名古屋市中区の百貨店「丸栄」が30日、閉店する。かつては松坂屋、三越、名鉄百貨店とともに、その頭文字から「4M」と呼ばれた名古屋を代表する老舗百貨店だが、他店との競争激化で業績低迷に歯止めがかからなかった。9月にはビルの取り壊しも始まり、繁華街・栄地区のランドマークが姿を消す。

初のエレベーター、「ギャル栄」、免税店誘致…
 丸栄は前身の呉服店からたどると、松坂屋に次ぐ400年の歴史がある。1943年に設立し、「栄で丸く栄える」との由来通り、一時は西日本最大の売り場面積を誇った。54年には名古屋の百貨店で初めてエレベーターを導入。初代エレベーターガールの佐野ふさ子さん(81)は「丸栄は時代の最先端。常に人であふれていた」と栄光の時代を振り返る。

 91年度には売上高が825億円とピークに達した。だが、バブル崩壊で翌年以降は減少の一途に。2000年にはジェイアール名古屋高島屋が開業を控え、さらなる打撃は必至だった。そこで丸栄は大勝負に出た。98年に社長に就いた後藤淳さん(83)はライバルである三越の元店長を引き抜き、40億円を投じる大規模改装に踏み切った。

 当時、東京・渋谷で大流行していたギャル系ファッションに注目し、ブランド誘致に着手。社内外から猛反発を受けたが、後藤さんは「他がやっていないことに挑戦するしか生き残る道はなかった」と語る。その後は「ギャル栄」と呼ばれて話題を呼び、婦人服の売り上げが大きく盛り返した。当時をよく知る社員の岩田泰弘さん(51)は「起爆剤に社内が沸き、みんな希望に燃えた。これで生き残れると信じて疑わなかった」という。

 しかし、ブームは長くは続かず、名古屋駅前の再開発や量販店の台頭で再び客足が奪われた。隣接ビル「スカイル」からの撤退など事業縮小を図る一方、訪日観光客需要を狙って総合免税店「ラオックス」を誘致するなど、業界初の策を次々と仕掛けて巻き返しを図ったが、苦境を脱することはできなかった。

 10年に医薬品大手の興和の子会社となり再建を模索したが、16年度の売上高は169億円にまで落ち込み、91年度以降25年連続で減少。建物の耐震問題も浮上し、昨年末に閉店が正式発表された。丸栄は外商のみを残し、百貨店事業に幕を下ろす。

 興和は丸栄跡地と所有する周辺ビル2棟を一体開発し、複合型商業施設の建設を構想する。27年完成を目標に据え、丸栄本館は9月から解体工事が開始される予定だ。

 丸栄の激動期を支えた後藤さんはこう言い切る。「寂しさが尽きないが、立派な再開発を遂げることこそが、長年愛されてきた丸栄の責任だ」

郊外店やネットに追われ
 かつて「小売りの王様」と呼ばれた百貨店だが、人口減少や消費低迷に加え、郊外型の大型商業施設やインターネット通販に顧客を奪われ、各地で不採算店の閉鎖が相次いでいる。

 日本百貨店協会によると、全国の百貨店は1999年の311店舗から、現在は220店舗にまで減少。売上高も91年の計9兆7000億円をピークに減少傾向が続き、ここ数年は計6兆円を割り込んでいる。

 危機感を抱いた百貨店業界では2000年以降、経営統合の動きが加速した。西武百貨店とそごう(03年)、大丸と松坂屋(07年)、三越と伊勢丹(08年)が次々と統合。店舗の選択と集中で販売力強化を図ると同時に、テナントや不動産、金融にも参入するなど事業を多角化した。

 丸栄も統合を模索したが、対等合併がかなう相手が見つからず独立独歩の道を選んだ。百貨店がモノだけを売る時代が終わり、丸栄のように単体で資金力に劣る百貨店の存続は難しいのが現状だ。丸栄幹部は「敵は今や百貨店やスーパーではなくネット通販。巨大すぎて単体では手も足も出なかった」と話した。
https://mainichi.jp/articles/20180626/k00/00m/020/155000c