やっぱり円香とかはコミュ長文感想多くなるよな
実装されても誰も一言もコミュについて触れられてないとき悲しくなる
これってキャラ人気というより、話のテイストの問題だと思うんだけど

自分もコミュ全体通して透のことを言ってるとは思わないし、美術館のことは幼なじみ4人のことを指してると思ってる
でも今回語られた円香にとっての“美しいもの”って、ありのままで美しいもの、外側から規定されたり切り取られたり枠組みを作られたり仕切られたり構造を構築されたりして勝手に形を変えられて飾られた、加工されたものではない、何者にもとらわれず何からも縛られず、なににも染まらずありのまま透明なままで美しいもの、そういったもので、それってなんのことはない、まさしく円香の真横でそれを体現する存在が透なんだよね
今までのコミュでも感じてきたけど、円香にとっての透って幼馴染みとして大切に思ってるってことに加えて、円香にとってなんというか宝物なんだよなって思う
実はピトス読んでるときにこれってもしかして透のこと言ってる?って感じてて、最後まで読んで流石に深読みだったかって思ってたけど、今回の読んでそのそき感じたものがあながち的外れというわけでもなかったんじゃないかと思い直した

円香コミュ面白かったなあ!!
最初に出てきたミロのヴィーナスの話って前から自分の中でかなり重視してた理論で、高校の美術の教科書だか歴史の資料集だかに載ってて知ったんだけど、例えば自分はフロムの宮崎D信者で氏の作ってるゲームについてもデモンズの頃からこの「描かないことによって描いてない部分が無限化する」って手法の扱いの上手さに惚れ込んでて(環境ストーリーテリングって言うらしい)、物語や作品全般を見る上でもこの観点はよく意識するものだったんだけど、だからこそ円香のそれに対する反感は目から鱗だったし、作品の外側から身勝手に価値を付加して美しいと持て囃す横暴と、作品の一人称としてありのままに美しかった時間への憧憬とそれが望まなかった枯れ果てた今への悲哀をもって勝手な鑑賞者への反感とする円香の感性に改めて強く好ましいと感じ入った


オイサラバエル円香のトゥルーネタバレ悪しからず

最後の
「透」
「き」
「と お」
って表記の仕方自体が未完成を表してるのかと思った

「透」だけじゃ浅倉透を指す語として完成されかねない、だから「き」を付けてむしろ単語としての状態を未完成に持っていく

「と お」は言わずもがな、この後に仮に「る」とでも続けようもんならそれもまた円香にとって大きな意味を持つ「とおる」というひとつの語の完成形になってしまう

円香は美しいものを表現するために、自分が美しいと思うものに余地を残した

シャニマスっていうノベルゲー方式で読んでいく媒体に合致したギミックで面白いし、
俺は円香から透への感情を読み取れた気がして嬉しかったわ、untitled以降で最も考察し甲斐のある関係性を表したカードが来たと思ったので


釈迦スレでは大好評なんだが?🐦