>>58 金吾と雑談中に、光り物があらわれるわけで、

首切り処刑中は、私語厳禁です。

↑というのは時代劇の首切りシーン見たことある人なら、
わかると思うけど、付添人と雑談中にいきなり後ろから
首切んのか?

考えたら分かるだろーが、幼稚園児じゃあるまいし…。

で、金吾と雑談してるときに突然光り物があらわれると、
そのあと現場はしっちゃかめっちゃかの大混乱になって
いろいろ書いてありますが、もう首切り処刑どころの騒ぎではなく、

いったい種々御書のどこに
首切り処刑のシーンが書いてあるのでしょうか?

光り物はたしかに四行ほどあれこれ詳細に記述があるけど、
首切り処刑のシーンは見当たらないわけで、
御書根本の立場からすれば、光り物と処刑は
まったく関係がないということなんだけど…。

※※

そして、そのまま夜が明ければ、一行は何事もなく出発して、
相模の依智というところの庄屋、六郎左衛門邸について、
金吾は屋敷の様子を見て安心してそのまま帰ってしまい、
その晩、鎌倉から佐渡送りの刑が確定したとの使いの文がやってきて、
すぐに中山の富城常忍に佐渡流罪の決定を知らせる御書もあって。

日蓮-金吾は殺されると思ってたけど、平左衛門頼綱の一行は、
犯罪の疑いのある坊さんを、淡々と鎌倉から相模の庄屋宅まで護送しただけでしかなく…。