >>462
どの宗教団体も同じ誤解と真実がある。
元々、うつ病や失業者や労働搾取、差別、病気により社会参画出来ない就労不可の人達が
自分達の心の拠り所として、宗教を求めるという社会学的構造分析は古典的な分析として認識されている。
例えば
癌患者の治療を専門とする「国立ガンセンター病院」に入院したら
全員、ガンになるんだよw
と、言ってるようなもの。
ガンセンター病院に入院する患者さんは、元々ガン患者だったから入院したわけなんだけど
その文脈を無視すると、こういうおかしな考えをして
「あの宗教団体に入信したから貧乏になったり病気になったりするんだよw」
とか
「ガンセンター病院なんかに入院するからガンになちゃうんだよw」
という、子供頭が出現するんだ。 それは違う!
そんな考え方してたらアホかと思われるぞ
その置かれた環境に適応出来ないと疾患が起こる
これは科学だからな 以前、予備校の受講生の子がこんな事を言った
「先生、広島に原爆ドームってあるじゃないですか?」
「広島に原爆ドームなんて作るから、米軍の攻撃対象にされたんじゃないですか?」
「原爆ドームを作った人ってバカですね」
講義室内、大爆笑だったw >>>>462 一読、創価学会は此れで衆生のための宗教的な問題解決手段を放棄し、
政治団体として今般に再生を遂げる、その最大の功労者が現会長の原田氏である。
上記のように捉えても間違いが在るまい。
昭和時代に激しく行わせる、夜間に未信者宅に訪問までしてやらせた折伏、
折伏は慈悲の行いである、などと会員を駆り立てる必要が無いとは誠に静謐で好い。
今後の発展を望むのは困難である、理由は宗教でありながら個人救済を社会活動に
完全に切り替える新体制は先々、先細りが待つ。
新入会員の有無が生命線と知りながら、原田氏は決断したのだろう。 >>465 長崎原爆の爆心地の中心部、丁度の位置に
浦上天主堂が在る、最も濃厚な原子爆弾の光線と熱波を受ける美麗な教会。
その事実を知る時に長崎を訪れる欧州とアメリカの
キリスト教徒は顔面蒼白となり、語る言葉を失うそうだ。 若有人軽毀之言。汝狂人耳。空作是行。終無所獲。如是罪報。当世世無眼。若有供養。讃歎之者。当於今世。得現果報。若復見受持。是経典者。出其過悪。若実若不実。此人現世。得白癩病。若有軽笑之者。当世世牙歯疎欠。醜唇平鼻。手脚繚戻。眼目角。身体臭穢。悪瘡膿血。水腹短気。諸悪重病。
凄まじい罵詈雑言
特に得白癩病の文
これに関して擁護している文を読むと、とても苦しく思える >>466
そんな難しい話しじゃないよ(笑)
戸田の時代から宗教ビジネスだっただけで、池田はそれを自分の野望のために利用した。
その池田と言う教団アイドルと言う商品が突然消えたから遺品で食ってるけど、それも底尽きて来ていていよいよ政権に寄生するしかなくなっただけ。
原田も池田がやって来たことを忠実に継承してるだけで、正しくこれぞ師弟不二なんだろうね(笑) 仏罰を方便として譬えて他人を傷付ける表現をする教えってどうなんだ?
この教えに逆らうと障害者になるぞー
これが教育ですか、馬鹿馬鹿しいですね >>469
>その池田と言う教団アイドルと言う商品が突然消えたから遺品で食ってるけど、それも底尽きて来ていていよいよ政権に寄生するしかなくなっただけ。
その見方は間違ってる(宗教や仏教に関係無い事を書くよ)
池田大作大猛省事件から全国紙に謝罪文を掲載し1980年以降は、権限を与えられない
役職(例えば神社本庁の鷹司統理や国家と国民の象徴であらせられる天皇陛下のように)
として、熱心な学会員にとっての指示対象としての記号化された存在になった。
それゆえ80年代は池田大作氏に関する外部に対するパブリシティ・報道はタブーとなった。
全国紙から在京キー局まで自主規制という事で謎のベールに包まれた。
これは外部に対してだけでなく、今までの熱心な学会員に対しても集団的極性化というマーケティング理論によって
学会の目の前にも見えないベールを置いた。
政権に軸足を変えたのは国策事業、国家事業、公共事業に関する企業圏確立により
政権に力を入れたし、逆に政策・閣議決定・議員立法に入り込めば企業経済圏の為になる。
お互いが欲しいものをトレードして現在の創価学会が再出発したんだよ。
菅総理大臣が横浜神奈川会館で執行部達の前で2時間土下座をしたカノッサの屈辱事件やら
許永中さんや、朝堂院大覚総裁、国策特殊銀行の勧業銀行系の羽倉家など
色々な人が関わり、一言で語れない程の40年間の歴史がある。それを知らない人が多いだけだ。
聖教新聞を読んで、創価学会・公明党を安易に批判するのは、何と言っていいのか、、フツーのおばさんレベルだよね。
創価学会・組織総局にアクセンチュアが入ったのが2008年、つまり
池田氏がまだ学会員の前で笑顔を振りまいていた時だ。
執行部だけが悪いと批判する人は多いが、名誉会長として執行部の政策に池田氏は同意していたはずだ。
名誉職とは言え、2008年頃なら、池田氏は疑義を呈する事も出来たからだ。
最後の池田氏は2012年の夏の軽井沢で原田さんに罵声を浴びせるところまで確認され
それ以降の池田氏の動向は、私達には知らされていない。 >>471 対外的には、大反省をしたように見せかけるも金銭管理はオウナーである
己が全ての決済をある時期まで執行。
2012年夏の軽井沢物語ねぇ、まあねぇそりゃ如何でも嘘でも善かろうですよ。
とっくに切り替った創価学会の運営、原田氏ってのは慎重に気長に
事を運ぶ有能な人物と理解可能。
山口奈津夫氏は何等かの理由を申し辞職するか?これも興味深く見るべき事柄。
池田師は現在、お電話で消しゴム一個の発注すらも不可能な名誉職に座すらしき、
師をこの名誉職に据えたのは何時か?
「日蓮は泣かねど、涙ひまなし」 御書より抜粋
是だけの組織だ、先行きは読むべし >>471
なるほどね…
まだそんな上面だけの理解者がいたのかw
気の毒だ >>472
>2012年夏の軽井沢物語ねぇ、まあねぇそりゃ如何でも嘘でも善かろうですよ。
この件に関しては
文藝春秋2015年10月号 高橋篤史・署名記事
「創価学会・亀裂の真相」からの情報だよ。創価学会から訴訟は起こされず。
国立国会図書館・請求番号Z23-10
国立国会図書館書誌ID ・026720534
一度国立国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧して見てよ(カネ払って購入する価値は無いよ。学会ウォッチャー以外はね)
当時の正木派と谷川派の陣営の中で原田氏が軸足をずらした事を問題視された
経緯が詳細に書かれてるよ
それにしても創価学会でもエホバでも、本部職員って内部情報をリークする人達多いよなw >>473
>なるほどね… まだそんな上面だけの理解者がいたのかw 気の毒だ
そんな事はどうでも良いの。
自分は宗教団体には一切興味無いし、仏教なら仏教を一人で学ぶ方がノイズが少なくて理解しやすいよ。
と、事あるごとに皆んなに法華経を広布してるだけw
とりあえず法華経を一人で読んで、解答を第三者に尋ねるな!という実存を促している。
創価学会・公明党は今後、日本国を淀みなく廻す政治と経済の重要な一端を担うかもしれない。
それは未だ判断出来るだけの決定的なソリューションは出してないけど
その可能性だけは皆、感じている。これからも注目していくべき団体だよ。
あくまで政治と経済についてね。
仏法を学びたい人は、自分だけを頼りに図書館や遠隔複写サービスでもCiNii論文でも
他人の意見なんか聞かずに仏法を学ぶのが1番大切だよ。
ただ、そこには創価学会はいない。
日本の経済と政治を支えるのが創価学会の役目に変わったのだから。
しばらく、お手並み拝見。期待して見守ろう! こんな神スレとはぞんじませんでした。
仏教スレかと思ってた。 >>475
この人、投票先の候補者を「創価学会」と書いているのか? >>474 朝鮮人の悪しき習慣、国内問題を外国で発表し、都合よく解決を図ろうとする姿勢と酷似してますな。(金大中拉致事件の原因は其れそのもの)
求心力の源泉は?と問われて、これで御座いますと原田氏がどんな答えを出すか?
誠にヌルヌルのウナギじゃないけど掴み所の無い、宗教に変貌しましたね。 >>468
2500年前のインド人と現代人では譬喩表現が違うからしゃーない。
現代日本人も豚に真珠、猫に小判、犬死など動物をバカにした差別譬喩を何の罪悪感もなく使っている。
しかし、動物愛護協会が頑張って差別用語だと啓蒙をしてみんながその同意をすれば、過去の文献でこれらの譬喩表現を使ったものは動物差別主義者となる。 カースト制撤廃と憲法に書かれたにも関わらず、未だインドではカースト制となっている
それほど、偏見差別を無くすことは人間社会では難しいのだと思うわ >>478
自分の国の問題を米国に解決して貰おうと思っているのは、日本の方が醜いだろ。
嫌韓嫌朝ヘイトに成り下がったクズ野郎よ。 >>478 >>481
創価学会・公明党は例えれば、既に宗教色を薄める方向へ進める方向
デトロイトやフリントみたいな感じだよ
そして資本主義社会を国際的に考えればシオニストの存在が世界を回している。
オリンピックのクリエイター解任を国家が示した後
NYダウもナスダックも史上最高値を更新した。これが全てを表している。
シオニズム運動の旗手アデルソン氏は、世界を牛耳る国際大資本家と
批判する人がいるけど、アデルソン氏が今まで資本主義自由市場経済において
どれだけ寄与して来たかを把握出来ない人が勝手にストーリーを作ってるだけ
ここを子供達に教えられない人は、人の親になる資格・知性は無いと思うよ。 日蓮や法華経と無関係なレス続きでワロタ
十界(論)は一応、華厳経の十方界にならって法華経2箇所の記述から天台が作ったそうだけど
十界互具や九界即仏界とかは法華経のどこに書いてあんの?
これは完全に天台の創作というか独自解釈? >>481 戦争に負け、日本占領は依然として継続中。
その継続を嬉しがったのは池田大作氏の人間革命。
池田氏は日本人か?愛国者としての風貌を欠く。
アメリカは極東に振り向ける防衛予算を極端に減らす政策を選んだ。
口を挟むほどの権は持たない、無駄飯の御飾り公明党議員。
五輪修了後がお愉しみ、何が出るか?三峡ダム詳細報道が無いのは何故だ? >>485
だまれ1 コミンテルン爺め!
世界同時共産主義革命の幻想を総括と自己批判しろよw
解放研の子供達を助けもしないで、共産党系の教員ばかり守って被害者ズラさせてよ
日本共産党神奈川委員会左派崩れには発言権はないだろ?
お前らホームレスをオルグしてろよw 一生やってろw やっぱりこのスレにもブントが紛れ込んでるな
沖縄の三色旗は報道されても創価学会は訴訟を起こさないが
何故、那覇、宮古島、石垣島の赤い旗は映しちゃダメなんだ?
沖縄で「在日は帰れー!」ってデモしてる奴らは一体誰なのか?
知ってる人は知ってるのにな。
ニュース女子を潰しやがって、ここはもう杉田水脈に出てもらうしか無い
在日のおかげで沖縄人は安全に暮らせているんじゃないですか? >>485 投稿の本人ですが、わたくしがコミンテルン? 何、それって美味しいの?
貴君のご意見は意外な反応。
深く考えるに、わたくしは素朴な和人で愛国者で在りますな。
創価学会の根本体質は、反日組織で公安から要警戒組織認定と知ってましたか。
何だそんな事か、僕はずっと前から知っていたんだ!と威張る場合ではありませぬ。
この程度の組織から小手先、芋蔓のように伸びた政治組織に税金の使い路を左右されるのは我慢すべきじゃない、と確信を致す次第。
現在、衆院第一議員会館内で公明党九州比例の吉田宣弘衆議院議員(遠山清彦の繰上げ)と北陸比例の太田昌孝の議員会館事務所に東京地検特捜部が捜索に入っている。
https://twitter.com/...762063881904128?s=19
ジャーナリスト 田中稔
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>488
>創価学会の根本体質は、反日組織で公安から要警戒組織認定と知ってましたか。
創価学会が戦後、新宿マーケットをはじめ上野や池袋などの闇市で
朝鮮警察から日本人を守った事は知ってましたか?
銃も持たせてもらえない日本の警察の代わりに日本の治安を守る役目をになって
いた事を知っていますか?
一体、何処が反日なのでしょうか?
「反日」と「愛国」の意味を混同してはいませんかね? ガサ入れは朝一番に行われた模様だ。
焦ったべな(笑)
吉田の事務所には遠山の秘書がそのまま入っていて、そいつが元凶だとのことだわ
要するに遠山だろなこれ!
ヤバいよ!ヤバいよ!
ザギンどころじゃないよ、これ! >>486
>>487
頭のイカれた妄想ばかりで、何を言ってるのか全くわからん。 トランプが勝利するとか叫んでいた頭の腐った核武装論の妄想カルトと違うか? ワクチン射つと金属が張り付くとか、デマを流しているらしいな。 ヘイトを批判すると、世界同時革命とか決めつけるって、どういう馬鹿なのか? まあ、池田大作が日韓碑文で書いていたことは、基本的に全く正しいが、現在の創価公明は、完全にその池田大作の見解の真逆をやって、師を裏切っていることは確か。
創価など、もともと、その程度の思想でしか無かったと言うことだが。 他に捜索されたのは、同党の太田昌孝衆院議員の議員会館内の事務所や、遠山氏が代表を務める東京都千代田区のコンサルタント会社の事務所 仏教とは無縁の、我利我利亡者の修羅野郎だから、ヤー公のような面子に拘って、ヘイトを煽ったり、領土分取り策動で戦争を煽ったりしてるんだろう。
昔も、国を破滅させ、膨大なアジア人だけでなく、日本人をも何百万人も死なせたのが、国賊バカ右翼。
今もアメリカに国を売って、再び対中戦争へ突撃しようと煽っているが、国賊売国のアホ右翼ども。
仏教や宗教とは真逆であることは、言うまでもない。 創価学会は日蓮氏や諸弟子の遺著を好き勝手にアレンジ,合体させ
盛んに商いに利用した組織である。
教学テストを盛んに行い、教団の中で階級を付けるために、学歴の無い人たちにも
独特な教育を施す。例えば
以下ドリル問題ですから、〇の箇所を正しい熟語、単語で埋めなさい
点数は加算式です。
創価学会は、世間に数多い今出来の新興宗教では在りません
日蓮の遺弟である○○〇僧と袂を分かつ〇〇○○を開山の日蓮正宗を本山とし
三大秘宝である、〇〇 〇〇 〇〇〇を本尊として尊敬し在家の信徒は
日蓮正宗の檀家として○○○○を護る○○〇○○なのです。
と云うようなドリル教本を使用して信者の信仰を固着させました。
回答 三六九 マンガン はく はつ ちゅん やくまん じゃんそう 宿坊から引用
↓
今回の遠山の家宅捜査絡みなんだけどネ
例の太陽光発電テクノシステム生田容疑者が経営していた会員制焼肉店馬車道倶楽部は横浜市にあるのに
開店時に当時九州の、遠山清彦はもちろんのこと麻生太郎、小泉純一郎やら小池百合子やら鳩山由紀夫やら
そうそうたる議員が花を出してるネ…
この太陽光絡みではかなりの関係者がいるのがわかる。
遠山清彦後援会とは別に公明党九州第二支部の平成29年政治資金収支報告書には
テクノシステムに1,000,000万円支出しているのがわかる。
こりゃ逃げられんよな(笑)
いろいろ闇は深い案件の様だネ… 創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るはずのスレッドですよ。 >>503 では本題に戻ります
創価学会は、日蓮氏の遺著を美味しく利用し王佛冥合なる珍妙な論を提示。
この論の骨子をこの様に曲げる。
国家が宗教団体に関わり圧迫する事は民主主義、人間の自由思想に反するが、
宗教の側が国家の政治に関わり行動するのは大いなる自由である。
選挙活動は思想の自由を表現する最高の境地であり、投票はその表現手段。
池田君曰く、「ホントは全体主義が一番良い」
わたくしは思う、こんな奴らに政治をやらすのは民主主義の自殺行為。
公安が創価を監視対象団体にして目を離さないのは極めて賢明。
皇室は池田氏とその一統を蛇蝎の如く嫌悪すると記して置く。 池田はもういいよ
単なる野望の塊でバチ当たったバカだろ >>504
あなたのその主張には別のスレがありますし、
ここスレでの主要をしっかりと弁えて論ずるべきですよ。 法華経の譬喩表現には現代的価値観に合いません
無謬的信仰はやめましょう >>507日蓮を散々利用してご発展!の見地から容認されたいですね。
日蓮って大いに実益の利用価値が在ると発見し、実行したのが創価じゃないですか >>509
彼らも過去に散々正当性を主張していました
会則変更とともに過去の指導者の発言を参照する人々が増えるでしょう 仏教は根本思想から考えれば宗教じゃ無いし、宗教団体を指す物でも無い。
これを前提にして
「宗教とは、こうあるべきだ! 仏教とはこうあるべきだ!」と語るのは誤謬と自己欺瞞じゃないかな?
そして
「宗教団体とは、こうあるべきだ!」と叫ぶ人達は、その自身の幻想の論拠を上げるべきだ。
エホバの方の様に、エホバの教義の妥当性・普遍性について質問しても、エホバが
「聖書のココにこう書いてあります、、更にココにもこう書いてあるんですよ。これで論拠を証明できましたよね?」
と答える教学担当者と同じ様な「帰属社会内での信念の強化」を持ち出されても
それは言語論理的に明らかに間違ってるし、そんな話を聞かされても
無視する人が社会には99パーセント以上いる事を先ず考えてから発言しないと、ただのミラージュでしかない。
仏教団体はそれぞれの信者さんと組織の問題だ。無関係の者が口出しするべき物では無い。
これらは日蓮宗でも日蓮正宗でもエホバの証人でも同じ事だ。
本当に仏教に興味がある人や、真面目に仏教を学びたい知性的な人は
宗教団体に入らない人が多い。
ノイズキャンセリングして実存と自主独立性を持って仏教を学びたい人達だからだ。 >>511 日本固有の神道では、国家の危難、大事に際し御告げが降りると聴く。
真偽は兎も角として、仏の道を深く極め、悟りを得たいと願う者には神仏の
冥助がある、その段階に至るなら信仰とは神仏との関係の意味と判るらしい。
511さんは肩ひじ張らず、
上の三行を考察されるのが宜しい,日の本は古来より神と語る人間が途絶えない
神国なのだから。 >>512
>日の本は古来より神と語る人間が途絶えない
>神国なのだから。
これは512さんだけでなく、宗教やスピリチャルを語る人を見ていますとね
論証でき得ぬ物、また、論証しようと誰も努力をせず見過ごされた物を
初めから公理として語ってしまう人が多いですよね。 様々な宗教において
功徳とかご利益、死後の世界の保証とか
今、生きている自分が存在できる唯一の場所から逃亡するような
幻想を持つ人もいますよね。
私には、今の自分自身を離れて自己偽満にしてるようにしか思えません。
健康問題でも経済問題でも、自分自身が担って
頑張って生きていけるのが人間の心つまり自分自身の心の包摂になるのではないでしょうか?
ただこれも、私にとっては、どうでも良い問題なので引きずりはしませんが
「果報は寝て待て」という言葉がありますよね?
少なくとも熟し柿の下まで自分で移動する努力は必要です。
その努力は、その人本人の努力。誰か第三者との意思決定とは関係ない意思決定が必要だと思います。
もし何らかの利を求めているのなら >>513 神と生物としての人間の関係は地球の自然現象と思ってます。
昔のエジプト神聖 >>516 諸法無我 諸行無常 涅槃寂静これは三宝印である、
諸行無常とはお釈迦さんが説いたわけですが、言うてみるなら
「君の心が、今までの生きてきた儘に日々の常識と仲良く固着したいかも
知れんが、その常と云うのは無い、常が無いのが真実であり。君もやり方次第で
成仏の可能性が産まれる、この道に志すものには神仏の冥助が授かることもある。」
誤字を記す対象物件は如何か?私はお薦めしません。 しったかぶってるアホさんは 常にアホに見えるのだが。
ルールさえも守れない奴はこんなものよ。 >>517
そのまま悉有仏性の説明になってて面白いけど
>この道に志すものには神仏の冥助が授かることもある
これも釈迦直説の諸行無常にあるの?大乗ぽいけど 「ファーゴ・これは実話である」
コーエン兄弟の映画・ファーゴが公開され人気が出た。タイトルに(これは実話である)と記された。
内容は狂言誘拐身代金強奪事件の話。全ての歯車が少しずつ狂って失敗する。
そのみのしろ金もサウスダコタ州のど田舎の畑の中かに埋めたまま
その場所を知っている唯一の人物も仲間の裏切りで殺されてしまった。
ここまでが映画。
数年後、サウスダコタ州のど田舎で若い日本人女性がレイプされ殺された。
この女の子は友達と一緒に「ファーゴの埋蔵金を探しにいく」と言って米国に渡った。
彼女達は「映画・ファーゴ」の冒頭の
(これは実話である)も
作品の一部だと理解出来ない、読めない読者であった。
世界の何処にでも生じる、ちょっとした歯車の違い、様々な縁起の生成を
狂言誘拐事件という方便として語っている「作品」だった。
彼女達は、方便を、まさに客観的事実として認識してしまった。
この事件は米国で報道され、コメディ映画として映画化された。
日本では未公開。 学会員のほとんどは御書とか読んでないし
そもそも読む学力がない
日蓮を真剣に論じても学会員には理解できんだろ 御書も読まさせて頂いたけど
御書って法華経を読んでないと完全には読めない本だね。
日蓮はけっこう法華経からの修辞や暗喩の方法論を借用している。
先ず、法華系日蓮系の方々は、法華経を読んで頂きたい。
おそらく
「めんどくさい!時間が無い!仕事が忙しい!難解だ!教学だけでいいんじゃないの?」
という人ばかりなのだろうけど
無宗教の人の方が法華経を読破しているのと逆に
法華系日蓮系の信者さんの方が法華経を読んでいない。
「法華経よりも実践が大切なんですよ!文字に書かれていない仏法の方が尊いんですよ!」
という信者さん達の言葉は、信者さんの自己欺瞞と逃避を正当化しようとする
「とりあえず、こう言っとけば形はつくだろう!」という
初めから用意された自家薬籠中の「自分にとって都合の良いカード」なんだろうな。 >>519お釈迦様が説いた 仏教ってのは案外、新しい信仰形態なのです。
お釈迦様がヒンズー教の基礎土壌から新宗教を生み出しましたが、
其の時に古来からの神の存在は否定しません、梵天勧請,ムチャリンダ竜が釈迦を護るなど
伝承があるじゃないですか。
さて日本の神道は、氷河期時代の遺跡を観るに2万年以上同様な祭祀をしています。
西暦後に途切れたエジプトの信仰は5千年程継続。 日蓮という人は自分を犠牲にしてまで法を広めた偉人だと痛感し感謝する毎日 彼は優秀な広告マンであることはわかるけど少し譬喩に囚われすぎてないかな
法華経がそういうお経というのもわかるけどあくまでもって所まで話して興奮した信者を諫めなきゃ 524 525 526
その人が、何故その行動を敢えて継続したか、もう少し深くみるなら
何を望んで居たか、根本的な欲求は何か。
商品広告なら、全国制覇し国民に普及させ、劣る商品は駆逐する。
宗教家なら己の説く法の優秀さを力説し世間に広く深く流布させる。
日蓮は自らが立てる宗派を、国家認定させ寺に関わる一切を寄進させたかった。
其れが立派な事か、真の善事か判らないが、日蓮は私度僧でフリーランスの乞食僧。
余りにも軽い身分でしかない。
ご要望は無理なんですけど、と警告が何度も在ったのじゃないですか? >>528 気ちがいと言う存在は、他人に迷惑を掛ける人達を指す。
然しながら、本人にしてみれば其れは「真実、真摯な行為をしているらしい」
ここのスレタイトルが「日蓮って」なのだから言ってしまうが、
日蓮の行動には、狂気に近いものが含まれると思うのだ。 考えてみな、おまえ等も基地外なんだからさ、日蓮の気持ちはわかるはなんだが。
とくにオマエ>> ID:Fpq6sN6e
いままでの書き込み自作自演の中で、どんな気持ちになっていたのか? >>525
>彼は優秀な広告マンであることはわかるけど少し譬喩に囚われすぎてないかな
>法華経がそういうお経というのもわかるけどあくまでもって所まで話して興奮した信者を諫めなきゃ
そう言いたい気持ちも分かる。法を説いてくれて頼み込んだシャーリープトラと
同じ気持ちという意味でね。
ただ日蓮の御書を読むと、1番外してはいけないところは外して無いよ。
方便品の最初に「語る事によって理解出来るものでは無い」という釈尊の言葉や
ニーチェのツァラトゥストラはこう言ったの冒頭の「誰にも読めるが、誰にも読めない本」
みたいにさ、ここに仏教や実存主義哲学の伝播の乖離はどうしても存在するし
その乖離の存在は、1番仏法の門として必要な物なんだよ。
後世の人達が丁寧に解釈・講義をして(いわゆる教学)も
それは指示対象(仏法)における需要予測(信者が望んでいるであろう)を
リプリゼンテーションしているように見えてしまう人が多いけど
実はリコンストラクションになっている。
これは法華経をしっかり読んだ人しか見えない部分。
だから御書は必ず法華経を読破したという前提で読む必要がある。
観察と分析と判断は自分でするんだよ。
他人に教えて貰える物では無い。仏法であれ御書であれ法華経であれ。
釈尊が、私の死後それぞれが一人で法を伝える者になれ!決して宗教団体を作るな!
と言って死んでったのも、そういう意味。 >>531 日蓮さんが青春時代に受けた師匠からの、其れなりの
扱いについて、実家が貧であるが故に修学を断念せざるを得なかったその惨めさと
どの様な心境を得たか?についての推察はわたくし程に理解する
人物がかつて居ただろうか?とやや成りとも自負して居ります。
日蓮さんは、天台宗系の寺に入り法名を頂き勉学と作務に励みます。
文字に不自由が無く読み書きを習得完了時点で、同期入山の、同室で住まう
同輩が専門僧侶の修行過程に進みます。
この実修は四度加行と称される供養法を四つ習い修めます。
十八道念誦次第、金剛界念誦次第、胎蔵界念誦次第、不動護摩供養次第です。
過程は中々厳重なもので、全て暗誦し参考書抜きで実修し記憶したかを師匠が検査をして合否を決めます。
参考資料は近代の名阿闍梨と尊敬される浅草寺故清水谷恭順師は中学入学を一年延期し
比叡山にて習得されたと記述されて居ます。
これを習い終わり、やっと自動車運転普通免許証取得でしょう。
日蓮は、その習得の費用を自弁できずに阿闍梨さんになる途を断念します。
教本、法衣、食費、礼金など多額な費用を実家が出せなかったからです。 533のお話ですが、何故に日蓮氏の信者や後の自称弟子たちは
日蓮氏が青年期修学上の挫折を絶対に語らないのか?
その後、蒙古調伏の祈祷をさせろと運動を重ねて居ます。
彼の狙いは己が祈祷の効験を世に知らしめ、一個の宗を得るに在ります。
そんな、祈祷の効き目の与太話って有るのか?と疑問に思う方も多いでしょうが
今も存る真言天台の古刹の創建縁起は、祈祷の効験の恩賞が多いと知るべきです。
そういう時代背景は、現代では理解しにくいモノです。 >何にしろ日蓮なんて最初から最後まで、害毒ばかり。
日蓮というよりも
日蓮を誤読した人達が、我田引水の
公共性
公益性
真実証明
を形成してしまってる事が問題。
法華系日蓮系の信者さんや教学部長が語る日蓮は
実は日蓮では無い。
そこで
日蓮について、ああだこうだ言うのは、元々の誤読を公理として
無駄な議論をしているという事を、気づかなければならない。
というのが、本当の所なんだよ。
だから法華経も御書も
一人で読む。
他者の意見を無視する。
態度が必要なんだ。
おかしなマインドセットやバイアスを持って日蓮や法華経を読めば、読めない読者にしかなれない。 >>533
そんでさ、オマエさんが日蓮を評価できる資格があるのかね。 >>536
何とかして日蓮や創価を擁護したい下心から、下らん言い分けをしてるだけ。
日蓮がそんなだったから、弟子もそんなだったんだ。 >>537 533の記述でわたくしが指摘する日蓮の生い立ちと青年期に至るまでの
居住寺内における師匠から受けた扱いなどは、宗教家や人文学教授が原稿用紙に記し
世間に発表する文章では無い。
理由は簡明です、発表と同時に生命の危機が筆者に迫る恐れが生じます。
そうです537氏の様なキツイ日蓮信者が教授宅の付近を徘徊するでしょうし、
一生、彼らに恨まれる種を蒔く行為です。
日蓮程度の人物評を記し、恨まれては大損です。
話は飛びます、わたくしにはコンナ思い出が有りますが、皆さんもきっと在るでしょう
睡眠を取るために、蒲団を敷き寝込もうとすると色々な過去の行いや想い出が脳裏を過ぎる。
其の時に、己の過ぎ去りし失敗や恥ずかしい行状をウッカリ思い出し飛び起きてしまう。
誰でもありましょうが、想像ですが日蓮氏は十代の頃、己が師匠や周りから受けた仕打ち
を後年に至り思い出しては幾夜も寝られぬ程、口惜しい!と叫んでは飛び起きたと思います。
同室で暮らす、頭脳程度が己よりも劣る同輩が次々に密教の秘法を習得して阿闍梨位に就く、
そして嬉しがる姿を観た、その悔しさを終生の心の傷口を生じ、忘れ得なかったのではないか。
阿闍梨は梵語、意味は師範、教授の意味です。
社会の扱いは貴族、公家に準じる高い評価を受けます。
天台密教の正式な装束は公家の衣装の上に、袈裟衣を身に纏う格調高いモノです。
日蓮が山を出奔するように下山した理由は上の通りと推測しました。
日蓮さんて、本当に哀しい人なのです。 >>549
>何とかして日蓮や創価を擁護したい下心から、下らん言い分けをしてるだけ。
>日蓮がそんなだったから、弟子もそんなだったんだ。
ん?
私には読めない読者にしか読めない。
日蓮や創価なぞ、ほんの少しも擁護する気は無い。
そのような二項対立自体が哲学では無いし、仏教では無い。
今、改めてポスト構造主義「以降の」
新実在論的に法華経と御書を読んで観ると面白い。私が言いたいとすれば
ただ、これだけだ。
マルクスガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか?」や
デビッドベネターの「生まれない方がよかった」を読んで見てはいかがかな?
古い時代のショーペンハウアーの「宗教に関して・対話篇」を
実存主義を、新しい分析哲学的新実在論として再構築している。そのプロセスが感動的だよ。
その視座は法華経や御書を読む姿勢に大きく寄与するものだ。
「多分難しい哲学書なんだろ?そんな本読めねぇよ!」なんて言わずに読んでほしい。
哲学書の中では平易に書かれている。
ただ、平易に書かれている事が、読者の独善的解釈を生み出すという誤解の種にもなりかねない。
ここが法華経や御書と共通する部分。
論語読みの論語知らず。
御書読みの御書知らず。
何かを読むときには感情の充填、正常性バイアス、アフォーダンス理論を
徹底的に排除しない事には、人は何も読めない。人は何も学べない。 全ての新興宗教に対して語る。
推認である。
供述の重要部分に変遷があるのか?どうか?という問題。
公共の利害に関わらず、事実と独善的幻想の間に作った臨場空間は
専ら公益を図る目的での表現として適切であるか?不適切であるか?
全ての新興宗教団体に対して語るべき、第一義的な事はこれなんだよ。
(人それぞれの逃げ道は用意してあるし、逃亡する者の自由は認める。逃亡者として) 日本にキリスト教(イエズス会)を広布をしたフランシスコ・ザビエルが
ローマ教皇庁へ送った手紙にこう書いた。
極東の日本人というのは今まで出会った野蛮なる未開人とは一線を画す東洋人です。
日本人は知性的で、手強い人達です。
私の信者は主に(キリシタンはデウスと呼んだ)対する信仰を持ってくれました。
しかし、問題はここで終わらないのです。
彼らの言葉に私は人生最大の難問を感じ悩んでいます。彼らが良く言うのは
「わしらはデウス様の言葉を聞いて死んでも天国に行けるけど、わしらの親や爺ちゃんはデウス様の事をしらなかった。親や爺ちゃんは今頃地獄で苦しんでるのですか?」と
私は彼らの質問に答えることが出来ません。何故なら文字の読み書きも出来ない人でも
日本人は常に論理性・合理性・整合性をもとめるからです。
それゆえ、うっかり言葉を繰り出すと、その言語の矛盾について敬意を表しつつも更なる整合性を求める希求を論理的に質問してきます。
次に日本に布教をするならローマ教皇庁・イエズス会の最高の知性を持った宣教師をどうか派遣していただく事を切に望みます。
このザビエルのような人が
形而上学から構築主義
構築主義から新・実在論
への変遷を語れない人なのだと思う。
それは、既に、この問題が発生する前から、「変遷の過程を語る」という行為が必要になると思わないで生きて来たひとだからだ。
ザビエルだけでなく、同じようなタイプの人間は現在でも数多く存在する。
例・「仏法は理屈じゃないんですよ!難しい哲学じゃないんですよ!実践だけでいいんでしすよ!」と語る人達は
初めから、理屈とは何か?哲学とは何か?実践とは何か?
という議論を、「しない・させない事を、目論んでいる」
ここに気づきましょう。 >>540 投稿を読み返し、思うことあり。
日蓮が「日蓮に成った」理由と原点が青年期の強制的な挫折に在る。
頭脳優秀な青年に、お前は習う資格無しと申し伝える師も辛かった筈だが、
もう少し考えると、日蓮には支援を頼むような縁者(血筋とは限らない)がない。
経費は概算300万円程だろうか。 https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20130209/p3
なんだよゲルマン人の話かよ
日本凄い系読み過ぎのネトウヨがここぞと胡散臭いエピソード話しまくりで草 > ただ、平易に書かれている事が、読者の独善的解釈を生み出すという誤解の種にもなりかねない。
> ここが法華経や御書と共通する部分。
> 論語読みの論語知らず。
> 御書読みの御書知らず。
恥ずかしいいいい、盛りまくりの表現に自ら飲み込まれていたw >例・「仏法は理屈じゃないんですよ!難しい哲学じゃないんですよ!実践だけでいい
>んでしすよ!」と語る人達は
>
>初めから、理屈とは何か?哲学とは何か?実践とは何か?
>という議論を、「しない・させない事を、目論んでいる」
>ここに気づきましょう。
議論という言葉遊び・戯論をどれだけ繰り返しても何も得られないと気付けるまで
議論すればいい。
今世も来世も来来世も。
君みたいなのを見ていると悟りに億劫の時間がかかるというのも
あながち間違いではないんだなと思う。 >>548
あなたは「議論という語の定義」を語り始めていますね。
もう一度、良く読んで見て下さい。
言語論理学的、修辞学的に
私は言語論理演算の展開操作としての「軸転回」として議論という記号を用いたのです。
そこをよく読んで下さい。
これは法華経や御書を読む時にも必要な重要な視座です。
私は貴方をバカにするつもりはありません。
ただ、「自ら考える事。自ら分析する事。自らベイビーステップで歩き始める事」の
重要さを知ってもらいたいのです。
仏教や哲学を学ぶ者のポケットの中にはジョーカー・カード(ワイルド・カード)はありません。 とりあえず
ID:XWhKkMnnのプチ人気に嫉妬(棒 >>546リンクの最後の方、ソクラテスやプラトン用の地獄(辺獄)って
大乗の説く二乗不作仏にも繋がるような発想で面白いなあと思った 日本語しか分からない相手に英語で説教してるみたいな人って
もう完全に荒らし扱いでいいよね? はいはい皆さんそれでよろしいのではないでしょうか?
hide herself for pain
restless heart >>555 教養の有無を論じる事あり、
ある人の曰く
そりゃね、一人ボッチでも退屈せずに居られるような
テーマ主題を楽しめられるか、なのだよ
パチンコしか暇つぶしが無いってのは教養有りじゃないよね
そこですよ、此処で日蓮師を論じる人(わたくしも含め)
仏教を初期から末期までの歴史を系統だてて、いざ日蓮さんを見ると傍流の枝葉なのですが、
いかにも、彼が本流筋であるように装飾する人たちが多すぎ、しかも其れで営業し儲ける。
お金を働き儲けるのは結構ですが、駄法螺や虚偽で引っ張るのはお止めに成った方が善い
其れが仏法の為、お釈迦様への報恩と論じるのがこのスレの趣旨と理解して居ります。
言ってない事を,あたかも言った様にされては、仏でも堪らないと思いますしね。 >>556
>いかにも、彼が本流筋であるように装飾する人たちが多すぎ、しかも其れで営業し儲ける。
さすがに分かってる人はわかってるんだな。
私は宗教ビジネスは否定はしないし、もともと仏教という実存主義哲学にしか興味はないのだから
信者や経済圏からのマネタイズなんて全く興味がないのだが(チーズ嫌いなのに、何チーズが1番好き?と尋ねられるような感じ)
あなたの最初の部分はとても大切な事を表している。
そして、このあなたが指摘した部分が見えない人が、仏教を誤解し始め
誤解した状態から、対立する宗派で喧嘩をしてるだけなんだよな。
それって、仏教的には1番やってはいけいない
1番仏教から遠い世界なのになw 195 ニューノーマルの名無しさん sage 2021/08/08(日) 04:33:25.92 ID:4/RMeSbG0
日蓮自体が他の宗派に攻撃的だったし、自分を釈迦の生まれ変わりと勘違いしてたし、もうどうしようもない人だった。
法華経の要点である「自分を愛し、他人も愛し、世界を認める」 ということが実践出来なかった日蓮。 その系統の宗派が腐るのも必然。
「南無妙法蓮華経」と題目を唱えたって無意味です。 法華経を読み直せ。 題目も座禅も念仏も、その人ひとりひとりにとっての価値なんだよな。
日蓮は法華経を喧伝していた。
法華経には他者を攻撃する事なく、平和に平等に生きる事の大切さを訴えている。
日蓮が攻撃しているのは、自分の弟子であれ、他の宗派であれ
法華経の平等思想から逸脱する政治力を持った宗派団体に対して攻撃してるだけだし
弟子に対して攻撃しているのも
末法においても法華経も詮なし。と言う言葉は
弟子達が日蓮の法華経思想を誤解して、法華経をよく読まずに
適当に知ったかぶって、日蓮師匠の言葉を不適切に使い、混乱を招いた弟子に困ったからだよな。
御書を良く読んでる人は知ってると思うけど
こういう弟子が増えてしまったので、末法においては法華経も役に立たないと
わざと言ってるんですという往復書簡があるよね?
法華経や日蓮の言葉尻、重箱の隅を突っついて批判すれば
法華経や御書の本来存在しない、整合性の無い論題を次々に生成する事になる。 >>560
この人
個人的感想、個人的価値観の表象を述べるだけだから
こんな事を言うのは野暮かもしれないが
恒真命題と恒偽命題の区別が曖昧だな。
数学の世界でいうと超複素数系を、実数全体の多元環と見誤っている感じ。
ただ、個人の感想だから、言うだけ野暮なのはわかってるけどさw それにしても法華経や日蓮御書が理解されないように
カール・マルクスも理解されてないな。この人のブログ見て、これだけ
自分なりの理論武装して語れるのに、カール・マルクスを誤解してるよな。
私が思うに、これらの誤解の原点は
「ドイツ共産党宣言」の著者はマルクスとエンゲルス!と言われ続けた事が原因じゃ無いか?
ドイツ共産党宣言は改竄され決定稿にはマルクスもエンゲルスも関わっていない。
マルクスは可哀想な死に方をしたけど、生き残ったエンゲルスが何故そこを決着しなかったのだろう?
バカを相手にするのは確かに意味が無いし誰も興味は無いが
エンゲルスの、ちょっとした努力の欠如が後世、天才思想家カール・マルクスへの誤解を生んだ。
と私は見ている。 〜3行で分かる法華経(九界即仏界)〜
菩薩界の上に仏界が有ると言ったな
あれはウソだ
そんなものは無い 法華経は三乗一仏というコンセプトがある文学だから
10界といっても、独自の主張がある訳で(ユニバーサル汎用型哲学では無い訳で)
それを気づくのが大切なのだが
逆に
それは特化型メタファーとして理解されにくい部分でもある。
天地いっぱいに悟りは存在する。それは説明しにくい。
それを何とか説明しようとするから多くの人は理解しにくい。メタ的に法華経を読めば悟れる。
そこへ誘導する為の善意のトラップがあちこちに仕掛けてあるのが法華経。
ほら、小学生中学生の頃に学校でロバートフロストの
the road not taken (選ばれざる道)を学んだけれど
大人になって、教科書や先生が説明してくれた意味では無かった。あの感じ
旧約のヤコブの梯子も、新訳の善きサマリア人の喩えも同じ。
法華経自体をとにかく読む事が大切。一回読めば他の訳者との違いも楽しめて
違いはあるけど「絶対、違う事なき1点」だけはあるんだな!
と、自分自身で感動せずして、法華経を読んだと言ってはいけない。
仏法は何処までいっても冷暖自知・不立文字・教外別伝・直指人心で無ければならない。 >>564 禅語を用いず、誤謬を訂正するには
もう少し工夫をすべきですね、日蓮宗徒にはアレルギー反応でしょうから。
直に面接して語るならまた違います、その場合は説者の人格が伴うならですが。
分別を他人に決めて貰ったら、そりゃらくちんな生活が期待できます。
新興宗教団体が在る理由の一つが、このらくちんさなんですよ。 >>565
>分別を他人に決めて貰ったら、そりゃらくちんな生活が期待できます。
>新興宗教団体が在る理由の一つが、このら
それはそうなんだと思いますが、例えば
自身の判断で宗教団体に入信する人は、仏教の初学者としてコレが仏教だと思い
祖父母の時代から信者だった人達は、生まれた時からコレが仏教だと教えられていますよね。
でも、宗教団体に入っている人を誹謗中傷するのは間違っていて
彼らの信仰の自由を認めた上で
「仏教には、それ以外の見方があるんですよ」と優しく語りかけたいんですよね。
強硬に語りかければ「私たちの信心を否定するのか?」と怒り出してしまいますから。
あなた達の信仰も認めた上で、あえて対立する事なく、もう一方の仏法もあるのですよ!
と語りかけたいんですよね。
仏教に関して喧嘩をしたら、どちら側も負けですから。
それは仏法では、してはいけない事なのですから。 >>565
>禅語を用いず、誤謬を訂正するには
要素還元主義的と批判されてしまうかもしれませんが
法華経の方便品で釈尊が語っている事は
マルクス・ガブリエルの新実存主義・新実在論的な認識に近いと思うんですね、私は。
そうなると、哲学用語では無く仏教用語で語るとするならば
禅語にならざるを得ないのです。
どうしても、そうならざるを得ないから釈尊は舎利弗に仏法を教えたく無かったんですよ。
釈尊が初学者に語ろうとすれば、その釈尊の言葉をただテクスト論的に解釈して
誤解をする恐れがあるから、方便品では法華経を聞く前のマインドセットを
舎利弗に確認しているんです。
法華経って物凄くよく出来た構成です。 頭でっかちのガリ勉バカには際限なく快感を与えてくれるんだろうな
言葉を弄ぶことが仏教と思っているガリ勉バカに禅はこれっぽっちも分からない
ttps://www.shorinzenji.com/%E4%BD%8F%E8%81%B7%E3%81%AE%E8%A9%B1/%E4%B8%89%E5%B8%B0%E7%A4%BC%E6%96%87/
>三帰礼文(さんきらいもん)
>【現文】 【読み下し文】
>
>自帰依仏(じきえぶつ) …自ら仏に帰依したてまつる
>
>当願衆生(とうがんしゅじょう )…当に願わくは衆生とともに
>
>体解大道(たいげだいどう) …大道を体解して、
>
>発無上意(ほつむじょうい) …無上意を発さん
せいぜい頭解大道を試みて誰かに誉めてもらえるよう頑張れ >>568 こういう決まり文句は、過去の偉い学僧が制定したらしく、
上手くできていて隙間が無い、五大願、四弘誓願、開経偈(これ経文から引用)
など宗派により数多い。
毎日の勤行時の始めにあげるわけだが、よく読み込むと仏教の目的が現れていて
興味深いものが在る。
灯台下暗し、駄々ら読みしてませんか?もう一回見直すべきでしょう。
日々お経を読誦する目的とその祈りを示すお題です。 現代はデジタル・リージョン上でのリレーションシップ自体が
世界だと言っても良い時代である。
まだ完成されたブロックチェーンは存在しなくても
この多様性・ダイバーシティの中で
新しいプラットホームで
口唇皮上にスパイクを放つ事が求められている。
(前もって言っておくが「カタカナ言葉がどうのこうの」の意見は意味無しとみる。何故なら会社での企画会議で使われる現代の常識的なカタカナ語だからだ。石器時代について私は関与したく無い。常に前を見つめよう) >>571私としては、創価学会員に植え付けられ根を蔓延る
固着化中の洗脳を解きたいと思います。
カタカナ用語を使っては少々、効果が無いどころか読んで呉れないと
案じます。 >>572
>カタカナ用語を使っては少々、効果が無いどころか読んで呉れないと
先ずココなんですけど、人それぞれの環境は違うと思いますが
会社・法人に雇われる側として生きて来たら、これぐらいは知っておかないと、という言葉。
上司からも部下からもバカにされるレベルの常識カタカナ語を表すと
何のかんのと批判してくる人がいて不思議だったのですが
このスレというか板自体が高齢者が多いという事でしょうか?あるいはヒキコモリとか。
これは悪意はなく、本当に私の正直な感想なんですけど
社会から隔絶された人達なんじゃないかな?と不思議な感覚を持ちます。
キャタピラー? ちゃんと日本語で言え!
とすると、、無限軌道ですか?
ちょっとステイプラーとメカニカルペンシル取ってよ!
ああ、ホチキスとシャープペンシルね?、、、
常用されるキャタピラーもホチキスも商品名です。でも常用されるぐらい誰でも知っています。分かりやすいです。
ビジネスや現代という新しい時代に常用される言葉を
「私が若い頃は、そんな言葉は無かった!」 なんて言ったら、おしまいですよね。以上雑談。 >>572
>固着化中の洗脳を解きたいと思います。
所属の信者さん全体を集合として対象とする事は出来ないし(それぞれの信条は同じであるはずは無く)
「洗脳」と要素還元されがちな言葉は認知心理学的・行動心理学的なバイアスでもあり
それは、信仰を持ってない人も持っていますよ。
私は全ての宗教団体を否定はしません(社会的道義に逸脱さえしなければ。イデオロギーとは関係なくですよ。)
あなたの言う「洗脳された信者」が、個人的に幸せ、特に心の慰めになっていれば
口の周りに付いた米粒まで盗む事は間違ってると思いますよ。
宗教の信者さんには、個人的に「あなたの思っている仏法以外の仏法もあるんですよ」
と、信者さんの信心を否定せずに語ってあげたらどうでしょう?
「正義」の反対は「悪」では無く
「正義」の反対は「もう1つの正義」なのですから。
仏教を学ぶ者は、敵対心を持ってはダメですよ。
少なくとも、その様な執着と心の揺れは、仏教ではありませんから。 >>575 人を大勢集めて、代表と称する
指導者の池田大作が政治活動と投票に信者を必ず漏れなく向かわせる、
その指導要領に逆らうものは法敵扱いにする。
何故それが可能になって居るのか?刷り込み的指導が効果を発揮するからだ。
では其れを解くべきであろうか?力及ばずともその為の情報は提示したい。
税金の使途に池田大作の意図が滲むことは充分有得るからだ。
他の宗教教団では、「政治いじり」を殆どが止めている、その理由も知りたいが
今のところ不明である。 >>576
あなたが、池田氏という「個人」と
宗教団体という「箱・システム・オーガナイザー」に関して
どう思おうと、自由だが、それはあなた自身にとっての指示対象であって
他者にとって普遍性がある問題という訳ではない。
あなたは、あなたのイデオロギーを示しているだけだ。あなたは敵意を持つ人達との共感を欲しているのだろうか?
日蓮宗も日蓮正宗も顕正会も創価学会も、「仏教という観点から」批判するのは間違っている。
宗教の信者さんというのは、人生が上手くいかなくなったり、生まれた出場から
ハードモードのバトルを強いられたり、社会に負けてしまった!と劣等感を持つ人達が
彷徨ったあげく、たどり着ける心の安全地帯なのです。それは、あなたも分かるでしょ?
宗教法人も政治と経済に影響を与えている現状は認めるが
あくまで論題は「仏教」に関わる話をしてるのだから、そこを外してはダメですよ。
政治政党の政党理念がどうのこうのとか、ゼネコンや三菱との経済圏がどうのこうの、という話は
仏教を語り合う人間同士で、全く意味がありませんよね?必要無いですよね?
宗教団体が存在するという事は、それと同じだけ教義教条があるし
その人達が信者である事を選んで、心平安に生きてる人に対して、実存を否定する事はまちがっている。
これは、私の思想ではありませんよ。仏教というのはそう言う物なのです。敵対心を仏教は認めません。
心を落ち着けて法華経を読んで下さい。 喧嘩をする為にワザと法華経を読まない人もいますが、一体そういう人達は仏教を何だと思っているのでしょう? >>574
アホ
あほ
阿呆
オマエさんにはどれで言っても、気にしてはくれないのが凄いとは思うからw >>577 だからね、仏教の衣を纏う騙しと
言うとるわけですよ。
大作君の一統はそんなもんですって。
必ず政治に帰着させる論ばかりやってますよ。 自分で作り出した幻想・ミラージュの中で私的な価値観を作るのもいいでしょう。
ただ、その行為が
「自身の実存を変容・変遷させる物に出会った時の、自己救済としての幻想・安全地帯」
と、の認識さえあれば良いのです。
もとより、そういう人を批判するつもりはありません。
わざと軸転回を変える。わざと論題を非共有にする。質問に質問で返す。
これらは、その本人にとっての共依存そしてコミットメントなのでしょう。
それは、それで否定しません。
それを否定したら宗教団体の信者さん全員を否定する事になるますから。
自信を守る堤防を決壊させない為の自己防衛本能は誰にでもあるのですから。
私が言いたい唯一の事は、法華経を完読、熟読して下さい。という事だけです。 日蓮自身は、法華経を釈迦の金言と全て信頼し帰依。
現代人の我々は日蓮の様に素直に受け取ることは出来ない。
其れを熟知する創価の教学部は種々の説を塗し(まぶし)抵抗感と
疑問を抱かせない様に苦心を重ねているのだろう。
然し乍ら、お釈迦様は直截な説教をしたと思う。
教学部の苦心は、言い訳造りの苦心に過ぎない。
法華経その者が言訳を含むかも知れない。 日蓮自身は、法華経を釈迦の金言と全て信頼し帰依。
現代人の我々は日蓮の様に素直に受け取ることは出来ない。
其れを熟知する創価の教学部は種々の説を塗し(まぶし)抵抗感と
疑問を抱かせない様に苦心を重ねているのだろう。
然し乍ら、お釈迦様は直截な説教をしたと思う。
教学部の苦心は、言い訳造りの苦心に過ぎない。
法華経その者が言訳を含むかも知れない。 宗教団体の、各教学、教義の事は、話しても意味が無いのです
仏教について語りませんか?
特にここでは法華経について語りませんか?
法華経を読めば、日蓮御書が読めるのです。
逆に言うと
日蓮御書をテクスト論的、表層批判的に読めば、読めないだけのアナロジーが
ある事を認識する事がスタート地点です。
それぞれの宗教団体の教学について語るのは、意見の対立を感情の対立にする人達の
刹那的な心の慰めの時間を得るという意味の無い時間を作り出すだけです。
なんら自己実現や成功体験が無く劣等感に苛まれる人達の、無知性なる自己満足にしかなりません。
とにかく法華経を読みましょう。
法華経を完読すれば、日蓮御書の重層的修辞学が読めて来ます
その御所の習字と比喩暗喩が読めれば、日蓮に関しての理解が深まります。
いつでも韓国を敵視するネトウヨみたいに、宗教団体を批判する人は本当に心が寂しい人です。
創価学会も日蓮正宗も顕正会も日蓮宗も、仏法を学ぶには関係無いので、彼らを批判してはいけません。
とにかく、法華経を完読、熟読しましょう。
いつまでも「韓国ガァー、、、在チョンガァ〜!」と言い続けるバカなネトウヨと同じ次元に落ちないで下さい。 >無知って怖いね 韓国を出すと説得力を失う
文脈を捉える努力をして下さい。 >>587
今の書き込み・文言に示されるように
問題は法華経を読む前の「多元的無知」という心理学的な認知の不協和音が
先ず、誤謬に先立つのでは無いかな?
でも、それは私が教える立場で、法華経を勧めているのでは無い。
それらは、あなた方がちょっと勉強して気づいてもらうしかしょうがない。
バイアスを持つ人には、他人に解説してもらって「ああ、そういう事ですか!」とは絶対にならない。
自分自身で調べて学んで納得しなければ「ああ、そういう事か!」と理解するまで
社会的学習理論の代理強化(バンディユーラ)の意味・認識は理解出来ない。 桃から桃太郎が生まれました。
そんな事は無いでしょう?桃から人間は生まれませんよ。あなたは無知ですね。
釈尊は生まれてすぐ、歩き出し「天上天下唯我独尊」といいました。
生まれていきなり喋る事は出来ないでしょ。あなたは無知ですね。
そんな可笑しな話は聞いたことが無いwヘソが茶を沸かすよw
おヘソがお茶を沸かすほど発熱したら死んでしまいますよ。あなたは無知ですね。 法華経をツマミ食い的に読むと
こういう可笑しな話になる。 >>546
この話はよく聞くな、親が地獄に堕ちてんのに、
自分だけ天国に行くのは親不孝である、という日本的倫理観ですね、
キリスト教に突っ込むネタだったのか…。
よーするにさあ、ブタの日蓮や法華経も、逆らうとお前ら地獄に堕ちて、
すっごい怖いんだぞおー、と脅してるわけなんですけど、
でも無宗教の外部の目から見たら、一生他人の悪口を言い続けて、
自分が出世出来ない不幸を呪いながら死んで行く…。
それってブタ坊主と法華経のいる場所のほうが阿鼻地獄なんじゃないの?
※※
で思い出したのは、映画ブレードランナーの原作者である、
フィリップ・K・ディックの書いた精神分裂の小説で、
死んだ人間に、お前はもう死んでいるぞ!と説得すると、
その人間は自分はまだ生きていて、お前のほうが死んでんだろ、
と逆に反論して水かけ論になる、そんな短編があったんだけどw
最近の怪談噺の定番なら、Aさんの部屋に友人のBがやって来て、
じつは今さっき共通の友人のCがバイクで事故って死んだんだ、
と伝えますが、そのとき部屋のドアを外からノックする音が聞こえて、
死んだはずのCの声で、じつは今Aの部屋にいるBがバイクの事故で死んでいて、
自分は生きていて無事なんで、Bこそが死んでいる幽霊だから、
その話を信じないで気をつけろ! とCは主張しますが…。
どちらが死んでて、どちらが地獄なのか、どちらが正しい仏教なのか、
日蓮仏法と外部の人間と、どちらの人の話を信じたらいいんでしょうね? >>592
でディックの原作なら、シュワちゃんが火星に行く、
トータルリコールって映画もあるんだけど、日曜洋画劇場でも
ときどきやってるやつな。
その中に、シュワちゃんのホテルの部屋に医者と看護師が入ってきて、
君はいま夢の中にいて、目覚めることができないから、
この注射を打って夢から覚めさせてあげよう、というシーン。
でもしゅわちゃんは、それを見破って医者を殴り倒して、
危地を脱出するんだけど、いま夢の中にいるのか、または、
覚醒した現実のなかにいるのか?というありがちなテーマですよ。
キアヌ・リーヴスのマトリックスなんかも似てるけど、
ようするに日蓮仏法というのは、
〇※おまえらは今、地獄の中にいるから、私たち日蓮仏法と、
法華経さまが君たちを地獄の中から極楽浄土に連れ出してあげよう…。
という、普遍的ないんちきカルトの基本テクニックを押さえながら、
しろーと衆をだましてるサギ話に過ぎないんで。
まあ外部の冷めた目線で言えば、他人を呪う俗物な日蓮師匠と、
うそとデタラメを羅列した法華経こそが、いままさに、
地獄の真っ只中じゃーん♪ としか見えないわけで…。
お前が地獄だろ! いや違うっ、アンタの方が地獄に落ちてんだよ、
早く目をさませよ! いやいやいやっ、お前のほうが…。
と果てしなくつづく、相手の否定合戦と思えばよくて、
なんだか日蓮仏法&法華経も俗物極まりなくて、大変だよなあ。 >>424
題目には文証がなくて、どーすんのよこれ? のつづきだけど、
無量義経には四十余年未顕真実がああ!、
天台大師は五時八教でえええ!
ほーほー、法華経にはそれをサイコーとする文証があるのか。
市川市教育委員会なんかも、安国論ではいちいち文証を引いて、
時の執権、北条時頼をきびしく追及したと (嘘ぴょんw) 書いてるから、
理詰めの文証主義というのはよくわかるな…。
で、法華経サイコー説 → 題目行さいこー。
↑ここのすり替えて変換する部分に該当する文証がないわけよ、
そんでこのことの意味を現代語に分かりやすく翻訳すれば、
題目行は嘘つき坊主の根拠ゼロで、ただの思い付き。
はー、仏教とは無縁のもので、嘘つき坊さんのデタラメを、
ダマされてんのに気づかず、毎日有難がってナムナムやってるわけか。
このことは13世紀鎌倉の当時も、周囲のみんなから聞かれたはずよ。
題目って、念仏のパクリですよね?
それに対する答えは、日蓮師匠が守護国家論に自分の調査結果を、
ズラズラ―っと並べて書いてますけど、南無妙法蓮華経と
七文字がぴったり一致するのはただ一つ、南岳大師の法華懺法しかない。
その法華懺法の中には、日蓮仏法の天敵である安楽行品の名前が書いてあり…。 >>593
>トータルリコールって映画もあるんだけど、日曜洋画劇場でも
トータルリコールってラストシーンがホワイトアウトして
観客が自分なりの結末を考えるという仏教的な自己同一性に関する思考実験映画でしたね。
これはインセプションと同じで、作品中で結末は存在しない、観客を試す仏教映画でもありますね。仏は自分の中にしか存在しないと。
マトリクスも、ラストシーンでマトリックスとザイオンを隔てていた壁に風穴を開けて
そしてネオは消滅しています。オラクルとアーキテクトの会話。そしてサティが作った朝日。
今まで青のフィルターを使って撮っていたマトリックスが、サティのシーンで綺麗な赤のフィルターに切り替わります。
「選択の意味を考えろ」と強く主張したオラクル
モーフィアスのサングラスに写る赤い薬と青い薬が、左右の目で違っています。
モーフィアスは方便品の釈尊のようにネオに対して「選択の意味を最後まで冷徹な視力で見続けられるか?」とイニシエーションします。
どちらも二項対立的な考えを抱えて生きるなら、苦しみを抱えて生きる事になるぞ!とのメッセージを受け取る事ができます。
ここで、あらためて問う !
向こうから双子の姉妹が歩いてくる。さて、どちらが姉でどちらが妹なのか?
作麼生! >>594
題目を否定してるのでは無く、法華経という元ネタを見ずして
あえて安易に納得出来る論拠無き記号として、それにコミットする信者さんの事を言っているのでしょう?
でもね
仏教哲学・教理哲学・分類すれば仏法は実存主義哲学の先・今で言えば新実在論なのです。
ざっくばらんに言いましょう。コレらを観察して構造分析して自分なりの納得が出来る人って
多いと思います?周りをざっと見渡しても、そこまでの知見や構造分析の方法論を全く知らない知性の低い人ばかりですよ。
哲学徒や真剣に学究として仏教を学んでいる人以外、共分散構造分析など出来る物ではありません。
日常生活の瑣末な事でも、多くの人は尤度や自動変数という概念を持たずに「普通はそうでしょ?皆んなそうでしょ?」
という知性の低い人達ばかりです。世の人間ってそういう人達ばかりなんです。
それを、こちらは上位概念を考えても、彼らの独特な不寛容を許して
信教の自由を認めてあげたらどうでしょうか?
日蓮宗だから悪い人!日蓮正宗だからバカな人!顕正会だからソシオパス!創価学会だからビジネス信仰!
とラベリングする人がいます。その人達も、この世のバカ達を構成するメンバーです。
バカとバカが喧嘩するのは当人達によって意味が無いばかりでなく、仏教から遠ざかり当人たち自身の心の平安を奪います(修羅界に堕ちます)
信仰を持つ信者さんを批判する事なく、「仏法を独善的に語りかける」という形以外の形として、私達は仏教理解のお手伝いをしていきましょうよ。
それから、安楽行品ですが、あれは嘱累品までのトリック・イリュージョンを誘導させる為の伏線ですよ。
安楽行品の前後で法華経の論調がいきなり変わっているところを確認して見て下さい。
しかし、安楽行品という法華経の中でも重要なフェーズの軸転回をねじ込んであるチャプターを挙げれるあなたは、素晴らしい方だと思います。 アフガニスタンは今や全土がタリバンの支配下になろうとしている。
ここで法華経はアフガニスタンのバーミヤン付近で編集された事が知れている。
薬草喩品に 甘蔗蒲萄 という経文が出てくるが、ブドウは今のジョジーア、アゼルバイジャン周辺の
中央アジアが原産であり、法華経編集者もブドウを口にしていたかもしれない。 法華経を調べると諸説あって
アフガニスタンとパキスタンの境とかガンダーラとかカシミールとかバーミヤンとか
様々な論文が出ている。だた、共通しているのは三蔵・玄奘がガンダーラへお経を貰いに行った時
既にガンダーラはイスラム勢力により半数以上、壊滅的状態だったという事だ。
ただ
法華経という作品は、そんな事は別にしても、文学として完成度が高い。 スレチだけど、今アフガニスタンのタリバンが中国に裏で支援してもらっている。
では、中国もタリバンもウィグルをどうしたいのか?
ここに矛盾を感じる。
まあ法華経には全然関係無い話だが、戦争は常に宗教から発生するし
合衆国は(ブッシュ大統領だけは別だったが)民主党政権になると合衆国は戦争を起こす。
共和党政権では戦争は起きない。一体世界はどうなっているんだろう。
こんな俗の俗たる輩達の事は無視して、私達は法華経を読みましょう。
法華経の文学史を学んでも
それ法華経を学んだ事にはなりません。 法華経は成立まで250年かかったとは言われているが、ここが法華経マニアの1番興味深い所なんだ。
ギルギット・カシミール写本とネパール写本ではupamaの記述に違いが見られる。
カシミール・版は鳩摩羅什で中央アジア版は竺法護と言われているが
これさえガシュガル版を、まるでDVDボックスセットをディスクごとにバラ売りする形で
写本が切り売りされて、バラバラな状態から再構成していると考える論文もあるし。
法華経について語ると、何処まででも語ってしまう悪い癖が私にはあるが
そんな事はどうでも良い。
何版であろうと役者が誰であろうと
先ず最初の一冊・法華経を完読して欲しい。
読了してどうなるのか?を今考える必要は無い。
これから起こる読了という未来も
私達が今まで偶然的に帰納出来る未来完了形という体験を根拠にしているのだから
答えは一つ
「まず、読め!」 ドーハ合意から撤退は決定事項
ドナルド・トランプ元大統領は、バイデンが撤退を続けるという決定を「素晴らしくポジティブなこと」と称賛したが、同時にバイデンが撤退の日として9月11日を選んだと批判し、バイデンは早期に撤退すべきであり、9月11日は「我々が失った偉大な魂を称える反省と追悼の日であり続けるべきだ」と示唆した
民主党政権だからとか共和党政権だとかで世の中の動きを読むと馬鹿になりますよ
あなた意図的に政治的な話を盛り込みますね >>602
>あなた意図的に政治的な話を盛り込みますね
私の文脈をもう一度把握するように呼んで下さい。
どの座標にての発言か?が理解できるでしょう。
それでも疑義・疑団を持たれるのなら、あなたは私と話が出来る人では無いと思いますので
勝手にレスしといて下さい。
私は絶対にレスに対してのレスはしませんから。 >>603
>まずお前が読んで語れよ 他人様に分かる言葉でな
あなたは宗教団体に入って、いわゆる教学という物を受け身で学ぶ事をインセプションされた信者さんなのでしょう。
いいですか?
1・帰属団体の同調と共感を、自分のアイデンティティと同化する人。
2・自分が今まで他者からのインプットによって、信条を形作った人。
こういう人は
自ら考える事(読む事)を初めから恐れて自分の家の前に作った堤防を決壊させない為に
反発する行動原理を持つのです。それは帰属社会・宗教団体での共感の過食症に慣れてしまったからです。
元より、私は宗教団体の信者さんを、それだけで批判はしません。
信者さんひとりひとりが心の慰めを得られていれば、誰も文句を言う資格も必要性もありません。
いいですか?
あの人の考え方は私とは違う!何かおかしい!
「あの人の言ってる事と、自分の感情や考えとは何か違う」と感じた時に、人間には二つの道があります。
1・あの人の言ってる事が分からない!だから反発してやれ!あの人自体の存在を否定してやれ!
2・あの人と私とでは、どこかどう違うのだろう?一度落ち着いて考えてみるかぁ、、
この2番目の考えをできる人が、大人なのです。
そして、仏教的です。なぜなら
仏教は敵対したり人を恨む事を善き事とはしていないのです。
どの経典でも良いと言えば良いのですが、日蓮に興味がある人なら法華経を「ひとりで」読む事を勧めます。
今まで様々な経典を読んで来ましたが、法華経は全ての経典のレジュメでは無く
Comprehensive コンプリヘンシブ・全てを包括した素晴らしい文学であり哲学書です。
酸っぱいブドウも、実際食べて見たら、この上なく甘く、えも謂れぬ香気を嗅ぐかも知れません。
それは、ブドウを食べて見てからでないと、議論は始まりません。
宗教団体に属される方は、団体によっては敵対する仮想的団体を指示されるかもしれません。
それでも私たちは人として生まれ持った真性なる知性によって
他者を批判・攻撃する事はやめましょうね。 >>606
スレチだけどとか言いながらフックに必要のない政治的な話をするからだよしょーもな
https://syoubou.wordpress.com/ ここ読んでるわ訳文に不備あるは知らん
一応、広済寺の解説と日蓮宗妙福寺に載ってる原文を読み比べているけど
薬王菩薩本事品の中での法華経の扱いすげえ混乱するw >>608
>薬王菩薩本事品の中での法華経の扱いすげえ混乱するw
もしも法華経を完読している方なら(誰の訳で何処の出版社でも)
この義団の出現を現前に捕らえられてるのは、なかなか良い所まで行っているのでは無いでしょうか?
どの経典もそうですが、様々な訳がありリテラシーの対立の出現と思うでしょうが
それだけ法華経のリテラル・ロジックと言うのは強烈であり優れた経典なのです。
これらは法華経に秘密に仕掛けられた善意のトラップです。もちろんオチへの誘導は存在しています。
RPGで友人に攻略法を押してもらうのが好きな人がいます。
逆に、攻略法を教えようとする友人の言葉を遮り、一人でゲームを進めて楽しむ人がいます。
一人で法華経を読み、一人で考察する者には、大きな宝物が待っています。感動という宝物です。
最後に大きなヒントを
宗教団体の教学はリコンストラクションです。
法華経はリプリゼンテーションです。
何をリプリゼンテーションしているの?
それが分かった時、あなたは必ず感動しますよ!
何故なら、どの様な形ではあっても元から仏法に興味を持った人だからです。
SPでも岩波でもレグルスでも石原慎太郎でも、最終的に仏法を求める者は目を通してしまう宿命なんです。
とにかく、誰の助けもなく1人だけで法華経を読む事。
一度読めば、次に何をすべきか?わかって来ますよw
ただ1人で法華経を読む事。私が言いたいのはコレだけです。 仏説観普賢菩薩行法経
若し懺悔せんと欲せば。端坐して実相を思え、意外な結末
http://www8.plala.or.jp/kanjizai/このサイトも面白かった
無量義経読んでないから最初から読み直すか・・・ ここのみんなは無量義経 仏説観普賢菩薩行法経読む派?読まない派? >>610
>無量義経読んでないから最初から読み直すか・・・
是非、法華経を初めから読み通して下さい。
一つの目安として、ドラマツルギーとして嘱累品が法華経のソリューションです。
と言っても他のチャプターも重要な意味があります。でも、ここだけは意識して呼んで下さい。
簡約本でも無くレジュメでも無く誰かのブログでも無く、方便品から嘱累品まで一気に集中して読んで見て下さい。
そこまで読めば、宗教団体が喧嘩しているのがバカらしくなりますよ。
皆、法華経との多少の縁があったわけですから、誰かさんの言葉や
何とか新聞の言質・文言に振り回されず、法華経を呼んで下さい。
法華経が理解できた時、心が解放されます。もう、喧嘩なんかしなくて良いのです。
何の敵意も無く、全ての人を許せるようになるのです。そして
自分を許せるようになるんです。 >>612
そこまで言われるともはやネタバレですね >>613
>そこまで言われるともはやネタバレですね
そんな単純な文学じゃありませよw法華経はw
様々な方便が最終的に善意のトラップだったと気づかされるんです
これもネタバレではありせん
ここを意識して読んで欲しいのです
私が意識して書かなかった壮大なオチを自分自身で味わって欲しいからです
例えばなんの前知識も無く「カメラを止めるな」を観て
未見の人達にオチを語ろうとする人はいません >>614
もうそこまで書くならええやん
不信受者。当於如来。余深法中。示教利喜
甚深未曾有の法とはで
でもこの文章ググるとhttp://www.daianzi.com/ronbun/ronb0055.htm
なんだかなーって感じ笑 宗派同士の喧嘩はほんと馬鹿らしいのがわかるけどひたすら善意なんだよね
親戚にいるけどめんどくせえ 法華経の文底に秘められた真理(@akb)カクヨム
というスレッドが深く穿つ文章を投稿する、一度お読みに成り
知見を広むべし〜ですなぁ。 他者の言葉や、ブログ、レジュメ、個人的独善的感想
そして法華経を解説しているように思える本やネットで安易に検索できる情報
資料、書誌ID、CiNii論文検索しても、それは法華経を読んだ事にはなりません。
ネットは簡単に情報を得られるものではありますが
ネットは簡単に洗脳を与えられる機能も持っています。
今まで色んな方(仏教に興味を持った方)に法華経の一読を勧めて来ましたが、どういう訳か
法華系日蓮系の信者さんの中に、法華経を読みたく無い!という人が1番多いんですよ。
読みたくなければ、読まなくてもいいんです。私は宗教ビジネスをやってる訳では無いのですから。
ただせっかく法華経に1番近い場所にいる仏教好きの方々なのですから、読んで欲しいですね。
日蓮さん。日蓮大聖人さんもあの世で喜んでくれると思いますよ。
あの世があるのかどうか?もわからないけどさ。
読みたくない人は、読まない自由意志がある訳で、そういう方々も否定しません。
と、法華経に教えてもらいました。
読みたくない人は、読まなくてもいいですよ。
実際、解読は人によっては難しい哲学書・文学書でもありますしね。
それでいい。それで良い事にしましょう。
でも勇猛果敢に仔細なる相貌に至るまで存在する方便・メタファーを冷徹な眼差しで
解読しようと挑戦なさる方は、迷妄的なるレトリック、その眩暈的なる循環論法の中に
記号主義的な作劇と構成主義的な法華経の本来の構造が見えるはずです。 法華系日蓮系の方は、日蓮聖人の事を考えて
法華経を読むか?読まないか?を考えて下さい。
読まないと決めたなら、さっさとスタートラインのランチャーから退いて下さい。
そういう方には、そういう方に合う仏法が有るはずなので
決して立ち止まらずに、それに向ってスタートして下さい。
法華経が肌に合わない人は、いっそのこと禅宗は如何でしょう?
禅と言っても臨済宗の方ですよ。
あれなら難しい言葉も無く馴染みやすいし、それでいて深く仏教の本質を教えてもらえます。 能書き(のうがき)とは、
元々は薬の効能などを説明し書き記した「効能書き」から由来する。
医師から薬が処方され様々な効果・効能を説明されても、実際には効果が全くないことを捉え、
その事を揶揄し意味が転じて、効果があると吹聴する事、口ばかりで実がない・行動が伴わないこと、
自己宣伝のために優れた点を述べ立てること、といった意味に転じて使われるようになった。
ウィキペディアからの丸写しなのだが勉強になるわな。
スレタイも読めないアホが法華経を慢心解説してるしな。
しかしなが、そのアホである ID:EGmlhg/gも仏の使いでもあろうか?w >>617
>宗派同士の喧嘩はほんと馬鹿らしいのがわかるけどひたすら善意なんだよね
>親戚にいるけどめんどくせえ
確かにめんどくさいですね。話が出来る相手では無いのでめんどくさいですね。
でも彼らは、彼らの知性の中で自分自身の自己実現として、その様な宗教団体共依存になっているんですよ。
彼らにとっては本当に、善意なんですよね。
善き人なんですよ基本的に。私はいつもコノ彼らと私の認知バイアスの乖離に困惑しています。
宗教団体に入って勧誘をする人達は善意でやってる事が分かるだけに困ってしまいます。
私達は彼らの言葉を否定する事なく、聞いてあげましょう。
私が良く使う語法usageや言い回しfigure of speechは
それだけ生き生きと行動出来るのは、あなたの新人なんですね。うらやましい。
それは根底に信教の自由に成り立っているから、誰も否定はできませんよね?
ただ私は、今はまだ無宗教という信教の自由を持っていたいのです。
興味が出て来たら、またお話を「私の方から」伺いに行きますよ。
と、語っていて、これで納得して頂ける方がおおかたですよ。
最初から相手の信仰を否定してはいけません。
彼らの信教の自由を受け入れて、決して彼らを傷つけてはいけません。
私は勧誘・折伏・オルグをしてくる信者さん達には法華経の話はしません。
そこだけは私は整理して対処しています。
宗教団体の信者さんの心情を決して傷つけてあげないで下さい。
彼らは彼らなりの価値論題を持っているのです。それは普遍性が無いとしても本人の信仰です。 もう病気だろ、この御仁は
さっさと薬飲んで早く寝ろ 話は古いが、
最澄は帰国し有名人になったが彼に朝廷が期待し、望んだのは
僧侶としての祈祷力である。
彼が学んだ辺地の密教に大きな興味を示し、早速に修法をさせている。
その数年後に空海が帰朝し、膨大な体系を全て習得し朝廷に表明報告する。
最澄と空海の差は、最澄が空海に弟子入りする程も在る。
最澄は法華経の達人と言えようが、何故このような事態になるか?
簡明に言うと法華経は効能書、空海の修法は投薬と言う露骨な説明が残る。
その後の遣唐使に叡山は優秀な僧を派遣し、後れを取り戻そうとする。
小生が未読の五代院安然が空海の秘密曼荼羅十住心論の反論を為すまで
叡山教学は空海よりも下座の位置と現代の学者は説明。
長々と述べたが、日蓮氏は上記の書籍を眼にして居ないと思われる。
そうでなければあれほど乱暴な論を書き残せるものでは無い。
論を盗んだとか、穏やかならざる文章が多々ある。
空海の主著は十巻章として纏められる、これも日蓮は手にせず終い。
覚鑁上人撰述、五輪九字秘釈も未読だろう
この著作は、いわゆる五輪塔、卒塔婆の基礎知識を得られるもの。
人間と宇宙の関連性を述べる。
日蓮が手許に置き参考資料とする物は余りにも貧弱すぎる。
そうでなければ、自作の曼陀羅に記す梵字が誤る理由が無い。 624の補遺
「日蓮自作の曼陀羅の梵字とは誤字なんです」
是を権威ある学者は絶対に言わないだろう。
日本全国にどれほど数の曼陀羅があり、日々供養する方々を
其の学者さんが不愉快にする理由は無い、己の生命に関わる事態を
招く愚は犯すまい。
以前に指摘するときには、宗門の方たちと思われる御仁が資料を並べ
是は日蓮流の字体であると「断言される」のだ。
然しあの字体を用いて、文章作成は不可能なのだから「困った者じゃなぁ」
としか言えず終い。
法華宗が在る限り其の儘の伝統を維持するらしい、アレもこれも他人事なり。 >>623
マッドサイエンティストを彷彿とさせるよな >>592
>どちらが死んでて、どちらが地獄なのか、どちらが正しい仏教なのか
今あらためて読んで咀嚼すと>>592さんの買い込み全体が禅の公案になっていますね。
映画も演劇も禅の公案からインスパイアされて作られた作品は多いですね。
禅の公案に、こういう物があります。(難透と呼ばれる禅の最高難易度の仏法です)
村に美しい娘がいた。
娘は青年と恋をし結婚を両親に許してもらおうとお願いをする。しかし両親の答えは NO !!
娘と青年は、駆け落ちをした。遠い町へ行き所帯を持って子供も出来た。
数年たって、娘と夫はこの親になった事で、親の愛の深さを思い知る。
二人は小さい子供を連れて実家へ謝罪し、許してもらおう、と帰郷した。
実家に着くと年老いた両親が出てくる。いくら自分が数年前、家出、駆け落ちをしたアナタのムスメです!
と語っても両親は全く信じない。「なぜ信じてくれないのですか?」すると両親は家の中に招いた。
なんと駆け落ちをした頃の自分が病に伏して寝ているでは無いか?
「うちの娘は、私達が結婚を認めなかった日から眠り病になり、数年間ここに寝たままなんじゃ、、」
この時、眠り続けていた娘が立ち上がり皆驚くなかれ、もう一人の自分の方へ歩を進め
そして、この二人の娘の体は一つになった。
参禅者に対して老師は言う。「「正当恁麼の時、作麼生 ?」(さあ、どう解釈する?)
室内の転機(禅師との会話)を漏らすのは、禅では禁止されてはいる。(対機説法だから)
だが老師は参禅者にヒントを与えてくれる
「オカルト話に用は無いぞよ! 喝っ ー!」 (噛めば噛むほど真の味がわかる。こんな仏法の方が好みの方は臨済宗の日曜参禅会に参加したら楽しめますよw) 上の難透の公案は
「どちらが、本物の娘か?」
というトラップが言葉として仕込まれているのだが。
最初に、これを書くと、誤解されるから、分けて書いた。
寝てる方が本物の娘だよー
駆け落ちした方が本物の娘だよー
どちらも違います。
ここまでなら禅の仏罰も当たらないでしょうから、書きました。
禅の仏罰は一時的に眉毛が抜け落ちて、すぐまた生えてくるという、優しい仏罰ですけどねw >>628 靖女離魂の一話で、中国人は今もこれを知って恋愛の歌謡の詩に用いる。
聊斎志異が元ネタでしたか?
ドッペルゲンガーのどちらが真か?そういう奇跡が在り得るか?
実家でずっと床に臥す方は、寝たり起きたり大小便、生理はどうなって居たのか?
情報不足で考えようが無いこちらが影で、子供を産んだ方が実体なのか?
考えるだけ無駄と思う、処で産んだ子供はオス、メスどちらでしたか? ここで確認しておきますが、
大日如来は宇宙そのものであり、また阿弥陀如来や薬師如来をはじめとする他の仏様もすべて、大日如来が変身した姿なのです。大日如来がいなければ、ほかの仏様も存在できないのです。 >>629
>>>628 靖女離魂の一話で、中国人は今もこれを知って恋愛の歌謡の詩に用いる。
>ドッペルゲンガーのどちらが真か?そういう奇跡が在り得るか?
>実家でずっと床に臥す方は、寝たり起きたり大小便、生理はどうなって居たのか?
>情報不足で考えようが無いこちらが影で、子供を産んだ方が実体なのか?
>考えるだけ無駄と思う、処で産んだ子供はオス、メスどちらでしたか?
釈尊「全ての仏と菩薩よ、元いた場所に帰れ!」そして釈尊も多宝仏と一緒に法華経から消える。
沼で死んだ男の家に帰っていったスワンプマンも消える。
二人の男を待たせ続けたゴドーも消える。
そして法華経も、もう一つの法華経を語っていた法華経として、消えて無くなる。
法華経は何を消したのか?
今一度、靖女離魂の話を縦に噛み横に噛み、仏法を見つめて欲しい。
老婆心ながら法華経に興味を持って頂きたいが為に、法華経の文学性の高さを示させてもらうよ。 >>631創価学会出版部っての在るのだろう、聖教新聞出版部と云うのがホンマやて?
その出版部で出してる法華経で尻を拭うと罰当たるか?御書は如何だ?
先ず穴の穴の糞を拭う方が善いだろ、折本の紙が堅いのは
仕方ない、我慢する。 >>627
一休さんを殴りたい!
その理由は嫉妬!
坊さんとしての嫉妬じゃない、上手いこと若いねーちゃん引っ掛けてヨロシクやってたことに嫉妬なのである!w >>627 >>628
本物か偽物かと問うなら、どちらも本物でどちらも偽物
これしか答えは無い(娘という実体は存在しないので)
要は間主観性(相互主観性)を示唆した問題だろう
親の見る娘の像、青年(夫)の見る娘の像、見られる自分を意識する娘自身の像
娘の様な実体は、この3つの像が重なって1つの娘の像として見えていただけだ
ピントがずれれば重ならないし複数にしか見えなくなる(分裂した様に見える)
起きた現象は、最初重なっていた像が重ならなくなり、再び重なっただけのこと
娘と夫が駆け落ちしたこと、親の愛の深さを知ったこと、これらがピントの転機
分裂したかどうかが本題ではなく、実体は無いことを説明した喩え話に過ぎない 念のため確認しておきますが、
大日如来の「大日」は、「偉大な太陽」という意味です。
大日如来は智恵の光を放ち、その光はいつもこの世のすべてを照らしているのです。 >>636
トートロジーは悪い意味だけでなく、良いトートロジーもありますよね。
アクセスの哲学とは実在に対して人間の優位を説きますが、メイヤスーは何を言ってるかというと
「私達は思考と存在の相関物にしかアクセス出来ず、片方を抜きにして、そのどちらにもアクセス出来ない」という事。
ここがねメイヤスーや仏法の凄い所ですね。
ただメイヤスーは相関主義を初めから視界に入れています。ここが仏法とは唯一違う所です。
本来、法華経は「思弁的実在論」と「思弁的唯物論」を考えながら読む方が理解しやすいのですが
これは多少なりとも(自称を含めて)哲学徒にしか話せないので
とにかく哲学に明るくない者は「とりあえず法華経を初めから決して諦めず完読してね」
としか言いようが無いのですw >>636
>分裂したかどうかが本題ではなく
中々、仏法の深いところまで入り込める人ですね。
皆がその様な認識を先ず持てることを期待したいのですがね、、、
法華経も様々な方便・譬え話・作り話・オカルト話が散りばめられていますが
「法華経の、そんな方便もオカルト話も、どうか?が本題では無いのです」
皆様に法華経に興味を持って貰いたい。そして完読してもらいたい。 「とにかく法華経を読んでくれ」と書きこんでいたが、今日ここで
もう少し深いレベルで法華経・大乗仏教、下種仏教を学んでいる人とも意見を交換したい。
そういう哲学的視座で仏法を学んでいる方は、こんな低俗なBBSに書き混む事の無意味を感じてバカにするだろうがw
法華経を読解するには仏教の歴史的背景から、前提となる情報・意識も関わる。正確に把握しようとすればね。
方便品で釈尊が何故、舎利弗に仏法のリコンストラクションとリロケーションを
ウザいぐらいに始めたのか? そして、この事が法華経にナラティブ・エンジンを起動させたのか?
元々の仏法はリテラルでは無い所から発生している(拈華微笑をメタファーとして使っているように)
釈尊が遷化して、残された帰属グループはマスター・アーティキレーションとして
トリ・タピカを仮定する。その仮定から十事の定義・定理と公理生成の論理的整合性を求め始めた。
今伝わる仏法は、全てここから始まる。
釈尊は自分で何かを書いてはいないし、私達が聞ける釈尊の言葉も伝聞であり、そもそもその伝聞自体が信用に足るか?という知見は深く仏法を学ぶ者にとっては当たり前過ぎて、誰も言及はしない。
たとえオラリティの中から仏法の何かが始まったとしても
仏法は原初から創作の上に創作を重ねた事による哲学に昇華される物であった。
「釈尊の直説か?」と言う要素還元主義は、法華経読解の邪魔にしかならない。
お釈迦さんと、いつものガソリンスタンドのオジさんと、どっちが偉い?
この問いに、反射的に答えられる人にとっては、法華経は読みにくい書物だ。 法華経で引っ掛かると前に進まなくなりまっせ、
そのわけは、一応首尾一貫してる良いお経なんだけど、
なんだけども初心者向けの案内書也と云うのが本当のお話し。
薬の効能を説くが、投薬無しで御座いますな、せめて胃散ほどの効は在るべし。
叡山では大事に依経にしとりますが、読経して済ませる。
本堂祭壇の本尊供養は、密教を主にしとるわけだ、その密教を説かないから
法華経が世間では幅を利かせて居る次第だな。
日蓮さんは密教を知らん人だから、法華経一本で御宗旨を建てた人な。
江戸時代公儀の扱いに至ったては、私度僧同然の開祖の扱いだ、冷たいのじゃなく
彼が坊さんとして度牒資格を持たんのは明瞭だからな。
前にも書いたけど、日蓮氏が小僧時代に四度加行を習得し阿闍梨さんの資格を
得て居たら、「日蓮宗、南無妙法蓮華経の曼陀羅は世に存在しない、
歴史にも残らない坊さん」で終了。 >>641
>なんだけども初心者向けの案内書也と云うのが本当のお話し。
私も最初は、そう思ってたんだけど(つまり読者が皆そういう態度で法華経の需要予測を読める事)
色々な方と(主に何らかの信心を持っている人達)話をしていて
かなり法華経の比喩・暗喩・修辞というのが読めてないし、それは人によっては
難解だったのかな? と思いまして
コレは私が大乗仏教を広宣流布する役目をしなければならない。という私の独断で
法華経の完読を進めているのです。
問題なのは、法華経の一部のチャプター、一部のパラグラフ、一部のセンテンスを抜き出して
法華経を語ったら、法華経が台無しになるよとのコンセプトだけがあるんです。
私は日蓮の生まれ変わりだ!とか私こそ地涌の菩薩だ!というようなオカルト趣味は御座いません。
ただ法華経を広め、後世に法華経を残したいのです。その為の理解へのサジェスチョンだけです。 >日蓮さんは密教を知らん人だから、法華経一本で御宗旨を建てた人な。
白隠慧鶴禅師は毎日、延命十句観音経を度胸していた。
そこへインテリ雲水がやって来て
「白隠さん!その延命十句観音経って偽経ですよ」と教えた。
白隠は「おお!そうか!偽経と言えどもこれだけ心穏やかに生活できる功徳があるのだから、ますます毎日読まねばならないなw」
白隠が言った言葉をテクスト論的に、字面通りに、表層批判的に解釈しては大乗仏教では無い。
白隠はインテリ雲水の「インテリであるが故の分別知」が
迷いと執着として仏法では無いと、スバっと切り捨てて、仏法を教えたのである。
大乗仏教のリテラシーに関する、共分散構造分析が体で理解出来るのは禅宗だけでは無いかな?
他の宗派でも、メタ的仏法理解を促す宗派もあるかも知れない。
もしご存知なら、教えて欲しい。 >>643
常楽我浄の見解(けんげ)が肝心な個所で御座るそうな。
延命十句観音経とはよくも骨子を押さえた経文です。
分別臭いと評される場合、この御仁は誠に俗物的な生き方、詰まらん人とみられること多し。
さて少し言いますかな、この分別を脱却する人は、無分別観から無心定に至る。
無心定に至って人は、ようやく統合失調症から抜けて正常人に化ける。
本不生にて人は整うて御座ると、盤珪師が仰る通りだ。
判らん事を言うて居ると思うだろうが、順序のみ記す段である。
ご縁が在ったらお話するやも。 >>644
>判らん事を言うて居ると思うだろうが、順序のみ記す段である。
十牛図や
味噌の味噌臭さは、上味噌にあらず
は、しっかり踏んだ上で
上述部分は、大乗仏法の共分散構造分析というフェーズに関して語っているのです。
読める人に呼んでほしかっただけです。
読めない人は読めなくても良いのです。頭の上に?マークを浮かべさせるのが私の目的ではありません。
ただ、あなたの言ってる事よく分かりますよ。
でも私は其処にはいないのです。
自分、もうそういうの卒業したんすよ 粗末な着物を着て、酒や魚をぶら下げて、でもニコニコしています。
後ろには、まるで不審者を見るような身なりの整ったうら若き女性。
でも男の周りには子供達が集まっています。
ここより他に登る極楽があるでしょうか?
ここより他に下る地獄があるでしょうか?
手足の無い達磨が、子供達一緒に縄跳びを飛んで、皆んな笑顔だ。
悟りよ 幸あれ ! >>646 青少年の時代、仏壇の前でむにゃむにゃって坊さんて何だ?
と思って居たら、応用問題が在るのですな、
詰まり亡者の引導で御座いだ、
小生在家ながら、手に余る場合もあるがむにゃむにゃやっとります。
ボーさん見りゃ、出来不出来が判る程度の眼力は御座る、
まあ無駄は無いものですな 1・仏法を仏教哲学として学ぶ事や、仏教思想として探求するのと
2・坊主がどうのこうの言う事や、仏壇の前でむにゃむにゃお経を読む事は全く違います。
この2つは比較の場へ引き合いに出す事も出来ません。
1は、日常の連続性から離れる行為であります。
2は、何処まで行っても地続きな日常の連続性がある問題です。
よく言われる「信仰は哲学じゃ無いよ」も間違い。
また「いまの仏教は葬式仏教だからダメだ」も間違い。
どちらも論題の非共有を生じています。
少なくとも自分はどの実在論の立場から発言しているのか?を表すのは発話者の責任です
例・超越論的唯物論か、オブジェクト指向哲学か、超越論的ニヒリズムか。このぐらいの大雑把なものでも、発話者は言質の責任として少しは語れなければ話が出来ない人です。。
そして、「そんな難しい話してもわからないよ。もっと分かりやすく話してよ」
という人が現れたら、速攻で逃げて下さい。
こういう人達は、もともと話が出来ない人であり、その
「難しいという事」や「分かりやすい事」の形質と属性を議論する事を
しない・させない事を密かに目論んでいる人だからです。
そういう人とは話は出来ません。そういう育ち方をして来た人なので何を言っても話は出来ません。 >>648 俺もね 好きでむにゃむにゃやってる訳じゃないのよ
行きがかり上、つまり大袈裟に言うと慈悲心の発露さ。
一切は空で無常で全てが縁起の所産なんだけど、途中で引っかかる
逝去人がママ居たりする、なんぼか知らんが俺も覚ってるらしいなぁ
と言うこっちゃな。まあ互いにこの世の空気を吸う限りは世の中の為に
なった方が心住まいが宜しいわい。 >>650
>日蓮だけは凡そ褒めようにも褒めようのない男。
へぇ、、会った事あるんだぁ、、
俺もソクラテスに会った事あるけど
割と気さくな奴だったよw >>618
法華経の文底に秘められた真理(@kkb) - カクヨム
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881692260
一通り読んでみたが、最初のほうはなかなかワロタ
中盤以降は同じ話の繰り返しでくどいし、しつこい
「法華経の元ネタはキリスト教」説は初めて聞いた
源義経=チンギス・ハーンみたいな珍説で面白いが
その他大部分は渡辺照宏辺りや富永仲基の焼き直し
(法華経は)釈迦自体が究極の真理を語ろうとはしているが、比喩ばかりで、肝心の真理は語られずに終わっている。
ttps://kakuyomu.jp/works/1177354054881692260/episodes/1177354054881698398 第4話の法華経含む大乗各経の解説は実に簡潔で使える、ありがたい
法華経
これまでの経は方便だった。この経だけが本当に言いたいことで、この経を信じると想像を絶する功徳が訪れ、逆に批判すると地獄で責めさいなまれ続ける。大地から巨大な塔が出現し、釈迦が空を飛ぶ。万人に仏性が宿るとする一方、障害者や容姿の醜い者に対する差別もみられる。全身全霊で布教に励め。この経の信者には批判が必ず起きる。女人も成仏できる。経典中に大乗という言葉が頻繁に出てくる。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881692260/episodes/1177354054884200574 >>653
>「法華経の元ネタはキリスト教」説は初めて聞いた
もともとアーリア人の文化圏からの影響が強く後々異端認定されるネストリウス派キリスト教の
原初もアーリア人的な神格と人格についての考え方は違っていて
ここで詳細は語っても発展はしないが、公益性、公共性、真実証明の方法論、哲学が
法華経と似ている部分が散見される。
サンユッタニカーヤなどもアーリア文化圏の匂いがプンプンする。
それから法華経未読者は、まだそこまで考える段階では無いので
とにかく法華経を完読をして見て欲しい。
話は、それからだ。
「ライオンの卵って美味しいかな?」
「そりゃ美味しいはずだだよ!何しろ百獣の王だからな。草食動物を食べてるんだから良質なタンパク質と同時にビタミンやミネラルも豊富だぞ!」
「で、ライオンの卵って、どれくらい大きいの?」
「見た事は無いけどな、ほら俺らの周りにいる動物じゃないからさぁ、ライオンの卵を見たという人をネット上で探せばいいんだよ」 ギルガメッシュもアリストファネスもアイスキュロスも
「法華経の元ネタなんですー!」
って言われたら否定は出来ないよな。
優れた文学には、まったく同じでは無い、同じ部分が紛れ込んでいる。
「ゴドーを待ちながら。も、去年マリエンバトで。も元ネタは法華経なんです!」
と、言われても全否定はできないよなw 「桐島部活辞めるってよ!って評判が良いから観て来たけど、桐島くんなんて一度も映画に出てこなかったぞ!桐島って存在しないんじゃないの?」
そうだね、もしも桐島くんが映画に登場して何かを語ったら違う映画になったよね
「そうだよ!桐島が登場すれば、もっと分かりやすかったのにねえ」
桐島くんが作品を読み解く説明的なセリフも出て来たかもしれないね
「でも、桐島くんって実在しないでしょ? だから登場しても最後は消えて無くなるよね?」
オマエ、良く分かってんじゃん! 法華経のマクガフィンが理解出来ないため
停滞して
法華経を途中で読めなくなった初学者が多過ぎるから
とにかく広宣流布の手を休めてはいけない。 七佛通戒偈に仏教は尽きる、1修善奉行 2諸悪莫作 3自浄其意 4是諸仏教
それを各々が理屈を捏ねる、修善奉行が折伏だからねぇ、どうするの此れってさ。 1番マズい事は、法華経を読む前に「法華経を読まなくても良い理由」を飢えた魚のように探す事。
目的合理性と論理理性
価値合理性と実践理性
この二つを、対立させたり、適当に混合、ミングルによって
奇怪なミクスチャーというクリーチャーを作るという同じ過ちを、人間は犯しがちである。 A・仏教ってさあ銅鏡を汚さないように、ホコリが付かないように毎日磨き上げるのと同じなんだ。
B・じゃあ毎日磨いて、磨いて、磨き抜くって事なんだね
A・そういう事。理解してくれたかな?
B・でもさあ、、ちょっと待って!
A・何?
B・磨いて磨いて磨き続けてたらさ、銅鏡はすり減るじゃんね?
A・まあ、そうだね
B ・って事は最終的に銅鏡は無くなるよね?
A・まあ、そうだね、、でも、それは最終的にって事だぞ
B・よし!確かに最終的にだ! で、あなたが目指している仏法の最終形って何なの?銅鏡が本来空ならば磨く必要は無いよね?
A・ありがとう! 仏教教団で対立と言えば、提婆達多のお話になる。
現在資料として残るものは、上座部系統からの悪口(と敢えて記す)物しかない。
提婆達多側からの反論は残らず、その謎を此処で深く考えて見ましょうか。
法華経成立時代にも提婆達多の遺弟達の教団が在る、其れが極めて目障りな存在。
何故、目障りか?実績をあげる為に無視が出来ない存在なので邪魔ものにする。
小さな教団が男の坊さんのみを主軸にして成り立つ、女人成仏を否定すると非難するが
それに対しての反論は残って居るまい。
提婆達多の教団は今後の仏教研究の主となる可能性を秘める、わたくしは凡その見当が
付く。然しこの場で物申すのは避けるのが妥当。
提婆達多師が釈迦牟尼仏の敵なりという先入観は捨てるべきなのだ。
>>663 客塵煩悩を如何しますか?幼児期成長期に蒙った心の傷は如何しますか?
其れに捉われ、多くの人達が苦しんで居ますよ。
精神化や心療クリニックに行って御覧なさい。
理屈の綺麗ごとで済ませる、君は実に薄情極まる、無慈悲な浅薄な幸福人であります。 >>663 道鏡は触れた箇所から錆が浮く、磨かねば曇り生じて映らず。
是も比喩、喩えで胡麻化し一生を空しく過ごさせ、指導し先達面する詐欺漢。
この様な人物が、提婆達多師を非難したのではあるまいか? 昔聞いた凄ぇ面白い話をおもいだしたよ。
今の俺たちみたいにアホみたいな3人が横に並んで歩いてたんだよな。
そこで右側の奴が、真ん中の奴にこんな可笑しな事を言ったんだよ、、、
あれ?
いや違う右側の奴が、左側の奴に最高のジョークを、、、いや、、違うぞ、、
そうだ!真ん中の奴が右側の奴に言ったんだよ、、、
いやいやいや、、そうじゃない
両側の二人が真ん中の奴に言ったんだったかな、、、???
ごめんなぁ、、、本当に面白い話だったんだけど、、、、忘れちまった、、、話したいんだけど、、、話せねぇよ、、 大喜利です。
問題・飲酒運転禁止。なぜ禁止?
回答者A・危険だから、、、
MCチコちゃん・つまんねぇ野郎だなぁー、、、。じゃあ次は回答者Bさん!
回答者B・轢いた時の充実感が無いから!
イッッポーーン !
心眼を開きて見れば、森羅万象、仏法にあらざるもの無し! ここでもう一度確認しておきます。
大日如来は「金剛界」と「胎蔵界」という2つの世界に存在します。
「金剛」とは大日如来の智恵はダイヤモンドのように絶対に傷つかないという事を表します。
「胎蔵」はすべてのものが大日如来の中で、胎児のようにやさしく包まれていることを意味します。 水道橋博士・それでは今日は皆さんの好きな本をあげていただきます。
宮台真司・僕は日本聖書協会がだしてる文語訳聖書だね。
宮崎哲弥・ああ、、僕も文語訳聖書は好きだな、あと大般涅槃経ね
水道橋博士・はい!文語訳聖書が2票入りました。文語訳聖書ってどういう所が好きなんですか?
宮台真司・文語だからメタファーの力が強いんだよね
宮崎哲弥・聖書も仏教も、もともとフィクションの上書き文学だからね、、文語訳だとその良さがひきたつw 難しい話を難しいまま語るのは難しくない
本当に分かっているなら三行で語れるはず
大般若経600巻も般若心経では僅か300字 >>670
>難しい話を難しいまま語るのは難しくない
>本当に分かっているなら三行で語れるはず
理解してくれて、ありがとう御座います。
私なりの短い方便で書かせて頂きましたが
伝わる人には、伝わっているんですね。確認させてもらいました。
お礼を言います。 大乗仏教、特に法華経は境界・ボーダー・リージョンの認識が特別である。
唯識無境という「似現」を中心に据えないと見えてこない。法華経は読めない。
そして
落花狼藉と自由狼藉を二つのオブジェクトとして考えると法華経は読めない。
凄く簡単に、凄く乱暴に言うと
「コレはダメで、アレは良い!」
という人には中々読みにくい作品である事は様々な人の意見を聞いて理解した。
法華経とは初めから誤解される運命を持って生まれて来た。
今まで何人何十人何百人という人達が法華経を上書して現在に至るが、顔も名前も知らないオリジネーターのコンセプトは伝わっていると信じている。
ムソルグスキーの曲をラベルが編曲した事によって、大ヒットしたように。 >>668 文殊の利剣は諸戯を断つ
さあ、これが何からの引用か答えなさい。
金剛はダイヤモンドに非ず、全てを断ち切る、金剛剣や利剣の意味だ。
もう一つ,宝剣と利剣の相違を探しなさい。
君の様に中途半端な言葉ばかり並べ悦に入る。全くの自慰で御座るよ。 >>636
>本物か偽物かと問うなら、どちらも本物でどちらも偽物
>これしか答えは無い(娘という実体は存在しないので)
この見解(けんげ)。私の周りの人の仏教理解者のおかげで見失いそうになりました。
あなたの見解は仏法的に間違いじゃないですよね。
私の周りにも、それへの気づきを持っている人が多いのですが(無宗教者や禅宗の人ばかりですが)
自分的にも知らず知らずに当たり前すぎると通過してしまいました。
でですね。あなたが示した様な見解って宗教団体の信者さんは持ってないですよね?(禅宗は除いて)
持てない教義教条だけを持ってますよね?(要するに初めから理解しようとしない)
こういう人達に、この公案と限定せずに、分別知をぶった斬る重要性を
あなたには語る事は出来ますでしょうか?(禅宗の人は除外して)
どうです?
法華経をお読みになられましたか?結局、この部分が伝わるか?伝わらないか?
という事を法華経の中の釈尊は神経質になっていますよね?
方便品の冒頭の様に、本来は何も語らない方が仏法にまだ近いのかも知れない。
維摩経の最後の1黙が仏法ソリューションなのかも知れない。
仏法は人に教わる物では無く、自分で探し納得し手に入れる物とは言われますが(例・十牛図)
大乗的な他者に対してのアクションは、どうすべきなんだろう? dharminとdharma。そして実在論と唯名論。
ヴェーダンダ派はもともと唯名論を支持すると聞かされて来た。
しかし、そこに空の概念が登場し、これが大乗仏教の種だとの集合的知を私たちは知識として知っている。
ダーミンとダーマ(ダルマ)から始まり、なぜ空の概念に跳躍出来たのだろう?
それをディレクションしたクリエイター、オーガナイザー、パフォーマーが
真の意味でのブッダでは無いかな? >>675 あのね、そんなに論を飛躍させる必要は無いのよ。
所在不明になるでしょ
人間の苦楽が実在するか?此れにお釈迦さんは、御自身で回答を見出し
永遠に救われる法を発見、会得、其れを衆生に説いたので如来と称される。
アレンジの極まり経の南無妙法蓮華経が其れじゃないことは当然。 >>676
飛躍では無いよ
一旦、沈み込んで考えてみるとね
という話だ 法華経に限らず、仏法を理解する・理解しようとする人達の差異を生じさせる1番影響力が強い物が
一冊主義か?多読主義か?なんだと思うんだよ。
例えば法華経を読んでる多読主義の人がいて
法華経を読んでいる横に行って
「フレイザーの金枝篇」と囁く事によって
いきなり法華経の解読に速度を与えるとか、そういうブースターやキャタライザーって
法華経・仏法から離れた存在に見えても、物凄く近い場所にあったりする。
フレイザーの金枝篇だけに、その価値を置いている訳では無く
人によっては「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」でも良いんだよ。 >>668
念の為確認しておきます。
大日如来には胎蔵界と金剛界の真言があります。
胎蔵界大日如来 o? a vi ra h?? kha? おん あびら うん けん
金剛界大日如来 o? vajra-dh?tu va? おん ばざら だと ばん
真言を唱えればあらゆる願い事を叶えることができます。 >>679 君の説く密乗は迷信ですよ。
質問です 如何が菩提とならば?
お答えください 夏休みなので未来の仏たちへ
TikTokを使ってる人は見るといい
https://vt.tiktok.com/ZSJ79K5st/
本質を見抜く大切さに気づいてる人は多い
日蓮曰く、
「衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、
譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり
是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし
何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。」
この文章をあざとい者は題目を唱えると教え利用するが
如説修行の者は妙法蓮華経に従い法を理解し広め如来の使いとして使命を果たす
本質を見抜く力とは八正道に従う
よく見てよく考えて雄弁に語る
己の生き様を見られて失意を与えないように
誠実を心がけ信頼を身につけ社会的地位を高めてみよう >>682 法華の題目を唱えるも仏道成就の機縁の一つ。
釈尊は八正道を如何に説いたか?大まかに説かれし伝承を
後世の学僧が採り纏め、八と数を付けた。
八正道は、判り易く首肯し易き教えゆえ、必ず目を通すべし。
解怠なく行じ、日を送る時には、佛天は加護を忘れず、
他がその行儀を見習うに至る。 >>681
>なんか変な奴らばかり湧いてる。 嘆かわしいわ。
このスレの日蓮理解の為の法華経読解からズレた言明は
結局、法華経を読んで無い人が
法華経を読む気も無く
法華経を読まなくても良い理由を探し
探せなければ、法華経を進行していた日蓮とは無関係な書き込みをしてるだけだ。
これらは彼らの信仰の自己防衛行動なのだろう。
法華系日蓮系の人でも「私は法華経を読む気はありません」と堂々とした態度なら
それは認められるし、許される。
しかし、法華経を自分は読む気が無いという代わりに論題の非共有へ持ち込む行動心理学的
戦術・戦略は誰にでも見えてしまうので「変な奴らばかり」増えてしまうんだ。
法華経を読まない自由もあるし、法華経を読まなきゃいけないという義務も無い。
変なこだわりを捨てて、「私は法華経を読みたくありません!」と堂々と生きていって欲しい。
正義の反対は、悪では無く
正義の反対は、もう一つの正義
なのだと、理解して欲しい。 >>682
>譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり
作麼生!
その鏡は何処に在る?
(誰でも良い。この問いに一決の短い言葉で答えられる人がいるなら、私はその人悟った人と認める) そうだ、こんな事書いて良いか分からないけど
「八正道」と言うのはメタフォリカルでは無くてリミナルな記号として受け取るべきだけどね。
全32巻と別冊8巻の「現代インド思想史」(中村元先生)を全巻読了しないと説明しにくいけどね。
やはり、こんな事書くんじゃ無かった。でも一人でも響く人がいれば、、、と結局書いた。 無明とはそういうことね
進むべき道を示しても見えず至宝を手にしても価値が解らず
迷信に惑わされ足を踏み外す
日蓮曰く、
「此等の意を以て之を案ずるに我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ
一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」 日蓮さんもバカな弟子に困ってたんだろうな
御書を読むとかなり自分の弟子に対して愚痴ってる往復書簡があるよなw
だから釈尊は仏教団体は絶対に作るな!と言って死んでったんだろうな、、、分かるよゴータマさん!
それでも弟子の面倒を見ようとする日蓮さんは可愛げのある人だねw
法華経を熟読して御書を読んだから分かるんだけど
法華思想に対する共依存自体を大乗と見るか?独善的自己実現と見るか?
ココだよ 釈尊は初め座禅と瞑想により自身の疑団のソリューションを得られると思っていたらしく
アーラーラ・カーマーラの元で修行するけども、釈尊はアーラーラから追い出されるw
アーラーラ「俺が知ってる事は教えられんけどよぉ、知らねぇ事は教えらんねぇよ!俺に恥書かすなよ!」
アーラーラにとって釈尊はかなり煩わしい弟子だったようだ。
ただ、ここに仏教の奥深さを感じる。
神様が約束を忘れてしまった事に腹を立て、神様をボコったヤコブの様に
釈尊も、それでも真実を突き止めたい!居心地の良い宗教団体の中で
全体主義という共同幻想がいかに甘美なものであっても、イバラの道の真実の方を選ぶ!と
ここが仏教としての、ビジネス化か?実存主義哲学化か?の別れ道になった。
(大般涅槃経からの引用、多数) もう一度。誰か答えられる人いたら、答えてくれ
>譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり
作麼生!
その鏡は何処に在る?
(誰でも良い。この問いに一決の短い言葉で答えられる人がいるなら、私はその人悟った人と認める) この板で禅問答しても笑われるだけだよ
種明かしされた手品を見せられてるようにつまらない >>691
>この板で禅問答しても笑われるだけだよ
>種明かしされた手品を見せられてるようにつまらない
そういう意味では無いんだよ。
このスレに居る人達が何らかの宗教団体の信者なら答えられないし
自律的に一人で仏法を学んでいる人なら、何かを語れるはずなんだよ。
つまり、そのスレを構成しているスレ住民のポジションが明確になるという
実験なんだよ。でも、それは意地悪では無いんだ。
答えられる人には、答えられる人にだけ自分が語れる物が分かるし
答えられない人には、答えられない人として自分が使うアナロジーが決められるという話だ。
「オズの魔法使いって結局、存在しなかったじゃん」と理解出来る人と
「ラストでちゃんとオズの魔法使いは出て来たから、存在するじゃん」というテクスト論のみで考える人と。
これは、仕事の上でもラップのフリースタイル・バトルでも生じてくる問題だよ。 さあ、もう一度。誰か答えられる人いたら、答えてくれ
>譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり
作麼生!
その鏡は何処に在る?
誰でも良い。何でも良い。先人・先達の師匠の言葉(模範解答) 『以外の言葉で』語ってくれ。
自分自身の言葉で語ってくれ!善知識達よ! ここでもう一度確認しておきます。
大日如来の名前にある「大日」という言葉は、「大いなる日輪」という意味です。
日輪とは太陽を指す言葉なので大日如来は太陽よりも偉大な存在であり、
宇宙そのものだと捉えられているのです。
釈迦如来、阿弥陀如来などの諸仏はもちろん、世界のすべてのものが、
大日如来から生まれたと考えられているのです。 >>694 密乗を実修し効験を出せる人が説くなら
人は素直に耳を傾けるが、君が論を説いても無駄。 週末から禅問答スレになっててワロタ
そんなのやりたきゃ別スレ立ててやれ >>696
あなたは何らかの宗教団体の信者さんですよね? おそらく >>696 日蓮の四箇格言に「禅天魔」とあるが、天魔に非ずと証明されるなら
其れで好し、日蓮の誤りが共に証される。
日蓮の辻説法、上手い惹句を披露の名作が四箇格言、当時の世間に売名と共に
忽ちに広がるかと思われる。
だが日蓮の性格と活動は多くの敵を自ら作る。
然も面識のない人達にまで反発される筈だが、彼は全く躊躇しない。
要らない敵を作らず同意者を得るべきが、仏弟子を自称する僧侶。
其れで居ながら公儀に自らの宗門樹立と寺領他を要望するとは〇違いではあるまいか。 >>698
メタフォリカルなキャラクタイライズとしての記号だよ。
その記号の言語論理を理解出来ないと
御書も読めないぞ。
「自分は御書を読んで、日蓮の知見が分かった!」という人の中には多くの
「御書が読めた!」と勘違いする人が多いんだ。
だから釈尊はアーナンダに葉っぱのメモ書きを最初は禁止してたし
釈尊自身が自分の死んだ後、宗教団体を作るな!と言い残して死んでったんだよ。
この話、経典や言い伝え自体は嘘か本当かは分からないけど
これもメタフォリカルなレトリックとして受け取れば
『それは、その物として、そのコンセプト自体』は承認出来る。
ど田舎の夜中、真っ暗な夜の空に、漆黒のお盆が飛んで行った。
普通に考えりゃあ、そりゃ見えないよな、そんな飛行物体は
でも目に見えない飛行物体を優美なラジカリズムと捉えれば、記号的価値は生じる。
この内的作業・構造分析が出来なければ、御書もシェークスピアも読めない。
釈尊はマヤの脇の下から生まれた?マヤが木の枝にぶら下がって釈尊を産み落とした?
マヤの体に白い象が入り込んで釈尊が生まれた?
文字通り、字義通り、テクスト通りに解釈したら、おかしいでしょ?
「伏線は文脈の中にある」高校や予備校の国語の講義で習ったでしょ? >>698
日蓮が禅を批判するのも一理ある。それは
日蓮が批判していた矛先は建長寺派だったからだ。
歴史に詳しい人なら分かるけど、今でも神奈川県政や国政に物申せるご老人が住んでいる。
臨済宗全体を否定する気は無いが、21世紀に入っても建長寺派の信徒は何かと
経済、政治、公共団体に関わる人には恩恵がある。建長寺派を臨済宗と呼んで良いのかどうか?
というのが私の感想だ。 >>700 公権力と合致する程の実力が、禅宗に備わって居たのでしょう。
其れが日蓮には邪魔に見えた。
蒙古からの降伏勧告状を持参する使節に応対したのは禅僧でしたか?
若しも、日蓮自身が通訳をする程の公的地位に居たなら如何か?
考えたことが在りますか?
日蓮は、房州の寺にて青年時、自らの修行経費を賄えない為、加行習得を断念し
寺を出奔する経緯があります。
加行を終え、阿闍梨様に成ったなら身分は、公家の次席に値します。
現代で似た様な事例を想定するなら、私大医学部に合格するも学費を賄えず中途退学。
彼のその後の人生は困難極まると思われます。
日蓮の願望は,公儀認定資格でありましょう。 >>699
>釈尊自身が自分の死んだ後、宗教団体を作るな!と言い残して死んでったんだよ。
ソースをご提示いただきたい。 >>701
>公権力と合致する程の実力が、禅宗に備わって居たのでしょう。
鎌倉新仏教6辺りの歴史に詳しい人ならわかるんだけど
鎌倉幕府の政権プラットフォームを作る為にインテリの禅宗を利用した。それが建長寺派。
鎌倉幕府の武士の剣術のインストラクターになったのは剣術を修行にしてた妙心寺派。
昔からなぜ鎌倉には経済圏のドンや政治力を持ったフィクサーが住みたがるか?
鎌倉には今でもそのような政治・経済に対するいわゆる「鎌倉の老人」という方々がいる。
鎌倉新仏教6時代から巣鴨プリズン系のフィクサーまで続く日本の裏の政治が有るんだよ。
ある意味、臨済宗建長寺派は新興宗教のように宗教よりも政治と経済を優先する団体になったんだよ。
例えば一時期話題になった、オカルト商売人の織田無道も建長寺派の僧侶でいくつもの住職を兼ねている。
去年お亡くなりになったが、彼はオカルト商売と公正証書不実記載で有罪になった。
臨済宗の信徒の中には織田無道を破門しろ!との声が上がったが
織田無道は建長寺からお咎め無し。
これが建長寺派の性格を良く表している。信仰よりも経済と政治を優先し参与する者は破門出来ない。 >>702
>ソースをご提示いただきたい。
仏法を学ぶ者なら常識でしょ?これ
ここは仏法に興味と知識のある人ばかりが集まるスレだ。
なぜ、仏法を勉強する気が、あなたには無いのですか?
なぜ自分で調べようとしないのですか?仏法を勉強する気が無いのに仏法を知っている気でもあるのでしょうか?
とりあえず貴方が所属する今日学部長に尋ねてみたらどうでしょうか?
そこから自分なりに文脈を追えばいい。テクスト論的な物じゃないですよ。クドイけど再び言います。
私は、仏法を勉強しています、と言いながら全く勉強していない人を認めたく無いです。
いっそのこと私は仏教には興味ありませんと告白した方がいいんじゃ無いかな?
どの宗派にも属さない若い子の方がニコ生(特に苫米地氏のトークライブ)の
コメント欄の方が、あなたより仏教知識がありますよ。
仏教を勉強するなら、しっかりと基礎から勉強して下さい。
私は小学校の教師ではありません。 >>704
私の知る限り釈尊は死に臨んでそんなことを言った伝承はない。
常識なら誰もが知りうる典拠があるはずた。
重ねて言う。ソースをご提示いただきたい。 >702
>ソースをご提示いただきたい。
と、言ってもだ私にも大乗思想として法華経を広宣流布するという信条はある。
1番、理解しやすいもの(文脈とレトリックの解説が丁寧な書物)として
中村元の「現代インドの思想」(春秋社)を、提示させていただこう。
あとは、どうかご自分で確認し、仏教思想、仏教哲学、仏教教義教条を学んで下さい。
これがベスト・ソリューションですよ。 >>705
>私の知る限り釈尊は死に臨んでそんなことを言った伝承はない。
もうこの問題は先の私の書き込みで解決されると思うので、別の話として
あなたが今まで読んで来た仏典や学究の論文って何ですか?
非常に興味があります。
顕正会新聞とか聖教新聞とか大白蓮華やら大日蓮やら妙教は除外して下さい。 宗教団体の帰属同調で強化される仏法と
どこにも属さず仏教を勉強する人といますよね?
これは私の経験からの主観なんですけど
問題・日蓮大聖人は伊勢神宮へ100日のお参りをした。これはウソが本当か?
1)ウソ
2)本当
これ、信仰の問題なので、哲学的視座からはどちらでも良いんですけど
1を選んでも、2を選んでも、過去の客観的事実を証明できる根拠を提示できるか?
と、ここが仏法理解の形の分水嶺だと思っています。
1・どちらの根拠をあげれても、それを確認・論証する事は不可と考えられる人
2・論理的整合性が無くても、アイコニックな概念を真実と認めてしまう人
どちらであっても、、、どちらが正しいとか、どちらが間違っている
という話ではありません。 今日、CATVで映画・イージーライダーが放送されて観たのだが
1969年の合衆国(LAからルイジアナ州まで旅するロードムービー)の作品で初めて気づいたんだけど
ヒッピーや人道的懲役拒否者が集まるコミューンで草原の中の汚い小屋でみんなが
農業やったりグラスを吸ったりフリーセックスしているのだが、素っ裸で法華経を読んでいた
法華経と言っても英語訳のLOTUS SUTRASなんだけど、当時のビートニクカルチャーや
フラワーチルドレンカルチャーは話には聞くが、当時のヒッピー達の中にも法華経を読む奴が居たんだね。
あの人達は、その後どうなったんだろう?東洋の神秘的思想として形から入ったのかな?
今でも、海外でオリエンタリズムとして仏教を広めている団体もあるけどね。
あのスティーブ・ジョブズの禅の師匠も、どういう人だったんだろう? 案の定、誤魔化しだけだ。こいつは前からこれしかない。冗長なばかりで内容は皆無。
見苦しいこと甚だしい。 >>708 出典は失念ですが、日蓮の文に
高野などをあらあら回って 云々と記憶してますが是ってどうなんですかね、
「山門と極楽橋を通って寺院の門前迄行き本堂に入りお参りし帰った」だけ、
現代の我々とても、やはりそんな参拝者でしょう。
日蓮の文を読むと空海に対しドエライ嫉妬心を感じます
不幸の源の悪感情を解くべしなのですが、
而して彼に空海の主要著作を読ませて呉れるお寺さんや僧侶は無かった。
当時の真言教団が、堅く大師の著作を秘蔵する様子が窺えるのです。
学問、技芸、持った運がものを言いますね、手に触れも見も出来ないのですから。 子供の教育に熱心な親がいる。その親自体高い教育を受け、社会に出て社会生活を送って来た。
そんな親ならば明確なるビジョンと資本主義経済社会というバトルフィールドで淀みなく
生きる事への問題点と注意点をシッカリ把握して来た大人であり、観察出来た大人だ。
世の中には「自分が理解できる物が全て」とバイアスを持つ人がウジャウジャいる。
そしてそんな人は、負のストレスを感じると、相手に対する攻撃行動心理が発動する。
こういう人に関わっていては、時間の無駄であり、より良い人生を望む者にとって邪魔でしか無い。
知性的、または高学歴で社会を観察して来た親達は
自分の子ども達が、こんな泥だらけのチンピラに絡まれて無産の時間と必要無い精神活動で
悩まないように、子供達に高い教育を受けさせるようにしている。
なぜなら
高い教育を受けた人達は、自然と高教育の人間の輪が出来る。そして就業において
自分が務める企業も、上司から同期まで、同じような知性的な視座で物事を語れる人ばかりになるので
平穏であり、そこから更に飛躍する人間力・底力を発揮出来る。
自分のアドヴァンスを阻止する障害物が無くなる事を知性的な親は知っている。
そして
「チンピラやパートのババアや宗教勧誘に絡まれたら無視しなさい」と子供達に教えている。
そういう家庭は平和で幸せだ。夫婦喧嘩や家族同士の喧嘩も起こらない。言語・非言語の構造分析が家族全員が出来る人達だから。 >>712 幸福な家庭とは何処も似た様なものだ。ですねぇ
是ってどうなんですかね?ナントカ我慢して暮らせる体(てい)の生活じゃないですか?
臭い、汚い、狭い住まいに学歴なしそんな下の階層は下劣だからワシャ知らんよ。
縁が付かない方が幸福!お前も早く得心して安楽に暮らせ。
然し一寸先の未来は誰にも判らんもの。
お釈迦様はそんな様な生活水準から発心します。
712氏は信仰者を侮る人、多分そうでしょう。
発菩提心は無縁、神仏の存在を一生知見せずして。
終いに長患いせず、逝去できるなら、まあ好いかにしておきます。 >>771
1・first blood
2・本当にあった呪いのビデオ。ウィトゲンシュタイン問題。
悪とか正義という二項対立的に言葉を使ってしまうと、気づかないうちにその根拠は
公理(証明責任が必要ない)になってしまいます。
この迷妄の中で、大きな間違いは「どちらが先に銃を撃ったのか?」が
思想・哲学に悪影響を及ぼす事です。
よく「お経は釈迦が死んで何百年も後世に書かれたものだから本当の釈迦の言葉では無い!」
という人がいます。それは私達が確認出来ない事なので事実なのですが
今現在、目の前にある物が釈迦の直説かどうか?で悩む人は、そういう信条にかられている人って事だけなんです。
ウィトゲンシュタインが初期に論理哲学論考を書き、一部の人にしか才能は認められませんでした。
何書いてんだ?こいつ?冗長なだけで内容は無いじゃ無いか?
と、一旦は誤解されるのですが、論理哲学論考は正に言語の用法と思考哲学において
不要な干渉の問題を解いていたのです。皮肉な事に彼を非難する人が論理哲学論考を証明してしまいました。
実際には彼は認められない哲学として哲学者を辞めてしまい教会の庭掃除のバイトをして生活します。
数年後、論理哲学論考の価値に気づいたウィーン大学やトリニティカレッジの学究が彼に会いに来ます。
一緒にウィーン哲学を完成しようという腹ですが、彼は哲学にはもう興味はありません。彼なりのソリューションを出してしまったから
しかし学究達がアレコレ言っているのを聞いてウィトゲンシュタインは「君達は誤読してる」と怒り始めます。
これをキッカケに彼は再度哲学者として「哲学探求」を書き始めます。それは未完に終わりましたが。
ウィトゲンシュタインは哲学者として2度も誤解・誤読されたのです。さあ、それは何故でしょう?
仏教の直説かどうか?に価値を置きすぎると、こういう深淵にハマります。
人気の出たビデオ・シリーズ「本当にあった呪いのビデオ」シリーズの企画・製作者に
「本当にこんな怖いビデオが存在するんですねぇ」なんて言ったら
企画・製作者はガッカリするでしょう。
フェイク映像をいかに心霊ビデオのように演出・編集するか?という映像作家として作品とテクニックを見てもらえる事を期待していたクリエイターなのですから。。 >>713
>712氏は信仰者を侮る人、多分そうでしょう。
信教の自由があるのですから
信仰を持つ人を批判しないであげて下さい。 >>713
鯨のタマゴって
長径何メートルですか? >>715 彼は信仰を持つ人の生態に興味が在るのでしょう?
推測でしか在りませんがね、幸福な生涯を送るよう祈りますが
ご家族全員が、己の意思に沿うようにあれと、願い思うなら其れが不幸の因。
他人を自己の思うがままにしようとするのは、人道を無視する行為でしかない。 >>717
>他人を自己の思うがままにしようとするのは、人道を無視する行為でしかない。
そう言い切ってしまうのは間違い
1・信教の自由の本質は本人が、その宗教が自分自身の心の慰めになるかどうかという、個別的問題であって、普遍性を仮定して語る事は出来ない。
鯨が卵から生まれるとして、その卵の長径は何メートルかという話をずっとしても、全く意味が無い。
2・漫画「よく宗教の勧誘に来る家に生まれた子の話」の著者はは2世女子だが、彼女は徹頭徹尾「自分の母が宗教にのめり込む事によって引き起こされた機能不全家庭」を観察する眼線で書いている。
自分の母親が宗教にのめり込むのは、心の病気でもあり、幼児期に悪い大人に性的虐待された嫌な思い出を引きずっていたり、ひどいイジメになっていたり、親も同学年も夫も自分の知性の低さに呆れて誰も相手にしてくれない。
などなど2世女子は会館に集まる信者さんを観察している。そして、それぞれが普遍性を導くことは出来なく
2世自体がブレイクスルーとしての生育文化からのリヴァタリアンにならなければEXITは出来ない。
けれども、そんな知性的でなく不器用な生き方しか出来ない母を2世は信仰以外では見捨てていない。
これはSNSでも良く子供達にアドバイスしているのだけれど
現実論題、推定論題、価値論題、政策論題を「同じ物だと誤解」する事によって、君の心に苦しみが生じるんだよ。と
>>717 さんは、どうしても宗教団体の信者さんを否定したいらしいけど
それらは本来エヴァンゲリズムとして「捉えるべき物では『無く』」
あくまでも、インディヴィジュアルな問題として考え無ければならない。
毒ガスを地下鉄で撒くのも、子供のお尻がミミズ腫れするほど鞭で叩いて虐待するのも
ここだけは『信教の自由には許されない部分』。この部分だけは周りの人達は社会的道義を見せる義なる人にならなければならない。
人によっては宗教団体の信者さんを見て、自分で考察するだけの頭が無い人なんだろうな?
と思う事もあるとは思うよ。そう感じる人もいると思うよ。
でもさ、彼らは頭が良いか?悪いか?より心の平安と共感と承認欲求を欲しがり、それが満たされてるんだよ。
宗教団体の信者さんを、バカにしたくなるアナタの行動原理は、アナタ自身どう分析してるの? さもらしいこと一日中書いてるけど、細かいこと質問されると逃げるよね。
ソースを示せばいいだけなのに自分で調べろで逃げりゃ誰だってテキトーなこと言えますよ。
ソースも示せないなら、ブログで一人言かいてなさい。 過去レス遡るけどコイツいつもコレだぞ
>>353
>>355 >>719
ソースって、1番分かりやすい(仏教に詳しく無い人にとって)
メタファーとレトリックを解説してくれてる
「現代インドの思想」(春秋社)って上げてあげたじゃん。
素人には、この本が1番分かりやすいんだよ。どうせ長い文脈も読む気無いだろうから
親切に教えてやったのに、なぜ「それじゃあ一度図書館を検索して読みに行ってみるか」ってならないの?
最初から結末を気味てあったんだろ?
とにかく反発してやれ!って事なんだろ?
あいつの言う事は良く分からない。だからけったくそ悪い。あいつにイチャモンつけてやれ!
という子供っぽい行動心理学的戦略は初めからこちらもお見通しさ。
あなたは話してわかる人じゃ無い。
あなたは会話が出来る人じゃ無い。
もう時間の無駄になるから、今後無視させてもらうぜ。
ただ
中村元さんの「現代インドの思想」は凄く良い本だから、いつかは読んでみ。
俺って優しいなあ。これも菩薩行 ちょっとコアなマニアックな話になるけれども、仏法理解において重要なのかも?という点
長老派が第2結集を、十事の解釈から提案をしたとウチらには伝えられるけど
仏教って(多数の本や論文を信用して考えると)
転入アーリア人と先住インド人の論理は違っていると思わない?
自分的にはアーリア人は仏教を理論的エコールに頼りがちで
先住インド人は、彼らのエクリチュールに戸惑っていたのでは無いかな?
凄くマニアックな仏法について書いてしまった。ゴメン そうではなくて、現代インドの思想に釈尊が宗教団体作るなと説いた経典名とその一文が載ってる訳ですよね。
それをここに載せればいいじゃないですか?
一日中、聞かれてもいないどーでもいい落語家気取りのチラ裏でこのスレを埋め尽くす前に、シンプルな会話を心掛けてください。
あなたはオフラインでも自分から言い出したことに質問されたら、自分で調べろって返してるのかな。
みんななんだコイツって顔してませんか。
あなたは話してわかる人じゃ無い。
あなたは会話が出来る人じゃ無い。
もう時間の無駄になるから、今後無視させてもらうぜ。
ってみんな離れていってませんか。
誰も聞いてくれないのでここで一人言書き殴ってるのかな。 マトリックスと法華経のことも有耶無耶にしですよね。
Matrix
lotus Sutra
でググッても全然ヒットしないですよ。
具体的に法華経のどこに影響を受けたと監督は語ってるのか教えてください。 >>723
君はとにかく、嫌いになった相手に対しては徹底的に反発したいという人だね
とにかくまず読め。読めばわかる
と、言っても君は図書館に読みに行こうとはしないだろう。
これが最後だ
「現代インドの思想」には大変有用な参考文献表が付いている。
これだけでも様々な仏教の疑問を解決できる武器になる。
それを、君自身で発見して、喜んでもらいたかったんだよ。
君に一つ言いたい事がある。
他人を疑う人には、何をどう説明しても「なるほど、そういう事だったんですね」と
納得させる事は出来ないんだよ。
人は自分で納得出来る方法で自分自身でたどり着いた答えしか、納得は出来ないんだ。
君も将来、社会人になって様々な人と関わって生きていけば
私の言葉の意味も分かってくるよ。
実は私もね、若い頃には何に対しても噛み付いていて、多くの大人を困らせたものだ。
私も若い頃「何故この人達は難しい言葉を得意げに使って若者をケムに巻こうとしているんだ!」と腹を立てたものさw
そういう体験も大人になる為には必要だったのだと思っているから、敢えて書き込んだ。 宗教を哲学的な方向から見ない場合(哲学的じゃないとダメと言ってるわけじゃ無いよ)
コリント人への手紙とローマ人への手紙に見え隠れするイエス復活の作劇。
あの中で1番迫ってくるのがシンクレティズムだ。
多くの宗教は皆、この回し方、この上書きによって生成されたものだと思うよ。 ん?私は図書館で仏教書読み漁るのすきですが。
私のことはいいので>>702さんの質問に答えてあげてください。
経典の該当部分の一文を上げる簡単なことです。
なぜそれを頑なに拒むのか。
反発ではなく、不信です。
自分で不信感を抱かせることしておきながら、
反発してるとかw笑止千万
>そういう体験も大人になる為には必要だったのだと思っているから、敢えて書き込んだ。
ものは言いようですねw
で、ウォシャウスキーはどこに影響受けたと語っていたのですか?
あなたの覚えてる限りでいいので教えてください。 ド田舎に住んで図書館が身近にない方もいらっしゃいます。
そういう方のためにもインターネットで教えてあげれば、あなたがここに常住する価値もあると思います。 >>728
>そういう方のためにもインターネットで教えてあげれば、あなたがここに常住する価値もあると思い
社会的認知の防衛、回避、強制、影響、制裁、報復が行動心理学的な攻撃性行動に
直結すると、解決策は無いんだよ。
様々な形で経験した事無いかな?
もとより仏教というのはその経典からアナロジー分析って難しい。
アナロジー分析が難しいのでは無く、それぞれの分析がどのスティグマに引っ張られているか?
という問題が難しい。
御書の解釈について、まるで喧嘩してるみたいに言葉の投げ合いをしている人は
このスレにもたくさん居たでしょ?
特に彼らの喧嘩に入り込む事はしなかったけど、よく観察すると相手の揚げ足をとって
それにバカ正直に回答すると、回答した人の言葉尻やレトリックの解釈がどうのこうの
と、完全に消火出来た人達を見た事がない。
「ああ、そういう事だったんですね。やっと分かりました」
「いえいえ、こちらこそ説明が不足してすみませんでした」
と終わる会話に出会った事ある?御書に関して。無いでしょ?
こういう話はね、初めから納得しない事を目論むマインドセットがあるんですよ。
様々なクライアントを扱う仕事をしていたら、それは容易に読めてしまうから無視してるんですよ。
だいたい「ググっても探せませんでした」という人って、逆に言えば「この人はググれば何でも分かると思ってる人なんだ」
との認識を持ちますよね?
これは仏教の話以前に認知心理学と行動心理学の話になります。
ですので
「ググっても探せませんでした!」という人に関しては
「そうですか、ググっても出て来ませんでしたか。じゃあ私は大嘘つきという事でよろしくおねがいします」と
火の中の栗をに近づかず、自分の仏法学習を目指してスタスタと歩く方が良いのです。
同僚と飲んでると全く関係ない席から理由もわからず絡んでくる酔っ払いってたまにいますよね?
私は、そういう時は「ごめんなさい!すみませんでした」と一方的に謝って店から出て行きます。
一体、何のキッカケで、何が目的で絡んで来たのかわかりませんけどねw しょーもない話が続いたので、一つ自分で発見、疑問に思った事。
紀元前7世紀頃にバラモンが業や輪廻について言語論理演算として落とし前をつけようとした。
そのバラモンがカースト制度を作っているw
そこからのちに仏教(ゴータマさんが生きている間に仏教という物は無かったけど)が
出て来てインド思想ルネサンスが起こった訳だよね。それは哲学的には
新実存主義であり新実在論的な思想だったんだけど
時間と空間を飛び越えて鎌倉時代の新仏教時代から現在の様々な仏教系宗教団体は
無限後退とも思える、新古典主義的な仏教解釈を元にしてると思いませんか? そんなことより経典名と該当部分をお願いします。
とても単純なことです。 > ID:ASAy6uQv
万感の書を読み尽くした俺は偉い偉い偉い、まで読んだ >>723
>一日中、聞かれてもいないどーでもいい落語家気取りのチラ裏でこのスレを埋め尽くす
>誰も聞いてくれないのでここで一人言書き殴ってる
それ >>718
>SNSでも良く子供達にアドバイスしている
当然の様に逃げられたからこのスレに逃避で発散、なるほど
>>725
>私も若い頃「何故この人達は難しい言葉を得意げに使って若者をケムに巻こうとしているんだ!」と腹を立てたものさw
>そういう体験も大人になる為には必要だったのだと思っている
なるほど自分が赤い頃やられたから今やり返してる、分かります
立派な老害になれてよかったですね
>>729
>同僚と飲んでると全く関係ない席から理由もわからず絡んでくる酔っ払い
自分語り乙 わりと日本人には理解されてない事だけど(熱心な仏教学習者以外ね)
釈尊の思想も数多いサマナの一つだったんだよな。
これ見逃すと、仏教って独立した上位概念だと勘違いする人が出て来てしまう。
宗教団体の信仰の話じゃなくて
仏教の思想・哲学を紐解く話ね ミシェル=ジャン・オズレーやカール・ベンツなどなどフランス人やドイツ人の
仏教研究者は、神の存在しない宗教がどれほど危険なのか。に注視してたけど
(広義の意味でね。ショーペンハウアー批判の様に)
欧米において何らかのリファレンスとなる「神」の非存在は記号主義的な物とは理解出来ない
という事をキリスト教圏の人は考えるという事なんだろうな。
この社会心理学的トポロジーは、今の日本の宗教においても存在してるんじゃ無いかな?
「で、結局あなたが言いたいのは何なの?」という性急さを持ちたがる人は多い。
仏教ってそのフェーズから正反対の遠い所にあるのにね。 >>739
カール・ベンツはメルセデスベンツw
訂正はウォルター・エヴァンス・ヴェンツだw 釈尊はエチオピア人!
ニカエア公会議、エフェソス公会議、カルケドン公会議において見えてくるのは
何にどれをタグとして分類するか?
という性急さと、アプリオリな概念と思い込んでいる人達の公会議では無かったんじゃ無いかな?
研究した結果、釈尊はエチオピア人というのならまだわかるが
最初に釈尊はエチオピア人と仮定して、その仮定を論証し得る証拠を探し始める。
これはキリスト教や仏教だけの問題でも、多くの場で見られる問題だよな。
水曜日のダウンタウンという番組で小藪さんが「ダウンタウン・ロシアのスパイ説」というのを
プレゼンテーションして笑いをとってたけど、仮設を裏ずける細かな要素や言葉尻など
を収集していくてと陰謀論が成立するというお笑いコンテンツ。
松本人志が一言「怖ぁー!」
大胆なお釈迦さんエチオピア人説は私達にはお笑いのネタにはなるけど
これと近いバイアスを私達も持って生きている。 >>741
964名無しさん@お腹いっぱい。2020/12/08(火) 19:41:29.04ID:JZB9HVss
彼らの承諾を得て、えらてんさんや、ニイルセンさん、ラファエルさんの協力を求めて
来年に向けSGIの生の活動、生の言葉を伝える。
逃げも隠れもしない。動画アップ第一弾から、このスレにて報告する。 こんな意見を以前に聴いている
2500年前のお釈迦様は外人さんで言葉も肌の色も違う人、
それに引き換え、日蓮さんは鎌倉時代の日本人で親しみ易い、
話しも同じ言葉で判るから日蓮さんの方が善い。
こういう人が染まり、信心を強制されたりする。
お終いには法華経は日蓮さんが説いたお経なんですよ、偉い人ですホントに
感動します。
つまり法華経を全く読まずに、誰かのお話しを丸呑みし消化不良。
活字を読まない、読めない人物が創価を支えていたのが昭和40年までかな、
こういう人は死に絶えたと思います。 >>744
昭和40年か、、高齢者の方々に聞くと戦後の闇市や朝鮮警察、戦争孤児、戦争未亡人
の辛い世の中から高度経済成長時代に突入したけど、所得が上がる者と、どう足掻いても
貧乏のままの者と、「実は今の社会より、より酷い格差社会だったんだよ」と聞きました。
そんな社会の疎外感を持つ人達の心の救済の為に宗教団体の人気が出たのは理解出来るし
当時、本当に宗教と信者仲間の集いで辛い現実を生き抜けたという人もいるのでしょう。
その時代を生きてこなかった私達は現在の価値観で過去を振り返っても、分からない人がおおかたでしょうね。
そんな、独善的な現代人が社会の文脈を無視して宗教団体を批判するのは何か違うと思いますよね。
当時は「誰かの言葉を丸呑み」する事によって心が救われた人もいたはずですよ。
たとえ仏教的・仏教哲学的に消化不良だとしても。
そして、それが「それは仏教じゃ無い!」と批判するのも間違い。ランドスケープや
ポイントオブビューが違っている訳ですから(まだ日本語に慣れないのでゴメン)
ただ、どこの仏教系であれ神道系やキリスト教系であれ、マネタイズが重要だとする団体なら
どこかでパラダイムシフトする必要はあったとは思いますよ。そこの詳細が信者に伝わらないと
信者さん達が困惑したり、疑いの目を持ったり、反発する情動が湧きますよね
ここだけが、宗教団体の問題として外部の者は語る事は出来るのです。これだけです。 これは何処の宗教団体でも同じ閉鎖的?エクスクルーシブな構造が見られるのですが
今は創価学会を例に出せば、会館でも信濃町本部に関する情報はとても少ないようですよ。
学会員さんを見てると、彼らは週刊ダイヤモンドや東洋経済を読んで
「今は組織総局の広宣局の局長はダレダレさんなんだぁー」
「第一庶務局の人事がまた変わったねぇー」
なんて会話をしていて、それを私は見ていて
ナゼ自分が所属する宗教団体の内部を、宗教団体以外のメディアを通じて知らなきゃならない状況になってるんだろう?
と、不思議に感じるんですけど、実際の熱心な学会員さんは様々なオピニオン誌を読みながらも熱心な信者さんのままです。
それが宗教団体なんでしょうね?
理屈や論理で語れないのが宗教団体ですね
創価に限らず日蓮宗やら顕正会やら日蓮正宗やら立正佼成会などなど
それぞれの宗教団体や、その信者さん達を批判するのは止めるべきですね。
極端に言うと、彼らは仏教を求めている訳では無く、仏教以外の物を求めて
生き生きと生きていけるアイコニックな指示対象によって幸せそうにしているんですから。
信者さん達に「それは仏教じゃ無いですよ!」なんて言っては自分の道義はどうなんだ?と循環論法に堕ちいてしまいますよね。。 たくさんの人と話をしてると面白い物にたくさん出会えるw
80代のお婆ちゃん(日本人)が、自分はコプト正教会だと言う。
面白い話をしてくれるので色々聞いていたら途中でトーンを低くしてこんな事を言った。
あなたねぇ、お釈迦さんってアフリカ人だって知ってた?
お釈迦さんはエチオピアでコプト教を作って、宣教の為にインドへ行ったのよ!
宗教って、こういう物なんだな >>745 私と全く無関係な某宗教の信者たちが夢物語を語り合うのを見聞きしましたが、
大天使が如何なって、こうなりゃSFとか言う訳、あんたは天使見聞きしたの?
と質問したかったですね、ホントに笑いをこらえて
こりゃ如何だ、あなた方正気ですか?と御訊ねしたい教団のメンバーを見てます。
それでもまあ幸せなら好いよ、俺には無害だもんなぁで済ませます。
然し、教団が政治に関わると状況は一変します。 >>748
>然し、教団が政治に関わると状況は一変します。
それは個人の価値観だけの問題ですよね。
個人が宗教と政治・経済との線引きをどう捉えているか?という問題ですね。
仏教を哲学・文化として見ている人と
社会学的視座で見ている人との違いでしょう。
私は政治・経済にシフトして来た宗教団体に関しては何も批判する気持ちはありませんが
幅広く宗教を見てみるとラジオ教会・ホーリーランドなどのキリスト教から
詳しくは知ら無いけどシオニズムの方々や、日本の宗教でも神社本庁・神道政治連盟や
浄土真宗も法華系日蓮系も時宗も臨済宗でさえ政治と経済に関係しているのが現状ですよね
この団体も信仰の理念実現の為というコンセプトはあるのでしょうね。
この部分に思惟が及ぶと、ややこしくなってしまいますよ。
『特に』
私は仏教哲学・東洋思想にしか興味はありません!という人にとっては必要性は全く無しです。
もし、仏教哲学的、教義哲学にコミットメントを置いている人ならば
そんな局面に言及するのは、何か違うと思いますよ。
宗教団体自体も
その宗教団体に帰属する信者さんも
批判・攻撃する必要ってあるのかな?
と、考えられる人が、私は個人的にオーセンティックな仏教マニア、仏教学習者であり
畢竟、そう言う人が仏教徒なんじゃないでしょうか? 例えば法華経を研究してきた人は
涼州にいおいて国策事業要員として実質軟禁された鳩摩羅什が
10人(多数という意味の10)の美少女達とセックスしながら
法華経訳を完成させたのですが、まあ法華経研究者には常識ですわ。
この話から、12歳の美少女と(当時の中国は女性が1番美しいのは12歳という文化的共同意識があった)
セックスしてたから、鳩摩羅什の法華経は意味が無い!
と言うような物です。
鳩摩羅什が12歳の美少女と(姚興の美意識で選ばれたのだろうけど)セックスをしながら
法華経を訳していたとしても、鳩摩羅什の法華経の価値は、別問題ですよね? >>749
政治と宗教の段階、アドバイスを求める政治家の姿と言う構図は、
太平洋戦争末期に、禅僧の山本玄峰師が的確な助言を要路の政治家にしている。
この辺りが宗教と政治家の接点の理想形?なのかもしれない。
所が、某宗教の現指導者は、自質的なK党のオウナーであると全ての国民は知悉す。
この御仁が、お眼鏡に叶う人物を指名し国選に立候補者として出すのをご存じだろう、
其れのバックアップをわたくしが指令しやらせるのだ!と申される。
芽出度く当選し、その代議士は何をするか?法案提出と予算配分と税金の使途に関わる職務だ。
その職域にK党オウナーの使嗾と影響力は絶対に在るとほとんどの国民は確信していると推測。
詰まり、宗教としての領分を護り宗教一筋に活動するのが本分じゃないのか。
かくしてK党オウナーの信者以外は内心を表明したがっているのだ。 >詰まり、宗教としての領分を護り宗教一筋に活動するのが本分じゃないのか。
それこそ「それはあなたの感想ですよね」ですよ。
ローマ帝国の時代から宗教団体は政治に利用され、政治を利用する歴史が続いています。
ここで、区別をつけなければならないのは
「宗教」と「宗教団体」とは別物だとの認識であり。
さらに「宗教」というものは「論証でき得ぬ信仰」と「哲学的構造分析する対象物」
と区別をする事が大切だと思います。
私にとっての仏教は、哲学的構造分析をするべき対象物でしかないのです。
ですから、どこの宗教団体が、どうのこうの、という話題には全く興味がありません。
宗教を語る人の重要な失錯行為は
哲学的な仏教においても
共同幻想的な宗教団体においても
ユーザーエクスペリエンスを
無意識的に無視してしまう所では無いでしょうか?
この区別をつけないまま考え続けてもシナジー効果は、絶対に出てこないですよ。
どちらにおいても概念的な展延性は無いからです。
この事を仏教は示しています。 法華経の思想・文学性で特別な事を感じるのは
例えば方便品において多数の聴衆が退場する作劇。
法華経を完読すると退場というスペースを確保する行為が
そのスペース確保行為が次に来たる物というトポスを投入する場の確保だと分かる。
ここが法華経の特徴的な所だ。
様々な仏典が存在するが、グノーシス主義的な欠損を仏法に取り入れた仏典は
法華経しか見当たらない。
過去に霊鷲山で語ったという法華経 book 1 と、今読んでいる法華経法華経 book 2
(この法華経自体が法華経を語っているというパラドキシカルな作劇)
これは今読んでいる法華経 book 2に、欠損が必要だったのでは無いだろうか?
一体、何百人の人達が法華経をプロデュースしたりオーバーライティングしたのかは
絶対にわからないけれど。 >>748の続編 民主主義体制で、或る団体が議員を応援し当選に力を注ぎ
見事に当選させる、ありふれた事例です。
其れはあくまでも世俗生活の不備を指摘し、改善させると公約し政治に参加し
社会改善(内容目的人によって違います)に取り組む訳です。
では公明党のオウナ―、池田さんの事例を見るとどうでしょう。
ザックリ言って彼の偉大な?目的を初手から分析します。
日本の政治を奪い取り、自らが政界と社会の指導者になる。
其の時には皇室も南無妙法蓮華経と題目を唱える事に決まる、皇室の為の仏壇が
既に製造されていた、という噂は根強いもの。
幸いな事に極東アジアと世界平和の為にも完全に挫折して「嗚呼良かった」なのです。
何故彼の意図は遂げられなかったか?は次の機会に記述します 法華経は自ら法華経のメタファーを分断している。という見方をしてしまう時がある。
安楽行品をを注視してみると、一瞬アイコニックなメタファーを否定しているような書き方だ。
この安楽行品の前後のチャプターで文脈を読み取ろうとすると
この安楽行品を境に、読者に見えやすい物と、見えにくい物というサブスティテューションを
分断しているように感じる。
法華経を作った人達は、初めからアヴァンギャルドとキッチュの境目を意識していたのだろうか?
法華経は読めば読むほど味わいがある。 >>755 まあそういう感想なんでしょ、法華経は文学作品ですからね。
>まあそういう感想なんでしょ、法華経は文学作品ですからね。
紫式部は法華経の理解者で何度も法華経読書会が行われていた。
と聞かされていたけど、実は紫式部の兄が(当然インテリ貴族なんだけど)
主催していたらしいね。法華経にハマったのは兄の方だと分かって来ている。
実際は女性の地位向上を目論む紫式部が男勝りに参加したのだろうw
紫式部は研究が進むほど地雷女だという事がわかって来た。
紫式部日記の宮廷に入り込んだ経験から宮廷暴露本を書いたり
特に清少納言への罵詈雑言は、まるで2ちゃんねらーみたいだw
あんな人が法華経を理解出来る筈がないw
って言うか敵を作って攻撃する意志と行動原理を
法華経は全否定しているのに、、
紫式部は法華経を読んでも、読めなかったのかな?
そんな人だから大長編エロ小説・源氏物語を何巻もかけたんだろうw
やはりワクチンは有害!?「ワクチンを接種した人々がこれほど多くコロナになる理由」研究論文が話題 抗体依存性増強(ADE)が起こる可能性★75
/newsplus/ 1629881322/
もう一度確認させて下さい。
大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。
大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。
出典 仏像ワールド
https://www.butuzou-world.com/dictionary/nyorai/dainichinyorai/ お経は所詮、悟りの手助けとなる方便だよ。お経の内容それを知るだけで悟った事にはなり得ない。
どんなに素晴らしいお経があっても、それを読んだだけでなく、その先に到達しないとダメだ。 スレチな政治の話出てたから言うけど、池田の手法ってほぼほぼ一日一善おじさんと同じ手法だわ。
違うところは一日一善おじさんは、株で成功して工作資金自分の金から生み出したけど、
池田の場合は宗教を利用して会員から集めたとこやな。
あとは割りとよく似てる。
ただ手法は似てるけど、政治思想的にはどうなのか謎。 >>760
>お経は所詮、悟りの手助けとなる方便だよ。お経の内容それを知るだけで悟った事にはなり得ない。
先ずそこへの理解が先立ちますよね。
今まで法華経の広布を個人で行なってたんですけど、その問題の認知の不全を多々感じます。
先ず、無宗教の人と法華経の話をすると必ず聞いてくるのは
「それって何をキャラクタライズしているの?これは何の為のどういう意味でのメタファーなの?」
と、聞いてくれます。無宗教の人は初めから理解しているんですね。
逆に法華系日蓮系を始め、宗教を持っている人は、例えば方便品の話になると
いきなり方便品の読経を初めてしまう人が多いんですよ。
これ、ちょっと考えて下さい。ソレって必要でしょうか?
私はここに、ちょっとした怖さを感じます。
法華経に限らず、毎日読経をしている人程「その先へ行く」ためのポテンシャルが低いんじゃないか?
と、不思議な感じになりません?
毎朝、納豆と味噌汁を食べる事も、オレンジジュースとシリアルを食べる事も
毎日の習慣ですけど、実は朝食にこれらを取る栄養学的、生理学的、生化学的理由はあるのです。
普段は、そんな事を感がなくても良いのです。何故なら毎日の習慣ですから。
しかし、仏法においては「習慣」をソシオメトリー(ソシオメタリカルな)的な
観察と分析が必ず必要になります。
それが無ければ、お経の理解=読経=意味の分からない呪文
という式が成り立ち、お経を読めば読むほど仏法から遠のいてしまう事になります。
(続く) (続き)
「古池や蛙飛び込む水の音」という芭蕉の俳句。
これ、表層的テクストだけを重視したら、芭蕉が何を言ったかはわかりませんよね?ただ蛙が池でぽちゃんと音をさせたんだな、ぐらいの認識でしょう。
芭蕉は短い文学・俳句の文字の下に強烈な悟りの境地を表しているのですが、それに気づくにも読者の知との化学反応が必要なのです。
私は常に「その先の話」を実は広宣流布するのが目的なのですが、その前段階として
法華経なら法華経(ソフトコア仏典。対するハードコア仏典はスッタニパータ)で
キッチュ的な表面読みから文学のアナロジーを解説して、とにかく「私の言う事が正しいか?間違っているか?確認して見てよ」と言っています。
とにかく>>760さんが言う事自体を他者に理解させるのって難しいですよ。仏教に興味を持っている人達にだけ語っていてもね。
以前、仏教に興味を持ち始めた大学生と話をしていると、彼は語ってくれました。
「子供の頃から家族全員で朝食前に般若心経を読む家だったんですよ。訳は分からないけど有り難いお経何だろうな、と思っていました」
「でも最近あらためて現代語訳の般若心経を読んで見たら、物凄く哲学的で、そういう哲学的意味で重要な事が書かれていたんですね」
「私の両親は今でも、それに気づかず、毎朝実家で般若心経を唱えてると思いますよw、、、全く!」 宗教団体や、その信者さんは仏法と別の哲学的マテームとして、批判も何もしないけど
宗教団体無関係の人の仏法を学ぼうとする問題って
自分自身で内在的な価値を、衆愚政治の有権者(順応主義者)にしてしまう誤謬も少数あると思う。
例えていうと、自分自身の知的活動と思惟から、ドン・キホーテの様に
風車に突っ込む様な人も、ごく少数ではあるが、いるのだと思う。
(霊能おばさんやオカルト少年少女という意味では無くね) >>759 密乗が仏教の最終ランナーとして現れて競技に参加するも
印度本国では敗退し、周辺諸国に阿闍梨が態々入って今も尚、命脈を保つ。
此の金剛乗の存在価値とは、偏に祈願成就であり、その
加持祈祷の効験を衆生に顕せるかにかかる。
上の四行を解説するとせば、膨大な量の原稿用紙が必要となる内容を含む。
759氏の論はかえって君の信じる密乗を損なうゆえ、投稿はお止めなさい。
その論と法を現生させよと、責められた時に出来ますか? 鳩摩羅什の妙法蓮華経の化城喩を中心に、一つ特徴的な訳がある。
それは三乗の菩薩乗の意図的な「隠し」だ。
情報空間と物理空間の間に現れるのは臨場空間だ(ナーガールジュナの空観)
これに関連する部分を鳩摩羅什とサンスクリット写本を比べてみると
どうしても、鳩摩羅什は、何らかの意図を持って菩薩乗を隠さなければならなかったようだ。
何故だろう?
1・鳩摩羅什はインドから中国へナーガールジュナの仏法を伝える事を第一義的に考えていた。
2・妙法蓮華経翻訳時、鳩摩羅什は美少女達とセックス三昧であった
3・姚興に対する怒りが沈まらず、ワザと誤訳した。
4・ワクチンの副反応で頭が回転しなかった
一体、どういう訳で菩薩乗と声聞・独覚を「特別な形」で区別したのだろう?
クライアント・姚興の要望?企画書?契約上の問題? すまん。重要な部分を間違えた
誤)情報空間と物理空間の間に現れるのは臨場空間だ(ナーガールジュナの空観)
正)情報空間と物理空間の間に現れるのは臨場空間だ(ナーガールジュナの『中観』) 妙法蓮華経を語ると、結局ウィトゲンシュタインについて語る事に、何故なるのか?
一体どういう理由で鳩摩羅什がナーガールジュナのテクストを得たがったのか?は分からない。
現在、知れる事、つまり仏教研究家のナーガールジュナの集合知はこうだ。
1・釈尊は存在論と認識論を批判している。これこそ楽な生き方だ!と
2・仲間に全てを教えたいが弟子は全てを理解出来ないから自己啓発的な所だけ教えてやろう。(方便品と同じ意味)
3・存在論や認識論に対する論証可能性、不可能性について釈尊は語ってくれなかったけど下位概念としての生き方についてはたくさん教えてくれた。後世に伝えたいから結集でまとめようぜ!
4・サンガ「釈尊のレジュメから存在論と認識論。作れんじゃね?」
5・「でも俺たちが作ったとバレると説得力に欠けるから釈尊先輩が言ったことにしようぜ!内緒でな!」
6・サンガの中の理屈ぽいスノッブが言った。「よその宗教や思想家の論戦に勝つ為に理論を整備しようぜ!」
7・釈尊が言った事以外にもバラモンやジャイナの利用できそうな部分もパクって釈尊が言ったって事にしようぜ!
8・サンガはこの問題で内部分裂。内ゲバ。お互いが「お前らの存在論と認識論にパラドクス無くねぇ?」
9・説一切有部が自信満々にしゃしゃり出て「理論武装できている!法則は存在する!」
10・哲学者ナーガールジュナが遂に登場!「存在するという考え自体が、そもそも言語機能によって作り出された極論!或るとも無いとも言えない物を在ると言い張る説一切有部は、元からしてシニフィエとシニフィアンという共同幻想いわばお伽話を信じる子供と同じ!邪魔な奴らだ!」
あえて、下位概念的に書いて見たが、これは東京大学にて大森曹幻先生、中村元先生が1番強調していた。
東洋思想・東洋哲学の思想史として集合的な知として理解しろと徹底的に指導していた。 特にナーガールジュナは(竜樹は)
小乗仏教の特徴である「功徳」 「ご利益」という物を
バッサリ切り捨てた。
小乗仏教の「信仰によってご利益がもらえる」という思想は
「現実逃避」 「自己欺瞞」 でしか無く。
釈尊の哲学とは真逆である事を訴えた! 「大森曹玄」師匠の名前を間違えてしまった。
ここにて、訂正。 ジョージ・バークリー
デヴィッド・ヒューム
マルクス・ガブリエル
「物質は存在しない。世界は存在しない。なぜなら存在は意識の当体自身の表象だから!」
バークリーさん、ヒュームさん、ガブリエルさん!
法華経を読まないで、よく自分でソコまで、たどり着けましたね! 「あなたは、だーれ?世界は何処から来たの?」(ソフィの世界)
その時、釈迦族の聖者の如来は、十方よりおいでになった諸々の分身の仏を、各々本土に還らせようとしてこう言われた。
諸々の仏よ、安んじる所で随意にしたまえ。多宝仏の塔よ、帰って元のようにしたまえ。
この言葉を言われたとき、宝石の樹の下の獅子座に坐っていた十方の無量の分身の諸仏、及び多宝仏、
並びに上行菩薩らの無辺阿僧祇の悟りを求める修行者の大衆、
舎利弗らの自己の悟りのみを求める修行者や、出家者の男女と在家者の信士信女、
及び全ての世間の天人・人間・阿修羅らは、
仏の説かれるところを聞いて、皆大いに歓喜した。 犯罪者が居なければ警察いらない
火事が無ければ消防いらない
病気がなくなれば医者いらず
悪が消えれば善もない
生きるもの全てが安穏と生きる時代に法華経の役目は終わる
それこそ如来の誓願だろう >生きるもの全てが安穏と生きる時代に法華経の役目は終わる
違う!
それは絶対に違う!
「生きるもの全てが安穏と生きる時代に法華経の役目は終わる 」も方便だし
「全ては帰れ!」と言った釈尊も方便。
私達が読んだ事もない、架空の法華経について、法華経自体が一生懸命語っている。
そして、法華経自体が法華経を終わらせたんだよ。
法華経は「引き算の仏典」として読むべき経なんだ。
法華経は、対立二元論を喩えとして用いながら
対立二元論を否定するというアクロバティックなナラティブ・リテラシーを持っている。
そこを、どうか読んで欲しい。 法華経はご教訓じゃない。
法華経は道徳じゃない。
多くの人が誤解している。 >>776
誰も誤解してないよ。
教訓も道徳も無内容な法華経には皆無なんだから。 >>776 誰が伝承したお経か判らない内容では
釈尊の説法で在るとの判定は在り得ません。
何種類もの漢訳、サンスクリットからの現代翻訳、チベット語版。
夫々の付け足し、削り落とし等々。
目に余る程のアレンジが加えられました。
釈迦佛の言葉は真であるにしても、此処に見られるのは釈迦の御言葉と偽り、
釈迦とかけ離れた華麗なる文学作品であります。 >>778
これ基本なんだけど
どの仏典でも、釈迦の直説じゃないよ。
ソクラテスと同じ様に、一人一人語りかける方法で釈尊は何かを語っていたんだよ。
それが何かは分からないが、多くの仏典には共通するものがある
釈尊は存在論的論証にも認識論的論証にも価値を置いて無いらしかったという事だ。
弟子たちは結集によって企画会議をしたはずなんだよ。
それは様々な弟子に個別的な考えや、グループディスカッションでの言明やその伝聞によって
マルチモーダル的に釈尊の思想を再現しようとした。本来それは無理な事だけど。
それゆえ再構築としての仏法であり、多くの人が下位概念をどう伝えたら良いのか?
と考えたから、あれだけ多くのお経があるのさ。
よく「なになに経は釈迦の直説じゃ無い」という人がいるが
「釈迦の直説じゃ無いに決まってるじゃ無いか」と知性的な人は読んでいる。
4福音書とパウロ書簡は、ナザレのイエスが書いたものでは無い。
マタイによる福音書とルカによる福音書には矛盾する部分がある。
でも聖書には4福音書とパウロ書簡を合わせて、聖書として読んでいる。
私達が読むべきものは、以下に後世の仏教哲学に魅了された人々がどの様な形でリプレゼンテーションしてるか?
という作品と彼ら達の熱情である。
遠藤周作の「イエスの生涯」と「キリストの誕生」を読んだ人なら分かるだろうけど
ナザレのイエスも、釈迦族のゴータマさんも、後世の弟子達によって
キリストになり、ブッダになった。 仏典というのは
名も無き哲学者
名も残らなかった哲学者達の
自然共振観によって
構成されている 西洋美術のモチーフとして利用される「サロメ」
様々な画家がサロメを描く。
同じ物は一つも無い。
ギュスターブ・モローに日本人が会いに来た。
日本人は言った「モローさん、あなたの書いたサロメは本物のサロメなの?」
人類、初めて洞窟の壁に動物の絵を描いた男がいた。
そこへ悪魔が来て囁いた。
「ほー、、なかなか上手く描けてるね、、でも、これが芸術と言えるのか?」 >>779 778ですが、「そんなことはとっくに知ってる」人も多々居ます
然し乍ら、かの日蓮はこれ法華経の全部、釈迦の残した真実の金言と見做します。
其れが真実そうだったら、幸福なのですが「特大の残念賞」に相当してますよ。
そのズレを糊塗し、教学を構成する人たちが、夢の様な嘘くさい教学論を
「日蓮って」このスレッドタイトルに即する文を投稿する。
誠に珍無類じゃないですか、と同意を求めるのも臭いですね。
>>782
だから「宗教」と「宗教団体」について語るのは別の事だと言っているんだよ。
宗教団体が教える仏法と言うのは、仏典のリプレゼンテーショでは無くて
ただのリコンストラクションと言うだけの話で
真面目に一人で仏法を学ぶ人間にとっては数多ある宗教団体の教学には全く興味が無い。
宗教団体の教学が間違っている!と批判する気は無いし、本当にどうでも良い問題。
それらは宗教団体と信者さんというコミュニティおいて価値を持つならば「それはそれで良いじゃ無い?」
と、全く興味が無い。 私の心にかすりもしない。
宗教団体の教学は、オリジナルの思想だ。
仏法を一人で真剣に学ぼうとする人間には、本当にどうでも良い事。
歩いていたら道に白いクリームに見える物質が落ちていた。
「これは誰かがシュークリームを歩きながら食べて、生クリームを落としたのかな?」
「それともアイスが夏の暑さで溶けて落ちたのかな?」
本当に、どうでもいい。 仏法の時間の幅。
サティやマインドフルネスなどから、仏教においても「縁起の時間の幅は0と見るべきか?」
という議論がなされている。(哲学の世界で)
仏法自体が同時なのか?時系列的なものなのか?
という議論だ。
もし時系列的なものなら、不可逆的になるし
同時なら、可逆的に消す事が出来る。
でも、仏法を語る人は結局、不可逆な時系列的な物しか語れていない。
「空」という概念に質量は無くても
情報という系は存在するかもしれない。と考える人はなかなか出てこないんだよ。
(宗教団体の信者さんは、この私の書き込みを無視して下さい) 日蓮遺文を読んで、「日蓮は間違っている」という事は出来ない。
出来ないのは、日蓮御書の文言の底に潜ませたメタファーを読もうとしないで、日蓮批判は出来ないという事。
御書を見ると多くの往復書簡が存在するが、これは不特定多数のお読者だけの著者では無く
対象となるべき相手に対しての文言。ここに文章自体の普遍性だけ見ていては危ない。
その手紙を出した相手が、どういう人で、どういう関係、親しさなのか?
分からなければ文の底にあるメタファーはまず紐解けない。
宗教団体さんなら「千日尼と言う人はね、、コレコレこういう人で、、、ブラブラブラ」と
教えられるのかもしれないけど、そういう宗教団体の仏法教学って信者さんという対象に対しての
需要予測と宗教法人理念への理解のツールとしている部分もある。
何度も言うけど、それ自体が悪い訳じゃない。宗教団体によって心が幸せになれる信者さんもいるんだからね。
でも、問題は誰も日蓮さんに会った事が無いし、話した事も無い。
日蓮さんは遺文を残してくれたけど、文言と言うのは読者とのインチュイションや心の化学反応
によって様々な解釈ができてしまう。
私が御書を初めて読んだ時「なんだ?これ?日蓮ってオカルト坊主かよ?」と侮蔑していた。
その後、法華経を完読し、その後に再び御書を読んでみると
そこに見えたのは、日蓮がまるで子供の様に嬉々として法華経のアイコニックなメタファーの変奏と
人気のアイドルの髪型を少年が真似するように日蓮はレトリックが至る所に散りばめてある。
ここから日蓮探求の門になるのでは無いか?と、私は法華経の完読を勧めている。
ここを省略しては、日蓮への理解、探求は始まらない。
私が法華経を読み始めたのは、あれだけ法華経を喧伝していた日蓮さんが
俺イズムの原理主義者では無い部分が書かれていたから。
日蓮さんの当時の弟子達への不安・怒り・愚痴をあれだけ御書の中で語っている、人間性に少しは価値があるのかと思い、私はもう少し日蓮を理解しようと決めた。 >>785 日蓮の人柄は実に魅力在ると思いますよ。
何方が云ったか忘れましたが、漁村から出てきた思想家ってこの人くらいで、
他に思いつかないと語って居ます。
法華経を語らせると「いまだに日本一」なんでしょうね。
然し私は、日蓮生涯の痛恨事の天台密教の習得が叶わない悔しい貧困の事情と
その後の放浪生活と空海への怨嫉等々、まことに血が熱い人生と思う次第。
日蓮の修めた仏教は時代錯誤が目に付き過ぎます、詰まり近代仏教の知識ですな。
わたくしは、親身なるお付き合いを途中で放棄しました。 >>786
スィフトの「ガリバー旅行記」の「フーイムの国の章」で
ガリバーは目撃する。馬と人間しかいない。
人間は野蛮で欲を満たす事を渇望する餓鬼さながらの原始人ヤフー(スウィフトは人間のプロトタイプを描こうとしている)
かたや馬は知性的で言葉も話し、平和に生きるために全てを合議制にして聖なる共同体を作ろうとしている。(形而上学的な視点から知性を描こうとしている)
ガリバーは知性的な馬フーインにイングランドの正義の解釈の不全を、こう話す。
「弁護士は、法廷で意見を述べるときには、
かんじんの訴訟問題が正しいか間違っているかという点には、わざとふれずに、
本題とは関係ない細ごましたことを、大声をあげ、
ものすごいけんまくで、うんざりするほどくどくどと、まくしたてます」
それまでフーイング認定されたガリバーだが
ヤフーと一緒に宝石を掘ったり、ヤフーの女とセックスするのを目撃され
フーイン「お前も、ただのヤフーでは無いか!国境まで送って行ってやる。もうこの国には入ってくるな!」
と追放される。
スウィフトは対アイルランドや対スコットランドの、イングランド経済・政治政策を風刺する為にガリバーを書いた。
しかし、このガリバー旅行記は文学性が高い。文学として楽しめる。
さあ、ここでだ
・ガリバー旅行記は全編読むと(日本では短縮版が多い。ガリバーが日本に来た部分は削除されてる)
イングランドへの社会批判。つまり社会的メッセージである。
・ガリバー旅行記の壮大な叙事詩的ドラマツルギーやアレゴリーとしての完成度の高さに
魅了された人々は世界にたくさんいる。その「魅了」の中に社会性を抜きにしても面白いという人達もいる。
もう一度、ガリバー旅行記から引用。
本題とは関係ない細ごましたことを、大声をあげ、
ものすごいけんまくで、うんざりするほどくどくどと、まくしたてます」
仏法を語る人の中にも、似たような人がいますよね?見た事ありますよね? >>786
>日蓮の修めた仏教は時代錯誤が目に付き過ぎます、詰まり近代仏教の知識ですな。
私達の多くは鎌倉幕府の成立を「いい国つくろう鎌倉幕府」(1192年)と語呂合わせで覚えました。
今の中学生、高校生は「いい箱つくろう鎌倉幕府」(1185年)と習います。
これは継続されていた歴史研究からの「今・現在の、集合的な知」なんです。
それでも「これは征夷大将軍の解釈の仕方により間違ってる」と一般人が言う必要があるでしょうか?
歴史研究に人生を捧げて来た多くの学究・専門家達の統一見解を、一般人がナンチャッテ講釈で対抗して良い物でしょうか?
天安門広場事件(第二次天安門事件・戦車の前に学生が立ちはだかるアレ)
天安門広場で多数の民主化運動大学生達が殺された。と誤報が日本に伝わりました。
実際は天安門広場で軍隊は自主的に撤退し、その代わりに学生達は無敵撤収という感動的な話でした。
中国軍も「何故こんな立派な考えと行動をする学生を敵にするのか?中国政府の方が間違ってるんじゃ無いか?」と。
でも中国共産党にとっては恥であるわけですから、厳しく報道を今でも行なっています。
知性的な日本人、大人の日本人なら、柴玲(チャイ・リン)が亡命先の合衆国から真実を話し
スペイン国営放送のノーカット版がTVで放送され、日本では朝日新聞が誤報掲載について謝罪文を出しました。
それでも「天安門広場で多くの学生が殺されたんだよ!」と得意に語る大人っていますよね? 誤字訂正
実際は天安門広場で軍隊は自主的に撤退し、その代わりに学生達は
『無血撤収』
という感動的な話でした。
中国軍も「何故こんな立派な考えと行動をする学生を敵にするのか?中国政府の方が間違ってるんじゃ無いか?」と。
でも中国共産党にとっては恥であるわけですから、厳しく『報道規制』を今でも行なっています。
知性的な日本人、大人の日本人なら、柴玲(チャイ・リン)が亡命先の合衆国から真実を話し
スペイン国営放送のノーカット版がTVで放送され、日本では朝日新聞が誤報掲載について謝罪文を出しました。 仏教は、新プラトン主義と親和性が高いだとか、いやスーフィズムの方だよ!とか
マルクスガブリエルとの親和性じゃ無いか?ポストヒューマン思想と近似だよ!
などなど、哲学の世界では(哲学者の基本的な共分散構造分析)的に考察が続いている。
パラリンピックが行われた。
ある日本人選手が金メダルを獲得した。
その人は10代の頃、交通事故で四肢損傷により身体障がい者になった。
女性インタビュアーが聞く。
「事故に会う前の自分に戻りたいですか?」
「いいえ!戻りたく無いです!」 この「いいえ!戻りたく無いです!」
を宗教団体の理念をオーバーライティングさせれば
それが「名字の言」や「寸鉄」になり「ドラえもんショー」にもなり得る
「大日蓮」にもなり「正法」にもなり得る。
それで、心の慰めを得られる信者さんが居るとするなら
批判する必要性は全く無い。 >>786
>わたくしは、親身なるお付き合いを途中で放棄しました。
この「途中で放棄しました」という言葉は
日蓮そのもの、スタンドアローンの日蓮を放棄した!という事でしょうか?
宗教団体が語る日蓮(アイコニックな日蓮)を放棄した!という事でしょうか?
例えば「実名告発・創価学会」の野口さん、小平さん、滝川さん達の
トークライブを聞きに行った事があります。
彼らは創価学会を批難し、さらに宗教団体と信者の関係性の社会的道義的不全をも
語っていたのですが、そんな彼ら自体が「新たな宗教団体パラダイム」を語ってしまっていたのです。
「実名告発・創価学会」3人が語っている事の問題点を抽出すれば
「私達は、ギブラを変えましたー!」
という事だけだ。
(私は心の中で、君達も創価学会と同じ方法でミラージュにコミットメントを置いてるよね?と思った)
何故、人間は宗教団体が無ければ実存を考えられない人がいるんだろう?
そして、そういう人達が宗教団体によって、生きる上での辛さから解放されて心の安らぎを得る。
上手く出来ているものだ。
私は「この宗教団体の信者である事に幸せを感じています」という人を否定は出来ない。
たとえそれが、パラリンピック選手の「事故に会う前の自分に戻りたく無いです!」という言葉の
意味と視座が全く遠く離れていたとしても。だ。 ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
【長塚裕二】ですけど
【日蓮大聖人】様は【天国】から
【創価学会】の【池田大作】名誉会長と
【憲法学者】の【小林節】名誉教授と
【新党大地】の【鈴木宗男】代表と
その盟友の【佐藤優】さんと
【講談社】の【野間省伸】社長らの
【大勝利と大成功と幸福】を祈っております
【日蓮大聖人】様は【天国】から
【諸天善神】様である
【新党大地】の【鈴木宗男】代表と
その盟友の【佐藤優=さとう まさる】氏と
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【大勝利と大成功と幸福】を願っています ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
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【大勝利と大成功と幸福】を願っています >>788
最近またその件の話やってて、全体からしたら多いかどうかは分からんがまあまぁの数が戦車で轢かれてるのテレビでやっていたぞ。
まあそれがウソ放送とでもいうかもしれんがな。 >>800
私が書いたのは事実証明がなされたのに、それでも誤謬を引き摺る人がいるという例で
「第二次、天安門広場事件において民主化学生は天安門広場で一人も殺されなかった」
という例を用いた訳です。
それ以外の所では、被害者は出ていました。
その報道を見た人が、民主化学生が天安門広場で殺されたと、混同している事も
認知の不全ですよ。と言いたかったのです。
NHK放送ライブラリーで、多くの証言者が出演した
「NHKスペシャル」だったか?「NHK特集」だったか?で視聴出来ますよ。
それから国立国会図書館にて朝日新聞の、民主化学生が殺されたという誤報に関する
朝日新聞社の謝罪文も読めますよ。 Twitter上で某言論人が、某地方公共団体の動きについて
その地方に長年続く人権と利権が形成され、地方自治体も専門課を作ってしまい
その既成事実から改めて考えようと、詳細を語ってくれたのですが
多くのリプには、「どんな証拠があるんだ?資料を示せ!」という人達が現れました。
その言論人は言いました。
「なぜ私に粘着して尋ねようとするんですか?ご自分で調べてみて、私の言ってる事が間違っているのなら、そこから私を攻撃したら良いじゃ無いですか?」
今やネット・中央官庁、CiNii論文、国会図書館、NARAに対するパブリック・アクセス権が行使される時代です。
しょうわ時代なら、証拠を出して論拠を説明する事は大事な事ですけど
今は、たとえGoogleやらトレンドブログや掲示板などの玉石混交の状態であるネットですが
その中か真実の情報を得る方法を知らない人が多く、そういう人達が他者の言葉尻を捕まえて
飢えた魚のように食いつく状況が日常化していますね。 ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
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【対話と対談】をして欲しい【超大物】の
【ランキング】の順位を発表します
1位【池田大作】創価学会名誉会長
2位【小林節=こばやし せつ】名誉教授
3位【ロシア正教会】の【クリル】総教主
4位【ロシア】の【プーチン】大統領
5位【ヴァチカン】の【ローマ】教皇 ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
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1位【池田大作】創価学会名誉会長
2位【小林節=こばやし せつ】名誉教授
3位【ロシア正教会】の【クリル】総教主
4位【ロシア】の【プーチン】大統領
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1位【池田大作】創価学会名誉会長
2位【小林節=こばやし せつ】名誉教授
3位【ロシア正教会】の【クリル】総教主
4位【ロシア】の【プーチン】大統領
5位【ヴァチカン】の【ローマ】教皇 ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
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1位【池田大作】創価学会名誉会長
2位【小林節=こばやし せつ】名誉教授
3位【ロシア正教会】の【クリル】総教主
4位【ロシア】の【プーチン】大統領
5位【ヴァチカン】の【ローマ】教皇 日蓮を調べようとする。
取り敢えず御書を読む。
でも、何か訳の分かれねえ奴だなぁ、、日蓮って統合失調症かよ?と思う
次に、でもここまで日蓮の名が残るには何か理由があるはずだ
よし、日蓮が盛んにパブリック・リレーションしていた妙法蓮華経・法華経を読んでみるか
妙法蓮華経を一回全て読んでみたら、日蓮が何故あんなおかしな事を書いていたかが分かったわ
御書のテクストって妙法蓮華経からのアナロジーを利用したトポス小説だったんだ!
分かった!
余計な雑音。誰かさんの言葉や、どこぞの団体が発する言明と文言を全てシャットアウトして
妙法蓮華経を読むと、気づかされる物が多々ある。
まるで、ニーチェの箴言・アフォリズムのように。
ニーチェは冒頭に書いてある
「誰にも読めるが、誰にも読めない本」 ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
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1位【池田大作】創価学会名誉会長
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5位【ヴァチカン】の【ローマ】教皇 ボクは 茨城県の取手市の戸頭に住む
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【諸天善神】様である
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【ランキング】の順位を発表します
1位【池田大作】創価学会名誉会長
2位【小林節=こばやし せつ】名誉教授
3位【ロシア正教会】の【クリル】総教主
4位【ロシア】の【プーチン】大統領
5位【ヴァチカン】の【ローマ】教皇 ここでもう一度確認しておきます。
大日如来は「金剛界」と「胎蔵界」という2つの世界に存在します。
「金剛」とは大日如来の智恵はダイヤモンドのように絶対に傷つかないという事を表します。
「胎蔵」はすべてのものが大日如来の中で、胎児のようにやさしく包まれていることを意味します。 野沢十二流を例にすれば(あくまでも説明しやすい、皆んなが理解しやすい例として出した)
十二派に分かれた、それぞれが(観察すると)
それぞれが異なったイニシエーションが存在する。
そのイニシエーションは入り口だけではない。需要なパラグラフとパラグラフを
接合するエソテリック(エゾテリスム)なプロトコルとして機能している。
これに共鳴出来る人は別に良いのだが
絶対無理!私には分からない!という人も出て来る。
仏法の間口は広い。
別の入り口を探す方が良いに決まっている。
ただ、それはたった一人で、実存主義的に内的なリバタリアニズム的に
自由に体と心を動かせる、スペースを先ず確保しなければならない。
方便品の中途退場の大勢は、そのスペースを作るために登場した。 そんななかったらしく一般人に分かりにくいにくいような文章書いても、なんら他の人の心に訴える事は出来ない。もっと噛み砕いて分かりやすく語れ。
まずはカタカナで書いてるような言葉を多用するのやめるのがいいと思うよ。 >>813
>もっと噛み砕いて分かりやすく語れ。
どのスレでも、そう言う人達が出現するが
それをしてしまうと、余計わかりにくくなってしまうんだよ。
あなたも経験した事あるでしょ?
宗教の勧誘に来た人が、分かりやすい言葉とわかりやすいステレオタイプ、門切り型の
言葉で盛んに聖書を開きながら勧誘する人達。
ここで、落ち着いて彼らの言語論理をチェックするとね
分かりやすい言葉にする事によってヒューリスティックな概念しか語れて無いんだよ。
本人も教義を理解しているのか?理解している気でいるのか?分からないけど
「分かりやすく話す事は、宗教や哲学においては間違っている。不純物を生成してしまうから」
「何故、皆が、わかりやすさを、求めたがるのか?」
という記号論理学と認知心理学、行動心理学の理由はあるんだけどね。
それは全く、このレスの流れに沿わないし、スレにも今のところ沿わないから省略するけどね。 ならねえよ。一般人には細かいところまで突っ込んで考えないんでザックリの方がわかるんだよ。
厳密に言葉を選んで議論するのはある程度わかった連中でやる時だ。
お前はわざとグダグダ言葉を並べてるだけだ。 >>815
>一般人には細かいところまで突っ込んで考えないんでザックリの方がわかるんだよ。
私はザックリとしか書き込んでませんよ。
細かい所まで説明したら、膨大な量の文章になってしまいますよ。
もう一度、確認んしてみて下さい。
私がザックリとしか書き込まない理由は
上位概念は下位概念を包摂する。という理由です。 >>815
>厳密に言葉を選んで議論するのはある程度わかった連中でやる時だ。
このスレは仏教哲学に明るい人達が集まる唯一のスレです。(この板においては)
レスをするか?しないか?言質文言を書き込むか?書き込まないか?
人それぞれでしょうが、読めてる人には読めている筈ですよ。
私も仏教哲学愛好家の友人達と色んな話をしてきた人間なんですから。 そんな詳しい人が見てると思ったら大間違いだよ。
そんなの一握りさ。しかもその人らが書き込むとも限らん。ざっくり書いたつもりと言うが、まだまだもっとザックリにしなきゃ無意味。
専門的にやりたいなら寺社スレに行きなよ。 >>818
>専門的にやりたいなら寺社スレに行きなよ。
私は日蓮御書の「誤読」と言う問題を目の前において言葉を発している。
だからえ、このスレに書く。
御書の「誤読」は、妙法蓮華経の「未読」
または妙法蓮華経の「誤読」に起因する。
日蓮の代わりに、私が法華経に向き合う事を皆に示したい。
妙法蓮華経・法華経を誰にも頼らず、一人で読み進める事を
広宣流布したいだけだ。
畳の上で水泳の練習を幾らしてもダメだ。
人の話を、いくら聞いてもダメだ。
プールに飛び込んで初めて水泳の学びが始まる。
法華経を自分一人で読んで、初めて仏法と日蓮への学びが始まる。
だから、このスレを選んだ。
キリスト教系エキュメニズムの話はファイスブックでしている。
禅宗と真言宗に関してはTwitterでしている。
ファイスブックもTwitterも法華経と日蓮について語ると、必ずおかしな奴が出て来て絡んでくる。 >>811 ここで真言秘密の話をしても無駄ですよ
法華経の陀羅尼品密教の記述は、当時の印度国内で民衆に
普及する密教の教義について、一般常識を窺える貴重なものでしょう。
ヒンズー教徒に対抗するために、仏教側が作品として出版した可能性も在ります。 8月29日には創価学会学生部の教学試験がありました。
今回の出題範囲は「立正安国論」と「顕仏未来記」などから出されました。
顕仏未来記に云く
「難じて云く汝は大慢の法師にして大天に過ぎ四禅比丘にも超えたり如何、
答えて云く汝日蓮を蔑如するの重罪又提婆達多に過ぎ無垢論師にも超えたり」
日蓮を軽蔑する重罪は提婆達多(だいばだった)の犯した逆罪に過ぎ、
無垢(むく)論師の罪にも超えていると述べられています。
このスレで日蓮大聖人様を軽蔑するのはやめましょう。 問い
当時の日蓮の精神状態を精神医学を用いて説明せよ。 提婆達多は過去に仙人で過去のブッダに知識を教えてた御方
>>821
これは日蓮師の誉め言葉として受け取る >>821
顕仏未来を読むと否定から入って、肯定に転ずる倒置法が散見されますよね。
ここなんですよ。法華経を読まない人にはただの「自己言及のパラドクス」にしか見えないい。
日蓮がどの様な方便で書いたのか?分からず表面的な字面しか読めてないから。
こういう語法・叙述は法華経からの引用なんだな!と分かる人で無いと読めませんね。
文章の底に、そのようなトリックが実は多数散りばめられてますよ。
とにかく法華経を読みましょう。
ディーバダッタに関して増一阿含経と法華経では解釈が違います。
法華系日蓮系の信者さんでも、ココを混同している人がたくさんいます。
法華経では聖パウロや洗礼者ヨハネ、イスカリオテのユダの様に
人間の業と戦った天王如来として扱っています。
法華経や法華経の登場人物が本当に、そういう人だったのか?
そもそも法華経自体が過去の客観的事実と認めて良いのかどうか?
ここに執着すると、法華経の『法華経が法華経である確からしさ』は無くなるのです。
こういうネクサスで法華経は書かれて居ます。それが分かれば日蓮遺文も意味が分かりやすくなります。
この解釈は法華系日蓮系や浄土真宗、曹洞宗の集合知になっています。
とにかく他者から聞いたぶつ切りの解釈では無く
自分だけを頼りに、妙法蓮華経を完読して下さい。
日蓮が何を言いたかったのか?少しは分かるようになりますよ。 >>822
>当時の日蓮の精神状態を精神医学を用いて説明せよ。
ジミー・ホッファーが、どの様な精神状態だったか?
あなたは語れますか? >>823
>提婆達多は過去に仙人で過去のブッダに知識を教えてた御方
>これは日蓮師の誉め言葉として受け取る
ここなんですよ。こういう事を考えなきゃならなくなるのは
「妙法蓮華経」と「宗教団体」を、同じ視点で考えてしまうという間違いが起こるのです。
宗教団体を否定はしません。信者さんと仲良くやって下さい。幸せを感じて下さい。
でも
妙法蓮華経・法華経自体を学びたい人は、宗教団体からのパブリケーション、言明を
ノイズキャンセリングして、一人で学んで下さい。
禅宗は一人で学ぶと危険ですが
法華経は、複数人で学ぶと超危険なのです。 超危険って? 何の事でしょう?
仕事で米国人や英国人と一緒に働くと
彼らは事あるごとにシェークスピアのマクベス第5幕からのセリフを引用します。
しかし、その引用たるや、マクベスという作品を一度も完読してない人の
「一応こう言っとけば、形はつくだろうw」
というような、無責任な言葉なんです。
そんな人達の言葉を信用してしまっては、、、、、、、、、終了 >>822
妄想性パーソナリティー障害だろう。
布施をよこす信徒に宛てた書状を見る限り冷静に相手の心理を操っていることから統合失調症ではないと思われる。 ドン・キホーテの様に風車に突っ込んで行った情熱の人かも知れないけど。
仏法って説明して伝わるもんじゃ無いしね。
人間・日蓮と一緒に暮らした人は今いないから、何も分からないけど
仏法って説明して伝わるものじゃ無いからね。
ゾウが卵から生まれるとするなら重さはどのくらいかな?って考えてもさ
意味は無いよね。
日蓮について憶測を語れば、他者の憶測も尊重しなけりゃならない。
日蓮はヘロデ王かも、ネオかも、アガメムノンかも、バットマンかも、ハンニバルかも、、、、
それらの他者の憶測を尊重する義務も生じさせる。
日蓮について後世の人間が憶測で結論付けようとすると。
「死んだら行いによって天国と地獄に行くんだよ」 これに対して
「それは違う!」とは言えない。知性的な人なら。
そんな知性的な知的構造分析を利用し、初めから反論出来ないことを目論んで
持論を喧伝するのは、宗教団体の商業主義的なマネタイズ・ビジネスの作戦。
その様な宗教団体は少数派ではあるが、現実に存在する。幹部が東京拘置所に入れられた宗教団体のように。 20年以上前に神道と仏教を合わせた新興宗教のカリスマ教祖と信者との討論会があった。覚えている人もいるだろう。
これは信者側から、信者としての疑義を教祖に直接的に提示し責任ある回答を望む!という趣旨だた。
信者側からの反論は
1・不幸な事は、何故それが「不幸な事」と分かるのか?
2・「不幸な事」という概念を、神経はどのように伝達するのか?
3・神経から伝達された情報から、どのような機序で不幸な気分になる脳内伝達物質を
生じさせるのか?(自分という生体がどの様な機序でそれを選択させているのか?)
この討論会はカリスマ教祖・自身が何年も前から、信仰に関するホメオスタシスを語っていた事に対する、反論ではあるが
この討論会には、彼らの小さい宗教的帰属団体・社会構成主義の問題を離れて
重要な意味を示していた。
カリスマ教祖は正直に、「今まで私が語った自我・無我・非我は、偽我であった」
と釈明した。
この信者さん達の知性にもリスペクトするが、それに答えたカリスマ教祖のオーセンティックなスーパーエゴに感服した。
ここまで、教祖・幹部と信者さんが裸でぶつかり会う事が出来る、宗教団体を私は尊敬する。宗教団体としてだ。
彼らの教義・教場は私には受け入れられない物だったが。今、私はその話をしているのでは無い。 >>830人間は並みの知能なら、幸不幸何方に傾くか?未来予測が在る程度可能
>>829説明できない事情と云うのなら、その人ご自身は仏法の一分も得ていない人、
1修善奉行、2諸悪莫作、3自浄其意、4、是諸仏教の範囲で結構。就中
3番目を説く人が其れです、かの麻原尊師は3を説いた真似をし、騙しきれずに自壊。
1と2は道徳の範疇なので、過去大勢の坊さんが説きつくす類の話題で終始。
3は人情を踏みにじり飛躍せねば説けません。 思うに、日蓮大師は法華経で日本征服と云うような野望を抱いたらしい。
其れならば、僧籍が怪しかろうと、天台密教の印可が無くとも、大きな野望を抱く
其れ自体は自由な心の在り様。
其れに立ちはだかるのは、空海の流派とその遺弟、および大寺の存在ではなかったか?
わたくし思うに、日蓮は空海と己を引き合わせて観て、一歩も引けを取らない自信が
在ったように思われる。
然し、そんな困難な道を志すにせよ、社会の状況は好転せずに容赦なく加齢を迎える、
彼って運と巡り会わが誠に悪い人でしたね。
そんな日蓮氏の生涯を知ると、彼に変わって大願を成就させて観ようか?などと奇妙な心境に嵌る人もいるとか、日蓮って危ない人なんです。 >>831
>人間は並みの知能なら、幸不幸何方に傾くか?未来予測が在る程度可能
え?そこ?
私はそんな論題で書き込んだんじゃ無いですよ。
貴方が「そうとしか考えられない」と言うなら、今がチャンスですよ。
何のチャンスかと言えば言語論理学的にアナロジーを読み解く方法を学べるチャンスなんですよ。
貴方の様な方が大多数なのは、私も認識しています。
多くの人の上位概念と下位概念の区別、そして還元
またコレに起因してバイアス・認知不協和が生じる人達が妙法蓮華経を読むと
誤読をしてしまうのを、私は見て来ました。
多くの人達が誤読しているのを、私は観察していました。
ですので、私はこのスレで2つの点において書き込んでいるのです。
1・法華経を読んで欲しい。(御書のメタファーが全然分からないという人は特に)
2・法華経を読む前に、バイアス・偏見・独善的思い込み・論証無き論拠・他者からの無責任な解釈・自分で考える事がめんどくさい人・権威に対して順応主義者になる事・多分モラル的道徳的に良い事が書いてあるんでしょ?という正常性バイアス。
これらを持って法華経に接すると、法華経を誤読してしまいますよ。
私が言いたいのは、この2つだけです。
その他の事は興味はありません。
「この2点と関係ない事を書いてるじゃ無いか?」と言われても、私としては
この2点にへのリレーションシップを外さない様に書いています。それも最初は誤読される事は承知の上です。
「イエスの受難は多くの人に誤読されて来た、そして私が作ったイエスの受難(リコッタ)もまた、誤解される運命である」
(ピエル・パゾロ・パゾリーニ)
誤解されるのを承知でパゾリーニは詩人として映画監督として意思を貫いた。 >>833 其れ如何なんですかねぇ、法華経解読できるほどの学力ある人が
それ以前に他の思想に触れていないか?そんな人って居ないでしょうね。
工学部系の科学的技術書ばかり読んでいて、人文系統の書物を読まない人が居るか?
貴方の人生でそんな人は身近に居なかったはずです。
無色透明な心境で法華経と日蓮思想に触れろと要望する、そりゃアホな
高望みです。
坊さんの息子で小学生なら可能性は少しありますが、その後の責任はだれが取ります?
其れこそ洗脳に限りなく近い法華経じゃないですか?
イエス様について一言言うなら、彼にくっ付いた神が悪かった、特に大航海時代以降
は酷い有り様と申して置きます。 >>835
全文、君は凄く大きな物を間違えている
それは
「イエス様について一言言うなら、彼にくっ付いた神が悪かった、特に大航海時代以降
は酷い有り様と申して置きます。」
というセンテンスにハッキリと現れています。
理解出来ない人であるのは初めから分かっているので、補足させてもらいます。
私が「あなたは大きな間違えをしている」と言った意味は
イエスがどうのこうの、キリスト教がどうのこうの。という意味ではありませんよ。
こういう事を書いてしまうのは、あなたの心的活動の根本的間違い・認知の歪みからくる
行動心理と認知心理が先立っていますよ。という事です。
私が、コレをここで書いても、君は
「ああそうでしたね。理解できました」とはならないでしょう。
それだけ人間というのはアンカーとスティグマにより思考の幅が狭めまれてる生き物なのです。
君にもいつか、あなたを成長させてくれる善き人と出会える事を心より祈っています。
君は、これから社会へ出て多くの人に出会い、その中で学ぶ事が出来る若者なのですから
焦る必要はありません。生き続ける事によって色々な物や人に出会えるのです。
その体験から君は学ぶ事を学び、楽しむ事を学べますよ。 決して、友人関係と、それ以外の人間関係を狭めてはいけませんよ。
自分と同じ考えをする人ばかりを自分の近くに置くと
学びの場がなくなってしまいます。
君の今後のご多幸を祈って。 俺みたいな頭の悪い奴は原文を読み下す能力がないから訳と解釈に翻弄されてしまう
それに+して日蓮の強烈な法華の行者への意識に拒否反応起こす >>838
>俺みたいな頭の悪い奴は原文を読み下す能力がないから訳と解釈に翻弄されてしまう
デルフォイの神託だなw こういう事を書ける人が本当の知性的な人だ。
>それに+して日蓮の強烈な法華の行者への意識に拒否反応起こす
その日蓮の信条も、過去の人達が作り出した幻想かもしれない。
テクストの表面だけを頼りに、人間というのは「で?結局、何が言いたいの?」
という落とし前をつけないと気が済まないという悪い癖があるんだよ。
ゴッホもパリで評価されずアルルに引っ込むが耳を切ったり自殺?をしたり、絵も生前はたった一枚しか売れなかった。
オークションで何十億円もの落札で、ようやくゴッホのクリエイティビティを理解したつもりでいる人達もいる。
その額の大きさ、という権威が無ければ分からない人達。自分の目と心を信じられなかった人達だ。
これは、終わり作品でジョークなんだけど筒井康隆氏の短編小説
「末世法華経」を読んでみると面白いよ。
自分自身を信じる心の力も無く、権威にすがる昭和時代の日蓮の血脈達の前へ
タイムマシーンに乗って日蓮が現れる。
完全にコメディなのだが、この作品の中での日蓮の言葉は真性を持っている。
法華系日蓮系宗教団体に否定的な筒井康隆氏の方が、法華経と御書を信者さん達より
読み込んで理解しているという暗喩的なオチがスコーンと響いて大笑い出来る。
拒否反応を示す人ほど楽しめる短編小説だよ。
ラストシーンは綜花学会員達に、日蓮がボコボコにタコ殴りされる所で終わる。 これは、終わり作品でジョークなんだけど筒井康隆氏の短編小説
訂正
これは、『お笑い作品』でジョークなんだけど筒井康隆氏の短編小説 >>840
最澄でも空海でも道元でもパロディにはならない。パロディになるのはインチキ感あふれる日蓮くらいだろうな。 >>841
>最澄でも空海でも道元でもパロディにはならない。パロディになるのはインチキ感あふれる日蓮くらいだろうな。
違うよ。違う。ちょと説明が必要だったな。
時系列的に話すと、筒井康隆の友人夫婦が創価学会に折伏されたけど入信はしなかったんだよ。
筒井の友人も知的な人だからね。で、友人夫婦に子供が出来たんだけど先天性小児疾患で生まれてきた。
そこへ創価学会員がやって来て、よってたかって友人夫婦にこう言った。
「創価学会に入信し無いから、そんなカタワが生まれるんだよwウヘヘヘヘww」
それに対して筒井康隆は「堕地獄仏法」という作品を出版した。
内容は日本は全体主義国家として生きにくい国になるんだけど、そのキッカケは何も自分で考えられない
宗教団体の信者達。つまり集団的無知だ!という内容。
これに創価学会員は反発して皆が知っているイタズラ電話や汚物郵送事件が起こった。
コレに対抗して書かれたのが「末世法華経」
ここに出てくる日蓮大聖人は御書のメタファー・レトリックを正確に読み込んだ
筒井康隆が作った日蓮大聖人で、この作品がパロディにしているのは日蓮大聖人では無く
法華経も読まないで宗教団体から教えられた表面的な言葉で、暴走する1960年当時の
創価学会員をパロディにしていたんだよ。
日蓮をパロディにしたのでは無く、昔の創価の信者達をパロディにしたの。
この辺りの件はその後の日記とか、ウワシン、QJで昔話として語っていた。
図書館で検索して読んでみ。筒井康隆自体面白い物書きだから楽しいよ。
パロディの核心は
「何で俺の方が、創価学会員達より、法華経を理解しているんだあ?」
という皮肉。 学生から久々に質問メールが届いた。法華経読解についての質問だ。
法華経の文学性を前面に押し出すと、主体–客体 間に必然的にレトリックでは無いクオリアが生じる。
(宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」やラーメンズの「銀河鉄道の夜のような夜」を例に出していた)
ここで、クオリア自体も表象としてしまう読者がいるとする。
非表象(物自体)は主体にとって非在になってしまう。
これはポスト構造主義と同じ、トートロジーとトポロジーなのでは無いですか?と彼は聞いてきた。
法華経が様々な仏典の中でも特別なサスティナブルな文章マジックを強調する人があれだけ多かった理由の一つかも知れない。 >>843 問い、宗教って何か?
答え、情報を伝えて教え、その人の行為や人生が善き方向に進むべく宗となる
教えである。
問い、其れでは儒教が説く道徳と変わらないのですか?
答え、儒教は生きている間のみを云い死後は明らかにしない現生のみの宗教。
仏教は、前世 現生 来生に於ける人の精神存在を肯定する、三世に亘る
釈迦牟尼仏陀の教えと法である。
この範囲に大乗仏教が収まると日蓮氏は認め、その代表格である法華経を依経とした。
問い、法華経とは何ですか?
答え、実際にはこの法華経がお釈迦様が説いた実説では無い,無名の法師が記述する
文学作品という論証は仏教学会で公式に認められ、国立大学の講座でも講義されて居る。
問い、日蓮って学問の運が良くない人かも知れませんね
答え、鎌倉時代の限界を超えられる人は、明治以降まで待たねばなりませんでした。
>>844
仏教は常にオーバーライトされるし、現在でもオーバーライトされている。
以下に参考文献を示す。
それは仏教では無い!とか、本当の仏教とは?という問いかけは
既存の概念や仏教徒が信じる常識に縛られやすく
天動説の時代に地動説を論拠無く否定するのと同じ。
ここに仏教を学ぶ本人の知性が絶対に必要になる。
最終的に知性・分別知を否定するにしても、知性によるエントリーが先ず必要。
数学の参考書・問題集で解答ページを見れば答えは書いてあるが、それを覚えるのは数学でないのと同じ。
知性的な人が臨済宗に集まるのもソレを理解してるからじゃ無いか?
ソレと言うのは、臨済宗を入り口に臨済宗の門から脱出する事でさ夏目漱石の「門」はソレをメタフォリカルに作品にしている。
以下の書籍について、どう考えます?
仏教3.0(大乗/上座部/その他)
『〈仏教3.0〉を哲学する 』 藤田一照、永井均、山下良道、春秋社 (2016)
『サンガジャパン Vol.9 上座仏教と大乗仏教』 サンガ (2012)
『別冊100分de名著:集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した』 佐々木閑、NHK出版 (2017)
『大乗非仏説をこえて:大乗仏教は何のためにあるのか』 大竹晋、国書刊行会 (2018) >>845
宗教と道徳の違いは何でしょうか?
道徳は人として在るべく生きる路を説きます。
宗教は、道徳の条件を満たさずとも、神仏との交流により
具体的な救いを得られるなら、真に在るべき宗教と言えます。
もっと判り易く言いましょう、「宗教は救い」の有無です。
僅か五歳の幼児でもその単刀直入な祈り「神様助けて!」に応える
救いが在れば教育、政治、文化活動、などにずらして、言い訳しなくても良いのです。
日蓮の遺文により不可思議に助かるなら、神仏存在を信じない>>839君はそれで良し。 >>846
あなたは個別的な問題を書いていますよね。
創価学会や日蓮宗、日蓮正宗、顕正会、立正佼成会などなど
私は、それぞれの信者さんの信条も否定しないし
また、それぞれの宗教団体を否定しません。
それらは個人的な問題で、私には一切関係がありません。
私個人としては、貴方の宗教的信条は一切、私にとって論題にさえなりませんから
貴方に対して、伝えたい事も主張したい事も皆無ですので。
私に対して何かを書き込むのはお辞めになった方が良いのでは無いでしょうか?
私は法華経の話をしていましたが、法華経の解説は一切していません
法華経リテラシーに関して、映画のトレイラーの様な話ばかりです。
なぜ私が法華経の解説をしないようにしているか、分かりますか?
法華経の広宣流布の為です。
道徳でも救いの為の宗教でも、共通認識や共同幻想にコミットする人の中には
読めない読者になる可能性があるのです。
ただ「私はそれでも信者である事で幸せを感じます」という人もいます。
そういう信者さんや宗教団体まで否定する気はさらさら無いですよ。
そういう生き方も良いでは無いですか。 >>847 高級仏法サロンで法華経の美しさを対談するのがとてもとてもお似合いです。
宗教機能の本質は、「人と神仏の直交渉による救済」であると言えましょう
真言密教を持ち帰った空海が平安当時の宗教界を席巻し、
生きる神の如く崇拝された理由は其処に在ります。
日蓮氏では実力不足と申せます。
さて高級仏法サロンとは何処に在るものか? 仏教を宗教としてみるか
仏教を哲学としてみるか
の違いです。
「仏法は哲学でもあるんですよねぇー」という発言とは全く違う
概念図式としての哲学です。
これは、宗教に慣れている人と、哲学に慣れている人では相互理解が出来ません。
初めから何かを権威付けたり、功徳や現世利益に魅力を感じる人とは
相互理解は出来ません。(決して宗教を否定してない所に注目して下さい)
だから、一人で法華経を読む事を勧めているのです。 法華経の前にウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読む方がいいかもしれない。
しかし、誰も読まない事は初めから分かっている。
記号が表象する「物」が、表象されない為の表彰する「もの」でもある
という言語ゲーム(ウィトゲンシュタインの言語ゲーム)である事を
理解出来るか?出来ないか?が法華経読解の違いになっているのかも知れない。
この点を多くの人達に理解させる人がいるだろうか?
そんな人はいないから、対立二元論的帰結を性急に求める大多数に対して
宗教のアピールは効果的だったんですよ。文化人類学的に。 法華経の効能書きを読んで随喜し、
重病を患いて薬を探して無いのが法華経薬局。
文化人類学的に如何なんでしようか?
まあね、仏教小説と医者は関係ないし 仏教を宗教として見る眼差しも善いものですよ。
宗教団体入って信心で生きていくのも善いものですよ。
宗教団体の教学で心が満たされるのも善いものですよ。
宗教仲間に帰属して人との繋がりに歓びを感じるのも善いものですよ。
日蓮宗も日蓮正宗も創価学会も顕正会も立正佼成会でも善いものですよ。 >>851 密教の奥の技法で佛様全身の姿をアリアリと観じる修行方式がある
御顔の相、手印相、衣服などを半眼にして見る、観法と言われる修行に属す。
此れの意図は清らかな理想像を心中に描き見る、即ち空を観ずる為。
目前に仏を見るも此れ心の作用を自在にして描き見る、空なる想い描く姿である。
対象は多岐に亘る、水相観もそれだ、自室が満杯の水で満たされる。
不動の火界定に至ると尚一層、興味深いだろう。
死の恐怖を克服する観法が控えている、火炎を心に想い描く。
死と火に対する恐怖心を空に帰させる観法が其処に在る。
法華経では絶対説けない技法が、法華経成立の数世紀後に出来ている。
仏教サロンでは説きゃしませんて、日蓮さんも知りたくて躍起になった情報が
現代では入手可能。 >>853
その様なテクスト論的な解釈を望む人には法華経は難しいと思います。
法華経は展開操作として軸転回をネクサス構造で書いてあり
それが直接的なメタフィクションとは別なフェーズを生き物のようにメタモルフォーゼしていくものなので
そこを観察出来ないと誤読をしますよ。
哲学の世界の人達の法華経の読み方は
マルクスガブリエルやデビッドベネターからの新実存主義的な眼差しで
法華経の中に複雑系としての時間と空間は存在しない(なぜ世界は存在しないのか)
という集合体としての世界について考える時に
なぜ素朴世界において「今という時間が存在する」と主張が当たり前のように
言う人が容易に出現するのか?というパラドクスが生じるのか?
への一つの解答として読みます。読みますと言うより、それを法華経の中に発見します。
現在、最高の天才哲学者と評価されるマルクス・ガブリエルとの親和性が
これほど高い東洋思想に皆、驚いています。
ウィトゲンシュタインや新カント派からポスト構造主義まで通過してやっとたどり着いた
新実在論が千年以上も前にインド思想史の中に存在していたと言う
古くて新しい埋蔵品として驚いているのです。
ここまでは哲学徒に対しての表現なので、もう無理はしなくて良いですよ。
哲学と宗教と、どちらが価値があるか?という問題は初めから存在しません。
あなたのマインドセットは二項対立概念を元にしてるようなので
これ以上何も、私に対しては語らなくて良いですよ。
宗教は宗教で善いじゃ無いですか。皆んながそれぞれ幸せに生きれれば全て善いんですよ。 >>854
そんな坊さんや行者向けの情報書かれましても。
その辺のジジババできる修法おしえて他もれって感じれす。 >>856 「効能書きは有れども薬は無し」と法華経は指摘される。
薬品が揃うには法華経成立の後、数世紀かかったのです。
空海帰朝後、比叡山の最澄が弟子の礼を取り、空海に教えを乞うた理由は、
それでした。
日蓮は、密教を除去する純粋なる法華宗を建てたいと念願する人でした。
彼は全く、密教の知識が無いので自ずとそうなるしか在りません。
鎌倉時代に現れた仏教各派の祖師方は、日蓮を除いて皆が密教の修行を経ています。
言うならば野球の一軍経験者とでも言いましょうか。
日蓮は明瞭に見劣りします。 >>857
他はみんな受戒した正式の僧侶だろ。
それと無資格の日蓮を比べるのは大人げない。 宗教の信心を持っている人を、それだけで批難はしないけど
信心によって皆んなが幸せになる為に多様性を認めて平等思想を持とう!
というのが仏教・特に法華経だよね?
でも宗教団体で信心を持ってかたを外から眺めると、まったく逆な
喧嘩や言い合いをしている様にしか見えない。
法華系日蓮系の人で法華経を読んで無い人もいるんだろうね。
それ以外の宗派でも、やたら敵対心をもって攻撃性が強い人もいるしね。
結局、宗教って
何らかの根拠を元に、他者を攻撃するキッカケを与えてくれて
喧嘩する事によって、満たされない自分の人生の自己実現の代わりにしているのかな? 自分の宗教だけが正しいと思い込むって
これって小乗仏教だよね? この帰属社会間の中での認知不協和はどういうプロセスで構築されるのか?
という事に、少しこだわってみたい。(宗教だけでなくネトウヨやらヒキコモリも含めて)
同じ大学に努める社会心理学の先生に、ちょいと聞いてみようと思う。 >>858 大人げないでしょうが、本当の事、この内容と他を世間に発表するのは
筆者の身に危険が迫る可能性が在ります。
例えば専門誌の大法輪誌に掲載可能か?日蓮が悔しくも
生家貧困の為に天台の寺を下った経緯を記述可能か?多分断られると思います。
法華経に足りない「何か」を補うために最澄は空海の膝下に伏しました。
その教学上の欠を補ったのは五代院安然と聴き及びますが、恥かし乍ら未読であります。 >仏教じゃないよ。日蓮教だよ。
オウム真理教とかアレフみたいな、日本には小さい宗教団体が存在するよ。
日本では排他性が無い仏教は禅宗だけかな?あと時宗もそうか
禅宗は参禅会の自由時間に仏像に向かって読経を一人でしていたんだけど
(なんか仏教徒って感じでカッコいいよねwみたいな軽い気持ちで)
そこへ老師が通り掛かり目の前の仏像にローキックを激しくいれて去っていった。
老師も如何に木彫りの仏像とは言え、老師も足は痛いはずだ。
そんな肉体的苦痛を持ってまで在家に仏法を継がそうとする所は感動した。
文字だけに(テクスト論的に)仏法を知り得る事が出来ないと
無言で教えてくれたよ。 >>859
>信心によって皆んなが幸せになる為に多様性を認めて平等思想を持とう!
というのが仏教・特に法華経だよね?
仏教はそうだが、法華経はそうではない。華経には排他性や独善性があふれている。法華経を依経とする宗派、特に日蓮教が排他的・独善的であるのは偶然ではない。
>>862
>生家貧困の為に天台の寺を下った
天台の寺を下ったとはどういう意味か?
>>864
>日本では排他性が無い仏教は禅宗だけかな?あと時宗もそうか
日蓮教と違って仏教は元々排他的ではないが、しいて言えば最も排他的でないのは真言宗だろう。 >>865
>仏教はそうだが、法華経はそうではない。華経には排他性や独善性があふれている。法華経を依経とする宗派、特に日蓮教が排他的・独善的であるのは偶然ではない。
あなた法華経を読み込んで無いでしょう?
文章の底に存在するメタファーとサブスティチュートをしっかり読めば
あれほど平等思想を表す経典は無いぞw
宗教団体の教学について、アレコレと言う事はしないが
自分、一人だけで法華経を読んでみてください。
マクベスの第五幕の様に、センテンスをつまみ食いするのは法華経読解にはなりません。
今まで動画で顕正会が創価学会は第六天の魔王とか
日蓮正宗のヒゲのおじさんと創価学会員が御書について喧嘩している動画を見ていました。
私は思いました。
「この人達は本当に法華経を読んだ事があるのかな?法華経に書いてあることと逆ばっかり言ってる」と まあ、結論として言えるのは
法華経は、知性的な人や哲学や文学を読む習慣がある人、慣れている人
しか読めないという作品なので
まあ、しょうがないですね。
我こそは知性的である!との自信のある人だけ法華経に挑戦してみて下さい。
法華経は裏切りませんよ。
それ以外の方は、所属する宗教団体の機関誌を読んでる方が心穏やかで幸せだと思いますよ。 >>866
>あなた法華経を読み込んで無いでしょう?
君とちがって私は知ったかぶりやハッタリを必要としない。
法華経に帰依しない輩はことごとく罪業の報いを受けることになり、この世で苦しむものはすべて前世で法華経を誹謗した報いということになっている。
どこに平等思想があるのか見苦しい誤魔化し抜きに端的に該当箇所を示されたい。 >>868
>法華経に帰依しない輩はことごとく罪業の報いを受けることになり、この世で苦しむものはすべて前世で法華経を誹謗した報いということになっている。
そんな恐ろしい事w 法華経は言っていないよw 怖いなあw
何の為の修辞か?を読み解けなかったんだね?
仏教に興味の無い人が誤読するのもしかたがないよねw
右手の音を聞け!と言われてハッと悟人もいれば「右手から音が出るわけねぇじゃんw」という人の違いだわ。
法華経の中にもう一つ法華経が出てくるのは、どういう訳か分かる?
法華経自体が法華経を語るという、例のくだり。
あなたは法華経を読まない方が良い人かもね。読めない読者に、読め読めと言っても、それは害悪以外の何物でも無いもんな。
宗教団体の教学も良いものですよ。信者さんの心の救済になるんですから
法華経なんて読まなくても良いのです。
コレで一件落着。
ほんと貴方は法華経なんて読む必要は無いんですよ。安心して教学を学ばれた方が良いですよ。 >>868
そうだ!
868さんだけに質問させて下さい。
右手と左手を合わせるとパチンと音がしますよね?
では、生まれた時から左手が無い人の右手からは、どの様な音がすると思いますか?
868さんだけに対する質問です。 >>868さんへ
右手の音はちょと難し過ぎました。もっとわかりやすいヤツで考えてみて下さい。
弟子A「この犬にも仏性は在りますか?」
師匠 「ある!」
弟子B「悉有仏性というのですから、この犬にも仏性は在りますよね?」
師匠 「ない!」
こちらの方が優しいと思います。これに答えらるかどうか?が
誤読をする人と、理解して読める人との差になっていると思います。
どうか考えてみて下さい。 貧困の為、四度加行を授かれなかった日蓮は天台の寺から去りました
と言う方が正解でしたね。
十八道念誦次第、金剛界念誦次第、胎蔵界念誦次第、不動供養法および護摩供養法、
これを終えて、阿闍梨になるための種々の灌頂を経て一人前の天台宗僧侶と認定。
凡そ二年以上掛かる修行で在ります。
これ等を習い修める同年配、同室の朋輩を見て、日蓮の心中を慮る事が出来ますか?
どう考えても自分よりもIQの低い、あいつが一人前になった。
俺は一生、この寺の作務をして人生を終えるのだろう!其れと云うのも実家が貧困で
修行の費用を賄って呉れないからだ、眠れぬ程に悔しい!
天台宗で一人前の僧侶は、公家に次ぐ身分と見做されるのが当時の社会構造。
日蓮が四度加行を終えていたなら「日蓮宗」は世に現れなかったと思います。 >>869
妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八を見よ。 >>870>>871
見苦しいゴマカシはやめて法華経のどこに万人平等の思想があるのか端的に答えよ。
>>872
天台の寺というのは清澄寺のことか?そこに密教の僧侶などいなかった。
日蓮の生家が貧乏だったからではない。
寺の由来をみれば分かるように山岳修行者が開いた寺だ。密教以前だ。 >>874 日蓮は己を天台僧侶と名乗って居る
君の文章は説明が不足で、意味が通じない >見苦しいゴマカシはやめて法華経のどこに万人平等の思想があるのか端的に答えよ。
まあ一度、天地ひた一枚になって徹して下さい。
何故、弟子Aと弟子Bとでは、回答が違ったのでしょう?
これが、分かれば法華経が読める人です。
私は言葉を毎回いただいているのですが、私にも一つ誤りがありまして
「コレを理解しているのが仏教者として常識」という偏見を私も持っていました。
私の周りには理解出来ない人は1人もいない、という言わば慣れからです。
この点については、皆様に謝罪させて頂きます。
ですので、どうかご回答下さい。
法華経を読む前のマインドセットを、このスレだけで確認したいのです。
よろしくお願いします。 >>873
>妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八を見よ。
これ、よく誤解されるのですが
1837年のイアン・ホジソンからケルン・南條本のサンスクリット訳が今に伝わる
法華経の原典とされています。ヴィクラマシラーが消えてから時を経てサンスクリット写本を
訳した訳です。これでようやくわかったのですが鳩摩羅什は可哀想な事に多少の解釈のズレがあった。
と言うのが現在の仏教の集合知です。
普賢菩薩発品28(サンスクリット原典では26章)ディーバダッタ12はサ12章
陀羅尼26はサ21章、薬王菩薩23はサ22章、妙音菩薩24はサ23章、観世音菩薩普門25はサ24章
妙荘厳王本事27はサ25章
以上は後世の加筆として取り扱うのが現在の集合知です。
この加筆部分はメタフォリカルな法華経を更にメタフィクションとして後世の誰かが
オーバーライトしているものです。集合知です。
サンスクリット原典に最終章として載っていたのは第27章・付属です
鳩摩羅什の漢役で言うと、「嘱累品第二十二」の事です。
法華経は本来、漢訳でいうとこの嘱累品で終わりです。(集合知)
ここが法華経のクライマックスというか、大オチになっています。
加筆部分にも価値はあるのですが読み込みは更に難しいんですよ
つまり元々誰かが加筆しようとするぐらいエソテリックな文章構成に(サンスクリット原典で)なっています。
「そんなにエソテリックな展開操作がされているのか?」との疑問を持たれるのなら
先ずは嘱累品が最終章だと思って、漢訳を読み、サンスクリット語の入門的書籍で良いので
サンスクリット独特の語法・文法を自分で理解しながら読むと、その本質が見えて来ますよ。
「コーティ ユナタ」と書かれてあっても、それはコーティ ユナタを表していません。
これは自分自身、一人で納得しなければ納得は出来ないんですよ。人間ってそういう物なんです。
つまり誤読というより、読む作法を誰にも教えてもらわなかったら、こういう事が起こるのです。 >>877 然し、法華経を学ぶのは、インド周辺諸国の仏教徒のみ
本国では、その他の大乗経典群の一つとして忘却されてませんか?
一時は持てはやされ、忘れられる流行品の様にです。
仏教が宗教の主流の地位から脱落し、釈迦は権現様と見做されます。 そんな事より先に
弟子Aと弟子Bでは
なぜ答えが違っていたのか、理由を説明できる人はいませんか?
「そんな初歩的な仏法、誰だって一発でわかるよ!」という人を待っています。 この御書に書いてあるから、お経に書いてあるから、雑誌に書いてあるから
などこれ全て外して、まあこれ以上は書かない俺も馬鹿だから仏語に囚わるし
抽象表現から本質を捉えるのに指月の譬えのようでありたいな 自分を確かめるための悩みという追体験
禅問答って実際見るとがっかりするんだよねぇ、悩む余地がねえって >>880
>抽象表現から本質を捉えるのに指月の譬えのようでありたいな
それも良い考え方だと思いますよ。
仏教ってザックリ二分すると
1・下位概念を示して上位概念を獲得する方法論と
2・一見、下位概念に見えるが本当は上位概念を示して下位概念へ誘導する方法論
この2つがありますね。
これも一つのヒントです。弟子Aと弟子Bで何故、答えが違っていたのでしょうか? >>881
>自分を確かめるための悩みという追体験
>禅問答って実際見るとがっかりするんだよねぇ、悩む余地がねえって
禅問答を禅から見るとアルタード・ステート(altered Satte of mind)何ですけど
禅以外から見ると想起スキーマと認識スキーマを要求されるのが特徴です。
子供の時に絵本で読んだ「孫悟空」。あれの終わりの方でお釈迦さんに有難いお経を貰って
国へ帰る途中、孫悟空が「そんなに有難いお経って何て書いてあるんだ?」と
お経を開いて見てみると、何も書いてない。ただの白紙。
孫悟空はブチギレてスーパーエクスプレス雲を飛ばしてお釈迦さんに喧嘩しに行きます。
「やい!せっかく苦労して危ない目にあって経典を貰いに来たんのに!なんだ?この白紙は?」
お釈迦さんは言います。
「お経というものは、何も書いてないお経が1番尊いお経なんですよ」
「でも人は『文字が』文字化されないお経では理解出来にくいでしょうから、、、ちょっと待って」
と言うと、お釈迦さんスラスラと文字起こしをして文字としての経典を完成されました。
いくら不立文字と言っても、それに囚われていたら禅問答では無いんですね。
これ法華経の中にも暗喩で出て来ます。
本来の禅問答はブチギレして雲をぶっ飛ばす孫悟空と、泰然と待っているお釈迦さんとの
間に生じる時間と空間を見ろ!観察しろ!
というAとBの間に生じる臨場空間をかんがえろよ!と言うのが一つの教外別伝になっています。
コレもヒントになりますね。
禅問答は禅宗だけの物では無く、認知心理学的、社会心理学的、行動心理学的に
スキーマとスティグマとバイアスをさらけ出す為の機械です。
さあ、弟子Aと弟子Bとでは、なぜ答えが違っていたのでしょう?
一発で答えられる善知識は居らぬか? >>874 天台宗の巨刹で在ったが江戸初期に
真言宗に改定、ウィキペディア参照
きっと「 健康な寺男 通年募集中 」でしたね。 >>877
>1837年のイアン・ホジソンからケルン・南條本のサンスクリット訳が今に伝わる法華経の原典とされています。
「サンスクリット訳」が原典とはどういう意味だ?何語からサンスクリットに訳されたというのか。サンスクリット写本が原典だろう。
法華経の系統には色々あるし、Kern・南條の校訂本についても批判的検討がなされている。しかし内容に大きな異同はない。
>普賢菩薩発品28(中略)妙荘厳王本事27はサ25章
以上は後世の加筆として取り扱うのが現在の集合知です。
自分に都合の悪いところを勝手に後世の加筆で無視するのが「集合知」とは噴飯ものだ。広く流布している法華経は漢訳、英訳、仏訳、和訳とも私が877で私が法華経の排他性として指摘した普賢菩薩勧発品は含まれている。
法華経が差別的、排他的、独善的であることは素直に本文を読めば明らかである。法華経讃美者は個々の教団の都合による読み替えを鵜呑みにしているに過ぎない。 >>885
そういうことw 貴殿はユーモアがある。
Wikiによれば清澄寺は、
771年 不思議法師が現れて虚空蔵菩薩をまつり開山
836年 慈覚大師円仁が訪れて再興し天台宗になる
1618年 智積院の頼勢が徳川秀忠の命により入寺し、真言宗に改宗する
1949年 真言宗智山派清澄寺31世・岩村義運が末寺45ヶ寺と袂を分かち、日蓮宗に改宗する
と状況次第で宗旨をコロコロ変えてきた。
また836年に円仁が訪れたというのは極めて疑わしい。なぜなら円仁は当時入唐を試みて1回目の渡航に失敗したのがまさに836年だったからである。
また円仁が再興したと寺が述べていることは、すでにそれ以前に廃れていたことをうかがわせる。 >>886
>自分に都合の悪いところを勝手に後世の加筆で無視するのが「集合知」とは噴飯ものだ。広く流布し
無視はしていませんよ。むしろ後世の加筆部分も重要で面白い部分があると評価してると書いたんですkどねw
対立二元論的相対的価値観から既に答えを持っている正常性バイアスがあると
そう見誤ってしまうのですよ。これは誰にもある事です。特に子供達の喧嘩ってそれですもんね。
様々な説がありましたが現在は説所と呼応するフローがどれだけあるか?で
学究達の意識はまとまっています。(ただ、いい箱作ろう鎌倉幕府、みたいに今後も変わる可能性もありますよ)
だいたい、この話の流れはwなんと言っていいのかw論題についてアナリーゼしても
どんどん本来の話から、遠ざかってしまいますねw
元々は、私が「法華経を一人で読む大切さ」を語る所から始まり、その論題で終わらせるつもりです。今でも
集合地について、昭和時代とは違って来て、どの様に変化したか?を知りたいなら
国立国会図書館で調べられるのが1番環境的に良いですよ。私も国立国会図書館の情報の量と検索能力に頼っています。
でも、こういう問題は自分で調べ学ぶ問題です。
上記を踏まえた上で、改めて問います。
弟子Aと弟子Bへの回答は何故、違っていたのでしょう?
>>886さん
まあ、お茶を召し上がれ。 このスレの中に必ず
「何言ってんだ!弟子のAとB問題なんて基本だろ?書くまでも無ぇや!」
という人もいるはずです。
あまりにも初歩的な仏法なので呆れられるかも知れませんが
そういう人こそ、書いて欲しいです。
私が解説してはダメなのです。(問題を出した側として、私が語っても理解しない事を目論む人が生じてしまうからです)
全くの第三者が解説する事で皆は納得し、本物の仏法との付き合い方を教えられるのです。
法華経を読むマインドセト問題が私には根底にあるますけど
このさい法華経は関係なく、書き込んで下さい。
あなたの書き込みが、このスレの人達に対する広布、大乗の教育になるのです。
どうかお願いいたします。 >>887 今東光師も同様な事例が同様な事例が多々ありと仰る、
その様に弟子分が徳の在る先師の名を開山に称するとのこと。
おそらくは関東東北の天台宗の記録を調べた上の
言であります。 さあ
弟子Aと弟子Bの違いは
何だったのでしょう?
答えられる人はいませんか? 日蓮や法華経について中身のある擁護が不可能なので、日蓮の実像に迫ること以外なら何でも話題にして雑駁な論議をしたがる創価信者がハズい。
臨済禅の初歩的公案などスレ違いも甚だしい。他所でやれ。 >>895 日蓮が禅宗を嫌悪していた事は、天魔と罵ることからも推定可能。
天台智の止観をしばしば引用するが、修行の為に用いる使用参考書ではなく
権威ある文献、法華経と同位置と評価を与えている感がある。 >>895
そうかの人とも違うんじゃない?禅宗に詳しいへんな人だと思う。 >>895
先ず私は無宗教で宗教団体には所属していません。
コンセプトを書きます。今まで広義でのネット上だけでなく、様々な人と哲学、仏教、キリスト教、心理学について語り合っております。
この様な状況を通じて確認・分析をしてみたいことが幾つも出て来ます。類は類を呼ぶので友人とは容易に意思疎通が出来るのですが、こと法華系日蓮系の信者さんと法華経の話をすると必ずコミュニケーション・ブレイクダウンが生じます。これも私にとって幾つも出てくる観察対象の一つなのです。
観察・分析・問題点の抽出を行うと信者さんは暗記した法華経を誦じたり、総論を避ける様に流動する当体の恣意的分断から何かを積分しようと試みる方が多かったのです。
これを理由に二つの疑問点が生じました。
1・この人達は本当に法華経を読んでいるのか?
2・法華経を読むマインドセットが、そもそも私達(無宗教の哲学徒)とは違うのでは無いか?
ここから禅宗の初歩的な公案を出させていただきました。
私も色々悩んで、何を問えばお互いの認識を露わにするのか?とコノ公案を真剣に選びました。
もしかしたら集団的認知不協和や帰属のエラーという行動心理がハッキリするんじゃ無いか?と思っての事です。
何度も書きますが、私はどの宗教団体に対しても肯定的です。
禅の公案には何百年も前から、模範回答集という書物があります。
禅ではそれはカンニングと一緒で御法度ですが、禅宗以外の人には関係ありません。
そこを私は考えて「公案そのものが他者の言葉では無く自分の言葉を要求、それが『内在』している公案」として弟子Aと弟子Bの公案を引用させて貰いました。
しっかり回答出来たから偉い!と言う気はありません。回答出来ない奴はダメだ!と言う気もありません。
宮台真司氏の言質が理解しやすい。人はテクストと表象の間に生み出す個別的な臨場空間を生成する言語機能を観察しなければ言葉の自動機械になってしまう。
このスレは匿名掲示板で私にとっては小さい観察対象社会ですが、それ故、同調と共感を削除した「法華経理解の様々な乖離」を観察出来るものであり、私以外の者にとっても認知心理の視座を与える事にもなるのです。
どうかご理解下さい。(私には感情の対立や感情の充填は一切ございません) >>894
>過去スレに確かあったと思う、答え。
この弟子Aと弟子Bの公案だけは、例え禅宗以外の人であっても
模範回答や他者の言葉で答えてはいけない事を示す公案なのです。
自分の言葉でしか回答出来ない問答なのです。
だから、私はこの公安を選びました。他の公案では他人の言葉の引用で透過出来る物があるからです。この弟子A、Bは人の言葉や書物からの引用では答えにならない公案なので選びました。
自分の言葉で語る事によって、仏法への理解が表れてしまう、また現れてしまう最良の例題・禅問答だと確信し引用させて貰いました。
ぜひ心を落ち着けて自分なりの三昧境涯になり一度、練ってみて下さい。 >>897
>そうかの人とも違うんじゃない?禅宗に詳しいへんな人だと思う。
私は宗教団体に所属はしていません。それと同時に
どの宗教団体も否定も批判もしません。
ちょいちょい禅宗の話が出てくるのは今、世界では若き天才哲学者と呼ばれるマルクスガブリエルのいう新実在論が仏教哲学のコアを表していて、鎌倉新宗教の中で禅宗に呼応する知見が、世界中の人に「天才的な新しい哲学」と西洋哲学の人に評価されています。
仏教に親しみのある私達にとっては「何を今さら?」という時代のシンクロニシティを感じている所からでしょうか。
また、大学の哲学科の先生がもともと禅宗の老師だった事もあるのでしょうか。
仏教から余分な物をそぎ落とすという特徴の引き算の仏教を用いた方が、引き算の仏典である法華経理解の話には用いやすかった。という事です。 二乗=声聞、縁覚
言葉遊びする二乗は成仏できない
現実逃避的、自己中心的であり利他の行を忘れる傾向が強い
法華経では成仏できる
なぜなら菩薩行の実践が法華経の大前提であるゆえに。 >>902 誰が一個人の菩提成仏を確認できるのか?曖昧なもんじゃな
菩薩は何処まで行っても菩薩でお終いじゃないの? >>902
>法華経では成仏できる
>なぜなら菩薩行の実践が法華経の大前提であるゆえに。
この禅問答について、私は菩薩行から起こる物だとの解を既に提示しています。 続きます
「菩薩行」といっても、私はあえて「法華経」の展開操作に乗って言ってるのです。
私は、どこまで行っても無宗教です。 菩薩に出会っても菩薩に気づかないだろうし仏に出会っても仏と気づかない
しかし多くの菩薩や仏が各分野各階層に居られて日本を支えている
彼らは組織に属さなくとも連携しているのがよくわかる
六道輪廻で終わる人も四聖を開いたらよい 改めて、皆さんに考えて頂きたい。
他人の言葉や、書籍の『引用では無く』
答えられる人はいませんか?
答えられたから偉いという訳では無い。
答えられなかったからダメという訳では無い。
ここを出発点として理解していただき
それでも「答えられる!」という人の存在を私は確認したいのです。
そして、「答えられる!」という人は、必ず評価されたいという意識が深層心理下の無意識に内在してると思います。
各宗派の方々には、それぞれの作法は御座いましょうが、ここはひとつ多くの衆生を教化する為に、一度だけ作法を捨てて書いていただける事を私は待ち続けます。
弟子A「この犬にも仏性は在りますか?」
師匠 「ある!」
弟子B「悉有仏性というのですから、この犬にも仏性は在りますよね?」
師匠 「ない!」
さて、なぜ弟子Aと弟子Bとで、師匠の言う事は違っていたのでしょう?
あなたの言葉で教えて下さい。 教えてよい人と教えないほうがよい事がある
機根が整えば自ずと答えが出るようなことを
思いつきで口にするのは自分の無知をさらけ出すようなもの
3歳児の「どうして?」連発には利発な子に育てる為に
精一杯答えてあげるけれど笑 >>908
>教えてよい人と教えないほうがよい事がある
それは私も心配する所がありました。なので吟味に吟味を重ねて弟子Aと弟子Bの公案を使わさせていただきました。
私は何度も言う様に宗教団体を否定していません。私には無関係の場ですから。
ただ、公案の選択に失敗すると、例えば誰かが無位の信人をメタフォリカルにでも表しますよね。
その帰結だけけに注目して移行部分、変性過程を見なければ
対立二元論的相対的価値観が発動し、自分達が教えて貰った教学とは違うという誤謬から感情の発露、敵対心が生じたり
逆に「なんだ!今まで宗教団体から教えてもらてた仏教って間違えじゃない!」と
気落ちしてしまう人が出てくる事もありえ、それは私の本意ではありません。
この点を十分に考慮して、この弟子Aと弟子Bの公案を示させていただきました。
上のスレ以外にも観察すべき対象を私は持っています。
1・この公案に答えなくても良い理由を探す人の出現と
2・法華経を読まなくても良い理由を探す人の出現。
です。 すみません誤変換です
>例えば誰かが無位の信人をメタフォリカルにでも表しますよね
訂正します
例えば誰かが「無位の真人」をメタフォリカルにでも表しますよね 犬に仏性が有れば、どうする?
犬に仏性が無ければ、どうする?
ここは知を共有する場で考察がないなら書き込むのやめたら? >>911
分かりやすいと思う人だけ読んでさい。ウザいと思う人は無視して下さい。
主体には二つの側面があ る。
1・言語のなかに/によって疎外されたものとしての、 去勢(=疎外)されたものとしての
「死ん だ」意味の沈着 としての主体。
ここでの主体は、〈他者〉によって、すな わち象徴的秩序によって侵食されているので
存在を欠い ている。
2 ・他なるものが「自分自身のもの」になる主体 化のプロセスにおいて
二つのシニフイアンの問に走る閃光としての主体。 さあ、弟子Aと弟子Bとでは、なぜ師匠の回答は違っていたのでしょう?
少なくとも自己言及のパラドクスではありませんよね? 仏性って何だ?訊いてる弟子が仏性についてカラキシ無知なのです。
エンジンは動いて生きてるようなものだが、何か食わせるの?
質問者は、な〜んにも知らずに訊く、此れに答えるのは不可能。
もう少し後代になって、真言ではコンナ事に成りました。
如何が菩提となればと問われ、如実知自心と答えます。
実の如く自らの心を知るべしが即答であり、次に菩提心の解説に移ります。
通達菩提心とは菩提心がどの様な様相をして、どの様な心を発揮するか
菩提心其のものに深く通ぜよ、その為には修菩提心、菩提心を修せよと説き、
三昧耶行や観法を説く段に移る。これは専門家の途で全く以って一般衆生とは無関係。 あまりヒントらしきものを言うのも適切じゃ無いんですけど。
弟子AとBで
師匠の回答は「ある」と「ない」と、全く違う答え方をしていますよね?
これって、矛盾する会話ですよね? ココです。
あまりヒントは出したくなかったのですが、数スレを見て別軌道へ堕ちそうなので書きました。
本当は、こんな事は書きたく無かったんですよ。 私が譬えとして禅の公案を出し、答えられる人に回答して欲しいというのは
法華経を誤読する人と、理解できる人の差を、表し、それについて説明したいからです。
全ては法華経完読の為であり、これらは全て法華経の話なのです。 師範と数十人の弟子でディベートするゲームならば
○○は有り派無い派でグループを作り討論させる
未熟者同士だと片方が「参りました」で終了するが
師範はころあいを見て判定する概ね「両方が正しい」のである
ルール「嘘」を押し通すことや「でも」を繰り返すと反則負け
これで屁理屈が上手くなっても意味がない
大事なのは自分たちの子孫が住む社会をどう創造するか
仏教の目的というものはそのあたりから始まる >>917
>大事なのは自分たちの子孫が住む社会をどう創造するか
>仏教の目的というものはそのあたりから始まる
それは
仏教でも無く
哲学でも無く
ただのイデオロギーですよね?
何度も言いますが、私は宗教団体に関して一切否定はしませんし、論題にもしません。 >>899
いやーなこった。やりたくないことはやりたくない。
めんどくせぇんだよ。あんたの長文見るのですら嫌で中身飛ばしてんのに。
わざわざそんなことするかっつーの! >>917 先ず個人の救済が在るべし、其れを伝え聞き又は見聞きし関心を寄せ
是非にも私に教授してくださいませ、と門人の礼をとる。
此れがお釈迦様の許に多くの人が集まった経緯である。
君が飛ばした、個人の救済が一番始めに在るべき眼目じゃないかな?
その道に先ず秀でなければ人は動くまい。
社会運動は先のお話であって「おまけ」で在ります。
永遠の天敵仏敵・人類の敵
呪われた反日朝鮮カルト教団 創 価 学 会
創 価 学 会 は神社仏閣への参拝は謗法(ほうぼう)になるのでしません。
※ 謗法(ほうぼう)
正しい教えを軽んじる行為。
誹・謗とは “そしる” こと、つまり貶(けな)す、腐(くさ)す、非難するなど、悪く罵(ののし)ること。
参拝とは、神社、寺院、教会、などの宗教施設を訪れて、神仏に拝む(または祈る)行為のことです。
修学旅行では神社仏閣の見学は避けられませんが見学するだけならいいそうです。 手を合わせて祈ったり、お賽銭をあげるのは謗法だそうです。
※ 小和田一家は全員が 創 価 学 会 員 呪われた反日朝鮮カルト教団 創価学会
稀代の霊能者 宜保愛子
「朝鮮半島は呪われた地、関わってはいけない」 >>921
>どっちもなんだって。バランスよく行こうぜ。
弟子AとB公案は、法華経理解での視座の違いを明確に示す1つのガジェットなんだけど(回答できるか?出来ないか?で優劣は無い)
よく宗教団体の人達が「理屈じゃ無いんですよね!実践なんですよ!」という新興宗教がおおかただよね?(私は宗教団体も信者さんも否定は一切しない)
「バランス」という記号がどの様な概念に適応されてるのかは一人違う個人的価値観に依存する。
ここで新ためて考えてみよう。
「実践」や「菩薩行」と言う対社会的行動原理を持っていると自覚しても
それは「持っている」と誤解するような、対社会的記号の『誤読』も生じてしまう。
(そのような誤謬や誤読や欺瞞に翻弄されない人も当然いますが)
行動原理に対しての上位概念である行動理念を展開操作上の軸とすると
インナーブランディングにおいて、必ずやパラドクスを生じる。
それは、展開操作上の「軸」よりも「軸転回」がエコーチェンバーによって強化されてしまうからだ。これは従業員を扱う経営者ならば理念浸透問題として悩まれた事があるはずだ。
後で不都合を修正する事になるのは辛い。初めの一歩目から方向を定めた方が法華経は理解やすいとの思いから弟子AとBの公案を借用させて貰った。
ドラッカーを待つまでも無く、印象形成・既有知識から、責任の分散・聴衆抑制など、第三者エヴァンジェリストが存在しなくても、自分自身の心情の中にもう1人の自分(エヴァンジェリスト)を創り出しそれを定言命令として自分自身が
自分自身を支配してしまう危険性も在る事は注意されたし。
企業のビジョン会議のように理念策定から相互共感に至るまでビジョン会議の複数の参加者を1人で演じてしまうようなものだ。
このスティグマを持っていたら、法華経は読み難い書物になってしまう。 >>925
>お前に用はない、俺に絡むな。
これは失礼。
このスレに来る人は、皆仏教に興味がある人ばかりだと、私は誤解してました。 >>917社会活動、つまり住み易い社会を創る、これを世界中に広げましょう。
なるほど,なるほど、反対する要素は見当たらないが、馬鹿と挟みは使いよう。
核兵器を廃し、戦争のない平和な世界をどれほど多くの人間が期待するものか
あなた方は考えた事は有りますでしょうか、わたくしたちが尊敬する指導者であり
世界平和を提唱する池田先生は日蓮上人の生まれ変わりとしか思えません。
その先生の提唱する世界平和実践活動に反対する、人たちは佛敵と見做すべきです。
いや、ホントに世界平和って怖い思想だよねぇ、その理由は誰も反対できない思想って
悪魔の思想なんです、この理屈が判りますか?池田大作センセイは世界平和と言う
恐ろしい言葉を操り、正義の使徒の仮面を被り、反対者を抹殺しかねません。
此の糞親爺の姿が見えなくなって私は安堵するのですが、これの理屈判りますか?
>>927
池田大作氏だけで無く他の宗教団体の指導者は同じ様なユートピア共産主義を語りますよね。
私は宗教団体の指導者や団体そのもの、団体の信者さんに何者かを語る資格はありませんが
(私は様々な宗教団体を否定はしない。それは興味が無いから。)
法華経を教義・教条として成り立っている団体の信者さん、ひとりひとりの
自主独立性を抑圧が無きよう願うばかりです。
様々な宗教団体は、仏教哲学的理念を社会的に拡大解釈して語ります。
それは教育の無い人には理解しやすい。そして、理解出来たと思う達成感も信者さんに出てくると思うんですよ。
宗教団体を私は否定はしません。それぞれの教学があっても良いでしょう。
しかし
法華経というテクストを重要視する人なら、上のような上から下へ流れるような
一方通行的シークエンスを法華経読解に当てはめると法華経を読んでも読めない読者になってしまいます。
今年、面白い現象がありました。
人気の出た「鬼滅の刃」雑誌の方の最終話により、鬼滅は完結しました。
鬼滅の登場人物が現代に生まれ変わり学校へ投稿し、学園恋愛漫画にイキナリ変わりました。
ここで、多くの鬼滅ファンは「史上最悪の最終話だ!」と激怒しました。
この反応により作者は単行本出版時に、最終話に加筆しました。
この加筆部分を読んで「誤解してた、やっぱり感動した!」とコロっと態度を変える鬼滅ファンが出てきました。
死んでいった仲間達が現代に蘇り、また転生しなかった登場人物もいます。丁寧に読めばそのレトリックは本来読者に伝わる物でした。
ここで言いたいのは
加筆部分は読者の反応に対して作者が、自分の意図を補足するものだったという事です。
作者は雑誌連載の最後のページで「鬼滅の刃」という作品を終わりにしたかったのです。
法華経も鬼滅刃も、読めない読者によって、こういう騒動が起こるのです。 間違った生き方を諭されると殺そうとする人が出てくるから
日蓮聖人も苦労したんだろうなw >>929 他人の間違った生き方を、諭して聞き入れてもらえる
其れほどの人徳は日蓮には無かったのです。
と考え方を変換してみませんか?
アドバイスをして受け入れない人物が狭量なのか
アドバイスをしたがっている方が図々しく、厚かましい、嫌な奴なのか
判らんでしょ。
こいつは目下だから俺のいう事を聴け、お前よりも俺の方が知って居るなんてのは
佛家に非ざる「慢心」では在りませんか? >>930
それは「釈迦に説法」しないといけないねw
鬼子母神は帰依して改心したらしいよ >>929
>間違った生き方を諭される、、、
ひろゆき、じゃ無いけど、そもそも間違った生き方とか間違って無い生き方という区別。
その記号づけ自体そのものが、間違っているのでは無いかな?
専門的に言うと「根本的帰属の過誤から、偶然的に生じる共同幻想、集団極性化」と
言うしか出来ないんじゃ無いか?
生きている間、全てに対立二元論的相対的価値観で処すると
この様な帰属のエラーって起こるんですよ。これがねゾウが卵から生まれるとするなら何キログラムだろう?
という不毛な思惟に埋没してしまうのです。
法華経も熟読すると、それへの気づきの大切さも語っています。
鬼滅の刃も、最終話であれだけ炭次郎達が戦闘を繰り広げてたのに
いきなり平和な現代に場面が変わり皆、楽しそうに通学しています。
この転回は新世紀ヱヴァンゲリヲンやIT(テレビドラマ版)やトータルリコール
そして法華経の嘱累品のラストシーンを彷彿とさせています。
理解しやすい説明は対立二元論的相対的価値観を出す方が効果的です。
でも、対立二元論的相対的価値観をずっと引きずらせると、むしろ害悪になります。
Twitterで鬼滅の最終話を検索してみて下さい。
「本編よりも後の加筆部分で泣けた!」という意見が多いですよ。
法華経にも加筆部分は多いです。釈尊が分析哲学的実存主義哲学を理解出来る奴はいない!
と方便品から始まりますが、何とかメタファーを紡いで理解出来ない実存主義を舎利弗に語り始めます。
ここで理解やら感動出来る人もいます。しかし、それでも本質を理解出来ない人の為に
後世の仏法を広めたい人達によって加筆されたのでは無いでしょうか?
「去年マリエンバートで」を観てもよく分からない人でも、映画、演劇、文学、哲学に明るい
友人の一言のアドバイスで作品が理解出来る、このような事って今までたくさん経験してきましたよね? 悪事を己に向かへ、好事を他に与へ、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
伝教大師最澄「山家学生式」 間違った生き方
間違って無い生き方
という明証性の無い社会規範は
デニス・ロングの問う「社会規範・社会的結合の生成の源泉は何処か?」
という根本的な問題がある。 欧米へ留学や企業の駐在員として欧米で暮らした人は皆経験している。
欧米では家庭内での食器の洗浄。その多くが洗剤を水で十分にゆすがず泡がついたまま乾燥させる。
日本人はカルチャーショックを受ける。
さて
この泡を水で落とさない欧米人の食器洗いは
間違った生き方だろうか?
間違って無い生き方だろうか?
こんな所にも「社会統制と人間性の概念」問題が潜んでいる。 よく生活保護受給者を批難する人達がいる。
「働きもせしないで俺たちの税金で楽して生きてる!」と
楽かどうか?は置いといて、「税金」と呼ばれる生活保護費の「減資」について理解して無い人達であるのは
しっかりした大人なら皆気づくはずだ。
それでも「俺たちの税金で、、!」と言い続ける人が多い。何故、原資の流れを調べようとしないのだろうか?
年度末になると盛んに道路工事が始まるような国家と地方行政の予算と実績報告書の問題がある。
生活保護費は、実質的に(活動実績書での名目はあるが)国民の税金を使っていない。
この様な集団的認知不協和を惹き起こす、実体無き社会統制とアンカリング・バイアスを
常に考えるのが大人だと思う。 人人皆な仏法の器なり。かならず非器なりと思ふことなかれ。依行せば必ず証を得べきなり。既に心あれば善悪を分別しつべし。
道元 >>938
その言葉をこのスレで、しかもスレのコンテクストで表すのは、ちょっと危険。
正法眼蔵随聞記だっけ?
あの中のテクストは「現成公案」という一本の軸がある。それを理解してないと誤読する人多数。
バラの木に、バラの花咲く、何の不思議無けれど(でも不思議だよねぇ)
と言う方が曹洞の風を表せていいんじゃ無いかな? 「法華経を止めるな!」
法華経を読む上で障害になる物。
以下の動画は10年ほど前に放送された自殺防止CM「屋上の少女」
https://youtu.be/nZMCCKBFk0Y
「法華経を止めるな!」
One Cut Of The Everything Via A Lotus ! >>940 近年、輸入食品の缶に貼られるラベルにシュガーフリーと記される
品物を見る、詰まり砂糖無添加を表示している。
其れに習い、日蓮フリーの法華経解釈を世の中では欲して居るのではないか?
日蓮ってスレタイにあるが、彼の論旨からフリーになれない人が多すぎる。
時代錯誤は後世の指摘にしても、立正安国論は時の執権に未提出、梵字は間違う
とても頼りにならない強面日蓮上人なんですってと露見しちゃってるのデス。 >>941
日蓮の存在意義を後世の学究が研究しているが、とりあえずとしての集合知しか表せない。
まして東洋哲学や比較文献学の広義においてのテクニカル・タームさえ知らない
私達には全く目的地にたどり着けるはずも無い。
ここで
1・日蓮大聖人は素晴らしい人間だ!とソリューションを得るのも間違いだし
2・日蓮って知性の低いルサンチマンが幕府からの金と利権を狙ってたけど戦略が下手過ぎて狂っちゃった奴。というのも間違い。
弟子「あなたはよく誰々はあの家に生まれ変わったとかなんとか話していましたけど、実際、死後の世界や生まれ変わりってあるんですか?」
釈尊「それについてはねぇ、、、、何も言わないよ♪」
これが大正解。
日蓮の哲学的・心理学的、社会学的・文化的・生化学的・脳科学的・精神分析学的な考察は専門家の新しい意見を、ただ眺めるだけにしよう。
日蓮の存在意義で、1つだけ大きな恩恵を私達は受け取っている。
それは、これだけ「法華経」という文学書・哲学書を後世の日本人に
何百年もの時を超え、生かし続ける、1つのスパイクだった。
という事だ。
日蓮の朝食は何だったのか?
日蓮は生涯、童貞なのだったか?
それと同じ様な事を御書から探ろうとしても無駄ですよ。
御書の読みにくさも、日蓮は法華経を真似して書いているので(日蓮は法華経フリーク)
法華経がどの様な文章構成と展開操作、ドラマツルギーを使って書かれているのか?という
読書人的視座さえあれば、御書から日蓮が、まるで騎士団長殺しの顔長の様に飛び出してくるよ。
法華経を後世に伝えてくれた日蓮さんだ。
彼に敬意を表して、一度法華経を完読してみよう。(妙法蓮華経の嘱累品が最終章というのは意識して)
日蓮さんがいなかったら今ごろ法華経は曹洞宗と臨済宗だけになってしまう。
禅宗の法華経は、、、、恐ろしいぞーw 般若心経は 仏教の精要 密蔵の肝心なり
このゆえに受持講供すれば苦を抜き楽を与え
修習思惟すれば道を得 通を起こす
まことにこれ世間の闇を照らす明燈にして
生死の海を渡す船筏なり
深く讃仰し 至心に読誦したてまつる 5年ほど前、北京の雲居寺に保管されてたものが最古の般若心経石刻だと(661年)
報道されてたけど。それ以前からジャン・ナティエや苫米地氏が
般若心経はTAOの影響を受けた偽経と言われていたね。
偽経と言えども、その内容は仏教の教理哲学をズバリと書き残してある。
般若心経は漢語で無く、現代語訳で読んで欲しい。
物質的現象は実体が無く、実体がないからこそ物質的現象として現れる。
デカルトのように、アレも無い。コレも無い。と玉ねぎの皮を一枚一枚棄てるようにして
最後に残った物は何か?
法華経の嘱累品も、このように読んでほしい。 物凄く分かりやすくて、面白くて、笑ってるうちに理解出来る物として
みうらじゅん著・アウトドア般若心経をお勧めする。
みうらじゅん
月極め駐車場の前に看板があって、そこに「空有り」って書いてあって
下に電話番号が書いてある。
おれ電話かけてみようかな?と思ったけど、仏教的な意味を教えてくれるはずも無いだろうと
写真だけ撮って通過した。
この「写真だけ撮って通過した」の短い一言で仏法の底を言い表す凄い人だ。
仏教教理哲学は意外と宗教の人よりも、宗教では無いサブカル人の方が理解しやすい哲学なのかも知れない。 般若心経の一発目の
「般若波羅蜜多」はダブルミーニング。
ここをしっかり抑えて読んで下さい。 般若思想というお題
仏陀の本質とは何か?突き詰めますと<般若が本体でその活動を仏陀と見做す>
大まかに言うと、「人間の頭脳を超える、智慧を示す人が即ち仏陀である」と
説きます。
般若思想の初期経典 1金剛般若経、2般若心経、最終段階の3般若理趣経がそれらの代表的な教典といえましょう。
般若思想の歴史的変遷が伺える興深き3つを挙げて見ました。
1の素朴な般若から、空海が最澄に対して借覧を断る段階の般若理趣経に至ります。 >>947
>>人間の頭脳を超える、智慧を示す人が即ち仏陀である
即ち、プログラマーや数学者や科学者じゃない
そういった観点から見れば 大聖人を御本仏として成立することも可能ですよ
さらに掘り下げれば、歴史的観点や文化や智慧等から
「日本人」全てが仏と言う理屈も成り立つし
日本を誹謗中傷する輩(特に天皇を蔑ろにする輩)は 例え仏教徒でも「魔」とも読むことが出来る
女系なんて言っている輩は 完全な仏敵だわな
今は「取りあえる」だけの事が出来ないし、細かく説明するのが面倒なので
参考程度に >>942
なんだか「左のほっぺを叩かれたら右のほっぺを差し出せ」のソレで
流されるままに生きろ・・と言わんばかりですね
つか、東洋哲学研究所の結論として法華経との理同事象を証明しているんですか?
さすが、中国の研究者ばかりいる研究所らしい内容だわな
確か、中国人が3名以上いて、その3名が共産党員ならば
中国の法律に基づいて、中国共産党の主導による労働組合を強制的に作る事を義務付けている
研究所ならではの見解だわな
その教えによって 一番、漁夫の利を得た 潜聖増上慢の輩は 中国共産党であり
習近平ちゃまですよ >>949
私が宗教を批判もしないし首も突っ込まないのも、これが理由です。
黎明図書館にこもっていた篠原善太郎さん。
電話で箱根から「秋谷の馬鹿野郎を呼べ!」と言った篠原善太郎さんと東洋哲学研究所。
東洋哲学研究所に関しては、「東洋哲学研究」と言っても、創価学会コングロマリットの1つな訳で
私にとっては宗教団体の問題です。
だから私は言及はしないし、東洋哲学研究所も創価学会も一切批難しません。
私が語りたいのは、集団や箱では無く、仏教哲学の上位概念なんです。
それを語る為のプリパレーションが必要だと確信して書いています。
創価学会員も東洋哲学研究所も聖教新聞社も会員奉仕局も組織総局も第1庶務局も
私は全く興味がありませんし
私は全く批判はしません。
創価学会だけで無く様々な法華系日蓮系の日蓮宗・日蓮正宗・立正佼成会・顕正会などなど
全ての宗教団体を批判はしません。
私が見ているのは、そういう所では無いのです。
私は好みませんが、宗教団体の信者になって信心を持ち、毎日希望を持って生きる人達も立派だと思いますよ。 >>942 お釈迦様がお元気に説法されて居た時代に
人の生まれる前の個人の生涯や死後のそれぞれの状況を説いていたと初期経典の記録に在る。
又、或る時は髑髏を説明し、この者は生前に解脱を得たので未来に於いて
以後は生まれ変わり人間の身体を持つことは無いと説いたりしている
一々興味本位な質問位に返答するのは煩雑故、或る時の説法を
法鏡として教え残し、自他に引き換えて考えて見よと言い残した。
そんな事を言わずとも君に尋ねよう、産まれて最初の記憶は何ですか?
もう少し易しく質問しよう、自分自身を発見したのは何時でしたか?
発見する前は何でしたか?詰まり暗黒状態から生まれ、死ぬ時も真っ暗闇みたいな
もので冥い状態で人生を閉じる、死後の有無すら判明しない恐怖に震えながら
命が終わるのが一般民衆、此処には民主主義選挙や世界平和の入る隙間が無い。
殆どの人が死に方を選択できないでしょう。
生きる死ぬを繰り返すにしても哀れな存在じゃないですか。 >>953
あなた「千と千尋の神隠し」を目と耳、全身で観てみるといいよ。
千尋はトンネル(産道のメタファー)を辿って生まれる前の名前の無い世界に行くけど
千尋だけじゃ無く、千尋の両親も産道を遡って生まれる前に次元を超えていってしまうんだよ。
両親が産まれる前の、産まれる前の千尋。
ハンス・ベルメール的な幻想の中での存在証明を示している。
初めから示すべき所は示してある。
ラストで湯婆婆が千尋に「このたくさん居る豚の中からお前の両親を言い当てろ!」
「正しく言い当てられたら、お前を元の世界に戻してやろう、、」
この時、なぜ千尋が凛とした眼差しで
「この中に、私の親はいない!」と言ったのか?
何故それが正解だったのか?
「千と千尋の神隠し」は宮崎駿の作品であり皆が楽しめる娯楽性も当然在るが
一本、仏教の軸だけは崩していない。
仏教を学ぶ者なら、そこを見抜けるはずだ。
>>953に対する答えは、全てそこにある。
問題・なぜ千尋は多くの豚の中に自分の親が居ないと確信が持てたのでしょうか? アリスとか千と千尋とかなんだっけ?物語の類型
ネバーエンディング・ストーリーでエンデがラストにブちぎれた話面白かったな
千尋は労働を知って両親がブタじゃないけど気づいたけど
そんな難しい話かね 穿った見方かもしれないけどオリバーツイストって大っ嫌いなんだよね俺
あのラストは読者にとってバッドエンドでしょ
某宗教団体の見解も過去七仏なんだよって
そんなのに救ってくださる、アホらしい >>952
この男のカキコは長いわりに中身はないから気にしなくていいよ。。 >>954 千と千尋の神隠しってのは、人生の始まりと終わりが真っ暗な人間存在の
救いになるのかね?それなら日蓮が云う題目の方が、”まし”かもな。
夫れ形有るものは必ず仏性を具す。仏性法性法界に遍して不二なり。
之を覚える者は常に五智の臺に遊び、之に迷う者は毎に三界の泥に沈む。
弘法大師空海 >>958
>千と千尋の神隠しってのは、人生の始まりと終わりが真っ暗な人間存在の
>救いになるのかね?それなら日蓮が云う題目の方が、”まし”かもな。
(SPRITED AWAY 宮崎駿インタビュー・プレミア誌)
「ベルリン映画祭グランプリ受賞おめでとうございます。あなたが千と千尋の神隠しを作ったキッカケは?」
日本では私の映画を評価してくれるファンが増えていきました。
映画を作る時には私なりの訴えたい事って実は必ず1つは在るのですけど
多くのファンから貰った手紙を読むと、誤読されているなと、、、
特に僕のファンはアニメが好きでフィギャを揃えたり、ゲームに興じる男の子が多いのです。
しかも彼らの多くが大人なのに働いていないのです。
それぞれの家庭の事情は違うでしょうが、経済的に親に頼っています。
これは子供なんです。年齢は大人でも、子供なんです。
今、日本ではこの様な事が社会問題になっています。そういう人達がが私のファンに多いのです。
これは私も責任の一端を考えます。
そんな彼らに、私は自分がが何処から生まれてきたか?働くことの大切さや人生を愛せる勇気を
千尋を通じて学んで欲しいという気持ちが先ずありました。
これはアニメ制作者である私が「アニメは、もう観るな!幻想の中で一生を終えるな!」
と言ってるようなもので、、、、それを「パラドクスだ!」と非難されるのを覚悟の上だったのです。 >>960 私の年齢では生前お会い出来ない、故澤木興道禅師の残される言葉に
”わしの言ってることは、現金(げんなま)”
それに引き換え貴方の言うことは、ほとんど偽札で御座いますな。
何を考え、伝えたいのか曖昧な印刷で絵柄が判りませぬよ >>955
>ネバーエンディング・ストーリーでエンデがラストにブちぎれた話面白かったな
エンデのラストシーンは素晴らしい物なんだけど
商業映画として作るには興行収入と出資者へのコンセンサスが必要。
その為に、観客と出資者の需要予測をしたら、あの映画のラストシーンになってしまった。
あのラストの方が多くの人にとって分かりやすいんだよ。
人間って対立二元論が1番理解しやすいし、それを好むから。
誰が敵で、誰が味方か?と考えないと、落ち着かない人が多いんだよ。
極端に言うと
エンドの原作を好む人は1人で仏法を学ぶのが好きな人。
映画の方を好む人は、宗教団体にコミットして生きて行きたがる人。
ディズニー映画には必ず悪役が登場する。悪役がいなければディズニー映画は成立しない。
悪役なんて存在する必然性は無いのにディズニーは無理やり悪役を作る。
「神と悪魔の対立」という物がは、どれだけバカでも分かりやすい展開操作だからだ。
「夢は必ず叶います」は麻薬と同じく一瞬、多幸感を得られるが切れると途端に激しい鬱に見舞われる。
鬱になったからまた麻薬を求める。
人間は、コレ以外でも、この様なおとぎ話に毒されながら育って来た。自分以外の人によって毒された。
「フルメタル・ジャケット」のラスト。何故ベトコンを殺しに行く時に横一列になって
海兵隊達は大勢でミッキーマウス・クラブマーチを歌って進軍したのか?分かる? >>956
>穿った見方かもしれないけどオリバーツイストって大っ嫌いなんだよね俺
オリバーツイストも英国的な独特な表現形態を持っているから日本人には違和感を感じる。
オスカー・ワイルドやシェークスピア、サキ、ウィリアム・ブレイク
どれも私達日本人にとってヒネった解り辛さを感じてしまうが、それも1つの大切な文化だ。
英国の第二の国歌と呼ばれる「エルサレム」。名前こそ「聖地エルサレム」ではあるが
あの第2の国歌の歌詞、ウィリアム・ブレイクの詩を読んでみてくれ。
「緑の大地とサタニック・ミル(地獄の工業地帯)の上に、かつてエルサレムがあったと言うのか?」
日本人の感覚なら「これが国歌の歌詞?」と不思議に思う。
日本人なら「なぜ自国を讃えないの?」と不思議に思う。
英国人は、この第二の国家とモンティパイソンのalways look at the bright side of life
が大好きだ。ロンドンオリンピックでもロイヤルウェディングでも歌うのが恒例。
もしかしたら英国人の方が、仏法を学ぶマインドセットを持っているのでは無いでしょうか? >>961
>それに引き換え貴方の言うことは、ほとんど偽札で御座いますな。
>何を考え、伝えたいのか曖昧な印刷で絵柄が判りませぬよ
あなたの様な人は、宗教団体に入った方が心の支えになるかもしれませんね。
そういう人の為に、宗教団体というのは存在しているのだと思います。
バイアスを持つ者。幸いなるかな!
そういう意味で、私は宗教団体も
信者さんの信心も否定はしません。
批難なんて絶対しません。 >>962それにしても、日蓮って人は区分、判り易く分別したがる性格。
正と邪に分けて法を説く、彼の心理では法華のみ在れば他はゴミなのです。
お構いなく盗んだとか手酷く非難してますね。 >>964 自己の思想、言い分を伝えるのが
人間のみが使う言葉じゃないですか?
曖昧な言葉を連ねるのは「不親切で誤解を招く」
俺の気持ちが判らないのか!と言い出すのです
正確性に欠ける伝達は争いの元になります。 >>955
>千尋は労働を知って両親がブタじゃないけど気づいたけど そんな難しい話かね
難しいのでは無く、難しさを削ぎ落とした真性を表しているから見逃す作品。難しさの逆。
(この点において、法華経の誤読と同じ性質を持つ作品)
語ると大部になるからいくつかのポイント、ヒントを書くわw
・産道のメタファーを千尋と両親。3人で皆が生まれる前の異世界へ向かう
・親が許可を得ず食べ物のかぶりつく。人間が生まれてくる前提の性欲という業を表す
・「後でお金を払えばいいんだから!」 子供を取り敢えず作るだけで、人の親になる自覚が無い親達。
・社会参画出来ず、人と話す事も出来ないカオナシ。高齢ヒキコモリのメタファー
・カオナシは千尋の気を引こうと金塊をプレゼントする。ヒキコモリのコンプレックスは対社会に対して言語で話しかける事は出来ない。
・カオナシは誰かを食べて体内で金塊を作る。自分で働かず親の金が自分のお金だと思っている。
・ユヤ・ユナ・屏風の「回春」そして訪れる神様は全員男。これが示すように生まれて社会に出て順応主義的に生きていく事は、男も女も売春婦である。
・龍として飛ぶハクは多数の人型(人型)に攻撃される。川の神は人々の人形(祈願)を受け入れなければならないのだが、ハクは自分から自主独立性を奪った形而上学的な支配者に反抗し金枝篇の様に逃亡奴隷神様になる。
・生まれる前の異世界へ行った千尋は更に銭婆に会いに海上汽車にのって異世界に旅に出る。千尋は生まれる前という負の数の世界から、更に負の世界へ旅した(言わば複素数の世界へ何かを確認しに行った)
分かりやすいのは現実と生まれる前のフェーズだけ出しとけば多くの人には理解出来るだろうが、それこそが対立二元論的相対的価値観であり仏法や実存主義哲学を誤読させる元凶なんだ。
この「千と千尋の神隠し」は様々な物をぶち込んでいる。まだまだ他にあるがココで辞めておく。 うぜーなぁ、そうかの自称無宗教工作員。ログ流ししつこいんだよ。 >>968
日蓮から話題をそらすのが目的だからね。
そこで法華経を持ち出すわけだが、文章も冗長なだけで中身は全くない。 日蓮を語るなら、まず法華経から
微積分を学ばず、微分方程式は解けない >>970
日蓮は本人が強調するほど、また一般にそう思われているほど法華経を信奉していたとは考え難い。
そもそも梵語が読めない日蓮に陀羅尼品を含む法華経の全体が分かるはずもない。
また法華経のなかで唯一仏教経典らしい、そのゆえに日蓮にとって色々耳の痛い内容を含む安楽行品はガン無視して恥じない有様である
あげくの果てに題名だけ唱えれば良いなどと不真面目にも程がある。 >>971
これは、どの鎌倉新宗教でも同じ問題を抱えている。
比較文献学や放射性同位体を用いた同定を行なったとして、更に謎は残る。
例えば浄土真宗は実はキリスト教と揶揄されるが、これにも理由があり
一般的にお西さん、お東さんが浄土真宗の代表みたいに思われているが
西本願寺には「マタイによる福音書」の蔵書が在る。しかしお西さんもお東さんも
親鸞遺文には親鸞が福音書に関して言及した物が無い。という事で
親鸞はマタイによる福音書を読んでいない。と結論ずけられているが
実は浄土真宗の中でも特徴的な浄土真宗高田派(親鸞遺文の半数所蔵。それゆえ歎異鈔を読まない唯一の派)
この高田本山・専修寺には宝物として福音書に関する親鸞の和讃が存在する。
高田派は真宗の中で異端視されているからか?タブーだからか?そこは言及されないまま時は過ぎた。
(2023年に三重県津市の高田本山専修寺において公開されるのでは?と仏教マニアは期待している)
この様な事は、どの宗派にも存在する。後世の検証の不可知性を合わせ持つからだ。
日蓮も、どの様な法華経を読んだのか?は分からない。しかし、その行動原理と熱情から
現在の集合知を持つ私達は、私達の立場で日蓮を探求しよう。
その探求は「いい国作ろう鎌倉幕府」という昭和人に対して
私達、平成育ちが「ばっかじゃねぇの?いい箱作ろう鎌倉幕府に変わったんだよ!」
という子供っぽい誹謗中傷であってはならない。
それから安楽行品は需要なチャプターではあるが、安楽行品だけ取り上げて
法華経を読んでない人や、宗教団体の教学への批判の武器にしてはマズイですよ。
あなたが安楽行品を十分理解している事はよく分かりますし、法華経を全く読まない人が
多い中、しっかり読もうとする姿勢は私も高く評価します。
ただ、悪く受け取って貰いたくは無いのですが
安楽行品には1つ暗喩としての機能がありまして、そこを気づいて欲しいです。
安楽行品の前後で、法華経の修辞が相転移を起こしています。
相転移をさせる為に、安楽行品を挟んでいるんです。
私が解説するよりも、自ら読んで自分自身で納得出来る事が1番大切な事です。 >>972 日蓮氏に関して新スレッドを近きうちに立てる予定です、期待されたい。
日蓮一生の負い目は、天台の寺に入りながら密教事相、教相に触れらずでした。
負い目と云うのは可哀そうなのですが、密教一流の伝授を受けるには現代で云うと
米ハーバード大学留学相当の費用を自弁で用意せねばなりません。
判り難い人の為に少々語ります、十八道念誦、金剛界、胎蔵界、不動法および護摩。
次いで阿闍梨灌頂を受けて一人前の天台僧侶は出来ます。
この阿闍梨の地位は、公家並みで在り宮中参内が叶います。
よく言われることに、日本の仏教の奥を知りたければ密教を抜いては語れずなのです。
最澄が空海に接し、此れは敵わない何としても密宗を取り入れねばならぬと決心する。
其の内容、教学と事相を日蓮は全く知りません。
彼は文字が在ります、然し読めるお経は法華経のみの教祖型の人物なのでした。 >>971
例によってダラダラと長いが、一段目二段目三段目とも970の論旨に全然噛み合ってないよ。 >>974 日蓮氏の持ち芸は法華経のみだね、日蓮師の言い分は仏教を全て
網羅し余るところ在らずなら、君は幸福なんですが残念ながら,師には他に見るべき
芸は無く法華経のみ、そりゃそうだで仕方が無いから、題目を唱えよと辻説法。
梵字の読み書きは師の許しが当時は必須事項です。
所定の作法と師からの灌頂作法が一々伴う厳重なものです。
梵字は佛天の種字となり、供養作法の中心に控える重要性を持ちます。
興味ある方はお調べください。
法華経の不足分を補うのが密教供養法です。 >>976
日蓮は空海が法華経を軽視したと的外れな論難を加えているが、空海は日蓮などよりよっぽど法華経を丁重に扱っている。
秘密曼荼羅十住心論でも、法華経を修するなら正しい師について、正統の供養をせよと諭している。
具体的には成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌に示された作法にしたがって行うべきだとする。
いいかげんなやりかたでは経王だけに重罪を被るだろうとまで警告している。 976のアンカー>>976は>>975の打ち間違い。念のため。 >>973
>よく言われることに、日本の仏教の奥を知りたければ密教を抜いては語れずなのです。
まず数年前の話をしましょう。ダライ・ラマ14世は輪廻転生により原初がウパーリで
霊的世襲によりダライ・ラマとして生まれてきたと密教上では信じられていましたね?
でもダライ・ラマは言いました「私は次は金髪おてんば娘として生まれ変わる!」と
世界中の人はびっくりしましたがゲルク派(ツォンカパ系)もニンマ派(パドマサンババ系)の
信者も僧侶も、ダライ・ラマの発言を非難せず、むしろ肯定的に捉えていました。
ゾクチェンやリンポチェやトゥルクの概念も、古来に日本に輸入されてから、日本流に
固定(グリセリン液で細胞を洗浄するように)されてきたのでは無いですか!
密教自体を、そのような恣意的(意図的と反対の意味)分断で論を進めて良いのでしょうか?
密教の信者さんの中にも「オンマニペメフム」と真言を唱えて、心が満たされる信者さんもいるでしょう。
そういう人は、そういう人で良いのです。それがその人の信教の自由なのですから。
しかし、密教に権威を持たせ、他の宗派の信者さんを攻撃したり、下に見るのは
密教ではありません。
それはオウム真理教です。まさか貴方はアレフの信者さんでは無いですよね?
新スレお願いします。
ここまでの流れで、御書の解釈がどうのこうのとか
鎌倉幕府は1192作ろうなのか?1185作ろうなのか?という無産の時間と空疎な議論が存在していましたが
ようやく、様々な方から形質の揚げ足取りでは無く、本質的な概念に目を向ける人も
少しずつ現れて来ています。新しいスレ。期待いたします。 >>978 秘密佛教という法式は、本体のバラモン教が仏教の糖衣に包まれた教え。
と云うのが本当と言えましょう。
奥の伝を見ると,接着剤の剥離を知ります。
麻原は、彼は色々と面白い表現で物申して居りました。
然し乍ら、俺は難病患者の治癒祈祷が出来ると迄は発表せず終いでした。
彼はその程度の行者でしたね。
加持祈祷で言うなら、日蓮師は俺に蒙古調伏をさせろと運動したそうですが、
巷の評判が真に高ければ、時の執権から依頼された筈です。
まあそんな程度の験力と推測します。
日蓮の脳裏には、過去の僧による祈祷成功の褒美に寺領、弟子口分を認められた実話が秘められて居たと思います。 >>979
あなたの書き込み、言ってる事が全て
宗教団体も従属する、宗教団体にコミットする
おばちゃんと同じマインドセット。
つまり、普遍性を表そうという戦略を一切持たない人みたいですね。
そういう方々が、宗教団体信者どうしで、他宗派の信者さんと口論したり、喧嘩したりするんでしょうね
よく動画に出てくる、日蓮正宗とヒゲのおじさんと
それに対抗するスーツを着た創価学会のの人とのバトルがありますけど
(論点・争点はいつも、御書の解釈)
私は初め、このオッさんたちは何バカな事やってんだよ!おお互い大人だろ?
と、心の中で笑っていたのですが
あの様な方々にとって、トップダウン的、全体主義に屈服する順応主義者になる事は
あの様な方々にとって、心の救済言語として社会学的記号と機能として働きがあるのだと。
今は、別の見方をしています。
つまり、宗教の信者さんが教義を信じるのと同じ様に
他の信者さんをいい負かそうとする事自体が、その人の都合の良い言語化された救済なんですね。
それは、彼らhが呼吸をするように、実存の確認と社会の中でのポジショニングを得れた!
と思えて、それで幸福を感じているのですから。
無宗教の人は、批判せず、彼らを生暖かく見守るのが正解だとおもいます。
そういう理由で宗教団体や、その信者さんは否定しない立場なんですけどね。 >>980 宗教って何?問われて答は、真当な祈りに対し
救済が在り、其れが必ず人の幸福に結びつき、金銭や奉仕を要望されないのが
本当の宗教。
教団が在ろうと無かろうと関係なく、人々は神仏の存在を知っている。
こんな簡素な短い答で如何ですか?
これは神話で云う、1黄金の時代 2銀の時代 3鉄の時代の
1の黄金の時代の事ですね。 宗教にコミットしている人をバカにするのは、止めよう。
また、宗教の信者さんは、他宗派、他宗教を批判するのは止めよう。
社会的道義的に日本の法曹で問題にされる宗教団体以外は。 宗教・信心を持つ事の良さ。
人間は生まれた時から、親や親族・友人知人という環境要因に影響されて育つ。
存在する帰属社会、学校や地方独特の価値観・因習・モラルなどに影響されて育つ。
社会に出て閉鎖性の高い帰属意識と、対社会の外へ向けての社会的妥当性とを切り替えて生きる。
人は、それぞれ思惟や価値観、自分自身で心を救済する能力はバラバラである。
そのような人の中には宗教・信心によって倒れそうになる実存を補強(リインフォース)為る為に選ぶ人もいる。
また、同じ様な同士が集まって親しく交流する事で、その信念は更に強まり(エコーチェンバー)
信者同士が互いに、元々弱い筈だった人間という生き物を、強固な信心を
社会的結合によって、場所を(レフュージとポジショニング)形成出来る。
このような人達を批判してはいけない。
これは日蓮宗でも日蓮正宗でも創価学会でも立正佼成会でも顕正会でも
それぞれの信者さんは、お互いを批判する事無く。
無宗教の人間も、宗教・信心を持つ人達をバカにしてはいけない。
長袖パーカーを着ている人に
「今日は暑いほうだから、その長袖パーカー脱いでTシャツ一枚で十分だよ」
と言っても
本人にとっては、長袖パーカーを着る理由はある。
その理由は、本人にとっての何らかの正解であるからだ。 宗教・信心を持たない事の良さ。
どれだけ宗教の勧誘を受けても、宗教側に歩み寄らない人がいる。
これは、勧誘やら狭義での教義の解説の前に、既に宗教を排除しているからだ。
ここで、注目すべきは、「宗教に興味が無い人、イコール、宗教を否定している人」では『無い』事に着目すべきだ。
勧誘や折伏に断られた信者さんの中には
「あの人は私達の宗教をバカにしてるのよ!ちょとぐらいインテリだと思って!」
と、対立二元論で独りよがりな安直な感じ方をする人がいる。
こういう人に出会うと、ややこしいけれども
宗教・信心を持たないまま仏教であれキリスト教であれ、哲学的または文芸的に
人間の文化の変遷を観察する事は、自分の外に権威を置かず
自主独立性を持って、実存を考察するという、楽しみを享受する。
それは、団体(マッシブ)では無く、一人ぼっちだが、1人としての力強さを得られる。
「電通がなんや!博報堂がなんや!一対一なら負けへんで!」
(日広エージェンシー・中島らも) 信心の深さを推し量ると
何を信ずるか?信心に明瞭な規定はない様です。
但しこんな説明は如何ですか?
「白浄信心」と云い。
己の心の奥底に、仏様と等しき汚れなき、白き浄らかな心が在るを信じるのです。 >>986
それで良いのでは無いでしょうか?
他者はあなたの考えに共感出来なくても、あなたを否定する人はいないはずです。
知性を持っている人なら、絶対否定はしないでしょう。
よく創価学会員の方々が
「信心と実践によって功徳が在るんですよ」という人が多いですよね。
それは、その学会員さんにとって正解なんです。
「功徳」の概念。存在論的論証や認識論的論証は出来るのか?なんて聞く事は
全く、的外れです。
「私は寿司ネタではマヨサーモンが1番好きだ!」という人に対して
「サーモンってもともと江戸前寿司の寿司ネタじゃ無いんだよ。だからマヨサーモンなんて食べるなよ!」
と言うのと同じです。
宗教の人を、宗教を持たない人が、「それが間違いだ!」と言うなら
その宗教を持たない人の知性の低さが露呈しています。
無宗教なら無宗教で「ただ私には宗教的信仰は必要ないのです」と言うだけで良いのでは無いでしょうか?
また、信仰を持つ人も、無宗教の人や自分の子供達に、信仰を押し付けるべきではありません。 批判的思考なくして人々の進歩はないよ
仏教や各宗教の歴史も然り
天台大師曰く無疑曰信(疑いを尽くして信が残る)だよ
批判や議論がない信仰は争いはないかもしれないけど妄信になる
創価学会や日蓮正宗や顕正会がやってるような誹謗中傷や罵詈雑言合戦は論外だけどね あぁそれとここは「創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語る」スレだから>>1をよく読んでスレの趣旨を理解してから書き込んでほしいな >>988
カントの批判哲学を出すまでも無く、哲学の世界は批判主義無くしては成り立たない。
日蓮を理解するための法華経熟読も、そのアナロジーと、うわべだけの言葉の違いを
理解しようとするのはジャック・ラカン的現構造の構造分析という批判になります。
これらは
一般に使う「批判」と言うシニフィエとシニフィアンとは視座が違っています。
そこを理解して下さい。
現在良く使われる「姑息」と言う語も、日常生活の中では「卑怯な」意味として使って良いでしょう。
元々、テンポラリーという語義から拡大された使い方としては批判はしません。
しかし、企画会議において自分の部下が卑怯な意味として「姑息」と言う言葉を使えば
私は批判します。(自分の可愛い部下を育てる愛として)
この違いが分かりますか? >>989
私は日蓮理解について語っています。
その為のプリパレーションである事を気づいて下さい。
いきなり御書を叩き台に乗せては日蓮を理解する事は無理です。
日蓮は重大なヒントを与えてくれています。
日蓮は法華経を読んだ。
日蓮は法華経を評価した。
一体、法華経の何処が凄いのか?
を理解せずして
日蓮を理解する事は出来ません。
「じゃあ」や「では」や「結局」や「どこが?」じゃありません。
重要な所をシッカリ踏まないと、日蓮大聖人を理解しなくても良い理由を
人々は探し始めます。
それを日蓮大聖人が喜ぶでしょうか? >>990>>991
スレも残り少ないから話はスレ立てをして日蓮スレ以外の別スレでやろうか?
ここは>>1にも書いてあるように「創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語る」なんだからスレ違いの長文を何度もレスしないように
良識があるなら最低限のマナーぐらい守らないといけないよ >>992
いいですね。
このスレには仏教や哲学を語りたい人も多いと思います。
「日蓮を含む広義での仏教スレ」というのがあった方が盛況になるでしょう。
哲学的視座を持った方の語る仏教って読んでいても楽しいですもんね。 最後に確認させてください。
大日如来の名前にある「大日」という言葉は、「大いなる日輪」という意味です。
日輪とは太陽を指す言葉なので大日如来は太陽よりも偉大な存在であり、
宇宙そのものだと捉えられているのです。
釈迦如来、阿弥陀如来などの諸仏はもちろん、世界のすべてのものが、
大日如来から生まれたと考えられているのです。 >じゃこのスレには二度と来ないように
日蓮大聖人の為に
法華経の広宣流布は続けます
私が日蓮大聖人の代わりに語りましょう >>997
それならそうと最初からそう言えばいい
批判はダメだとか言論統制するから無駄にスレッドを逼迫させて荒らし行為になるんだよ
日蓮について語ることは日蓮スレの趣旨だし日蓮シンパと語りたい人も多いだろうから次スレではスレの趣旨に沿って頑張って 久々に美味いラーメン食いたい。適度に旅行したい。安全なセック●したい、休みが欲しい。金持ちと言われるぐらいの資産が欲しい。
それだけ叶えば話者なんも言わん! あーあ、変換ミスったから常時かしねえ、このクソアイフォンが! このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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