――米国出身のジェイソンさんは、不祥事が起きると謝罪会見が大きな話題になる日本の文化をどう見ていますか。

厚切りジェイソンさん(以下、ジェイソン) 日本に10年近く住んでいるので、日本文化に慣れてきている部分はあります。でも、はっきり言って、謝罪会見とかには興味はないかな。だって、僕自身がその被害者ではないし、ましてや加害者でもない。つまり、問題に一切かかわっていない。なので、自分に関係ない謝罪に対して興味が湧かないというのが本音です。

日本の謝罪会見では、偉い人が並んで頭を下げている印象があります。ただ、実際に被害を受けたわけではない人を前に謝罪をしても、意味があるのかな。誰に対して何を謝っているのかわかりませんね。形を大事にするあまり、誠意を感じない。謝罪が「形式化」しているんじゃないかな。

■「米国に謝罪会見なんてほとんどない」

――米国ではどうでしょうか。

ジェイソン そもそも謝罪会見なんてほとんどしませんね。加害者が被害者に対して直接謝ることはもちろんありますよ。ただ、社会に対して謝るということは聞いたことがない。意味がないですから。一般社会だけでなくメディアにも問題はあると思いますが、会見というコンテンツを期待している人が日本には多いんでしょうね。

「お騒がせして申し訳ありません」と謝りますよね。でも、そもそも本当にそんなに騒がせてしまったのか。不貞行為なんて、もちろん良いことではないですよ。ただ、関係者以外がそこまで騒ぐ社会にこそ、問題があるのではないでしょうか。

ただし芸能人は別です。自分自身が商品で、それを消費しているのが一般社会の人たちだから、お客さんである社会に向けて、会見をする必要性はあるかもしれませんね。

――ジェイソンさんはIT(情報技術)企業の役員も務めていらっしゃいます。これまでも米国ではGEヘルスケアなど企業に勤めた経験もあるそうですが、企業における謝罪の違いは日米でありますか。

ジェイソン うーん、正直わからない。僕自身が被害者にも加害者にもなったことがないから。ただ、もし何かが起きれば、加害者が被害者に対して直接謝罪すべきだというのが僕の考えです。

――芸能活動をされていて、「炎上」などのご経験はないですか。

ジェイソン 炎上とまではいかないですが、一度経験はあります。あるテレビ番組で、すし職人を養成する学校を取り上げたときのことです。若い学生は基礎から学びながらも同時にすしを作れる環境が整った学校でした。ところが、すし職人の業界では徒弟制度が残っており、最初はシャリも触らせてもらえない時期があるとか。スキルを磨くうえで、早い時期からすしを作る練習をした方がいいという意見を言ったところ、インターネット上で批判的な意見を多くもらいました。

でも、僕の意見は間違っているとは思いません。野球も同じ。1年生には球拾いしかさせない学校もあるでしょ。その選手がたとえ3年生で急成長したとしても、1年生からしっかりと練習していたらもっと活躍する選手になっていたと考えるのが普通でしょう。僕の意見は論理的に考えても間違っているとは思わない。だから謝罪はしません。

■責任の所在が曖昧な謝罪は無意味

――ネットでの炎上も、企業経営者たちを悩ませる種です。「バイトテロ」など、アルバイトの不適切な投稿動画で企業が釈明に追われることも少なくありません。

ジェイソン バイトの不祥事に対して、運営企業が謝罪するというのも、米国では考えられない。バイトをクビにして、そこで終わり。責任は不適切な動画を投稿したバイトにあるのだから。そういう意味で、日本の謝罪には責任がどこにあるのかがわからない場合が多いんじゃないかな。

「お騒がせして申し訳ありません」「誤解させてしまいました」などの謝罪コメントは、謝っているようだけれど本質ではありません。責任が誰にあって、どう責任を取るのかという中身がない。謝罪はしても責任は取らない。これでは意味がないですよ。時間の無駄です。謝罪会見は日本社会の中で、次に進むための一つの「段取り」にすぎません。

――日本の「謝罪文化」は幼少期から醸成されるものかもしれません。ジェイソンさんには3人のお子さんがいらっしゃいます。子供に対する教育で、謝罪に関する認識の違いなど日米で差はあるでしょうか。

ジェイソン ありますね。例えば子供がケンカするなどもめたとき。日本はすぐに親が出てきます。それも子供がいないところで、裏で親が「すみませんでした」と謝りがちです。

でも、これって何の意味があるんですかね。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53270290S9A211C1000000/