「人びと」が欠けた「アベノミクス」
【松尾匡(立命館大学経済学部教授)】僕は「アベノミクス」と称する経済政策には、コービンなどの欧州の反緊縮派が提唱する政策と違って「人民の/人びとの(People's)」という意識が欠けていると思うんですよ。

たしかに「異次元金融緩和」というものは、長らく日銀の建前上の「独立性」が保たれていたために、「失われた10年」が「失われた20年」になるまで、中途半端な状態に抑え込まれてきた金融政策を――「民主的」であるかどうかはさておき――少なくとも「政治主導」で劇的に解放するものではあったんですよ。これについては一定の評価はしなければならないと思います。

もっとも、黒田(東彦)日銀は、実は肝心なところでお金を出し惜しんできたきらいがあるので、野党が言っているのとは逆に、「足りないぞ」という批判をしなければならない。消費増税のあともグズグスして、追加緩和が実現するまで半年もかかったし、2016年頭に中国株が暴落して世界市場が荒れて円高が進んだあとなど、すぐに追加緩和して円高を抑える必要があったのにしませんでした。

たくさんの人が追加緩和を期待した、その後の4月の会合でも、結局追加緩和しないことを決めたのですが、その3日後の5月1日には、アメリカが日本を為替監視対象に指定したとの日経報道がありました。日銀執行部が日経報道ではじめてそのことを知ったはずはないので、円安に動かすことを許さないというアメリカの意向を忖度して、円安をもたらす追加緩和を見送ったと考えざるを得ません。

インフレになっていないほうが都合がいい
【松尾】そもそも、この「第一の矢」については、「目標インフレ率2パーセントを達成するまで緩和を続ける」ということでずっとおこなってはきたのですが、別にそれは安倍政権が「経済にデモクラシーを!」と思ったからではないんですよね。安倍さんの一番の関心は、やっぱり安保法制や憲法改正のほうにあって、景気対策のほうは、あくまでそのための手段みたいなものなのでしょう。

安倍政権としては、選挙前にできるだけ好景気な状態をつくり出して、憲法改正のための基盤を固めたいと考えて、政権を運営してきたわけですよね。だからこそ、下手にインフレにして支持率が落ちかねない危険を冒すよりは、まだほとんどインフレになっていなくて雇用拡大効果だけが出ている状態をキープしておいたほうが安倍さん的にはかえって都合がいいということなのだと思います。結局、あくまで選挙のための手段としての経済政策なんです。

【ブレイディみかこ(保育士・ライター・コラムニスト)】そう。結局、欧州の左派本流のケインジアン的な政策を票稼ぎの道具として部分的に利用しているから、「なんのためにその政策をやるのか」という目的が欧州の左派とぜんぜん違う。

【松尾】だから安倍政権は、別に「人びとの(People's)」ためにと思ってやってきたわけではない。有権者の一番の関心は景気問題なので、そこに注力してきただけなんですよ。そうすると、政策が非常に中途半端なものになるんですね。たとえば、本来金融緩和とセットになっている「第二の矢」の財政出動のほうを見てみると、一応政権発足後一年くらいは積極的な財政出動をやっていたんですけど、そのあとは財政赤字の増大を恐れて引き締めにまわっています。いつも選挙前になると、テコ入れのために一時的に積極財政をとるのですが、それが終わるとまた引き締めるということを繰り返してきました。

【ブレイディ】すっごい中途半端ですよね。

社会保障費の削減こそ景気回復の足を引っ張る
【松尾】僕の見る限り安倍政権は、メディアで報じられるほどには積極財政ではなくて、実質的に緊縮傾向に引きずられがちのかじ取りをしてきたように思われます。実際、財政赤字の拡大を恐れて、介護保険や生活保護の見直しなどを進めて社会保障費を縮小させてきましたから、その点では明確に緊縮的です。財政出動と言っても、コービンのように福祉や介護、住宅政策などの人びとのための事業に投資しよう、という発想がまったくないのです。そのせいで、その財政政策の振り向け先も、旧来型の自民党的な公共事業やオリンピックなどに向けられるばかりです。

でも、不況の際に社会保障費の削減なんかしたら、人びとはますます生活不安でお金を使わなくなるじゃないですか。そうしたら、人びとの消費(需要)がますます縮んでいって、総需要不足の状態が解消されないので、むしろ景気回復の足を引っ張ることになるわけです。だから、僕はよく「『アベノミクス』はアクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものだ」と言って批判しているんですけどね。

http://president.jp/articles/-/25125