イーストウッドの吹替なんて実際の声の印象とぜんぜん違う最たる例のひとつじゃないか。
シュワルツェネッガーもそうだけど、勝手に顔の印象に近い声優を当てて俳優の魅力を損なっている。
言葉数の忠実さを求めるあまりシネマの魅力を犠牲にしている。