法華経って、仏教経典の中の神智学だと思う。
神智学って、ヨーロッパでは初めて体系的に霊的な進化論を提唱した学問。

キリスト教に霊的な進化論は含まれていないわけじゃないけど、キリスト教は宗派によって解釈が違いすぎるのでそこら辺は主観的な解釈しか出来なかった。
なので、神智学が登場するとキリスト教から神智学に乗り換える信者が多数出現。

霊的進化教義ってすごい分かりやすい。
人類は低次から高次に進むという考えは、勉強でいえば勉強すればするほど偏差値が下から上に上がるようなイメージなので、教義の実践に明確に取り組むことが出来る。

仏教は霊的な進化など説かない。
凡夫から悟りに至るという進化イメージはあるけど、それは低次から高次へという感じじゃない。
自分は低次や高次ではなく元から全く同じままで、ただ煩悩を取り除く前と後という煩悩があるか無いかの違いのみがあるという、進化とは異なったイメージ。

しかし、法華経はそのような仏教の中にあって、迹門と本門という高低的な捉え方があって、低い迹から高い本に進化するという誤ったイメージを作り出す。
発迹顕本ってやつがそれで、法華経は他の経典と違って釈迦の境地を最も深く理解したもの、つまり本の境地という他の経典では得られない高次な境地を会得出来るものとのイメージを作り出す。
よってもし仏教経典を偏差値順に並べるならば、一番高いところに来るのが法華経というイメージが作り出されやすい。
これを実際やったのが中国の天台大師。
天台のやったことは、実際は教えに高低など存在しない仏教を誤解させる愚行だと思う。

霊的進化論を説いた神智学は、ルドルフシュタイナーを始めとして様々なフォロワーを生み出していった。
そのほとんどがカルト化していく。
何故ならば霊的進化論は、オウム真理教のように人類の進化と退化の理論を両方作り出すことが出来る。
この教えを信じれば人類は進化して救われるが、この教えを信じなければ人類のレベルが下がってハルマゲドンが生じるなどに象徴される、人類の進化・退化理論を作り出す。
この人類の進化・退化の教えは、人類に希望と恐怖という飴と鞭を使って、特定の教えに従わせる特徴を作り出す。